まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

雨の残った日曜日

2019年06月30日 | Weblog

そういえば、雨がしとしと日曜日、って唄、ジュリーのでなかったかな。

ザ・タイガースね。

そんな朝だ。

夕べは、安全大会と銘打ち、多くの方々にお集まりいただいた。

7月の第1週が安全週間で、わが母親の生まれた年が始まりだ。

だから、92回目となるのか。

わが社では、15回目だそうだ。

毎年、スローガンが募集されるのか、一覧を眺めるとなかなか、興味深く、戦中は。

うちてしやまん、みたいな、戦争への動員気分が満載な、銃後の生産、って位置付けだったりね。

何れにしても、その時々の課題を克服せんという、思いの丈が伝わってくる。

安全大会の後は、何人かと連れ立っての飲み会。

何人か、って、10人は超えていたのか。

美味しい日本酒をいただきながらの、悲喜こもごもの社員さんたちの思いの丈が、語られたわけだ。

それぞれにそれぞれの、その時々でなければ味わえない、辛さ、悲しさ、苦しさ、喜び、楽しみ、まさに。

悲喜こもごも、って次第で。

大きくくくれば、今この時の事業にしても、ホモ・サピエンスの営々たる歴史の一端なわけで。

彼らとともに、サピエンスの歴史創造に、当方も加担しているんだよね。

お酒?

そう、黒龍という福井のお酒だ。

別名、フェニックスとも言うらしく。

このところ、龍に関心が向いているので、ちょうどいい塩梅だった。

さて、今日はいろいろと、その気になればありそうな一日だ。

そんな日に出かけるとするか。

 

 

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昨日は龍さんが舞い降りたかどうか

2019年06月29日 | Weblog

そんな締めにしたのが、昨日のブログだった。

つらつら振り返るに、長くなったな、と思う、このブログ。

2004年からだから、15年になるか。

何を生み出したのか、なんて問いかけると、心もとないけれど。

そもそも、問い、そのものの中に、答えがあって。

どんな問いを投げかけるのか、というわけだね。

大事なことは。

じゃ、他の問いかけとしたら、何があるのか。

今では、すっかりルーティン化して、瞑想の後、いや、その前に、腰椎微妙運動、ってのも加わり。

現在の定位置には、5時半には座っているのか。

机上には、iPad Proと珈琲カップ。

目の前に、この間新調したiMac、腕にはApple Watch。

ほとんど、アップルおじさんマークII、って具合だな。

村の鍛冶屋さんみたいに、しばしも休まず槌打つひびき、ってなもんで、だって。

命そのものには休みがないでしょ、って豪語していたら、そんなことをのたまう御仁がいらっしゃるそうで。

執行草舟さんという、BIOTECという会社を経営されている方だそうです。

山川紘矢さん、シャーリーマクレーンだっけ、なんていう書名だったかな。

いわゆるスピリチュアルブームの火付け役、とでもまとめちゃえるのか、元大蔵省だったか、お役人さんで。

その方のFacebookのタイムラインに流れてきた。

名前が変わっているよね、花柳幻舟って、昔、いたけど、草舟、そうしゅう、とでも読ませるんだろうか。

とにかく、会社では、スマホ禁止、だそうで、面白そうな御仁だ

「腸と脳」という本を勧められたらしく、おいおい、それ、持ってるよ、かっこ、半分しか読んでないけど。

お会いしたら、いきなり、腸内細菌変わりましたね、と言われたそうで、そこだけでも、興味深い社長さんだよな。

このところ、寝ながら読書、禁じられたので、読む量が減った、というか、あんまり読んでなくてね。

むしろ、わがカラダとの会話を楽しんでいる状態なんだよね。

それは、瞑想にも通じ、にわかに信じ難いかも、ですが、野口晴哉さんの「活元運動」じゃないけど。

カラダが勝手に、龍の如くに動き出す、という、体操、というのか、自動運動、というのか、そんなことも楽しんでいて。

まるで、幼子のように、なんでも目にするものが、遊び道具、って次第で。

さて、今日もそんな具合に生きていきますか。

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過去、って何年前のこと?

