まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

2升の米

2005年07月25日 | Weblog
大分出身のたかちゃんの話。
60歳代、前半。

筆おろしの件。

青年団の先輩に、
米、2升、担いで来い、と言われ、親の目をぬすんで、もっていく。

はじめて、女性といたした。

ほんとは、1升でよかったらしいけれど、先輩の分も持たされた由。

その話を富山出身のSさんに言うと、鹿爪かおで、
1升か、300円くらいだったかな、と。

パンを五円とすると、60個買えますね、と。

のんびりとした話だな。


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暮らした家

2005年07月23日 | Weblog
暮らした家には大きな木がある、そうな。

暮らした、というのは、たぶん、裕福に・ゆとりをもって、あるいは人々の敬意と羨望をうけて暮らした、というような意味なのだと思う。

三井家であったり、住友家であったり。

御殿場の大地主の息子と会ったことがある。
自衛隊に土地を貸しているので、毎年、相当な、不労所得が入ってくる。

父親は常々、息子に言っている。
どんな遊びをしてもいいが、商売だけはするな、と。

蜜に群がる蜂のように、有象無象が、財源めがけてよってくることを避けるための、ひとつの方策ではある。

息子のみにもなってみろ、とは思うものの。

たしかに、
 売り家と唐様(からよう)で書く三代目 
なんていう川柳もありました。

わが身内にも、何代か前のだれそれさんが嫁に来るときには、隣村から、自分の地所を通って来た、とか、なんとかというおじいさんは放蕩者で、湯水のごとくに散財し、とかの話があり、子どもの頃から、よく聞かされたものでした。

一年に春夏秋冬があるように、人の人生にも、家にも、国にも、やっぱり、あるんでしょうね。
秋の終わり頃の家に生まれた人は、たまりませんが。

唐突ですが、織田信長だって、あの時代に生きたからこそ、天才だったんで、今だったら、わかりません、くらいの気持ちでいれればいいんだけれど。




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ナス紺

2005年07月22日 | Weblog
ナスの糠漬けがいい色になった。

千枚通しがなかったので、包丁で切れ目を入れた。
もちろん、鉄の、燕市でかってきたもので。

師匠に教わったものが、ひとつ、現実になると、うれしいものです。

観念遊び大好き人間が、手に触れるもので、ひとつ、確認がとれた。

ところで、手当て。

この間、お客さんに、疲れてるみたいだからやってやるよ、と飲み屋でやってみる。

上司の人は、うん?熱いな、しかし、気持ちいいな。
で、肩こり取れた、と。

その部下にも、調子に乗ってやると、おれ、男に触れられるのダメなんだ、だって。
逃げ回られた。

僕は、きみを性的な対象としているわけではないんですが。

僕の親しい友人の話。
奥さんにしてあげると仲良くなるよ、の、僕の言葉に、トライした由。

それって、トレーニングを受けた人でないと、相手から、受けちゃうのよ、だって。
体よく、ことわられた、と。

夫婦和合のツールを教えてあげたのに、残念。

もう一人の友人は、気をもらった、と言ってくれた。

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糠漬け師匠

2005年07月21日 | Weblog
ナスがいい色がでないので、お聞きする。

いつ質問がくるか、待ち構えていた状態。
よくぞ、聞いてくれた、と。

結論。
ナスを千枚通しで刺す、です。

それで、いいんだって。
夕べ、深夜帰宅につき、まだ、やってませんが。


Sさんとの会話。
生活で困ったことがあったら言ってきて、と。

共産党議員が子供の頃からの友達。

彼は、学生の頃から、党員として、一生いきていく、と決めたそうな。

イデオロギー・主義主張については、変えようと思うな!
それはそれとして、現実的には、彼は、資本主義の世の中で仕事をしている、という確たる信念がある。

弱者のために!がすべての基本。
サラ金問題などで、やくざにたいしても体を張る由。

Sさんに、あの議員なんとかして、と、やくざが、泣きついてくることもあるそうな。

やくざは信じられないらしい。
人のために、自分の利益がないのに、体を張る彼が。

しばらくぶりに、気持ちのいい話が聞けた。






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二つ池

2005年07月20日 | Weblog
大谷街道沿いにある小鹿公園にある池。

いま、蓮の白い花が咲いている。
どのくらいをもって満開というのかは知らないけれど。

 蓮は泥中より生まれ出て、しかもその泥にも染まらず、
 清浄で無垢な美しい華を咲かせるところから、正しい
 人間の生き方そのものを説く教えとして比喩されてい
 るものです。

