まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

わたしはオペラ歌手になる

2015年11月30日 | Weblog

昨日は、防災訓練に続き、そば打ちの会へ。

おかげさまで、たらふく、飲ませていただきました。

素敵なお寺さんでね。

そこの総代さんの手になるおそばをいただき。

お肉も、伊豆牛の絶品を、というわけだ。

表題は、そこのお嬢さんが、入試だそうで、わが母校をめざし、と言うんだね。

芸術科のある学校で、そこで、声楽を勉強し、と。

ワインやらなにやら、たくさん飲みながら、いろんなフレーズが記憶に残っている。

はずなんだけど。

忘れました。

忘却とは忘れ去ることなり、だっけ、なんか、そんなの、あったよね。

さて、今日は、(仮称)イマルの会だ。

さすがに、当日になってしまうと、なにも、浮かんでこないな。

粛々と、淡々と、準備をするのみか。

と書いてしまうと、本日のブログ、終了です、と続いちゃいそうだね。

オペラ歌手だった。

オペラというと、「ハンニバル」のレクター博士か。

「羊たちの沈黙」から続く、三部作だ。

高踏趣味、とでもいうのか、洗練された貴族たち、というのを、オペラで表現していた。

というのかね。

レクター博士は、人の肉を食べるんだけど。

食べられる人ってのは、なんだろう、俗人なのに高踏趣味を気取っている。

というのか。

落語に出てくる、長屋のご隠居さん、というような表現は、ヨーロッパでは。

成り立たないかな。

ヨーロッパとアラブの争いが激化している現在だと、複雑な思いが湧くような。

そんなオペラでもあるんだけど。

って、こんな具合に切り分けると、ちょっとね、なんとかイズムに陥る可能性もあり、で。

難しいもんだ。

高みにのぼる、なんていい方あるけれど、これもね、実のところ。

さらなる不幸を呼び寄せる方策、とも言えて。

こんな自分じゃだめだ、というマゾ、M的なね。

自分を否定すると、他人も否定する、って算段で、一見、謙虚に見えもするけれど。

やっかいなシロモノなんだよね。

ニーチェは、このあたり、どんな具合に始末したのかな。

たぶん、大ニーチェに対して失礼だけど、始末に負えなくて、狂ってしまった。

のかも、としておきますか。

そうそう、防災訓練では、いろんな方と出会い。

全国を講演で飛び回っている御仁とも挨拶を交わし、ダウン症のお子さんも紹介していただき。

だったんだけど、深い会話まではできなかった。

この方の、なんていうのか、転換点、とでもいうのか、そのことについて。

ちょっと、語ったら、とても興味深いものになるんだけどね。

最近、ギターを始めた、というのか、再開した、という御仁とも。

このあたりでは、俺が初めじゃないかな、エレキギターを買ったの。

あの音の衝撃は、忘れられない、とおっしゃる。

そうそう、そうでしたよね、と僕も応じ。

その御仁は、会うたびに、いつ始める、とギターを弾く仕草で、声をかけてくれるんだけどね。

この歳になると、なにか、やってなきゃね、ということで。

ビートルズ世代もそういうお年ごろになったのか、という遠い思いも感じ。

そこはそれ、精神の高踏趣味でもいいから、人生を謳歌していただきたいものであります。

 

 

