まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

巴川狂騒曲

2005年09月30日 | Weblog
巴川ちかくに住む人の話。

以前、巴川で、魚が飛ぶ、ことが話題になったらしい。

とびうおのように飛び跳ねる魚が多い、と。

これは、全国でも珍しい。
ということで、村を上げて、川沿いにのぼりを立て、魚が飛ぶのは縁起がいい、と一躍、村おこしのような状態になった由。

行政のほうでも、乗り気になって、さあ、もっと大々的に、と言うとき、ある大学の教授から、あれは、魚の体内が痒いので飛び跳ねる、という見解が出された。

なにか、虫でもいるんじゃないか、と。

潮のひくように、一気に、のぼりはしまわれた。

逆に変なことが話題になるとやばい、と。

その彼は、忙しい仕事をしているのだけれど、よく巴川を観察している。

巴川の広報官に任命してもらえばいいのに。






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ドナー登録

2005年09月29日 | Weblog
わが社でひとり、ドナー登録している人間がいて、今度、骨髄の提供をすることに決定。

そりゃあ、えらい。

人一人の命を救うんだからね。

僕も登録しようかな、でも、臆病だからね。

たしか、55歳までしか、できないらしい、と。

おいおい、残り少ないね。

年齢のことで言えば、湾岸戦争のとき、逆説的な言い方だけど、戦争に行きたくても、35歳以上は、行けない。予備役だといいのかな。

よく調べてはないけれど、戦争行く資格がないやつに限って、居丈高に語るんだよな。

そういえば、息子の友達が高校を出て、自衛隊へ行った。

家族は、ほんと、自分のこととして、心配するよね。
この間あったときも、イラク、大丈夫か、って、聞いてしまったからね。

自分のことと他人のこと、って、はっきりしといたほうがいいな。

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人生の幅

2005年09月28日 | Weblog
人生の幅はとても広い、と思っている。
し、その考え方は好きだ。

しかし、団体生活、ことに、幼児期から思春期にかけての学校での時間では、ほんとに、狭い幅のなかでの評価争いに終始する。

算数や国語、あるいは走ること、ジャンプすることなど、ほんの一握りの部分で、だれそれさんは、こうだ、という評価になる。

しかも、それが、小学校から二十歳過ぎまで、周囲もそうだし、本人自身を縛りつづける。

やっかいなことだ。

評価するひとも、ごめんなさい、人生の幅はこんなにも広いのに、こんな狭い中でだけあなたを評価してしまうのは、まことに申し訳ありません、となれば、いいのだけれど。

実は、幅の広さは、空間的な横の広がりだけれど、深さという時間軸もある。

つまり、早稲もあるし、晩成もある。

昨夜の妻との会話。
聴く、というテーマで話していたところ。

例えば、Aさん、Bさん、Cさんの意見を聞く。
そのどれも、もっともだ、と思う。
すると、あなたの意見は、と聞かれる。
三者ともいいと思うので、迷う。

優柔不断ね、と言われる。
あなたの意見は、と言われる。

今となれば、そのとおりのことを言えばいい、とわかるけれど、その頃はいえなかった由。

子供の頃、カリフォルニアの青い空のように、言いたいことを言えた人間が、時を経て、物静かな、遠慮がちな人間になっている、なんてことを、同窓会では経験する。

人生の幅と深さについて、思う秋の夕べでした。



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哀愁のマルボロ

2005年09月27日 | Weblog
我が家の唯一の高校生、マルボロを吸っている。

それを見て、わが妻、マルボロか、と慨嘆する。

僕の母は、高校生がたばこなんか、トンでもない、と違った意味で悲憤慷慨。

僕は、わが父親の対応を思い出している。

僕の酒もタバコもパチンコも、なんだか、うれしそうにしていたっけ。

のちに聞いたところによれば、昭和二年生まれの父親は、人生20年、といっていたようだし、そういったものは、男の子にとって、ある種の通過儀礼だとも思っていたんだろうな。

ところで、妻の慨嘆は、ついこの間まで、黄色い長靴を履いて、おぼつかなくあるいていた息子が、いつの間に、と言うことなんだろう。

ときはすぎてゆく。

いろんな思いをのせたり、おろしたり。


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ITとIt

2005年09月27日 | Weblog
これ、アイティーとイットと読む。

IT革命とかいって、日本を世界水準のIT国家にする、という。

ある国会議員の話。わりと身近な、といえば、誰かわかってしまうけれど。

ホームページもなく、当然、メールも使えないそうな。

ある友人に、そんなの、秘書に言ってやらせたほうがいいぞ、いまどき、笑われるぞ、と進言する。

彼いわく、政策秘書も含めて、パソコン使えないんだ、と。
ITをイットって読んじゃうからね、だって。

これまた、ヘーボタンの連続。

IT格差というやつが、こんなところにあった、という話。

温かい目で見れば、ほほえましいとも言えるし。

しかし、小泉流自由主義がアメリカへのキャッチアップ、追いつけ追い越せ風であれば、いつかきた道、で、ほほえましさも駆逐されてしまうかもしれないぞ、と。

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ボルケーノ

2005年09月26日 | Weblog
日曜映画劇場、ひさびさに、観る。

カトリーナやリタが、アメリカ本土を襲っているときに、タイミングがよすぎる。

危機管理局の局長、トミー リー ジョーンズ。
かっこよかったけれど、実際の管理局、FEMAは辛い立場のようだ。

映画の中で、局長が娘に電話したとき、取次ぎの人が、知事にも直接かけられる人から電話だよ、って、言っていたけれど、組織替えした今では、局長と言えども、たんなる木っ端役人なんだろうな。

