まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

釜山への朝

2024年05月30日 | Weblog

晴れ晴れ、って朝だ。

釜山。

何回目になるのか、何年か前にホームステイをさせてもらったお宅も、今はどうなっているのか。

ご夫婦はこちらにはもはやいないわけで。

歳月というものは嫌も応もなく過ぎ去るんだな。

なんて当たり前のことを宣ってもいるんだけど。

爽やか晴れ晴れなので、巴川べりを歩く方々も明るい会話だ。

というわけで、久々の飛行機に乗り釜山へ行ってきます。

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タラの木が道を塞いでいた。

2024年05月29日 | Weblog

昨日もふれた成長が早いという話。

地の神様への道を通せんぼ状態で、これ、2年もしたらジャングル状態になるかもな、と。

自然に見習うことはたくさんありそうだ。

ほっとけば、見栄えはともかく、彼らの生態系を創り出し、紡ぎ出し、って具合だ。

そんな大自然の一部たるわが方も知らぬが仏という間に、人間的に言えば、淘汰、整理整頓が進み、だな。

人間関係にしても、こだわる御仁もいらっしゃるし、飄々となすがままに、なるがままに、という御仁も。

おもしろいもんだ。

人それぞれに誕生前に人生物語を決めてきた。

なんていう言説もあり、そう、高校生チャネラーのまりなちゃん、という女史が明るく語っていたな。

明日からは釜山だ。

昔からお世話になっている御仁方との旅。

任那へ行ってみたいな、という思いはありつつ、実現するかどうか、わかりません。

白村江の戦いというのを歴史で習ったんだけど、倭人村の百済を救援に向かうということだったか。

そこで大敗を喫するのが天智天皇の御代。

最近読んでいる本、「日本人の財産ってなんだと思う?」という藤原直哉さんの電子本。

権藤成卿という方の「南淵書」とかを読み解きつつ、なんて内容なんだけど。

天智天皇が日の本の政の基本を表した、なんてことでね。

今まで読んできた歴史では、どうも天智天皇はネガティブに描かれていたような記憶があり、むしろ。

天武天皇が今に至る、官治のもとを実行しちゃった、民治ではなく、なんてのが。

ま、そんなこともありつつのなか、ふと任那の地を訪れてみたいな、と思ったのでした。

 

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大雨につき懇親会は中止

2024年05月28日 | Weblog

というのが、今晩の顛末とあいなり、って具合だ。

寂しいような嬉しいようなだな。

昨夜も少し遅がけに一献やり、あれやこれやの話に花が咲いた。

明日もどうやら一献、って感じでもあるから、ね。

飲んでばかりいるじゃんか、ってなもんだけど、それも人生の、宇宙の流れ、と言っておきますか。

というわけで、朝から雨だ。

それにしても、この時期の草木の成長度合いったらありゃしない。

早い。

凄まじく早い。

今朝の地の神様への手向どき、ほぼ1mは伸びたんじゃない、ってほどで。

他にも、草がさらに青々としていて、これほどの天啓、僥倖といったらないくらいのものだ。

心静かに眺めると、見えていたものが見えなくなり、見えてなかったものが見えてくる、なんてこともありか。

今朝は後からの客人への珈琲のため、朝一珈琲はなし。

ちょっと寂しくもあり、だけど、それまた一興というものだ。

さて、大雨予報の一日を味わいに出かけるとするか。

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変化の先へ

2024年05月27日 | Weblog

昨日に続きの、だな。

くどいかも、ではありますが。

これ、当たり前と言えば当たり前で、日常生活の中でもその通りのことが起こっているにすぎず。

こと改めて、というわけでもない、とも言えるけれど。

それにしても、こうした動きのあるフレーズというのはいいものだ。

どうみても、西洋文明と呼ばれてきたものがピークアウトしていて、では、その変化の先は。

ってことだな。

ズブズブのニッポンすんごい運動かい?でもあるし。

西洋との真の融合かい?

