という記事があった。
ギガバイトとか、テラバイトとか、そんな言葉が踊るようになって久しいけれど。
2020年というから、東京オリンピックの頃、ってことだね。
そもそも、ゼタというのは、1兆の10億倍、というんだから、途方もない。
もう、たーくさん、という語感では、とても届きそうもない。
今の人間の認識の仕方からしたら、ほとんど、無限っていうくらいなものだ。
そんな情報が、異空間というのか、こちらから見えないところで、飛び交っているというのだから。
ああそうなんですか、と無関心ぽく、反応するしかないレベルでね。
もちろん、人間の捉えている情報量というのを、事細かく切り刻んで俎上にのせれば。
そのくらいは楽々と超えているのかも、だけど。
そこまでいくと、量、という言葉では、表現できない体のものだしね。
とにかく、途方もない情報量を、さまざまな目的、と称して、使い倒す、という仕儀で。
腕に覚えのある人士方は、それこそ、腕まくりをして、ここぞ、とばかりに、策も練っているんだろうな。
マゼランだったっけ、世界一周したのは、海の向こうには悪魔がいるかも、という時代に。
と似ていなくもない。
そうだ、昨日は、「あの日」を読了。
小保方さんのね。
それにしても、圧倒的なメディア・スクラムのなか、彼女、よく死なずに持ちこたえたな。
というのが、胸なでおろす感懐で。
どこの出版社か忘れたけど、よくぞ出版させてくださいました、というね。
同時に、組織が牙を向いた時の、冷徹さというのか、冷酷無比なたたずまい、とでもいうのか。
慧眼の人士方は、それにたいして、あの当時も声をあげていたけれど、この本が。
20万部?30万部?
売れているそうだから、そのうち、誰かが映画化でもするかも。
名もなく、目にも見えず、という世間さま、というやつと、戦う、というのか、味方につける、というのか。
くだんの44ゼタバイトというのも、大きくくくれば、それと同じようなものだろうしね。
マーケティングなんてのも、まんま、それでしょ、って。
よく、ある傾向の方々の間では、闇の勢力とか、フリーメイソンとか、ロックフェラーとかの話になるけれど、つまり。
この世を牛耳っているのが、というね。
この時代なのか、この何千年なのか、ある価値観をはびこらせ、でしょ、だから、そうしなきゃ。
みたいな。
ベタに言えば、働かざるもの食うべからず、だとか、あとなんだろう、数えきれないくらいの。
恫喝文句により、拓郎の歌じゃないけど。
いじけることだけが、生きることだと、飼いならしすぎた、ってわけだ。
そうだ、何日か前の飲み会でも、ある大手さんの組織内の人間模様について、が。
杉錦という藤枝のお酒の肴だったけれど。
群れるのが習いの、この人間さまの趣味趣向、生き様、処世知、処世術ではあるんで。
目を三角にして、という年格好でもないんだけど。
そんなのは、組織の大小にかかわらず、どこにでも散見されるもので。
わが母親とその息子たる僕の間でかわされる、小さな物語も、その類ではあり。
他でも枚挙にいとまがない、というくらいのモノなんだけど、それすら、44ゼタバイトくんは。
すべて補足します、くらいの勢いなのかどうなのか。
さらにさらに、自由というものが、どこにあるのか、というのが、大きなテーマになるかな。
そうそう、わが窓の外は、巴川という名前を持っているんだけど、この、巴ね。
三つ巴とか、二つ巴とか、これ、おもしろい図柄だね。
検索すると、どこぞの家の紋が、くらいの話なんだけど、その、さらに向こう側には。
ある種のエネルギーのイメージ化、とでも言えるか。
カタカムナの音、に続き、また一つ、わがテーマのラインナップになった感じでね。
ためしに、なにも思わずに、その図柄を見てみると、ある物語を、一挙に感得しちゃう。
というくらいの図柄かも、という気がしているのです。
44ゼタバイトの情報量を、一気にキュレートしちゃう、かも。
というわけで、点と点が結びつく、結(ゆい)という地名の発祥にも思いを致しながら。
本日のブログ、終了します。