まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

ここだけの話だけど

2018年08月31日 | Weblog

って、ありがちな書き出しではあるね。

実は、このところ、耳が聞こえづらくなってきて。

娘なんかに告白すると、早いとこ、補聴器をしなさいよ、なんて諭される。

具合で、なんだけど。

若い頃から、4000dBの音、健康診断でやるやつね、あれ、聞こえなくてね。

だったんだけど、このところ、ワイワイガヤガヤ、の中では、聞こえにくくて。

それに、聞かせる気のないような話ぶりの方、いるでしょ。

あの音、取りづらいんだよね。

ということで、ふと、もしかしたら、加齢で云々、というのは、都市伝説、思い込み、誰かの言いっ放しの言説。

なのかな、と思い立ち。

聴覚復興大作戦を開始したのです。

骨ストレッチでも実感している、そんな体験を援用し、というわけだ。

短い時間で直感したことは、結局、巡り、ってやつ。

血液とリンパ液と神経回路、とでも言えるか。

これには、呼吸が大事なようで、大地との、宇宙との交歓を楽しむ、ルーティン化する。

それと、経絡への刺激かな。

ま、わがオリジナルな作戦を展開していくことになるな。

しかも、ほんの短い時間でいいんだ。

それが積み重なることが、巨大な力になるわけで。

継続は力なり、ってことなんだろうな、と。

そう、思い出したのは、初登山の、木曽駒ケ岳、その宝剣岳での早朝、相方二人は、鳥の声が聞こえた。

というのを、寂しく見送った、なんて瞬間。

別件で、ずっと前、長野の仙人温泉の金井社長の話をお聞きしたことがあって。

彼、宿にやってくるお客様の、ご自分でも聞こえていないニーズを聴く、なんておっしゃっていたことも。

思い出すな。

ニーズニーズ、なんていうけど、ポイント、そこです、って。

あの言葉、新鮮だったな。

聴き切ることのできない哀切、なんとも言えない哀しみ、そんなこと、しこたま経験されたのか。

深い言葉だと、今でも残っている。

あと、聴く、ということでは、有名な、福沢諭吉、慶應大学の創設者、というのか。

ある時、学長室に、田舎からの来訪者、ある学生さんのお母様。

先生、こうなんです、ああなんです、と1時間ばかり、話し続け。

帰り際、今日は、先生、とてもいいお話を伺ってありがとうございます、と。

当の先生、一言も発せず、お母様の言葉を聴いていただけなんだけど、なんて話ね。

聴くことの、話すことの、なんとも言えない不思議さね。

聴覚、とかの言葉で括られるけれど、全身全霊での対面、受け止め、受容れ。

そう、そういうわけで、呼吸だ。

大地との、宇宙との交換会、それをカラダの隅々まで実感すること、たぶん、それで。

わが聴覚も、基本に戻るんだろう、と。

このところ、基本形、というのが、テーマの一つになっているな。

骨格もそう、呼吸も、全てが繋がる。

もちろん、組織、集団のあり方も、そうだ。

さて、その確認のために、屋上へ行ってきます。

 

