まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

今朝は10度

2020年10月31日 | Weblog

なので、もう少し暖かくなったら走ろうか、と考えてます。

今日は久々にトレセンでも行ってみようか。

庵原の君臣だったか、の古墳もあるから、って。

この間、宮城まりこさんのところからカレンダーが届いた。

おじおば会で行ったことがあり、コロナで挙行できないので替わりにそれを。

おばたちに、ということで、娘に配ってもらった。

母親にしても、どこまで覚えているかは心許ないけれど、なんでも、やってみなければわからない。

ってわけだ。

次男坊が掃除をして見つけ出した古いネガ、それも現像して一緒に、ってね。

映画監督やドラマ監督も、こんな具合に、ここをこうしたらウケるだろうか、なんての。

しこたま、数え切れないくらいに思考を回し、だろうね。

いや、俺には降りてくるんだ、なんて宣う御仁もいらっしゃるだろうけど。

たしかに、自分が考えたのか、その考えがどこかからやってきたのか、は不分明、見分けはつかないよね。

言ったもんがち、だな。

よく考えると、考えすぎると疲れる、とかの話になるけど、あれ、実は。

考えているときには頭が塞がって、エネルギーが入ってこない、なんて言説もあるようで。

探すのをやめたときに見つかることはよくある話で、ウフッフー、なんて陽水の唄だ。

あれ、頭を諦めたら見つかる、ってことで、諦め、ではなく、明らめ、なんてオヤジギャグもあるし。

そういうわけで、本日に出かけます。

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白鷺が川面を滑空していく。

2020年10月30日 | Weblog

いつもながら、かっこいいんだよね。

あのスピードで滑空しながら、瞬時に魚を見つけるのかな。

としたら、狩の姿もスマートだな。

今朝も、顔を洗いながら、日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり。

と、古代中国の湯王を真似た。

真似人だね、まねびと、と入力したら、学びと、と出てきた。

そんなものだね、どこかで誰かのやってきたことの生写し、ってわけだ。

学び、ってのは。

と、ここで、孔子さんの「学習過程」なんてサイクルに思い至る。

知らないことを知って、それを身につけていく流れ、ね。

これ、あらゆるところで起こっているんだけど、そこはそれ、強固な自我が立ち塞がるから。

そんなはずはない、そんなことがあるわけない、だって、私の過去を辿ると、みたいな。

なんて局面が瞬間に現出したのが、まずは、ペンデュラムの右回り、そのあとでの。

エネルギーワーク、だったのが、ついこの間のできごと、ある御仁の中に起こったね。

なんとかと親御さんに名付けられ、日本国家に登録された名前でやってきたことごと。

それを持って「わたし」である、なんてことね。

しかし、そこから解き放たれると、なんていう自由を手に入れたのか、となるか。

真逆に、安定する場は、どこにあるんだろう、不安だ、となるか。

運命の分かれ道、なんて、ね。

これまた、中国の古典、荘子、って人が語っていたらしいけど、混沌について。

混沌、って動物だったか、いずれ、生物で、目も鼻も口もない生き物だった。

それをみた、誰だったかが、同情したのか、落ち着かないからなのか。

目と口と鼻を作った、と、混沌は、息絶えた、って話。

このところのコロナ騒動の渦中で、どうもこの、混沌、が度々登場し、我が心内にね。

いつかも書いたけど、混沌=自由、って具合に。

そこで、混沌をとるか、安定をとるか、運命の分かれ道。

そこにまた登場するのが、自己免疫力と自尊、だな。

って、朝から妙に気合の入ったブログになってるか。

さて、今朝の巴川には、小さな群れの白鷺は来ないし、次なるルーティンに向かっちゃうか。

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巴川の河岸をのそのそと歩いているのは。

