まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

ブログって言うの、見ましたよ

2013年11月30日 | Weblog
この間、出雲のね、石見銀山で。

一緒に自転車に乗った相方が。

そうおっしゃるんだね。

それに続いて、面白いですね、あの書き方、だったか、あの言葉つかい、だったか。

いずれにしても、お、あるんだね、という具合に、認知されると。

うれしくなっちゃってね、また、こうして、書いているのですが。

全部、読みたくなっちゃう、っていうようなことだったので、そう。

もう、10年になるから、記事は3000は超えてるね、と。

昨日は、修善寺から取って返して。

出雲行きでお世話になった、旅行会社の女性とともに、昼食だったのですが。

その彼女もまた、歴史好きなおなごで。

系図おたく、とでもいいましょうか、なかなか、の使い手で。

もう1人の相方も、大学の歴史学科出身なので。

僕のまわりには、歴史好きが集まっていて。

今度は、どこへいきましょうか、なんていう話で、ガストでの会食は終わったのですが。

そうだ、昨日は、帰りに長岡へ寄り。

長岡といえば、例の、温泉まんじゅうで。

30個入り、1600円也を買い求め、長男坊も次男坊も好きでね。

なんてことを考えながら、これください、とお店の方に言ったときの、たぶん僕の表情は。

決然たる父親の顔だったんだろう、なんてね。

で、そのあと、宮脇淳子さんの「世界史はモンゴル帝国から始まった」というyoutubeを聴きながら。

車を運転したんだけど、清水へ着くと、157からメールが入り。

あと、1GBで通信速度は低速になります、というんだね。

ひと月、7GBまでの通信量だそうで、修善寺への道中、youtubeをずっと聴いていたからね、と。

ソフトバンクの方に電話で確認とったら、そういう結論で、つまり、容量の食う動画を視聴しすぎちゃ、だめよ。

ってわけです。

いやいや、宮脇さんに登場願ったのは、遊牧民族のモンゴル帝国では、長幼の序、ってのがなくて。

ということなんだけどね。

さっき、長男坊、次男坊、って書いたから、そこから、つながっていって。

日本では、長幼の序、ってのを、大切にしていた時期も長かったわけだけど。

惣領の総取り、なんていうね。

僕もサッカー部では、先輩後輩の挨拶がうるさかったのを、思い出すし。

大学では、4年生が天皇で、1年生は奴隷で、みたいな脅し文句があったもんだけど。

モンゴルでは、そんなのがなかったそうだから、朝青龍なんかは、苦労したんだろうね。

からだにしみついたものをそぎおとさなけりゃならなかったんだから。

いろんな角度から、歴史ってやつをながめると、とても、面白くて。

口から泡をとばして議論している、といっても、わりと、枝葉だけを見ている、みたいな風情満載でね。

早い話が、井の中の蛙は吠える、っていうわけです。

さて、本日も1000文字越えなので、このあたりで、って書くと、なんだか。

あとからあとから、なにごとかが涌き起こってくるけれど、この時代。

断捨離じゃないけど、捨てることも大事なことで、とエクスキューズを入れて。

終了です。
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修善寺教会の目の前にて

2013年11月29日 | Weblog
夕べから、修善寺へ来ていて。

同行者は、みなさん、仕事場へむかい。

一人、部屋の中で、ブログを書いているのです。

この姿は、孤独なのか、余裕なのか。

目の前には、表題のごとくに、教会が。

山は色づき、そう、もう忘年会が、なんていう季節だね。

この教会は、ロシアから移築されたそうで。

戸田港の、プチャーチンつながりなのか。

あとで、調べてみようかな。

仕事でお世話になっている方と、言ってみれば、接待酒でもあったんだけど。

こちらが楽しみ、という感じで。

十何年前になるのか。

こちらのホテルの仕事もやらせていただき。

その時の責任者は、病いに斃れ、半身がままならず。

誰それさんのところは、会社が倒れ、というような。

悲喜こもごもある中で。

こうしてブログを書いているのかと思うと。

なんちゅうかホンチュウカ、ですね。

さてさて、それでは、私目も、仕事の場に向かうとしましょうか。
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ねぇ、あんた、仕事にいっておくれよ!