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「しんそう療方」へ行ってきた

2018年08月30日 | Weblog

骨格の基本形にもどす。

と言うのか。

30分の瞑想の後、立ち上がると腰が痛い、と言うか、重力に抗う感がね。

もちろん、ちょっとしたストレッチで、回復はするんだけど。

この何ヶ月かで、そう言う症状なので、頚椎ヘルニアになったコンピュータ屋さんに紹介したこともあり。

まず、自分が試してみよう、と言うことで、その施療所へ行ったのでした。

って、ちょっと、説明不足か。

久々に伊勢御仁との電話でのやり取りで、そんな話になった時、彼、ぎっくり腰で難儀した時に。

表題のような手法の、彼の場合は、津市にある所だったそうだけど、劇的に改善、と言うことでね。

早速、それを、コンピュータ屋さんにご紹介した次第。

と言う流れの中での話なんだけど。

行ってきたわけだ。

思い立ったら吉日、妻の次兄の逝去という事件がありながらも、でした。

そう、そう言うことで、僕より2歳だったか1歳だったか、若いんだけど。

クラフトコンサートというこの辺りでは、有名な家具屋さん、というのか、イス屋さん。

素敵なイスが並べられたお店には、彼の才能が溢れていて、いつも感心しながら眺めていた。

し、二階の隠れ部屋で飲むお酒は、殊の外、美味しかった。

そんな時間も、思い出の中へ鎮座することになった。

けれど、それが現存したことは間違いもなく、それぞれのどこかへしまわれ、何かの拍子に現れ。

なんて仕儀なんだろうな。

逝去、とか、亡くなる、とか、って何だろうね。

不思議な感覚だ。

生きとし生きるものの特権、というのか、もちろん、哀しみ、と書いてもいいけど。

比類のない瞬間。

そういえば、わが父親、しょうちゃんが、こと切れた時、波形を描いていたグラフが。

ツーと一本線になったのを目撃し、遠くへ行ったんだな、という思いがこみ上げてきたことを思い出す。

その後、わが家での呑みの席では、存命中よりも密に、彼の話題で盛り上がるわけで。

そこに現存する、生きてある、存命している、ってのは、ね、一体全体?

って気にもなる。

というわけで、今週は、妻の次兄をお送りする、オリジナルな時間が流れることになる。

ありがたいことに、ほぼノースケジュールの日々だった。

傍目にはわからないかも、だけど、静かにお送りする時間が用意されてもいたわけだ。

さて、そんな出来事の中、わが相方に、そんな時間の流れを確かめに行ってくるか。

そう、骨ストレッチ、昨日、施術してくださった方も、その本、買いました、だって。

なかなか、お茶目な女性で、そう、うちの父もなんとかかんとか、なんて。

俺を父親世代と見ているんだね、なんて瞬間もあったけれど、いずれにしても、対話の時間です。

 

