まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

あおうえい

2010年02月25日 | あの世この世
Toshさんネタが、続くんだけど。

桔梗屋で呑んだとき。

神社で、お参りするときの話になる。

目を閉じて、手を合わせていると、神社によって、さまざまな感じが、微妙に違う。

ということを、話して。

彼、腑に落ちないような、理解できないような風情だった。

そのことが気になっていた。

で、岡崎の帰り。

東名高速が、浜名湖過ぎあたりの掲示板に、静岡まで2時間以上、とか出ていた。

工事渋滞ですね。

ので、掛川で降りて、一号バイパスへ。

その途中、しだれ梅で話題の、龍尾(たつお)神社へ、すこしばかり、寄り道をする。

御祭神は、素盞鳴尊(すさのおのみこと)・櫛稲田姫尊(くしいなだひめのみこと)・八柱御子神(やはしらのみこがみ)。

清水への帰路、バイパスを走りながら、浮かんだのです。

おいうえお、で、あの感じを表すとしたら、と。

で、こないなりました、というわけです。



この本殿にお参りしたときの、エネルギー、というのか、感じは、母音でいうと。

「う」です。

こちらは、大己貴神社(おおなむち)、おおくにぬしのみことの荒御魂だそうです。



「い」ですね。

こちらは、「う」です。



稲荷神社。

ご興味のない方は、スルーしてくださいね、って、とっくにしてるよね。
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あの世に持っていけるもの