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この世の終わりパート2

2015年11月29日 | Weblog

今朝の表題は、母親がらみで。

既報の、腕をふるわせながら、次男坊のなんとかが。

とか、おさいふがなくなったけど、家族でお金を使ってもらえばいいから。

とかね。

そんな話を、妻にするらしい。

わなわなとふるえ、というわけだ。

記憶の集積が自分です、という、ある意味、デフォな生き方でもあるんだけど。

その、集積した記憶の中から、何を、どんな演出をして、拾い出すか。

ってのが、また、人生の妙味でもあるんだよね。

彼女の場合、そんなわけで、なぜあたしが不幸かというと。

これこれこういうことが、過去に起こった。

岩盤のような過去は、あたしには変えられません、まる。

という強固な意志、というのか、そんなものがあるようで。

って、みたわけではなく、あくまでも、推測、類推、妄想の類ですけどね。

もっとも、そんなことは、どこにでも起こっていることで。

みんな似たようなものだ。

なんて話で、朝の会話は盛り上がり。

さて、今日は、防災訓練ということで、火を起こし、ご飯を炊き、というイベントだ。

いつか、遠野へ行った時に聞いた話では、訓練を、かなりリアルにやっておいたので。

311の当日は、かなりスムーズに、ということではあったんだけど、災害の規模が。

あまりにも大きく、いわゆる、想定外、というやつだよね。

即座に握られたおむすびと毛布などを積み込み、被災地へ向かった隊員が。

大幅に遅れて帰ってきた時の話は、なんとも言えなかった。

泣きじゃくりながら、だったと言うんだね。

あまりの被害に、呆然自失。

そんな話をしてくださったのが、売店のおかみさん、彼女の義理のおかあさまも亡くなられ。

なんて会話を、タバコ吸いながら、笑いも交え、だったんだよね。

そんな災害の被害を、なんとか、極小に、ということで、今日の訓練なわけだ。

来週は、事務所の町内の訓練で、二週連続、です。

今朝、町内の世話役さんと神様のお使いのお二人としばし会話。

あんたちまえの、山田さんが救急車で運ばれたね、おととい。

僕はでかけていて、知らなかったです、と。

彼もまた、認知症なのか、お歳は、90歳を越えておいくつだったか、なので。

むべなるかな、ということなんだけど。

奥様をなくされる前までは、あたまもからだも達者な方で、どこぞの会社の社長やら。

老人会の会長やらをされていた方なんだけど。

そうだ、わが父親の兄、亡くなったおじのもと同僚でもあったんだ。

そんなことなら、25年くらい前になくなった、わが父親とも、どこかで遭遇もし。

もし父親が健在なら、いろいろと話しもできたかも、なんてことも、ふと浮かんできた。

なので、心優しい占い師、というのか、そんな方は、みんな、あの世へ行けば、死んじゃった方々に。

会えますよ、なんておっしゃるわけだ。

しかし、どこの場面で会うか、ってのも、重大事だね。

表題のごとき、わが母親と、仮に、なくなった父親が出会ったとしたら、一体全体これって。

みたいな場面が出来上がり、おいおい、これ、どうなってるんだ、なんてね。

しかし、丹波哲郎も言っていたかどうだか、知りませんが。

あちらでは、瞬時にコミュニケートできますから、しかも、言葉やらなにやらを使わず、と。

ということで、めでたしめでたし、という次第だ、とね。

というようなわけだから、この眼の前の出来事というのか、あるものを、存分に味わいましょう。

ってのが、リアルなありようだな。

だって、それしか、リアルなもの、ないんだものね。

あとは虚ろ、あとはうつろ、なんて流行歌のフレーズ、あったよね。

うつろ、といえば、わが内側にね、あるものは、というのか、うつろがある、とでもいうのか。

禅やらなにやらでは、空(くう)というね、なにもないものがある、という、なんだか。

それこそ、禅問答みたいなものなんだけど、最近、瞑想について思うに。

日常の生活のなか、立ち居振る舞いのさなかに、この、うつろなるものを、携行している。

というのか、とともにある、というのか、そんな感じもしたりね。

なんとか会じゃないけど、インナートリップってのは、リアルと取り混ぜると、途方もない豊かさを。

提供してくれるのかも、という気がしているのです。

さて、そうだ、今日は、ひょっとしたら、そば打ちに出かけるかも、だった。

興津川の上流、いつものワイン好きおやじ、と言っては失礼か、ワインに詳しい某社長。

のお招きで、って、なんで匿名にしちゃったんだろう。

ま、そんなそば打ちが、某お寺さんであるそうで。

なんだけど、防災訓練があるからね、はたして、どうなりますやら。

という、伊勢の御仁の懇話会(未だ名前がありませんが)、そうだ、以前、イマルの会、なんての。

その御仁とともに、作りましょうよ、スカイプじゃなくでも、iPhoneのFaceTimeでもいいでしょ。

なんてこともあったんで、仮称イマルの会、としておこうかな、そんな会の。

宵宮たる、本日の日曜日が、みなさまにおかれましても、歴史的な日となりますよう。

お祈り申し上げつつ、ブログ、お開きとさせていただきます。

 

