まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

うらやましい

2010年03月31日 | Weblog
自称チャリンカー。

いや、ぼくが、勝手に名付けているだけなんだけどね。

その彼。

このブログを、愛読してくれている。

で、この間、うらやましい、と。

どうも、ぼくが、いろんなところへ行っているように、見えるんだね。

岐阜やら奈良やら、あとどこかな。

元来、彼のほうが、放浪癖、というのか、遠くへ行きたい願望が強い、ということで。

もっとも、ぼくのまわりには、旅行好き、移動好き、が大勢、いらっしゃる、ので。

そうとも、思えないんだけど。



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弾丸帰郷

2010年03月30日 | Weblog
ワールドカップを見に行こう!

みたいなツアーあるよね。

一泊四日、なんていうやつ。

わが娘の弾丸帰郷。

土曜日の夜、帰ってくる。

三人の友達と一緒に。

で、次の日、朝、6時半に出かける。

グランシップでの、なんかコンサートかな。

で、その夜、8時に帰宅。

8時40分の東京行きバスで、帰る。

土曜日は、僕の方は、埼玉と岡崎からの客人と、一杯呑んで。

午前様。

なので、ほとんど、娘とは会話してないんだけどね。

彼女たちのついた夜は、手巻きに黒はんぺんフライだったそうだ。

先週、妻のメモを見た。

何時に帰ってきて、その夕飯は、これこれで。

次の日は、4人前、おむすびを握って、これこれこうで。

娘からのリクエスト。

まるで、そのメモのなかに、娘が踊っているようだった。

おねぇが、人のあとついていってる姿、見たことない。

という、長男坊の台詞をおもいだす、娘の存在感でもあった。

ま、そんなこんなで、我が母親は、何日も前から、来るか来るか、と。

当日になれば、もう帰ってしまうんだね。

という、お決まりの台詞。

帰りがけ、娘の耳元で、内緒話。

お小遣いをあげるからね、くらいの内緒話なんだろうけど、みんな、友達にも聞こえてました、まる。

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土佐みづき

2010年03月29日 | Weblog


我が家の玄関をでてすぐ右側。

この黄色いお花。

土佐みづき、というそうで。

朝、出掛けに、ふと気になって、とりました。

夕方、母親に、樹の名前をきく。

そうそう、あれあれ、わかっているんだけど、出てこない。

それから、二昼夜。

朝、仏さんに、お線香を上げていると、母親が言う。

あれは、土佐みづきだ、と。

なんか、感動的でしょ。

二昼夜の間、彼女の無意識のなかを、さまざま、思いをめぐらせていたわけだ。

出ましたっ、です。

途中、隣のおじにきく。

家のまわりには、松竹梅と植えるから、あれは、梅だ、と。

これも、また、おもしろくてね。

さすが、男ぞ。

理屈で、現実を見るんですね。

理屈先行。

いずれにしても、一件落着とあいなりました。
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誰がなんと言おうと

2010年03月28日 | Weblog
この表題のあと。

嫌なものは嫌です、きっぱり、と続くのかな。

最近伺ったおもしろい話。

BY 糠漬け師匠のご主人です。

マレー人と華僑。

インドネシアの話だったかな。

マレー人は、のんびり屋で、どうせ、食えるんだから、競争もしないし、いろいろ、計画なんか、まっぴら。

華僑は、中国がルーツだから、キッチリ、マレー人とは真逆なんだって。

なので、一国内にいると、経済的にも、格差がついてきちゃう。

格差をなくそうと、国をあげて、いろいろ、手を打つのだけれど、一向に効果なく、格差は、さらに広がる。

という構造らしい。

これ、おもしろいね。

もうね、土性骨から、マレー人は、マレー人なんだね。

競争やら管理やら、それこそ、PDCA、例の計画→実践→検証→修正っていうサイクル、あんなの真っ平御免の世界だ。

大昔、薩摩隼人がそうだったんだってね。

お米作りの人々が、海の向こうから、入ってきたんだね。

隼人は、そんなことせず、狩りをしたり、木ノ実をとったり、生産性はないけど、けっこう、自由に、山や谷を、かけずりまわっていたんだろうね。

そこへ、武力をもった人々が、いきなりやってきて。

もうそんな暮らしは、やめなさい。

私たちのように、一つ場所に落ち着いて、田んぼを耕して、お米を作りなさい。

ほら、こんなに幸せでしょ。

って、隼人の言葉とは違う言葉で、言ったんだろうね。

そうは言っても、なかなか、その暮らしに馴染めず、そこから、逃亡してしまう人々も、多くいて、大和朝廷側は、苦労したらしい。

DNAに刻まれた、好き嫌い、というのか、生活習慣というのか、それを、変えていくのは、とても、骨の折れることなんだろう。

この平成の御世でも、そんなことが、あちらこちらで起こっていて、うつになったり、ヤクザになったり、ホームレスになったり。

歴史は繰り返すのです。



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勘違い

2010年03月27日 | Weblog
ある方のブログに。

 絶望の淵に及んで初めてこころの底から「神様、仏様!」と叫んで、確かに救われたという話を聞きます。
恐らくそのギリギリの心が、天がキャッチしたからに相違ないのでしょう。


