まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

山高神代桜

2005年04月30日 | 風景
山梨県武川村、行ってきました。
これ、むかわ、と読みます。

実相寺の境内にある。
近くで見ていた人が、幹は枯れてるね、枝は生きてる、親が死んで子供が生きている、
なんて、言ってましたが、僕には、そうは見えませんでした。

じっとその前にたたずんでいると、僕の胸に何かが伝わってきました。
何かはわかりませんが、ドキドキしてきました。

以前、知り合いの有機肥料を作っている人の工場で、肥料を手にとって、じっと眺めていたら、やはり、胸の鼓動が高鳴り、涙が出てきたのを思い出します。
そのときは、微細な生命との共振だったのでしょうが。

実相寺の門前から、里を見ると、なだらかに下っている。
そのはるか後方には、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳、八ヶ岳連峰、が、かすみながらも見える。

日本武尊の時代にタイムトリップして、なぜか、無口になる。

妻と、いいなぁ、という言葉のみ。
おむすびとお茶とショウガの糠漬けとふき。

妻曰く、実相寺の境内に、木彫りの人形?があって、そこの表札に、

人間は木を切り倒し、何かを作り、あまった木はその辺に放り出し、シロアリが侵食するに任せる。木も生きていることを忘れないで。

と、書いてあった由。

まさに、この里山いったいが、神代桜を日本武尊がお手植えになった時を生きている。
われわれにとっては、開花の時期がずれたのが幸いだったと思う。

とにかく、この時期、みどりが安らぎをくれる。

長松山 萬休院の舞鶴松。
これまた、450年の樹齢。
その境内に
 子どもは親のいうとおりにはならないが 親のするとおりになる
なんていう、しゃれた言葉もあったりして。

しかし、この武川村、中山家が多い。




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花や木の名前を知りたい

2005年04月29日 | 風景
最近、年をとったせいか、花や木のことが気になる。
これ、なんていうのかな?と。

つつじとさつきの違いも知らないし。
正直言って、桜と梅の違いも、よくわからなかったりする。

しかし、最近、名前を憶えておいたほうが楽しいな、と思い出している。
すばらしい景色を人に話すのに、やっぱり、花や木の名前を知っていたほうが話しやすい。
記憶力が悪いと思っている僕ですが、ちょっと、がんばってみようかな、と。

今日、興津のおば、「朝日を見てらっしゃい」と言う宿題をやるために尼寺へ行った、と言う人ですが、スルガエレガンスをもらいに行ったとき、ハナミズキが花をつけていた。ピンクの濃い色。
そのことで、帰ってきてから、母親と共通の話題で話ができた。

実は、今までも、山野草大好きの母親は、何かにつけて、僕に花の名前を言って、その美しさ、可憐さを伝えてくれていたのだけれど、ふんふん、と軽く聞き流していたのです。


かなづちを持っていると、すべてが釘に見えてくる、という言い方があります。
僕は、どんなかなづちを持っていたのか、どんな釘を探していたのか、と最近思う。





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糠床談義

2005年04月28日 | 糠漬け
昨晩、久々の糠床談義。

毎日、燕三条でもらった、ステンレス製のおちょこ一杯、水が出るんだよね。

えっ、そんなに出るの?それどうする?捨てるの?だめよ、捨てちゃあ。
そうそう、水は捨てちゃあいけない、と昔から言うなぁ。

だって、師匠がそういうし、ネットでも、ふきんで水を取るって言う人、いたしね。

そもそも、糠を円錐形にしているから、水が出るんだよ、という人もいたりして。

おいおい、と言う感じ。

ところで、昨日、また、お昼、県立図書館でおむすび。
ちょっと、小高いところで。
今は、桜は散り、つつじがこれから。

風が吹いていて、見下す木立は、まるで生きているように、実際、木々は生きているわけですが、ざわめき続けていた。
ここから、大昔、日本武尊、こんな景色を見ていたんだろうね。

