まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

重力

2005年12月28日 | Weblog
どこだかで、宇宙飛行士の話があった。

地球の重力の、三分の一か四分の一の重力の場にいると、頭が、信じられないように冴えるらしい。

脳みその3%しか使ってないとは言われるけれど、それって、地球の重力も関係しているのかもしれない。

重力を自在にコントロールできれば、鳥のように、空を自由にはばたける、ということになるわけで、人間には、そんな能力が秘められている、とかんがえることも、あながち、荒唐無稽ではないかもしれない。

竹内文書、なんていう、古いふるい書き物には、天鳥船(アマノトリフネ)、なんていう名前もでてくるし。

どこそかの宮殿のバルコニーは、エアポートだった、なんていう話もあるし。

脳みその残り、97%と肉体の細胞、70兆の有効活用が、これからの最大テーマになるかもしれない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芸術の暮れ

2005年12月27日 | Weblog
糠漬け師匠のご主人、日本画を描きたいらしいよ、好きなんだって。

案内文なんか、うまいもんね。

妻が言う、私も最近、細い筆で絵を描きたい。

すぎちゃん(我が家のセラピーインコです)見てると、羽根の細い線を、色の重なりを描いてみたい、そうだ。

絵心のない僕からは、ヘェー、ってなもんですが。

細い筆で、と語る妻は、およびがたさのオーラを出している。

そういえば、七次元在住の女性から、演劇が好きでしょう、と言われたことがある。

そのときは、え、まぁ、と気のない返事をしておいたけれど、ひょっとしたら、ギリシア時代の役者だったかもしれない、なんて、ふと、思った。

あるペンキ屋さんの親方、ほんとは、油絵を描きたくて、と言っていた。

けっこう、まわりでは、ほんとはこれが、という話が多い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お相伴

2005年12月26日 | Weblog
一夜、お酒をのみながら、ご相伴にあずかる。

富山からおくられた、干し柿。

今まで食べたなかで、一番、おいしかったな。

富山出身の、七人兄弟の末っ子の方からいただく。

末っ子なので、上の兄弟からは、最初には届かない。

こちらから、何かを送ると、故郷の名物を送ってくる、と。

そういえば、この方と飲んでいると、静岡名物の話題になることが多かったな。

末っ子として、腕まくりをして、お兄ちゃんたちに、静岡名物を送ろうと、ひそかに吟味していたんだろうね。

この方、何年か前に、奥様を無くされて、一人暮らし。

送られてくる名物を、消化しきれないでいたそうな。

それじゃあ、我々で、食べさせてもらおうと、ご一緒した、もう一人の女性とわが妻の三人で、ご進物消化サークルを、にわかに結成する。

年明けは、何日にしようか、と。

切なくも、楽しい、干し柿のご相伴でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BOOK(ぶっく)

2005年12月25日 | Weblog
そんなもの、ぶっくじぃちまえ、と縁側から叫ぶ、妻のオヤジ。

毎年の、大晦日の、大掃除の恒例行事。

若い衆もおおぜい使っていた、家具の塗師職人の親方だったオヤジさん。

以来、オヤジのことを、子どもたちは、BOOK、BOOK、とひそかに、よぶようになった、と。

ずっと、オヤジさん、気が短い人だったんだな、思っていたけれど、本日、我が家の物置、片付けながら、気がついた。

ある瞬間、なにかが、おおいかぶさってくるんだよね、と。

大掃除は、なにかを、捨てる、ということだけど、モノを捨てながら、思い出も一緒に捨ててゆくんだよね。

哀しいかな、その時代がそうでなければ、オレは幸せだったのに、と思いながらも、その時代の思い出に、浸っていたい、という願望。

思い出を、引っぺがすように、縁側から投げているうちに、BOOKは、激情にかられたんだろうな。

遊び人の、笛吹きの名手の父のこと、亭主不在で、男まさりに仕事をしていた母のこと、そのなかで、翻弄されていた自分自身の青春。

捨てるモノに積み重なった、思い・思い・思い。

遠い、顔も知らない、ご先祖様の思い、祖父の代の、父の代の、そして、かれらのかさのなかの自分の思い。

昔の女性は、むしゃくしゃしたとき、お針箱を整理した、と、どこかで読んだけれど、整理整頓って、ことのほか、大事なことだな、と歳の瀬に思う。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーラの泉スペシャル

2005年12月24日 | Weblog
今回のゲスト、上田彩、新庄、和田アキ子、増田けい子。

この4人とも、話を聴いていて、涙が出てきた。

泣けた、泣けた、という僕の傍らで、妻は、どうも、最近、前より面白くなくて、と。

しょうがないから、僕も、年取ったせいか、涙もろくなってさ、と。

瞬間に、ゲストのモードが変転する、そのせつな、涙腺が緩んでいる。

江原さんも美輪さんも、たいしたもんだな、と思う。

前世も守護霊さんたちの話も、うまい具合に、ゲストの琴線にはまる。

しかし、な、という感懐は残る。

あの切り口は切り口であり、だとは思うけれど、な、という感じ。

実際に見なければならないことを、見ないで済ませてしまうんではないかな、と。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オオアリクイ

2005年12月23日 | Weblog
オオアリクイの話。

あり塚の穴に、60cmの長さの舌を、毎分150回という速さで突き刺し、ありをなめ取る、というアリクイの映像。

よくもカメラにとったな、と思いながら観る。

星空の中、何基かのあり塚が、クリスマスツリーのように点滅する。

なんとか虫の幼虫が光る。

光に寄ってくる虫をパクリと食べる。


それから、女王ありが、無数のありを産む映像。

そのうちの1%しか、成虫にならないらしい。

残りの99%は、すべてまわりの動植物に提供することになる。

これ、すごいな。

自然の循環のしたたかさに、思わず、舌をまく。

わが子の99%を、他の生物たちに捧げることで、3億年、あり塚を存続させている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロダン 考える人

2005年12月22日 | Weblog
あんた、おんなじ姿勢じゃ、疲れるでしょう、とロダンの考える人を引っ張り出して、ロダン体操をやらせる、という静岡県立美術館のCM。

ロダンからすると、茶化されて、憤慨もしているんだろうな。

しかし、一方で、その手もあったか、と解放されてもいるかもしれない。

昔から、人間は、足の裏で考える、というから。

そもそも、あの、考える人、の姿勢は、ある時期のヨーロッパの、知のあり方を象徴しているんだろうね。

考える、ということは、ロダン風ではないんだよ、ということを、わからせる意味で、あのCMは、先進的かもしれない。

父親の入院中、寝たきりで足の筋肉が落ちたとき、人間は筋肉で考えるから、と言われたような気がする。

いずれにしても、70兆あるという、細胞の一つ一つが、なんらかのサポートをしてくれているのは、間違いないようで。

インスピレーションは、考えるのをやめたとき、突然浮かぶ、という話もあるし。

考えに考えて、しかし、脳の3%も使ってない、という事実。

世の教育関係の方々に、ぜひ、このCMをみてもらいたいな。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シャコンヌ

2005年12月21日 | Weblog
年末のご挨拶に三島へ。

三島大社へお参り後、対面にある「シャコンヌ」にてランチ。

大社の中は、初詣の準備で大忙し状態。

それを見て、お正月はさぞかし、おたくも忙しいでしょうね、ということから、そこのママさんと、会話が弾む。

彼女が、先月だったか、清水の興津の清見寺・五百羅漢を見に行ってきた、ということから、神社仏閣に及び、次第に、わがほう、得意分野に移る。

今年の4月から、めちゃくちゃ、あちこち行きはじめて、デジカメの写真も3000枚こしたからね、なんて自慢話も交えて。

帰りがけ、ブログのURLをメモで渡し、ぜひおいでください、と。

機会があれば、静岡県内の訪問した神社仏閣、メールかなんかで、お送りしますよ、などと。

お店では、煮込みハンバーグに紅茶、クラッシックがBGMに流れて、おいしくいただきました。

ちなみに、シャコンヌChaconne、とは、バイオリンの曲名らしい。

娘さんがバイオリンをやってらっしゃる、とかで。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天知る 地知る 我知る

2005年12月20日 | Weblog
わが幼少のみぎり、祖母か曾祖母か忘れたけれど、よくいわれた言葉。

天知る 地知る 我知る

最近になって、よく、耳の奥のほうで聞こえてくるような気がする。

嘘をついても、みんな知っているし、なにより、自分自身が知っているよ、と言うことなんだろうけれど。

うその中で、一番厄介なのは、自分自身に対しての嘘だろうね。

他人に対しての嘘は、お金を借りに来る人がつくように、一度、嘘で塗り固めると、さらにその上に、嘘を塗り固めないと収まらなくなる。

自分に対しての嘘も同じか。

最近気に入っている言葉に

人は、過去・現在・未来の再解釈をすることができる、というのがある。

再解釈。

無限に再解釈できる、と。

塗り固めた嘘、とは言わないけれど、長年月に、知らずまま、塗り固めた、自分への解釈を、再び、自由に解釈できる権利を持っているんだぜ、と。

どうやら、天知る 地知る 我知る も、単なる教訓でなく、ほんとに、知っているんだよ、と言う実感かな。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四文字熟語

2005年12月19日 | Weblog
毎年、ある会の雑誌の新年号に、その年の意気込みを示すような、四文字熟語を投稿している。

今回は、笑門来福、と書いてFAXした。

それを目にした妻から、携帯へメールがはいる。

四文字熟語は、私が思ったことと、一緒でした。思わず、嬉しくなってしまったのでメールしちゃった、と。

そりゃあすごいね、シンクロニシティーだね、と送り返した。

それを、友人の望月さんに見せたら、

まるで、恋人同士のようだね、夫婦でそんなメール交換するんだ、だって。

望月さんの感想もおもしろかったし、メールも楽しかった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする