まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

坂本龍馬のご先祖方

2014年05月31日 | Weblog
夕べ、BS1で、長宗我部元親という戦国武将についてやっていてね。

ちょうそかべもとちか、ですね。

龍馬のふるさと、土佐を制覇するわけだけど。

その後、関ヶ原の戦いのあとあたりなのか、結局。

山内一豊というね、たしか、女房がえらかった、というような逸話の残っている武将に。

国を奪われたんだよね。

なので、龍馬たち、下士という身分に落とされて。

つまり、占領軍が上士で、今まで占領していた、というか、統治していた人たちは。

郷士だったか、名前忘れたけど、道を歩くのも、上士の前では遠慮して、みたいなね。

奴隷まではいかなかったんだろうけど。

ま、そんな長宗我部家ですが、わが家は、中国を統一した秦氏の末裔だから。

という、なんていうんだろう、モチベイティブ・スイッチ、なんて言葉、あるかな。

たぶん、ないんだろうけど、気落ちしたり、弱気になったときには、そのことを思い。

というようなことだったらしい。

この家の何代目かの末裔の方が、現代に、本を書いてますね。

男のことを、いごっそう、女のことを、はちきん、と言うんだってね。

って、司馬遼太郎の「龍馬がゆく」でも出てきたけど。

厳しい自然環境の土佐という土地柄、一度言い出したらきかない、くらいの心持ちでないと。

そんな土地では、生き延びて来れなかった、みたいなナレーションがはいっていて。

その思考の流れでいくと、よく言われる、駿河の、ま、静岡の地は、温暖だから偉人がでませんね。

みたいな流れになっていくわけだ。

良港、清水湊はあるし、作物は、そう苦労せずにできたんだろうし。

羽衣の松伝説が残っているくらい、天女さえおりたちたくなるくらいの風光明媚で。

三河の田舎侍の、例の、家康さんが、久能に祀られたい、というのも、むべなるかな、ですね。

なんて、お国自慢をしても仕方ないけれど。

この地には、出雲族も多勢いらっしゃる、という話もあるので。

ある時代には、おいしそうな土地を探して、へめぐった、ということもあったんだろうな。

さて、5月最後の日、みそかですね。

わが社も、今日で、今期がおわり、明日から、新しい期がはじまるわけです。

って、たんなる通過点にすぎないんだけど、どうもね、法治国家に住んでいることになっているので。

決算はいつ?みたいな思考回路ができあがっていてね。

そうそう、長宗我部さんね、秦氏という、その末裔さんだから、あの時代では、最新鋭の技術や医術を治めていたんだろうから。

人に先んじる、ということができたんだろうし。

そんな成功譚を聴くともなく聴いている、ので、今で言えば、学校へ通いながら、塾へ通う。

という実に奇妙な習俗が、ごく当たり前の顔をして、闊歩しているわけで。

ま、そのおかげで、バイト代やらなにやら、稼いでいる方々もおおぜいいらっしゃるので。

それはそれで、そうなのでしょう、ということだけどね。

そういえば、ぼくも若い頃、家庭教師、やっていたっけ。

5000円だか、3000円だか、忘れたけど、お金いただくとき、うれしかったのを思い出すよ。

なんてことを、つらつらと思い出しながら、本日のブログ、終了です。

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5時から男

2014年05月30日 | Weblog
以前、高田純次のコマーシャルで流行ったよね。

5時から男はグロンサン、とか言うんだったか。

あちらは、夜の、こちらの5時は、朝の、ですが。

今朝、出がけに妻とね、武田教授の話をしていて。

彼、福島の原発が爆発して以来、1ミリシーベルト男、って呼ばれてたでしょ。

その伝で、こちらは5時から男だ、というわけだ。

ま、当方、世のため人のため、になる、科学者ではないけれど。

せいぜい、瞑想のために、ということだけど。

昨日のブログで、ほんものの科学者の、こどものような心について、書いて。

で、帰宅後、録画してあった、去年の番組かな、加島祥三さんの。

「Alone, not lonely」、ひとりだけど孤独じゃない、とか言うんだったか。

そんな番組をみてね。

信州の駒ヶ根市に独り住まいで、今では、東京では一週間も暮らせなくなっちゃったな。

と、在日二世の、姜さんね、東大教授だったか。