なんてね。

声の大きい側がよく聞こえてくるうちに、なんとなく、その声に引きずられていました、なんて話でもあるな。

どのみち、この先は、人類であったり、人間存在のほんとの姿であったり、なんてところに焦点が定まり、かな。

そのあたりから説き起こさないと、うだうだになっちゃう、ってなもんだろうな。

そんな朝は、久々のパプアニューギニアから届けられたマウント ウイルヘルムという珈琲豆。

水出しがうまいですよ、という御託宣をいただきもし、次男坊作の水出しを飲んでもいるんだけど、こちらホットです。

これはこれでいい感じであります。

昨日、たまたまつけたテレビで、街道をゆく、という番組に、田原坂が出てきたので。

例の、西南戦争での、西郷どんの最後の地。

思わず、わが薩摩隼人に電話をかけた。

ちょうど、その辺りを通り過ぎてきたところで、現在居住の福岡へ向かっている、って返事。

おもしろいものだ。

あれやこれやを話し、そのうち、薩摩へ行きたいと思っているので、連絡入れますよ、と電話を切った。

そんなことのあった日曜日、イサキと赤イカを捌き、なのでした。

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フリーアドレスの意味と意義

2024年05月26日 | Weblog

なんて表題に書くといかにも、って具合だけど。

これ、おもしろくて。

環境が変わるとそれぞれの人の中で、ある種の事件となる。

事件は現場で起こっているんだ、という室井さんへの青島の言葉だな。

現場はどこにあるのか、ってのも、話題の一つではあるけれど。

この間の同友会の総会、パネルディスカッションのコーディネータを務めたの、だけど。

その総会で発表された言葉が、どうも気に入っちゃって。

それは、「変化の先へ」というものなんだけどね。

とても動きのある言葉だな、と感心しているわけだ。

先へ、というのね。

と同じようなもので、事務所の風景が変わるとそこに自動的にエネルギーが発生し、なんだな。

失恋したら髪を切る、とか、鬱々としたことがあったら通勤経路を変える、とかね。

早い話が、ルーティンの変更、ってやつだ。

いつの間にか、ルーティン化してしまう、当たり前化してしまう。

というのが、意識とカラダの両方を持った、この人間という存在の仕方の習性とも言えて、だな。

そこを、ほらこんな具合に変えてみたら、別人になっちゃったよ、みたいなことは可能なんだな。

ここ、テストに出るところだけどね。

ってわけで、フリーアドレスという変化の先へ、ってことです。

 

