まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

女房の症状が憑ったみたいで

2017年09月30日 | Weblog

というのが、某大将なんだけどね。

なんでも、奥様が甲状腺機能がうまく働かなくて、ということらしく。

その奥方に付き合っていると、こちらも、表題のごとくに。

なんだか、リキが入らない、まったりと過ごしている。

奥方は奥方で、実は、当の大将の病気への心配からくるストレスからかも、という見立てもありで。

夫唱婦随、なんて言葉もあったけど、お互いにお互いのことを思って、ということか。

表題の、うつった、を変換かけてみたら、憑った、と出てきて、病気などが人から遷る。

という意味があります、というんだね。

ベタだね。

くだんの御仁とも、そんな会話をしたんだけどね。

それにしても、病は気から、と。

無責任かも、だけど、実のところ、そう思っているのも、事実で。

なにせ、登校拒否児童だった、小学校の低学年の頃の通学時間が実証しているんだよね。

学校行くのが嫌で、その時間になると、お腹が痛くなってトイレに駆け込む。

時間が過ぎると、痛みは消え、登校へのミッションが解除される、というね。

そんなことを体験してみると、そりゃ、病は気から、とも言いたくなるでしょ。

そう言えば、仕事がらみのある御仁、そのお母様は、嫌なこと、重大な決断の場面が出来すると。

めまいが起こって、その場で倒れる、ということらしく。

それも、ベタな、わかりやすい結果だな。

わが母方の祖母も、出かける時間になるとお腹が痛くなった、なんてこと、聞いたことがある。

神経質だからね、くらいの言葉で済まされちゃうことだったけど。

今朝は、ひんやりする。

明日からは10月だからね、秋だ。

さて、ルーティンに入るとします。

 

 

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適当やいい加減でいい

2017年09月29日 | Weblog

何日か前、いとこたちと朝までの宴の後日談なんだけど。

彼ら二人とも、その後、随分と楽になったらしく。

われわれ、B型三人組、妻と長男坊と私、なんですが。

調子のいいだけの高田純次、というキャラクター、あるでしょ。

あのノリ、とでもいうか、ちょっと、違うか。

にしても、標題のごとくで、その程度の生き方でいいんだ、くらいの感懐を。

持ったようで、昨日、妻のところへ、LINEが入った。

一言で言えば、比較の世界にいること、なんだ、そんなこと、しなくていいんだ。

というね。

誰かとの比較で、高慢になり、タカピーになり、あるいは、劣等意識満載になり、というような。

そんなこたぁ、どちらでもよくて、いろんな解釈があるよ、くらいの。

その場の空気に、いたく刺激を受けたというんだね。

ほんとにね、何が起こるかわかりません。

ってのが、この世界の真相とでも呼べるか。

そもそも、適当、なんて言葉、使い方によっては、まるで芯がない、信ずるに足りない、というように。

受け取られがちで、なんだけど、白川静さんによれば。

辶をのぞいた部分は、帝と口からなり、祝詞を唱えて上帝を祀る条件を備えた身分の者を言ったそうだ。

そこに、当たる、と続けて、その条件にかなう、当てはまる、というわけだ。

いい加減、にしても、佳い加減、と書けば、ちょうどいい塩梅って、感じでもあるね。

ことほど左様に、ものごと、ってのは、どうにでも取れる、どんな信条も自由です、ってことで。

なんてことに、たぶん、彼ら、インスパイアされて、なんだなんだ、それでも生きていけるんだ。

くらいの、気落ちした、力落とした、がっかりした、んだろうな。

だいたい、ガクッときた後は、カラダも緩み、いい塩梅になるんだよね、そこに固着しなけりゃね。

風邪だって、野口晴哉さんによれば、硬くこわばったカラダを緩めるためのカラダの自動反応、でもあり。

ということは、自分の外側で起こる様々なものごと、できごと、事件、イベント、なんてのは。

あるこわ張りを、緩めるために、自分のもとを訪れてくれる天使、とも言えて。

後は、せっかくのチャンスを、フイにするのか、生かすのか、のどちらかに過ぎない、ってわけだ。

夕べは、来週末に行われる、キャリア体験学習の第二弾の打ち合わせが、弊社にて執り行われ。

結果、15人くらいの方が、お集まりになったのか。

そのLINEのグループは、今や、26人となり、たぶん、それは、さらに増えていく様相で。

この先、大きなうねりとなっていくんだろう、と思うけどね。

そうそう、今週の個人ミーティングで教えていただいたのが。

やるかやらないかじゃないんだ、やりたいかどうかなんだ!

