まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

糠床にすまなくて

2005年02月13日 | 糠漬け
相変わらず、糠床は苦戦中。
糠床はあれから、500g4袋、2㎏を入れ替え。
しかし、なかなか糠は蘇生せず。乳酸菌は死滅したまま。
この一週間ばかり、糠床に手を入れると、時に、少しいい香りになりつつあるかな、と思えることもありますが、また次の日は、素の糠の匂い。
捨て漬けにキャベツを入れてあります。
2月10、11日、お伊勢参り。
車中、M夫人、良かれと思って手を入れすぎた子供に似ているね、と。
たしかに。
以前、友人が梅の木に水をやりすぎて枯れさせた事件を思い出す。そのときは笑っていたけれど、いま、その、痛苦な悔恨、というような感情がよくわかる。
電卓で、ACボタン、つまりALL Clearボタンを押すと、ソロバンでも同じですが、すべてが消えて、ご破算で願いましては、となるけれど、糠床の生菌たちはそうはいかない。生きていたものが死に絶えた、と言う事実はなくならないわけで。
そういえば、くだんのM夫人、これで終わらせてしまうと悔いが残るから何とかがんばって再生させて、とも言ってくれまして、その言葉を頼りに、がんばるぞ!

朝の食卓に糠漬けが並ばなくなって一週間ですが、今日の日曜日は、妙に寂しかった。
糠床ににがりを入れる前日のナス漬けがなんとも言えず、いい味で、たった一週間なのに懐かしく思い返されます。あのときの糠の香りも、手に触れる感触も。
糠漬けが並ばない食卓に、千枚漬け?が出てきました。おおきなカブと昆布の酢漬け。
これは女房の母親が存命中、お正月、実家へお邪魔すると出してくれたっけ。親父さんもまだ健在で、漆の塗師だったのですが、いろいろ興味深い話を聞かせてくれたものでした。
開運とはいただいたご縁を生かすことだ、と教えられましたが、漬物の縁をつないでいくと、今までになかったご縁、いや、あったのに気づかなかったご縁が広がるような気がします。



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生兵法は怪我のもと、って言うじゃない

2005年02月08日 | 糠漬け
にがりは失敗だった。
ショック。
夕方、ブログを見たM夫人からメールをいただく。にがり?無茶でしょう、と。
慌てふためいて、帰宅する。糠床に手を入れる。
一瞬にして青くなる。手の感触が違う、匂いが違う。
あれは悲しい匂いだった。人生の中であれほど悲しい匂いはなかった。
限りなく素の糠に近い匂い。
体から力が抜けてゆくのがわかった。
基本的にはプラス思考の人間だと自負していたが、あの時ばかりは、脱力感のみ。
どうしていいかわからず、M夫人に夜分のお電話をかけさせてもらう。
彼女は最初、愉快そうに、あるいはあきれて笑っていたが、こちらの脱力感が伝わったのか、緊急事態だから、糠床の糠を減らし、補充糠をふた袋くらいぬるま湯で練って発酵を早くして、補充する、というすばやい処置方法を教えていただく。
ありがたい。
実は、夕べ、家では仕事をするつもりだった。が、仕事が手につかず、ぼーっとしていた。
しばらくして、女房が帰ってくる。
そんな僕を見て、女房もまた、M夫人同様、笑う。
僕は泣いていたらしい。涙は流していなかったが、顔がないていたんだろうね。
かわいいと言って抱きしめられる。
彼女的にはそんな僕を見るのははじめてだったらしい。喜んでいた。同時に、糠床に嫉妬した。
ほんと?糠に嫉妬しても、1g3億個だぜ、喧嘩し切れないでしょ。
夕べは早々に寝てしまう。

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なぜBlogをはじめたのかな

2005年02月06日 | Weblog
飲み屋ネタでも仕事場での雑学ネタでもいいのですが、オレ、ぬか漬け初めてね、から始まって、あれやこれやと話し始めると、最初は聞いてくれるけれど、そのうち、あくびが。
たしかに、こちらが楽しんでいるのはわかってくれるのだけれど、で、なに、って感じ。
そんな時、Blogがあった。
読んでくださる方がいるのか、いないのか、わかりにくいので、誰を対象に書き込むのか、と言うことになるわけですが、かといって、単なる日記でもおもしろくなくて。
そんな、わがBlogにはじめて読んでくださった方があらわれました。
ミニコンサートなんかで、こちらがノリノリに手拍子なんかすると、歌い手はさらにのってきて、という相乗効果でお互いが楽しくなる、と言う感覚。
書き手と読み手の掛け合い漫才、みたいな。
ところで、夕べはふきをつけてみました。
茎の部分を10センチくらいに切って。
ふきの香りを感じながら、なかなかおつなものかな。皮をむくといい、と母親の弁。
コカブはつかりすぎてしまいました。
またまた、糠が減ってきたので、補充しないと。
今までは500gの補充糠を水で練っていましたが、今日はにがりでやってみようかな。コテコテのミネラル漬けになってしまうかな。過ぎたるは及ばざるが如し、とも言うし。
でも、やってみよう。
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今朝は千切りにせず

