まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

今朝は蒸し暑いけど涼風がやってくるんだ

2017年07月31日 | Weblog

島の時間がやってくるのを待つ。

と、満島ひかりが、対談の中で言っていたのを、いつぞや、ご紹介しましたが。

人それぞれにも固有の時間があり。

例えば、個人ミーティングでも、いきなり全開、の会話が始まるわけではなく。

それぞれの時間の、持ち場が決まるまで、待つ。

そこから物語が始まる。

それ以外でも、例えば、ノートに向かい、アレヤコレヤの作戦を練るときに。

やっぱり、そこでも、ある時間に会うまで、待つ。

テレビのチャンネルを捻るように、ラジオの周波数を合わせるように、ということなんだけど。

そのことを、チャネリング、とも言えてね。

時を合わせる、とでも言えるか。

待つ、と言えば、伊那谷の住人、加島祥三さんの本、そんな書名だったな。

タオ、だったか、老子に関する本も出している。

短兵急、とかの言葉、あるよね、待てないことの弊害を表した言葉かな。

時節を待つ、なんて言い方もあったよね。

待てば海路の日和あり、なんてのもあるし。

大きなくくりで言えば、待つとか待たないとか、そこではなく、自ずから訪れるもので。

人間の小賢しい一挙手一投足では、実のところ、何事もなし得ません。

なんて話もあるしね。

言い出せばきりがないくらい、いろんな言説が、存在するわけだ。

外では、セミが、勢いを増してきた。

こちらも、始まるとするか。

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アチェー、ヤマヌナーヤ

2017年07月30日 | Weblog

表題に続いて。

ティファザキヤマ、アタドー、という文章。

いきなりですが。

昨日から公開されているのか、「海辺の生と死」という映画。

その原作者と言っていいのか、島尾ミホの同名の文庫本からなんだけど。

奄美大島の言葉のようで。

訳すと、アセ、山の名は、ティファザキ山、だったよ、となる。

アチェは、アセの幼児訛りで、その幼児、トク坊が、南京豆を掘っているアセと呼ばれるミホのお母さんに。

薪刈りに向かった山の上から、投げかける言葉。

これ、上記文庫本の「挨拶」という小品なんだけど、ページ数にして4ページ。

わざわざ、自分の言葉にし直さなくても、まんま、コピペしちゃえば、事足りるんだけどね。

この、奄美大島の言葉が、なんとも心地いい、というか、哀切極まりない、というか。

そんなことを伝えるだけのために、表題にもしているわけだ。

文庫本の帯に、若い頃、随分とお世話になった、今は亡き吉本隆明が書いている。

『昼は人つくり

 夜は神つくり

 とでもいうより

 致し方のないものが

 ここには

 生きている』

ミホは、大正8年生まれ、というから、アセ(おくさま、という意味らしい)と呼ばれるお母さんは。

明治の生まれだね。

ヤマヌナーヤと呼びかけられた頃は、大正から昭和のはじめか。

わが母親の生まれた頃かな。

日常の暮らしに追われるなか、心の紐を緩めるひと時、ちちははのことを思い出す、と「茜雲」という小品で。

彼女は書いていて。

そのときどきの夕焼け雲のたたずまいが、胸のふるえるような懐かしさで今も思われてなりません、と。

そのミホの言葉に、わが母親のことが重なる。

要介護度3と分類された彼女が、夕餉どきやおじおば会の車中でもらす、ちちははの話に、共通した何か。

をね、思うわけだ。

島の時間や村の時間が、リアルに感じられもし、たしかなものとして存在もしていたころの、そんな話だね。

進取の気性たくましく、外へ外へと向かっていくうちに、気がついてみたら、時間の流れさえ。

グローバル化しちゃった、という顛末が、今だとすると。

もうね、胸かきむしられるような思いが、ミホの小品から湧いてくる。

昨日は、この中公文庫ともう一冊、島尾敏雄の「島の果て」も買ってきちゃったよ。

またまた、病気再発、ってわけだ。

満島ひかり演じるミホを観るための、心の準備に、ハイッタドー、だ。

 

 

