まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

閲覧数1112だって、すごいね

2015年03月31日 | Weblog

昨日の成績です。

って、これで高校が受かるわけじゃないけど。

いずれにしても、1112ページをお読みいただいた、ってわけだ。

ツイッターで、表題だけ、飛ばしてる、ってのもあるんだろうけど。

ひょっとしたら、イスラム国とかに、読み方によっては、あくまでも読み方によって、ですが。

好意的にも見える書き方なのかも、なんで、公安警察がね。

ひそかに、ページをめくっている、とか。

いつだったか、グーグルアナリティクス、だったか、それで見たら。

アメリカからもやってきていてね、そりゃ、CIAかも、だよ、なんて。

ま、書いたものを読んでいただく、あるいは、ページをくくっていただく、のは。

ありがたいものです。

夕べは、「火の路」、そう、松本清張のね、100ページくらい、読んだかな。

この松本清張という文字に、わが妻が反応し。

なにせ、彼女、悲の器、じゃなく、なんだったかな、中居くんのやったの。

あれに、一時期、凝ってね、原作まで、読んじゃった、という経験を持っていて。

凝る、といえば、今は、玉置浩二で、名古屋まで追っかけをやった。

んだけど。

小学生の頃からは、肩に凝って、というか、肩が、だね。

基本、凝り性なんだね。

昨日の営業会議での近況報告で、ある御仁が。

清水の昔の郵便局、今の区役所のある付近で、そこの松が、イルカ松、と呼ばれた。

と、磯田道史さんが、書いていた、と。

災害から見る歴史、だったか、たしか、僕の本棚にも寝転がってるはずだけど。

そこで、磯田さんが、というんだけど、つまり、津波がそこまで来て。

引いた後には、イルカがひっかかっていた、ということだね。

なので、どうだろう、10mはいかないだろうけど、かなりだね。

なんてことが、未だ、話題になるんだから、流出できる人は流出するわけだ。

やっぱり、一世代かね、記憶が薄れるのは。

今回の東北の被災地では、石に刻まれた津波の跡が、話題になったよね。

先人は、悲惨な災害を、なんとかして後世につたえんとして、というコメントだな。

と言いながら、人口流出が止まらないから、なんとかしなきゃ。

ってことで。

もちろん、津波へのおそれ、がすべてではないけれど、そんなメンタリティも。

ないわけじゃないよね、経済への悪影響、的な。

今回の市長選も、静岡市の人口、70万人を守る、と、100万人にする、の対立構造で。

簡単に言っちゃうとね。

人間の奪い合い、とも言えて、そう、人間そのものは豊かさの源なんです、って。

ちょっと、違う意味になっちゃうけど。

市長選をめぐっては、松陰先生の頃の、京の小路を暗躍した、みたいに、いろんな方がいらっしゃるようで。

今晩も、そういえば、70万派と100万派の方とで、ワインを飲むんだった。

さしずめ、僕は行司役かね。

八卦よい八卦よい、ということで、占いでは吉と出ているから、心置きなく、戦ってくださいませ。

ということだね。

 