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世に二つとない極上のワイン

2018年08月29日 | Weblog

とまでいかないけど、ボルドーだったかの、13家に入る。

そんなワインを、わがマスターオブワイン、いや、ソムリエのセレクトで賞味させていただき。

おつまみは、静かな和室の落ち着いた部屋での饗応。

なんて夜を、楽しませていただいたのが、昨夜で。

今朝を迎えている。

ご招待いただいたのは、わが文学の師匠のお宅で。

早速、昨日アップした「シジフォスの神話」なんぞの話題にもおよび、意味があるない、というね。

にしても、このところ、当方の胸に、鎮座まします、あの、ハラリ教授の「サピエンス全史」があって。

とは言え、この場で、そのことについて、わかりやすく表現するのは、とても、骨がおれるわけだけど。

ま、そんなことが去来もした、ワインと手料理の時間ではあった。

今朝の空は、秋だ。

昼間は、まだまだ暑いね、という声かけ運動みたいだけど、朝晩は。

涼しく、なんて書いてきて、そう言えば、昨夜は、かなり汗をかいたことを思い出した。

ところで、昨日もアップした、わがコンピュータ屋さんの、頚椎ヘルニア。

あれ、印象的で、不自然、というものは、いかんね、くらいの感想なんだけど。

しかし、不自然、という、曖昧な言葉で言い尽くせないくらいではあるけど、不自然、ってのは。

たくさん、たくさん、八百万、ってくらいあるね。

こうして、モーニングコーヒーしてるのもそうだし、灰皿に乗ってるタバコも。

あと何があるかね。

そもそも、自然、って、という問いもありだけど。

歩き方、食べ方、考え方、感じ方、それぞれに個性があり、キャラがあり、なんて言葉でくくると。

ほとんど、不自然が、人間だ、とも言えるんだけどね。

上記、ハラリ教授の、認知革命→農業革命→科学革命、という流れの。

一番最初の、認知の革命、そのおかげで、神話を作ることができ、共同体の紐帯、結びつける紐だね。

それが出来上がり、強いはずのネアンデルタール人をも凌駕した、って話ね。

その革命は、今に至るも続いていて、個は個である、という神話ね。

それが、不自然さをまねきよせ、って具合で。

なんてことはともかく、座る姿勢からして、カラダの摂理というより、癖に依存しているんで。

そこんとこ、テストに出ますよ的に、昨日は、全体ミーティングで、少し話し。

というわけだから、四葉商会さんの最先端の椅子を試してみてね、ということで終わったんだけど。

果たして、癖から摂理への道のりは、どないなりますやら。

なんせ、病気の治る会社、を標榜しているからね。

とか、ありえない会社、とか、いうことは勇ましいわけだ。

そうだ、表題の、世に二つとない、というフレーズね、これ、志ん生からのパクリで。

「火炎太鼓」で、殿様が、道具屋のどこかで買ってきた古い太鼓への評価として使った言葉。

実際には、世に二つと言うくらい、と省略して使っていたんだけどね。

世に二つの太鼓、火炎太鼓、って具合で。

江戸っ子ってのは、はしょるんだな、ちょっと前の、あけおめ、あけましておめでとう、の略ね。

そんな感じだ。

ってわけで、こちらは、端折らずに骨ストレッチです。