ってやつで。

21歳の女性からの言葉、この言葉がいつも心に残っているんです、ときた。

アニメの主人公が言っていた言葉らしい。

そりゃいいね、って大きな相槌をうち、よそで使わせてもらうよ、と応じたわけだ。

やるかやらないか、のフレーズから伝わる、強制、強要、お為ごかし、胡散臭さ、コントロール。

あとなんだろう。

そこではなく、やりたいかどうかなんだ、と。

大きくくくれば、古来、宗教というようなものに名を借りた、人間コントロールシステムからの解放。

とも言えて。

エネルギーの伝わり方、違うでしょ。

というわけで、心してみれば万物皆わが師なり、だな。

 

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とろアジを焼いた

2017年09月28日 | Weblog

伊豆は、宇佐美生まれの社員さんにいただいたんだけど。

夕べ、ひそかに、ではないけれど、独りで焼いていただく。

脂が乗っていて、美味しかった。

秋刀魚のように、燃えちゃうくらい脂が落ちるかな、と思ったけど、そうでもなく。

なんだけど、大根おろしと一緒の方がいいのかも。

おろし、がらみで、マッチをするとおろしが吹いて、と杉本まさとが歌う、というか。

吾亦紅ね、退職された薩摩隼人の十八番で、そんな歌詞が浮かんできた。

こち、とか、おろし、とか、ヤマセ、とか、いなさ、とか、古来、わが列島では、何百、何千と風に名前をつけ。

微妙な違いを感得し、という具合に生を繋いできた、と谷川健一さんが書いていたな。

ところで、世は、選挙モード、というか、テレビ番組がそういうことではあるんだけど。

昨日もご紹介した知り合いの女史、静岡生まれなんだろうけど、北海道から出馬、なんてことなんで。

その昔、荘園の管理に、各地に遣わされた官僚さん、というのか、武士のご先祖様、というのかね。

そんなことも連想され。

安倍、訪朝か、なんてどこかのスポーツ紙が書いたり、夕べは、韓国から、松本さんという拉致被害者の写真が。

見つかった、なんてニュースが流れたり。

もうね、裏でも表でも、さまざまな画策が進められているんだろうな。

そりゃ、政治家としての稼業が成り立つか、あるいは、その人に連なる既得の権益層も含め、お家の一大事。

ってわけだからね。

世界中で、統治機構、そのシステムが、アメリカのトランプ現象に象徴されるように、グラグラとしている気配、濃厚だよね。

フランスにしても、ドイツにしても。

わが列島だって、そこから自由ではない、という証左、ってのが、今回の解散劇、選挙戦、ということで。

ところで、昨日聞いた面白い言説、ってのが、中国の統治システムでね。

中国共産党、というのは、発祥は秘密結社で、現代風に言えば、いわばホールディングスみたいなもので、その下に、人民解放軍や地方自治体や。

アリババのような企業まで、ぶら下がっている、という仕組みらしく。

まるで、アップル本社と支社、グーグルしかり、だけど、それをあの大きな領土の中でやっている、と。

いわゆる国家すら、その共産党の統治システムにぶら下がっている、というね。

田村秀敏さんという学者さんなんだけど。

これ、たぶん、とても面白い分析です。

さて、雨脚が早くなり、わが巴川の流れも、ますます早くなった。

流れる川には、エネルギーが溢れ、なかなか、好きな風情なんだけどね。

いつもは開け放った窓からも、少々ふきこむくらいの雨ゆえ、閉めきり。

本日の個人ミーティングを迎えるとするか。

 

 

 

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今朝はカラスの鳴き声とともに始める

2017年09月27日 | Weblog

久々に、このポジションでの、わがトーテム、カラス君。

感じる力、使ってる?