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曾祖母おみなさんはお茶でお茶碗を洗った

2015年03月30日 | Weblog

食事のあと、飲み残しのお茶を。

やおら、飯茶碗に注ぎ、丁寧にご飯の痕跡をかきとり。

それを、飲み干す、という仕草。

で、それを御膳に伏せて、さて、次のお昼には、それにご飯をよそい。

というね。

それが、デフォで。

なんだけど、それを見ていたおすえさん、母方の祖母ですが。

眉をしかめ、汚い、と。

なにせ、その頃、文藝春秋なんか読んでいた、田舎のインテリさんだったので。

世をあげての衛生ブーム、なんてのに与してもいたのか。

その子どもたちは、秋葉山のお祭りでは、香具師の、ま、テキ屋さんだね、わたがしなんかは、買わせてもらえず。

孫たる僕にも、お金は汚いから、と手を洗わせたりね。

いまでも、おじおば会では、そんなことも話題になるくらいなんだけど。

その、慶応生まれのおみなさんの所作が、最近見た、禅の食事の仕方だったんだよね。

お椀のひとつひとつを、あえて残したお新香で、拭い取り、そのあと、おふきんできれに磨き上げ。

携帯用の袋に入れる、というね。

わが菩提寺も、禅寺で、臨済宗とか曹洞宗とかは、そうですね。

江戸時代、お侍さんの多くが、禅の修行をしたんだろうね。

幕末の勝海舟や山岡鉄舟なんかもそうだよね。

おみなさんの所作は、その名残なのか。

なんてことを考えていると、昨夜の大河、松陰先生だけど、コレラが流行し。

コロリ、と言ってたか。

衛生というね、観念が、あったのか、なかったのか、わかりませんが。

この漢字自体、外来種の趣があり、しかも、中国からでなく、欧米からの翻訳語みたいな。

禅と衛生ってのを、おみなさんVSおすえさん、という姑と嫁との確執、ッて感じで捉えると。

小学校の低学年のころ、僕の前で、泣いていたおすえさんを思い出すんだよね。

汚くてわたしは食べられなかった、ということを、初孫の前で言いながら、だったんだね。

ところで、今、松本清張を読んでいて。

「火の路」という、女性史学家のお話なのか、奈良の飛鳥に、実は、ペルシャからの宗教が入っていたんじゃないのか。

ということを、推理小説仕立てで、という感じなのかな、上下二巻の上を半分超えたくらいなんだけどね。

去年、自転車で回った飛鳥、例えば、酒見石だったか、大きな石の上面を、穴をほったり溝を掘ったりしてあって。

って言っても、僕はそのとき、ワールドカップのコートジボアール戦をツイッターかなんかで眺めていたので。

現物を見てないんだけど、こんなことなら、見とけばよかったけど。

橘寺の二面石とか、亀石とか、意味不明の石が散在していて。

それらの石というのが、斉明天皇、女性ですが、の作ろうとして未完におわった、両槻宮(ふたつきのみや)という。

宗教施設に使おうと石工が削りだして、その事業が途中で頓挫したので、未完のまま、放置されていたんじゃないか。

それは、仏教を国家宗教にしようという勢力と、仏教よりさらに西からやってきた、ゾロアスター教とかを奉じる勢力との。

戦いがあったんじゃないか、と。

ま、そんな推理小説なんだけど、自分の足で、というか、自転車ですが、歩いたところが出てくると。

リアルなんだね。

さて、弥生3月も今日と明日を残すのみ。

巴川河畔でも、そろそろ、ウグイスの、第二回戦くらいのトレーニングが始まりそうです。

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ひこうき雲が朝の空に

2015年03月29日 | Weblog

ひこうき雲、ってのは、どうやって表現したらいいのかね。

朝、ご神木にご挨拶をしたあと、空を見上げると。

鮮やかに、空に航跡を残しながら、飛んでいるんだね。

松任谷由実なら、何十万枚も売れる歌を書くんだろうけど。

なんてこと、考えながら眺めていた。

夕べは、中学の同級会と言いながら、参加者は、5人でね。

プチ・同級会というわけだ。

血圧が、とか、なんだかの数値が、という話題で盛り上がり。

なんだけど、どうもね、年をとるということが、デフォというのか。

お決まりの歳の取り方、というかね。

そんな感じもして、そりゃ、わかるけど、もっと自由に、それこそ。

白いキャンバスにさ、絵を描くような。

という気分でもあったけれど。

ま、いいか。

ところで、最近、瞑想に続き、座禅もやっていて。

座禅に限らないけれど、わが日ノ本では、なんとか道、ってが、たくさんあるよね。

茶道、弓道、柔道、まだあると思うけど。

目の前のひとつひとつに心を込める、っていうのね。

