まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

世界のデータ使用量は44ゼタバイトを超える

2016年04月30日 | Weblog

という記事があった。

ギガバイトとか、テラバイトとか、そんな言葉が踊るようになって久しいけれど。

2020年というから、東京オリンピックの頃、ってことだね。

そもそも、ゼタというのは、1兆の10億倍、というんだから、途方もない。

もう、たーくさん、という語感では、とても届きそうもない。

今の人間の認識の仕方からしたら、ほとんど、無限っていうくらいなものだ。

そんな情報が、異空間というのか、こちらから見えないところで、飛び交っているというのだから。

ああそうなんですか、と無関心ぽく、反応するしかないレベルでね。

もちろん、人間の捉えている情報量というのを、事細かく切り刻んで俎上にのせれば。

そのくらいは楽々と超えているのかも、だけど。

そこまでいくと、量、という言葉では、表現できない体のものだしね。

とにかく、途方もない情報量を、さまざまな目的、と称して、使い倒す、という仕儀で。

腕に覚えのある人士方は、それこそ、腕まくりをして、ここぞ、とばかりに、策も練っているんだろうな。

マゼランだったっけ、世界一周したのは、海の向こうには悪魔がいるかも、という時代に。

と似ていなくもない。

そうだ、昨日は、「あの日」を読了。

小保方さんのね。

それにしても、圧倒的なメディア・スクラムのなか、彼女、よく死なずに持ちこたえたな。

というのが、胸なでおろす感懐で。

どこの出版社か忘れたけど、よくぞ出版させてくださいました、というね。

同時に、組織が牙を向いた時の、冷徹さというのか、冷酷無比なたたずまい、とでもいうのか。

慧眼の人士方は、それにたいして、あの当時も声をあげていたけれど、この本が。

20万部?30万部?

売れているそうだから、そのうち、誰かが映画化でもするかも。

名もなく、目にも見えず、という世間さま、というやつと、戦う、というのか、味方につける、というのか。

くだんの44ゼタバイトというのも、大きくくくれば、それと同じようなものだろうしね。

マーケティングなんてのも、まんま、それでしょ、って。

よく、ある傾向の方々の間では、闇の勢力とか、フリーメイソンとか、ロックフェラーとかの話になるけれど、つまり。

この世を牛耳っているのが、というね。

この時代なのか、この何千年なのか、ある価値観をはびこらせ、でしょ、だから、そうしなきゃ。

みたいな。

ベタに言えば、働かざるもの食うべからず、だとか、あとなんだろう、数えきれないくらいの。

恫喝文句により、拓郎の歌じゃないけど。

いじけることだけが、生きることだと、飼いならしすぎた、ってわけだ。

そうだ、何日か前の飲み会でも、ある大手さんの組織内の人間模様について、が。

杉錦という藤枝のお酒の肴だったけれど。

群れるのが習いの、この人間さまの趣味趣向、生き様、処世知、処世術ではあるんで。

目を三角にして、という年格好でもないんだけど。

そんなのは、組織の大小にかかわらず、どこにでも散見されるもので。

わが母親とその息子たる僕の間でかわされる、小さな物語も、その類ではあり。

他でも枚挙にいとまがない、というくらいのモノなんだけど、それすら、44ゼタバイトくんは。

すべて補足します、くらいの勢いなのかどうなのか。

さらにさらに、自由というものが、どこにあるのか、というのが、大きなテーマになるかな。

そうそう、わが窓の外は、巴川という名前を持っているんだけど、この、巴ね。

三つ巴とか、二つ巴とか、これ、おもしろい図柄だね。

検索すると、どこぞの家の紋が、くらいの話なんだけど、その、さらに向こう側には。

ある種のエネルギーのイメージ化、とでも言えるか。

カタカムナの音、に続き、また一つ、わがテーマのラインナップになった感じでね。

ためしに、なにも思わずに、その図柄を見てみると、ある物語を、一挙に感得しちゃう。

というくらいの図柄かも、という気がしているのです。

44ゼタバイトの情報量を、一気にキュレートしちゃう、かも。

というわけで、点と点が結びつく、結(ゆい)という地名の発祥にも思いを致しながら。

本日のブログ、終了します。

 

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10連休のゴールデンな日々

2016年04月29日 | Weblog

という方々もいらっしゃるようで。

そんな日々の始まりなんだよね。

この間、北海道からの女史から、メールが届き。

札幌は、桜と木蓮とレンギョウが同時に咲いている、というコメントとともに。

写真があり、レンギョウの黄色が鮮やかだった。

梅が桜を追い越して咲くこともあるらしく。

狭い日本とか言うけど、列島の南から北までの季節感の移り変わり、というのは、なかなかの財産だよね。

そうだ、上記の連休ね、わが会社でも、それに近い人もいるし、そうでない人もいる、という感じで。

例えば、10日間、いつもとちがう場で過ごしたら、多少は、世間の常識やら思い込みから逃れられるかね。

仕事、忘れちゃいました、というのね。

シリアとかへ放り込まれたら、とか、アメリカのインフラの劣化した道路で車を走らせたら、とか。

思考実験は、さまざまにできるけど、じゃ、それ、やってみようと言っても、ってわけで。

西欧風の、バカンスというのか、あれ、戦略思考とかには、なかなか、いいんじゃないかな。

言葉にすれば、細々した日常を離れ、つまり、頭のなかを空っぽにして、と。

すると、どこからか、考えもつかないアイデアが、天使のように舞い降りる、と言う算段で。

わが列島でも、著名有名高名な方々が、別荘をもち、なんていうのも、それなりの効用があるんだろうな。

なので、当方も、このGWは、そんな過ごし方をしてみるか、なんてことも湧いてくるけど。

果たしてどうなりますやら。

と書いてきて、どうも、今朝は筆が進まん。

夕べの酒が、効いているのか。

世の中のGWモードに取り込まれているのか。

ところで、この間、新聞のコラムに、トヨタが未来を託した男、という見出しで記事が掲載されていて。

人工知能とかの、AIだね、新会社のCEOという御仁なんだけど。

世界の知能の粋を集めたドリームチームのトップなんだけど、彼、初めてトヨタ本社を訪れた時。

その目標の高さに、その晩は、一睡もできなかった、というんだね。

電光石火というのか、雷鳴と稲妻が一気に彼のハートを打ったんだろうな。

そんな瞬間ってのが、あるんだよね、たぶん。

素晴らしい瞬間だな、と。

トヨタだから、と言うんじゃなく、その瞬間がね。

素敵だな、ということで、Evernoteにクリップしといた記事なんだけど。

出会いの凄まじさ、というのか、松坂の邂逅、とかの言葉で言われる、あれは、本居宣長と賀茂真淵だったっけ。

偶然なのか、どうなのか、松坂で出会っちゃうんだよね。

それで、なにをしたのか、ってのは、知らないけど、国文学というのか、学問がそれによって、飛躍的に。

くらいの話かな。

こうしたことは、実は、日常的に、そこかしこで起こっていて。

それに気づいたり、気づかなかったり、なんてことを繰り返しつつ、人生の大きな歯車が回っている。

んだろうね、なんてこと、だれか、昔の偉いさんが、表現していたけど、忘れました。

それにしても、ゴールデンな日々の初日は、いい天気だ。

天の気はよし、まるで、相撲の行司が、はっけよいはっけよい、好きに動きまわっていいよ。

というね、あの、八卦はいいぞ、占ってみたら今日はいい日なんだ。

だから、なにをしてもいいぞ、というくらいの、そんな天の気だ。

さて、皆様におかれましても、日々に向かって、よきスタートの切れる日でありますように。

 

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ゴールデンな日々への宵宮は雨だ

2016年04月28日 | Weblog

今年のゴールデンウイークは、長いのか短いのか、数えたことないけれど。

今日の次の明日から突入。

カタカムナ的に言うと、今日が明日を生み出す、というね、当たり前だけど。

ということで。

勤勉の民と呼び習わされているわが列島人は、悲喜こもごもに、それらの日々を迎える。

って算段で。

365日24時間、仕事、なんて豪語しているわが方にとっては。

理屈をこねれば、事に仕える、というのが、仕事であってみれば、そりゃ、西洋社会のように。

神は安息日を最後の日につくりたまふ、という文化とは違うからね、なんて書くと。

なに、列島原理主義やってんだよ、なんて声が、内部から聞こえてきそうだけどね。

ところで、嬉しさを実現するために、宇宙は全力を上げて応援してくれる。

というメッセージを、昨日、遠方より、電話でいただき。

感謝の気持ちのパワーを、感じたのでした。

そのメッセージの主から、嬉しさが伝わり、こちらも気持ちよくなり、という循環で。

今朝は、静かな雨だ。

ゴールデンな日々を迎えるに持って来いの日。

ネイティブ・アメリカンの、今日は死ぬのにもってこいの日、なんてフレーズ、あったよね。

今日も、午後から個人ミーティング、そのあとは、全体ミーティング。

その後、焼津まで汽車の旅で。

彼の地在住の方の行きつけのお店にて、日本酒をきこしめし。

明日は、越前岳にでも行こうかな、と思いつつ、あくまでも、大量飲酒にならなければ、ということなんだけど。

今、カレンダーを見たら、2日と6日を有給休暇にしたら、10日間のお休み。

ということで、わが列島人も、みんな、これやったらいいのにね。

だけど、それじゃ、日銭を稼ぐ俺達は、かまどの蓋が開かない、と言うのか。

もっとも、江戸時代の職人は、そんなセリフは吐かなかっただろうな。

小保方さんの「あの日」によれば、時間があれば実験をしたい一心、ってやつが伝わってきて。

それって、休む日と仕事する日、という区分けからは遠くかけ離れていてね。

かたや、なんとかさんは、その中で、社内営業、社内政治、に重心が傾き、なんて箇所があったけれど。

どこにでもありがちな風情。

なんだけど。

いずれにしても、今日が生み出されるときに昨日が時間をかけてやってくる、今日なかりせば昨日は生まれず。

なんてことが、この間の長男坊の嫁さんを主人公にした出産物語を思い出しながら。

昨日、と呼ばれる日の出産に思いを致す。

雨の朝だ。

さて、そろそろ、骨ストレッチをやるとしますか。

このブログを書き終え、6つか7つのエクササイズを敢行し、その後に新聞を読む。

というのが、この何年かのルーティンなんだよね。

これやらないと、身がもたない。

いや、気持ちが悪い。

社員さんが出勤してくるまでの、この時間が、至福の時でもあり。

なので、そろそろ、始めることにします。

 

 

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地方では食べられないそうですね

2016年04月27日 | Weblog

というのも、昨日、早朝に乗ったタクシーの運転手さん。

東京では、なんとか、まじめにやれば、稼げますよ、というんだね。

地元、静岡での運転手さんなんかの会話をご紹介し。

だから、みんな東京へ出てくるんだろうか。

なんて話から、このゴールデンウイークには、伊豆へ来られるそうで。

沼津の港で、桜えびを、なんておっしゃるから、由比というところがあって。

結(ゆい)という、働けない人にも漁の分前を配る。

そんな語源の地の話をご披露申し上げ。

西伊豆から東伊豆へ一周する、というんで、じゃ、稲取のキンメ、だね、と。

もっと、いろいろ、知ってること、お伝えしたかったんだけど、東京駅に着いちゃった。

なんて昨日の朝だった。

今日は今日で、イベント盛りだくさんな一日で。

それをいちいち書き連ねるのも、ありだけど、きりがないからね。

話変わるけど、って、変わらないかな。

今日は、個人ミーティングの続きがあるんだけど、少し、伊勢の御仁のお話し会の感想なんぞを。

ポツリポツリと聞いてもいて。

それぞれにそれぞれの来し方行く末をないまぜにした感想、今、そのものをご披露頂いている次第で。

これほどの至福はない、わけだ。

実は、なんの形にもなっていなくても、その瞬間こそが、人みなすべてが、待ち望んでいるコトなのかもしれず。

青い鳥は、ほら、そこに、ってことでね。

そうそう、昨日は、静岡へ帰ってきてから、電車に乗る時間があったので。

車中、小保方さんの「あの日」をつまみ読みしていたんだった。

彼女、前にも書いたけど、文章うまくてね、彼女によると、無念な自死なのか、あるいは、他の原因なのか。

今はなき笹井さんね、科学的な、理系の論文なんだけど、リリカルとでもいうのか、とても文章がうまかったようで。

ネイチャーなんかにも、何度も取り上げられていたらしく。

リアルな、研究生活者の悲哀と律動とでもいうのか、そんなものが、向こうからやってくるような。

小保方さんの文章なんだけどね。

そもそも、文字なんてのは、人間にとって不要なもので、むしろ、害毒を撒き散らし、みたいな。

感想を漏らした時の、わが妻の楽しそうな反応を思い出すんだけどね。

そう言いながら、こうしてブログを文字によってつづっている、という。

文字でいうと、カタカムナね。

一つ一つの日本語としての発語にこめられた、後ろ側からの意味、とでもいうのか。

これ、かなり面白い世界へ誘ってくれるかも、という予感ですが。

例えば、心ね、ココロ、転がり入る・出るがコで、それが2つあって、ロは、空間だというんだね。

さまざまな思考やら感情やらが、転入転出を繰り返す空間、って。

まんま、でしょ。

とかね。

今、社内で、総務とはなにか、みたいなテーマがあるんだけど。

ソは、外れる、ウは、生み出す、ムは、広がり、ということで。

この3つを順番に書き出すと、外れたところから生み出し広がる、とでも読めて。

まんま、総務の意味につながりそうでしょ。

まだまだ、たくさんあるんだけど、なにせ、付け焼き刃なんで、ここでご披露申し上げることはできないんですが。

文字はろくでなし、と言いつつ、それによって生み出される感動も捨てがたく。

という次第で。

さて、今日という日を満喫するとしますか。

と終わりそうな中、今日ね、キョウ、と読むね。

キは、エネルギー、小さなョは、新しく、ウは、生み出される。

なので、今日というのは、新しく今生まれ出るもの、となり。

昨日は、キは、エネルギー、ノは、時間をかけて、ウは、生み出される。

時間をかけて生み出されるもの、が昨日、というわけだ。

今日が生み出されることによって、ま、時間をかけて、昨日が生まれる。

時間の流れでいくと、昨日のほうがあとになるんだよね。

なんてことを、朝から書き連ねてしまって、失礼いたしました。

ということで、本日のブログ、終了します。

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ウクライナ民謡は悲しい歌が多い

2016年04月26日 | Weblog


夕べは、こんな感じで。

今、帰りの新幹線から。

マンドゥーラというウクライナの民族楽器と歌の夕べ。

ジンリッキーを飲みながら、だった。

泊まりは、赤坂だったけど、リッチな街だね。

駐車場に停まってる車が違う。

外人さんも多いし。

なんだけど、所々に、昭和の匂いのする。

古い建物もあったりする意外感もあり。

というような余韻を残しつつ、車中の人なんです。

今朝は朝一から、一日中、研修なので。

まるで、新幹線通勤者の悲哀を味わい。

みたいな感じの、東京さ、行くだ!なのでした。

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おら、東京さ、行くだ

2016年04月25日 | Weblog

というのも、この間、箱根のバーで出会った。

ウクライナの姫、というのか、ピアニストのミニコンサートがある。

というので、六本木のなんとか、というバーへ。

総勢四名で、出張っていくことになって。

夕方近くの新幹線に乗るのであります。

翌日が、朝から一日、静岡で会合なので、遅くに帰宅、と計画したんだけど。

帰りがバタバタするのはどうも、という意見が出て、早朝、一番の列車で。

ということになって、今日は、赤坂泊。

インバウンドでなんとかかんとか、と危惧もしたけれど、スルッと予約できてね。

メンバーの中に、お得意先の方が入っているので、これ、仕事だぞ、という。

エクスキューズも入れられる、おら、東京さ、行くだ、ってわけだ。

たまに、いらっしゃるでしょ、仕事にからめて日々を送る、というのか。

あなた、休みは?

いや、わたしには休みはない、というような御仁がね。

って、書いてきて、あれ、これ、俺のことかな、なんて思っちゃったんだけど。

ちょっと、違うけど。

違うけど、当方も、生きてるのが仕事、というスタンスなんで、似たようなものか。

どうせ、365日24時間、仕事なら、楽しくしちゃえ、というね。

そうだ、今日は、東京さ行くだ、の前に、個人ミーティングだった。

何人かの方々と、一時間を過ごす、というウタイのね。

その後で、マインドマップを作る、という算段で。

単なるメモ書きとは違い、マップにすると、イメージが湧きやすくてね。

昨日だったか、アメリカのなんとかという学者さんだったか、いや、アップルのもとCEOかな。

その方の本の書評に。

ズーミングという手法が載っていて、ズームアウトとズームインを使い倒し、くらいの話かな。

早い話が、鳥の目のような鳥瞰図と虫の目のような虫瞰図、を繰り返し。

で、新しいアイデアを発見、というようなものだったんだけど。

ミーティングの結果も、マップにすると、そんなことも可能かな、という気分です。

そうだ、夕べは、長男坊のところで、「子褒め」の儀式を挙行し。

出産現場をとったビデオを見ながらね。

それを見た母親が、しきりに、不思議だね、人間って、というフレーズを繰り返していたのが。

とても、印象的で。

長男坊が撮った、胎盤の映像もあったんだけど、あなたが恐れている出来事、死の向こう側は。

その胎盤の向こう側なんだよ、ということを伝えたかったけれど。

僕のトーンでは、とても、伝わらないので、断念し、なんて瞬間もありつつ。

そうです、わたしもお爺です、という風情で、孫を抱いたんだけど。

手に、肩に、力が入り、その姿さえ、ビデオに納められ、いかにもぎこちないお爺役の役者が一名。

そこには映しだされ、そのオジイは、東京さ行くだ、なんて気張っている今朝なのです。

というわけで、春たけなわ、春本番、ゴールデンな日々の宵宮ともいえる月曜日。

皆様におかれましても、素敵な春を満喫されますこと、お祈り申し上げます。

 

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震えが止まりませんでした。

2016年04月24日 | Weblog

たまたまつけた、BSだったか、なぜ日本を好きなのか、という番組。

中国からの、いわゆる爆買ツアーの面々の、趣向に変化がきざし。

というウタイの番組だったんだけど。

表題は、東京の下町かな、竹細工つくり、何十年という職人の親方に。

かごの編み方をならった中国女性の感想で。

細かな、精密な仕事に、感極まり、ということなんだけどね。

あたしも一生をかけてする仕事をしたい、というようなフレーズもあった。

京都の染物屋さんでの、着物の柄つくりなのか、そこでは。

講師の職人さんが、これは、もともと、貴国から入ってきたもので、というコメントと。

その柄を、中国の若い女性が、美しいと写真撮りまくり、という場面もあり。

モノの爆買から、コトの買い物、見学、研修に移行している、というような番組つくりで。

このように切り取ることもできる、当たり前だけど、というものではあるんで。

日本礼賛の番組つくりではあるんだけど。

いずれにしても、日々起こっていることを、どのように解釈するか、ってのは。

外交問題なんて、大仰なことの中だけでなく、目の前の、ど現実、ベタなリアリズムのなかにも。

しこたまある話で。

なんて書きながら、そうだ、昨日は、富士聖地というね、白糸の滝から鳴沢へぬける途中の地へ。

前日のお二人とご一緒に行き、祈りだけで聖地になった、と言われる地で。

しばし、エネルギーを浴びたのでした。

人類が平和でありますように、とか、よく、いろんなところに、細い柱が建っているでしょ。

あの本体で、世界各地から訪れるそうで。

もともとは、西園寺財団の創始、といったか。

ということはともかく、地から湧き上がるエネルギーは、体を暖かくしてくれて。

気分がよかったのです。

帰社後、自然(じねん)という、なんていうんだろう、身の処し方、とでも言おうか。

それを、北海道の女史から伝授していただき。

頭のなかから思考を取り去り、さらに、上半身がなくなる、と意識し、では、ハートを開きます。

というだけのものなんだけど。

古代人は、この状態で暮らしていたそうで、日常の立ち居振る舞いで、これでやると。

エネルギーは充填でき、楽に暮らせる、ということでね。

今でも楽なのに、さらに楽になるんですか、ってくらいのもので。

なんでも試したい、という性分の持ち主なんで、これもその流れで、実は、今回、楽しみにしていたのです。

それも終了して、つつがなく、この度のお話し会はお開きになり。

プロモーションビデオでもつくって、カリキュラムを決め、なんとかアカデミー、ってのもありかな。

という気分にもなっていて。

グーグルでも瞑想を社員教育に取り入れ、ソニーでは、もっといいものを開発し、みたいな話も当日、出ていたし。

諸外国では、なんて書くと、洋行帰りみたいだけど。

スピリチュアリズムというのか、精神の、心の、インナーの、内側の、テーマが。

そんなに違和感ももたれずに、ある種の科学として捉えられてもいるようで。

なにせ、今やってる瞑想も、ハーバード大だったかの研究室で、脳波やらなにやら測定し。

代謝が半分くらいにおち、シーター波になり、30分間の瞑想で、ざっくり、4時間の睡眠に匹敵する、とかね。

科学的な研究の範疇なんだけどね。

一方、わが列島では、明治維新の、加持祈祷、陰陽師、占い師などなどへの、声なき弾圧とでもいうものの。

威力が、共同幻想にまで高められ、というような感じでもあるんで。

なんだけど。

そうそう、いつぞや取り上げた、プレーンビスケットね、あれ、復活してました。

セブン-イレブンの陳列棚にあった時は、嬉しかったな。

早速買い求め、バイヤーさんに嫌われなかったんだね、というわけです。

さて、静かな日曜日、本日は、長男坊のところへ、落語で言えば「子褒め」に伺う次第で。

皆様におかれましても、静かな日曜日でありますように。

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わかることは分かつことで

2016年04月23日 | Weblog

朝一の表題からして、わけわからないところに行きそうなんだけど。

昨日の、結果、お話し会と銘打たれた集まり。

そのことについて、一筆書きに、と思いたち、ブログのドアを開けてみた。

のだけど。

なんにせよ、熟成するまでには、時間がかかるわけで。

短兵急に、結論から言え、みたいなこと、できないんだけど。

いずれにしても、?、という疑問、というのか、不審、というのか、いぶかり、というのか。

なんらかの種が、播かれた、とも言えて。

すごくよかったです、という反応だったら、どうしよう、的な。

アンビバレント、とでもいう心持ちでもあるんだよね。

わかる、という言葉で、安定的な、過去から繋がる現在の自分が、強固な、石のような、硬質の金属のような。

そんなことを確認したいための、認識、つまり、わかる、わかる、理解できた、みたいなことね。

これ、をひとまず、脇において、という状態。

妻は、自由でいいんだ、という言葉に反応したようで、北海道からの女史と瞬時に打ち解けあい。

会後の懇談では、トンボのホバーリングを句にした御仁から、続々と言葉が浮き出され。

などなど。

あと、ある女史からは、感情を味わい尽くす、というけれど、もともと、感情の起伏が激しいので。

経営者として、それをコントロールすることが、むしろ、いい具合で、なんて質問が出たりね。

エピソード2が閉幕し、エピソード3に向けた起動なんだけど、これって、リニアに。

直線的に、右肩上がりに、というデキでもないんで。

いろんな変化の中で、3は生み出されるのかも、という感じでしょうか。

なにせ、病気がなおる会社、なんてことを標語にしているんで、あらゆる可能性は、友達なんだよね。

前は、病気をしない会社、というウタイだったんだけどね。

にしても、病気すら、自由の現れ、という解釈も成り立つんで、小さな親切大きなお世話、みたいな。

スローガンでもあるんだけど、そこはそれ、リアルな世界と見えない世界のあわいで生きている。

われら人間存在としては、そこんとこ、よろしく、ってなわけです。

以前にもアップしたかも、だけど、鉱夫さんたちが、炭鉱に入って行く時、カナリアのカゴをもって。

ということがあり、つまり、穴のなかの毒ガス検知用、ということなんだけど。

絵かきや物書きの芸術家さんというのは、カナリアです、というね。

時代から吹きこぼれる毒ガス、というのか、アンチ人間みたいな噴霧を、いち早く察知し。

みたいなね。

それは、芸術家、だけではなく、人間そのものが、というわけで。

なので、病気、というのは、お医者さんが診断書を書いてくれるもの限定、じゃなくね。

その意味では、病気がなおる集団つくり、ってのは、なかなか、気に入ってるんだよね。

語呂、語感が、ベタすぎだけど、なんか、いい表現、編み出そうかな。

もっとも、もともとの気、元気とかね、その気が、さまざま変容するのが、人生だ、という解釈をすれば。

その変容を、病というのか、それとも、ほかの言葉に置き換えるか、というのも、可能なんだね。

表題の、わかる、ってのが、わかつ、ということで、ってのね。

分離していることを、再確認する、というような認識の構造持ち、ってのが、われわれ、現代人でもあるんだけど。

エンパスという能力も、もともと、あるらしいね。

共感能力とでもいうのか。

特に、列島人には多いそうで。

昨日も、北海道からの女史が、そんな話をしてくれて、それが過ぎると、自己犠牲に変容し。

というような。

あれやこれやもあるんだけど、さて、今日の土曜日、楽しむとしますか。

 

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天皇陛下がお越しになると必ず晴れる

2016年04月22日 | Weblog

そうだ。

ということを、ある御仁にお聞きしたことがあって。

夕べからの雨があがり、さて、今日は。

いかがなりますやら。

というのは、陛下ではないけれど、伊勢の御仁が、われらが地へお越しになる。

なんて書くと、またぞろ、彼のことを、先生、なんて呼ぶ御仁も出現するかも。

だけどね。

ポイント、そこじゃなくて。

というわけで、今日は、午後から、お話し会と銘打って、イベントなのです。

30名を超える方々が、一同に会して、3時間を過ごす、というウタイでね。

二ヶ月くらい前から、日にちを設定して、あれやこれやと段取りをしてきたけれど。

遠足当日、みたいなね、静かなわくわく感はありつつ、実に穏やかな日が始まった。

悲喜こもごもの思いを秘めて、列席賜る方々に、今から、ことほぎの歌を差し上げたいくらいな。

そんな気分です。

そう、昨日は、アップしたつもりが、できていなくて、妻からのメールで気がつき。

安全パトロールのバスの中から、iPhoneにてアップした次第で、朝一には、間に合わなかった。

のですが。

昨日の安全パトロールも楽しくて、前にアップした、長谷部、日本代表のキャプテンね。

彼が引用していた、随所作主 立処皆真、ずいしょにしゅとなせば、たつところみなしんなり。

ってのね。

長谷部キャプテンは、「いつどこにいても、どんな立場でも何ものにも囚われず、常に主体性を持って一生懸命行動すれば、もうそこ

には真実がある」と、言ってるらしい。

うろ覚えだったんで、どこかのサイトから拾ってきたんだけど。

そんな具合のバスのプチ旅行だったので、楽しく、意義のあるものに早変わりした次第で。

バスといえば、再来月の若狭・日本海への旅、というのは、どうやら、プロのドライバー御用達で、旅が成り立ちそうで。

めでたいのです。

来月にも、勉強会を企画していて、蘇我馬子はどこの女の子だっけ、みたいなレスポンスも返ってくる。

アカデミズムには反するような勉強会だけれど、それが、また、楽しくてね。

われらの会社の秋の旅行も、そうしようかな、研修旅行と銘打ってね。

しかも、堅苦しくなく、笑っているうちに、人間力、地力、地頭、ついてます。

みたいなね。

現代の、学校教育へのアンチテーゼを提出するような、なんて書くと、いかにも、大げさだけど。

大言壮語のみを語る、みたいな御仁も世の中にはいらっしゃり、だから。

不言実行を、有言実行に切り替え、というわけだ。

なんだけど、この、古来言われている、不言、ということにも、実のところ、大きな意味もある、という。

そんなことをおっしゃる方も、というか、古代から伝わる、成功哲学、なんてのをモノしたものの中にはあって。

あるモノゴトを成就せんと心に決めて行動に移すとき、有言になると、邪魔をする御仁が現れ、というんだね。

邪魔者が、外側の方ならまだしも、実のところは、我が身内からでてくるもの、という解釈で。

つまり、リミッターを外さない状態、過去からの、親兄弟、親戚、世間からの洗脳によって築き上げられた。

価値観、我が身への推量、思い込み、決め込み、どうせオイラは浮き草よ、とかね、オレにできるわけがない、だって。

父親も母親も学校の先生も、みーんな、そう言ってたもん、みたいな。

エクスキューズだらけが人生だ、というね。

このあたり、テストに出ますよ的な部分で、というのが、有言実行のやばい側面。

なんだけど、いずれにしても、想いのままに生きる、行動する、泣く、笑う、嬉しがる、悔しがる、ってのが。

この得体のしれぬ生命体の持ち味なんで、そこんとこ、よろしく、ってくらいなもので。

 