2010年02月20日 | あの世この世
よく、お坊さんなんかの、説教話にでてくるんだけどね。

この世のどんな英達も、富も、名声も、あの世には、持っていけません、って。

持参できるものは、あなたの魂だけ。

この世の様々な経験・体験で成長したあなたの魂だけです、なんてね。

このことについては、こちらも、体験したことがないので、真偽のほどは、確信できません。

が、よくよく、考えれば、たしかに、そうなのかもしれないな、とは思える。

せいぜい、戒名だったり、棺桶の材質だったり、くらいかな。

墓石の大小、なんてのも、あるね。

昔なら、奴隷も一緒に道連れ、みたいなこともあったようだけどね。

いずれにしても、このあたりの話には、なんか、ヒントらしきものは、ありそうだ。

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気配

2009年08月12日 | あの世この世
今、うしろを、誰か通った気がした。

と言って、妻が、二階へあがってくる。

ぼくの顔見て、安心した、というのろけ話なんだけどね。

それはともかく、うしろの気配が、はっきりとしたらしい。

なにせ、彼女、こわがりで、夜、なかなか、お風呂、入れない人だから。

こわがり、とかんたんに、まとめちゃうけど、実際、わけわからず、気配を感じると、そりゃ、こわいわけだ。

僕も、最近、目のふちに、光の列が、見えた。

こりゃ、メガネのせいか、とメガネを、はずす。

変わらず。

じゃ、眼球異常か、と思い、目をつぶる。

変わらず、光の、鎖の小さな列が、浮かんでいる。

一瞬、こわさを感じた。

で、ふと、こなちゃんでしょ、と言ったら、消えた。

一年以上、右脳だけで、生きている、うどんやのおやじを、こなちゃんというんだけどね。

右脳は、時間、空間関係なしだから、ワープしてきたことも、考えられなくもない。

そんなこんなで、この次元とは別に、異次元があっても、おかしくはないですね、というお話です。


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聞こえない会話

2009年07月30日 | あの世この世
「エレファントム」づいちゃってるんだけど。

象さんというのは、超低周波の言葉を、しゃべるらしい。

それは、人間が聴くことのできる低音から、さらに、3オクターブ低い、という。

その領域で、シロナガスクジラのメスと、つまり、海のなかで、一番大きな生物と、陸の一番大きな生物とで、哀切極まりない、最後の会話をしたわけだ。

くどいけど、このエントリーです。

話は、いきなり、雅楽です。

たまたま、車のなかで、テレビを見ていたら、東儀秀樹さんが、出ていた。

といっても、???かもしれないけどね。

NHK大河ドラマの「篤姫」で、孝明天皇の役をやっていた方。

その妹役が、皇女和宮ですね、堀北真希というかわいい女の子だった。

その彼が、雅楽の奏者なんだって。

雅楽ってのは、こんなものらしい。

興味のある方はどうぞ。

貴族の音楽なんだろうけど、神ごととも、つながっていそうだね。

で、笙(しょう)は牛、篳篥(ひちりき)はイルカに、なんらかのメッセージが、つながるようで。

笙も篳篥も、雅楽の楽器で、上のwikipediaを、みてください。

ウズベキスタンだかの地平線にむかって、笙を吹いていると、牛が、どこからともなく、ぞろぞろと、集まってきたんだという。

イルカも、しかりなんだろうね。

ひょっとしたら、そんな道具をつかいながら、わが、ご先祖様がたは、いろんな動物と、会話をしていたのかもしれない。

これ、勝手な妄想ですが、あながち、ありえないことでもないな、と。

雅楽というのは、一子相伝みたいなもので、家から家に、伝えられてきたらしい。

ちなみに、東儀家は、wikipediaによれば。

 『東儀家の先祖は渡来人であり、聖徳太子の腹心であった秦河勝(はたのかわかつ)とされるが、正確なことは不明。』

この秦河勝(はたのかわかつ)って言う人が、また、面白い人で。

聖徳太子の一家が、惨殺されたころ、皇極3年、633年に、赤穂の坂越(さこし)というところへ、流された、というか、逃げ延びた、らしい。

そこで、大荒大明神として、祀られている、という。

日本の古代史の、闇の部分を知っている人、というわけだ。

世阿弥が、「風姿花伝」のなかで、いろいろ、書き残しているようだけど、本日のブログ、長すぎるので、このへんで。

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山田辰夫

2009年07月29日 | あの世この世
なんか、とても、平凡な名前だよね。

でも、この方、役者だったんだ。

ガンの転移により、逝去。

享年 53歳。

おくりびと。

本木雅弘が、ご遺体を前に、集まっているご遺族の待つ部屋にはいろうとする。

そこへ、妻に先立たれた、山田さん、出てくる。

てめぇ、なにしにきたんだ。

くらいの調子だったな。

それとも、時間に遅れたことにたいして、怒っていたんだったか。

納棺師、本木は、きれいに死に化粧まで、し遂げる。

山田、美しくなった妻に、泣きながら、なにやら、話す。

本木は、それでは、失礼します、と部屋を出る。

山田さん、後を追いかけ、

どうも、ありがとうございました。

先ほどは、もうしわけありませんでした、と言う。

このシーン、印象に残っているんだよね。

ごらんになってない方には、なんのこっちゃ、かもしれませんが。

若いころ、暴走族の役をやったような、山田さんだからね。

なにしにきたんだ、というときの、迫力は、あったな。

そんな、名バイプレーヤーが、なくなった。

長渕剛の、哀悼の文章が、テレビで、紹介されていた。

 てめぇ、すぐに、むかえにくるんじゃねぇぞ!