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盂蘭盆会はサンスクリット語で逆さ吊りのことらしい

2018年08月28日 | Weblog

盆踊りとか言われるお祭り、その発祥は。

表題のごとくで。

誰だったかのお母様が、あちらの世で、逆さ釣りになっている。

それを見た、誰だったかが、お釈迦様にお願いし、救っていただいた。

という逸話だったか。

なんて話を、昨日、お昼時にお聞きしたんだけど。

それはまた、無体な、なんて思っていたら、実は。

その逆さ吊り、というのは、こちらの世で生きている人たち自体の、考え方、感じ方、求め方。

そのものが、逆さになっている、というような、象徴的なお話、例え話なのか。

ということのようで、少々、安心もしたんだけど。

ことほどさように、意味というやつを求めるわけだ。

意味のないことをやらされることほど、理不尽でもあり、納得もできず、ああ、また今日も。

みたいなね。

なんてことをさらに大きくすれば、生きている意味はあるの、みたいな話にも飛んで行き。

退屈だから人を殺した、だったか、そんなテーマの小説、カミュの「異邦人」ね。

ひところ、流行ったんだけど、その彼が、「シジフォスの神話」なんて小説だったか、エッセイだったか。

書いていたな。

ギリシア神話なのか、シジフォスという神様が、なんらかの理由で刑罰を受けたわけだ。

それは、大きな岩を麓から山頂まで押し上げ、山頂へ着くとまた。

麓まで転がし降り、と、また山頂へ、という刑罰なんだね。

意味がない、まったく意味がない行為、ってわけだ。

これほどの罰はない、と。

もっとエグい罰を受けた神もいたな。

たしか、手足を縛られ、目の前にご馳走が出てくるんだな。

それで、食べたくなる、食欲が湧いてくると、その食物が、どこかへ消えてしまう、なんての。

ま、人間の、神の、と言ってもいいけど、心理というのか、心の動きをよく観察した挙句の。

刑罰、って次第で。

そんなこと、ナチスの親衛隊のみならず、現代でも、諜報機関では研究されているんだろうね。

俺のいうことを聞かなけりゃ、わかってるだろうな、外を歩けるかどうか、なんて。

紙屑屋を脅す、落語の「らくだ」の兄貴分、今で言えば、ヤクザ、極道、遊び人。

市井の民たる、怖いお兄さん方も、そうやって、人を動かす研究成果を発揮しているんだからね。

そんなことを言えば、会社の中だって、マネジメントなんて横文字で、研究の成果をあれやこれや。

と発表し合っている、という風情で。

似たようなものではあるけどね。

にしても、人を動かそう、動いた結果にほくそ笑んだり、失望、忿怒、憤怒なんての感じたり、というのは。

どのみち、終わってる、とも言えて。

そこに、青い鳥はいませんから、ってなもんなんだけど、そうはいっても、今日の雨。

傘がない、なんて井上陽水みたいなものでもあり、なんてね。

仕事させなきゃ、釜の蓋、開かないじゃないかね、ってわけだ。

さて、釜の蓋、開かない、っていうから、わが骨との対話に向かうとするか。

そうそう、昨日来社された古い付き合いのコンピュータ屋さん、椎間板ヘルニア、頸骨の5番と言ったか。

パソコンやりすぎ、かっこ姿勢悪い状態で、ということのようで、もう少しで50の大台に乗る。

という年頃だそうで。

長い付き合いになったもんだ、と思いつつ、骨ストレッチ理論をひけらかしたわけだ。

 