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方谷駅を通り過ぎたっけ

2017年07月29日 | Weblog

実は、昨日、ある御仁から電話が入り。

かくかくしかじか、本日、山田方谷について研究し、本を上梓された方。

その方の出版の記念講演があるので、ぜひ、ご参加を。

という趣旨の、ね。

歴史好きなあなたにはうってつけです、というコメントもあり。

なので、お昼からそのイベントに、出かけることになりました。

表題は、出雲への旅の帰り、何線だったか、ゲゲゲの鬼太郎のキャラが駅構内にも溢れた。

鳥取の、何駅だったか、そこから岡山までの電車。

津山線とでもいうんだったか。

その道中、通り過ぎたのが、くだんの方谷さんの名前がつけられた駅なんだよね。

田舎町だった。

今でも田舎、なんだから、方谷さんの活躍した時代には、さぞかし、外界との交流は。

苦労されただろうな。

上杉鷹山とか河井継之助とか、江戸時代かね、藩財政の改革に取り組んだ三羽烏の一人。

というのが、山田方谷かな。

まったく、そのくらいしか、知らないんだけど、これも、何かのご縁なんだろうね、声をかけていただいた。

ってのも。

なので、本日、お勉強に出かけます。

夕べは、いつぞやもご紹介したかも、の、「社員資本計算書」と「付加価値計算書」というシロモノを考案した。

ある御仁も出席された、景況調査のメンバーとのプチ納涼会。

衝撃的な出会いだった、とそのことを知った時の心境を、コメントしたんだけど。

まったく、世の中には、こちらの想定を超えた人士が、そこかしこにいらっしゃり。

犬も歩けば棒に当たる、とは言うけれど、人間だって、歩けば、ね。

そうだ、昨日は、キンコン西野の本、名前忘れたけど、それをお貸ししてある、カーテン工房の女史と。

わが社の改装の件やら、何やら、で話し込んだった。

10年ほど前、自立と協力、と社内で話したら、自立してたら協力なんてできるわけがない。

と言うようなレスが帰ってきたことがあって。

なんて話やらね。

その反応に、驚き、そうか、そうなんだ、と認識を新たにもしたのでしたが。

ま、そうはいっても、10年経ち、ぼちぼち、自立と協力が浸透しつつあるかも、なんてね。

つまり、協力する、と言うのが、依存する、と同義に受け取られ、というような。

依存関係でなけりゃ、協力はできない、なんてわけだ。

自分の足で立てよ、なんだけど、そもそも、もともと、自分の足で立ってるし。

そのことを認めるだけ、でもあるんだけどね。

社長なんて役柄は、そんな関係に、つまり、共依存の関係になりがちなのかも。

わかった、俺がお前たちを食わせてやる、みたいな。

ありがとうごぜえますだ、食わさせていただきます、か。

これらも、長い歴史の積み重ねなので、当たり前化しちゃってるケースもあるのかもしれないけど。

この時代、そろそろ終わりにしようか、ってことでね。

社長に限らず、あらゆる関係の中に潜む、そんな、隠微なメンタリティー、ってやつ。

夜毎、カラオケスナックでうたわれ続ける、演歌の世界ね。

拡大再生産され、だけど、この頃では、夜毎うたわれもしないのかな。

そんなことを知ってか知らずか、今朝も、夏の風物詩、セミくんの大合唱だ。

 

 