 

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やっぱり日本海は古代では高速の山手線みたいな

2016年04月21日 | Weblog

夕べは、ご案内の、歴史の旅、勉強会で。

講師担当の方が、富山県制作の、大陸側から見た日本列島、というような地図を持ってきてくださり。

これ、富山県で制作されている地図だそうで。

大陸側からみると、日本海って、大きな湖みたいでしょ。

列島側を右から左へ流れるのが、対馬海流という暖流の高速道路、大陸側を左から右へ流れるのが。

リマン海流という寒流の高速道路。

ってわけだ。

出雲の宍道湖を、大きく、向きを逆にしたら、って感じかね。

左回りと右回りで、山手線みたいなもので。

しかし、思った以上に、朝鮮半島の近さ、大きさ、さらに、ロシアの沿岸部の近さ、ね。

そりゃ、さまざまな影響を受けるわけだ。

なんてことが、とめどもなく、あとからあとからやってきて。

この地図の見方は、歴史作家だったか、司馬遼太郎だったか、岡田英弘だったか、網野善彦だったか。

とにかく、大陸側からの視点が大事だよ、というような事を言っていて。

だったけれど、それを、さすが、表玄関の富山県、という行政機構でも取り入れ、という。

むしろ、肌感覚で、大陸との距離を感じてもいたんだろうからね。

富山の風の盆、八尾のね。

彼の地を訪れた時、そこへ招いてくださった御仁が、まんま、ロシア人のような、エキゾチックな顔立ちだったしね。

ところで、昨日のおばの葬儀には、わが母親は出席せず。

ということで。

どうなんだろう、お通夜の日、かくかくしかじかで、とおばの逝去を伝えた時。

なかなか、受け止めきれなかったようだけど、記憶の前後感覚が鈍っているせいもあり。

だけど、あたしはもっと生きたい、という言葉を発していたのは事実で。

たぶん、この一日二日の彼女の、本心の部分はそこかな、と感じてもいて。

おばの死、と自分の死を比べて、そこへの恐怖を韜晦で紛らわし、というような。

そんな事件が起こっていたのかも、という、当方の妄想もあったりだけど。

葬儀列席の方々から、おかあさんはどう?と聞かれ、デイサービスへ週三回通い。

なんてことを伝えたり、だったんだけど。

火葬場で、前の席の方々が、逓信省、いまでいう、郵政、電電公社の同期だった方々。

彼女たち、お元気で、あたまもすっきりされているようで、当時の花型レディだったわけだ。

さまざまな昔話に、当方も耳傾け、お仲間に入り、だったんだけど、桜橋から。

狐ケ崎まで電車が走っていた、という初耳の話をお聞きし。

シロウト郷土研究家としては、ふむふむと心にメモを残した次第で。

昔懐かしい、さらには、あたしたちはいくつまで生きれるか、なんて話を聞きながらも。

現在の列島では、九州の地震が、各地に伝染するかも、あるいは、今度は東海だ。

なんて、なんの根拠もない連想を、いや、根拠がない、というのは、学者さんたちに失礼だね。

今回の熊本は、益城町の震度7ね、彼の地には、幣立神宮という日本最古の神社がある。

益城町山都(ヤマト)という地名に建つんだから、ベタな地だよね。

ということを、昨日、ある方が、ポツリと漏らし。

パワースポットとはいうけれど、列島に残る正史からはちょっと外れているような。

そんな古い神社なので、どうだろう、マスコミでは取り上げられているのかどうなのか。

その被害状況は知らないけれど、阿曽山の噴火からさえ守られている地に建つ、というんで。

どうなんだろう。

いう人に言わせれば、日本のへそ、とかとも言われるようなんで、列島のへそが揺らいだかどうなのか。

なんてことをつらつらと思い浮かべながらも、今日という日は続いていくのであります。

さて、今日は、安全パトロール。

一日、バスによる時間ですが、皆様におかれましても、健やかな一日となりますように。

コメント (5)
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