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マリオカートネタで盛り上がった。

2018年08月27日 | Weblog

夕べは、「せごどん」を久しぶりに、6時からのBSで観ながら。

娘と次男坊と三人での夕餉。

僕は、緑のラベルの英君をいただきながら、明治維新の頃のプチ解説を交えながら。

だったんだけど。

そのうちに、表題のゲームを、次男坊が、わが母親とやったことがある。

というのが、初めて聞いた出来事で、まさに、事件だね、というわけだ。

彼が、5歳になる前なのか、だから、ざっと20年以上前。

おばあちゃんは、いくつだったんだろう、と娘が計算し。

92歳から20〜25を引いたくらいの年齢、70歳とか68歳とか、ざっくり、僕の年くらいか。

なんてことで、大盛り上がり。

そのネタに引きずられるように、あれもこれも、と飛び出し。

そのうち、妻が、末兄へのお見舞いから帰ってきて、時ならぬ、お酒なしの宴会に驚いたようで。

彼女も混じり、そこからもしばしの歓談、談笑、とまあ、また、盛り上がったのでした。

時ならぬ宴、とでも呼べるか。

の中で、妻が、健康が一番だね、としみじみと、語る。

このブログには、よく登場願う、さくめの、あの大将を中心とした話、目の前で捌いたうなぎ。

その美味しいこと、みたいなな話なんだけど、実は、彼女。

そこへ一緒に行った時には、股関節が痛くて、味やら雰囲気やらを楽しむ余裕がなかったそうで。

なんてことで、宵も更け、僕は眠りについたのでした。

って、まるで、絵日記、あるいは、日報カッコ個人的な、みたいだけどね。

そうだ、そう言えば、宴の中で、僕のおならとクシャミと音の大きいこと、なんてのが話題になり。

じゃ、とりあえず、俺、117歳と設定しているんで、俺の死んだ後、そのネタで、盛り上がってよ。

と言いつつ、実は、100万年生きると豪語してもいるんだ、とね。

呆れていたけど。

この机もコップも家も全て、100万年経てば、跡形もなく、だから、所有なんてのは、儚いものでもあるんだ。

みたいなところへ持って行って、ケムに巻いた、という次第。

ところで、来月のおじおば会は、どうやら、琵琶湖で決まり。

次男坊も運転手として登場してくれる由。

おじおば+αの拡大会。

久々のお泊まり保育ってなもんだ。

初めてのお使い、あれね、大人もどれだけ、ウキウキ感で、ワクワク感で、そして、ちょっとした不安。

そこの境地に入れるか、ということで、子どもに帰る、幼児に帰る、というわけだ。

これをうまく使えたら、そりゃもう、楽しいことだらけ、仕事と名付けられようと、家庭と名付けられようと。

って次第で、ここも、たぶん、テストに出ますね。

もっとも、テストの検査官、例えば、閻魔様とか古来呼ばれてきた人士、あるいは、神様でもいいけど。

彼らも羨ましくなるくらいのもので、テストがテストでなく、それこそ、定義替え、ってね。

PDCAの、Cくらいの話で、倫理道徳抜きの、フラットな検証作業、と。

あなたが選択した事だから、誰にも文句は言わせません、し、言えません、というわけだ。

「せごどん」でも、薩長同盟なったのだから、わが邦も、ずっと懸案だった。

見張るものとしての神と実践者としての人との同盟がね、叶う、って時代なんだね。

さて、人としての実践に入るとするか。

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ざぶん、で源泉壷風呂に入った

2018年08月26日 | Weblog

昨日は、朝早くに御殿場へ、だったので。

ブログ、書く暇がなく、お休みだったんだけど。

そうかえん、というらしい、自衛隊の演習風景を見せていだいた。

本番は、今日らしいんだけど、何回か、リハーサルみたいなもの、やるんだね。

まさに、初めてのお使い状態だったけれど、ネット時代の便利さ。

あれやこれや検索し、知り合いにもご教授願い、はるばるこのためにやってきた。

薩摩隼人とも一献も二献も傾ける、ということにもなり、だった。

ずっと前、この御仁から、そうかえん、と呼ばれる前なんだろうけど、演習の話を聞き。

カラダが震えるくらいだった、ということだったので、それほどの感動をしたのか。

ということを覚えていた。

くだんの御仁も、今では、九州の奥方の実家へ退き、現役をひとまず終えたのだけれど。

彼のファンが、このスルガの地には何人かいらっしゃり、この、カラダが震えた。

