まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

雨だす。

2023年05月31日 | Weblog

なんてカタカナ語、あったな。

という表題からの始まりですが。

今朝のわがレストランには、スズメと同じくらいの、体に黄色が少し混じった鳥がやってきていた。

外を見やったら塀の上にいるな。

なんていう名前なのか、と今調べたら、カワラヒワというのかな。

便利なものだ。

すべてがわかってしまう、わかるのが当たり前の世界。

なんて錯覚しちゃうのも宜なるかな、ということになるね。

わかる、は、わかつ、に通じ、ってのは、安岡正篤さんがどこかで書いていたな。

わける、というのが、そのものと隔つ、ということで、わかった事にならない。

という何ともへんてこりんな展開になっちゃったけれど。

カワラヒワは一羽で、群れているスズメたちに混じって餌を啄んでいる。

見上げた根性でもあるな。

そうだ、昨日は、パワポの教科書を買っちゃいました、だな。

ちょっと勉強してみたくなったのです。

ついでに、中上健次の「岬」という文庫本も。

そうか、この間お会いした三石さんが、岬めぐりをする、とかおっしゃっていたな。

岬の研究、ま、民俗学の中での研究ってのが、ないんですよ、と。

それも楽しみでもあるな。

雨だす、とかきつつも、そんなに降りそうもない感じでもある朝。

さて、次なるルーティンへ向かうとするか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝は気が乗らないな。

2023年05月30日 | Weblog

生きることにおいて、という意味ではなく、ブログをかくのが、と注釈付きですが。

なんだろうな。

というのも、宇宙人と言われてしまうのだろう人、とも違うようだけど、そんな会話が。

妙に心に残りつつ、なんだよね。

アシュタル・シェランと名付けられた存在。

「ニシキトベの復活」をかかれたオーストリア在住の女史、その方のFacebook投稿がお気に入りで。

この間、熊野から来清された三石さんもご存知だったな。

どうもね、認識の仕方そのものの変容、変換、転換みたいな具合だ。

認識だから、人間関係なんかにも通じ、だな。

そんな今日は、財務省の出先機関の方々との懇話会。

楽しみでもあって、ね。

どないなりますやら、ってなもんだ。

そうだ、昨日は、母親のところへ行ってきたんだった。

久々の面会。

なかなか、僕ということは理解できなかったようだけど、そこはあんまり大事でなく。

耳元で過去の人々を登場させ、それへの反応、対応、変化、変容などなどをこちらはこちらで楽しんだ。

僕の名前と彼女の早逝した兄が似ているので、どうもそちらへ意識が行ってしまうようで。

しかし、その瞬間、その時間だけでも、そんな名前を聞いて、楽しんでもらえれば、だな。

ふもとっぱらの分校へ一緒に行った友達の名前を何度も呼んでいたな。

楽しかったこと、それが叶わない今、あるいは、その友達が不幸になっていること、などなど。

虚実ないまぜになった今にいたんだよね、その時の母親は。

それはそれで、生きている証拠でもあり、だな。

何度かそんなことを続けてみようかな、と思った。

まだ、自分の足で歩けるので、外へも連れ出せるのかどうなのか、だけど。

そんなこんなの後に、今朝を迎えているのであります。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘヴィーな話はやっぱりかけないな。