OSHOという、本の帯には、世界中のセレブに人気の、なんて書いてあるけど。

なんて呼んだらいいのか、なんだろう。

ま、瞑想の大家とでも書いておこうか。

彼が言ってるらしいけど、日本に禅があるのは、人類の救いだ。

とね。

お寺なんかの社殿で、足を組んで座る、って映像が、わかりやすいけど。

しかし、実際には、日常のすべての所作に、こころをこめる、ってのが。

禅の本道だそうで。

お料理を作る、お掃除をする、子育てをする、なんてのだね。

例えば、考え事をしながらお料理を作るんじゃなく、このひとつひとつの仕草に、一心不乱、とでもいうのか。

食べることも、そうで。

テレビを見ながら、とかね、そうじゃなく、と言うんだね。

たしかに。

目の前の命をいただく、ということで。

どうぞ、お召し上がりください、というのも、以前にも書いたかも、だけど。

命が召命すること、天に召された、みたいな言い方があるけど、そういうことに向き合う。

というわけだ。

たぶん、これ、やってくと、いまここに、自然にいる、ってことに。

たどり着く、という感じだな。

聖書にも、明日の苦悩は明日にまかせなさい、ってのがあるよね。

人間の中に、どうやって、意識がやってきたのか、わかりませんが。

アフリカだったか、どこだったかの部族では。

誰かが夢を見た、というと一大事だそうで。

部族をあげて、こりゃ、よからぬことがおこる兆しだ、というんで、お祭りだったか。

除霊の儀式みたいなのをやるんだったか。

夢を見る、ということは、現実の生活の中で、充足していない、とでもいうのか。

なにか、不満不足があり、それを、夢でバランスさせる、とね。

そんな考えみたいで、日常の生活に、何か、良からぬことがある、という解釈かな。

昔、日本でも、お正月の初夢の夜、枕の下に船の絵を敷いて。

虫がその船に乗って常世国へ行ってしまいますように、祈った、なんて話もあり。

後世、その絵が、七福神の乗った船にかわり、って習俗ね。

それも、虫という現実の、田畑を荒らす、というものに変わったのは、もともと。

夢を除ける、というようなことだったのかもしれないな。

そういえば、子どもたちが幼かったころ、じぶん、じぶん、と強調してね。

言っていたのを思い出すんだけど、おとなが手を出しちゃうんで、そりゃ、いやだ、自分でするから、とね。

そんな風にして、自分というものが、ふたつ、できあがっちゃうんだよね、きっと。

なにかをしている自分とその自分を見ている自分、と。

この後者の自分、ってのが、人は死なない、というときの、自分だ、というのが。

東大医学部の矢作さんだったり、ボブ・フィックスさんだったり、禅の先生だったり、なんだと思うんだよね。

その自分は、天とつながっていて、それこそ、臨死体験の光り輝く、なんともいえない、優しさに包まれて。

っていうね。

あれ、何の話だったっけ。

ひこうき雲から、優しさに包まれて、って、ユーミン特集みたいだな。

 

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魚町稲荷神社がまさに神域に達し

2015年03月28日 | Weblog

ひさびさに、お詣りしたのです。

もちろん、毎朝毎晩、瞑目し、交感はしているんだけど。

お賽銭をあげ、二礼二拍手一拝をね、してみたわけだ。

風も吹いてきて、素敵な時間をありがとう。

と思わず出ちゃうくらいのもので。

そりゃ、人知れず、多くの方が手を合わせに来るわけだよね。

と言う気にもなって。

その前に、三保の、御穂神社でも、いい気分になってね。

梅と桜が咲いていて。

その下で、彼らの、生命の息吹をいただいたのでした。

午後の3時ころかな、平日なのに、ぞろぞろとシニア世代が。

神の道をわたっていて。

まだ、羽衣の松効果は健在なり、だったね。

与謝野晶子の歌、文字が消えかかっていたけど、こんなの、ありまして。

 衣を禰宜取り出て いにしへの

  美穂の社に 山桜かな

とね。

というから、僕が、その下で楽しんだ桜は、山桜なんだな。

写真、アップすればいいんだけどね、しかし、これ、インスタグラムじゃなし。

Facebookでもなし。

ところで、NHKの特集、再放送かな、「死んだら云々」という。

立花隆の番組ね、3回を通じての感想は。

彼、立花さんの苦悩、というか、死と生に対してフィットしない、という。

もどけなさ、頼りなさ、未だ知られざる、科学の、いつかは知ることになるかもしれない。

知、というかね。

そんなことが、印象に残ってね。

妻の、体外離脱という思い出、フォールスメモリーね。

そんなことも、収穫だったけどね。

そうそう、サンマルコ寺院、というのが、どこだろう、フランス?イタリア?