という感動を軸にして、お集まりいただいた次第で。

とてもいい時間となった。

そうかえん、は、リハーサルだったけれど、大勢の人々が、まさに蝟集し。

戦車から発射される大砲の音、その凄まじさ、破壊力も、というのを、目の当たりにして。

戦争というものの恐ろしさをリアルに体感したわけだ。

こちらは、まだ、観客席で、だから、なんだけど。

それを、現場で、発射したり、着弾したり、走り回ったり、の人士方は、そりゃ、演習だからいいけど。

実際の戦闘状態の中では、なかなか、平常心を保つのは難しいんだろうな、という感想でもあり。

イラクへの駐屯を終わった隊員さんの中に、ちょっと、驚くような人数が精神的にも影響があった。

なんてニュースもさもありなん、と思う次第で。

だってね、昨日の演習では、標的に向かった凄まじい破壊力が、戦場では、こちらに向けられ。

だからね、何万人いたのか、わからないけど、ほぼ全滅状態になるんじゃないかな。

というくらいのものだったのに、こちらは気楽なもんで。

演習終了後、沼津までくだり、ざぶん、という名の温泉にて汗を流し、風呂上がりのビールを飲みながら。

なんだね、みたいな感じの感想戦。

同行の中に、龍馬大好き人間がいらっしゃり、高二の息子と土佐は、龍馬の像の立ってる地まで旅をし。

この間は、会津まで行ってきた、なんて方、この時代、やっぱり、ああいったもの、みといた方がいい、と。

明治の頃、欧米列強の迫り来る中の「国防」と、この時代の「国防」、それらをフラットに。

リアルに見とくのは、必要だ、というわけだ。

残念ながら、息子さんへのオファーは受け入れられなかったみたいだけど。

なんてことなどなど、他には、一年近くぶりの帰還なった薩摩隼人とのさまざまなやりとり。

そんなこんなで、湯上りのビールを楽しんだのでした。

道中、いとこからは、兄弟のなんとか、なんてメールも入りつつ。

それに応じる時間もないまま、今朝になってもいるんだけど。

ま、いろんなことが、あるもんだ。

というわけで、骨ストレッチ、行ってまいります。

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台風のこと、なんて言ったかな

2018年08月24日 | Weblog

なんて思って、ググってみると。

出ていました、野分、です。

野を分けるほどの大風が吹いた、なんて意味なのか。

巴川越しの風を受けながら、そんなことをわが脳内に浮かべていた次第。

さて、今朝の珈琲は、コロンビア、メデナ・ロス・サントス農園。

有機栽培、なんて書いてある。

おいおい、他のは農薬漬けかい、みたいな連想を呼ぶ書き方ではあるな。

うまい。

例えようもなく、うまい、つまり、その味を言葉にしきれない、というだけだけど。

甘いけど苦味も少しやってきて、まろやか。

って、ほとんど、そのへんの言葉、引っ張ってきただけじゃん、ね。

窓から、風と少しの雨が吹き込む。

台風の後なのに、やっぱり今朝の巴川は、上流に上っていく。

頑強だね、って感想だ、月の満ち欠け、満潮干潮の力ね。

そういえば、昨日の午後、ある瞬間から、気分が重くなって。

なんだろうと思いつつ、やってきた銀行の方との話やらに。

カーテンのお店のことやら決算書上のある数字のことやらを話しているうちに、その気分の元が。

そんなことなのかな、なんて後付けで、納得してみたり、だったんだけど。

実際は、どうなのか、わかりません。

もちろん、上記二つのネタは、たしかに、気分の重くなるものではあるけれど、いつもなら。

そんなでもないんだけどね。

ま、気分を重くして重々承知してくださいね、ということか。

自分の中にある、イデオロギーとか神話とか思い込みとかで、普段は、生きてもいるんだけど。

そこから、ちょっと、自由の空気を吸いたいね、というのが、日々のテーマでもあり。

よく、ありのままの、なんて言い方するけど、なかなか、思い込みから自由になるのは。

至難の技でもあり、そんな時、部屋の空気、色合い、変えてみると、ってのが。

占星学の言ってることでもあるんだけど。

魂は、目の前の環境・時間・空間といういい方、なかなか、気に入ってもいて。

だって、目に見える、三次元の世界にせっかく生きさせていただいているわけで。

昨夜も、ハラリ教授、読み継いでいたんだけど、動物ね、例えば、食用に供されている。

牛。

その昔、資本の論理のために、アフリカから奴隷を仕入れ、売買した、いわゆる奴隷貿易ね。

