昨日の秋の気配の中では、さすがに、セミくんたちも。
様子見、というのか、人間の奏でる秋だの夏だのの区分けとは、また一味違う。
季節感、とでもいうものを持っているだろう、彼らだろうから。
速断はできませんが。
謳歌の夏、たるこの鳴き声は、少々、遅れてやってきたけど。
この、巡る、とか、訪れる季節、とかの言い回しで、日々の無聊を慰めもし。
というのが、この人間の歴史、なんて言えるかもね。
おいおい、せっかく、セミくんたちと合流して、夏を味わおうという時に、どうもね。
頭でっかちの成れの果て、みたいな方向に行っちゃうな。
夕べは、長男坊がやってきて、次男坊のお土産、鈴鹿のお酒を二人で飲んだ。
なかなか、いい絵柄でしょ。
父と息子が、その弟のセレクトになる、美味しい日本酒をきこしめす。
あと少ししたら退職なる、わが社の長老の話やら、の流れで、昭ちゃんは。
わが父親ですが、その御仁の10年も前に、一場の夢たる人生を閉じていたんだね、なんてこととかね。
さまざまな物語を紡ぎ直しながら、一献傾け、妻はビールで耳を傾け。
そうそう、昨日は、わがヘアーカットの大将、そのご子息に、夏らしい、涼しげな頭にしていただき。
アレヤコレヤの話題もありつつ、じゃ、落ち着いたら一杯行こうよ、とお暇をした。
ところで、ネットに溢れる、いや、ネット界隈だけではないんだろうけど、引き寄せの法則。
とか、なんとかマーケッターとかの物言いに、実のところ。
辟易感が増してきてもいて。
外へ外へと向かうトレンド、とでも言えるのか。
モノの過剰な時代には、それをはかせるための算段、方策が必要、というわけだ。
は、わかるにしても、ちょっと、静かな時間を持たせてよ、くらいの。
気分にもなり。
何が起こっているのか、何が起こり始めているのか、というね、例の。
兆し、カラスのメディスンに、ここは一つ、思い至り。
だな。
そういえば、カラスくん、ここのところ、姿を見せないな。
代わってセミくんの大合唱が始まった。
そういう時は、何も考えず、ただ、朝の空気を感じている、というのが。
どうも、あたり、かな。
淹れたての珈琲と紫煙とともに、まさに、コーヒーブレイクだ。
今、目の前に貼ってある、宝船の絵に目がいった。
そうだった。
宝船プロジェクト、続行中、だったんだ。
これを眺めていると、いろんなこと、浮かんでくるよ。
七福神が、にこやかに、波頭を切って進む様だ。
後景には赤富士。
駿河湾をどこかへ向かう絵柄。
浮つきもせず、もちろん、怯えもせず、たおやかな、おだやかな、しかし、舳先は自ずからなる方向へ。
とね。
そういえば、いつぞや、あるプロジェクトの、お金はどうするの?なんとかなるの?
というチャネリングのとき、七福神の一人たる、恵比寿さんは、ピース!って軽いノリで、答えていたらしく。
もちろん、僕の目の前で起こっていた出来事だけど、こちらは、大笑いしちゃったんだけどね。
軽っ!って感じでね。
こうしたチャネリングについても、書いておきたいんだけど、ね。
たぶん、昔から、その手の方々は、大勢いらっしゃって、盛時には、時の政治権力にまで影響を及ぼし。
なんてね。
さて、そろそろ、ルーティンに入るとしますか。