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今朝は朝からセミが鳴いている

2017年07月28日 | Weblog

昨日の秋の気配の中では、さすがに、セミくんたちも。

様子見、というのか、人間の奏でる秋だの夏だのの区分けとは、また一味違う。

季節感、とでもいうものを持っているだろう、彼らだろうから。

速断はできませんが。

謳歌の夏、たるこの鳴き声は、少々、遅れてやってきたけど。

この、巡る、とか、訪れる季節、とかの言い回しで、日々の無聊を慰めもし。

というのが、この人間の歴史、なんて言えるかもね。

おいおい、せっかく、セミくんたちと合流して、夏を味わおうという時に、どうもね。

頭でっかちの成れの果て、みたいな方向に行っちゃうな。

夕べは、長男坊がやってきて、次男坊のお土産、鈴鹿のお酒を二人で飲んだ。

なかなか、いい絵柄でしょ。

父と息子が、その弟のセレクトになる、美味しい日本酒をきこしめす。

あと少ししたら退職なる、わが社の長老の話やら、の流れで、昭ちゃんは。

わが父親ですが、その御仁の10年も前に、一場の夢たる人生を閉じていたんだね、なんてこととかね。

さまざまな物語を紡ぎ直しながら、一献傾け、妻はビールで耳を傾け。

そうそう、昨日は、わがヘアーカットの大将、そのご子息に、夏らしい、涼しげな頭にしていただき。

アレヤコレヤの話題もありつつ、じゃ、落ち着いたら一杯行こうよ、とお暇をした。

ところで、ネットに溢れる、いや、ネット界隈だけではないんだろうけど、引き寄せの法則。

とか、なんとかマーケッターとかの物言いに、実のところ。

辟易感が増してきてもいて。

外へ外へと向かうトレンド、とでも言えるのか。

モノの過剰な時代には、それをはかせるための算段、方策が必要、というわけだ。

は、わかるにしても、ちょっと、静かな時間を持たせてよ、くらいの。

気分にもなり。

何が起こっているのか、何が起こり始めているのか、というね、例の。

兆し、カラスのメディスンに、ここは一つ、思い至り。

だな。

そういえば、カラスくん、ここのところ、姿を見せないな。

代わってセミくんの大合唱が始まった。

そういう時は、何も考えず、ただ、朝の空気を感じている、というのが。

どうも、あたり、かな。

淹れたての珈琲と紫煙とともに、まさに、コーヒーブレイクだ。

今、目の前に貼ってある、宝船の絵に目がいった。

そうだった。

宝船プロジェクト、続行中、だったんだ。

これを眺めていると、いろんなこと、浮かんでくるよ。

七福神が、にこやかに、波頭を切って進む様だ。

後景には赤富士。

駿河湾をどこかへ向かう絵柄。

浮つきもせず、もちろん、怯えもせず、たおやかな、おだやかな、しかし、舳先は自ずからなる方向へ。

とね。

そういえば、いつぞや、あるプロジェクトの、お金はどうするの?なんとかなるの?

というチャネリングのとき、七福神の一人たる、恵比寿さんは、ピース!って軽いノリで、答えていたらしく。

もちろん、僕の目の前で起こっていた出来事だけど、こちらは、大笑いしちゃったんだけどね。

軽っ!って感じでね。

こうしたチャネリングについても、書いておきたいんだけど、ね。

たぶん、昔から、その手の方々は、大勢いらっしゃって、盛時には、時の政治権力にまで影響を及ぼし。

なんてね。

さて、そろそろ、ルーティンに入るとしますか。

 

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睡眠中のこむら返り

2017年07月27日 | Weblog

ほぼ、人生の中での初体験、かな。

昨夜、ふくらはぎが攣った。

さっさく、グーグルおじさんに聞いてみた。

クーラーかけたり、布団をかけなかったり、つまり、突然の冷えへ対応できず。

ということらしい。

そういえば、今朝は、涼しい。

暑いと言われる夏の一休みなのかも。

運動しているしていないに関わらず、それは突然起こります、とも書いてあった。

便利なものだ。

AIなんて言わずとも、すでに、そんな世界の住人だね。

涼しい今朝は、静かだったんだけど、そろそろ、街が動き出した。

鳩くんもそれにつられたのか、鳴き出し、街の時間が流れ出した。

昨日もまた、個人ミーティングで、それぞれの時間合わせをしたわけだ。

若者とのやりとり、というか、ほとんど、こちらは教えをこう、という立ち位置だけど。

例えば、ラブライバー、なんて知ってます?

ラブライブ、というアニメが、ある部分の方々には、大受け、大流行りだそうで。

その聖地ということで、ご当地、静岡県の中の沼津が賑わっている、とかね。

第二東名の駿河湾なんとか、というSA、ただでさえ人気で、開通以来、いつ行っても混んでいる。

んだけど。

そこで、それこそ、ご当地限定のグッズが販売されているので、そりゃもう、大騒ぎ、なんだって。

こちらは、口を半ば開けたまま、そうなんだ、ほー、へえー、って感じ。

そんなことを知らなければ、あのSAをただ、通り過ぎるだけなんだけどね、相変わらず流行ってるね。

くらいの調子で。

世界に70億人だっけ、それぞれの人生の中で、知らないことが圧倒的に多いわけで、自分の知らないところで。

知らない人生の物語が、いつだって、紡ぎ出され。

無限とも言える物語のうちの、ほんのひとつかみの物語に執著、というか、かっこよくいえば。

こだわり、ってのが、大方のデフォなスタイル、なんだよね。

そんな地球の住人を取り巻く、なんとか銀河とか、なんとか星団とかってのは、ほぼ、無限とも言えるくらいの。

数なんでしょ。

ほんとに、途方もない話だよね。

朝から、そんな気分になっているのは、いつもの蒸し暑い朝、じゃなく、秋を予感させるような。

この涼しさのゆえかな。

さて、そんなことに思いを馳せ、本日、と名付けられた時間を流れ始めるとしますか。

 