2019年06月28日 | Weblog

ふと、今朝、湧いてきた表題なんだけどね。

ちょっと、面白そうだな、と。

近未来じゃなく、近過去、なんて言葉があるのかどうか、知らないけど、近い過去と。

遠い過去、とも分けられるし。

僕の場合、過去、というと、何万年、何十万年かな、というのが感想だ。

そもそも、とね。

ホモ・サピエンスの誕生が、とか、もっと言えば、地球の、とか、宇宙の、とかね。

そこへ行くと、あまりにも、近過去を基準にした価値観のオンパレード、世間様の仰ることごと、とかが。

奇妙奇天烈、お笑い番組以上に、お笑いネタに溢れている、とも。

夕べは、越境ミーティングと銘打ち、校長先生や企業家たちが、そうだ、高校生もお二人、いらっしゃった。

簡単に言うと、お互いの職業病、世間病、社会病の罹患を認めつつ、その、リハビリのお時間。

となるかな。

で、未来の街を作ろう、と小麦粉製の粘土で、グループ分けされたそれぞれが、色とりどりの。

未来を現出させた、ってわけだ。

そのストーリーの発表があったんだけど、皆さんの語る未来が。

まんま、現在への、現代への、辟易感をデフォルメしていてさ。

とても、頼もしかったよ。

まんざら捨てたもんじゃないよ、わが、ホモ・サピエンス。

今朝は、ベランダの窓は、網戸をあけ放ち、気持ちのいい冷気を浴びながら、です。

この刹那、白いコーヒーカップには、半蔵門のマンデリン。

至福のときだ。

未来にしても、いずれ、今の連続の挙句の、妄想世界でもあるので、今この時の。

至福だけが、未来を担保する、なんてちょっと、小賢しい言い方をしちゃおうかな。

そんな気分だ。

この先も、今の前も、つまり、過去も未来も、地球、という、ガイア、という。

そんな場での出来事の連なりなので、どのみち、ホモ・サピエンス以外の。

生きとし生きるものとの連合軍を組むのが、リーズナブルな選択になるんだろうし。

そこへの齟齬が、いろんな漫画や映画、小説に表されてもいるのかも、だけど。

結果、落ち着くところへ落ち着くんだろうな、と思っているんだ。

プロセスをどう見るか、だけの話で、いつでもING、進行形、行く川の流れは同じからず。

というわけだからね。

まるで、わが母親が月に一度の帰宅の季節が、彼女の中では、お正月前、大晦日をまじかに控えた。

あの時期なんだけど、わかるね、その気持ち。

だって、楽しかったもんね、もういくつ寝るとお正月、って。

そう考えると、認知症もまんざら捨てたもんでもない、ってわけだ。

闇があるから光の有難さを感じ、悲しみがあるから無上の喜びが現れ、という仕組みだな。

さて、龍さんが舞い降りそうな今日の日を迎えに行くとするか。

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国見

2019年06月27日 | Weblog

といえば、サッカー、国見高校、となる。

のだけれど、表題は、毎朝の日課、屋上でのウォーキング中に、清水湊の街を睥睨し。

その昔、国を治める前に、高台から眺めた、という話を思い出しているのです。

もともと、そこから来た国見、という地名でもあるんだろうけど。

見ることで治める、という魔術のようなこと、あったのかもしれないな。

道、という字だって、白川静さんによれば、異族の首を持って、その地へ入っていく。

ということを表している、と書いてたな。

まさに、首を持って侵入する、とね。

ということで、清水の街を眺め渡しているのが日課、なんだ、と。

ところで、そんな今朝、わが社の社員さんが買ってきてくれた珈琲豆をいただいているのです。