というわけだ。

彼岸も開け、新しい私との出会い、ということになるらしい。

世間は、選挙戦に入るんだよね。

知り合いの女史が、北海道から立候補する、なんてFacebookにアップしていた。

捲土重来を期していた彼女にとっては、唐突の、一見、なんの脈絡もないような。

今回の選挙が、干天の慈雨のようなものでもあり、待ちに待った。

とも言えるし、ミサイルが飛んでくるときに全く、何を考えているのか、なんて立場の方も。

いらっしゃるし。

それぞれの立場立場で、さまざまな意見が飛び交い、いかにも、民主主義国家、華やかな。

なんて形容もされるかも、みたいな風情でもあるね。

北朝鮮への攻撃は、来年の春、なんて唱える御仁もいらっしゃる。

それに備えての選挙、政権基盤を整えておけ、とお上からお達しがあった、属国の哀しさ。

なんてね。

そこかしこ、きな臭くなっている。

わがカラス君からの問いかけ、感じる力、使ってる?が、また、浮かんできた。

もっとも、そんな具合に、なんども聞かれたからって、何かが浮かぶ、ということでもなく。

時の流れを味わうことしか、できないけどね。

ところで、暑さ寒さも彼岸まで、の季節を通り過ぎ、来月は、江戸への旅だ。

屋形船を浮かべ、すしざんまいにて、美味しいお寿司をいただき、というね。

今年は、32名だそうで、大勢の方が参加くださるわけだ。

思い起こせば、ほんの数名から始まった旅なんだよね。

さて、お彼岸明けの今日を始めるとしますか。

 

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朝まだきの三保の海

2017年09月26日 | Weblog



今朝は三保園ホテルであさを迎えた。

富士山と漁船と明けの明星。

わが長老の、どうやら最後になる。

送別会。

集まるメンツが変わると、新たな送別会、ということで。

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上着のジャケットを抵抗なく羽織り

2017年09月25日 | Weblog

というような朝になった。

暑さ寒さも彼岸まで、とは言ったもので。

まだ開けてはいないわけで、そこここに、ご先祖様方が徘徊、と言ったら、失礼か。

たちあらわれ、消え、みたいな、見えない光景が繰り広げられているんだろうな。

目の前に起こり来る出来事に、一つ一つ、丁寧にリアルに対処する、ってのが。

この世的なことではあるんだろうけど、その実、その裏側には、数え切れない出来事の残り香のような。

そんなものとともに、この季節、たぶん、われわれは、生きている、とも言えて。

土曜日から日曜日にかけては、午前様ならぬ、朝方までの、まるで朝まで生テレビ、のような。

討論会が、わが家で繰り広げられ、おかげで、何年振りかの朝寝坊、とあいなり。

だった。

隣家のいとこたちと妻と長男坊も混じり、アレヤコレヤの、話題の束をネタに、日本酒と焼酎を聞こしめし。

ということで、日曜日は、寝て曜日になったんだよね。

ブログもアップせず、瞑想もやらず、骨ストレッチも、というのが、秋分の日だったわけで。

その討論会のテーマというのは、いとこたちの父親の処遇、とでもいうか、来し方行く末。

についての、アレヤコレヤのバリエーション、ゴルドベルグ協奏曲とでもカッコつけるか。

そう、あの曲は、一つの主題をさまざまに変化させ、元々の趣旨は、眠れない王様への。

子守唄、みたいなものだった、と思うけど、こちらは、逆に、その協奏曲のために、朝まで眠れず。

ということでね。

冥土との通航路が、スカスカと開通し、そこを行ったり来たりの、身内から湧き上がる言の葉たち。

その瞬間が、過去も未来も包摂し、みたいな言い方、あるけれどね、まさに、そんな感じではあったんだろうな。

俯瞰して、眺めている御仁がいたとしたら、そんな味わいを楽しんでいただけた、と。

時の流れを、さまざまな色とか味付けをして楽しむ、というのを、古来、営々と続けてきた、その一つが。

彼岸というものでもあり。

ところで、いきなり、話題は転換だけど、東北の雄、伊達政宗が、当時の帝国、スペインの力をかり。

徳川を倒そうと画策していた、という文書が、バチカンの図書館に存在し、それを元ネタに本を書いた御仁がいらっしゃり。

思わず手に取り、そのまま、購入、寝ながら読了。

著者の方は、そのことに半世紀をかけた、ということが、なんとも、途方もないものに思えもし。

古代ロマンス語を習得し、バチカンの文書館で原文にあたり、ということらしい。

支倉遣欧使節団、仙台藩の支倉常長を団長に、ソテロという宣教師も同行し、メキシコ、イタリアを7年かけて経巡り。

ローマ教皇に、日本での布教、やがてはキリスト教国への道のために、ぜひ、わが王、伊達政宗に加勢くだされ。

くらいの意図を持ちつつの、ということらしい。

それが、1613年から1620年くらいだというから、大阪の冬夏の陣も終わり、徳川の天下が落ち着きつつある。

そんな時代だ。

定説、通説というものが、いろんな研究者によって覆され、新たな歴史となっていく、のだろうけど。

それにしても、半世紀をそのことにかけた、その存念、モチベーション、って、なんだろうね。

もっとも、各人が自分史を紐解く、あるいは、客観的に書き表せれば、そこには、似たようなものが浮かび上がるのかもね。

先ほどの、お彼岸由来の討論会の中にだって、そんなものは、散見され、という立ち位置も可能だろうしね。

 