帰りがけFくんが、4年に一度、この木は蝉が鈴なりになる、と桜の木をさす。
4年間、土の中にいて、10日間のいのち、という。
蝉的に言うと、4年間の土中暮らしは、この世、10日間はあの世、と考えられるね。
10日間、あの世に行ってきて、また土中に帰る。




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なんば走りとソメイヨシノ

2005年04月27日 | その他
このナンバ走りは、オリンピックの末続の100mで有名。
昔の日本人は、同側、つまり、足と手と同じに出して歩いたり、走ったりしたそうな。

飛脚は、このナンバ走りで、超一流になると、一日50里、200km、東京~静岡間を走り、また明日も走り、した、と。
甲野善紀さんが、NHKの番組で言っていた。

この日本人の独特な歩き方、走り方が変わったのは、明治に入ってからのドイツ式軍事教練からだったそうです。

このナンバ。

この間、久能の日光東照宮の1100段の石段を登ったとき、ためしにやってみた。
たしかに、楽に登れる。
実に、気持ちがいい。

もとコンピュウター屋のFくんによると、重心を高くして、腰と肩を一緒に出す、という感じらしい。スーパー60歳のHさん曰く、の由。

これも、Fくんからのネタ。

明治時代、各県の桜はほとんどが伐採され、明治政府によって、ソメイヨシノに変えられた、由。

武士は桜、というように、各藩の魂の象徴として、各種の桜を植えていたそうで、その象徴を、京のソメイヨシノに植え替えた、と。

いよいよ、山梨県武川村の樹齢1700年の桜を見に行くのが楽しみになってきた。
日本武尊のお手植え、日蓮さんのとき、枯れかかっていて、祈祷で回復した、と。


「身土不二」(しんどふじ)について、もう亡くなった、コンサルタントの一倉定さんが書いていたっけ。つまり、その土地で取れたものを食べること。

南の島、どこだったか、有名な島ですが、これまた有名なシュバイツァー博士が來島。
その島は病気も少なく、楽園のような島だったそうです。

しかし、博士、ドイツの食生活と比べて、いかにも貧しい。
で、西洋のケーキなどいろいろの食物を持ち込む。
島の人々は、博士の影響から、次第に食生活を変えてゆく。

島のライフスタイルが変わり、今までなかった病気が蔓延する。
食料自給率40%の日本はどうするんだろう。

伝統と新文明?との融和?野合?排除と置換?

そういえば、大阪の万博は、たしか、「進歩と調和」というテーマでしたっけ。






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こうぞ・みつまた

2005年04月26日 | 風景
小学校のころ、紙は、こうぞ・みつまたから作られます、とたしか、教わった記憶がある。

昨夜、ある総会のあと、お二方と軽く飲む。
一人は、富山県出身、世界遺産の白川郷の一山越えた、富山湾側、とか。
もう一人は、天竜二俣。
58歳と68歳。

まさか、家で、和紙を作っていた、と言う話をお二人から聞けるとは思わず。

話はうろ覚えですが、直径3~4cmのこうぞの木を煮る。いや、蒸す?かな。
そして、芯をとり、皮をとる。
その皮を煮る。
外側の黒い皮を夜なべで取り除く。
取り除ききれない黒い皮を氷の浮く川で、さらに、白い内側の皮だけにする。
それを、樫の棒で叩いて、ドロドロにする。
それを水に浮かべて、目の細かい金網?ですくう。

和紙は温度がいのち、とか。

紙の作り方は、たぶん、今ではネットで検索すれば、たくさん、正確なやつが出ている、と思う。
しかし、目の前で、父親の話やら交えながら聞く、和紙の作り方は、とても、楽しかった。
コンビニエントでない暮らし。

