まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

パン焼き窯

2008年10月31日 | Weblog
修善寺の別荘地。

ひさびさに、左半身が不自由な友人を見舞った。

豆腐専門店で、昼食。

四方山話をしながら、ついでに、最近、パンを焼いていることを話す。

すると、彼の隣家で、パン焼き窯で、パンを焼いている、という話になる。

早速、隣人を訪ねる。

こういうわけで、窯を見せてください、と。

定年退職したご夫婦が、野良仕事をしていた。

奥のほうにある、耐火煉瓦を積み上げた窯を見せていただく。

ご主人は、丁寧に、注意点を交え、ご自分の失敗談もふくめ、教えてくださる。

奥様は、製作過程の写真など、家からもちだして。

奥様がつおくりになるの?

いえいえ、ぼくが作るんです、と。

それから、酵母の話、レーズンで種つくりもしたけど、あれは、難しい、などなど。

ぼくは、玄米酒の粕とお米とお水で作るんです。

窯で焼いた食パンは、ことのほか、おいしい、とご満悦の様子。

焼きあがったパンを、ぎゅっと、握り締めても、また、元の形に復元するくらい、弾力もあるらしい。

今度の日曜日に、パンを焼きますけど、といってくださったけど、残念ながら、行けません。

いずれにしても、楽しかったし、お二人とも、いい顔してたな。

友人も、鬱々とした生活気分から、少しは、逃れられたようで、元気だった。

いろんなことしてきたけど、その時々、精一杯生きてきたらから、いっさい、悔いはない、と。
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チック・コリア

2008年10月30日 | Weblog
久しぶりに行ったお店。

NOW he sings now he sobs

ピアニストのうたこちゃんに、聞いた。

一番好きな曲ってなに?

チック・コリアのこのアルバムなんだって。

いま、ネットで調べたら、なかなか、名盤らしい。

ぼくは、キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」とこたえた。

なんか、若い頃の会話を思い出した。

いま、なに聴いてる?

いま、なに読んでる?

っていう具合だったからね、あの頃。

若い頃の情熱がうすれかけている、ピアニストの彼女と、またぞろ、人間てさぁ、みたいな話をする。

いろいろ話したけど、いまのままでいいじゃん、というフレーズに、一番、うなづいていたのは、おぼえている。

なにものかにならなくてもいいし、世間様から、ほめそやされなくてもいいし、と。

たしか、その話の流れは、ぼくのパン焼きからだった。

天然酵母つくり→発酵→何百億個の微生物は、ひとつとして、無駄なものはなくて、という寺田本家の寺田さんの受け売りから。

無駄だと思って、排除すると、発酵ではなく、腐敗にいたる、というような。

人といて、男にしろ、女にしろ、疲れるとしたら、不完全燃焼のガスを、撒き散らしていることだよ、とかね。

としたら、自分を点検したほうがいいよ、と。

しかも、この話って、僕がしているというより、あなたがしているようなもので、言葉は、自然にわきあがってくるしね、と、なんだか、あやしいおじさんっぽい話になった。

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走るこころ

2008年10月29日 | Weblog
高橋尚子、Qちゃんが現役引退。

野口みずきさんが、言っていた。

あの方は、走る心がきれいだった、って。

金メダル同士の会話、というわけではないけれど、いいコメントだった。

走る心はきれい、って、なかなか、言えないし、彼女たちならでは、だよね。

国内最後のマラソンで、目の前を、失速しながら走り抜けていく娘を、笑顔で、見送るお父様。

たしか、学校の先生だったかな。

今、世間で騒がしい?日教組だけが、先生でもないよね。

あの笑顔で、あれ、すこし、様子がおかしいかな、という風情が、また、なんともいえない。

あの父にして、あの娘、と紋切り型の表現でも、ひとつ、したくなってしまう表情だった。

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食べるものないわね。

2008年10月28日 | Weblog
伊藤ハムには、何がはいっていたんだっけ。

とにかく、連日、いろんな不具合が、報道されるので、覚えていない。

街角インタビューで、中年のおばさんが、言っていた。

食べるものないわね。

そうなんです。

実は、食べるものは、もともと、なかったのかもしれない。

この間、ノーベル賞をとった方、いたよね。

光るくらげを研究して、たとえば、がん細胞へ、その試薬をもぐりこませることによって、その構造が、飛躍的に、わかるようになる、とかいうような。

仮に、そんな試薬を、人間に、なんらかの害を及ぼす物質すべてに、ちりばめたとしたら。

あらゆる現代病の原因が、つきとめられるかもしれない。

スーパーでも、ファミリーレストランでも、学校給食の場でも、まばゆく、あやしく、輝く食材だらけ、なのかもしれない。

もともと、食べるものは、ないわね、だった、と。

飢えと病気を秤にかけて、どちらが重たいのか。


と、ここまで書いて、いったん、アップしたんだけど、あまりといえば、あまりな、夢も希望もない書き方だよね。

ぼくのキャラにあわないので、多少の修正をします。

食をみなおすいい機会をいただいた、というふうに考えることができます。

肥満からダイエットしたい、と思っても、なかなか、できないのは、肥満するような食を、食べ方から、食材までふくめて、選択しているだけですから、という言い方もあるように。

肥満に限らず、精神的な病気にしても、「生活習慣病」とかなづけられているものにしても、すべからく、選択の結果ですから、というような。

食べるものないわね、と言いつつ、何でも食べてください。

毒食らわば皿まで、ということわざもありますし。

ただし、食材をリスペクトしつつ、と。

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秩父宮公園

2008年10月27日 | Weblog
御殿場インターおりて、乙女峠方面へむかう途中にある。

今月のおじおば会。

母親が、行った事がないので、行きたい、ということで。

写真は、葉鶏頭。

祖父が好きだったらしい。

この公園は、秩父宮さまが、結核の療養をしていた跡地。

銅像もあった。

四季折々、季節の花々が楽しめそうだ。

お弁当をもって、一日、いてもいいね、と母親。

この秩父宮さまの奥様が、勢津子さんというんだけど、会津藩の松平さんから宮家へ嫁いできたようだ。

明治の新政府とは、激しく戦った会津藩だから、そのあたりは、いろいろ、ご苦労があったんだろうな。

ちなみに、秩父宮さまは、明治35年のお生まれ。

明治28年生まれの、わが祖父母とは、7歳違いか。

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死を生かす

2008年10月26日 | Weblog
今回のことを反省して、二度とこのようなことがないように、院内全員で、心を新たにした、という。

医療ミスが疑われる手術で、命を落とした、友人のお母様。

病院とのその後の話を紹介してくださった。

今回は、彼と、執刀したお医者さんも、命をなくした。

自分のミスからの自責の念が嵩じたのか、うつ病になり、自ら死を選んだ。

一度にふたつの命が、消えてしまったわけだ。

ふたりの死を生かしてください、とお母様はおっしゃったそうだ。

周囲からは、訴訟をすすめられたけれど、これ以上、傷つけあいたくない、と。

いつの頃からか、日本の社会も、アメリカ型の訴訟社会に、傾斜していった。

当然、保険会社の商品も、開発され、高額の医療保険は、お医者さんにとって、相当なコストだときく。

そんな話をきいたあと、その病院から、産婦人科が消えた、というニュースがはいってきた。

医師がすくなく、無理な体制では、受け入れることができない、という判断だったんだろう。

微力ですが、精一杯がんばります、という言葉は、訴訟の論理からは、排除されてしまう。

結果ですよ、成果ですよ、効率ですよ、という具合だ。

新自由主義、ネオリベというものの考え方だね。

息子の死が、せめて、なんらかのかたちで、のちに生かされるなら、というお母様のお気持ちに、愛と潔さを感じた。
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倹約遺伝子