2005年02月05日 | 糠漬け
こかぶとにんじん、それからキャベツ。
ずっと、朝晩納豆昆布までもみこんだ糠漬けだったので、あきたのかもしれない。というか、少し趣向を変えて、くらいの感覚かな。
そういえば、この間、福井県の三国からさばの「へしこ」を送ってもらいました。さばを塩漬けに3ヶ月、それから糠に半年以上漬け込んだもの。
しょっぱい。
しかし、うまい。これを、あぶって、例の千切り状態の糠漬をのせたご飯の上にちぎって載せる。海苔を細かくして、それから熱いお茶を。お茶漬けですね。
これはいける。
発酵つながりでいろんな食材の食べ歩き、ってのも、いいだろうな。
今朝のテレビでチゲ鍋、やってましたが、乳酸菌がたくさんいて、と言っていましたが、あっためてもいいのかな?と思いました。
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西暦2104.12のDNA

2005年02月03日 | Weblog
糠漬けを水で洗う。
二日もすると、うちの流しの排水口は糠で詰まってしまい、あふれそうになる。それだけ僕が糠をとらずに出してしまうのか、排水口の網の目が細かいのか。
しかし、ものの本によると、糠をあまりきれいに取りすぎると水分も一緒に糠床に残ってしまいます、なんて書いてあるので。
なので、一週間に一回、例の時代糠を500グラム補充している状態。
大きな話をしてしまうと、僕は50年、100年の糠床を作りたいので、あまり補充が多すぎると、いつも新人さんばかりになってしまうのかな、と言う心配もあったりするんです。
ところで、この50年、100年の糠床ということ。
ずっと、何百年も続く家、というのが不思議でした。
時の権力者であったり、大富豪であったり、と言うことだったのでしょうが、それにしても代代続いていく、と言うことは並大抵どころの話ではないな、と。
で、糠床です。
こちら、権力がなくても富がなくても、とにかく毎日朝晩、糠に手を入れる、と言うことが100年続けば、と。なんか、すごいロマンですよね。
糠床の中の生菌たちのDNAをもし紐解くことができれば、2004.12という年代が記録・記憶されているかもしれない、2104.12の時に。もちろん僕は死んでこの世にはいないのでしょうが。
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腸が発酵してるみたいで

2005年02月02日 | Weblog
発酵三昧の毎日ですが、ついでに尾篭な話ですが、おならがよく出ます。
腸の中に乳酸菌やらなにやら、わんさかいる、というイメージで、フムフムと納得しています。
わんさかいる生菌が消化を助けてくれているとしたら、自立系の臓器の働きは、余裕を持ったものになっているんだろうな、と。尾篭ついでに、便の中に野菜の繊維質がたくさん含まれているように思います。
この間、鹿児島出身のTさんから聞いた話。
子供のころ、今は90歳をとうに越えたお母様が、甘酒を作ってくれた、と。炊き立てのご飯に麹をのっけてなにやらしてふたを閉めておく。それが発酵して甘酒に。しかし、甘酒になるのが待ちきれなくて、まだご飯の形状を残しているうちに学校帰りとかに食べてしまって、それがまた、うまくて、と。発酵って、ほんと、不思議で楽しいと思います、勉強中の身ですが。
キャベツを丸のまま漬けてあるのですが、今朝、水が130ccくらい出てました。
野菜の細胞から水分が出てきて、その細胞は生命活動を止めて細胞内の旨味成分を体内に封印したんだね、と妻に朝から薀蓄を披露したら、言うことがだいぶ本格的になってきたね、と誉められました?
朝晩、僕が糠床に手を入れている後姿を見て妻は、漬物屋の親父、と言います。
なんとも嬉しそうに言うのです。理屈ばった百万言より、漬け物屋の後姿のほうが100倍も安心感を感じるのかもしれません。
ところで最近、からだが、もう漬け物はしばらくいいぞ、と言っているようにも感じます。
体内の生菌の人口密度が上がってしまっているのかな、というようなメッセージです。からだからのこのメッセージに少し耳を澄ませてみようかな、と。

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誰が食べるか???

2005年02月01日 | Weblog
糠漬けの悩ましいのは、漬けたものを誰がどれだけ食べるか、ということ。
おいしいといくら自画自賛しようと、食べる人がいないとどんどん漬けあがったものは、誰にも食べられず捨てられてしまうだけ。
あれもこれも、と漬けたくなりますが、家族の胃袋のキャパシティーは限られている。
食べられる分だけを彩りを考えながら漬ける、ということをキッチリ守らないと、いささか食傷気味になってします。腹八分という言葉もあるように、すこし足りないくらいがおいしくいただくコツだと思うのだけれど、どうしても漬けすぎてしまいます。
自分で糠漬けをやる前、漬け物が好きだから漬けてよ、と母親に言ったところ、漬けてもちょうどいい時にあんたがいつも飲みに言ったりでいないから、と言われたとき、ほんとうは母親は漬け物が好きではないんだな、と考えてしまったけれど、それは間違いでした。食べる人がいて漬け物、ですね。
うちの女房は料理が下手でね、という言葉は、俺は女房の料理にうまくこたえられなくてね、とか、うちの夫婦の会話は成立してないんだよ、とかの言葉に置き換えたほうがいいくらいのものだと思います。
そういえば、夕べ、糸のこんがらがったものを解きほぐす会話をして帰ってきて、糠床へ手を入れたのだけれど、発酵した糠に触りながら、なんでも、こうして実際に触れてみないと道を誤るな、と感じたものでした。

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