昨日は、防災訓練に続き、そば打ちの会へ。
おかげさまで、たらふく、飲ませていただきました。
素敵なお寺さんでね。
そこの総代さんの手になるおそばをいただき。
お肉も、伊豆牛の絶品を、というわけだ。
表題は、そこのお嬢さんが、入試だそうで、わが母校をめざし、と言うんだね。
芸術科のある学校で、そこで、声楽を勉強し、と。
ワインやらなにやら、たくさん飲みながら、いろんなフレーズが記憶に残っている。
はずなんだけど。
忘れました。
忘却とは忘れ去ることなり、だっけ、なんか、そんなの、あったよね。
さて、今日は、(仮称)イマルの会だ。
さすがに、当日になってしまうと、なにも、浮かんでこないな。
粛々と、淡々と、準備をするのみか。
と書いてしまうと、本日のブログ、終了です、と続いちゃいそうだね。
オペラ歌手だった。
オペラというと、「ハンニバル」のレクター博士か。
「羊たちの沈黙」から続く、三部作だ。
高踏趣味、とでもいうのか、洗練された貴族たち、というのを、オペラで表現していた。
というのかね。
レクター博士は、人の肉を食べるんだけど。
食べられる人ってのは、なんだろう、俗人なのに高踏趣味を気取っている。
というのか。
落語に出てくる、長屋のご隠居さん、というような表現は、ヨーロッパでは。
成り立たないかな。
ヨーロッパとアラブの争いが激化している現在だと、複雑な思いが湧くような。
そんなオペラでもあるんだけど。
って、こんな具合に切り分けると、ちょっとね、なんとかイズムに陥る可能性もあり、で。
難しいもんだ。
高みにのぼる、なんていい方あるけれど、これもね、実のところ。
さらなる不幸を呼び寄せる方策、とも言えて。
こんな自分じゃだめだ、というマゾ、M的なね。
自分を否定すると、他人も否定する、って算段で、一見、謙虚に見えもするけれど。
やっかいなシロモノなんだよね。
ニーチェは、このあたり、どんな具合に始末したのかな。
たぶん、大ニーチェに対して失礼だけど、始末に負えなくて、狂ってしまった。
のかも、としておきますか。
そうそう、防災訓練では、いろんな方と出会い。
全国を講演で飛び回っている御仁とも挨拶を交わし、ダウン症のお子さんも紹介していただき。
だったんだけど、深い会話まではできなかった。
この方の、なんていうのか、転換点、とでもいうのか、そのことについて。
ちょっと、語ったら、とても興味深いものになるんだけどね。
最近、ギターを始めた、というのか、再開した、という御仁とも。
このあたりでは、俺が初めじゃないかな、エレキギターを買ったの。
あの音の衝撃は、忘れられない、とおっしゃる。
そうそう、そうでしたよね、と僕も応じ。
その御仁は、会うたびに、いつ始める、とギターを弾く仕草で、声をかけてくれるんだけどね。
この歳になると、なにか、やってなきゃね、ということで。
ビートルズ世代もそういうお年ごろになったのか、という遠い思いも感じ。
そこはそれ、精神の高踏趣味でもいいから、人生を謳歌していただきたいものであります。