まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

情報

2006年06月30日 | Weblog
太平洋戦争の頃、ラジオから、空襲の様子が流された。

敵機は、150機、空前の大空襲であります、と。

実際には、数機だったらしい。

薄暮時期、はくぼじき、が、ひゃくごじゅっき、と間違えられたようだ。

読売新聞のコラムに書かれていた。

聞いているほうも、まさか、そんな、文学的表現なんか、出てくるはずもない、という空気のなかだったろうしね。

このラジオ放送を聞いた人は、隣の人に、尾ひれはひれつけて、伝え、それこそ、伝言ゲームの始まりです、ってわけで。

自分でも経験あるけど、話、膨らませるの、おもしろいからね。

まだまだもっともっと、の世界で、ここで、これだけ受けたから、こんどは、もっと受けるように、なんて。

営業マンが、架空売上を報告していくときなんか、似たような心の動きなんだろうね。

この間、奈良の放火事件、高校生が、父親へ、テスト結果を嘘言ってしまって、というのが、発端でもあったりしたけど。

嘘や勘違いもあるし、これをこのまま伝えると、傷つけちゃうから、なんていって、善意の誤報、なんてのもやっかいなもので。

情報時代、なんて、いうけど、嘘と勘違いと余計な善意が、ない交ぜになった時代、ともいえるかもしれないな。
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固唾を呑む

2006年06月29日 | Weblog
かたずをのむ、って、固いつばをのむ、って、書くんだね。

辞書を引いてみて、わかった。

わが母親のおばあさん。

僕から見たら、曾祖母、すでに、他界しているんだけど、慶応生まれの人だった。

母親は、孫になるわけで、その昔、コタツに入りながら、孫達は、いろんな話を聞かされたらしい。

秋葉山から高橋まで、夜、背中に荷物をしょって歩いていると、狐がくるんだって。

ヒョウヒョウだったかな、なんか、声を発しながら、背中から、盗んでいいく。

とか、曾祖母の実家の庭には、ふくろうが来て、さも恐ろしげに鳴いていた。

なんていう話を、曾祖母は、おどろおどろしく、孫達に語って聞かせたんだろうね。

テレビのない時代、年寄りは、語り部だっただろうから。

その話を、幼い母たちは、固唾を呑んで聞いていたんだろう。

昭和20年で、たしか、今の10分の1の戸数だったというから、そうとう、さびしいところだったんだろうね。

その母親、今の時代、細木数子の話と「渡る世間は鬼ばかり」の話を、固唾を呑んできいている。

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境内のお掃除

2006年06月29日 | Weblog
草薙神社の目の前の無人販売に、コカブを買いに行く。

この季節は、暑いからだめなんだよ、5月くらいまでかな、とおじさんが言う。

じゃ、また、来年くるよ、と言って、トマトだけ、買って帰る。

でも、せっかく来たんだから、と草薙神社にお参りする。

鳥居を入ったとことろで、おばさんが、枯れはを掃いていた。

ご苦労様です、大変だね、というと、ほんとに、掃いても掃いても、又落ちてくるからね、とおばさんが言う。

お参りしたあと、彼女、僕を待っていたかのように、社務所のまえで、話し込むことになる。

神社が、おばさんの在所のようで、戦争前は、大層広い土地をもっていたようだ。

日本平の上まで、領地だったという。

戦争後の農地解放で、小作の人たちに分けられたために、今は、少なくなってしまった。

葬式仏教の仕組みを確立している、お寺さんと違い、鎮守の森を守る村社、という位置付けになる、神社は、たしかに、大変だろうな。

政教分離の建前からして、お上は、そうそう、おおっぴらに、援助もできないしね。

土地を分けてもらった人たちが、せめて、そのことを語り継いで、何らかの感謝を、とも思うけど、価値観は多様化しているし。
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よく噛む

2006年06月29日 | Weblog
ずっと前にも書いたけど、「剣客商売」の秋山大治郎。

かたつむり日記さんのブログに触発されて、池波正太郎の「剣客商売」全巻読んだんだけど。

彼女のブログの中の、次の引用が心に残っている。

「飯も汁の実も、噛んで噛んで、強いていえばほとんど唾液化するまでに噛み潰し、腹へおさめる大治郎の食事は非常に長くかかった。」『剣客商売 剣の誓約より』

一年以上経って、ふと、そのことを、思い出す。

健康ブームの今の時代、テレビでも雑誌でも、これがいい、あれがわるい、の花盛りなんだけど、これ、すべて、頭の話で、からだは、実際のところ、なんていってんだろうな。

言葉をもたないからだには、聞けないけど、いろんな症状で、なにかを伝えようとしてくれているんだろうね。

それはともかく、よく噛む、ということ。

昔から、100回噛んで食べなさい、なんて、僕らの前の世代は、普通に言われて育ったようだ。

論理だとか根拠だとかを、まったく、無視すると、結局、よく噛んでいただく、と言うことに尽きるんだと思う。

それは、たぶん、過去でも未来でもなく、今を生きる、ということに通じるんだろう、と。

山や瀧に行って修行しなくても、よく噛んで食べることで、あたまとからだとこころが、一体になってゆくんではないか。

からだにいいから、とか、長生きするから、ではなく、ただ、食べること、目の前の食物に召し上がっていただくこと、それだけでいいんではないかな、と思う。
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ファミレス雑景

2006年06月28日 | Weblog
ある日のファミレス。

隣の席に、若いカップルが入ってくる。

背が高く、ハンチングの若者と小柄なチャーミングな娘さん。

しばらくすると、その若者が店員さんを呼びつける。

なんか、態度がちがう。

レシートを指差しながら、俺の頼んだものがこないけど、どうなってんだ、ということらしい。

半ば、切れかかって、食って掛かっているわけだけど。

店員さんは平謝りで、うちの息子がコンビニのバイトで、土下座してあやまった、という話を思い出しながら、聞くともなく聞いていた。

その後、若者は、なにか毒づきながら、数分をすごし、居たたまれない彼女はトイレに立つ。

しばらくすると、連れだって、そのカップルは出て行った。

すると、前方にいた40歳前後のおばちゃんたち、窓越しにカップルを眺めながら、かわいそうにね、だって。

だれが、かわいそうなんだろう。

彼女なのか、若者なのか、店員さんなのか、ちなみに、店員さん、そう年はかわらない。

食事をおいしくできなかったというカップルの不幸をおもしろがってはいけないけど、その後のいろんな展開が浮かんできて、僕なりには、楽しませてもらった。

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WC杯本番

2006年06月28日 | Weblog
日本代表の敗退でワールドカップは終わった、という感じで、川渕さんは、次期監督の話にしちゃってるけど。

それはそれで、ありだな、とも思うけど、実際は、今が佳境。

WCは、決勝トーナメントからだからね。

フランスVSスペインを、早起きして、見てしまった。

BS2の実況中継のアナウンサーが、思わず、自分の心持ちをしゃべっていた。

サッカー好きな人にとっては、いま、濃密な時間が流れてます、って。

これ、わかるよね。

FIFAと日本の広告代理店、電通の関係、その線で、テレビ中継のために、試合時間を酷熱の時間帯に変更してしまったことなども、ありはありだけど、そんなことより、サッカーを楽しみたい、と思う。
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羽音

2006年06月27日 | Weblog
夕食のとき、息子が、テーブルの下をのぞいている。

羽音がしたような気がして、多少、ビビリながら、のようだ。

ゴキブリはじめ、羽の音がするのは、だめらしい、もちろん、蝉も。

カナブンとかカヤブンとか、俺たちの子どもの頃は、いたからね。

だいたい、エアコンなかったし、たしか、網戸も途中からで、その前は、蚊帳を吊っていたもの。

だから、窓は開けっ放し。

そんな時代に育ったから、羽音、ぜんぜん関係ないけど、おまえら、慣れてないもんな、と。

時代とか、環境とかで、違うもんね。

その頃のこどもが、お前のやってるゲームのコントローラみたら、パニクるよね。

携帯電話も、おれを、からかってるのか、みたいな。

そんな昔物語のながれで、テレビ、何年くらいたつかね、と母親との会話につながってゆく。

「お笑い三人組」を近所の家に見に行ったのは、もう、40年以上になるかね。

便利な世の中になったもんだ、と慨嘆する母親の口から、私はいつも、おとうさんをこの時代に生かしてあげたい、と思うんだよ、と。

終戦直後のドサクサで、満足な治療もできずに他界した、僕から見たら祖父。

ほんとにかわいそうなことをした、と、このあたりに来ると、ひとつ話になるんだけど。

そうはいっても、おかあさん、ハタチくらいだったでしょ、わかってるようで、わかってない年頃だから、おじいちゃんは、お母さんの知らないところで、十分に楽しく生きていたんじゃないのかな。

だって、お葬式は、村葬のようだったんでしょ、それだけ、いろんな人に恵まれていたんじゃない、と、話す。

羽音を聞いた、息子の空耳から、とおい時代まで、さかのぼることができた。
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オェーの顛末

2006年06月26日 | Weblog
上の息子が、連休明けから、オェーと一日一回くらい、なる。

友達に相談すると、自分もそうで、それは、霊に憑かれていて、それが外へ出ることだからいいことだ、と言われた、という話は、前述したけれど。

妻のスペアキー事件の登場人物のひとり、の可能性があったので、電話で確認してみる。

こういう話があったんだけど、おまえ、スペア、作った?と。

もちろん、そんなことしてない、ということで、ことの顛末を聞いたかれも、えっ、ということにはなったんだけど。

それはそれとして、一日一回のオェーの件。

それについて、直接確認してみると、だいぶ、よくはなったみたいだけど、まだ少しある、と。

胃潰瘍や胃炎の話をしたついでに、みぞおちには、ネガティブなエネルギーがたまりやすいことを伝えておく。

環境などが変わると、そこに集まってきて、異変がおきる、と。

だから、気分転換、大事だぞ、とも。

なんか、彼なりには、納得したみたい。

髪の毛をカットにいったら、そこのおにいちゃんに、意見されたらしい。

バイトしろ、と。

どうやら、ことの本質は、金欠病だったのかもしれない。


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スペアキー

2006年06月25日 | Weblog
夕食の買い物が終わって、冷蔵庫の前に立ったとき、チャリン、とキーが落ちた。

だれのキーだろう、と瞬間考え、今、買い物に行ってきたスーパーで、なにかの弾みで、他人のものが入ってしまったのかもしれない、と妻は、判断したらしい。

そういう人がいたら、連絡ください、とそのスーパーの担当の人へ、電話番号を教えていた。

それから、事件が起きた。

待てよ、と思い、自分の車の鍵穴へ刺してみた。

ビンゴだった、と。

その日の朝、スペア、作らなきゃ、と考えていたらしい。

瞬間、寒くなった、と。

作らなきゃ、と思っていたスペアが、自分のもとに、届けられた。

だれが、どうして、と。

2階にいた僕の元へ飛んできて、私、おかしくなっちゃったみたい、と事の顛末を話す。

朝のうちに、スペアキーを作ってきたのだけど、そのことを、完璧に忘れているのかもしれない、という不安に襲われたみたい。

なにせ、若年性アルツハイマーの「明日の記憶」、見たばっかりだからね。

可能性は三つばかり、考えられる。

①もともとあった②当日作ったけれど忘れた③神様が届けてくれた

我が家では、いまや、ダ・ヴィンチ・コード以上の謎なのです。
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目正月

2006年06月25日 | Weblog
結婚25周年になるから、と母親が、なにかプレゼントしようか、と、西友へ連れて行ってくれる。

まだ幼かった頃、よく、松坂屋へ一緒についていったことを思い出した。

田舎から出て行くと、ずいぶん人ごみが多く、必死の思いで、母親の後をおう。

目の前のお尻を目印についていくと、違う人だった、なんてことはよくあった。

あちこち行くので、そのうち、あきてきてしまったけ。

以来、買い物はあんまり好きじゃないな。

それはともかく、久しぶりの母親との買い物。

店員さんと一緒の、この人にはこういうのが似合うかしらね、なんていう会話をききながら、僕は、不器用に、テレながら、身を任せていた。

紳士服売り場から、下の階におりて、私は、もう少し、目正月をして帰るよ、という母親を残して、僕は、帰宅した。
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