2013年11月28日 | Weblog
表題のあとに。

このままじゃ、鍋のふたが開かないよ、って続くわけだ。

今朝ね、コンビニの暗い駐車場で、迎えの車を待って座り込んでいる若い人がいて。

さらに走っていくと、信号の付近で、うずくまってタバコをすっているサラリーマン風の方を。

目にし。

表題のような、「芝浜」のね、落語ですが、フレーズが浮かんできて。

皆さん、理由はともあれ、仕事いっておくれよ!病を罹患している。

という見立てですけどね。

それを、意気揚々たる、と形容してもいいし。

ほんとは恋人と一緒に朝寝がしたいけど、しょうがなしに、とか。

つける言葉や修飾ってのは、さまざま、星の数ほどあるってわけで。

今、風鈴が元気に音を立て、南の空には渡り鳥が、という中で、書いているのですが。

ところで、「出雲の旅」の写真を、二三本、Facebookにアップしたり。

ブログで、何本かご紹介したりしたんだけど、楽しそうですね。

という感想を何本か、いただいたわけだ。

もちろん、楽しかったのだけれど、ほんと、何を切り取るか、ってのは。

一大事、ですね。

なにごとにつけても。

例えば、実のところ、出雲で行きたかったところ、ってのは、しこたまあって。

なにせ、神社おたく系、ですから。

熊野さんにも物部神社にも、出雲国造の千家さんのところにも、と。

言いだしたら、きりがないのですが、ここにスポットライトをあてたら。

そりゃ、欠乏感満載の、「出雲の旅」ということになりね。

コメントは、残念でしたね、ということになったんだろうな。

そりゃ、「他郷阿部家」で講演いただいた、松場登美さんの。

「足元の宝を見つめて暮らしを楽しむ」という演題のとおりで。

足元の宝を見ないで、どこかにいるだろう、と言われている青い鳥をね。

探しまわる、という。

例の、誰が仕組んだか知らないけれど、術中にはまってしまうわけです。

なんか、今日は、抹香くさくなっちゃってるね。

さて、今日は、それこそ、お仕事の関係で、修善寺です。

かの地も、温泉で有名なわけですが、空海さんが探し当てた頃とちがって。

少し、温泉力が落ちているようで。

それも仕方ないことですが、あの、地からわき上がる力、ってのは。

なかなか、人間のあの手この手では、補えないのかもしれませんが。

とはいえ、家にも魂があるように、地にも魂があるわけで。

そこのところで、表面的な、現世利益だけでなく、源からの力とフィットすれば。

相当の力を発揮してくれるんだろう、と思うんだけどね。

それはともかく、今晩は、かの地で、古いふるい歌をうたうのかもしれません。

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起承転結でなく結承転提なんだ、と

2013年11月27日 | Weblog
結論を言え、結論を!

ってことらしいんだけどね。

ヤクザみたいな物言いみたいでもあるけど。

かれら、誠意を見せろ、誠意を、ってね。

はやい話が、金をよこせ、というね。

今朝は、Macがネットに繋がらず。

iPadから書いてるので、言葉の出方が、少々違います。

なにせ、キーボードに触れる指先が、言葉を紡ぎ出す、って算段で。

頭じゃないんで。

こんな時には、困るんですが。

そうそう、表題ね。

日経の小さな記事にあって。

文筆を生業にしているかたがたは、ネタを拾うのにご苦労されるわけだ。

ってことは、ともかくとして。

結論から先に話しなさい、ということで。

確かに、ビジネスのシーンでは、効率としてはいいし。

あるいは、危機が迫った時には、スピーディな対処ができていいよね。

落語の、なんだったか、はやいはなしが、ほら、あんたのふところに。

火玉がさっきから入っていて、煙が出てる、ってやつね。

ああした危機的状況では、結論を言え、先に。

ってのは、成立するね。

しかし、日常生活では、それで終わっちゃうから、で?なに?

