まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

降り始めた雨から土の匂いが立ちのぼり

2017年06月30日 | Weblog

なんて、のんきに構えていたら。

雷鳴混じりの雨模様に変わった。

巴川は雨にけぶる、とでも言おうか。

そんな朝、さて、どんな思いが沸き起こってくるものか、とこの瞬間を。

味わっているのでもあります。

すると、自然と、来し方行く末、って奴に、意識はむくんだから、仕方ないね。

今でしょ、と言いつつ、もね。

この間の、高千穂・国東への日々は、毎日、15000歩ばかり、歩いていたんだけど。

このところ、個人ミーティングが続いて、1000歩くかどうか、という体たらく。

梅雨明けの頃には、夏山が待っているのに。

師匠が、北アルプスへの道程を、色々と画策してくださっていて。

総勢6名か、そのくらいのゆるい、しかも、遠くなので、前泊で、という仕儀。

もう、来週になるのか。

その前日には、熱田神宮近くの国際会議場で、同友会の全国総会があるんだった。

朝まだきの、熱田の杜を散策するのが、気持ちがいいだろうな。

草薙の剣が、大事に奉体されていたんだったな。

そのつるぎで、討ち滅ぼされた、と正史には、書かれている、その末裔たる。

駿河の民として、参上!ってわけだ。

ところで、このところ、社内の大改造計画、実践中、とでも書けるか。

それぞれの思考回路の、慣れ親しんだ道筋を、ちょっと、チャレンジングな方向へ、と交換機。

の役割をしつつ。

切り替えているんだよね。

それぞれに命を持ったセルにわけ、その境界を鮮明にしつつ、かな。

って、ちょっと、抽象的かも、ね。

いずれにしても、未来不分明な、この時代に対応できる、そんな組織を目論んで、ってわけだ。

しかも、一人びとりが、生き生きと、命の炎を燃やす、というね。

そうそう、昨日、今流行りのビットコイン、ってやつ、あれのアカウントをとったんだった。

男もすなる日記といふものを、オンナもしてみむとて、の心境でね。

とりあえず、やってみて、と。

お金にまつわる、それぞれの物語があって、お金は欲しいけどお金は汚い、とか。

銭の虫、みたいな言い方ね。

反面、銭のためなら女房も泣かす、ならぬ、親でも兄弟でも友達でも泣かす、みたいなものや。

というので、お金には、人間の負の歴史が詰まっているわけだけど、そこんとこからの解放。

とでも言いましょうか。

お金のリテラシーを高める講座、なんてのを、開催したいんだけどね。

友達に、それを専門にしている御仁がいて、その方にね、お願いしたいな、と。

裏も表もご存知、リアルにね。

なんてのやらなにやら、アレヤコレヤのイベントの企画だけは、浮かび上がってくる。

んだけどね。

なにせ、飽きっぽい性格だから、すぐに次へ移っちゃう、のも事実で。

さて、そんな性格にもかかわらず、すでに、2年は超えているか、骨ストレッチ。

そろそろ、始めるとします。

 

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高千穂のガイドさんからメッセージをいただいた

2017年06月29日 | Weblog

いつまでたっても、高千穂ネタで、恐縮ですが。

Facebookで友達になって、ちょっと、質問をしたのに、返信をしていただいた。

って次第。

高千穂神霊教団と鬼八について、だったんだけどね。

こんな写真、貼り付けておこうかな。

 

 

上の写真は、神武天皇のお兄さん、ミケヌノミコトが、土地の豪族の酋長?の鬼八を。

踏んづけているもので。

イザナギとイザナミを祀る、高千穂峡の二上神社。

よく見かける、なんとか天という仏像が邪鬼を踏みつけている構図とおんなじだね。

歴史は、どうしても、勝者の手になるもので、焚書坑儒みたいな、中国でも。

過去の事実を、燃やしてしまう、ので、あとは、言ったもん勝ち、的な。

わが駿府の地でも、お城の絵図が見つからず、というんだけど、薩長からしたら。

そりゃ、徳川の偉功は、消し去りたいだろうしね。

現代においても、昭和の20年に、新しい政権となったわけで、そりゃ、その政権からしたら、戦前の日本はホントにひどいもので。

というウタイで、物語を書き換える、なんてのは、ある意味、当たり前、とも言えて。

親が子に、べんきょうしなさい、なんていうのも、自分の歴史を違う物語に作り変え、ってわけだ。

だって、自分が子供の時、そんなに、べんきょうしたの、なんでもいうこと聞いたの、だもんね。

そこが面白くて、棺の蓋を閉じたり、あるいは、子が大人になって、同じ目線で、さまざまな情報を手に入れるようになると。

やっぱりね、みたいな。

お父さんに木に縛りつけられたんだ、とかさ、泣き喚いたんだ、とかさ。

その秘密を解きあかそう、みたいなメンタリティが、たぶん、歴史を振り返る時の、一つの要因でもあるな。

ほんとのところは、どうだったの?ってね。

うわべのことはわかったからさ、本音のところは、どうなの?

なんて会話は、同友会なんかでも、そうだし、会社の中でも、実際には、そういうところに突入していくわけだ。

そうそう、上記、鬼八ね、高千穂の現地から、こんなの、アップしてましたね。

復活しないように、カラダを三つに切断して、なんて記述、あるよね。

たしか、エジプトだったか、の神話にも、そんな類の話、あったような。

オシリスだっけ、忘れましたが。

勝者の歴史に対して、敗者の、と名付けてしまいがちだけど、実際には、なんて呼べばいいかな。

このあたり、なかなか、奥深いテーマでもあるな。

というわけで、今日も、スタートします。

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今朝も昨夜の雨の名残、ベランダのしずく

2017年06月28日 | Weblog

例の、宝石のような。

を、眺めながらのブログアップなのです。

おひさまが上がり、するうちに、いつのまにか消えてしまう、とても。

儚い、といえば、儚いものだけど。

今、この瞬間には、間違いなく、わが水晶体を通して、脳裏に刻まれている。

それは、なん億円もするダイヤモンドと変わらないでしょ、ってわけだ。

今朝は、新入社員の19歳が、もう出社だ。

早いね、よく起きれるね、の声かけに、目覚まし5回くらい、ならせて、と。

偉いもんだ。

僕のその頃は、なんて感慨にも入り込みそうだけど、そういえば。

その頃に知り合った、古い友人の訃報が、メールでやってきたな。

ちょうど、高千穂の旅の時。

もちろん、ご冥福をお祈りするんだけど、3月になくなった、という。

そういえば、その前に、何度か、電話、もらっていたな、と。

虫の知らせ、でもないんだろうけど。

変わらないものはない、行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

と1000年くらい前の、誰だっけ、鴨長明か、おっしゃっていたわけだ。

もとの水ではないんだけど、もとの水のように思い描き、というのが。

ま、この、人間的な、存在の仕方がデフォのわれわれではあるんだよね。

たぶん、そこんところだろうね、テストにも出るし、思い悩みの源、ってのは。

ところで、高千穂以来、というか、帰ってすぐ、とも言えるか、夏風邪のような症状で。

時折、痰が絡んだ咳が出て、あわてもんなら、すかさず、お医者さんに駆け込み、なんて。

だろうけど。

当方、こう見えて、おっとり型でもあり。

勝手な妄想をめぐらしているのです。

そう、それは、瀬織津姫、です。

なんたって、両手では数え切れない寺社仏閣を経巡ったんだから、そこここに残る。

思いの束の、一つや二つ、拾っても来るでしょ、ってなもんで。

なにせ、わがメディスン、兆しを受け止めて、ってのね。

カラスが、トーテムだとすると、感じる力、使ってる?って、彼らが鳴くんだから、たった今も。

感じる、ってのを、この時代の流行りの、数値化、なんてできないし。

個人個人のできごとなんだからね。

それを、どんな具合に解釈するか、それも、自由なんです、ってウタイ。

それに絶え切れずに、発狂したのが、ニーチェ、なんて書くと、はしょりすぎでしょ、かもだけど。

実は、鬼八塚の写真をつけて、彼について書きたかったんだけど、それはそのうちに、ということで。

そろそろ、骨ストレッチに入ることにします。

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黒川温泉に劣らない巴川の朝。

2017年06月27日 | Weblog



黒川温泉、山みずき。

現地でアップしようと下書きになっていた写真。

朝の外湯の姿なんだけど。

かたや、巴川の朝。

 

今年の夏は、わがベランダは、きゅうり。

雨の雫が、国東半島だったか、高千穂だったか、で見た蓮の葉で輝く、宝石のような。

あれ、思い出す。

同行の女史、僕よりちょっと年上で、今年初めて株主配当が出せた、という方だけど。

子どもの頃、里芋の茎と葉をとり、七夕だったか、の時に、その水滴で、墨をすり、願いを書く。

すると叶う、と母親なのか、祖母なのかに、教えられた逸話と一緒に、あの瞬間がよみがえる。

上の写真の朝、あたりを、野鳥のさえずりを聴きながらそぞろ歩きをしている時、これ。

一月も長逗留したら、俺、梶井基次郎にも川端康成にもなれそうだな、という思いの沸いたことも。

思い出す。

今、机の上に、耶馬渓羅漢寺畧縁起(やばけいらかんじりゃくえんぎ)、と書かれた紙が一枚。

当時は645年、孝徳天皇の大化元年にインドより法道仙人が渡来され。

地形が釈迦牟尼仏の聖跡、耆闍崛山(ぎしゃくつさん)を彷彿させるところに感じ。

久しく、この洞中に留まられました。

と書いてある。

インドからですよ、645年、というから、1400年くらい前の話か。

どうもね、高千穂峡の神社群の創起が、800年前後と比べて、こちら、国東の縁起は、もう少し早いんだよね。

そりゃ、インドから、何が悲しくて流れ着いたのか、と言ったら、失礼かも、だけど。

海に近い方が、なにかと、便も良かったわけだ。

全部でいくつくらいの寺社仏閣を経巡ったのか、その一つ一つから、否も応もなく、長い年月に渡る思いの丈を。

意識するとしないに関わらず、カラダの隅々まで染み込ませてきたわけだから。

そりゃ、目に見えない、気づきもしない、さまざまなもの、あるわけだ。

もっとも、旅というハレの時空からでなくても、さもない、日常の所作、できごとからだって。

同じように、さまざまなもの、受信してもいるはずで。

そこんとこ、テストに出るところ、だな。

さて、骨ストレッチ、始めるとしますか。

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感情の発現を終わらせる、ひとまず

2017年06月26日 | Weblog

感情と名付けられた、ほんとは、なんて表現すればいいのか。

深奥から湧き上がるもの、エネルギー、気、命、とかかな。

長の旅から帰還して、久々に母親と夕餉を囲み。

誰それは、どこにいるのか、このところ、見かけないけど、と心配げに、わが子どもたちの名を。

といういつものパターンですが。

事細かに説明しても、結局、心配している、という感情が主で、そこへ戻っていく。

その表側の、事実の羅列は、あんまり、意味もなく。

彼女の中では、沸き起こってくる感情の収束、つまり、落とし所へ向かい、ある波が流れている。

そんな絵柄ですか。

こうしたことは、別に、要介護度がいくつ、とか、年齢が、とかに関わらずに、どこにでもありそうな。

感じもしているんだけどね。

旅の間中、平均歩行数、15000歩くらいで、さすがに、ちょっと筋肉痛が残っている。

旅の名残、ってやつでもあるか。

昨日は、かなり広い範囲で地震があったよね。

地震列島と言われるくらいだから、それも、さもありなん、ではあるけれど。

実際の揺れを体感すると、気持ち、それこそ、揺れる。

その昔は、地震を止めんがために、従五位下とか、いろいろな位階を授け、なんてこと、あったようだけど。

今でいえば、地震警報の発令か。

今朝は、久々に、神様のお使いと会話し、朝も明るくなったので、お掃除も気持ちがいいだろうな。

そうそう、昨日は、朝から、公民館のお掃除に出かけたんだった。

隣組の女衆に混じってのお掃除は、身の置き所を探すのに苦労しながら、だったけど。

あれはあれで、面白いな。

そうして、清潔な公民館があるんだよね、日曜日にお掃除があると、月曜日が、デイサービスだから助かる。

と班長のような方がおっしゃっていた。

そうだ、そのあと、投票に行ったら、立会人で、PTAの時に知り合ったご近所さんがいらっしゃって。

久しぶり、というので、朝、犬の散歩されている時、車で走り過ぎていて、自分なりにはお会いしてるんです。

に、声かけてよ、と。

現職の知事の相手の方は、親しくしていた方、たしか、妹が仲人をしていただいたんじゃなかったかな。

立教で、長嶋監督と一緒に野球をやっていた、という方の姪っ子さんになるのか。

なんだけど、どうやら、現職勝利で終わったのかな。

そんな感じで、日常が流れていくんだけど、どうも、今回の、ハレとしての旅、という言い方もある。

そんな旅のあとだけど、ハレとケの界が、不分明になっているのが、印象的だ。

四日間の中で、もう、半分が終わっちゃったね、今日で終わりだね、みたいなコメントが。

飛び交ってもいたけど、僕の中では、終わっていない、というのか。

もちろん、始まりの時、あの、なんともいえない、独特な気分、遠足の前のような。

あるいは、未知への路への畏れ、怖れのようなものも、あったけれど。

なぜか、今回は、ハレとケが混じり合った気分でもあるのです。

昨日、半分くらい、整理が終わり、残りの半分を書き込み、そうなれば、一筆書きの。

旅のありさまがわかりやすくなるはずで。

日々の暮らしの中に、落とし込んでいけそうなんだよね。

そもそも、人生そのものが、旅でもあるし、旅に終わりはないのです、たぶん、きっと。

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雨の間隙を縫って、歴史の旅からの帰還

2017年06月25日 | Weblog

旅の間は、一回しかアップできず。

でしたが。

表題のごとく、無事、今朝は定位置にてのブログ書き。

雨の予報を裏切るように、ほとんど雨の影響も受けずの旅。

驚きでした。

自称の、雨女、雨男達は、小さなガッツポーズを繰り返し。

おかげさまだ、ありがたい、というような気の濃厚の中。

一年分、笑った、というコメントも飛び出し。

高千穂、黒川温泉、湯布院、国東半島と経巡ってきたわけだ。

あまりにもたくさんのシーンを体感し、一筆書きではとても表現できないけれど。

旅のおさらいは、後日として。

今残っている一番の印象は、神々の里、高千穂峡と棚田。

それと、温泉場をブランドにまで高めている黒川温泉。

高千穂は、観光地化しているのか、という危惧もありつつの乗り込みだったんだけど。

見事に期待を裏切ってくれたのでした。

靄に煙る山並みに囲まれた里は、まさに、神々の、付け加えたくなってしまうくらいのもので。

そこへの至る前後の、棚田の風景もまた見事で。

農耕民族などと呼んでしまえば、綺麗に区画され田園の風景が、まずは浮かぶのだけど。

棚田の美しさを目の当たりにすると、縄文と弥生などと、二項対立のような見立ても。

ある面では、よりリアルにもなり、半面では、あまりにも現代的な解釈なのかも。

というような気分なんだよね。

頭偏重の、論理、根拠、文献に引きずられる、さまざまな解釈の。

危うさのようなものを感じた次第でもあり。

百聞は一見にしかず、とは言ったものだ、とね。

それと、黒川温泉の朝の佇まい。

以前にもご紹介した、こんな歌、思い出す。

 玉津島 見れども飽かず いかにして

 包み持ち行かむ 見ぬ人のため

というくらいで、外湯を浴び、川沿いの散策。

渓流と野鳥の奏でる朝の光景は、異次元に引き込んでくれ、人間だけではなく。

自然の織りなすあやを、堪能させていただいたわけだ。

それから、キーワードとしての瀬織津姫、ってのが、残っていて。

こちらは、現地での体感と、同行者からのちょっとしたコメントくらいしか。

今のところは、書き表せないけれど。

そのうち、これ、面白いでっせ、くらいの感想をご披露できるかも、ということで。

何れにしても、神々の宿る、というのか、わが列島の神々の源、と言われるものに触れ。

旅は、日常と非日常、ハレとケなんぞという区分けからも、大いに逸脱した。

この時間の流れ、というものを、感じている次第で。

とうわけで。取り急ぎの、一筆啓上申し上げ候、的な報告ブログは、これにて。

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高千穂峡の朝

2017年06月22日 | Weblog


鬼八塚。



今朝はFacebookのような投稿です。

昨日の清水は嵐だという中、高千穂で朝を迎えてます。
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今朝のカラスはドヤ顔でやってきた

2017年06月20日 | Weblog

このところ、事務所のベランダに、巴川方向からやってくる。

わがトーテムと命名して以来、そんな感じだ。

またしても、感じる力、使ってる?というタネをわが心に。

落としていったわけだ。

もう少し経ち、骨ストレッチをしながら巴川を眺めていると、下流から。

白鷺や名の知らない鳥が、水面まじかを滑空していく。

思わず、骨を動かしながら、かっこいいね!と、芝居の、大向こうからの掛け声みたいに。

心の中で、ひそかに、つぶやき。

なんて人知れずのシーンが、待ってもいてね。

そんな朝の景色。

これらの一連の、それこそ、one pieceとしての宝物、みたいな毎朝、ってわけだ。

こちらの事務所に引っ越してからだから、5年くらいになるか。

今朝は、机の上に、人型と車型、とでも呼べばいいのか、置いてくれてあって。

夏越の祓、一年のちょうど半分の頃、小芝神社で、挙行されるんだけど。

その時に、お焚き上げされる、人の形をした紙に、名前を書き、カラダの痛いところ。

不調を訴えているところ、などなどをそれで触れて、というわけだ。

そう、まさに、手当。

言葉としては残っているけれど、その意味は、形式的に、マンネリ化してしまった習わし。

なんだけど、カラスのメディスンからしたら、まさに、感じる力、使ってる?ということで。

実のところ、現代においても、重大な仕草、振る舞いなのかも知れず。

幼い頃の、痛いの痛いの、飛んでけー!ってやつね。

現代風の言葉で言えば、この、効果効能は、ある、と。

この間、わが身、わがカラダで、実証実験してみたからね。

その時には、人型は使わず、自分の手を患部に当て、そこへエネルギーを充填。

腰の痛みは、ひいたよ。

古来の習俗のうち、未開人の迷妄、迷信、などなどとの分別は、必要かも、だけど。

簡単に、未開の民の、なんて、上から目線の言葉で斬って捨てることは、そろそろ、やめにしても。

いいんだろうな。

そもそも、未開、開いてない、ってなによ、くらいの話だ。

文明的に開かれている、なんて言いながら、心の中は、閉じっぱなしでしょ、というね。

ところで、このところの車内ミュージックは、「ツァラストラかく語りき」、リヒハルト・シュトラウスの。

ニーチェの書いたものへのオマージュ、くらいのウタイで、作曲したのかな。

昔、どこかのロックバンドも演奏してなかったかな、レッドツェッペリンだったか、いや、違うか。

社会や学校や世間から強制される、さまざまな決め事、約束事、やって当たり前的なことから、飛び出せ!

若造、みたいなね、それこそが、新生の人類なんだ、その先頭にいるのが、俺だ、とニーチェは。

喚く、その挙句、狂人となって朽ち果てた、ということになっているんだけど。

そんな宣言文が、くだんの書物で、それを、音の連なりとして絡め取ったのが、上記楽曲、ってわけだ。

たぶん。

今朝は、格別に気持ちが良くて、明日からの、高千穂への旅を言祝ぐかのような空気だ。

 

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今朝もカラスが鳴いている

2017年06月19日 | Weblog

というセリフが、不吉な、なんて形容詞とともに語られ始めたのは。

いつ頃からなのか。

わが列島の、文部省唱歌には。

カラス なぜ鳴くの カラスは山に 

可愛い七つの子があるからよ、なんて歌詞、あったよね。

その頃までは、違った解釈で聞かれていたのか。

そもそも、国の始まりの神武天皇を先導したのが、カラス。

だよね。

三本足のヤタガラス、だけど。

サッカーの全日本代表のシンボルにもなっているし。

なんて気分で、表題のように、鳴き声を聴いていると、また違った趣。

しかも、わがトーテムに指名させていただいてもいるんだからね。

ことほどさように、ほんの少しの角度違い、視点の違いで、同じカラスが。

まったく別キャラに変身、ってわけだ。

キャラを、役柄、とかと置き換えてみると、誰のキャスティングなのか。

もちろん、物語作者、戯作者、ストーリーテラー、とか言った面々であることは間違いなく。

の流れで、このあいだの葬儀の場面場面で、見事に、そんなキャスティング模様が繰り広げられ。

母、とか、娘、とか、姑、とか、嫁、とかね。

側から、観客席にいる、あるいは、寄席にいる、ちょっとハスに構えた御仁、みたいな立ち位置からね。

眺めてみると、やってるな、あの役者、なかなか、うまいな、とかね。

そこのオチは、ちょっと、いただけないんじゃない?とかさ。

ところで、昨夜の夕餉。

久しぶりに、家族5人が揃いぶみ、長男坊夫婦とお母さんと孫とは、昼にお蕎麦やさんで食事。

夜は、長期出張中の次男坊も加わり、楽しいひと時を。

当方は、由比の英君をいただきながら、だった。

娘たちからの話題が、youtuberで。

イカキン、じゃなく、サカキン、いや、違うか、とにかく、なんとかキンという。

今をときめくyoutuberが、いらっしゃるそうで、年収も、中居くんより多いんだ、とか。

そういえば、弊社を訪れるバンカーのご子息も、将来はyoutuberを目指している、なんて話。

あったな。

そんな傍で流れていたのが、どこかのテレビ番組、古舘さんと毒蝮三太夫、梅沢富美男の面々が揃い。

ウタイは、60代が今の若者に物申す、くらいのか。

ほんの数分、数十秒か、眺めただけだけど、ありがちな、昔はこうだったけど、今の若者には夢がなく。

みたいな作り込み。

これすら、上記したような戯作者の、恣意的な試み、なんて、ほんの数十秒の視聴で。

印象批評なんてのは、失礼だけど。

テレビに釘付けが好きな方々からしたら、拍手喝采、なんてことでもあるのか。

そんな推測、類推、から、その層をターゲットにして、ってわけだ。

政治の仕方もそうだけど、老衰方向へ舵を切ってるのかも、だね。

集票力のある層を狙う、と。

なんだけど、高齢層も若者層も、どちらにも、実のところ、届いてないのかもしれない。

そうそう、この間、誰だったか、AIに囲碁のチャンピオンが三連敗し、悔し涙にくれた。

みたいな話、それについて、AIというのは、ネガもポジも超えて、より良い方向を目指し。

それで、勝利、なんだけど、残された人間のできること、ってのは。

ひょっとしたら、恐れとか不安とか、そんなところから突破口があるんじゃないか。

なんての、だったんだけどね。

ちょっと、面白いな、と頭のどこかにマーキング、しといたわけだ。

もちろん、そんなところで、勝ち負け、ってのは、もしかしたら、枝葉の問題なのかも。

ではあるけれど。

囲碁チャンピオンにAIが勝った、ということは、人間の叡智の勝利でもあり。

さて、じゃ、その叡智で、次は分配のシステムについて、やってみようか。

ってことだよ。

世界の国々での政策について、AI活用、ってわけだ。

神のごとき分配システムができれば、そこには、古来から言われている桃源郷が待ってるはずで。

ですから、各々方、地球の未来は、人類の未来は、明るいのです。

 

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国鉄に長く勤めていたから

2017年06月18日 | Weblog

鋼鉄のように固い人だった。

でも、家族には優しくて、と話したのが、一番下のおば。

祓いの席でのご挨拶。

元保育園の園長さんをやっていただけあって、静かなトーンの。

落ち着いた話し方だった。

昨日は、おばのご主人の葬儀、享年88歳。

ご長寿だね。

と書いて来て、ちょっと、不謹慎かも、だけど、この先。

寿命と言われるものは、さらに伸びるんじゃないかな、なんて予感もした。

この二、三日なんだよね。

生化学というのか、生命科学というのか、動かし続ける技術、というのが。

さらに進歩、進化して、定義の仕方にもよるんだろうけど、命永らえる。

というような言い方の拡大解釈が進んで行くとすると、法的には。

生きてます、という状態がね、長期化できる、とでも言えるか。

それとも、国家予算が足りなくなって、医療費が削られ、解釈の仕方が変更になるかもしれないけど。

いずれにしても、命、と定義される出来事へのコントロールが、かなり、自在になる。

というね、予感です。

そう、おばも84歳、だけど、足腰が元気なので、子供達から、つまり、僕からするといとこたち。

何処へでも連れてってくださいね、と言われる。

もう、着々と計画は練られつつあることは、言わなかったけど、その気にはなっていて。

生命科学の進歩に劣らない、生きることへの執着とは違う、気の源を、まさに字のごとくに元気にする。

そんなことを、画策している次第。

これ、たぶん、実現可能だな、と今、思ったよ。

ご長寿、ということでいえば、応神天皇のお父上、正史上では、仲哀天皇。

神功皇后が母上なんだけど、住吉大社の神様と一緒にいた、なんて伝承もあり。

さらには、武内宿禰という方が、なんて話もあったり、なんだけど。

この御仁、えらい長命で、300歳。

若狭で出会った八尾比丘尼は、800歳だしね。

インドのババジは、イエス以前、というから、2000歳か。

そうそう、この出会い、ってのは、出る、と、会う、との合成語でもあり。

出るというのは、家の中から外へ出る、ということと、自分の中からも自分を開いて出る、ということだ。

という言説に、それこそ、出会い。

なので、ババジの2000歳、んなバカな、というメンタルの中から出る、すると、会うことができるものがある。

ってわけだ。

自由自在、自由闊達、なんでもあり、くらいの話だ。

 

 

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