彼と話していたけどね。

その加島さん、念のために書いときますけど、タオね、老子ですね。

について、本を出してますね。

求めない、だったか、書名は忘れましたが、何冊か、わが家の本棚にはある。

彼が、「はじめの自分」という言い方をしていてね。

それは、幼き頃の自分、自由だった自分、というような意味でね。

僕で言えば、LINEのプロフィールに使っている、5歳前の写真みたいな。

邪気のない、純真無垢な、まんまの、とでも言えばいいのか。

そんな自分をめざし、伊那谷で暮らしているわけだ。

愚かをめざす修行僧、ともいえるね。

姜さんは、ご子息が、自ら命を断たれていて。

そりゃ、筆舌に尽くしがたいものがあったんだろうな。

在日の二世というだけで、帰属する山河というものが、アプリオリには設定できず。

頭を使って、というね、愚かさの対極にある場所を作らざるを得ない、というね。

そんなことも思い合わせながら、遠く、古代を眺めると、例の、藤原氏ですが。

かの氏族も、もともとの鎌足だっけ、渡来系じゃないの、という説もありね。

彼らの手法は、アイデンティティを自ら作る、みたいなノリでね。

この列島に、強大な、自らの氏族の仕組みを構築することで。

自分のIDの不在を克服し、みたいな解釈もなりたつかも、というわけです。

さて、5時から男としては、今日は、残りの個人ミーティングをこなし。

未だ来らぬ、ハーブの芽を眺めながらの一日で。

そうだ、忘れてた。

没頭、という言葉がおもしろそうで。

なにかに没頭する、ってのは、なかなか、いい境涯で、ということは。

頭を没にする、わけで、やっぱり。

頭は、使わない方が、幸せになれる、ってことだな。

ということを、書いておきたいな、と思ったのでした。

頭だって、立派な人間のからだの一部なんで、使わない、ということで、また、過剰に頭を使っちゃうのはね。

これはこれで、不自然なんで。

早い話が、70兆個の細胞が、生き生きとその気になる、という場というか、雰囲気というかね。

そんなことです。

それでは、みなさま、本日も没頭してくださいませ。



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ビッグニュースがあったね

2014年05月29日 | Weblog
昨日は、会合が、夕方から夜にかけて、ふたつあり。

その場で、お二人から、表題のね。

言葉が発せられ。

そう、大和と出雲の婚姻、ね。

お二人とも、歴史好きな方で。

一方は、今、古代史を執筆中、という方で。

お会いするたびに、できあがりましたか、というのが、時候の挨拶みたいになっちゃっているけどね。

それが、なかなか、と。

来月、それこそ、吉野と飛鳥、それに大神神社への旅が企画されていて。

まんま、大和ですが、昨年は、出雲への旅だったので。

今回の「納采の儀」に先立ち、われわれは、お先棒かつぎ、とでももうしましょうか。

神武天皇の先遣隊、八咫のからす、であったり、猿田彦命であったり。

そんなお役をしているようなものでね。

 過去を遠くまで振り返ることができれば、
 
 未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう

というね、チャーチルの言葉ですが。

そんな感じで、歴史の旅は、たぶん、これからも、続いていくのです。

ところで、今朝、車中で、例の、武田教授の音声ブログを聴いていたら。

肥満は頭で食べるから、と言っていて。

哺乳動物に、肥満はない、ということで、なぜ、人間が太るのか、疑問に思った。

というんだね。

からだには、各部が、それぞれ、自分の必要分量だけ、摂取する仕組みができているんだけど。

その仕組みを、人間の脳が、好きなようにコントロールしちゃう、というんだね。

たしかに。

それと、からだは、噛んだ回数で、なんとかという物質をだし、満腹感がみたされ。

なので、いかな高い栄養素でも、飲み込んだのでは、まだまだもっともっと、の世界に入り込み。

というわけだ。

彼に限らず、科学者というか、学者という方々は、いろんな疑問に対して。

まんま、子どもみたいな探究心でね、楽しいだろうね。

さて、お寺の鐘がなったので、ブログ、終了しますか。
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大和と出雲の婚姻