という文章につづけて、

 いや、たっちゃん、ゆっくり、眠ってください。

 今まで、ありがとうございました。

 ご冥福をお祈りします。

と、結んでいた。

長渕の思いが、わが涙腺に、飛んできた、そんな文章だった。

ご冥福をお祈りいたします。

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象の霊

2009年07月26日 | あの世この世
以前、エレファントムというエントリーをした。

福岡伸一さんが、翻訳して、出版された。

実際には、高橋紀子さんという方との共訳なんだと思うんだけどね。

本を買うのが趣味なので、買ってしまいました。

という話なんだけど。

どうも、エレファントム、というのは、エレファント、象だね、それプラス、ファントム、亡霊とか霊とかを、足し合わせた造語みたいだ。

訳者は、幻の象、って、ルビをふっていたけどね。

こちらの好みでは、というか、直感的には、象の霊魂、とか、つらなる霊、とかだな。

ところで、よく見えない世界、なんていうけど。

人間て、一日に、4000万個の皮膚のかけらを、落としているんだってね。

垢、と言ったりするわけだけど。

それから、ビーグル犬などは、3億個の嗅覚細胞を持ってるのに対して、人間は、600万個なんだって。

だから、わたしは、なんの痕跡も残さずに、生きていると言っても、ビーグル犬からすれば、あちらこちらに、あんた、自分自身をふりまいてるよ。

ということになる。

著者のライアル・ワトソンは、ヨハネスブルグ動物園で、デライラという雌象と出会う。

仲良くなったころ、新入りがくる、ということで、隣の建物に移すことになった。

デライラは、嫌がった。

結局、移されたんだけど、その建物に入ったとき、緊張して、隅の一点を、見つめつづけた。

そして、そこへ、干草を積み重ねた。

その仕草が、わからなかったんだけど、古い世話係にきくと、20年前、そこで、重病の象が、獣医によって、射殺された、という。

デライラは、葬送の儀式を、干草で、執り行ったわけだ。

人間には、なんの痕跡もなく、みえないものが、デライラには、みえていた。
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十万億土

2009年07月11日 | あの世この世
この時期は、このあたりは、お盆です。

8月のお盆のことを、旧盆、とか、言ったかな。

だからといって、7月のお盆を、新盆とは言いません、とWikipediaには、書いてありましたが。

それはともかく、今週半ばころから、どうも、わが父親が、帰ってきているんじゃないか、という気がしていた。

夕食時、次男坊にも、そんな感想を、言った。

父親の臨終のとき。

心臓病で、なくなったんだけど、枕元にある、なんていう機器か、脈とか心電図とかが、見れるやつ、ね。

あのグラフが、すーっと、横棒一本になった瞬間。

ああ、遠くへ行ってしまったんだな、という寂寥感を、感じた。

遠く、っていうのを、仏教でいえば、十万億土(じゅうまんおくど)というのかな。

三遊亭円生演じる、「三年目」という落語にも、出てくる。

仲むつまじい若夫婦。

ところが、やきもち焼きの奥方が、病いをえて、あの世に旅立つことになる。

自分が死んだ後、あなたが、後添えをもらうことが、がまんできません、とだだをこねる。

わかった、わかった。

じゃ、おまえ、死んだら、すぐに、幽霊になって、出ておいで。

そうすれば、後添えの来てもないだろうから、と。

イケメン若旦那は、言う。

百ケ日(ひゃっかんち)も過ぎないうちに、いい男のところへ、後添えが、来る。

そろそろ、あいつは、幽霊になって、出てくるだろう、と若旦那、寝ないで、待つ。

来ない。

十万億土、といやぁ、遠いからな、仕方ないか、と。

しかし、次の年も、次の年も、出てこない。

あいつも、十万億土の向こうで、楽しくやっているんだろう、と若旦那、後添えと、仲むつまじく、暮らすことになる。

と、三年目、ある晩。

前妻が、幽霊となって、うらめしや、と出てくる。

あまえ、なんで、今頃になって、俺たちは、こんな具合に、楽しく、やってるぞ。

おまえが、約束したのに、出てこないんだから、と。

すると、

前妻の幽霊さん。

だって、髪がないまま、でてきたんじゃ、あなたに、嫌われるかと思い、三年目にして、やっと、髪が、生えてきたものだから、という下げなんだけどね。

「らくだ」でもそうだけど、江戸時代、死んだ人は、あたまの髪の毛を、剃ったんだね。

今日のブログは、十万億土みたいに、長くなっちゃいました。
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うしろの方々

2009年07月04日 | あの世この世
今日は、なんか、気持ち悪くて。

さっきも、事務所で、吐きそうになった。

それに、眠いし。

パソコンに向かっている僕の背中で、妻が言う。

瞬間、目を閉じると、2、3人の方の映像が浮かんだ。

そのことを伝えると、何百人もいる感じだよ、と妻。

いずれにしても、いつもとはちがう状態だったんだろう。

前にもアップしましたが、自分というものを構成しているのは、うしろにいる、何十人もの方々であることを、それもありかな、と思ってまして。

そんな妻との、何気ないやり取りも、その流れで、受け止めたりしている。

それは、いいも悪いも超えた次元の話なんだろう、と。

だから、なんでいるの?!