あの時、彼らは、奴隷とネーミングされたアフリカの人士たちへの、人間としての憐れみというのか。

ヒューマニズム、というのは、持ち合わせてなかったというんだね。

それよりも、強欲に儲けることがファーストで、しかも、文化人類学者さんたちは、かの人種は劣っていて。

みたいな研究成果を発表し、みたいなね。

なんだけど、現在では、牛の心理・感情についても、逆の意味での研究が進んでいて。

もちろん、哀しみも喜びもあり、例えば、母牛と離されて育てられた牛の情緒不安定な成長。

なんてのも、確認されているそうだ。

でも、それ、食卓に並ぶ時には、わかりません、ってわけだ。

なんてこと書きつつ、彼は何を言いたかったのか、というのは、今のところ、忘れてしまってますが。

たぶん、資本を増殖させる、とか、経済の成長、とかは、個々のくぐもった声とは。

違うモード、次元ですよ、ってことかな。

その昔、吉本隆明が、個人の幻想と共同の幻想とは、ちょうど、逆立ちした絵柄、みたいなこと、言ったんだけど。

そんな感じかな。

今朝のルーティンは、雨の模様眺め、ってことにしますか。

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ロイヤルサルート・グレンフィディック

2018年08月23日 | Weblog

それから、マッカラン。

というのが、昨夜のラインナップで。

知らない方のために、一応、ウイスキーの名前なんだけどね。

生バンドでのBGMは、僕の歌う桑田佳祐、と、松山千春。

とここまで書くと、イメージ湧くかな。

僕の歌う、ってのは、蛇足も蛇足だけど。

歴史のあるウイスキーってのも、なかなかのもので、ロック、ストレート、ストレート、&チェイサー。

夜食べず、での出陣だったので、近くからお寿司をとっていただいて、と。

いい夜を過ごしてるね、まったく、って思うでしょ。

ご明察、ってことにしておきますか。

夕べは、来年の合同入社式・若手社員研修の、講師候補の方のプレゼンをしていただき。

あれやこれやの議論の後、講師の方交え、その女史が、マッカランがお好きだ、ということで。

僕の相方が、そのお酒まで用意してくれてあって、という次第。

そんなんで、宵も更けたわけだ。

話の内容は、さておいて、そんな時間を過ごした、というご報告です。

ところで、昨日の続き、労働時間云々、という話だけど、長男坊から。

8時から5時、じゃなくてもいいじゃないの、と。

仕事早く終わったら、3時でも、上がる、とかね。

なんて話があって、そりゃ面白い、というわけだ。

カルビーへ、プロ経営者として入り、経常利益5倍だったかに、増やした。

なんていう松本さん。

今度は、ライザップへプロ経営者として、なんてことで話題にもなっているよね。

その彼、カルビーで、それこそ、働き方改革のために、退社は4時。

全員、という施策を打ち出し、その代わり、朝は何時でもいいぞ、というのね。

これも面白いだろうな、と。

慣れ親しんだ脳みそを揺さぶるには、いろんな方法があるんだろうし、その根底に、絶大なる。

人間ってやつへの信頼、というものがあると、これまた、美談にもなるんだろうな。

信頼された人間というのも、これまた、一つのモデルだから。

世知辛い世の中、なんてフレーズで、この世を切ってしまうか、はたまた、とは言っても。

そこには、こんな素晴らしい事例、満ち溢れてますよ、と人間賛歌を歌うのか。

ってわけだ。

なんたって、神なる自身を証明するための算段でもあるんだからね。

今朝は、タンザニアのキリマンジャロ。

これ、なかなかいい。

「キリマンジャロの雪」って、たしか、ヘミングウェイだったよね、読んでないけど。

そうそう、上記、マッカランの相方、彼からは、中野信子の「サイコパス」、お借りしたままだった。

はじめに、だけ読んだかな。

その彼には、夕べ、筋トレ、というのか、ダイエット、というのか、そんな話題になり、当方の。

骨ストレッチを御披露申し上げたので、アマゾンで送っちゃおうか、と思ってる次第。

骨をゆるめる、だったか、骨ストレッチでダイエット、だったか、忘れたけど、そんな類の本。

もっとも、筋肉をつけながら痩せる、という理屈は、もちろん、お分かりの方ではあるけれどね。

ということで、こちらはダイエット志向ではないけれど、って、ついでに、ってのはありだけど。

そろそろ始めよかい、なんて言わないか、せごどんは。

 