2014年05月28日 | Weblog
ちょっと、今朝の表題は時代がかっているけれど。

高円宮さまのお嬢様と出雲のね。

千家さんの息子さんが結婚されるということで。

昨日の夕刊あたりから、大きな記事になっているけれど。

千家さんといえば、彼のおじいさまになるのか。

尊敬さんだったか、「出雲大社」という本を持ってまして。

彼の地では、いずもこくそう(出雲国造)の末裔ということになり。

あめのほひのみこと(天穂日命)が御祖先ということになるね。

恩讐を超えて、という解釈も成り立ち。

出雲大社の御朱印をいただいたときの袋に。

上、とかいてあって、美智子妃殿下の御歌があったのを思い出した。

 国譲り 祀られましし 大神の

  奇しき御業(みわざ)を 偲びて止まず

お上手でしょ。

この、出雲国造の千家さんね、ほとんど、天皇家と同じような神事をされていて。

奈良の、三輪山付近では、天皇家よりこちらのほうが古い。

つまり、大神神社に祀られる大国主命のほうが、ということを。

未だにおっしゃる古老がいらっしゃる、と誰だったか、書いていたけどね。

この日本列島に去来した民、ま、その末裔でもあるのが、わたくしめでもありますが。

途方もない時間のなかで、さまざまなことを体験、経験してきたわけだ。

昨日の、このあいだ、御朱印をいただいたコンピュータおじさんのブログの末尾の文章がすてきでね。

ちょっと、ご紹介しますね。

 「もしかしたら現実は我々の想像をはるかに超えてダイナミックなのかも知れません。

彼、穂高神社へ参拝してきたそうで、信州の山の中に、海人族が祀られている妙から。

そんな言葉になったようで。

想像を絶する、というね、そこに、ひょっとしたら。

人間の存在の仕方の秘密が眠っているかもしれず、それこそ、想像するとわくわくですからね。

それにしても、日本のみならず、世界的にもイライラ感をたたえた人々のニュースがとびかうなか。

大和と出雲の婚姻は、実は、とても大きなものかもしれずね。

谷川健一さんは、目と耳の結婚、という言い方をしていてね。

歴代の天皇名、なんとか天皇というんじゃなく、なんていうの、神武天皇だったら。

かむやまといわれひこのみこと、とか言うでしょ。

その名前のなかに、目が入っている方と耳が入ってる方がいらっしゃって。

名前は、ある意味、文化の体現なんで。

明らかに、異族同士の婚姻、ということをね、称えていて。

早い話が、婚姻をつうじて、異なる種族が、お互い同化、というか、馴化というか、仲良くなっていく。

というね。

今回の発表を眺めながら、そんなことを、つらつらと思ってもいて。

さて、今日は、なかなかに、スケジュールが詰まっている一日で。

ブログはこのあたりで、終了にしときます。







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小さな花がそこかしこに

2014年05月27日 | Weblog
この間の山野草の展示会以来、小さな花にね。

自然と目が向くようで。

この世界には、名もない花が、って、僕が知らないだけなんだけど。

たくさんあるわけだ。

天皇陛下が、雑草という草はない、みんな名前を持っている。

というようなことを、おっしゃったそうだけど。

まさしくそうで、名前というか、それぞれの命、あるいは、個性、オリジナリティ、とでも言えるのか。

驚くばかりですね。

どうしても、有名人にね、百万本のバラの花、だとか、野に咲く百合の花、だとか。

メジャーなものに目が行きがちだけど、女性たちは。

社会的な有用性とは別のところで、審美眼があって。

それは、おじおば会での道中、いつも、感心するところなんでね。

僕は今、女性たちをひそかに、リスペクトしなおしているのです。

って、そりゃ、昔からだろ、とツッコミをいれられそうだけど。

何日か前にも書いたけど、異という接頭語というのか、巻頭詞とでもいえばいいのか。

異なるものとの出会いは、そりゃ、楽しいもので。

そう言う意味では、離婚が増えている、という夫婦間のことも、ありゃ、異の最たるもので。

簡単に離婚しちゃうのは、もったいない、というものでね。

芸術は爆発だ!と岡本かの子の息子さんは、言ったそうだけど。

まさに、そんなもので、夫婦間の、異なるものとの出会いは、まさに、爆発だ!