2020年10月29日 | Weblog

名前の知らない、鷺?かな。

そのうち、そこへ、白鷺の数羽の群れがやってくるのか。

この季節の朝は、鳥たちの活動が活発になる、んだよね。

あくまで、当方の予定、予測、推測、予断、だけど。

このところ、自然に触れ合いに、の遠出がなく、と書きつつ。

自然なんてのは、そこここにあるわけで、そもそも、人間の立ち居振る舞いなんてのも、そうだしね。

言葉になった記号、目印なんてのに、踊らされないように、と言葉で綴る、ってわけだ。

ほら、予測通りに、対のカワウくんが西に向かって行った。

相変わらずの、愛嬌のある、無理してるような飛翔だけど。

ところで、昨夜のBSの討論番組、面白かったな。

ケントギルバート、ってアメリカ人が、ね。

彼、どちらかといえば、右派、とでも言えるか、なので、今の日本の状況だと、メディア的には。

そちら側、ってことだけど、日本のマスコミは、アメリカの民主党べったりのメディアからの情報を。

精査もせず、垂れ流しているから、信用しないように、くらいの話をしていて。

便宜的に、保守とリベラル、という用語を使うとすると、保守はトランプ、リベラルはバイデン。

って構図かね。

なんだけど、日本の場合は、保守はマスコミとの共同体、って気配なので、バイデン押しで。

そこんとここんがらがってもいるんだけど、昨夜のくだんのアメリカ人は、そう言い放ったんだよね。

もっとも、もう少ししたら、より詳しいことごとが、明らかになるのかならないのか、という状況なんで。

そのあたりは、見ものでもあるな、映画よりおもしろい映画、ってわけだ。

そうそう、昨日は、ベンデュラムを使ったおもしろいことがあったな。

これ、スピ系ではよく使われるし、もともとは鉱脈、金脈などを探り当てるのに使ったのか。

紐の先に、僕の場合は、水晶だけど、それがぶら下がっていて、例えば。

スマホなんかにかざすと、左回りになる、っての。

そのわけは、エネルギーを吸い込む、電磁波が云々、なんて言説もありだよね。

ところが、右の掌に右回りの渦が柱状にのぼる、なんてイメージしてかざし、そのあとで同じことをすると。

あら不思議、スマホでも右回りに廻ります、って手品師みたいな技?なんだけどね。

ありえない、というのが、その光景を初めてみるくだんの御仁で。

じゃ、ってんで、自分で試してみたら、その通りになる、と。

見ていて微笑ましいくらいに、頭がグルグル回転するのが感じられたんだけど。

自分が思い描いてきた、この世界に、オードリータンじゃないけど、ひび割れが起こった瞬間。

あらっ?ってなもんだ。

そこから光が差し込んでくる、って算段だね。

このひび割れが、とても素敵な瞬間なんだけど、この話は、to be continuedです。

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幼子の顔に虹が出たらしい。

2020年10月28日 | Weblog

伊勢の御仁と電話で話していたら、表題のようだった。

工場の親子三代の従業員さんらしく。

そのお孫さんが、主人公、ってことだ。

レンボーチルドレンなんて言葉もあるくらいで、その流れで。

どこかの三歳児、お母さんに、地球を守るために生まれてきた、と話した。

なんてことも話題に上り、今、誰にも感じられるような、変化・変容の時ですね。

ということになった次第。

今朝も、平日走りをしてきた。

ので、ブログアップがこんな時間になってしまった。

健康診断の結果発表、ってのがやってきて、さすがに、走りの効果抜群で。

数値が向上していた。

なんてことに一喜一憂するのが、現代人たる当方の哀しさでもあるんだけど。

一方で、あらゆる存在は完璧である、という視線・視点を手に入れむと、というのも。

わが方のめざすところであった、なんてのが、日頃の佇まいでもあるので。

なんだけど。

平安朝の御仁方が、ふむふむ、コレステロールの数値が下がったな、ニンマリ。

とかさ、血圧が、とか、尿酸値が、なんて言ったら、大笑いの、パロディのネタだよね。

 