小渕沢、大泉に、CAFE OTONOというお店があるらしく、そこで買い求めてくれたそうで。

エチオピア、コロンビア、イエメンのブレンドなのかな。

一つのことに関心が向き始めると、自然とアンテナが立ち、さまざまな情報が集まってくる。

もちろん、人との出会いもそうだし。

って、この仕組み、興味深いね。

生きるためにはお金を稼がなきゃなりません、そのためには仕事をしなければなりません。

ならぬものはなりません、だっけ、会津藩の、みたいな。

でも、それ、ほんとかね、というのが、このところのテーマで。

どうやら、仮にお金が必要だとしても、だから、なんとかせねばなりません、というメンタリティを引きずったままでは。

あいも変わらず、面白くないけどやらなきゃだね、とか、嫌だけど上司のいうこと聞くよ、とか。

なんとかだけど、なんとかする、という構文、学校教育的には、なんて呼ぶのか知らないけど。

たぶん、ポイント、そこじゃないんだな、きっと。

壮大なる、我あやまてり、という物語を紡ぎ続けてきた、のかもしれないな。

半分くらい、笑い話で、宇宙はあなたの願いを叶えます、ってのあるでしょ。

お金が欲しいんです、と、例えば、願う。

すると、宇宙は、素直で素敵だから、その通りのこと、叶えてくださる。

そう、お金が欲しい、という状態をあなたに、なんて話ね。

だから、いつも、お金が欲しい状態、リアルにはお金がない状態、と。

笑い話、と書いてしまったけど、実のところ、そうでもなく、真実に近い話でもある。

と思っている。

新入社員が入ってくると、僕の仕事はあなたの力の120%を出せる場を作ることです。

と言っているのは、そんなところとも関連するかもしれないな。

100でなく120、ってのがミソで。

リミッターを外さないと、100から120へはいけないわけで。

リミッターを外すには、素直でないとね、自分の思い込みに気づき、どれだけ自由でいれるか、ってね。

幸之助さんが、素直な心、って言ってたのは、そんなところなんだろうな。

こんなこと書き始めると、キリがないので、今朝はこのあたりで。

 

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ホンモノとそうでないもの?

2019年06月26日 | Weblog

どちらもホンモノに変わりがないのに、そんな表現をしようとしている僕って。

って、具合の入りだな、今朝は。

そう、マンデリンです。

半蔵門で買い求めたマンデリンといつものマンデリン。

知っちゃったわけだ、同じマンデリンと謡われたモノの違いを。

それこそ、開高健の、知の哀しみ、ってやつだ。

彼、貧乏学生のころ、ロンドン留学。

道端で売られているポテトチップ、ジャガイモのあげたやつ、あれ、うまくて。

と。

しかも、たぶん、英字新聞に包まれての、異国情緒満載の、ポテト。

感激したんだろうね、これが、かの有名な、なんて形容詞を交え。

ところが、後年、CM作家か芥川賞作家になった後に訪れた時の、同じ。

ポテトのまずさといったら、なんてこと、書いてたな。

これをもって、知の哀しみ、知ることの、知らなければよかったのに的な哀しみ、と。

ずいぶんと高尚な比較だけど、それに似た、今朝の気分だ。

ところで、今朝もベランダのアサガオが咲いている。

季節はやってくるわけだ、いろんなことごとがあったにしても。

彼ら、つまり、ホモ・サピエンス以外の生物たちってのは、大したもんだね。

もちろん、ホモ・サピエンスも大したもんではあるけれどね。

さて、今日は、一日中、個人ミーティングの続き、プラス、同友会の理事会だ。

 

 