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また君に恋してる

2015年11月28日 | Weblog

だっけ。

それとも、まだ君に恋してる、だったか。

ビリー・バンバンのね、坂本冬美が歌ってヒットした歌。

にかけた表題にしようと、というのも。

夕べ、お月様と、また、ランデブーだったんだけど、それを。

表題にしよう、とトライしてみたわけだ。

きみ、と、卵の黄身、と、お月様、という連想ゲームで。

なんて、前置きはともかく、カワハギをね、肝なんとか、というんだったか。

お醤油に混ぜて、という肴で、一杯、やったのだけれど。

お開きが、割りと早くて、帰宅は歩いて、ということでね。

ふと見上げた東の空に、お月様が煌々と輝き、という情景だ。

光景、というようり、情景、と書きたくなっちゃうな。

思わず、前回と同様、笑いがこみ上げ、ちょっと、待っててよ。

真正のお月見をしますよ、と公言、というのか、放言、というのか、お約束をして。

家路についた、という次第で。

夕べの酒盛りは、というほど、飲まなかったけど、出刃包丁の数々を見せていただき。

熱海の、なんだっけ、まさもと、という研師の云々、とかの会話を。

同行のお二人に、聴いていただき。

月が改まったら、ふぐでもどうでしょう、ってなことになり。

という展開で。

なんて具合で、宵は更けずに、お月様とのランデブーだったのでした。

夕べは、帰ったら、この世の終わり状態、と妻が言うんだね。

つまり、わが母親が、一気にふさぎ込み、なのか、詳細はわからないけれど。

そんな状態で、自室に閉じこもり、ってことで。

そりゃ、生きてりゃ、さまざまな光線、視線、記憶の束、ほかにもあまたあり。

そんなものからの刺激、というのか、小突(こづき)、というのか、に影響を受け。

ってのは、人間のデフォ状態でもあるんで、それはそれだろう、と。

ところが、認知症と名づけられている母親は、その状態を、ずっと持続させるのに。

骨が折れる、というか、本人は、そのことすら気にならずに、転換していく。

という、ある意味、真性の人間の姿、生き物としての人間の姿、でもあるんで。

今朝は、確認してないけれど、何事もなかったかのように、リニアでなく。

スパイラル状態の意識を駆使し、何を食べてもおいしいね、というような言葉とともに。

一日が始まるのかも、で。

しかし、これも、かも、でしかなく、実際のところは、どうなるのやら、です。

ところで、今朝のプリウスの指し示す気温は、4度。

窓ガラスが、ワイパーを動かすと凍りついて、という、懐かしい、というのか。

一年ぶりの、というのか、そんな状態で。

セーターを着こみ、ダウンのようなジャケットも着こみ、という判断だったけど。

からだの感覚は、なかなか、冴えているな、と自画自賛をしているところなんだね。

なので、血圧なんかの高い低いに一喜一憂している方々にとっては。

その変化を数値化して、安心、不安を交互に繰り返しているんだろうから、悩ましいものではある。

のかも、だけど、引いてみれば、ことほどさように、からだのすべてをあげて。

この気候に対応しているさまは、まさに、奇跡の瞬間でもあるわけだ。

昨日は、お昼前から会議、ミーティングの連続で、そんなものは、ないほうがいいのだけど。

とはいえ、現在進行形で、それが必要な時期、ってのもあるので。

それなりには、納得しているんだけど。

人間ってのは、絵に描いたような、小器用な人ばかりではないんで、喉につまる。

魚の骨、でもないか、なんだろう、チャクラを開く、というような言い方をすれば。

なんらかの刺激、あるいは、こっちの水は甘いぞ、的なね。

そんなことも駆使しながら、自ら口を開く環境、状況を創出する。

ってことも、ある時期には、なかなか、捨て置けないものでもあるんだよね。

そのあたりの手作業は、当方の得意分野でもあるんで、それを、最大限に生かす。

ってことだ。

さて、今日は、月末の懇話会、お話し会、なんとかミーティング?

いまだ名づけられないものなんだけど、大勢さんにお集まりいただく、なんとか会を。

ひとつの起爆剤として、自分のなかに、去来するものを、まとめてみようかな。

と考えている次第で。

なんたって、お祭りのはじまりは、宵宮とかいうように、今の言葉で言えば、前日。

前夜、というような言い方、あるでしょ。

新暦があって、旧暦があって、さらに、その前の、古歴とでもいうのか。

八ヶ岳倶楽部の柳生さんの書かれている本にあったんだけど。

わが列島では、一日の始まりは、夕方からだった、だったか、そんなことがね、書かれてもいて。

体内時計じゃないけど、からだの感覚的には、あるいは、こどもの頃の待ち遠しさ、ってのは。

そんな感じでもあるよね。

なので、お祭りはすでに始まっている、という解釈ですね。

というような我が邦の朝ですが、みなさまにおかれましても、師走をむかえる宵宮たる。

霜月というあまりにもベタなネーミングの月の終わりをお楽しみくださいますよう。

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五感がさえて眠れない

2015年11月27日 | Weblog

というのは、僕のことじゃ、ないんだけどね。

昨日の講演会、トランスジャパンアルプスレース。

という長い名前、TJARと略しておきますか。

富山県は、魚津から415キロを、駿河湾まで、自力で。

北アルプス、中央アルプス、南アルプスを越えて。

そんなレースで、三連覇だったか、された望月将悟さん。

という方のお話をお聴きしたわけだ。

通常の人が、もし、トライしたら、三週間はかかる。

という道のりを、8日間で足切り、というレースだそうで。

それを、彼は、5日間で走り切る、というスーパーモンスター。

とでも言いましょうか。

他の選手は、一日の睡眠が4時間くらいだそうで、なんだけど、彼は、2時間。

しかも、10分くらい、とか、20分とか、細切れにトータルして、2時間眠る。

んだそうで、そんなとき、五感がさえて、遠くからおばちゃんの声が聞こえたり。

なんてことが、あるそうで。

実際には、深い山の中なんだから、ありえない、けれどね。

たしかに、僕も、って、ここでわが姿を登場させるのは、なんですが。

瞑想時、家の中の音が、研ぎ澄まされたような、音として、あるいは、物体として。

やってくることがあるんで、なるほど、とうなづけもし。

ほとんどの選手が、幻聴・幻覚を見てしまうようで。

それほどに、過酷な、体力・気力の極限に至るような、そんな体験なわけだ。

もう少しいけば、あるいは、なんとかの教義でも身にまとえば、なんとか山の。

大僧正、なんて立ち位置で、登場もできそうな、そんな体験をされてきた。

その彼の話に、1時間半、聞き入ったのでした。

わが師匠は、仕事で出席できず、僕のレポートを待ってます、くらいのコメントが。

目の前で、電話で出欠を確認していたい相方、この間、潮生館にご一緒した御仁から入り。

というわけで、今朝一番で、講演の感想を書いている次第。

深い山の中で、夜、青い目が、四方八方にきらめき、って、それは、鹿のようで。

それ以外にも、獣の気配満載の中、彼は、ツェルトとかいう、簡易テントにもはいらず。

木の下や岩陰で、眠りにつく、というんだね。

もう、人間という名前から、獣、その一、みたいなね。

残り200キロくらいで、新しい荷物を手にすることができるそうで、靴も。

その時に履き替える、しかも、ワンランク上の靴だそうで。

というのも、足がむくんで、というのか、ふやけて、というのか、そんな感じらしい。

五感がさえて、という言い方になっちゃうんだけど、むしろ、よみがえる。

というような表現のほうが、あたってるのかな。

つまり、ことほどさように、文明開化の波にあらわれた、わが五感たちは。

徐々に、社会生活に順応し、その時代の暮らしに不必要なものは。

眠りにつかせる、とでも言えるかね。

真正のお月見なんてのも、それだろうしね。

それがいいのか悪いのか、ってのは、判断の別れるところ、なんていい方もありだろうけど。

なので、そのうち、五感ってのは、さらにさらに、矮小化され、ひょっとしたら。

三感とかね、そんな言葉もできるかも、だね。

二感はなくなりました、おじいちゃんのそのまたおじいちゃんの頃は、五感だったんだよ。

なんて学校の先生が教室で教えている、なんて風情がね。

まるで、尾てい骨、みたいだよね。

昨日は、わがブログを読んでくださっている、お二方とお会いして。

リアルコメントもいただいたりで、さらに、この、精神の、というのか、吐き出し作業の。

はかがいく、というものです。

今日は、ランチ・ミーティングがあり、その後、全体ミーティング。

その後は、設計の先生もお越し願っての打合せ、で、次に、ちょっとした、つまり、ぷち宴会。

こうして書くと、いかにも、アクティブに、活発に、という風に、見えるんだよね。

昨日のリアルコメントでも、そんな言葉をいただき、それにしても、あちこち行ってるね。

ってわけだけど、言葉、ってのは、まことにコンビニエントにしてまがいもの、みたいなところがあり。

人間の堕落は、言葉とともに始まった、by アダム&イブ、くらいのネタだ。

政治家のことを、英語で、ステイトメント、なんていうんだっけ。

言葉を発する人、くらいかな。

言葉によって、各国の、各人の脳内に、幻想を作り上げる、というね。

幻想と言ったら、アカデミズム的な方々には失礼、かもだけど。

五感の対極にあるものが、言葉、とも言えるし。

にもかかわらず、言葉でしかお互いを確認できない、という悲劇の主人公が。

わが人間のさまでもあるか。

だからどうした?ってな話でもあるんだけど。

もう少し、丁寧に書くと、五感の衰弱が、言葉の隆盛を極め、というのかな。

五感は右脳で、言葉は左脳、なんて区分けもできるよね。

