まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

昭和天皇

2008年04月30日 | Weblog
朝、顔を合わせるなり、隣のおじに、おめでとう、と大きな声で言った。

照れくさそうにしていた。

昭和天皇と誕生日がおなじなので、おぼえやすいのです。

ひとつ、歳をとって、おめでたくない、なんて、言っていた。

そうはいっても、めでたいものはめでたいんで、と。

昭和天皇といえば、若い頃、イギリスで地下鉄にお乗りになったことがあったらしい。

その時は、自分で、切符を買って。

で、晩年になっても、その切符を、宝物のように大切にされていたらしい。

それをみて、侍従の方だったか、だれだったか、が書いていた。

胸が切なくなった、と。

たしかに、ご自分でお金を使う、ということすら、ままならなかったんだろうからね。

侍従じゃなくて、志ん生だったかな。
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びんぼう自慢

2008年04月29日 | Weblog
五代目古今亭志ん生の口述筆記、びんぼう自慢

志ん生の一代記、というわけだけど、おもしろい。

明治22年に生まれて、12,3歳から、家出して、飲む打つ買うの三道楽。

落語の愛すべき主人公、はっつぁんやくまさんを、地でいく破天荒。

だれだかが、志ん生はドストエフスキーだ、なんて言ってたな。

生きているときに聞きたかったと思う。
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深夜の病院

2008年04月28日 | Weblog
夕べ、NHK大河ドラマ、篤姫を、さて、見ようかな、というとき、電話が入る。

高校時代から仲の良い友人が、危篤だ、と。

いったい何があったのか、とるものもとりあえず、病院へ向かう。

久しぶりに会うお母さん。

そのほか、親戚の方々。

どうやら、大腸のポリープを切除するために、入院したらしい。

腹腔手術というのか、おなかに4つ、穴を開けて、悪性の腫瘍も、取り除いた。

5月5日までの、ゴールデンウィークの間、入院して、仕事にさしつかえがないように、と。

そうしたら、腹膜炎を併発して、心臓が、二度ばかり、止まってしまった、というくらい重篤なことになってしまったようだ。

一度は、手術が成功したといわれ、また、重篤な状態に、ということで、おかあさんは、目の前で起こった事実を、うまく、受け止めきれない。

集中治療室へはいり、彼の顔やらからだやら、全体を眺めていると、どうも、回復しそうな気がする。

おまえ、まだ、早いぞ。

と、声にもださず、呼びかけていた。

こちら側に戻る気になったら、すばらしい人生が、待っているんだけどな、という思いがずっとしていた。

親しい友人たちに電話で連絡。

だれもかれも、ことのしだいを飲み込むのに、時間がかかった。

どうやら、小康状態でいる彼をあとにして、帰宅。

彼が、その気になるかどうか、楽しみに朝をむかえた。
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シャガール

2008年04月27日 | Weblog
県立美術館のシャガール展に行ってきた。

1887年に白ロシア、いまのベラルーシのヴィテブスクという村に生まれた、という。

ベラルーシって、体操とか有名だったか、ほかにも、なにかあったようだけど、思い出せない。

ユダヤ教のハシェド派だというんだけど、検索しても、出てこない。

いずれにしても、ユダヤ人だ。

ヴィテブスク→パリ→ヴィテブスク→ドイツ→パリ→アメリカ→パリ→ニース。

流浪の民、ユダヤ人と描きたくなるほど、各地を経巡る。

シャガールといえば、鮮やかな色を思い出すけど、ヴィテブスクでの作品は、暗い。

唯一、最初の妻、べラに花をもらったときの絵、「ヴィテブスクの街の上」だけが、明るい色の二人が空を飛んでいた。

ユダヤ語がほかの言語と混交して、イデッシュ文学というものがあるらしいんだけど、そのなかに、ルフトメンチュ、というものがあるらしい。

定職をもたず、霞を食って生きる宙ぶらりんの存在のこと。

シャガールの絵って、重力を気にしてない人がたくさん出てくる。

いずれにしても、美術館にはいる前は、いつもの風邪のような症状で、頭が痛くて、気分もよくなかったんだけど、入り口でのくしゃみ3発とシャガールの絵で、なおってしまった。

シャガールのキーワードは。

ヴィテブスク村とユダヤ教ハシェド派とルフトメンチュだな、という感想です。
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現代版薮入り

2008年04月26日 | Weblog
東京に就職した息子が、ゴールデンウィークに帰郷する。

現代版薮入りだね。

三代目三遊亭金馬の「薮入り」みたいな心境だ。

朝の二時から起きて、早く、時間が進まないかな、となぁ、おっかぁ、なぁ、おっかぁ、とかみさんに話しかけるおやじ。

昨日の今頃は、もう、夜が明けたけどな。

なぁ、おっかぁ、と。

いま、なんどきだ?

まだ、3時ですよ。

時計の針、進ませてみろよ。

ばかだね、おまえさん、早く寝なさいよ、とおっかぁ。

きんぼうが帰ってきたら、上野から浅草、川崎大師さまに、箱根大権現、するがの東照宮、もう少し足をのばして、名古屋の金のしゃちほこ、四国の金比羅山、見せてやりてぇな、なぁ、おっかぁ。

何時つれてくの?