って、書いてありました。

言葉尻をとらえて言うのも、なんですが。

ああ、勘違い、ということも言えるかもしれない。

と、気弱に、言ってみようかな。

天が、味方する、みたいな言い方をする方、ありますよね。

晴れ男、なんていう言い方、典型かな。

でもね。

むしろ、天は、だれの、敵にも見方にも、なりません、きっぱり。

と、言ってしまったほうが、すっきりするね。

でないと、たまに、わたしが、天の声です、みたいな霊能者が、あらわれたりすると、そのあとを、ついて行ってしまうからね。

霊能者にかぎらないけど。

それでなくても、いろんな事件の中に巻き込まれて、ほんとに、わたしだけが、不幸のズンドコで。

みたいな感情の流れ、って、ありがちだしね。

天は自ら助くる者を助く。

って、言葉、あったよね。

どちらかと言えば、これのほうが、気持がいいかな。

そうは言っても、この自らに固執しすぎるのも、なんだし。

とも言えてね。

ほんとに、言葉ってのは、やっかいなシロモノです。



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肩凝り

2010年03月26日 | Weblog
あの人は、凝り性だね。

と言う。

良くも悪くも、使う。

肩凝り。

この間、長男坊との会話で、上司が、そうらしい。

たまに、首を引っ張ってくれ、と言われる。

そりゃ、スキンシップができていいじゃない。

と、なんでもいい方に解釈するおやじは言う。

凝り性、というと、職人気質、って言葉が、浮かんでくる。

細かな違いもないがしろにできない。

おまえが納得しても、おれが納得できない、なんていう台詞、ありそうだね。

亡くなった、妻の叔父は、明日展示会、という晩に。

家具の塗りが、なっとくできなくて、ぶっ壊してしまった。

それが、何十年も語り継がれたりした。

そりゃ、すばらしい職人魂だ。

とも言えるし。

展示会の主催者は、どうなっちゃったんだろう、という心配もあったり。

そうか。

話は、肩凝りだった。

凝る、というのは、どこかに、こだわる、とも言える。

こだわる、って、拘わる、とも書いて。

拘束、と言う字にも、つながる。

肩を流れる、血液やリンパが、なにものかに拘束されている、というイメージだ。

脳や神経が、サッカーで言う、司令塔、ゲームメイカーだとしたら。

こだわりすぎたゲームは、その都度おこる事件に、対応できない。

流れが悪くなったら、流れをせきとめている流木や木の葉を、取り除くのが、一番なんだけどね。

そりゃ、おめぇ、おれが許さない。

というわけだ。

そんなゲームを、メイクしちゃうんだよね。

それ、好みの問題なので、仕方ないです。

でも、肩凝りは、治したいのです。


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目覚まし

2010年03月25日 | Weblog
今朝は、5時過ぎから、ホーホケキョと鳴いている。

目覚まし時計だ。

若いうぐいすが、ラブソングを、一生懸命、練習している。

やがて、つがいになるために。

そうして、うぐいすはうぐいすを、連綿と、つないでいくのだろう。

なんども書くけれど、ほほえましくてね。

いろんなことを連想させてくれて。





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空が広い

2010年03月24日 | Weblog
だそうです。

お彼岸に帰郷した長男坊の弁。

東京の空に比べると、広いんだと。

そうかもしれないね。

ニョキニョキとそびえ立つ高層ビルの谷間、というわけだからね。

深夜に帰ってきて、次の晩。

ぬる燗晩酌に付き合わせた。

今度は、9:1にならないように気を付けたんだけど。

けっこうしゃべっちゃったかな。

ま、息子には、大事なことは聴くこと、と言い続けたんだから。

むしろ、妻的に言うと、息子のほうが、聴き上手になっているわけだ。

と、自分のことは棚にあげて、親ばかチャンりんとなる。

息子には、今度、彼女もまじえて、夜を徹して話そうよ、とリクエストしておく。


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デミなう

2010年03月23日 | Weblog
これ、ツイッターで使うみたい。

いま、ここにいます、みたいなとき。

訳すと、いま、デミにいます、ということになる。

といっても、これ、ブログなので、いま、ではありませんからね。

ま、デミの実況中継(録画)、くらいかな。

長男、次男、妻と、4人でランチタイム。

なんやかやと話ながら、二時間弱だから、欧米並み?の昼食時間だね。

その前に、お墓参り行って、その時の二人の模様を、写メにて、娘へ。

羨ましそうな返信が、あとで、妻の元へ届く。

娘は今週末、友達と一緒に帰郷する。

絵に書いたような、ちいさな幸せ、というやつです。
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倉沢のあじ

2010年03月22日 | Weblog
倉沢のアジ、って、全国区なんですよね。

一度、わが畏友の油屋に、ごちそうになったことがある。

明石のタイを食べた時とおんなじ感覚だった。

身がしまっている上に、甘いんだよね。

今まで。

倉沢でとれたアジの事をいうのかとおもっていたんです。



こんな感じで。

で、勘違いしたまんま、何人かに、この生きのいいあじを、お届けした。

でも、よくよく聴いてみると、違うらしい。

倉沢の根についたアジのことを、倉沢のアジ、というらしい。

水産加工をやっている大将に訊いたら。

5tくらい、仕入れるらしいんだけど。

そのうちに、3~4匹くらいいるかな。

だって。

もうね、一目でわかるらしい。

太っていてね。

今度、それ、頼むよ、と懇願しておいた。

垂涎の、というのは、こんなとき使う言葉かな、と思った。

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