じゃなくて、その方々の声に、耳を澄ましてごらん、ということなんだろう。

このあたり、微妙なんだけどね。
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いいとか悪いとか

2009年06月27日 | あの世この世
最近、スピリチュアル系だね。

と、わがブログを、愛読してくださっている、ケーキ屋のけんちゃんが、言う。

あれ、クリスチャン・Mさんだったか。

いずれにしても、あの世この世系が、続くんだけど。

  これがいいとか悪いとか

  いう次元を超えたところが、かなたにはある。

  そこで、会おうではないか

これ、イスラムの聖者、詩人のルーミーという人の言葉。

西暦の1200年代、というから、わがほうでは、南北朝のころかな。

たしか、ニーチェにも「善悪の彼岸」なんていう、著作があったような。

宗教とか神とか、となると、どうしても、善悪って、ことになるからね。

親鸞だって、悪人正機、って、いってたしね。

善人だって、往生するんだから、ましてや、悪人は、楽勝ですよ、って。

突然、展開が、かわるようですが。

  運がいいとか悪いとか

  人はときどき 口にするけど

  そういうことって たしかにあると

  あなたをみてて そうおもう

って、さだまさしの「無縁坂」ですね。

そのあとに、こう続くわけです。

  忍ぶ 不忍(しのばず) 無縁坂 

  かみしめる様な ささやかな 

  僕の母の人生

かれは、自分のおかあさんをみてて、そうおもう、わけなんだけど。

ルーミーは、それを、超えた、かなたで、会おうね。

というんですね。

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連なった霊たち

2009年06月15日 | あの世この世
現在、人類代表として生きているわれわれのうしろに、何十人かの、連なった霊たちが、いらっしゃる、ということなんだけどね。

樋口雄三さんという、東京工業大学の名誉教授。

この方の本、「おおいなる光」から人類へ、というもの、です。

それぞれ、ぼくのうしろにいらして、この世で、やり残してしまった宿題を、現在の人類代表たる、たとえば、ぼくが、かわりに、ひとつずつ、こなしてゆくことで、守護の光にかわっていく、と。

その何十人かの方々は、ほとんどが、父と母につらなる、ご先祖さまなんだそうだ。

やり残した宿題を、カルマといったり、業といったりする、という。

樋口教授、にわかには、信じがたいことだとは思いますが、という但し書きを書いている。

ただ、なんとなく、そうも言えるかな、とも思える。

いろいろ、人には、好き嫌いがあったりするんだけどね。

異性だったり、食べ物、さまざまな趣向。

それ、どこからくるのかな、って、不思議ではあったんです。

たとえば、僕の場合、目のくりっとした女性が、好きでもあったりするんですが。

だから、わが妻は、目が大きいんです、って、おじさんののろけだけどね。

それ、って、なんだろう、という疑問は、あったわけです。

それ以外にも、お寺とか神社って、妙に、気持ちが落ち着くのはなぜなのかな、とか。

ま、何十人も、わがうしろに、ひかえてらっしゃる、と考えれば、たしかに、とうなづける。

その本の最後のほうで、樋口教授は、言っている。

 この人生は、自分のもののみではなく、連なった霊たちのためでもある

と。

だから、自殺なんか、最悪の選択ですよ、ということなんだよね。

それとか、自分にうそをついて生きていくこと、それも、なかなか、むずかしいことになるようです。
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