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鳩だと思ったらカラスだった

2018年08月22日 | Weblog

って、いきなり、随分とアバウトな間違いだけど。

わがトーテム、カラス君が、鳴いている。

カラスは山に、可愛い七つの子があるからよ、ってんだから。

その昔、文部省唱歌なんて言ってた頃のカラス君は、みんなから。

そんな目で眺められてもいたわけだ。

それが今では、カラス、えー、って具合なんだから、彼らのDNAも笑ってるんだろうな。

おいおい、あんたちご先祖様がたは、俺たちを、こんな歌にしていたぜ。

とか、そのずっと昔には、あんたらの国を建てた、ということになっている。

神武さんを、俺たちのご先祖が先導したおかげで、都に入れたんだから、なんてね。

それにしても、カラス君たち、今朝は元気だ。

このところ、社労士さんと、労働時間、ま、残業などの時間外の労働について、話し合っているんだけど。

なかなか、腑に落ちるところまで行かず。

彼の計算する表を見ていると、おいおい、残業するかしないかの表だよね、くらいのもので。

時間の管理なんだよね、って、当たり前なのかも、だけど。

一体全体、働く、ってのは、どういうことか、なんて、本質的なところから説きおこさないと。

なんて思い、アプリのメモに、書き始めても見たんだけど。

大手さんなんかでは、当たり前に、システム化されていて、ごく日常の姿なんだろうけど。

こちとら、中小零細企業なんてウタイにかこつけて、怠けていたわけだ。

現状のまま、例えば、外国からの研修生を受け入れたら、残業代も払ってもらえず、なんてネタになり。

やっぱり日本は、なんてことにもなりかねない、ということも考えられ。

とまあ、生きてると、あるいは、仕事していると、いろいろと課題が浮かび上がってくる。

当たり前だけど。

そこを何かのイデオロギーで糊塗せず、フラットに、見つめる、という作業が、昨日も書いたけど。

ハラリ教授の、帝国論とでもいうか、そんなところにも繋がるのかも。

外は、雨で始まり、カラスの鳴き声が引き継ぎ、だったけど、明るくなってきた。

こりゃ、屋上での骨ストレッチ、できそうだな。

この季節には、気持ちのいい大気の中でのストレッチが、なんとも言えず、至福の時で。

ご近所の誰それは、また、僕の仕草を眺めているのか、なんて妄想にも囚われながら、です。

涼気がやってきた。

慌ただしく若手の社員さんたちが出かけた後、この時間。

さて、僕も出かけるとするか。

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わからないことがあると科学が告解したので

2018年08月21日 | Weblog

帝国主義が成り立った。

と、まあ、いきなりだけど、いつものハラリ教授です。

ヨーロッパの連中が、南米やらアジアやらで植民地政策ができたのは、そう言うことらしく。

と言うのが、彼の筋立て。

わからないこと、ってのは、あるんだ、と言う素直な気持ちを吐き出したことによる。

同じ時期、なぜ、スペインは、アステカやマヤを劫掠できて、トルコのオスマン王朝やら中国の。

王朝ができず、しかも、マヤ・アステカは、人数だけで言えば、圧倒していたのに、打ち倒されたのか。

と言うものだけどね。

征服されたり、あるいは、自国から出張って行かなかった王朝は、この世にはわからないことが存在しない。

と言う作りだった、と。

人智を超えている事は、神様のみぞ知る、とか、なんとかの神の計らいで、とか。

そんな言い訳、と言うのか、神話を作って、わかったことにする、あるいは、人間にはそんな権利はない。

と言うような、そんな気分だったのかな。

それで、例えば、インカの民は、やってきた白人、しかも、臭くてたまらないほどの動物が。

人間だと思わなかったのか、思ったけど、なすすべがなかったのか。

とにかく、ほぼ、全滅させられるに任せるしかすべがなかった。

かたや、ヨーロッパの遅れた文明の民は、わからないことがあるんだ、と言うたった一つの。

イデオロギーというのか、信念というのか、そんなもので、左見右見して、フラットに研究したわけだ。

植物学や動物学、人類学などの学問を専門にやっている学者を連れて、海をわたった。

膨大なデータをとったんだろうね、当時としては。

たぶん、ヒューマニズム、なんてイデオロギーさえ、持ち合わせていなかったけれど、強欲を基盤にした。

?くらいの記号で表せる気分、それが、世界をグローバル化するのに、貢献した、と。

その前提として、というのか、同時並行的に、組織の仕組み、行政の構造なんてのも、同じく。

研究して、作り上げ、ということだ、とくだんの教授は書いている。

今朝は、膨大な書物の一片を、一筆書きにしているようなものだから、大雑把も大雑把でもあって。

だけどね。

外は雨だ。

巴川が下流に向かって流れていく。

その様は、なんだか、エネルギーが発散しているようで、気持ちがいい。

わからないことを、わからないから、といって、神様のところへ押し付ける。

というのは、現代でも残っていて、それ、わからない、だって、頭悪いんだもん。

みたいな自分を神様と見立てて、そんな領域へ放り投げる。

そこんとこ、微妙なんだな。

なんて思っていると、外の雨足が強くなった。

今朝は、4時集合で、若者たちが現場へ向かった。

雨の中、安全を祈りつつ、それも、一つの宝物になっていくんだな、わかるかな、わかんねぇだろな。

って、古いギャグを一捻り、って次第だ。

 

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