2008年10月25日 | Weblog
オーストラリアの先住民、アボリジニ。

19世紀までは、狩猟生活をしていた。

いつだったか、オリンピックの女子陸上で、金メダルをとったよね。

北米大陸の、ネイティブ・アメリカンと似たような生活だったんだろうね。

いつしか、都市生活を余儀なくされるようになったわけだ。

オージーだっけ、背が高くて、金髪碧眼の「文明人」に同化させられた、と。

欧米化です。

結果、食べるものが変わっていく。

いまや、40代で3人に2人が、肥満・糖尿病・高血圧。

50代前半で90%、50代後半で100%が、いずれかの病気とお友達らしい。

おいおい、これって、どこかの国に似ているね。

もともと、長いながい狩猟生活で、食塩や砂糖、加工食品を食べなくても、元気で生きていける「倹約遺伝子」を持つようになった民族なんだ、と。

生きるか死ぬかの、飢餓の時代を、何回も、生き抜くたびに、DNAが、倹約的になるよね。

明治以降の日本、特には、戦後の、アメリカ農業の消費基地としての日本。

まんまだね。

だから、お米を中心とした和食にかえろう、と言うんだけど。

果たして、カタカナ食品は、日本からなくなるでしょうか。

このところ、食に関するエントリが多いんだけど、いずれにしても、人間って、イコール、食べる人、とも言い換えられるしね。

ところで、ユーロが、160円から、現在113円です、原油も62ドル。

暇がある人は、ヨーロッパへ行きましょう!キャンペーンでも始まりそうだね。

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食糧危機

2008年10月24日 | Weblog
中米のエクアドル。

食糧危機なんだそうで、NHKスペシャルかなんかで、やっていた。

食糧をもとめて、行列ができてます、そして。

一日の食べる量はこんなにも少ないんです。

といって、危機の前後、ビフォーアフターですね、お皿にのせて、見せていた。

前、ナンのようなもの、6枚、ほかに、お米、野菜。

後、ナンのようなもの、3枚、ほかに、お米、野菜も半分。

そりゃ、大変だね、と思いつつ、一日一食をやってみて、そんなに困ったこともない身からすると、映像からながれる、扇情的なアナウンサーの声は、差し迫った声にも聞こえない。

実際のことをいえば、食べ盛りの子どもたちのいる家庭は、つらいだろうな、と想像はできるけどね。

しかし、食糧バブルの日本の視点では、これまた、とらえきれないものでもありそうで。

日本にも食糧危機せまる、みたいなフレーズが、またまた、流行だすんだろうけどね。

そもそも、グローバリズムなんていうけど、結局、南北の合体なわけで。

つまり、発展した国と発展途上国が、ごちゃまぜになる、と。

飢えてやせた国と飽食で肥満の国が、白日の下になる、という言い方もできて。

そりゃ、少し、やせた国へ食べ物をまわしましょうよ、ということだよね。

牛肉たべるために、飼料と水をしこたま使ってないで、とうもろこしや大豆などを、南の国へ、まわしなさいよ、という神様の命令が、くだったのかもしれないね。

だって、日本も、食が欧米化したら、糖尿・痛風・癌が、てんこもり状態なんだから。

金融危機・経済危機・食糧危機って、なんでも、危機と名のつくときには、足元を見直す、ということでしょうね。
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人に囲まれていること

2008年10月23日 | Weblog
102歳で、マスターズへ出ている下河原さんという方。

いつだったか、テレビでやっていた。

槍投げとか砲丸投げとか、世界レコードをもってらっしゃる。

102歳ですからね。

そこまで、ご長寿、というだけで、新記録、みたいなものだけどね。

夜には、近くのスナックで、ウイスキー飲みながら、カラオケをうたう。

一緒に飲んでいるのは、85歳の、体育教師時代の教え子。

笑っちゃうくらい、お元気なわけです。

その秘訣は、人に囲まれていること、なんだって。

たしかに。

人からは、素敵なエネルギーをいただけますからね。

それが、少し、ずれてしまうと、ストレス過多で、悩んでしまう。

ま、もったいないものです。

どこがどう違っちゃうのか。

人に囲まれて、かたや、ご長寿、かたや、対人恐怖症、社会不安症などなど。
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スパイス

2008年10月22日 | Weblog
父親の長兄が、おじですね、カレーを作ってくれた。

ずいぶん昔のことだ。

50年近くまえになるのかな。

小麦粉を炒って、時間をかけて。

幼少時分だったので、実際にどのように作ってくれたのかは、よく覚えていない。

家で、母親が作ってくれるカレーは、S&Bカレーやハウス食品やらの、ルーからだった。

長兄は、クラシックを聴いたり、無口だったけれど、わが家系では、しゃれた人だった。

この間、娘とカレー談義をしたとき、彼女は、日本のカレーって、小麦粉を使うんだよね、と言っていた。

カレーの本を、図書館で借りてきたりして、スパイスについて、少し勉強しているんだけど、カレーって、漢方薬みたいな感じがする。

一つ一つのスパイスが、からだにこんな作用を及ぼす、と書いてある。

食養生という言葉があるけど、いたずらに食べる、ということとは、また、別の考え方があったように思える。

中国4千年の歴史、というけど、インドは6千年じゃないかな、定かではないけど。

食べるということは、天と地と一体になることだったのではないか。

生命の、おおきな循環のなかにはいるための、一つの儀式。

なんせ、理屈からはいる料理人なんで、またしても、そんな予感をたよりに、カレーにはまりつつあるのです。
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