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今朝も一人ランナーが

2024年05月25日 | Weblog

彼、毎日なのか、二日に一回なのか。

とにかく、巴川べりを走っているわけだ。

運動をすると、鬱やら認知症やらになりにくい、という本、お借りしていたんだった。

来週には珈琲タイムにお招きして、だな。

なんやかやとイベントが後から後からやってくる、いや、こちらから仕掛けているのでもあるんだけど。

サンデー毎日にはならないな。

とはいえ、季節とともに歩く人も多くなっている。

正直なものだ。

カラダを動かしたくなるんだろうね。

人類史から見たら、今ほどカラダを動かさない時代はない、とも言えそうだし。

食べることも、当たり前になっている、三食なのか一食なのかはともかく。

高校だったか中学だったかの先生が話していた、発掘された頭蓋骨に残る飢餓線なんての、覚えてるな。

必ず、人生に一度や二度は飢餓の世界を彷徨う、みたいな話ね。

もっとも、人類は6回滅び、現在は第7回目の文明を営んでいる、なんて話もあったな。

途方もない話ではあるけれど、そもそも、この意識というものの途方もなさからの発露、ってことだな。

さて、そろそろ、蚕起きて桑を喰む、の1日に出かけるとするか。

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朝早くに四人のランナー

2024年05月24日 | Weblog

が、巴川べりを走っていく。

そうだ、そうだ、それでいいんだ、みたいな掛け声を心の中で呟く。

初心者もベテランも、って感じだったな。

昨日のことだ。

今朝は三人さんだ。

なんとも平和な光景だ。

事務所内は、フリーアドレスの机の並び。

この件についての感想は、またの機会に、ということにしておくか。

なんにしても、やってみないとわからないことだらけ。

やってみる、結果を検証し、変えるところは変え、とPDCAってことになるな。

すべての物事が。

それについてのフットワークの軽快さがあれば、ほとんどのことは明るい未来を描いてくれもし。

あれが悪いこれがいけない、という具合に感情に流されたままだと、そりゃまた、めんどくさい話になる。

わがベランダレストランでは、猫の襲来にもめげずに、小鳥たちがやってくる。

ちょっと、数は減ったような気もするけれど。

さて、5月も残り少なくなった24日、小満・初候に出かけます。

 

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フリーアドレスへ

2024年05月23日 | Weblog

なんだ、そのカタカナ語は、とお叱りを受けそうだけどね。

事務所内でのお引越しとでも言おうか。

それぞれの席は、どうぞ、ご自由に、って仕儀とあいなり、だ。

古い机やら何やら、今日は廃棄処分、明日は新しいものが設置される、という算段。

カタカナ語はともかく、新しい時代には新しい皮衣を、ってその昔、イエス・キリストさんも言ってたでしょ。

それが大事なことだ。

目に見えての変化、ってのが、一番のメッセージなのかもな、と思っている。

次世代を担う二人の役員が主導でやっているわけだ。

世界は音を立てて動いている。

しかし、その音はそれぞれの人がそれぞれの世界で聞いているので、統一感はなく、なんとなくの不安とか。

そんな具合なのかも。

それぞれの正義を振りかざし、なんてこともあるあるだ。

まずは、それは当たり前のこととしての認識が必要になってくるんだな、きっと。

それは、言葉では伝わらず、だ。

目に見えて、立ち位置、動きなどなどの変化が、知らぬまの世界の変化へつながり、思考回路もそれなりに、って仕儀となるんだよね。

なんて目論見の、表題なのです。

果たしてどんな具合に展開していくものか、お楽しみに、だ。

 

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カワラヒワがやってきた!

2024年05月22日 | Weblog

表題の後に、ヤァヤァヤァと続けば、ビートルズだ。

似たようなものだよな。

何を求め、喜び、楽しむ、ってことだからね。

今朝は早よから社員さんが出社して、忙しなく動いている。

思えば遠くへ来たもんだ、じゃないけれど、有難いものだな。

あれ、その昔は、自分一人でやっていたんだからな。

月日は過ぎゆくわけだ。

というわけで、社員さんにモカを進ぜた。

まるで、神棚への供物みたいな風情満載で、だな。

先ほどからわがモニターの前を虫が飛び交い、なんらかのメッセージなのか、気まぐれなのか、って感じ。

このところ、骨ストレッチに加算して、ってことが増えて、朝の体操は10〜12分間、とあいなり、なのです。

断捨離とは真逆の、だ。

股関節+腹部の浮き輪肉+NOBU+歪みリセットと増えたわけだ。

毎日のほんの少しの、ってのが積み重なり、ってことだ。

いいのか悪いのか、ま、とにかく、普段動かさないカラダのあちこちに声掛け運動みたいな話。

そんなこんなの本日に出かけるとします。

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思えば遠くへ来たもんだ

2024年05月21日 | Weblog

とたまには中原中也でも思い出しつつの朝、ってわけだ。

もっとも世間の口の端には、海援隊の歌ということになるか。

いろいろと片付いてきた5月、月末には釜山行きということにあいなる。

昔世話になった御仁方との道行ってことだな。

その前に、多少のオシャレ着を買い求め、って作業があるか。

何せ、このところ、着た切り雀的た様相の日々でもあったからね。

それもチャレンジの世界となってしまっているんだな。

今朝は言葉続かず、なので、この辺りで失礼ってことにしますか。

 

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