ってなもんで。

ああでもないこうでもない、という、結論だかなんだかわからない、ってところに。

なんとも言えない、人間の妙味があり。

なので、このあたりを、使い分ける、という技法を。

知らぬ間に身につけるわけだ。

使いわける、という発想そのものが、からだの中の、いのちと別物で。

そもそも、そこで、まず、一回、無理をし。

そのうち、本末が転倒し。

使い分け、が、本物と勘違いし。

定年を向かえた、家庭内粗大ゴミなんて、一昔前には言われた人種、というか、形容には。

そのあたりの哀感がただようよね。

ここまで書いてきて、お寺の鐘もなり。

やっと、Macのネットがつながり、キーボードに替えたのです。

さて、本日は営業会議で。

50インチモニターを、どうやって使おうか、と思案中、といったところで。

そうだ、今朝、事務所に入るとき、ご近所の87歳になるというおじいさんと。

何時から歩いているんですか、なんて会話をしてね。

この辺りを、三周歩く、とおっしゃるんだね。

年寄りは、歩かなくちゃ、とも。

お元気でいいですね、と別れ、僕は、ブログ書きに向かったのでしたが。

このところ、この朝の時間が、たまらなく気に入っていて。

早く着いちゃうので、ラジオ体操おじさんには会えずじまい、なのです。

出雲以来、伊勢神宮と出雲大社について、ふと、思いが湧いてくることがあってね。

古代、この日本列島でおこった、今で言えば、グローバリズムの波がね。

各地におそいかかり。

それは、いいとかわるいとか、ではなく、時代の流れであったのでしょう。

というような、ざっくりの感想ですが。

なので、あたかも、今初めての体験、みたいなキャッチコピーもありがちだけど。

わがご先祖様方は、しこたま、そういったことを体験されてきて、この今にいたっているので。

何があっても、ほとんどのことは経験済みなのかも、というね。

お気楽な気分にもなるってなもので。

では、本日は、これにて終了です。


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鶴瓶は奥出雲へ

2013年11月26日 | Weblog
我々のたどったコースを。

あの鶴瓶が、と言いたいところだけど、彼らは、奥出雲で。

たたら跡があり、スサノオさんが、稲田姫と出会ったあたりか。

残念ながら、われわれは、どちらかといえば、海岸沿いの旅だったので。

同行の、石見銀山の自転車の相方から、メールがはいり。

少し、興奮気味な、ね。

二日続けて「家族に乾杯」で、奥出雲です、という。

なので、そう、そうなっているのです、とわけわからない返信をしといたのです。

大社さんで、そう、地元の方は、こういう言い方されていたな。

御朱印をいただいて、それを、わが母親に、これが、と渡した。

即座に、仏壇へおしいただくようにお供えし。

これが、また、ひのもとの奥行きの深さというわけです。

神(しん)だ、仏(ぶつ)だ、と色分けしないしね。

「他郷阿部家」でも、登美さんが。

クリスマスを祝い、お正月に神社へ初詣に行き、というのが。

なんともいえない、日本の味で、というようなことをおっしゃっていた。

けれどね。

ところで、登美さんは、新聞もテレビも見ない、けれど、新聞は発行している。

とおっしゃっていたけど。

こちとら、最近は、日経読み、で。

毎朝、読みたい記事だけ、読んでいるんだけどね。

evernoteというクラウド型の便利なアプリがあるので。

蛍光ペンで線を引き、iPhoneでスキャンし。

evernoteへ放り込み、僕だけのキャプションをつけるんだけど。

かっこ良く言えば、新聞記事をキュレートする、ってわけだ。

というか、まわりで起こっていること、の中、新聞にとりあげられた出来事を。

晴れ舞台にのせる、って算段で。

これが、なかなか、面白くて。

さらに、このアプリ、検索機能はじめ、編集もいろんな機能がありね。

って、朝から、evernoteの提灯記事を書いても仕方ないけれど。

ま、楽しんでいるのです。

さらに、iPadAirが、早くなったので、ほら、こんな記事が、というときに。

ストレス、あんまり、感じなく、かつ、会話の流れをとぎれさせることもなく。

ということで、スマホがらみの、年に似合わぬ使い手、を自慢してもいるんだね、これ。

それはともかく、昨日は、文字通り、朝から晩まで、個人ミーティングで。

50インチの大型スクリーンを活用しながら、というね。

同じスケジュールを、ひとりひとりに伝える、ってのも。

メール全盛の、この時代には、むしろ新鮮で、ね。

未だ来らぬ、という未来の予定、ってやつも、目の前の相方とのお約束、っていう。

とても、大事な出来事なんだけど、それが、いつの時代からか、辻に立つ、高札所みたいな。

どこか、上から目線の、効率のいい伝達の仕方、みたいなのが、あふれだし。

たしかに、そのおかげで、新幹線は、寸秒も狂わず、到着時刻を厳守し。

なんて、冗談のような出来事が、当たり前化し。

なんだけど、人の進化、なんてのは、それほで、高等でもないから。

どこかで、痛みが、屈折し、東京の歩行者のような、なんて書くと、東京人(とうきょうびと)には。

申し訳ないけど。

生きている、という意味と目的が、ごちゃまぜになり。

なんてことにもつながるのかな、とね。

いやいや、どうも、登美さんのイデオロギーにブレインウォッシュされちゃったみたいだね。

ってことは、どうでもいいけど。

さて、今日は、ある会合で、15分、話をしなけりゃならないので。

この辺で。

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出雲大社に詣でて

2013年11月25日 | Weblog
またまた、出雲ネタで恐縮ですが。

表題は。

皇后陛下が、平成15年に参詣されたときの御歌。

 国譲り 祀られましし 大神の

  奇しき御業(みわざ)を 忍びて止まず

の冒頭にお書きになられている言葉で。

それにしても、この御歌(ぎょか)はすごいね。

伊勢神宮との関係やら、大和朝廷とのなにがしが、などの感懐を。

この、みそひと文字で、すべて包み込むような。

言葉には、境涯があわられざるをえず、なんて話になると、やっぱり。

ひのものとには、ある種、独特な空気が流れている。

なんて、言いたくなってしまいます。

これ、大社で、御朱印をいただいたときの袋に印刷されていたものなんです。

そういえば、出雲の旅へ同行予定だった、不動産屋の大将から、餞別をね。

いただいていて。

午の土鈴を買ってきて、という言付けとともに、だったんだけど。

よくよく考えてみれば、彼、この旅への餞別だったんだろうな。

と気づき、僕がもらったと勘違いしていたよ。

なので、12月に、忘年会をかねて、この旅の反省会をするので。

そのときの足し前にしようか、とね、考えているのです。

皇后陛下の御歌のあとでは、たわいない話題に見えちゃいますが。

その実、そうとも言えなくてね。

縁結び、というけれど、いろんなご縁の結びかたはあるわけで。

現地に旅をしなくても、森の石松が金比羅山へ、次郎長の代参をしたように。

彼にとっての森の石松になりかわり、土鈴を買い求め。

もう一人、鰹節屋の大将には、娘さんふたりの良縁を、ということで。

縁結びのグッズを買い求め。

なかなか、出雲の旅は、そう言う意味でも、忙しかったわけだ。

かたじけなさになみだこぼるる、というのは、お伊勢さんだけど。

かたや、出雲は、群言堂の「登美」さんのような。

とても、自然体で、暮らしのなかに根を張った、というのか。

ごく当たり前のことを、当たり前にしている、という今では。

とても難しいことなんだけど、そんな感じです。

天下国家より暮らしが好きなの、という、勇ましい方々は、目を三角にされそうな。

そんな感想が湧いてくる、出雲の旅で。

今、彭湃として、しかし、ひそやかに日本の各地でおこりつつあることの原型を、どうやら、かの地で。

見せていただいたような、ね、そんな気分です。