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深まりゆく秋は鳥たちの季節でもある。

2020年10月27日 | Weblog

巴川の水面を白鷺が滑空していく。

向こう岸に佇んでいるのは、鷺ではなくなんだろう、似ているが色も違う。

そのうちに、わがカワウくんが力任せの飛翔を見せてくれるか。

もちろん、日常化している、鳩やカラスもやってくるだろう。

雀もね。

文明が、あるいは、都市化が進み、自然の光景は、当たり前だけど、変容し。

そうだ、次男坊が言ってたな。

この間、庭を掘ったら、20センチ以上のミミズがいたそうだ。

そりゃ、めでたい。

この土地、疲弊してないよ、そんじょそこらのプロの畑より豊穣かも、と応じたんだった。

うまい細ネギができるだろうな、とすかさず妄想してしまった。

そのネギで、チリメンジャコでもいいし、削った鰹節でもいいから、お醤油をかけて。

シンプルに炊き立てのご飯を食してみたいもんだ、なんてね。

そんな妄想の中、対岸では、先ほどの白鷺と名前不詳の似たような色違いの水鳥が羽音を立てている。

なんてことを眺めることで、時間軸の調整ができそうだな。

時間軸といえば、いつだったか、エネルギーワークをご一緒した御仁が、昨日、来社され。

あれ以来、時間が早くなった、だったか、そんな感想を述べていたな。

その可能性もあるね、と応じつつ、こちらは、短くなったり長くなったり、で。

時間軸、というのか、タイムラインが変わったことは確かだな、とね。

ある意味、当たり前だけどね、絶対的な時間、なんてのは、存在しているようでどこにも存在せず。

だからさ。

時間は、とても利己的な、自分オリジナルなもの、ともいえて。

にしても、そんな感想が述べられ、彼からは、自家製の、無農薬・無肥料のバナナを賞味させていただいた。

3万本、と言ったか、それを自分の農法で生産し、それなりの反収を上げることで、農家さんへの。

ご案内をするんだ、と息込んでいた。

いいね、チャレンジ、いいね、と。

スーパーだと百円くらいだそうで、それを二百円とか三百円とかね、いい心意気だよ、まったく。

そこここで、いろんなことが始まりつつあり、当方も刺激されつつ、愛でる光景、愛たい(めでたい)。

親父ギャグだね、けれど、水瓶座の時代は、そんな感じに進んでいきそうだね。

ほんの少しばかりの勇気さえ持てれば、受容することはそんなに大儀なことでもないんだな、きっと。

鬼滅の刃、の、今までの集合無意識を滅ぼす、というより、消化・浄化していく、そんな刃が。

本来の刀の持っていた成立ち、なりとたちが、あらわになる、なんてね。

というわけで、当方も、本来の刃を磨きに行くとするか。

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時には休むのも一興かな、ブログ、と。

2020年10月26日 | Weblog

ワークマンの「しない経営」のなかに、経営幹部の出社。

なんてのがあって、刺激を受けているのでもあります。

なにかを付加することから、削ること、ってのは、わりと言われることでもあるよね。

こんまりさんの断捨離なんてのも似てるか。

そもそも、身一つで生まれてきたんだから、ってわけだ。

付加して付加してメタボ、って次第で、身動き取れなくなっちゃってる、ってのが。

そこここで見かけられる景色で。

そんな感想も、「鬼滅の刃」という話題の漫画本を、古い古い友人から送っていただき。

週末に到着、それをちょっとばかり読んでいるせいかも、だな。

かいつまんでいえば、鬼に喰われた人が鬼になる、みたいな。

勝手な解釈だけど、ここでの鬼、ってのは、時代の集合無意識、なんてね。

それに喰われちゃうと、いや、厳密には、傷口から血が入るんだったか、忘れたな。

いずれにしても、影響下に入る、わけだな。

そんな鬼を主人公が滅ぼす刃、ってタイトルだけど、しかし。

鬼になった、その由縁まで遡り、そこを癒したい、認めたい、という立ち位置なんだよね。

鬼ヶ島を殲滅した桃太郎、を盲目的にヒーローに仕立て上げるのではなく、殲滅された鬼の。

奥の奥の心情にまで至ろうとする。

二極化、紅白歌合戦ではない、そんな具合です。