と、あるブログには書いてある。
正しい人間の生き方って、言葉はかっこいいけど、わりとむずかしい。

それはともかく、その池へいっしょにいったおば。
65年前に、この近くに母親に連れられて、来たことがある、と。

静岡駅からバスに乗って。
たんぼばかりだった、と。

セピア色のイメージが頭の中に広がる。

その二つ池の東側に、伊勢神明社というお宮さんがある。
そこのくすのき。

樹齢千数百年。

生き急ぐこともなく、怠けることもなく、そこにいまも生きつづける樹。
予備知識もなく対面し、言葉をうしなう。

そして、清々しい気持ちになる。

すべてよし。




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シンクロ

2005年07月19日 | Weblog
手当て。

会社の事務員さんに不定期に手当てをする。
肩も重くて、頭もポワーっとしているらしい。

手当て、つまり、こちらの両手を彼女の肩の上に置くだけ。

5分もすると、シンクロしてくるように感じる。
頭のポワー感がこちらにも伝わってきた。

毎日、この感じ?
これって、けっこう辛いよね、と。

最近は、時間があれば、いろんな人に、ちょっとちょっと、と肩に手を置く。

医学的根拠はまったくわからず。

でも、手を置かれたほうも違和感があるんだろうけれど、こちらも、それこそ、みんな、人って、違うんだな、と実感する。

金子みすずの、みんなちがって みんないい、の世界。

生き急いでいる人が多いので、少し、時間をとめることが、どうも、気持ちが悪いらしい。



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里帰り

2005年07月18日 | 家族
8月5日に娘が帰ってくる。
都会にいる娘が。

それを聞きつけた長男も、それじゃ、帰ろう、と。

また、それを聞きつけた、甥っ子たちも、ふだん、なかなか、休みが一緒にならないのに、じゃ、俺たちも、と。妹も一緒に。

またまた、それを聞きつけたいとこも息子たちをつれて。

と、娘の里帰りを基点に、われもわれも、とふるさとへ集合。
こりぁ、楽しい。

普通、お盆に仏さんが帰ってくるから、と私も里へ帰ろう、となるわけだが、今回は、生き仏の娘つながりで、みんな帰ってくる。
これも、いいね。

電話もいいけれど、会うと、その人から発するエネルギーが、はっきりと伝わるからね。

人間は人間を浴びて人間になる、って、誰かが言ってたけれど、都会の人間を浴び続けている人々が、ふるさとの人間を浴びに帰ってくるって絵柄。

 ふるさとのやまにむかいていうことなし
 
 ふるさとのやまはありがたきかな

石川啄木もうたってますね。




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話があう

2005年07月17日 | 家族
お盆、妻の実家へお線香をあげにいく。

妻の乗っていたジムニーから、妻の兄貴と話す。

彼は、ランドクルーザーのジープ型のやつ。
見せたくてしょうがないから、と駐車場からわざわざ、持ってきてくれた。

この間、富士の五合目まで、仲間と行って、ついでに、頂上まで、行ってきた、上り3時間半、くだり2時間だったかな、というくらいの人だから、もともと、山大好き人間。

今までは、サッカーの話くらいしかできなかったが、山の話で盛り上がる。

またまた、師匠ができたよ、と兄貴に言った。
吉川英治か宮本武蔵ではないけれど、
心してみれば、人生みな、わが師なり、だったかな。

秋葉街道を飯田へ抜ける道と諏訪へぬける道がある。
山犬の段では、紅葉時期、お花見のように、みんな、茣蓙をひいてるよ。

春埜山へは、30年位前にいったな、その頃は地味なところだった、とか。

いままでなら、あくびをして聴いていた話が、実に、面白い。

不思議なものだ。

傍らで、奥さんが、クリアファイルに整理された、今まで行ったところの地図を見せてくれる。
道の駅っていうところで、こういう地図、もらえるからね、と。
それは、うん、こちとらも、知っている。

山大好き人間の兄貴が、最近は、よく、アウトレットへ行くんだ、と、たぶん、奥さんの趣味にも合わせながら、ランクルライフを満喫している姿が、伝わってきた。

アウトレットめぐりって、あっくんのトイザラスめぐりといっしょだな。
そういえば、僕の曾祖母は、四国八十八箇所めぐりをやったそうな。
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デジカメ談義

2005年07月16日 | 家族
おばたちと蓮を見に行く。

蓮華寺池公園と二つ池。

車中、デジカメ談義。
現像もいらないし、何枚でも、とりたいだけ撮れるし、整理がしやすいし、と。

でも、昭和一桁うまれのおばたちは、半ば、あきらめている。
携帯ももってないし、と。

パソコンなんて、やってみれば簡単だよ、といいながら、小学校のときの自転車のりを思い出した。

僕は、自転車が乗れるようになったのが友達より遅かったので、ずいぶん悔しい思いもしたし、なにより、自転車にスイスイのれる友達を見て、及びがたさを味わったものだ。

余談だが、我が家の一番下の息子が、いとも簡単に乗れるようになっていたのを見て、及びがたさを味わわずにすんだことをひそかに、喜んだものだ。

なんでもそうだけれど、及びがたさの中から、一歩、歩み始めることの恐れと快感。
それは、確かにある。

いまでも、同級生の一人が、おまえは泣き虫だったからな、という。
保育園に入園したてのころ。
やっぱりあった、及びがたさ。

どうして、みんな、あんなに仲良く話してるんだろうな、僕にはとてもできないだろうな、という及びがたさ。
そういえば、そのときの保母さんでもあったな、昭和一桁生まれのおばは。

いずれにしても、昭和一桁生まれのために、パソコン・デジカメのレスキュー隊をめざそう。
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よく噛んで食べる

2005年07月15日 | Weblog
「剣客商売」を読んで以来、よく噛んで食べている。

食事に時間がかかる。
しかし、胃の調子がいい。

効果・効能は、集中力。
仏教のお坊さんがよく言う、いまここ。

多分、の話だが、普段使っていない97%の脳への刺激も。

それから、最近、手当て、に凝っている。
それこそ、凝っている肩などに手を当てる。

むかし、祖母が、痛いところに手を当てなさい、と教えてくれたっけ。

みんな、手の温かさに驚く。
手の温かさ、つまり、人の温かさ。

本来、人は温かいもの。

たくさんの空虚な言葉より、手当てひとつ。

それって、気功?宗教?だって。
ことほどさように、当たり前にあったことが、当たり前でなくなっているのかもしれない。

昔、近くに「しんじんしゃ」といわれるおばあさんがいた。
イタコのようなことをやる人だったらしい。

あるとき、祖父が乗り移って言ったそうな。
たしか、母から聞いたな。

○○(僕の名前)は、よく噛んで食べないから、胃がわるいぞ、と。
そのおばあさんも祖父も、僕のことは知らないのに。

たしかに、歯が悪くて、胃も悪くて、でした。

あの日以来、何十年が経過して、いまになって、ありがとう、です。


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