2023年05月29日 | Weblog

ということで、本の帯のような投稿にしようかな。

一筆書きともいうか。

八ヶ岳は気持ちがよかった。

久々だ。

八ヶ岳倶楽部は今頃どうなってるかな、なんてふと、亡くなった柳生さんのことも思い出され。

山の師匠に連れて行ってもらった11月の零下10度の時の昼食、自分史上最高に美味しかったカップヌードル。

なんてのも。

過去も未来も一緒に、今この時に存在する、というデンで、そのうちに八ヶ岳ツアーもありそうだ。

単に、山を登る、ということではないツアーだけど。

そういうわけで昨日は、走らなかったんだな。

週末の、しかも、雨でない日に走らないというのは、相当の覚悟がある。

なんてかくといかにも、だな。

そうだ、この間、三石さんにいただいた本、「熊野から読み解く記紀神話」というの。

その中に中上紀さんという中上健次の娘さんの文章があり、ふと、親父の方の文章を読みたくなり。

手元にあった「十九歳の地図」という文庫本、その中の「補陀落」を読んでみた。

短編ではあるけれど、久々に、中上健次にふれた。

いい感じだった。

なんて時間を体感したわけだ。

安上がりだね、いいなあ、なんて時間を味わうというのは。

黄金の山もいらず、他人も煩わさず、だ。

スマホやMacでSNSを追いかけていると、紙の向こうからの言葉は、また、格別な感じがする。

TwitterやらのSNSもいいんだけど、玉石混交かつ瞬間芸的なの、ってのもね。

この有為転変極まれり、なんて時代には必要かも、だけど。

しかし、一方、その人の人生そのものが沁み出した文章を味わうのは、これはこれで格別なんだな。

まさに、昨日の八ヶ岳での昼食。

亭主がわれわれに進ぜてくれた食の数々、それには、かの御仁の人生そのものが現れ、沁みだし。

ということだったな。

それだけで、こちらも真剣に真摯に素直に向き合う、という気分になった。

まさに、神ごとの世界とでも名づけたくなるようなものだった。

さて、そんなお宝を身につけた今日は、どんな時間を創造していくのでしょうか。

お楽しみに、お楽しみに、ってことだな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は八ヶ岳へ

2023年05月28日 | Weblog

エネルギーワーク。

E=MC2乗の御仁を引き連れての、久々の訪問とあいなる。

中部縦貫道開通で、近くなったな。

1時間半か。

虹の郷ができる頃の修善寺もそのくらいかかったな。

とにかくそういうわけで、行ってきます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ開設6700日だそうだ。

2023年05月27日 | Weblog

すごいものだね。

振り返ればあっという間でもあり。

今朝は三保の松林の入り口くらいまで走り、海岸沿いの遊歩道も少しばかり。

なんだけど、あの頃、6700日前ね、そんな自分を想像したことがあったかな。

まったくないな。

まさかね、この歳になって走ってるなんて、まさに、まさかの坂ってわけだ。

とはいえ、それが楽しいのでやっているわけで、今日で345回目だ。

今朝の出だしは、走り始めた頃に、ちょっと、チャレンジで海を見てこよう、なんて掛け声で。

初めて走った道を選び、今度はもう少し大きな海を見ようか、なんて具合の松林ってことだな。

とにかくそういうわけで、走ってきたのであります。

そしてルーティンの珈琲。

これもまた、まさか、だな。

6700日前の自分に教えてあげたいくらいで。

おい、おまえ、って感じでね。

あるいは、きみ、か。

6700日したら珈琲を淹れてるぞ、きみは、と。

ブログ開設のきっかけの糠漬けは、また復活してるし。

6700日後のきみにも、声をかけてみたいものだ。

その頃には、縄文やケルトの人々と仲良くしているのかもしれないな。

そちらのタイミングで、時折、こちらに声の一つもかけてみてくれないか、とリクエスト、しておくか。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝はネタがない

2023年05月26日 | Weblog

というのは正確ではなく、とかいていると。

外から鳴き声が聞こえてくる。

これは、つぐみのような声だ。

つぐみ、実際のところは知らないのだけど、その声がそんな感じがする。

知識ではなく感じだ。

妻の白内障の手術も終わり、両目開通って次第。

僕は、もう10年くらい前になるのか。

年齢の割に早いね、とか言われたり、メガネ不要になった顔が、どうやら、情けなく見えるらしく。

みっともないから眼鏡をかけろ、なんて言われたりもしたな。

にしても爽やかな五月終わりの朝だ。

そんな朝は、ケニアのキアマバラ。

ブラウニーのマスターに、今日のおすすめは何?と問いかけての選択だった。

の後に、スラムダンクのネタ。

誰ぞにコミックを送ってもらい、それがいい、内容知ってるのに、読んでて声が出ちゃうくらい、とかね。

僕も3回読んで、その都度泣いてましたからね、と応じ、なんて時間とともに買い求めた豆。

とかいてくると、過去の時間をまたぞろ追体験として味わい楽しみ面白がっているわけだ。

ついでの話、書いてくると、じゃなく、かいてくると、と漢字使わないの、半藤一利さんを真似ているんだ。

タモリが言った、と言われている、今は戦前に似ている、というのを彼の本を読みながら、うなづきもし。

藤原直哉さんが、今のメインメディアはソ連時代のプラウダみたいだ、とかね。

いずれにしても、時代は変わる、んだよね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝はコンスエロ

2023年05月25日 | Weblog

とかいても何のことやら、だろうけど、グアテマラの珈琲です。

モーニングコーヒーってわけだ。

熊野の「ニシキトベの復活」をかいたオーストリア在住の女史、その方のFacebook投稿にこのところ。

気もそぞろ状態、ってのは少し大袈裟かもだけど。

昨日も、過去も現在も未来も今ここにある、というような文章がね。

これはよく言われることなんだけど、彼女の表現が心に沁み入るんだな。

時間とは直線上を動いていくものではなく、毎秒ごとに無数に煌めく輝きなのだ、なんての。

美しいでしょ。

もう10年以上になるのかな、瞑想を始めてから界隈では、イマココイマココイマココの合唱でもあったんだけど。

そんなことが、腑に落ち始めた、とでも言えるか。

それは、この世からいなくなったことになっている方々との繋がりにも影響を及ぼし、だな。

そうだ、この週末、八ヶ岳へ、なんだけど、そこの御仁がFacebookでシェアしていたのが。

熊と野うさぎの話で。

冬眠に入るにはしこたま食物を食べ体内に溜め込み、それが出て行かないように蓋をするんだそうだ。

お尻の穴にね。

何かの毛のようなものも一緒に食し、それが蓋になる。

冬眠明けには、しかし、便秘症状な訳で、それを野うさぎの穴に向け、食べてもらうんだそうで。

なんともコミカルではあるけれど、生命循環の厳かな感じもし、なんてこと、があったな。

加えて、わが神棚の榊ね、741HZの水をスプレイすると元気になるというのね。

それは実体験でもあり、なんてことが続き、だ。

くだんのニシキトベの女史がコンタクトするという、高次元の、というのか、横に広がった次元、あるいは。

拡がった認識の幅とでも言えるか、そんな存在、ハルーと名付けられた存在。

そんな繋がりもこちらも可能かもな、なんて気分でもあり、です。

さて、コンスエロをじっくりと味わうとするか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の日に出かけたら当たりが出た

2023年05月24日 | Weblog

というのが昨日で。

熊野からの客人。

三石学さん。

5年になるのか、熊野の旅でお世話になった御仁で、その方が来静されたわけだ。

京都から東京への道すがら、駿河へも寄ってくださった。

歴史の旅の女史から電話があり、かくかくしかじかなので、お昼でもご一緒に、と。

その時にちょうど、週末の八ヶ岳へのエネルギーワーク男子が傍にいたので、あなたもどう?と声掛け。

彼も一緒に熊野へ行ったからね、だったんだけど、時間取れず、だった。

二、三、当たったんだけど、結果、河岸の市へ。

おまかせ刺身定食をいただきながらの会話は楽しかった。

まさか、この駿河の地で、谷川健一さんから直接薫陶を受けた御仁と話せるなんて、というのと。

彼の口から出てくる、中上健次の娘さん、紀さんやら、柳田國男の娘さん、90歳になる、それはそれは。

妙齢というのか、素晴らしい歳のとり方の婦人のことやら、だからね。

まさに、夢のような時間というのが大袈裟ではないくらいで。

前日の記念講演での、ご縁を活かす、まんまの実践型というわけだ。

そのご縁が、たぶん、また違ったご縁を結び、結縁だ。

なんて事のあった夜は、むしろ、翌朝と言えるか、早くに目が覚め、ノータイムで三石さんからいただいた。

「熊野から読み解く記紀神話」を読んだ。

帯に、「大和朝廷に恐れられた熊野の真の姿とは?」とある。

すべてを受け入れすべてをゆるす、という熊野、また、行きたくなったな。

三石さんからいただいたお土産が、「花の窟」のサブレ。

そこが、イザナミの墓所、その窟について書かれた中上紀さんの文章が、また、とても美しく。

涙が出そうになった、いや、出ていたな。

なんて時間を過ごしたあとは、雨あがりの五月晴れの朝だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉だけでなく感情や概念が一緒にやってくる