こうぞは4月ころから育ち始め、秋口に収穫。
和紙つくりは、12月から始まって、3ヶ月はかかる、と。

それだけ、手をかけ、時間をかけてつくった紙ですから、大事に使いますよね。


その後、そのお店のママさんが、長島監督の話。
倒れたのは、愛人のマンションからランニングに出かけたときなんだって、と。
そういう話、どこから仕入れてくるのか知らないけれど、僕は、長島の大ファンです。
やめてくんないかな、僕のスターを貶めるのは。

裕次郎のときもそうだったけれど。

ま、一億総評論家、なんでも知ることはいいことだ、式が流行ですから、仕方ないか。

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東海大地震

2005年04月25日 | Weblog
昨日、帰りの車中。

地震の話になる。

東海地震は、ものすごく大きなものになる、と、Mさん。
予想もしてない場所で起こっているんだから、充分ガス抜きになってるんじゃない、と僕。
あんた、地震学者の回し者じゃないの、と。

いや、逆に、あれだけ予知してない地方で起きるということは、海底のプレートが限界ギリギリになってる証拠。きたら、必ず、津波は10Mは越える。

地震がきたら、どうせ、たすかりっこないから、私は何も備えはしない、と、釣大会の優勝者の奥方。娘は、お母さんたちは、楽しいことたくさんしてきたんだからいいけど、私はまだ何もしてないから、絶対に生き抜く、と。でも、みんなが死んでしまったら、生きていく気力がなくなるんじゃない?とおかあさん。

Mさん、いや、人間って言うのは、そうなったら、生命力、すさまじいんだよ、と。

など、素人集団の地震談義があって、でも、この人たち、被災しても、絶対テレビカメラはさけるでしょうね、だって、酒飲んだり、カメラの前で、Vサインしたりしそうだし、せっかく、テレビ的に被災の惨状を伝えたいのに、楽しんじゃっていそうだもの、と。

Mさん、被災地で集団生活から精神的におかしくなるひともいるけれど、逆に、一人暮らしの人は、話し相手ができていい、と言う人もいるはずだよ、と。

このMさん、大分から15歳で上京して、伊豆急の線路作ったり、東京銀座の地下鉄を手掘りしたり、潜水夫したり、して50年くらい、方々で暮らしてきて、清水へ定住した人だから、言うことが、たくましい。

孫に語り聴かしておきなよ、Mさんは、戦後の高度成長の生き証人なんだから、と。

Mさんが、地下鉄を手掘りしたように、戦後の生き証人を「手掘り」するのもいいかもね。


ところで、最近の糠漬け。
きゅうり・ショウガ。ショウガは漬かりすぎでもいいですね。
民宿で夜、朝と食卓に、菜の花の漬け物、これは、塩漬けだったけど、おいしかったな。糠漬けより塩漬けのほうがいいのかな。

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二週連続の天城超え

2005年04月24日 | その他
先週に引き続き、伊豆。
東伊豆の片瀬温泉へ社員旅行で。
今朝、早朝より、船にて釣り大会。

総勢19名。

伊勢からKという29歳の独身男性も参加。
彼は、10年前、わが社に入社。1年で退社。
4年清水にいて、伊勢へ帰る。

18か19歳で家出して、清水へ。
今の言葉で言えば、ヤンキー丸出しで。

あれから、10年。

その彼、いびきがうるさくて、1時間くらいしか、眠れなかった、と。
どこでも寝てしまう僕には考えられないけれど、旅行へいくと、この手の話はよくある。
たいがい、いびき・歯軋りの話題。

彼の話を早朝聞きながら、今はあまり流行らない、こうした団体旅行って、いいもんだな、と思った。眠れないのは辛いかもしれないけれど、慣れることはできるかも。
いびきであったり、風呂の入り方であったり、服の脱ぎ方であったり。
自分のしぐさと違う人と、長い時間すごす、ということ。
とても、人間的なことだと思う。
徴兵での軍隊暮らしはかわいそうですが。