縄文人と弥生人、なんていい方もできるかも、だけど、これやりだしたら、砂上の楼閣。

なので。

本日のブログ、精神吐き出し作業は、このあたりで。

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おそれは四コマ漫画

2015年11月26日 | Weblog

って、今朝、車中で聴いていた、clipboxでの。

溝口あゆかさんという方が、ぽつりと漏らしていた言葉で。

お、面白いね、という次第です。

病気して、仕事できず、収入がなくなり、生きていけない、というね。

例えば、四コマで、結論づけちゃうような。

そんなもんですよね、というわけだ。

それが、根底に、おそれ、として名づけられて、存在していて。

なんだけど、その思考グセを、とことん、問い詰めてみると。

そこには、なにもなかった、というね、実体としてのおそれ、ってやつは。

彼女、お父様が、祖父の借金をしょったのか、家を取られてしまい、幼少期。

家もなく、なんとか宗教のような方々の集まるアパートなのか、そんなところで。

暮らし、お金がなくなるという恐怖の中で、過ごしていたようで。

なんて話だったな。

今朝は、なんだか、いきなり、ディープな展開になりつつあるけれど。

今日は、午後、日本海から太平洋まで、アルプスを越えて走り続ける。

という方の講演を聴きにいくんだけどね。

消防団員の方だったか、先日、わが師匠が。

どこの山だったか、7時間半かけて登り、という超健脚の山行をしたそうだけど。

その彼が、舌を巻いている、という、そんな方のお話ですから。

そりゃもう、どんなものになるのか、ってわけです。

そうそう、昨日の朝、妻と母親が、喧嘩をしたようで。

母親は、機嫌悪く、自分の部屋に閉じこもり、という出掛けだった、と。

それが、夜になると、何事もなかったかのように。

という次第で。

もともと、人間の内部を覗いてみれば、リニアに、直線的に、出来事が起こっているわけでもなく。

その瞬間、その瞬間の実感しかないわけで。

そうしてみれば、上記のことごとも、当たり前ではあるんだけど。

通常、記憶、とかいう機能、能力、ってやつで、うまい具合に、ストーリーを組み立て。

わたしは、かくかくしかじかのものです、というね。

ずっと、続いています、ということなんだけど。

そんな縛りから、自由になっている、ともいえて。

というのが、母親の、アルツハイマー型認知症、と呼ばれている人なわけだ。

なんだろうね、人間ってのは。

昨日の個人ミーティングの一コマ、わが薩摩隼人と、先々週にかの地であった。

いとこ会の模様を聴きながら、彼は、死んだら何も残らない、と言うんだね。

たしかに、こちらも死んだことがないんで、なんとも言えないけど、と。

しかし、どうも、なにもなくなってしまう、ってのは、腑に落ちないんだよね。

例えば、チベットでは、死者の耳元で、僧侶が、ずっと、呼びかける。

というのか、注意して黄泉路を進みなさい、というようなことを、ね。

それ、何千年前から続いているのか、知らないけど。

文明開化から取り残された、遅れた社会の、邪教、迷信、迷妄だよ。

と言ってしまえるものなのか。

それほどにも、この文明と呼ばれているものが、進歩し、高みにのぼっているのか。

ってことだけど。

どうも、今朝は、迷路に迷いんだみたいな、そんなテーマになっちゃうな。

日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり、だ。

さて、佳き一日を!

 

 

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お月様とランデブー

2015年11月25日 | Weblog

というより、しばしのデートだな。

というのも、夕べは、田中会と銘打たれた飲み会で。

自宅から、会場まで歩いて向かった。

ちょうど、東に向かうので、お月様めがけて歩く、という実に。

なんとも、ぜいたくな時間を味わいながら、だったのです。

楽しくなっちゃって、そのうち、真正なお月見の会、ってのを、もよおすことができそうな。

そんな気分になっちゃったよ。

思わず笑みがこぼれてくる、という時間でね。

おかげで、会場には、随分と早くついてしまって、ひとり、カウンターでビールを飲みながら。

さらに、お月様とのデートを回想、追体験していたのでした。

ひとり、カラオケを歌うお客さんもいらっしゃったけど、通常なら。

拍手の一つも、という気にもなるんだけど、それもせず、自分一人の時間を楽しんだのでした。

そうこうするうちに、三々五々、メンバーが現れ。

芸者さんも登場し、いつもの、宴が始まり。

冒頭、会の名前をいただいている方から、忘年会が、とか、今年最後の、とか、妙に。

もう一度、年内、やりたいオーラを漂わせたご挨拶があったので。

じゃ、ということで、来月、クリスマス・イブにやることになった次第で。

みんな、暇だね、大丈夫かね、というセリフは、何十年か前の話になってしまい。

というわけだ。

ところで、月末の懇話会、というのか、運を味方につける方法、というような。

会の準備が着々と進んでいて。

わが社員さんも、何名か、参加できそうな気配になってきた。

講師の、伊勢の御仁との打ち合わせの電話も、頻繁に、というほどでもないか。

この先も、これ、続くと思うんですよ、という僕の反応に。

御仁は、今回は、一回完結で行きましょう、とかね。

たしかに、一話完結ってのは、永遠に明日は訪れず、という僕の日頃の言動からは。

当たり前ではあるんだけどね。

しかし、何人かからの、メールの感想、今回の会に対するね、を読ませていただくと。

こりゃ、この先も、to be continuedだよね、という感懐は、捨てがたく。

なので、たぶん、姿形は変えて、清水の地での、なんて呼んだらいいのか、ワークショプ?

なんとかミーティング?

いまだ、名前が決まらないけど、そんなことは、続いていくのでしょう。

というか、常日頃の生き方そのもの、お互いの共振、ってのが、今回の趣旨でもあるんで。

ある意味、真正なお月見、とも言えるんだけどね。

さて、本日は、個人ミーティングが、昨日に続き、5人さんか。

それ以外に、議事録調整ミーティングと銘打った会議もあり、で。

実のところ、このところ、ミーティングが増えているんだよね。

これも、発展途上の一場面、とも言えて。

会議、と呼ばず、あえて、洋文字のミーティング、と置き換えたりして、習慣を破る。

という小さな努力、なんだよね。

この、努力、といえば、伊勢の御仁の持論で、努力はしてはいけない、ってやつね。

これ、実に、面白くて、身内から、からだの深奥から溢れ出る、湧き上がるものに。

ただ、降服して、身を任せている、という状態のことを表現しようとしているわけだ。

ここんとこ、テストに出ますよ、って。

この僅かな違いが、幸不幸の分岐点、ってことで。

今朝も、出掛けに、妻が、最近のニュース、70代の老夫婦と40代の娘さんが。

生活苦からの無理心中、娘さんだけが死にきれず、殺人罪で逮捕された、というニュースを教えてくれたけど。

そのことを選んだ事自体、なんの、批判も難詰もないけれど、別の道もあったかもしれないな。

というね、ちょっと、複雑な、気分にもなり。

それこそ、夕べのお月様とのデートをね、教えてあげたいくらいなもので。

っていうのも、実のところ、小さな親切大きなお世話、なのかもね。

今、巴川の上を、鳶が飛んでゆき、名前の知らない鳥が、ギーギーと鳴いている。

そんな今日一日を、みなさまにおかれましても、佳き一日になさいますよう。

お祈り申し上げます。

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りんご祭りは終わっていた

2015年11月24日 | Weblog

昨日のおじおば会なんだけど。

厳密に言えば、10時半に到着した時には、りんご、すべて完売。

早い人は、7時前から来るようで、もちろん。

しぼりたてりんごジュースも、やってなくてね。

壮大なる肩透かし、ってやつだ。

トイレに入った時、お掃除のおばちゃんが、オーナー制ってのがあるみたいですよ。

なんて、おっしゃっていた。

そうか、後継者難の解消として、そんなこともやっているのかも、と。

いずれにしても、おばたちの待ち望んでいた、しぼりたてには、ありつけなかったのだけど。

グランドで、おでんやらやきそば、それに、鹿肉の試食などなどで。

じゃ、ちょっと下って、ちくら(千座)さんにでも行きましょうか、とあいなり。

津金村の、のどかな道を走り、紅葉を楽しみながら、向かったのでした。

おいしい学校から津金村を下るコース、わりと好きでね。

こことは違った場所で、おれ、前世では、こんなところに住んでいたんじゃないかな、なんて、以前。

感想を漏らしたら、その頃は、至る所が、こんな感じだったはずだよ、というね。

なんとも味気ない答えが帰ってきたことがあるけど。

田舎道を走り、ちくらさんへ到着。

うどん屋さん、建部神社の社地にある、と書けるかな。

四日間熟成し、とうたってある、上州は水沢村、清水屋さんのわかれだそうで。

その、釜揚げうどんをいただいたのですが、わが母親が、セットの炊き込みごはん(小)と小鉢の品々で。

お腹いっぱいになり、これ、あげる、ということで、昨日の昼食は。

釜揚げうどん二人分、とね。

帰ってきたら、体重、1キロ、増えていたからね。

そんなこんながあり、来月は、いつ?

という、おじからのね、リクエストがあり、これこれこの日に、ということで。

なにしろ、彼、待ち遠しくてしかたない、と吐露もし。

毎回、ひげをそらずに来るので、妹にお小言をもらう、というね。

そんな、いくつになっても変わらぬ兄弟の様を眺めていると。

歳をとること、ってのは、なんだろうな、とつい、そちらに関心は向かい。

認知症にしても足腰の衰え、なんてのも、ね。

奥の方にある、意識、というのか、自分、というのか、それは、幼き頃と変わっていず。

その表面では、よすぎみすぎの手練手管みたいなものは、身につけているにしても。

今日は、汗ばむような一日になる、と夕べ、妻が言っていて。

仕事柄、ほんとのところは、気候、天候は、しっかりと把握しなきゃ、というわけだけど。

最近、人の噂話で天気を知る、ということが楽しくて。

山を楽しむ人、としたら、なってないけれどね。

昨日も、いろいろの天気図の解釈もあり、雨模様かな、と言う話も、車中の話題だったんだけど。

結果、晴れ間ものぞいたりしてね、一同、礼ならぬ、いつもの、そう、みなさんは日頃の心がけがいいから。

という運転手の一言だったわけだ。

さて、初冬の汗ばむ日を、どういう具合に、切り取るのか。

お楽しみ、おたのしみ!ってことで。

 

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8時だからね、8時でしょ

2015年11月23日 | Weblog

って、表題は、今朝の出掛けの母親との会話でね。

そう、おじおば会の出発時間のことなのです。

通常の日常会話だと、例えば、次男坊は、帰っている?

ご飯は?という質問が、それへの答えとともに、だいたい、3回は繰り返しになる。

エンドレステープみたいなものでもあるんだけど。

そこはそれ、自分がとても楽しみにしている、りんご祭りのことは。

覚えているわけだ。

母親の前の壁に、カレンダーがあり、その、23という文字を、丸で囲み。

なにか、ネガティブモードに陥りそうなときには、ここここ。

テストに出ますよ、って、メガネをかけた先生のムチというのか、あれでね、指し示す。

という風情で、楽しいおじおば会を、再確認。

ってことを、日常的には、やっているわけだ。

そんなこんなで、今朝の会話、ということなんだけどね。

昨日は、蓮華寺、萩のお寺、というんだけど。

そこに、歴史民俗資料館、ってのがあって、しばし、眺め。

帰りがけ、そこの館長さんとでもいえばいいのか、森町のお役人さんなのかな。

その方と、こうして、地元の方とおしゃべりするのは、楽しいですからね。

という具合に、あれやこれや、と話した。

友田家住宅のことに話がおよび。

かくかくしかじか、友人にこういう人物がいて、と投げかけたんだけど、知らないな。

という具合で。

今度、本人に確認しますよ、と職員さんのお名前までお聞きし。

なんてことで、帰宅。

ということもありつつ、本日のおじおば会だ。

天気模様は、ちょっと、と言うことらしいけど。

りんご祭りに来た、ということがね、昭和一桁生まれの方々にとっては。

至上のイベントだとすると、楽しくなるからね。

これから向かう、津金村も、りんご畑の後継者難で。

なんてことを、昨日の館長さんともお話したら、そうですよね、サラリーマンのほうが。

安定しているし、というわけだ。

その話は、先月だったか、八ヶ岳倶楽部の近く、まきば公園だったか。

そこで、あいか、という大きな、ちょっと、お高いりんごを買った時の。

そのお店のお兄さんも、津金村から仕入れているみたいで、彼が。

後継者に悩む村の姿、みたいな感じで、話していた。

さて、今日の展開はどんな具合になりますやら。

 

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好き好きオーラ満載でしたね。

2015年11月22日 | Weblog

この間、偶然にも、馳走さんでお会いした、「安倍七騎」の浅羽さんね。

思わず、表題のごとくの。

言葉を投げかけて、過日の講演、というのか、勉強会の。

お礼も兼ねて、かくかくしかじか、歴史の旅、というのがありまして。

という話から、ぜひ、今度、ご一緒しましょう。

ということになり、駿河の山の民の足跡を追う。

というプチ・旅が、実現するかもでね。

なにせ、小字(こあざ)まで含めた地名から、さらには、七騎にまつわる。

人々の戒名まで調べ、という方と、お茶ばら、ま、お茶畑ですね。

などなどを、散策するのは、こりゃ、楽しそうだ。

ので、たぶん、そうなるのでしょうね、なんたって、楽しそうなんだから。

楽しい、というか、おかしい、というか、素敵というか。

昨日、そんな類の、電話が入り。

東京在住の御仁なんだけど、仕事がらみでお世話になった方。

静岡着任時、奥様をガンでなくされ。

やがて、定年退職されたんだけどね。

しばらくすると、風の便りに、結婚したらしい、と。

現役のときには、とても、女性の間をかろやかに蝶のようにとびまわる。

というようなキャラではなく、だったんで。

一同、唖然。

だったんだけど、やがて、どうも、その彼女が、自分の資産目当てだったような。

そんな幻想なのか、現実なのか、当方はわかりませんが。

なんてことで、離婚した。

という風の便りがあり、一同、なるほど、ということがあった挙句の。

昨日の電話で。

おれ、今、一緒に暮らしてる人が、占い師で、と言うんだね。

より正確に記すと、今までのマンションはあるんだけど、彼女のマンションに入り浸り。

というわけだ。

まあね、66歳にして、このセリフ、ってのも、なんとも愉快でしょ。

当方、彼のまくしたてる近況報告に、ねぇ、こちら、空いた口、塞がらない状態なんですけど。

と応じてね。

今度、東京へおいでよ、ごちそうするから、ってことになり。

えたりやおう、ってなもので、行きますよ、と。

彼女、3000人くらい、クライアントがおるようで(おる?ってのが、彼の口癖でね)、毎月、40人の新規さんなのか。

リピーターなのか、やってくるんだ。

山手線の定期を買ってあってね、今、でかけたところだよ、と来た。

ほんまに、イマルでんな、生きてるだけで丸儲け、ってやつだよね。

もうね、楽しくなっちゃって、このネタ、各地各方面で使わせてもらいますよ、と。

彼の承諾を得て、なんて大げさなもんでもないけど、今、書いてる次第。

それにしても、人生をリタイア、いや、会社生活をリタイアした、と勘違いしている方々に。

このネタを提供したい、という欲求、抑えきれず、って風情だな。

今日も、これからテニスと卓球、と言うんだからね。

ちょうど、傍らにいた長男坊に、事の顛末を説明し、ふたりで、大笑い。

だったんだな。

世間では、東京タワーだっけ、スカイツリーだっけ、フランスの三色旗になっているの?

あるいは、Facebookのプロフィールが、なんて事件がおこっていて。

あいや、ってなもんですけどね。

これに触れると、このブログがエシュロンだったか、なんとか検知器みたいなやつで。

監視対象になっちゃうと困るんで、あんまり、書きませんが。

もうね、善意の第三者、みたいなね。

これ、たぶん、法律用語なのかな、だれかがどこかから騙しとってきたものを。

その因果関係わからず、偶然手に入れて、なので、わたしには、被害者の感情。

まったく、わかりません、ってなもんでね。

まあ、便利な概念があるもんだ。

って、感想を持ちたくなっちゃうような、今回の一連の出来事だ。

そもそも、ってのが、年寄りの言い草、と揶揄されそうな、みたいな、つるつると表面をうわすべりする。

そんな議論が、まかり通っている、という感じでね。

その昔、スペインに南米の金銀財宝を持ち帰った時も、こんな感じか。

なんて言えば、史上を眺める、ということが、可能だとしたら、そこここで。

似たような話は満載なんだろうね。

ところで、夕べの、わが瞑想は、とても、面白くて。

どうだろう、三年半がすぎたのか、それこそ、石の上にも三年、ってことかね。

さて、今朝も、ご近所の世話役と神様のお使いのお二人にお会いして。

日曜日でも仕事かね、と声をかけられ、遊んでいるんです、とお応えし。

まさしく、遊んでいるんだけどね、しかし、遊ぶのは神の御業、とも言えて。

そう、遊、という字のでき方を、金石文とか言って、その昔から。

石やらなにやらに彫り込んでいた文字を、一生かけて研究された白川静さんの受け売りなんだけど。

神のみが遊ぶんだ、と彼はいうわけだ。

話、飛ぶけど、なので、遊女、なんてのも、いつの間にか、単にからだを売る職業、なんて解釈になっちゃってるけど。

実のところ、なかなか、やかましい由来があるんだろうな、って、実際に、あるわけだ。

そんなことはともかく、今朝も、骨ストレッチから入るとしますか。

 

 

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月末の名称が決まらなくて

2015年11月21日 | Weblog

何回も書いちゃってるけど、月末開催の。

常識やら培ってきた知見やらを、ひとまず、脇においていただいて。

この3時間を、からだ全体で、味わっていただけたら、というやつね。

昨日、ラフなレジュメが届いて、さて、だんだんとリアルに近づきつつあるんですが。

フィットする名称が見つからなくてね。

困ってます。

妻の友人が、お友達を二人、引き連れ、ということなんだけど。

かくかくしかじか、というんで、さっそく、夕べ。

伊勢の御仁の、「えっ、そうだったの?(仮題)」って文章、というのか、ご本を。

kindleからお送りしてね。

タイミングがよかったんだよね。

今日は、これから、そのラフなレジュメを眺めながら、そう、名称と。

簡単な案内文を作らなきゃ、なんだよね。

この三連休は、今日だけなのかな、晴れマークは。

最終の23日の、おじおばたちの待ちに待った、りんご祭りは、はたして、どうなりますやら。

当方、小声でかたる晴れ男なんだけど、この間、晴れ男に対して。

雨女、雨男ってのもある、なんて話から、確率的にいえば、ほとんど、晴れじゃない?

なんてことになり、そうか、むしろ、古来、雨をふらす人のほうが珍重されてもいたわけで。

卑弥呼しかり、ってことで。

産業構造の変遷、とか、レジャー産業の隆盛、とかの言葉に置き換えちゃえば。

晴れ男なんていうのは、現代語、ってことだね。

たぶん。

今、タオルで顔を拭いたら、草津、ホテル櫻井、と書いてあって。

社員旅行のときのお宿だ。

だいたい、小さなタオルはもらってくるんだよね。

さすがに、昭和の旅人みたいに、お盆やら丹前やらは、もらってこないけどね。

ちょっと、使うときに、ランダムに選ばれて、ああ、あの時の、ってわけだ。

プチ思い出、ってことだね。

明日は永遠に訪れず、とか、過去はすでに過ぎ去って存在しない、とかと豪語しているわりに。

そんな小さな思い出に浸っているのでもあります。

そうそう、昨日は、新米社労士さん、と言ったら、失礼か。

ま、その方のご紹介で、ワーク・ライフ・バランスってのの、厚労省主催の。

セミナーに参加し。

こうして、政策ってのは、実行されていくんだな、と感じた次第で。

冒頭の静岡市長のご挨拶も、リキが入ってたな。

昨日のツイッター上での話題は、アメリカの、なんていう会社だったか。

CEOの1億2000万だったかの報酬を、7万ドルにして、社員の平均年収も。

7万ドル、とした、なんてのがあったな。

1%がなんとかかんとか、とウォール街を占拠せよ、みたいな話もあった、かのアメリカで。

そんなネタがニュースになっていた、というニュースだ。

はたして、この傾向が、燎原の火となって、実験国家、ニューフロンティアの国を。

席巻するのでしょうか、まる。

あと、10時から、NHKが、スペシャル、やってたな。

例の、パリの同時なんとか、テロ、ってやつね。

早い。

一週間もたたずに、忙しかっただろうな、現場の方々は。

有志連合の国々では、あんな具合に、流されたのかな。

って、10分くらいで、寝ちゃったけどね、録画はしときましたが。

どうもね、白人とアラブ人の戦いを見ていると、日露戦争のあとの。

逸話、ヨーロッパにいた孫文が、ってやつ。

スエズ運河を渡ろうとした時、負傷したロシア兵がたくさん寄港していて。

黄色人の孫文を、日本人と見間違え、土地の人々は、つまり、アラブの民だな。

やんやの喝采を送った、ってやつね、あれを思い出しちゃって。

有色人が初めて白人に勝った、というね。

もっとも、この逸話にしたって、メイド・イン・ジャパンかもしれないけどね。

いずれ、紅白歌合戦ならぬ、あっちが悪くて、こっちがいい、なんてのの呪縛から。

ぬけ出す、ってのが、あるとしたら、人類のテーマなのかも、だけど。

なんだけど、それを、自分のことを棚上げして語っているうちは、どうにもなりません。

ってことなんだろうな。

自分の中にある、憤りや怒り、ってのを、見て見ぬふりをして、というね。

女房がどうした、亭主が、子どもが、上司が、部下が、という切り口からはいる。

例の、なんていうのか、分離感、違和感、差別感、区別感、正義感、上から目線、下から目線。

書き出せば、きりがないけどね。

そういえば、何日か前、巴川沿いの電線に、なんの鳥だったのか、何十羽という鳥たちが。

蝟集していて、おい、なんのご挨拶なんだい、って聞いたけど、答えず。

みたいなこと、ありましたが。

今朝は、一羽のハトだけだな。

というわけで、そろそろ、骨ストレッチのセットを始めるとします。

 

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