それが出てきたね、一般には公開されていない臨死体験の絵、ってやつ。

あのあたりにも、穿った見方だけど、策略を感じもするね。

一般公開してない、ってのがね。

だって、土着の宗教なんてのは、例えば、臨死体験の集積を土台にしていたかも。

なんて仮説も成り立つし。

臨死体験なんてのは、デフォだったわけだ。

じゃなければ、キリスト像の光背ね、あれなんか、理解できないでしょ。

偉大なるメシア、イエス・キリストなればこそ、なんて言って。

偶像崇拝になっちゃってるけど。

仏像の多くも、金箔を貼ってるけど、あれ、臨死体験で見た光じゃないのかな。

おおもとはね、それを、芸術として高めたのか、権力維持装置として変容させたのか。

マホメットが、ありゃ、だめだ、というのも、わかるような気もする。

偉大な、すごい人がいて、その人を目指す、という生き方にもつながり。

及び難さ、ってのを演出することで、壮大なる権力の絵巻ができあがる、ってことでね。

こころの段差、というのか、位階、というのか、それを、絵でもあらわし、建物でも、ね。

そこにいっちゃうと、幸せにはなれない、ってのは、衆目の一致するところなんだけど。

どうもね、恐れ多い、ってわけだ。

この世の力は幻想です、なんてなれば、おまえ、戦争に行って来い、なんていう。

プロパガンダがあっても、おれじゃなく、おまえが行ってこいよ、ってなっちゃうしね。

ある意味、やっかいでもあり。

めんどくせぇな、ってわけです。

そんなことは、ともかくとして、春です。

昨日は、5月の気候だとか、とともに、杉の花粉が、PMが、黄砂が、と過敏な方には。

かわいそうな季節、という言い方をしなけりゃ、ってのも。

なんとも、具合の悪いものでもありね。

なにせ、あの類は、いきなり来る、っていうから、当方も、その候補者でもあり。

いきなり、って言えば、福田港から釣りに出かけた時、海が荒れていて。

多くの人が、船酔いしてマグロ状態。

なかでも、元気のいい、船頭じゃなく、地元の釣り好きの方が、ほら。

よくいるでしょ、大言壮語(たいげんそうご)っていうの、大きい話ばかりしたがる、って。

彼、お前らしょうがないな、この程度の波で、なんて言いながら、片手で缶ビールを飲んだ。

瞬間、そのビールを空叩く吹き出し、って感じで、ゲロ吐きだし。

なんて笑い話があって、僕と船頭さんと、北陸の友人、加藤ちゃんだけが。

健在で、のちのち、飲み屋さんで、お笑いネタになったのだけれど。

いきなり、つながりの、プチ・自慢話でした。

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ご近所の偉人が二袋のゴミを提げて

2015年03月27日 | Weblog

歩いていたのが、巴川の界隈で。

二袋も、たくさん、取れましたね、くらいの笑顔で。

ご挨拶。

もちろん、向こうからも、早いね!の応答があり。

朝から、気持ちが良いのです。

この収穫物は、魚ともイノシシとも似ていて。

いや、むしろ、キャッチアンドリリース、のようなもの、ですね。

なんて書くと、くだんの御仁、機嫌をそこねるかも、だけど。

ブラックバスなどのそれとは違い、隣人への愛、そこから照り返される我が身への。

愛、ということなのか。

この間、iPhone6が届き、今度は、ちょっと、おしゃれにしようか。

という気になりね、アップなんとか、というネットショップで、本革のカバーを。

購入。

坂本なんとかさんという方の工房で作られている、というウタイ文句に。

惹きこまれるがごとくに、ということです。

おさいふと同じくらいの時間、肌身離さずなんだから、今回は。

そういうことで、ちょっと、おしゃれを楽しんでみるのです。

外側ネイビーブルーで、内側がピンク、という具合で。

「馳走」の女将さんから、ピンクが似合う、と言われたので、マイカラーでね。

というか、人それぞれ、似合う色、というものがあるらしく。

カラーコーディネーター、だったか、カウンセラーだったか。

そんな方もいらっしゃるようで。

ま、とにかく、そんなわけで、本日、ヤマト運輸さんから配送される、とメールがはいり。

最近では、こんなメールにも慣れてね、例の、アマゾンからだな。

今月の東北食べる通信は、ヤリイカの生、これも近々、届くのです。

話題は変わりますが、ドイツの飛行機墜落ね。

ドイツ、フランス、あとどこだっけ、三国の首脳が、彼の地に緊急集合だったよね。

それだけで、あれあれ、ってなもんで。

パリのシャルリなんとかもそうだったけど、各国の首脳陣は。

なんだか、臨戦態勢、ッて感じもするね。

結果、早々と、副操縦士が、なんて報道が、垂れ流されているけど。

あれって、どうよ?!的なニュースではありますね。

昨日、お会いした御仁も、社会が変わりつつある、というような話を。

あるお知り合いとシェアした。

なんておっしゃってもいて。

そういえば、駿河の浅間神社が、30年かけて、社を新築する、らしく。

しかし、30年という年月、壮大な、壮麗な、豪壮な社にお参りする。

という仕草、習俗、習慣が、持つかね、という感想でもありね。

いや、真摯な祈りがなくなる、という意味ではなく。

ひょっとしたら、かなり早い時期に、見た目の、あるいは、外観への。

祈り、ってのの不具合さに、多くの方々が、気づいちゃうんじゃないのかな。

という危惧というか、予見というか。

その昔の、ずっと昔、言葉を奪い合う、あるいは、独占する、というところから始まった。

宗教施設の巨大化ってのね。

ぼちぼち、そういった、おためごかしには、終止符を打ちましょうか、というね。

そんな気働きが、そこかしこでおこるんじゃねぇ、って感じです。

こんな神をも恐れぬ言説は、なんて、逆恐喝しないでね。

さて、そんな神からのさずかりものなる、わが身、わが心と。

本日も、遊ぶとしましょうか。

 