今はシャープの子会社へ行っている彼ですが、人間関係で胃が痛くなる、と。
あと、2、3年、旅行で、いびきの洗礼をもらえば、胃の痛みも消えるかもしれない。

ある知人の女性、離婚して、一人暮らしを長くしていて、事情で、彼女の母親と暮らすことになる。
神経質な女性で(と本人の弁)、母親の知らずに立てている物音、それは、つまりは暮らしの音なんだけど、その音で眠れない、と。
親子でさえこうなんですから、ましてや他人をおいておや、と言うところでしょうか。


以前、上の息子の引越しで、8畳に親子、5人、雑魚寝をしたことがある。
物心ついてから、子供部屋で寝ていた子供たちは、僕のいびきと寝言とロバのようにもぐもぐうごかす口がものめずらしく、翌朝、大笑いで、でも、そのことが嬉しそうで、なんともいえず、家族の温かさをかんじたものでした。

人との違いを楽しむのか、恐れるのか、嫌がるのか、という観点から、今、世界的に大流行しているアメリカ型の禁煙運動について、いつか、大論文を書いてみたい。たばこ嫌いな人からは大顰蹙ものでしょうが。

ヤンキー丸出しの彼。
彼の未熟さと僕の未熟さのために、10年前には、お互いのご縁を生かすことができなかったけれど、10年して、伊勢から旅行に参加してくれること、とても嬉しく思う。人生二度なし、というけれど、誰かが、もう一度、ご縁を生かすことをやり直させてくれているみたいで。

今回の旅行は妻も同行。
楽しい、楽しい、と連発。
ひとつひとつ、今までの思い込み・こだわりから解き放たれていくのが、自分でも不思議なくらい、楽しいらしい。
人が楽しい、と言ってくれると、こちらもなにもしてなくても、自然に楽しくなる。

もうひとつ、旅行中のエピソード。
夜の宴会のとき。
20年以上前に、北海道から駆け落ちしてきたYくんの話。
いまや、離婚寸前。
娘が働き出したから、夫婦関係も清算、ということのようだが、このYくん、ずいぶん年上の奥さんだけれど、今でも好きで、別れたくない、と。でも、奥さんの前では言えないんだな。

隣に座った人から、あんた、こうすればよかった、ああすればよかった、と言われ、次第に、感情が頂点に達し、僕と目が合った瞬間、泣き出す。僕の目からも自然に涙が。
俺だって一生懸命に生きてきたんだから、それを認めてくれよ、と。

40をすぎて泣き出す男を見て、ほんと、人間の哀しさ・いとおしさをおぼえた。
そんなにみんな、器用に利巧に上手に生きてるやつばっかじゃないよな。
だらしなくたって、情けなくたって、いいじゃないか。


帰宅後、高一のわが息子、夕飯時に帰らず。
母親、どこへ行ったの?
妻、公園へ。
母親、公園でなにしてるんだかね、と孫を心配する。
ほんの少し、我が家の食卓の空気、重そうになる。
息子、帰ってくる、公園で缶蹴りしてた、と。
一気に、食卓の空気、噴き出しそうな明るさになる。
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戦争体験

2005年04月23日 | Weblog
昨日、お客さんのところに集金に伺う。
前出の84歳のご主人、昭和2年生まれの奥方。

話は自然と、昔話になる。

息子さんの時代、高松中学は13クラスあり。1学年500人。
その中で、息子さんはトップクラスだった、と。
成績順、一桁を争った、背の小さな女の子は、東大の医学部へ行った、とか。

ご主人、太平洋戦争で、南方、スマトラ沖地震のあったあたりへ出征。4年半。
終戦を、昭南島で迎える。
と、同時に、そこからすぐ近くの無人島に放り出される。
昭南島では、邪魔だったからだろうな、とご主人。

その無人島では、日本に帰るときのために、服と靴は大事に保管し、ふんどしひとつ、裸足で10ヶ月、暮らす。
食料は、何日分かまとめて支給される。
それを計画的に小分けして食べる人、いっぺんに食べてしまう人、いた由。
俺は、まじめに、毎日少しずつ、おかゆにしたりして食べた。
それでも、半数の人がバタバタと死んでいった。
病気をしたら、お医者さんもいないので。
俺は、体には自信があったから。