というくらいのもので。

げいじつ家になれる、チャンスがね、あるわけです。

これ以上書くと、抹香臭くなりそうだけどね。

ヨーロッパでは、極右政党が大量に票を伸ばしたらしく。

フランス人のためのフランス人による、みたいな、サッカーの観客席で言えば。

即刻退場、なんて具合のスローガンを、ちょっと、美人な方が、叫んでいたけど。

最近、この世的には、排外主義というイデオロギーというか、考え方、というか。

メンタリティというか、そんな気分が蔓延している感があるよね。

イラついているんだね。

職の奪い合い、というのかね。

IT化がすすみ、管理手法がとぎすまされてくると、そりゃ、人々は。

羊の群れの一匹にならざるをえず。

ネクタイをしめた羊飼いやら、あるいは、奥の方で采配を振るう、イデオロギーの権化。

みたいな人たちの意のままにあやつられ、みたいな解釈もありはありで。

と言った社会になりつつあるのかもしれず。

というので、逆に言えば、人間に徹底的にスポットをあてた、関係の持ち方がね。

とても、すてきなことになるわけだ。

なんてことを、昨日は、朝からの個人ミーティングの場で。

つきあいがどうだろう、40年近くになるのか、その御仁に自説を開陳し。

なんてこともあったのでした。

さて、わがハーブは、ルッコーラの二つだけが芽がでているだけで。

未だ見ぬそれ以外の芽を、毎日、眺めているのですが。

どうやら、ハーブってのは、イタリアの痩せた土地が故郷なんで、とネットには書いてあったから。

土が、栄養ありすぎなのかも、なんて思っているところです。

よかれかし、という、過剰な愛、つまり、愛情をかけすぎたのかもしれず。

ちょっと、沈思黙考をしているところなんだけどね。

って、知識がないだけ、とも言えるけど。

ま、そんなわけで、本日は、一日中、なんやかやの講習会で、拘束ちう!