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伝統芸能を守るというのは伝統のメンタリティとセット

2017年09月23日 | Weblog

夕べは、田中会と銘打たれた、どうだろう、10年にはならないか。

長く続いている会で。

もともとが、どんな馴れ初めだったのか、忘れたけど。

指先で、数ミクロンの違いのわかる御仁を、頭目とした宴、しかも、芸者衆の踊りもプラス。

というもので。

年に4回くらいになるのか。

表題のような、伝統芸能を守る、というのも、ついでの、と言ったら申し訳ないけれど。

目的の一つには入っている次第で。

つまり、芸者衆の芸事含めたなりとたち、姿形をこの地に留め、くらいか。

なんだけど、まさに、表題のごとくで、芸能には、心、思い、考え方、などなどがあってこその。

ということで。

踊りとか三味線とかだけで、なりたっているわけでもなくね。

そもそも、芸者衆というもの発祥の理由、原因、きっかけ、というものは、知らないけれど。

芸能というのは、神事ではあったわけだ。

つまり、神との成婚、とでも言えるか。

供物、供犠とかにまで繋がりそうな話だけど。

神に捧げる、捧げることで、感謝をあらわすのか、願いを聞き届けてね、ということなのか。

そうそう、そう言ったことはともかく、夕べは、芸者衆のお一人が。

実はですね、と、この度結婚することになりまして、の発表会の場にもなった次第で。

半玉から一本立ちしたばかりで、これから本格的に、という時期に、寿退社。

ってわけだ。

めでたい。

のだけれど、少々、複雑な思いも去来するんだよね。

知り合いの理美容店から、一本立ちしていく職人さん、というイメージとも被り。

わが業界で言えば、年季が開けて独立、というのにも似て。

なかなか、働き方改革、という空疎な、いや、失礼、お為ごかしな、いや、これも失礼。

じゃ、なんて形容したらいいのか。

ま、そんな具合の改革話にも通じ。

そもそも、働くってなに?どゆこと?って。

芸者衆の結婚、ってのは、今までにも数多く、あったんだろうし。

女と生まれたからには、結婚して子供を産んで、それが女の幸せ、みたいな言説は。

街にも村にも、当たり前のように溢れかえり、その反対側に。

キャリアウーマン、みたいな横文字も散見され、って時代風潮。

の中、花柳界では、身請け、みたいな言葉も残っていて、つまり。

どこかの旦那に身を引かれる、というね。

そんなことは、実のところ、密やかに語られることで、発表します、みたいな、お天道様の下での話。

ではなく、というね、隠微な世界、でもあるわけで。

そんな時代の価値観が、とうの昔になくなっている、とすると、文部省唱歌のような。

明るい話に切り替えざるを得ず、だって、今だと、マスコミの餌食だよね。

なんてことにまで行き着いちゃいそうだけど。

いずれにしても、そんなわけで、めでたさも中くらいなりおらが春、くらいか。

だからね、そんな隠微な世界なんては、この世から一切無くしちゃえばいいんだよ、なんてひと頃流行った。

ウーマンリブのような。

そんな物言いも起こりそうだけど、反面、明るさは滅びのしるし、と言ったのは。

太宰治だっけ。

朝から、わけわからないところまで、行っちゃいそうだな。

なので、そろそろ、ルーティンに入ります。

 

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高野山には行ったことがない

2017年09月22日 | Weblog

こういうものは、ご縁なのかどうなのか。

夕べ、呑みの相方が、歴史好きで、仕事で。

吉田町へ行ったついでに立ち寄った、小山城、というんだね、あそこの。

車道からよく見える山城の話になり、その流れで。

じゃ、高野山へ行こう、とあいなった次第。

その御仁とは、以前、伊勢へもご一緒したので、奥様共々のイベントになるのかも。

ところで、上記、小山城、大井川を越えたすぐのところ、西から見たらね。

武田の誰それだったかが、作ったそうで。

海を求める甲斐の人々の気持ちは、壮絶とでもいうのか。

清水にしても、未だに山梨県の飛び地が残る、というわけで、凄まじい進軍だったのか。

大きな声では言えないけれど、その頃の名残、っては、ある苗字を纏った人々は、その頃。

かの地からやってきて、こっからここまではおらんち、みたいな切り取り合戦の挙句の姿。

なんて言い方もできるしね。

わが母親方のご先祖様も、韮が崎だ、というらしいんで、似たようなものだろうな。

そう言えば、くだんのご先祖様は、その昔、どこぞから嫁をもらうのに、自分の敷地を歩いてやってきた。

なんてよくありがちな話もあったな。

甲斐からやってきた、島津の丸十の家紋を持つ家、ってわけで。

さらにその昔は、九州からやってきたのか。

なんたって、屋号が、砂糖屋だったらしいからね。

そんなところにまでいく、歴史の物語。

夕べのもう一人の相方は、まだ、30代なので、歴史?WHAT?ってくらいなもので。

齢を重ねると、来し方行く末に対して、アレヤコレヤの思いが巡るのか、総じて、歴史好き。

とあいなり、だよね。

夕べ呑んだお店、近くの麹屋さんが熱く語っていたお店でね。

醤油麹を使ったメニューもあったな。

以前、お邪魔した時に、女性の寿司職人がいたので、そんな話から、静岡県の組合の中で。

お二人の女性が、職人をやってるらしい。

ねじり鉢巻なのかどうなのか、わからないけど、女性活躍社会、なんて言わなくても。

そこここで、生き生きと生きてる女性陣が、数多いるわけだ。

さて、お彼岸の一日を、粛々と過ごすことにしますか。

 