出雲と伊勢が、陰陽とは、うまく言ったもので。

この日本列島のバランサーとして、いいね!ですかね。

さて、本日は、個人ミーティングで、一日、この部屋に缶詰状態です。

サバの味噌煮なんかも、缶詰になると、いい味になるようだから。

そんな一日になるのでしょう。



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出雲大社の神存月の三連休は

2013年11月24日 | Weblog
表題につづいて。

四十何年間、大社の警備をされている方が。

初めて見る光景で、お正月以上だ。

と言ったそうだ。

一の鳥居から本殿まで、5~600mくらい、あるのかな。

そこまで、5列でびっしりと。

都会の方々は、我慢強い、と言ったか。

えらい、と言ったか、なかば、あきれたような物言いで。

とても、フレンドリーな警備のおじさんが、教えてくださって。

毎日お詣りする地元の方は、隅っこの方で、パンパンとお詣りしているんだけけどね、と。

いずれにしても、そのくらいの人出だったそうで。

そんな話をうかがいながらこちとらも、その都会の方々の一員なのかも、だけどね。

というわけで、出雲から帰ってまいりまして。

こんな具合に、また、ルーティンワークに舞い戻ったのです。

今朝は、なんか、興奮したわけでもないんだろうけど、6時前から、これこのとおり。

ブログをアップしているのです。

旅は道連れ、とは言ったもので。

だんだん、お互いの肚があってくる、とでもいいましょうか。

帰り際、名残惜しくなり、といった風情でね。

いろいろ、エピソードはあったんだけど。

それ書いていると、一日が終えてしまいそうなので。

覚え書き風に、旅程だけ、書いておきましょうか。

一日目、というか、前日、夜の8時11分の静岡発の新幹線。

名古屋から、9時30分くらいの、深夜バスにて、出雲市駅まで。

21日の朝、7時22分だったか、10時間かけて、です。

その間、ワンマン運転手さんは、どこでだろう、2時間くらいかな、仮眠をとって。

レンタカー屋さんにて、10人乗りのワゴンをお借りし。

総勢9名の出雲の旅が始まったのでした。

もちろん、二三日前にアップしたように、出雲大社へ。

その後、日御碕の灯台にて、昼食。

そう、朝食は、大社前の、なんていうお店だったか、サバ寿司とのどぐろの寿司をいただき。

灯台では、みなさん、日本海どんぶり、くらいの名前のご飯とビールで。

そこでも、のどぐろが干してあったので、それをいただき。

日御碕神社へ。

ここは、スサノオさんをお祀りしていて。

西伊豆の妻良とか井田とか、あるいは東北の南三陸を狭くしたようなところに神社はあり。

出雲大社とさわがれる、ずっと以前は、ここから、わがご先祖さま方は、日本という国に。

やってこられたかな、と直感するようなところで。

それから、1時間ばかりかけて、須佐神社へ。

もちろん、スサノオさんがお祀りされているお宮さんで。

道をはさんで、須佐屋ってお店で、みたらしだんごをいただき。

それこそ、小さなご縁をつないだのでした。

この地は、どうやら、ひと頃流行った、江原さんが「パワースポット」認定されたらしく。

若い女性の人気の的のようで。

境内をお掃除されていたおじさん、ま、神様のお使いですね。

その方とも、しばし、数人でご縁を結んだのだけど。

曰く、何年か前から、急に人が増えて、とおっしゃっていた。

とても実直な方で、話していて、こちらの気持ちも清々しくなり。

まさに、スサノオさんが、ここは清々しいから、須賀となづけよう。

とおっしゃった、その気分になったのでした。

そこから、出雲市駅ちかくの、モーリスグリーンホテル、だったか、宿泊の地へ。

夕食は、「吾作」にて。

ここでもまた、のどぐろのさしみ、サバのさしみ。

日本酒は、出雲の地酒、純米吟醸「やまたのおろち」と「花かんざし」。

地元料理に舌鼓をうち、ホテルへ帰る前に、名物の「出雲そば」を。

ということで、駅前にて、名前、忘れましたが。