という身なのです。


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ハーブの芽が出た

2014年05月26日 | Weblog
といっても、ルッコーラというやつが一つで。

小さな葉っぱが、ふたつ、です。

こんな具合に、芽が出てくるのか、どうか。

なにせ、発芽率が30%から70%だったかな、と書いてあったからね。

そうそう、昨日は、ブログ、お休みしちゃって。

どうも、ここのところ、お酒を飲み過ぎてしまうのか、翌日に残るんだね。

なので、これからはお酒はやめる、と妻に言ったら、笑われたけれど。

そんな気分でした。

こちらのお寺の鐘もなっているな。

開け放った窓では、風鈴が、と。

車の走る音も忙しそうになってきて、生活の音がしてきた。

土日と、母親の山野草の展示会があり、朝夕の送り迎え、っていうイベントがあって。

3点、自信作を展示し、10点ほど、展示即売用のお花に、値付けをして。

どうやら、それは全部売れたようで。

この値付けが楽しいそうで、いくらにするか、これくらいだと、高すぎるか、みたいなね。

それが、ね。

山野草の会のリーダーの方が、展示会終了後、ぼくのところへ、これが売上で。

と、渡してくださって。

お金のことだから、わからなくなっちゃうと困るから、ということで。

ま、そんな土日が終わり。

なでしこ、ですね。

アジアカップをとった、わけだ。

12時すぎまで、見ちゃったからね、午前様、ってわけだ。

ところで、飲み過ぎたわけは、別荘独身男が帰ってきていて。

なんだけど、来月、大和歴史の旅と銘打って、飛鳥と吉野へ行く。

古事記のレクチャーをしていただいたりしてね、ということが、彼にとっては。

垂涎の的らしく、最近、老眼なのか、本を読んでも、かすんで疲れちゃうんで、とね。

本も読めない、というから、かくかくしかじか、と眼内レンズのことを教え。

どうやら、手術をする気になったようだけどね。

医学の進歩には、用心深く素直に、従っておいた方がいいよ、と。

実際のところ、依存してしまうのは、やばいけど。

冷静にね、感じて、これはいいな、と思えば、すればいいんで。

そう、韓国の整形天国が、かなりやばい、みたいなノリの番組があったけど。

外見がすべて、なんて言い放つ親御さんもいたりして、というか、そういうコメントを。

その番組が選択した、と言った方がいいけれど。

外形の改変は、見えやすいけど、さまざまな整形ってのが、人類がやっているわけで。

長寿世界一なんてのも、ある種の整形ともいえてね。

そういえば、以前、胸に塗りつけると、心臓マヒをおこす薬が、アメリカ軍だか、CIAだか。

使われている、なんて話が、まことしやかに伝わってきたりしたし。

整形とか加工とか改良とかってのは、さまざま、あるんだろうね。

それが人類の幸せのためなら、よし、不幸せのためなら、あし、みたいだけど。

よしあし、だって、実のところ、よくわからないところもあって。

ノーベルだって、キュリー夫人だって、まさか、戦争やら原子力発電で、多勢の方が。

凄まじい被害にあうとは思わなかったんだろうからね。

なんてことで、ルッコーラの芽が出た、報告でした。

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光を物質にかえる方法がみつかった

2014年05月24日 | Weblog
そうです。

といっても、理論だけだ、ということなんだけど。

レーザーを金の板にぶつけて、そこから発生する光子のビームを。

今度は、金のチューブのなかを、星の発光と熱放射場にして、そこへいれる。

と光から物質ができる、というわけだ。

って、そうなんですか、としか、言いようがないけれど。

人間は、もともと、光だ、なんて言い方もあるからね。

それを、実験で、証明してみせようという心持ちで。

どうだろう、何十年も研究してきたんだろうか。

世の中には、ほんと、さまざまな方々が、棲息してらっしゃる。

だから、おもしろいんだけどね。

ベランダに播いたハーブね、わが妻にいわせると、友達のきみくんのやっている。

アロマテラピーでつかうオイルと一緒らしく。

じゃ、そのうち、葉っぱから、いやしの香りが漂い流れ。

という次第になるかも、です。

昨日は、マリンビルというところで、母親が山野草の展示会に出品。

ということで、いくつかの花々を搬入、値付けをしたんだけど。

耳が遠く、記憶が心もとなくなっても、長年やってきた作業をしているときは。

一点集中で、そりゃ、たいしたもんだな。

付き添い風なぼくに、おたくのお母さんのつくった山野草は、よく売れるんだよ。

なんて声もかけられて。

また今日も、送り迎え、とあいなるけれど。

そうそう、昨日は、おばのところで、夏みかんをいただき。

というのも、おじおば会で、みずみずしい夏みかんがおいしくて、と。

それに応えてくれて、ご近所さんから、集めてくれたようで、有難いです。

その前には、このブログのコメンテーターのひとり、コンピュータおじさんから。

御朱印帳をいただき、初回の印はぜひご一緒に。

ということで、富士宮の富士山浅間神社へ。

ここの御朱印は、なかなか、お上手で、さすが、歴史のあるお宮さんで。

ということで、ぼくも御朱印仲間に。

今までは、おばたちの御朱印をながめていただけなんだけど。

お寺の鐘も鳴り終わり。

さて、今日も、明るく楽しく元気よく、といきましょうか。
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なにをふるか

