って、ありがちな書き出しではあるね。
実は、このところ、耳が聞こえづらくなってきて。
娘なんかに告白すると、早いとこ、補聴器をしなさいよ、なんて諭される。
具合で、なんだけど。
若い頃から、4000dBの音、健康診断でやるやつね、あれ、聞こえなくてね。
だったんだけど、このところ、ワイワイガヤガヤ、の中では、聞こえにくくて。
それに、聞かせる気のないような話ぶりの方、いるでしょ。
あの音、取りづらいんだよね。
ということで、ふと、もしかしたら、加齢で云々、というのは、都市伝説、思い込み、誰かの言いっ放しの言説。
なのかな、と思い立ち。
聴覚復興大作戦を開始したのです。
骨ストレッチでも実感している、そんな体験を援用し、というわけだ。
短い時間で直感したことは、結局、巡り、ってやつ。
血液とリンパ液と神経回路、とでも言えるか。
これには、呼吸が大事なようで、大地との、宇宙との交歓を楽しむ、ルーティン化する。
それと、経絡への刺激かな。
ま、わがオリジナルな作戦を展開していくことになるな。
しかも、ほんの短い時間でいいんだ。
それが積み重なることが、巨大な力になるわけで。
継続は力なり、ってことなんだろうな、と。
そう、思い出したのは、初登山の、木曽駒ケ岳、その宝剣岳での早朝、相方二人は、鳥の声が聞こえた。
というのを、寂しく見送った、なんて瞬間。
別件で、ずっと前、長野の仙人温泉の金井社長の話をお聞きしたことがあって。
彼、宿にやってくるお客様の、ご自分でも聞こえていないニーズを聴く、なんておっしゃっていたことも。
思い出すな。
ニーズニーズ、なんていうけど、ポイント、そこです、って。
あの言葉、新鮮だったな。
聴き切ることのできない哀切、なんとも言えない哀しみ、そんなこと、しこたま経験されたのか。
深い言葉だと、今でも残っている。
あと、聴く、ということでは、有名な、福沢諭吉、慶應大学の創設者、というのか。
ある時、学長室に、田舎からの来訪者、ある学生さんのお母様。
先生、こうなんです、ああなんです、と1時間ばかり、話し続け。
帰り際、今日は、先生、とてもいいお話を伺ってありがとうございます、と。
当の先生、一言も発せず、お母様の言葉を聴いていただけなんだけど、なんて話ね。
聴くことの、話すことの、なんとも言えない不思議さね。
聴覚、とかの言葉で括られるけれど、全身全霊での対面、受け止め、受容れ。
そう、そういうわけで、呼吸だ。
大地との、宇宙との交換会、それをカラダの隅々まで実感すること、たぶん、それで。
わが聴覚も、基本に戻るんだろう、と。
このところ、基本形、というのが、テーマの一つになっているな。
骨格もそう、呼吸も、全てが繋がる。
もちろん、組織、集団のあり方も、そうだ。
さて、その確認のために、屋上へ行ってきます。