明日一日に。

ばかだねぇ、おまえさん。

じゃ、といって、今度は、うなぎが好きだから、しるこがすきだから、マグロが、と考え付く限りの料理を並べ、これ、用意しててやんな、なぁ、おっかぁ、と。

挙句に、夜明けがまてず、家の前を掃きだし、近所の連中に、がさつもんの熊公が、息子の薮入りのために、掃除するなんて、ありがてぇじゃねぇか、といわせる。

金馬の名演なんだけど。

携帯電話も新幹線もテレビもある、わが息子の薮入りは、果たして、どうなりますやら。
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味噌煮込み

2008年04月25日 | Weblog
昨日は名古屋。

名古屋駅といえば、エスカの山本屋の味噌煮込みうどん。

これ、季節のものです、といって、二枚、メニューがでてくる。

そのあとに、古くからのメニュー。

最初のメニューは、スタミナもつと名古屋コーチン入りなので、お高いわけだ。

印象としては、高くなったのかな、と。

しかし、よくよく古くからのを見ると、あるんですね、シンプルな味噌煮込みうどんが。

これは、前のままの値段。

どうも、お高いメニューに誘導されているような感じなんだよね。

気持ちは分かるんだけど。

客単価をあげる、とか、対前年比何%アップ、とか。

より高品質なサービスと商品を、なんていうのも。

でもね、という気持ちは残るんだよね。

おいしかったし、サービスも行き届いているので、不満はないんだけど。

まだまだもっともっと、という、当たり前のようになっているビジネスの流れが、少しばかり、かなしかった、というだけです。

資本主義の世では、当然のことだ、という声もきこえてきますが。

行き着く先が、サブプライム騒動だったりするわけだからね。
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ホ・オポノポノ

2008年04月24日 | Weblog
ちょっと、読みづらいですけど、ホ・オポノポノ。

ネイティブ・ハワイアンの伝統的な問題解決の方法らしい。

ヒュー・レン博士のこんなインタビュー記事がわかりやすいです。

そんなことありえない、と思うか。

それより、今日のメシをどうするの、と考えるか。

世の中にはもっと大事なことがある、と思うか。

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一億年前

2008年04月23日 | Weblog
千葉大学の園芸学部、というところがあるらしい。

優秀な学部だ、と。

一億年前の地球上の空気を人工的につくっている。

二酸化炭素が、今の3倍だったという。

いつもの歯医者さん。

その大学では、小さな温室のような部屋で、そのような状態を作り出す。

すると、植物が3倍のはやさで、生長するんだって。

生育期にその空気のなかで育つと、丈夫になり、病気になりにくい、という。

少々の気候の変動には、びくともしませんよ、という作物ができる。

歯医者さん、その大学へ見学にいってきたらしい。

イギリス人の英会話教師、の事件があったけど、その犯人とされている人、そこの学部の出身だ、とも。

それはともかく、一億年前の地球上は、今の3倍の二酸化炭素だったので、地球としては、経験のあることなんで、そんなに心配することもありませんよ、といいたそうな話だった。




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なんでも鑑定団

2008年04月22日 | Weblog
はてなの茶碗、という落語がある。

茶金という名うての目利きがいて、かれが、茶碗をみながら、首をかしげると、そのたびに、100両ずつ、値があがっていく。

あるとき、清水寺の茶屋で、首をかしげながら、お茶を飲んでいるのを見た、熊さんや茶屋の亭主が、色めき立つ、すわ、この茶碗は、600両か、と。

6回首を傾げたからね。

実は、この茶碗、お茶がもれるので、茶金さん、どこから漏ってるのか、と見ていたんだけど。

と、まあ、そこにいた熊さん、無理やり、亭主から、10両で、その茶碗を買ってしまう。

借金もちなので、一儲けをたくらんで、と。

そんなこんなで、筋は展開していくんだけど。

昨夜は、わが事務所でも、はてなの絵、くらいの出来事があった。

大工の、江戸っこ風にいえば、でぇーくの卓ちゃんが、解体現場から、絵を貰ってきた。

ほかにも、おさらやらなにやら。

その場にいあわせた何人かは、それこそ、茶金にはやがわり。

ためつすがめつ、という具合に、その絵に見入り、色めき立つ。

支那事変 陸軍大臣、と横に書いてある。

左下には、栖鳳 謹瀉 とある。

これは、どうも、値打ちがありそうだ。

600両ならぬ、600万円、いや、1000万円、、、、。

ネット検索すると、竹内栖鳳、という大家の絵らしい。

この方、東の横山大観と並び称されて、西の栖鳳といわれて、第一回目の文化勲章をいただいた方のようだ。

斑猫、という作品は、重要文化財になってるらしい。

この絵は、皇居の絵、というようだ。

戦争中、あやめ屋さんという旅館のご主人が、戦闘機を寄付したお礼に、東条英機から頂いたものらしい。

美術商に、これってどうよ、って、メールしといたので、はたして、どうなるやら。
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長い旅路

2008年04月21日 | Weblog
昨日は、老舗の仕入先、社長のお母様のお葬式。

享年86歳。

戦後の焼け跡のなか、今の社業の礎をつくられた、聡明な方だったようだ。

お孫さんの弔辞が印象的だった。

おばあちゃん、長い旅路、ご苦労様でした。

これからは、兄弟や親しい方々と会うことが出来ますね。

それに、先に旅立った、愛するおじいちゃんとも会うことが出来ますね。

どうもありがとうございました、というような内容だった。

こちらの生活をおえて、あちらの生活が始まる、ということを、ごくごく、自然に述べていた。

それが、印象的だった。

閻魔さまが通せんぼをしているわけでもないし、灼熱の地獄があるわけでもないし、今までのご縁の方々と、またお会いする事が出来る、と。

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