 

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今朝は6時前からウグイスがトレーニング中で

2015年03月26日 | Weblog

わがお宮さんのご神木で、ウグイスが表題のごとくで。

思わず、微笑んだ。

というのが、朝の素敵な光景です。

さすがに、まだ、神様のお使いたちはいらっしゃらなかったけれど。

そう、夕べ、今度はBS1で、「死んだら心はどこへいくのか」って番組、やっていて。

階下から、妻が声をかけてくれてね。

2日連続の話題で、恐縮ですが。

第二回目は、立花隆が、ある実験をしていて。

早い話が、自分のからだを所有している、というのは、錯覚です、というね。

彼が、メガネをしてベッドに横たわる。

その横では、人形が同じく、横たわっていて。

彼のメガネには、自分のからだを見るように人形が見える、という状態のカメラからの。

映像が流れているんだね。

博士が、彼と人形の足を同時にさする。

彼は、自分の足がさすられている感覚を感じながら、見えるのは人形の足で。

そのうちに、人形の足を包丁でさそうとする、とその恐怖を感じる。

というような実験で。

知の巨人、たる彼の、意識の変容を迫る、というシチュエーションだったんだけどね。

これ、結構、言えば、いろんなことが言える実験でね。

心はどうやって作られるのか、脳が作るのか、宇宙のはじめからあったのか、などなど。

その前夜の、第一回目では、幽体離脱というのか、体外離脱というのか、そんな場面があって。

つまり、病室で、自分の体から抜け出し、部屋の上隅で、自分のからだやらお医者さんやらを。

眺めている、という体験をした方が、その後、一度もあったことのない、自分の妹と出会って。

なんてことがあったんだけど。

そんな体験を、わが妻がした、というんだね。

それは、彼女のおはこの、「4年2組の物語」、なんだけど。

その頃、いじめにあって、なんの授業だったか、先生の質問に答えられなくて。

ずっと立ちっぱなし、という状況を。

教室の上隅から、眺めていた、というんだね。

それは、実は、彼女のフォールスメモリーで。

って、この偽の記憶、というのを説明すると、2000文字くらい、書かなきゃ、だけど。

夕べの映像で、彼女の中に、鮮明に残ったのが、モルモットの実験で。

彼を、とても安心できる場所にいさせて、その時に、脳へある信号を送る。

すると、彼は、脳への、その信号は、安住の地、サンクチュアリだね。

そうだ、と思い込む。

しかし、今度は、その信号を送りながら、外から、嫌な電流を流し、彼をおどす。

すると、彼は、脳から、その信号が来るときには、恐怖も一緒に味わうようになっちまう。

電流がなくてもね。

信号そのものは、サンクチュアリを思い起こすものなんだけど。

嫌な電流の味が忘れられないんだね。

それを、フォールスメモリーと呼ぶ、というわけだ。

なので、今度は、妻のことなんだけど、4年2組の教室が。

フォールスメモリーによって覆われ、サンクチュアリにもなりえた教室が。

恐怖の教室になってしまっている、それは、今でも、そうなんだ。

ということだ。

これは、いろんな方がいろんな言い方で話すことと、共通で。

父親からの暴力であったり、母親からの言葉によるネグレクトであったり。

実は、そんなドラマチックでなくても、数限りなくあるわけで。

そもそも、社会で生きていくには頑張らなければいけません、なんていう。

幼少期から数えきれないくらいに聞かされたセリフ、なんてのも、そうで。

そこで、自由で、才能に溢れ、無限大にパワーを持っている人間が。

とても矮小な、限界づけられた生き物に変容させられちゃう、というね。

フォールスメモリーです。

そんなわけで、彼女が、その物語から自由になるのは、どうしたらいいのでしょうか?

って、テーマがね、この番組の中に隠されているかも、で。

乞うご期待、ってことでもあるんだけど。

実は、彼女が、僕と出会った、ってのも、そんなテーマを持っていたから、なのかも、で。

自分の中の強固な物語から這い出すには、およそ、自分とは異質な、異物といってもいいけど。

ありえない、信じられない、「なんで?だってこうでしょ」的なセットの発想が機縁となって。

ということなんだろうね。

かくいうわたしめも、たぶんそうで、会社経営して、潰れそうになって。

何年か、暗いお正月を過ごし、なんていうことも、その機縁となるわけで。

そうそう、「なんで?だってこうでしょ」というセットってのは。

この間、コジマさんで電子レンジを買った時ね。

タバコを吸いに外へ出ると、そこで、若い夫婦が、喧嘩をしていたわけだ。

ご主人に向かって、奥さんが、なんで、そんな衝動買いをするのよ。

だって、我が家はこれこれこうでしょ、って具合のね。

面白がっちゃいけないけど、このセットのフレーズね、いいだろう?!