2014年05月23日 | Weblog
ってのが、このブログの一番の課題で。

表題が決まると、あとはオートマチックにキーボードにふれた指がね。

動く、という算段で。

最初だけは、どうやら、あたまを使っているのかな、という感じですね。

昨日の新聞だったか、サッカーの日本代表のスタッフが紹介されていて。

和田さん、という方だったけれど。

データマン、とでもいうのかな、女子バレーでいえば、iPadへ送信するデータを収集し。

解析し、表示する、という作業をされている方のようでね。

年間、700試合を見る、というから、ある種の修行の領域です。

それらをもとに、映像、言葉、などなどでまとめ、DVDに落としたりして。

試合前や合宿時に、選手や監督、コーチに見せる、というんだね。

昔、ヒットラーが、オリンピックを利用して、国威発揚の、大宣伝、大キャンペーン映画を。

だれだったか、女性の監督に作らせたよね。

情報相は、ゲッペルス、だったな。

国民は、というか、学生や労働者は、すっかり、その気にさせられちゃったわけだ。

なかには、なにやってるんだろうね、あの、もと絵描きくずれのおっちゃんは。

なんて、酒場の影で話している、ひねくれ者もいたんだろうけど。

って、18だっけ、88だっけ、ハイルヒットラーに通じる、ってんで。

なんかの商品ロゴが、発売中止になったのか、なんか、そんな記事もあったけど。

それはそれとして、和田さんです。

結局、膨大なデータを集めて、大事なことは、捨てることだ、というんだね。

どうしても、あれもこれも、伝えたい、というのが、人情なんだけど。

捨てることで、本質が見えてくる、というわけだ。

断捨離、なんてのも、ひと頃、流行ったけどね。

序破急(じょはきゅう)、守破離(しゅはり)なんてのも、捨てることに、通ずるかも、ですが。

諦める、明らめる、ってのも、それに似ているかな。

なんでも、人情として、というか、不安、おびえの極致として。

貯蓄性向みたいなものが、人間には、あって。

おなかの肉のたるみをみれば、思考のあらわれとして、からだが物語ってもいるけれど。

削いでいくことで、ものごとのなりたちが、あきらかになる、そう言う行為を。

諦念、諦める、という言い方で、生き方の極意、なんてのは、昔から、偉人と呼ばれている方々が。

表現しているんだろうけど。

みそぎ、ってやつね、身を削ぐ、わけで、あれにも通じ。

というようなことを、彼は、日々、やっているわけだ。

今回のブラジルワールドカップでも、見えないところで活躍してくれるんだろうな。

社長とか親方とか、そんな役割をやっていると、この伝える、ってのが。

とても、大事なんだけど、なかなか、うまくいかない、ってのがね。

あって。

彼の話は、とても、刺激的だったのです。

この間の女子会、というか、ワインとお花の交流会でも、ライティングなんとかという女性や。

ウエッブデザイナーとかいう女性にお会いして。

こちらは、そんな観点から、とても、おもしろい会話ができたのですが。

と言いつつ、結局、なにも表現しない、というスタイルが。

一番強力な表現である、という地点がね、表現の極致なのかも、ですが。

ま、そんなことはともかく、本日は、金曜日。

雨上がりの陽光は、届くのでしょうか。

 渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう)
 
 軽塵(けいじん)をうるおす

 客舎青青(きゃくしゃせいせい)として

 柳色(りゅうしょく)新たなり

これも、新聞からのパクリですが、王維の七言絶句だそうで。

雨が洗った柳の柔らかな新芽が目にしみる、という意味らしい。

昔の、この巴川沿いの柳を想像しながら、ブログは終了、としますか。
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来客万来