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マンデリンを200g。

2019年06月25日 | Weblog

買い求めたのは、半蔵門駅近くの珈琲豆屋さん。

いつものマンデリンは、100gで745円。

200だと、1490円なんだね。

それが、かの地でのマンデリンは、1900円。

今朝、焙煎したてです、というわけだ。

新鮮が命、って事なんだろうけど、たしかに、今朝の珈琲は濃厚だ。

一日二日おいてからの方がいいかも、ですが、と言われたけどね。

この値段で、しかも小さな店舗でやっていけるというのも、さすが、花の都。

大東京ってわけだ。

100円のコンビニのコーヒーがなぜ美味しいか、なんて本、川島さんという方が書いていたそうだけど。

二、三年前か、久米宏と壇蜜の朝の番組で、珈琲はフルーツである、というテーマで。

その川島さんをゲストに、っての、見たことがあったけど。

なので、彼は、原産地から窒素充填で空輸、という手法を取っていた。

コンビニは、大勢のお客さんが入るので、回転が良く、在庫が風化しない、ということだね。

つい最近も、地方都市、我が清水で、勢い込んで買い求めた豆は、残念!状態だったから。

なかなか、生もの商売は難しいね。

それに、ここまで物流が勢いをつけ、世界各地からの品々が時をおかずに届く。

しかも、溢れているくらいに届く、という世界では。

選択眼、選別眼、こだわり具合度、なんてのが、格段に上がっているんだろうからね、何十年か前と比べたら。

そりゃもう、大騒ぎ、って事だね。

それは、生ものに限らず、すべての購買物がそうなっているわけで。

なので、次は、売らない商売、とでもいうのか、カタチある物を売るのではなく、例えば。

感動を売る、とか、そんな感じになりつつもあるよね。

しかも、母数が、ハンパない数なわけで、ユーチューバーのなんとかさんってのは、いきなり。

億のページビュー、ってんでしょ。

GAFAの隆盛も、母数を取る、って手法だよね、プラットフォーマーとか言ったりさ。

言ってみれば、地球そのものの大家さん、我々は、その店子。

店子といえば子も同然、大家といえば親も同然。

って落語では言われるけど、子からむしりとってどうすんだ、ってくらいの話でもあるけどね。

さて、今日はどんな一日になるのでしょうか、って、いきなりの場面転換だね。

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古代ハスを見てきた

2019年06月24日 | Weblog

長泉町、下土狩駅のすぐ近く。

その昔、古墳があったところなのか、なんか、そんな説明書きがあったな。

 

こんな感じです。
今日は今から東京へ出張です。
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というわけで曇り空の朝。

2019年06月23日 | Weblog

おじおば会です。

どちらへ行くことになるのか。

昨日は、エルサルバドルの、サンタマリア、と銘打たれたブルボンを買ってきた。

口癖のようになっちゃったけど、これ、新しいかな、ってのね。

失礼を承知で言っちゃったんだけど、ま、それほどでないらしいけど、名前に惹かれて、でした。

マリアさまだ。

ガイアを、つまり、マザーアースだね、をチャネリングした方のYouTubeを見た後なので、と。

このところ、チャネラーとか宇宙人とか神話とか、今までだと、書くのをためらっていた用語を。

ごく自然にこの板に書きつけちゃってるんだけど、たぶん。

ことほどさように、この世が変化の真っ只中に投げ込まれている、ということなのかも、とね。

思ってもいるんだけどね。

古来、王様や時の権力者たちが、占星術や占い師、チャネラー、南米の、なんていうんだっけ。

ヒーラーじゃなく、呪術師のような、とにかく、そんな方々を重用し。

現在、日経新聞、朝刊で連載中の、「獲加多支鹵(ワカタケル)」にも、大王(おおきみ)を補佐する女官。

というのか、妻というのか、二人の、そんな類の女性、出てくるからね。

いずれにしても、今までの常識と言われていたことごとが、さて、ゼロから始めましょうか。

という時代なので、よく格差社会、というけれど、ちょっと心意気を変えると、すべての人に。

アドバンテージ、いや、そんな彼我の差、というレベルじゃないな。

そこに存在することに途轍もない意義、意味、価値がある、という立ち位置だ。

たぶん、そんな事だと思うけどね。

僕からしたら、素晴らしい時代の到来、というわけです。

杉作、あれをごらん、と鞍馬天狗のおじちゃんが言うんだな、あれ、片岡千恵蔵じゃなく。

誰だったかな。

それはそれとして、今朝の一枚。

 

小さく輝いている粒が見えますかね。

あれやこれやの、できごとが次から次へ起こってくるようにも見えるけど、結局、この粒です。

 

 