ダメよ、ダメダメ、みたいな、ね。

なんであなたはいつもいつも、そうなのよ、だって、それじゃ、これこれこういうわけで。

こまるでしょ、というセット販売みたいなもので。

ちょうど、その前に、ヤフーの芸人さんのビンゴから始まるセット販売があったので。

72800円が2800円で買えます、というね。

ま、そんなわけで、「なんで?だってこうでしょ」なんだけどね。

話は、それにそれ、どこへいくんだったか。

まさに、死んだら心はどこへいくんでしょう、というテーマにふさわしい、終わり方です。

 

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ひさびさにご近所の偉人にお会いした

2015年03月25日 | Weblog

毎朝、5キロ四方くらいの範囲かな。

ゴミ拾いをしている御仁がいらっしゃってね。

ってのは、以前、ご紹介したけど。

今朝は、その方に、事務所から2キロくらい手前の信号で遭遇。

もうね、笑いながらご挨拶をした次第で。

ゴミ袋を2つ持って、ゴミを拾い歩くんだね。

この方、お一人で、相当のゴミが取れる。

って、収穫祭みたいだけどね。

世の中、掛け声をかける方は大勢いらっしゃっても、実践となると。

なかなか、手強くて。

あの御仁を見ていると、修行というかね。

昔、腰を悪くして、お医者さんから運動をしなさい、といわれたのが機縁で。

それ以来というから、何年になるのか、おかげさまで、街は綺麗なのです。

ご挨拶を交わしただけで、今日という一日は、とても素敵なものになって。

たったひとりの積み重ね、とでも言えますか、それがこれだけの結果を。

招来し。

というね、一燈照隅だっけ、そんな感じだよね。

一つの光が隅を照らす、というね。

ところで、夕べ、「死ぬとき心はどうなるの?」というNHKの番組、見ちゃいました。

なんせ、わが母親に、人は死なない、という東大医学部の矢作さんという方の本をね。

どう?ッて感じで、手渡してあって、興味深そうに読んでもいて。

そう、そこのところが、もし、腑に落ちたら、そりゃ、生きていることが。

より、楽しくなるんだろうから、という次第だったんだけど。

そんな中での、妻からの、今晩、こんな番組、あるみたいよ、ということでね。

立花隆、ロッキードで田中角栄を総理の座から引きずり下ろした、お先棒担ぎ。

とでもいいましょうか、知というものを、心底、信奉している。

知の巨人、みたいな言い方がお好きなような、そんな彼が。

知を超えたところを、アメリカの脳科学者だのの博士連中に取材する。

という式で。

自分は74歳で、ぼちぼちお迎えが来てもいいくらいの年齢で、というコメントから。

番組が始まったわけだ。

幽体離脱とか臨死体験とかね、そんな言葉が飛び交い、そんな報告の現場にも立ち会い。

あと何回か、番組は続く、みたいだけどね。

当方、毎朝毎晩の瞑想で、言葉を超えた世界、ってのを、体感していると。

臨死体験者の語る話も、ご近所さんと交わす、暖かくなりましたね、とか。

明るくなるのが早いから、お掃除もこの時間からできるんですよ、なんて話と。

そう、変わることもなく受け取れてね。

そりゃ、ありなんだろうね、というわけです。

そもそも、科学、という言葉で、ある種の信仰を吐露しているわけで。

根拠のないものは、データのないものは、もっと言えば、俺が、お前が確認取れないものは。

存在しません、という盲信というか、確信というか、思い込みというか。

そんな具合で。

傲慢かましてよかですか、だっけ、小林よしのり風な、頑なな世界だよね。

って、うなづきを求められても困るかも、だけど。

この初夏には、訪れるかも、という「遠野物語」の発祥地、その語り部に。

何週間前にお話をお聞きし、その原本、というのか、佐々木喜撰という地元の方からの。

聞き書きをまとめた、あるいは、文学的な意匠をほどこした、という柳田国男なんだけど。

民俗学の巨匠をつかまえていうのもなんだけど、あの物語、相当、換骨奪胎だれているのかも。

なんて、たいして読んでもないのに、ふと、思いが浮かんで。

その実、かの柳田先生は、上記、臨死体験じゃないけれど、そちらの世界を。

若いころ、体験もされている方で。

なので、そんなことも混じえて、物語を書いてもよかったんだろうけど。

って、もしかしたら、書かれてあるかも、だけど。

なにせ、学として成り立たせるためには、証拠を、データを、俺にわかるように示せ、的な。

アカデミズムってのが、あるんで、そのあたり、難しかったかも。

そんなこと言ったって、俺が、そう感じるんだ、とか、そうなふうに夢で見たんだ。

なんてのは、昨夜のアメリカの科学者の前では、受け入れられないからね。

脳がすべてを認識するんです、という信仰の世界から言わせると。

もっとも、宇宙の98%が、ダークマターとか言われ、まったくわかりません。

という空間なんでしょ、今の科学でわかっているのは、全体の2%だ、と。

人間の脳だって、そのくらいの比率だよね、実際に使われているの、って。

3%くらい、アインシュタインで、10%、使っているかな、くらいの。

それにしても、本日も晴天なり、で、もう少しで、うぐいすが鳴きだすかな。

 

 

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超絶パワフルおじさんと東京へ

2015年03月24日 | Weblog

昨日は、そういうわけで、東京へ行ってきたのだけど。

その顛末はともかく、夜は、例の、ワインを飲んで。

今朝の起床は、だいぶ遅れて。

これこのとおり。

って書いても、わからないでしょうけど。

いつもは、だいたい、ブログアップに、30~40分くらいでね。

この時間では、すでに、新聞読み、に入っているんだけど。

さらに、今朝は、瞑想もできず。

ある意味、通常の生活、ともいえて。

と書いてきて、PCの突然の不調で、これ以降の文章が消えてしまい。

さすがに、朝から、これ以上書くというエネルギーが残っていないので。

本日は、このへんで失礼します。

 

 