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今話題のロヒンギャ族もイギリスがらみらしいね

2017年09月21日 | Weblog

このところ、「ブレイブハート」以来、イギリス、という文字が。

このブログの画面に踊るんだけど。

表題のごとくに、あそこも、イギリスが事の発端だった、とどこかのサイトにあった。

ミャンマーがまだ、ビルマ、といっていた頃、少数民族のロヒンギャ族に武器を与え、インドでもやったんだろう。

ように、分断して統治せよ、くらいの羊飼いの論理、とでもいうのか。

だいたい、中東にしても、サイクスピコ協定、だっけ、ここに線を引きます。

みたいな。

まったく、かの国の歴史ときたら、わが列島のような、例えば、自虐史観のような。

そんなメンタル、あそこでは浮かんだりしないのかね。

良い悪いはともかく。

なんて繰言は、爽やかな朝には似合わないな。

昨日からお彼岸の入りで、釜の蓋ならぬ、地獄の蓋があく、というんだよね。

まったく、人間を手なづけるための、三百代言、あの手この手で籠絡し、というわけだ。

なので、ほんとに地獄なの、と確認をしてみむとて、この一週間は過ごそうか、と。

意識をあちら側に置き、こちら側を眺めてみる。

という密かな作業にとりかかり、もし、この今の瞬間をあちら側から眺めているとしたら、ってね。

自分からは手出しできない、そんな風に、起こり来ることごとに、向き合ってみる。

果たして、どないなりますやら、ってことで。

そう、昨日は、初めて静岡市議会場に入ったんだった。

中小企業振興基本条例の制定へ向けて、議員の方々との勉強会。

楽しかった、ちょっと、時間が足りなかったんだけれど。

中小企業は地域のインフラ、なんてフレーズがあるけど、もっとも。

うちなんか、厳密に言えば、小規模企業の部類なんだけどね。

にしても、毛細血管のように、狭い細い隅々まで行き届き、動脈と静脈のような。

そんな絵柄が、地域に生きる中小企業、ってことで。

土だね。

土の中に、無限に生息する微細菌のような。

そんなイメージ。

一人一人の人が、息づいている、その息遣いまで伝わる、そんな関係の持ち方。

ところで、涼しい、というより、冷たさを感じる朝。

夕べ、長男坊も立ち寄った夕餉、もう10月だね、もうお正月だね、早いね、という会話が。

妻からも立ちのぼり、一年の四分の三が過ぎようとしているわけだ。

というのが、ま、定説、通説、ではあるけれど、そもそも、グレゴリオのカレンダーがない頃。

人々の思いは、どんなだったんだろうね。

祈るように、穫り入れ時期を待っていたのか。

このあいだの蓼科への道中、黄金色に染まった稲穂、あんな光景は、綺麗だね、美しいね、癒されるね。

の大合唱とともに、見渡しもしていたけど、彼らにとっては。

ミレーの祈りの絵みたいな、敬虔な、厳かな瞬間だったのかもしれないな。

時は、そんな姿で感知され、生まれて成長していく幼子たちへの視線もそうだったのか。

 

 

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爾今と牡蠣の塩辛

2017年09月20日 | Weblog

そもそも、名前が好きなんだろうけど、爾今。

三重のお酒なんだよね。

久しぶりに、うどんで名を馳せている、げんきさんで、一献傾けた。

彼、こだわり、というけれど、研究熱心というのか、また、献立が増えていて。

今度は、お肉、清水の在の、承元寺付近の牧場から仕入れているようで。

ラインナップが増えていた。

んだけど、こちらは、ニッポン酒、なので、塩辛ざんまいではあったんだけど。

先ほど、一献、と書いたけど、なん献というのか、えらく聞こしめした。

そうだ、昨日は、キャリア体験学習、というイベントがあり。

総勢何名さんになるのか、10社の面々が小学校の生徒さんに、仕事をご披露申し上げ。

いろんな仕事があるんですよ、というね、ウタイでは。

10年経った時に、あなたの選択肢、職業のね、たくさんありますから、という。

そんなイベントが、挙行され。

ところで、昨日アップしたイングランドの歴史ね、いろんな出来事があったんだろうし。

声を潜めてのさまざまな語りがあるんだろうな、と。

この列島でも、数え切れない出来事の堆積もあり、誰それはこんな家系で、なんて物言いの中に。

語りつくせない、それぞれの歴史が隠されてもいて。

昨夜の相方は、定年をし、エブリデイサンデイ、という御仁で。

来月には、ヨーロッパのどこといったか、経めぐるらしく。

独り身の、自由気ままな旅をするという。

それぞれだよね。

bon voyage、と送り出してあげよう。


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