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電話をかけることが少なくなった

2019年06月22日 | Weblog

ふと、そんな言葉が浮かんできた。

何年前になるのか、携帯電話、ってのが出てきて。

その前、ちょうど、僕が商売を始める頃、ポケットベルをみんな使っていたな。

バイパスなどであれが鳴ると、公衆電話を探すのに骨が折れて、しかも。

続けて何度もなると、イライラは募り、不安は拡大し、妄想を始め、きっと。

良からぬことが起こっているんだ、なんて具合だったな。

そんな時代も振り返ってみれば、束の間で、電話を持って歩く、というわけだ。

ヤクザもんが何とかかんとかで、だから、保証金、こんなに高いんです、なんて話もあったり。

通話料も高かったしね。

のうちに、小型化し、さらに、それはガラケーと言われるようになり、今では。

猫も杓子もおじいちゃんもおばあちゃんもスマホ、ってわけだからね。

100年にも満たない、ほんのつかの間、そこでの変化ってのは、これだけみても、凄まじいものがあるな。

なんて、柄にもなく、過去を慨嘆してるんだな、この書き方は。

で、今では、表題の、メールやらメッセやらLINEやら、ってことで。

幻冬社の編集者、なんだっけ、死ぬこと以外かすり傷、とかいう本、書いた方ね。

電話をかけてくるなんて信じられない、俺の時間を奪わないでくれ、なんてテレビでコメントしてたからね。

たしかに、今時、クレームくらいだろ、電話、ってことも言えるかもね。

ここまで書いてくると、お約束の、中也だな。

幾時代かがありまして、茶色い戦争ありました、ユヤーンユヨンユヤユヨン、と。

たしか、「サーカス」だったな、詩の題名。

そうだ、この間、ツイッターだったか、眺めていたら、コンサートね。

あの会場にいるような音感、体感を味わえるような機器、だったか、アプリ、だったか。

そんなのがあります、なんてあって、あの臨場感ね。

それを再現しちゃいます、ってわけだ。

おいおい、始まっちゃったよ、と思った次第で。

そのうち、脳内なのか、手のひらなのか、チップを埋めるか、薬品を刷り込むか、で。

幸不幸の波を創り出し、ホモ・サピエンスの感情をコントロールする。

なんてウタイの商品、出てくるだろうな、という未来予想図です。

小説にしてもテレビドラマ、映画、なんてのも、大きくくくれば似たような、コントロール。

とも言えて、と書いてくると、身も蓋もない、なんて文学少女には言われそうだけどさ。

だから、と続けると、結論を書かなきゃ、みたいになっちゃうけど。

いずれにしても、明日はおじおばの会。

今日は、母親の帰還、前回の帰りがけに妹に投げかけた言葉、あんたはこの土地を奪いに来たのか。

みたいなのね、そんな言葉のかけらも記憶には残っていないんだろうな。

なんて思いのわく、おじおば会前日の朝なのです。

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「ゴルトベルク変奏曲」が来るのが楽しみ

2019年06月21日 | Weblog

今朝の表題は、わかりやすいでしょ、ベタ、とも言えるか。

バッハなんだけど。

「天才的な」と日経新聞の文化欄のコラムには書いてあった、ヴィオリスト、というのか、ヴィオラ奏者の。

アントワーヌ・タムスティーという御仁がいるらしく、って、itunesで、「シャコンヌ」というアルバム。

聴いてるから、存在しているのは間違いない、はずだけど。

ま、回りくどい言い方はともかく、ツィンマーマンというヴァイオリニストともう一人。

何を奏でるのか、忘れたけど、トリオ・ツィンマーマンというウタイで、アルバムがこの4月に発売され。

日本には7月くらいにやってくるのか、アマゾンでもまだ、予約受付、なんだな。

わが社の、アンプ自分で作る、という御仁曰く、SACDという音の録り方は、高度なものらしく。

通常のCDプレーヤーでは、再生しきれない、くらいのものだそうで。

ってのは、実のところ、どうでもいいんだけど、「ゴルトベルク変奏曲」をトリオで、というのを。

聴いてみたいな、という単純な話なんだ。

グレン・グールドというピアニストで聴いていたからね。

この曲、アンソニー・ホプキンスの「羊たちの沈黙」という映画で知ったんだった。

どんなシーンだったか、忘れましたが、もともと、バッハは。

どこぞの王様、しかも、不眠症の王様のために、一つの主題を、36通りに変奏した。

毎晩違った趣で、しかも、同じテーマを外さず、というね。

まるで、アラビアの物語みたいに。

そんな物語、なかったっけ。

不眠症の人が、ゆったりと眠れるように、という曲なんだそうだけど、不眠、といえば。

突然ですが、片山洋次郎さんで。

どこぞの骨が固まっていることで、呼吸が浅く、ゆえに、熟睡できない、眠りが浅い、というようなこと。

たしか、書いていて。

腰椎の何番だったか、胸椎か、頚椎か、忘れました。

とにかく、この対比が面白くて、今朝のネタにしたんだけど。

バッハを聴く、なんていうと、いかにも高尚な趣味、みたいな風情だけど、その実。

ちょっとした、例えば、腰椎微妙体操をすれば、そのバッハの曲は必要なかったかも、という。

その不眠症の王様に、お気の毒様でした、くらいの話で。

バッハを聴く、というのは、対症療法とでも言えるかね、他には、健康サプリを飲む、薬を飲む。

とかさ。

んなことせずとも、椎骨を緩めれば、ゆっくり眠りにつけますよ、ってね。

というわけで、かの「ゴルトベルク変奏曲」がitunesにやってくるのを待ち望んで、今日を始めることにします。

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