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一夏の謳歌を楽しむ前の準備

2017年07月26日 | Weblog

外で、セミの鳴き声が、という状態の前段階。

暑さとともに訪れる鳴き声の。

その前。

彼ら、準備体操、ま、朝礼でのラジオ体操みたいなものだ。

その微かな鳴き声とともに、風とも言えない風がやって来る。

ほとんど、昨日の表題みたいだけど。

それが、わが至福の時を演出してくれる。

この時間、この季節のね、味合わないと、お客さん、損しまっせ、ってなもんだ。

ほら、そんなこと、言ってる間に、暑さの象徴とも言われる、例のセミの鳴き声もやってきた。

鳩の、几帳面そうな、鳴き声というのか、そんなものも聞こえて来る。

巴川の稚児橋を渡るトラックの音も、って、今朝は、耳特集みたいだ。

ついでに、僕がパソコンのキーボードを打つ音。

珈琲の落ちる音は、さっき、終わった、つまり、珈琲が落ちた、ってわけだ。

ところで、暑さの象徴みたいな言い方、しちゃったけど、実は。

暑さ、って、人が言うほど、でもないんだよね、当方は。

なんて風な話を、このあいだ、お昼時にしたら、そりゃ、年取るとそうなるんだ、ときた。

感じなくなる、感じる能力が落ちる、と言うような、ね。

そう言うことかね。

でも、暑い暑い、と言う口癖のような、挨拶言葉が、どうもね、たしかに、暑いけど……、みたいな。

いずれにせよ、習ったことではなく、その時々の感じるままに、と言うこの頃だから。

それはそれで、感じる人でいるんだけどね。

いつの時代の、とか、どこぞの国の、とか、偉人と呼ばれる誰それの、とかの修飾語で、自分を飾るのをやめた。

ので。

いつでもフリー、って。

今晩は、日本平の花火だと言うのに、同友会の理事会で。

まさに、故里の祭りをグローバルなイベントが、奪う様だ。

なんて書くと、大げさだけど。

そうそう、昨日は、カーテン工房の個人ミーティング。

ほぼ終日、とあいなり、ではあるけれど、一時間が、もう終わりなの、の風情になりつつあり。

それこそ、肚合わせ、とでも言えるか、あるいは、島尾ミホさん、あるいは、満島ひかり。

じゃないけど、島の時間、ってやつに合ってきた、って具合だ、

各々の体内時計と、社会的時計と、後もう一つ、見えない、ゆえ知らぬ過去から連綿と続く。

現在の代表選手たる、その人固有の時計、これらが。

なんとなく、いい具合に融合し、とも言えるか。

すると、たぶん、カラダの側から言わせてもらえば、健康、ってやつが、手に入る、って算段。

重篤な、難病以外は、医者いらず、だな、きっと。

外では、案の定、想定の通りに、セミ君の一夏の謳歌だ。

さて、こちらも、それに習うわけでもないけど、この夏を謳歌することにするか。

 

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風はほぼ友だちと呼べるな

2017年07月25日 | Weblog

窓辺の机に座る。

窓を開けても、蒸し暑さは変わらない。

しばらくすると、川を越えた空気の流れが、やって来るんだ。

もちろん、心地よい。

ほぼ友だち、なんて物言い、随分と失礼な、とも思うけど、今朝の気分は。

そんなで。

夕べは、友だち歴、50年以上、という仲間と飲んだ。

相変わらず、アホな奴らだけど、なんだか、言いたい放題のうちに。

宵も更けたわけだ。

なんのご縁なのか、ほぼ物心ついた、と言われるくらいからの付き合いで。

今のように、もちろん、自称だけど、器用さは持ち合わせず、育ったまんまの。

育てられたまんまの、臆病も見栄もごった煮のね、そんな。

レアな時代、その頃を同じように味わった連中、ってわけだ。

その後は、それぞれに、それぞれの道を歩いてきた。

その頃の、同じ仲間が急逝し、通夜もない、葬儀もない、言ってみれば。

居酒屋での野辺送り、ってところ。

ずっと昔には、そんな具合に、一人の命の終わりを、体験していたんだろうな。

時間をかけてね。

そんな夕べに続く今朝、外では、セミが鳴き騒いでいる。

あるお店が、10周年ということで、少しばかり顔を出し、おめでとうの一言をかけ。

なんて時間も流れたんだった。

今日は、この後、カーテン工房の個人ミーティング。

今月は、縫製さんたちとも話すことになっていて、シャイな方々との時間が楽しみなのです。

さて、セミの声に誘われ、こちらもカラダとの会話を始めるとするか。

 

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島の時間になるまで待とう

2017年07月24日 | Weblog

これは、映画、「海辺の生と死」撮影の時の。

監督さんの言葉だそうで。

SWITCHというNHKの番組で、女優の満島ひかるが語っていた。

それまでは、島の蝶々が乱舞していても、撮影隊がやって来ると。

どこかへ消え失せ、その気配を察知した監督さんが。

表題のごとくに言った。

あの島にいると、いろいろ、不思議なことが起こる、とも。

この映画は、島尾敏雄とミホの物語。

まだ、観てないけど。

このブログでも、たびたび、使わせていただいている、出発は遂に訪れず、ってフレーズね。

その主である、島尾敏雄と島の巫女さんか、ミホの出会いの物語だそうで。

島の時間、というのがね、印象に残っている。

時計に刻まれる時間とは、また、別の時間が流れている。

当たり前だけど、当たり前じゃないみたいに、スルーさせてしまいがちな、この感覚ね。

全社一丸、とか、ベクトルを合わせ、とかのスローガンとともに。

ゆめゆめ注意召されよ、ってとこだけど。

これは、島の話のように聞こえるけど、われわれの近くでも、起きていることかも知れず。

いや、たしかに、起きている。

自称のろま、とか、気が短い、とか、その個人のキャラクターの色合いになりがちだけどね。

それぞれの持っている時間の流れ、ってのは、どこからやって来るか、わからないけど。

島の時間に合わせると、蝶々の乱舞がまた、始まる、というような。

そんなこと、ありかもね。

今朝も、外では、セミが彼らの時を刻んでいる。

僕の、この時間も、似たようなものかも知れないな。

朝早くからお仕事ですか、の褒め言葉にもかかわらず、その、早く、の時間とは。

また、違う時間が流れているわけだ。

今日は、朝から終日、個人ミーティング。

この時間の豊かさは、それぞれに流れる時間を賞味する、ということにも繋がり。

そこからもたらされるのかも知れないね。

それにしても、番組でみた、満島ひかるの、踊りの時の手の動き、セクシーを突き抜け。

なんというのか。

大が小を飲む、のでんで、奄美大島は、沖縄に、薩摩に、モノや文化を奪われ。

だけど、踊りの中に残る、微かな大昔からの意味、とでも言えるか。

唄にしてもね、そんな伏線から眺めるせいか。

島尾敏雄とミホについては、ずっと前から、気になっていて。

今回、満島ひかるを通じて、こんな具合に出会う、というのは、これまた、僥倖。

だな。

 

 

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いきなりオスカー・ワイルドだけど

2017年07月22日 | Weblog

早すぎた美の殉教者、ってサブタイトルの。

誰かのサイトの記事、読んだ。

没年から111年がすぎ、墓石はキスマークで赤く染まり、なんてのね。

と言いつつ、名前は聞いているけど、彼のこと、あんまり知らないんだ。

にも関わらず、あえて、書こうと思い立ったのは、ほんの一行程度の。

あれ、誰かのツイートだったかな。

世紀末、彼は、同性愛のかどで投獄されたらしく。

群衆の悪罵の中、刑舎に引き立てられて行く、というシーンだね。

その時、一人だけ、帽子をとって最敬礼していた御仁がいたそうで、その光景に救われた。

というのね。

このシーンが気にいって。

ありがちでしょ、石川啄木にも、そんな歌、あったよね。

石をもて追われる如く、故郷の停車場でなんとか、ってやつ。

なんとなく、北へ向かう旅人、みたいな演歌の世界に入り込みそうだけど。

にしても、ワイルドの、このシーン、プラス、100年後のキスマーク。

ってのは、なかなか、奥深いものを感じるね。

ことに、西洋の歴史を見ると、例の、魔女裁判ね。

あまりにも荒唐無稽な、なんてことに、今となれば感じるけど、その当時の人々にとっては。

必死な形相で、悪魔祓いなんてのを、やっていたんだろうからね。

思い込んだら命がけ、ってわけだ。

もっとも、迷惑なのは、そんな彼ら、西洋人が、バイキングじゃないけど、あらまく海を航海しきる。

テクニックとメンタリティを身につけちゃったことかね。

メソアメリカとかの、地球の反対側にまでこぎつけちゃったわけだから。

それによって、世界は近くなり、文化文明は進化した、みたいな歴史物語を、つまり、his-story、ヒストリー。

ならぬ、ther-storyか、そんなものを撒き散らし、なんて引かれ者の小唄の一つもひねってみたくなる。

めちゃくちゃ、被害者ぶって言えば、あんたちおかげで、俺たちの祭り、消滅の危機じゃないか。

くらいのね。

この時期、各地でのお祭りが盛んなんだけど、天地からの恵みへの畏怖と感謝、ってのは。

グローバルな文化文明の大合唱で、かき消され、という絵柄ね。

いやいや、こんなストーリーを続けていると、ドツボに落ち込みそうだから、このあたりでやめにしとくか。

にしても、この、オスカー・ワイルドの逸話、知るものは言わず、言うものは知らず、なんてフレーズが。

浮かんで来もするね。

民主主義なんてテクノロジーに対するアンチ、みたいな領野にも行きそうだ。

由らしむべし、知らしむべからず、と言う例の、フレーズにもね。

外では、そんな妄想の世界とは打って変わって、一週間の命、と言われているセミ君が鳴き出した。

もっとも、彼ら、解釈の仕方を変えてみれば、たったの一週間の課外事業で、真性な。

命の世界へ戻って行く、とも言えて。

に比べて、人間たる当方、大方の人士方は、今では、平均が90年近い、重苦しい肉体を纏った課外事業をへて。

と言う解釈も成り立つね。

さて、そんな肉体との会話のお時間となりました、骨ストレッチ、ね。

 

 

 

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冷気が静かにやってくる

2017年07月21日 | Weblog

冷気、なんて言葉にすると、大仰な感じもするんだけど。

ほんのさっきまでは、蒸し暑いかな、と感じてもいて。

そこへ訪れる、ひんやりした、ちょっと遠慮がちな空気の動きで。

この朝の、僥倖だ、なんて書くと、将棋の藤井四段みたいだけど。

ほんの一瞬の違い、これ、なかなか、素敵なものだんだよね。

そういえば、何日か前の朝、瞑想タイムに入る前、つまり、目覚ましをセットした時間の。

ほんの数分、その時間が、とても長く感じられたことがあった。

あれ、不思議な時間だったな。

時計時間にすれば、5分程度か。

一瞬が、永遠、なんて物言いが、それもありかもね、という気になるくらい。

このところ、階段の上り下りを工夫しているんだ。

この間の、爺ガ岳の下りのひざ痛が、ずっと、気になっていて、youtube見たりして。

理にかなった足の運び、なんてのを、予習しているわけだ。

今、ベランダを見たら、白いアサガオが咲いている。

今年は、ベランダ菜園は、まさに、菜園で、苦瓜、スイカ、トマトをわが長老さんが。

植えてくれていて。

なので、当方、あんまり関わらず、なんだよね。

一切ノータッチ、たまに眺めるだけ、と。

実は、昨日、とても刺激的なことに出会い。

某会社の社長さんの弁、なんだけど。

企業理念が、社員の社員による社員のための会社、と高らかにうたい。

それを誠実に実践されている社長さんで、200億超えの年商。

ホームページにも決算書があり、しかも、それを改造して。

「社員資本計算書」とか「付加価値計算書」とかを作成。

いかにしたら社員さんの、手取り総額を高められるか、が年々の目標なんだよね。

当分の間、かの御仁の書かれた文章と事業報告と呼ばれた数値とにらめっこだな。

彼、たしか、演劇をやっていた、とおっしゃっていたな。

演劇人というのは、ほんと、ユニークなもので。

もう先年、逝去された岐阜の会社の社長さんも演劇人で、とにかく、年間の休みを多くして。

社員をおどかすんだ、こんなに休んじゃ、会社がやばいんじゃないか、だから。

必死に働く、なんてジョークを交えたお話をお聞きしたことがあった。

さて、時間だ。

骨ストレッチを始めるとするか。

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