国防総省の一部門にすぎないらしい。

イラクでは、月に一兆くらい?使っているけれど、ニューオリンズの護岸堤予算の50億を五分の一だかに、けずられたとか。

映画では、全権をもった局長は、かっこよかった。
しかし、現実は、ズブズブの官僚機構に飲み込まれているんだろうな。

幸いにして、ハリケーン・リタは、そうたいしたことがなかったように、マスコミ的にはみえるので、安心したけれど。

でも、ブッシュ支持率低下を避けるための作為がないわけではないだろうな。

イラクでも、三人の日本人が人質になって以来、自己責任論、かまびすしく、知らない間に、マスコミは現地報道を控え、いつのまにか、みんな、忘れてしまったからね。
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自称”田舎者”

2005年09月25日 | Weblog
昔は、と自称”田舎者”のSさん、語る。

興津から清水へ行くのに、一時間はかかった。

今、アスベストで騒いでいるけれど、みかんを消毒するのに、青酸カリを使った。

みかんの木に大きな袋をかぶせ、その中で、青酸カリに火をつけた。
何人かは死んだ、と。

なんとかという殺虫剤は、川に流した。

この鉄塔だって、単価はいいのは、死んでもごめん、と言う意味。

僕と、二つしか違わない彼の話。
へーボタンを何度も押しながら聞く。

今度の小泉大勝利は、社会主義から自由主義になっていくことだね、とも確認。
いい悪いはともかく。

商売している以上、その中で、どうするか、だ、と。

Sさんは、清水の致知の会のメンバーでもある。
ひさびさに、ゆっくり話すことができた。




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幸運

2005年09月24日 | Weblog
息子を送った帰りの車中、妻との会話。

俺たち、実は、めちゃくちゃ、幸運だよ。
幸運に幸運を重ね、さらに幸運を重ね、今、ここに、いる。

にもかかわらず、さらに、幸運を願うのか、という面白話。

足久保奥組へ、2400年前、やっとのことでたどり着いた人々をモデルにすると、その彼ら、ヒマラヤのふもとの高原から来たわけです。

たぶん、世界各地に残る洪水伝説と照らし合わせると、その高原には、洪水から逃げ延びて、たどり着いたのではないか。

いずれにしても、生命をつなぎにつないで、いまここ、にある。

それにプラスするに、精子は何億匹かいて、そのなかの、たった一匹が受精するわけで、確率計算すると、わけわかんないくらいの確率。

話としては面白いけれど、実感としては、幸運、なんていう言葉を連発するな、ということにもなりますが。




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お彼岸の墓参り

2005年09月23日 | Weblog
春秋の二回。

子どもたちも一緒に、妻の両親と僕の父親の墓参りに行く。

僕の中では、家族の一大イベントのつもり。

ある時期から、子どもたちは親と行動をともにしなくなる。
でも、この墓参りだけは、一緒に行動。

娘は、一人暮らしをしているので、今は、無理だが、地元にいる息子たちは、墓参りに行くのが、当たり前になっている。

実際は、友達と遊ぶほうがよさそうだが、オヤジが言い続けるので、というのもありで、じゃ、昼飯はリクエストにお答えして、と焼肉だったり、と親は、一応、媚をうったりして。

習うより慣れろ、だったか。
習慣は第二の天性ともいったな。

僕自身が、父親との数少ない思い出に、墓参りがあり、わがイベントもすんなり、できたこともある。

逆に、子どもの頃、釣りをしたことがなかったので、子どもたちが釣りに凝っていた頃は、ほんと、困りました。

で、釣り名人のFくん・Mちゃんに、一緒に釣りに行ってもらったりもした。

父親がなくなって、家族は母親を含めて、5人となった。
亡くなって間もない頃、食事だったか、お菓子だったか、家族は5人だから、とそろえようとすると、子どもたちが、家族は6人だよ、と。

そうだよな、おじいちゃんも家族だよな。

そんな、会話をしたことがある。

何の因果で、ご縁で、この家族を構成しているかわかりませんが、この世もあの世もなく、家族は6人だな。







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笑っていいとも

2005年09月22日 | Weblog
この表題、おやじギャグではないけれど。

笑っていいとも、で、お客さんが、不規則発言をして、退場したことがニュースになっていた。

年内で番組は終わるんですか?
という質問を、二度したらしい。

CMの間に、そのお客さんの席は、熊のぬいぐるみに置き換わっていた、と。

そういえば、むかし、佐藤栄作首相のとき、新聞は信用できないから、と追い出し、テレビだけ残ったことがあったな。
これ、笑っていいとも、だね。

もっと大昔、古事記の序文には、いままであったいろんな文書には、誤りが見受けられるので、ここに、正しい歴史を記す、なんていう記述もある。

このころは、もっと怖くて、口述した稗田阿礼は、殺されてしまったんだっけ。

わが妻の口癖、何が正しくて、何が正しくないのか、これ、至言でしょ。
天下国家でなく、きわめてプライベートの領域だけれど。

かって愛読した、吉本隆明(吉本ばななの親父だけど)が言ってた。
自己幻想、対幻想、共同幻想って。

幻想を思想と言ってもいいし、思い込みと言ってもいいし、勘違いと言ってもいい、と言ったら、おこられるかな。

ただ、古事記の伝わり方とすれば、2000年近くかかって、このくらいだから。
でも、テレビ・新聞の連合体は、ご存知の通り。

だから、友人の花ちゃんみたいに、家にテレビはない、なんて、仙人暮らしをする人も現れるんだけど、仙人やってたって、周りはどんどん侵食されて、気がつけば、自分の居所もない、となってしまうからね。

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