さて、翌朝、僕とあと二人で、5時に出雲大社へ出発。

早朝参詣を。

ここで、楽しいご縁があったのですが。

一言だけ、大社さんの警備の方も、とても、フレンドリーで、まったり感満載、とだけ。

感想を記しておきます。

もう1500字越えだけど、急ぎ足で。

22日は、「石見銀山生活文化研究所」へ。

これ、資本金4800万円の株式会社です。

ここで、店内を見学させていただき、社長の「登美」さんのお話をうかがう。

一時間、許可もいただき、ビデオ撮影をさせていただきました。

何回も、涙腺が刺激され、もうね、ここでも、清々しい気持ちにあふれたのだけど。

この「登美」という名前が、出雲の地に伝わる「富家」の伝承にもつながり。

彼女、三重のお生まれらしいけど、あまりにもあまりな、名前の女性で。

このあたりも詳しく書きたいけれど、残念ながら、石見銀山へ向かいます。

そこで、龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)まで、自転車にて上る。

この時、電動じゃないので、アクティブにして、カヌーの達人、プチ登山家の。

相方の女性についていくのがやっとの状態で。

ところで、間歩、というのは、銀山の坑道のことをいうのかな。

ま、とにかく、その後、玉造温泉の「白石屋」に、雨に降られながら向かう。

1300年前に、清少納言が、日本三大名湯とうたったひとつで。

あとのふたつが、有馬の湯、と榊原温泉の七栗の湯ですね。

翌日、23日は、足立美術館へ。

聞きしに勝る、館内の窓からながめる、さまざま角度をかえた景色は。

おのおのがおのおのの自由な角度から眺めることでできあがる、一幅の絵で。

これは、世界が注目するわけだ。

その後、米子駅へ。

で、伯備線にて、途中、ほうこく、という山田方谷(やまだほうこく)由来の駅をとおりすぎ。

岡山へ、で、静岡へ帰ってきました。

って、今日は、2000文字越えだ。

ついでに、本日は、Facebookにもリンク、しちゃいます。

取り急ぎ、出雲の旅でした。

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出雲大社はそこにあったのでした

2013年11月21日 | Weblog
って、当たり前の表題ですが。

一の鳥居、がありまして。

初めてだから、そこから入りましょうね。

というお約束の中。

駐車場から歩いていく道中、喫煙スペースがあり。

いつもの調子で、なんだね、という風情でそこにいらっしゃったご婦人と話になり。

五月の遷宮以来、人の数は尋常でないらしく。

なんてことを、タバコを吸いながら、なんですが。

最後の別れ際、佳いご縁を、と言うんだね。

いや、その言葉に、僕は、ひっつかまれた、という感じで。

素敵な言葉なのでした。

それ、一つで、出雲という地が好きになり。

そのまえ、車中でも、縁というのは、男女に限定でなく、人皆のご縁をむすぶ、ということを。

教えていただき。

という前段がありながらの、大社の参詣だったので。

合掌しながら、浮かんでくるのは。

えん、えん、縁、という音で。

それが、ハートのあたりを刺激し。

今回の出雲旅行を暗示もし。

明日の「石見銀山生活文化研究所」の見学にもつながり。

というようなことを。

少し酔いながらのブログにしたため。

明朝は、数人で、早朝の出雲大社を味わうために、こんばんは早めに寝ちゃいます。




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出雲へ

2013年11月20日 | Weblog
今日は、出雲へ旅立ちます。

それに、朝の5時から日本代表戦。

なので、ブログが書けません。

今、1対1で、前半を終え。

いつものルーティーンワークはお休み。

さて、では、次のUPは、出雲の地からとなります。
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もみじは黄葉とも書くようで安心した

