なかなか、田舎暮らし、やってるじゃん。
という具合の朝だったんだけど。
鶏がもう一度啼くと、お前は裏切る、だったか。
二度だったか、最後の晩餐の後なのか、前後の関係、忘れたけど、イエス・キリストが。
ユダに言ったか、そんなことが思い出された。
カラスは不吉な、とかのフレーズを、子どもの頃、聴いて育ったような記憶があるけれど、カラス君も。
なかなかいいな、と思いながらの寝起きだった。
鳩は、なんだろう、あの声の出し方は、という感想で、平和の鳥、ってどこからの由来なのか。
もっとも、今では、グーグルおじさんにお聞きしたら、即答なんだろうけど。
明日はおたちか、じゃないけれど、若狭への旅で、朝は、5時出発。
瞑想開始時刻は、何時になるのでしょうか。
ってくらいだけどね。
ところで、オバマさんの広島でのシーンね、何人かの方にお聞きする限りでは。
みなさん、感動した、さらに、日本人ってすごいね、というもので。
めでたい。
絶対的な自己肯定、ってやつ、これだな。
長屋のご隠居みたいに、大家、大人(たいじん)を気取るんでなく、ごく自然体に、と。
自分を好きになってくださいね、と入社式で言った類の言葉ね。
そこがすべてのような気がする。
いじけることだけが、生きることだと、飼いならしすぎたので。
と、吉田拓郎が歌っていたよね。
身構えながら話すなんて、ああ、臆病、なんだよね、と続くんだけど。
まんま、現在の世界情勢、列島内の国情、個々の人生模様、とも続きそうで。
そんな処に投げ入れられた、一粒の種、それを受け取る土壌、さて、では、誰が水をまき続けるのでしょうか。
っていう設問だな。
今でしょ、になぞらえて、あなたでしょ、ってなもんで。
というような問いかけが、あのシーンだった、という具合に解釈することもできそうで。
なにせ、今朝は、小鳥たちのさえずり、というほど、定型化した朝ではなく、リアル感満載の。
表題のごとき朝だったので、筆もあらぬ方向へ進むわけで。
そうだ、昨日は、久々に、ドローン操縦者となった御仁と昼食。
娘さんの言祝ぎの品も、ご相伴にあずかり、という時間を過ごしたんだった。
ものみな、知らず知らずに、流れていく。
ゆく河の流れは絶えずして、また、元の水にあらず、ってわけだ。
だいせんじがけだらなよさ、とその昔、寺山修二が歌ったんだよね。
さよならだけが人生だ、というわけだけど、ここでいう、さよなら、って。
別れの言葉じゃなくて、って、誰かの歌にもあったよね。
つまり、新しいものとの出会いの、その瞬間を、さよなら、という、とも取れるね。
カタカムナ的にいうと、今日が昨日を時間をかけて生み出す、と。
さ・よ・な・ら、をカタカムナで解釈すると、遮り、新しい、重要な、場、となるんだよね。
なかなかでしょ、カタカムナってやつも。
さよなら、という言葉を、常識の範囲でだけとらえる、という不精、横着、怠惰、から自由になると。
面白いね。
さて、皐月賞も終わったし、って、まったく競馬音痴だけど、往く皐月を惜しみつつ。
まんま、さよならを言いつつ、ふみ月を迎えることにしますか。