2023年05月23日 | Weblog

今朝の表題は、長いね。

これがまた、ハルーという高次元の方との会話の時に感じる。

というんだね。

おもしろそうだな、と思ってね。

もっとも、そんな次元の高いところへ行かずとも、実のところ、わが方でも日常的に起こっていて。

それをスルーしながらの日々の暮らし、って感じなのかもな。

今朝はいきなりの話ではあるんだけど。

ある概念が丸ごと意識の中に入ってくる、という表現もあったな。

だから、口数は少ない、とも。

だって、そんなに喋る必要がないからね。

ここんとこ、テストに出るところだけどな。

とはいえ、そんな具合にやっていたら、あいつは何考えてるかわからんね、なんてのがオチだろう。

いずれにしても、可能性、とか、今あることがすべてではない、なんてのは、どこかに置いておくといいかな。

無知の知、とか、未知との遭遇、とか、だ。

知ることが脳を酷使し、依存し、さらには、他人の脳から出たことを借用し、みたいなね。

そんな風情濃厚な感じでもあり。

だから、その辺りは周到に、だ。

くだんの女史曰く、意識の領域では時空がまったく関係がない、とね。

だから、生まれる前の人ともこの世からいなくなった人とも繋がれる、なんて話で。

なかなか魅力的でしょ。

たぶん、そこらあたりまで含んでのデクラス、秘密開示だな、きっと。

CIAがどうした、とか、DSが、とかの向こう側にあるのが、そこらあたりの話だろうな。

と当たりをつけてるんだけどね。

さて、雨の火曜日に出かけるとするか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日はブログお休み

2023年05月22日 | Weblog

というより、気がついたらお休みだった、って感じだったな。

にしても、気持ちのいい朝だ。

つい先日アップした写真の夕暮れに向かう静岡駅周辺の、あの時の感覚ね。

次元が変わったような瞬間、あれを思い出したりしている。

と書くと、後が続かないか。

そうだ、またぞろの半藤一利さん「B面昭和史」だ。

あれが気になっていて。

ちょうど、わが父親、昭ちゃんが物心つき始め、大人への階段がその先にあるというような時期。

昭和が、国家総動員体制に向かう頃、のことね。

タモリじゃないけど、今に似てる、って話。

なんか、気持ち悪いんだ。

今までの常識というか、普通が、普通じゃなくなっていく、なんて風情がそこかしこにあり、って世情。

といっても、危機を煽るわけじゃないんだな。

こちらはこちらで、おもしろく眺めてもいて。

だな。

もともとが、そんなデキだったのが、社会とか世間とか世の中とか呼び習わされていることごとでもあり。

ところで、昨日からの第22候、蚕起きて桑を食む。

東北地方ではおしら様と呼んでいたらしい。

ある意味、神様の化身でもあったのか。

なんて話で、今朝、玄関先に置いておいた砥石、ナメクジがやってきていたのを思い出した。

ちょっとごめんね、と言いつつ、紫陽花の花のあたりに、彼の居場所を移した。

杉で作ってもらったまな板には、ダンゴムシが蝟集し、だったな。

アジを捌き、の後始末で干しておいたんだった。

事務所の神棚の榊、相変わらず元気で、3年目に入っているんだけど、彼らには、741Hzの水を吹きかけている。

この周波数の水、浄化というのか、邪気邪霊を浄める、なんて働きがあるそうで、実験中。

なんだけど、明らかに、効果あり、だな。

医科学の研究者さんたちには悪いけど、パンデミック以来の対応があまりにも、って感じでしょ。

だから、というわけではないけれど、目に見える世界にのみ依存、って暮らし方を変えてみてもいるんだな。

なんて書き始めるとさらに長くなりそうなので、このあたりで。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする