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まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

淫祠?

2006年05月31日 | Weblog
須津川渓谷の帰り、根方街道沿いの大泉寺に立ち寄る。

このお寺は古い、ということだったけど、よくよく考えてみれば、工事で何回も来ているんだった。

ほんと、興味のないときには、何も見てないんだね。

で、境内の写真を何気なく撮ってきた。

帰ってきて、パソコンにアップして、妻と、こういうわけで、と眺めていたら、ちょっとまって、これなに、これ、と。

えっ、と見直すと、この写真。

女陰の前に、男根が屹立?している。

現地では気がつかなかったけれど。

愛鷹山の南麓の神殿は、ある時代、淫祠邪教として、弾圧されたことがあるらしいけれど、それにもめげず、ひっそりと、何気なく、こういうところにあるんだね。

淡島もそうだけど、伊豆方面にかけて、各地にあるらしい。

この地域には、古事記・日本書紀にはあらわれない秘密がありそう。

このお寺、阿野全成(あのぜんしょう)のお墓もある。

源義経の兄貴、今若丸とよばれ、出家していた人。

頼朝の死後、鎌倉幕府の瓦解とともに、北条方との戦いで滅ぼされた、という。

とにかく、この根方街道は、自称妄想歴史家としては、興味尽きない。



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バードウォッチング

2006年05月31日 | Weblog
2年前に、右脳の血管から出血した人と、リハビリもかねて、須津川渓谷へ出かける。

20年間、お世話もし、お世話もされた仕事仲間なんだけど、彼の趣味は、バードウォッチング。

右脳というのは、ご存知のとおり、感情表現やら空間認識を、遊び心とともにつかさどってくれるところなんだけど、そこが、損傷すると、氣が表に出にくくなるようだ。

好きこそものの上手なれ、の弁で、大好きな野鳥探索をすれば、右脳への刺激にもなるだろう、という多少の同情と、それよりなにより、当方、鳥のさえずりを、より深く体験したい、ということのほうが大きかった。

案の定、楽しかった。

ほとんど、オオルリさがしの2時間だった。

オオルリのさえずりと姿を30分見たら、人生変わる、とかれが、道中、ずっと言っていた。

しかし、時期が早いのか、ウグイス・セキレイ・シジュウカラ・ヒヨは、見もし、聞きもするんだけど、オオルリは、陰も形もなし。

300mおきくらいに、縄張りを作っているから、巣は低いところ、この道路のすぐ脇くらいにある、とか。

耳を澄まし、目を凝らし、車のエンジンを止めてみたり、とソロリソロリと、山道を下ってくると、目の前の道路に、いた。

オオルリ。

スズメくらいの大きさで、瑠璃色の体で、水か虫をついばんでいたのか。

車を止めて、じっと見ていると、前方からおじさんが、車でやってきて、われわれをさも、邪魔な車だというように、走りすぎた。

オオルリは、川のほうへ逃げていった。

人生を象徴するような、シチュエーションだね、といいながら、オオルリみたけど、人生観かわらないね、と。

あれくらいじゃね、さえずりを聞いて、30分くらい見てないと、ね。

右脳を損傷したかれのリハビリと書いたけど、実際には、自然・天然との共振力を損傷しているわれわれのリハビリでもあった、須津川渓谷だった。



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ふだぎの家

2006年05月30日 | Weblog
わが村に、ふだぎのうち、と呼ばれるお宅があると聞いた。

なんで、ふだぎ、って言うの、ということなんだけど、昔からそういわれているからね、と言う。

うちの母親も、その由来は知らなかった。

でも、なかには、物知りもいらして、よくよく聞いてみると、札木、とかくらしい。

むかし、高札がたっていた家、ということらしい。

村の目立つところ、というか、名主のような家のまえに、札をたてて、いろんな情報の伝達をおこなったなごりだ、と。

梶原景時という人がいた。

大河ドラマでは、義経との確執が描かれていたけれど。

源頼朝がなくなったあと、御家人衆からパージされ、鎌倉から京へ逃げる途中、清水の地、飯田村で非業の死を遂げた武将。

その梶原一族、33人の首級は、そのふだぎの家のまえに、晒された、という言い伝えがあるらしい。

800年も前の話。

今は、北街道沿いの、そのお宅。

先を急ぐ車の群れは、そんなことは気にもせず、もちろん、掌を合わせることもなく、通り過ぎてゆく。


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6月

2006年05月30日 | Weblog
メルマガで届く「フォトンベルト」によれば、6月に、関東地方で、地震があるかもしれない、と。

だから、皇族方が、静養で、東京を離れると言うニュースに注意して、とも。

また、オオカミ少年ぽいやつかな、と読んだ。

もうひとつ、ヒーリングソウルというブログのキョーコさんが、政治経済・災害も、6月が本番、と書いていた。

ふたつ来たな、と思いながら、もうひとつきたら、ビンゴかもしれないな、とぼんやり考えていた。

すると、夢オタクの女性、6月は、体調に変化があるから注意して、と言われたよ、という。

ビンゴだな。

そうはいっても、二宮尊徳をまねしよう。

 この秋は 雨か嵐かしらねども 今日のつとめの 田草とるなり
      




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神?

2006年05月29日 | Weblog
バヌアツという国、があるらしい。

その中に、タンナ島がある。

そこでは、年一回、星条旗をあげるお祭りがあると言う。

第二次大戦中、日本軍掃討のための基地をそこに作った。

何千年だか続く原始的な生活をしてきた島民にとって、ブルドーザーや飛行機、それと、缶詰などの豊富な食料とともにやってきた、米軍の指揮官、ジョン・フラムは神のごとき存在だったようだ。

以来、50年以上、ジョン・フラムが又来ることを信じて、毎年、お祭りをするらしい。

かれの語録を大事に保管している映像が映っていた。

太古の日本で、圧倒的に優位な技術とともに渡来した人々も、同じように、神になったんだろうか。




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ジャップ

2006年05月28日 | Weblog
1972年、田中角栄が訪中し、日中国交は回復した。

そのことの是非はともかく、戦後、日本が自立的に外交をはじめてした、言えるんじゃないかな。

そのとき、アメリカでは、キッシンジャーが、田中角栄を、ジャップと口汚くののしっていたらしい。

文書が公開された、と新聞に掲載されていた。

俺の言うことを聞かないジャップは許せない、というノリなんだね。

わかりやすいと言えばわかりやすい。







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献血禁止

2006年05月28日 | Weblog
パックインジャーナルという番組。

愛川欽也がやっている、朝日ニュースターで。

もうすぐ、アメリカの牛肉がはいってくるらしいけど、狂牛病について、やっていた。

アメリカの検査はずさんで、まさに、カウボーイであること、もし検査をキッチリやったら、どれだけ、狂牛病がでてくるかこわくて、できない、ということ等など。

イギリスが一番ひどくて、たしか、1980年から96年まで、一日でも、その地に滞在したことのある人は、献血できないって、どこかで聞いたことがあるけど。

フランスもそうなんだけど、もし、それ、フランスにも当てはめちゃうと、献血される血が足りなくなってしまうので、という理由で、献血禁止は、しないらしい。

おいおい、という感じだよな。

血液製剤、人知れず、ひそかに、出回っているんだろうな。

牛肉、食べなきゃいいんだよ、って言うんだけど、肉の形してればまだしも、スープだの、ブイヨンだの、形が変わっていたら、わからないからね。

マックなんか、若者の日本定食、みたいだけど、あれだって、アメリカからだよね。

飢えて死ぬのと、狂牛病で死ぬのと、どっちがいい、みたいな、話にでもなるのかな。

だって、アフリカの、どこだっけ、平均寿命30歳くらいのところもあるし、せめて、30歳で死ぬ前に、腹いっぱい食べて死にたい、なんていうことだって、ありだからね。





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清志郎とCHAR

2006年05月28日 | Weblog
スカパーで、忌野清志郎とチャーの番組をやっていた。

CHAR MEETS KIYOSHIRO WITH GUITAR とかの英語だったかな。

二人がギター爪弾きながら、昔話やらをしていた。

テケテケテケ、というベンチャーズが出てきたあたりからの話。

ほぼ、僕と似たような時代をあるいていたんだけど、かれらの、音楽への、コアな思い出を聞いていて、楽しかった。

今まで接点のなかった人たちが、ほら、あの駅の、近くの、なんとかって言う煙草やの、おばちゃんがさ、そうそう、ちょっと太った。

え、あのおばちゃん知ってる、おれ、あの人にお世話になってさ、みたいなノリで、話が盛り上がるってこと、よくあるじゃないですか。

そんな、感じで、かれらが、音楽シーンを、たどっていくんです、実に楽しそうに。

好きこそ物の上手なれ、だったっけ、まさに、その通りで。

ギターを弾きながら、同じものにははまって、同じ時代の空気を吸った人間だけがわかる言葉で、話しているんだろうな。

コラボレーションって、よく言うけど、こんな感じで、ことは進んでいくのかもしれない。
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貴賎

2006年05月27日 | Weblog
職業に貴賎はない、という言い方がある。

そんな言葉があること自体、貴賎があることの証でもあるのかもしれないけど。

貴種とか賎種とかの言い方もある。

貴民とか賎民とか。

つまり、生まれがいいとか悪いとか。

天皇家であったり、対極に、民であったり。

対極、と書いたけど、むしろ、隣り合わせ、というほうが、近い、という人もいる。

能に、土蜘蛛、という題目がある。

そもそも、能っていうのは、天下成ってめでたしめでたし、みたいなところがあるけれど、時の支配者が、何かと反抗する土蜘蛛とよばれる勢力を、やっつけたぞ、というような内容のもの。

暗い穴倉に住むので、土蜘蛛だ、というような解説もあったけれど、南北朝の抗争で敗れた南朝方みたいなもので、逃れ逃れて穴倉に隠れ住む、というイメージ。

土蜘蛛のように、穴倉ぐらしを世代をついでしていくうちに、心持は憤怒と羨望のまじりあった複雑なものになるだろうね。

身なりはうらぶれて、風呂も入れないから、くさいし、みたいな。

テレビに登場するコメンテーターたちの喧々諤々の議論を見ていると、そう、聞くのでなく見ていると、そんな時代にフラッシュバックする。

うちの家系なんかも、法事の席で、実は平家の落武者で、なんて、まことしやかに、しかも、小声めかしてかたるおばがいたりして。

だいたい、源氏と平氏、いずれかの末裔で、というノリの話だよね。

中国の雲南省から渡ってきた、渡来系で、なんていう言い方はしないよな。









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自分

2006年05月27日 | Weblog
子どもたちが小さかった頃の話。

服を着る、だったか、帽子をかぶるだったか、自分でやる、と言う。

親か祖父母が、かわりに、手を出す。

すると、じぶん、じぶん、といって、子どもは泣いた。

真ん中の息子は、地べたにひっくり返って、泣き喚いた。

長じて、自分でやりなさい、というと、めんどくさいから、代わりにやっといて、となったりする。

親は、もう、自分でやりなさいよ、と泣き喚きはしないまでも。

これって、なんか、おもしろいね。

3歳までに、親孝行のほとんどは終える、とも言えるし。

親が老年に近づけば、むしろ、親を多少、困らせたほうが、親孝行であったりすることもある。

サラリーマンだった父親が定年してしばらくたったころ、あとは僕に任せておいて、みたいなことをいったことがある。

その頃、父親に甘えることが嫌だったけれど、63歳で世を去ったことを思い起こしたりすると、多少困らせることもよかったかな、と。
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