10ヶ月すぎて、日本に帰還。
深夜、静岡駅に到着。
家には、1年半、音信不通状態。どうせ、出すところもないし、きっと、死んでいると思っていただろう、と。

駅から歩いて自宅へ。

その日の深夜、そのお宅で繰り広げられたこと、その情景を想像する。

こういう話、なかなかきかれなくなりました。
どうか、いろいろなところで話してください、と言わずにおれなくなる。

ことに、ご主人、淡々と話され、聴く僕も、淡々と聴き入る。

戦争って言うやつは、ある意味、勇ましくもあり、美化されやすい。
ことに、「大義」は、どこへもくっつくからね。
しかし、「大義」は観念の世界で、現実は、「ふんどしひとつで10ヶ月くらす無人島」であるわけですから。

戦争の話、では、前出、興津のIさんの弟さんの父上の話が興味深い。

父上、鹿児島の知覧の特攻基地で、整備兵だった。
多くの若者を毎日、送り出していたんだろうな。
しかし、父上、息子に戦争の話は一切、語らなかった。
そのかわり、父上の弟さん、戦争に行ってなかったけれど、戦争の話をよくしてくれた、と。

ディープ・インパクト。
圧倒的な現実は人を沈黙させる。







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樹齢1700年の樹

2005年04月22日 | 風景
山梨県武川村の日本一長寿の山高神代桜は樹齢なんと1,700年だそうです。11メートルもある太い幹は圧巻で「まだ生きているのだ!」と言う気迫に圧倒されるということを聞きました。
「北国の小羊」さんのブログに出ていました。

これは、見に行かなければ。
というか、お会いしに、といったほうがいいかな。

この間行ってきた、来宮神社の大楠も1000年以上でしたが。

この「北国の小羊」さん、博学な方で、中国の「晴雨物語」

の話もおもしろかったな。
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九死に一生の母親

2005年04月22日 | 家族
母親の死にかけた話。
4回あるそうな。

小さな頃、近所の井戸へ落ちた。
柵がしてあったけれど、もろくなっていて、そこから。
今は、レンタカーをやっている家のおじいさんに助けられた、と。
この間、70年ぶりに思い出して、おじいさんの墓参りに行ってきた由。

巴川製紙勤務中。地震あり。
事務机の上に、シャンデリアが落ちる。

学徒動員で日立にいた頃。
これまた、地震。下宿をしていた幸町の2階の部屋が傾いて、隣家へ、めり込む。

もう一回、地震。
池のあるところで、大揺れして、転がり、池に落ちそうになる。

と、4回、九死に一生を得る。

どこかの時点で、助かっていなければ、今の僕は生まれていない。
なんとも、奇妙な因縁・因果を感じるものです。

おかあさん、そりゃあ、ご先祖様に感謝しなけりゃね、と言ったものです。


昨日伺ったお客さんのお宅。
84歳のご主人と78歳の奥方。
驚いたのは、奥方、わが母親と同年なんですが、いまだに、車、運転している、と。
大地主のお宅なので、
この人ほど苦労した人はいないよ、とご主人。
嫁にきたときは、ご主人の兄弟7人、姑・大姑。

おじおば会の話で盛り上がる。
こんな人たちと、なにか、集まりをやりたいな、と思う。


このところ、漬け物は、きゅうり・ナスのみ。
先述したように、糠漬けの伝統を重んじて、新しいトライは小休止。
取り出すとき、糠をこまめにしごいて、取り除いているので、減りが少ない。


夜。
わが社のSくんの実家の居酒屋が来週店を閉めるので、妻とほか3人の男たちと飲む。
油屋の社長とうどん屋・表具屋、それに僕をいれて、総勢5名。
妻と油屋さんと会話が弾んでいた。
うん、油屋さんも悩み深いからね。

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