2014年05月22日 | Weblog
という感じの、きのう、という日でしたが。

いいことを思いついて。

これから、さまざま、営業にやってくる方々に、当社のホームページをね。

お見せし、レクチャーをしようかな、と。

言葉は悪いけど、飛んで火に入る夏の虫、ってわけで。

そこは、互譲の精神で、日本のためにがんばりましょう。

くらいのウタイでね。

前日、女性交流会というウタイでのワインだったんだけど。

この、異性の交流というのは、異世代、だったり、異地域、だったり、なんでも。

あたまに異をつければなりたちもするんで。

自分のあたまにも、異とつけてみれば、昨日の、と、今日の、というだけで、異だけどね。

異種格闘技なんてのもあったけど、いろんな発見という意味では、おもしろいものなんだろう。

と思う。

だいたい、あたまやからだが、硬化してくると、異との遭遇を、おそれたり、おびえたり、さけたり。

ってのは、よく見かけるんで。

未知との遭遇、だったか、映画にもあるけど。

一見、社会の支配構造、というのか、ある枠組みのなかに、はめ込まれた、ジグソーパズルのような。

そんな時代には、特に、必要かも。

官僚、なんてことばで、それこそ、律令時代から連綿とつづく、なんて形容されるシステムが。

この国を蝕んでいる、なんて言い方があるけれど。

あれ、ま、人間の存在の仕方からすると、よんどころなき事情で、ってのも、言えて。

昨日ね、だれだったか、OSHOだったか、おもしろいこと、書いていて。

からだと思考(マインド)について、なんだけど。

からだの歴史は、何億年というのか、それに比べて、マインドは、まだまだ、経験不足で。

みたいなノリの言い方なんだけど。

下手な考え休むににたり、って言うしね。

これ、なるほどな、と思えて。

60兆個とも70兆個とも言う、からだのなかの細胞ね、それに加えて。

いまでは、汚いばい菌なんて忌み嫌われる、微細菌もね、腸内だけでも、70兆個。

さらに、からだの皮膚には、1センチ角に200万個、というね、微細菌が、というから。

これ足しただけでも、いくつになる?って感じで。

ひとつひとつに命があるわけで、彼ら彼女らが、それぞれに、それぞれの方向性を持っている。

としたらね、もう、途方もない話になっちゃうんだよね。

ってことごとを、朝っぱらから、このブログに書き付けている「わたし」ってのは。

一体全体、どこからやってきて、どこへ行くのか、なんてね。

哲学的な瞑想、というか、迷走の世界へはいっちゃいそうだけど。

それにしても、雨上がりの朝は、気持ちがいいね。

今朝は、菩提寺の鐘がなってからの出立とあいなったので、少し時間も遅れ。

ふだんとは、また、違った光景を、いろんな方が、演出してくれていて。

ところで、昨日、ハーブの種をまいたのでした。

これが、また、楽しみで、いつになったら芽がでるかな、って、さるカニ合戦だったか。

昔の童話に、なんか、そんな話があったよね。

早く芽を出せ、みたいな。

というわけで、5月22日の、わが長男坊の誕生の朝を迎えているのです。

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女子会はおもしろい

2014年05月21日 | Weblog
というわけで。

夕べは、女性主催のワインとお花の宴、ってやつに、出席。

そこの会場は、これまた、おもしろくてね。

貸し切り専用の、飲み屋さんともいえないけど。

結婚式の二次会やらが開かれることもあるようなお店で。

ワインってのは、友人にもソムリエ、って男がいたりして、聞きはするんだけど。

どうもね、あんまり、これはなんであれはこうで、みたいなことを、避けてきた節があって。

まったく、わかりません、と言っているんだけど。

夕べ、ソムリエにして酒類販売の女性のレクチャーを受けながら、あじわってみると。

それはそれで、楽しいのかも、という気にもなったりね。

なにせ、リミッターを外した身としては、なんらかの、思い込みやらこだわりからさえ。

自由の身なわけでね。

これ、好きじゃないから、って、あんまり、言いたくないしね。

なんて心持ちで、参加したんだけど。

ところで、この自由って言葉ね、室町時代くらいから、意味が変わったらしく。

それまでは、悪い意味で使われていたようで、自由放埒、とか、あとなんだったか。

今では、縛られていない状態、解放された、とか、そんな使い方だけど。

室町といえば、応仁の乱で。

京の古い方々は、先の大戦ではこの街も大変な目にあって、というときの。

いくさは、第二次大戦ではなく、応仁の乱のことを言う、という笑い話もあるんだけど。

たしかに、都が燃やされた、ということは、さまざまな習俗も、一気呵成に革新された。

という可能性も、ありかもね。

なにせ、壊されるはずのない権威が、灰燼に帰す、という体験は。

人々に、それこそ、リミッターがはずれた、という思いをわきおこし、ってのは、考えられるしね。

あれ、自由、ってのは、なんだか、いけないことのように、親からも教育されてきたけれど。

やってもいいじゃん、みたいなね。

さぞかし、古い方々は、苦虫をかみつぶしたような顔をしながらね、時節の更新をながめてもいて。

って、言うと、いまと、大差ないね。

逆ピラミッドの今では、そこはそれ、更新したくない、という人口が圧倒的に多いんだからさ。

そりゃ、若ものたちも、大変なわけだ。

というわけで、ワインを楽しんだ、祭りのあとの朝、ブログを書いているのです。

さて、雨の一日は、どんな佳き日になるのでありましょうか。



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