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コジマにはアップルおじさんが健在だった

2015年03月23日 | Weblog

昨日は、次男坊の誕生日プレゼントを買いに、コジマへ。

お彼岸のお墓参りを済ませたあとね。

菩提寺では、中学の同級生、二人の女子に会い。

もう孫もいるんだろうな、落ち着いたものだ。

そう、コジマに入って行くと、Yahoo!なんとかのキャンペーンで。

サンドイッチマンと同じ事務所所属、という芸人さんが、ビンゴ大会やっていて。

妻と二人で参加。

ビンゴは当たらなかったけど、本日は、iPad miniとゲーム機、それに、あとなんだったかな。

総額72800円が、2800円でご提供できます、っていうね、セット販売で。

ちょうど、妻がiPadほしい、くらいの話をしていたんで、のっちゃってね。

で、いろいろ、説明カウンターで聞いていると。

早い話が、ルーターを月額5700円で契約いただくと、これとこれ、付きます。

ってことでね。

ちゃんちゃん、というわけで、せっかく、説明してくれたのに、ごめんね。

と、さて、電子レンジを、となったんだけどね。

いろいろとご苦労されているのです。

電子レンジは、10段階あるとしたら、2くらいかな、安い方から数えてね。

それだったんだけど、10点満点、なんてのは、いろんなお料理がこれひとつで。

なんてウタイでね、眺めながら、なんというか、遠い気持ち、とでもいうのか。

料理の種類が溢れかえっていて、ほとんど、和ではなく、洋物、というのか。

腸内フローラ、腸内細菌的にいうと、どうなの?くらいの感覚、というか。

明治は遠くなりにけり、というか、唐突ですが、ワインの流行はどうよ?!的な。

もっとも、お料理が好きな方には、使い方によっては、さまざまな知恵、工夫が湧いてくるんだろうな。

ところで、昨日の日経の書評欄に、「皇后考」という本が紹介されていてね。

大正の末に、神功皇后は実在しません、ということを、政府が決定したそうで。

政府が、ってところが、面白いんだけど。

大正天皇は若くご崩御され、大正皇后が、天皇空位の時代を、皇太后ということで。

さまざま、権勢をふるったそうで。

アマテラスさんを信仰し、一方、昭和皇后さんは、キリスト教に傾倒し、ということらしく。

そんなところにも、欧米列強とのせめぎあい、宗教戦争とでも言っちゃいましょうか。

あったのかな、と。

そう、大河ドラマでも、いよいよ、来週は、井伊直弼・高橋英樹が登場し。

安政の大獄へ突き進む、ということだね。

高橋・井伊直弼と伊勢谷・松陰という取り合わせが、これまた、意味深でね。

大正から昭和にかけても、アマテラスとキリストの戦いがあったんだから、根深く。

執拗に、西欧列強の、つまり、金融マフィアを棟梁としたね、あの手この手の。

コジマさんでのセット販売みたいな、知恵の出し合いってのが、あって。

ところで、井上真央のこころざしと久坂玄瑞のこころざしが、どこでどう交わり。

どう離れ、みたいな話も興味深いけど。

朝晩、あなたの無事、健闘を祈ります、というこころざし、ってのは。

たしかに、良妻賢母的なんだけど、実際は、どうだったんだろうね、って。

時代の影響はあるから、それはそれかな。

そうそう、アップルおじさんとね、ひさびさにお会いして。

この間、アップルケアの対応にいたく感激し、ということ、このことをお伝えしたくて。

あなたに会いたかったのです、というメッセージを残して帰ってきた次第で。

あのおじさんのアップル愛を感じていると、こちらも、うれしくなっちゃうんだよね。

すかさず、わがホームページデザイナーにして最近では専門学校の講師、という御仁に。

メッセージを。

かくかくしかじか、というわけです。

さて、今日は、これから、ステアなんとかという、階段を電動であがる、という機械の見学です。

これ、うまく使えば、面白いとおもうだんだけどね。

果たして、どうなりますやら。

 

 

 

 

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NHKがいい番組をつくってくれた

2015年03月22日 | Weblog

紅白歌合戦の始まり、というのか。

第一回目の紅白、厳密に言うと、紅白なんとか試合、だったかな。

合戦という言葉は、バトルと訳され、GHQの検閲にひっかかり。

名称を変えさせられた、というんだけどね。

ほんの少し前まで、鬼畜米英と言いながら、戦いをやっていて。

しかも、負けちゃったわけで。

そのアメちゃんが、劣等国を教え導く、という上から目線で、検閲するんだからね。

そりゃ、日本国民とくくった人々からしたら、頭に来ることも、多かったんだろうし。

それにも増して、戦禍の記憶、というより、リアルな体感が、残っている中、例えば。

並木路子の「りんごの歌」を歌うときの、ある覚悟の表情なんてのは。

なんとも言えなくてね、涙出てきちゃったしね。

そもそも、RADIO TOKYOなんて看板のかかっているビルの上の階に、GHQのなんとか本部があるんで。

クーデターを起こすと、革命政権は、メディアを占拠し、という、まんま、ベタな光景で。

国体が、いじり倒された、ということで、現在に至る様は、そりゃ、仕方ないかもね。

この間なくなった、岡崎久彦さんだったか、もと外務官僚さんね。

とにかく、アメリカの言うことを聞いていれば間違いない、とテレビ番組でおっしゃっていたけど。

外務省の芸風、というか、それほど、国体をいじり倒される、ってことの威力が、半端じゃない。

ということなんだろうね。

権力という言葉でいえば、幾分か、ゆるく聞こえもするけど、そりゃ、凄まじい物があったんだろうし。

なにせ、この間までの、自分の国の指導者が、絞首刑になるんだからね。

しかも、似たような行為でも、ある一群は、免罪になり、のちの首相にまでなったり、というね。

並木路子でいえば、東京空襲でおかあさんをなくし、おとうさんは、戦地から未だ帰らず、と。

星のながれに身を占って、なんて歌ね、街角に立つ娼婦の歌だけど、ありゃ、日本国民の歌だったんだろうね。

その後に続く、どこをねぐらの今日の宿。

荒むこころでいるんじゃないが、泣けて涙も枯れはてた、と。

こんな女に誰がした、って歌だけど、あの番組のあと、この詩を見るとね。

ある国の権力が解体されるときってのは、例えば、イラクで、スンニ派とシーア派、さらには、クルド人。

と、さまざまな勢力が、活性化され、混乱の極みになる、という例がわかりやすいし。

リビアでも、カダフィが殺されたあとのありさま、だよね。

それは、わが日の本でも同じで、左旋回したり、右旋回したり、あるいは、律令時代からの官僚制度だったり。

そんなことまで連想させる、紅白歌合戦をめぐるドラマだったな。

最後のシーンで、紅白どちらが勝ったのか、さて、発表です、の時。

松山ケンイチが、集計用紙を破り捨て、司会者にふる。

すると、司会者は、どちらが勝ったかは、視聴者のみなさんがお決めください、とアドリブで。

あれはなかなか、考えさせられたオチだった。

フィクションなのか、事実なのかは、わからないけどね。

この物語は事実に基づいたフィクションです、って、キャプションが流れたし。

それにしても、いい番組だった。

ネット雀は、それこそ、右旋回したり、左旋回したり、あるいは、時の政権の影響も受け。

という中、作り手の思いが伝わるものだったな。

 

 

 

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