2013年11月19日 | Weblog
夕べ、本屋さんで、パラパラと歳時記をめくり。

秋のもみじの当たりを眺めたらね。

表題のごとくで。

黄にいろづいた様も、もみじ、と詠んでいて。

一安心、といったところで。

それにしても、たくさんの句が詠まれていて、感心もし。

ところで、今朝、稲荷神社の、神様のお使いに。

そう、朝も早よからお掃除をしてくださっていてね。

明日の晩から、出雲へ行きます、なんて言ったら。

おたくは、えらいね、神社がお好きなようで。

共通の知人のだれそれさんも、いいことがきっとあるよ、と言ってましたよ。

というわけだ。

そりゃ、神様のお使いの方に、そうおっしゃられれば、悪い気もせず。

そうかもしれませんね、と素直にお聞きしたのです。

事務所までの道すがら、ご近所のお年寄りに、おはようございます、と声をかけたら。

早いね、と返ってきて。

その方も、お若い時には、朝早くから、一心不乱に仕事をしていたのかも、なんてことが浮かんできて。

早いと気持ちがいいですもんね、とこちらも返し。

さて、ベランダを見てみると、わがナスの鉢が倒れていて。

風が強かったんだっけ、夕べ。

なんて思いながら、ひもでゆいなおし。

明日の晩から旅立つ出雲は、5~6度くらい気温が低いようで。

寒いさむいが連発されるのかもしれないけれど、果たして、なんの薄着だっけ。

あんまり、寒暑の感想をのべないわたしめが、どのように変容するのでしょうか。

とこれもまた、楽しみのひとつなのです。

出雲から帰ってきた翌週の月曜日、鶴瓶の「家族に乾杯」は奥出雲らしく。

ナイスタイミングというのか、どうなのか。

旅程からいうと、どうも、奥出雲のたたら跡まではたどり着けそうもないけれど。

何日か前に書いた、木次線沿線の旅、ですね、きっと、わが鶴瓶師匠は。

それはそうと、夕べ、妻が帰るなり、今日の月はすごいよ、パワフルで。

と言っていて、ああ、そうですか、と僕は、布団の中にいたのだけど。

今朝、西の空を眺めたら、たしかに。

あれを古代の人々が眺めたら、なにごとかのおわしますかはしらねども、というような。

拝跪、というのか、畏怖、というのか、そんな気分で。

もし、なにか日常生活で、不足感を持っている人だったら、なにか、スーパーパワーをわたしめに。

授けてくれるんじゃないか、と思っても不思議じゃないな、とね。

そうそう、この間、接祖峡のおばちゃんのところで、蜂蜜、買ってきてね。

この右の方です。



日本ミツバチの純粋の地元産だよ、と。

ドローッとしていて、スプーン一杯、茶碗にいれてお湯をさし。

で、この二日間、いただいているんだけど、いいです。

最初、蜂蜜の濃厚な香りもしないので、これ、水飴入ってるのかな、なんて不遜にも。

感想が湧いたんだけど。

ごく自然に体に浸透するような、そんな感じでね。

ところで、予告篇ですが、近いうちに、この写真、「考えない人」について、ご紹介したいな、と思ってます。



まさに、to be continuedですが。

ロダンの「考える人」をパロっている写真だけど、そうか、どこかには、同じこと、それこそ、考えている方がいるんだ、と思いつつ。

ネットで拾ってきたものですが。

ロダンは、すばらしい芸術家だったのでしょうが、あの像に、どのくらいの方々が洗脳されたのか、と思うとね。

ま、そういうわけで、本日もお寺の鐘が鳴り、風鈴も音をたてているのです。



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