というアニメが大ヒットしているとしたら、そりゃ、めでたい、んだな。

休もうかな、と思っていたのが、ほら、この通り、書いちゃいました。

って次第で。

もっとも、今朝は、骨ストレッチはお休み、なにせ、週末連チャンで走ったからね。

休む、その間に、筋肉は復活のファンファーレを鳴らす、ってなもんだ。

今朝の瞑想は、ストレッチ模様だった。

わがカラダは、自ずから、凝っていそうなところに心地よい動きをしていて。

まるで、ココロとカラダの一体化。

野口晴哉さんの、活元体操みたいだった。

なんたって、カラダを構成している細胞は、当たり前だけど、彼らなりの生を生きているんだからね。

しかも、絶妙な調和を目指している。

そんなことを体感した時間からが、今週の始まりです。

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苫小牧発、ならぬ清水港発のフェリーは、

2020年10月25日 | Weblog

GO TO トラベルのおかげか、賑わいを見せ始めるのか。

わが今朝の走りのコースが、車の溜まり場、ま、駐車場、入車場とでもいうか。

そこに何台かの車が溜まっていたからね。

リクツはともかく、入車係の方々も、張り合いがあろうってもんだ。

表題の、苫小牧発、ってのは、続いて、仙台行きフェリー、と来るんだけど。

吉田拓郎の「洛陽」の冒頭に出てくるフレーズね、蛇足ながら。

そう、昨日の「河岸の市」でも、駐車場は混雑していたな。

群馬からの「からみ大根」だけ、購入。

これが美味しくて、すぐに終わっちゃう、わが母親が懇意にしていた八百屋さんが出店していて。

そこでのお買い物、って事なんだけどね。

そう、今朝の走行コースの帰り道は、走り初めの頃の、難儀していた道を選んでみた。

そういえばあの頃、と、ここを走る時には、あんなことこんなこと、考えてもいたな、なんてね。

で、ついでに、でもないけれど、信号の加減で、浮かれ街を走ることになったんだけど、感慨深い。

ものがあるな。

あの頃、って何年、何十年か、この辺りに、今は亡き友人と夜な夜な出没し、なんてね。

それも、わが人生の一つの選択だったわけだ。

今の選択が、早朝の走り、ってとこだ。

くだんの拓郎の歌詞は、あの爺さんときたらわざわざ見送ってくれたよ、おまけにテープを拾ってね。

女の子みたいにさ、と続くんだけど、今朝は。

テープを拾って見送っているみたいだな、あの頃を。

ベタに。

 

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股関節周辺の痛みは走るのをすぐやめ

2020年10月24日 | Weblog

という金哲彦さんの仰せのとおり、今朝は。

40分弱で終了したのでした。

なんて聞き分けの良い子なんでしょ、って、子供のしつけ系の話なら。

先が思いやられる親子関係だな、くらいになるけれど、こちらは。

わがカラダとココロの間での出来事なので、痛みは合図、ってわけだ。

そう、昨日は、中野信子さんの「ペルソナ」ってを、買っちゃったんだった。

彼女の本は、某畏友に「サイコパス」をお借りしたままの未読状態で。

なんだか、手に取る気がしなかったのだけど、これは、思わず購入。

ってことになったのも、不思議なものだ。

わたしはいない、くらいのキャッチコピーに絆されたのか、どうなのか。

あと今読んでるのが、「秀吉はキリシタン大名に殺された」というやつね。

ちょっと、書名、自信がないけど。

あの時代、イエズス会のわが列島への侵食度合いは凄まじかったみたいだな。

戦国の有力大名、軒並みキリシタンみたいで。

歴史にイフはない、というけれど、もしあのとき、イエズス会に侵食され尽くしていたら、現代の列島は。

という問いは、成り立つな。

その問いによって、いや、表面的には穏やかにすぎたのかも、だけど、その実。

隠れたところで、その侵食は続けられていたのかも、なんてことが、明らかになるかも。

だな。

何せ、この何百年かは、一神教がブーム、というか、あらゆるところで、それを下敷きにした。

解釈、解説みたいになってるからね。

ところで、今、ワークマン、快調だよね。

で、ワークマンの「しない経営」ってのがあるのを、昨日、知ったのだけど。

社員のストレスになる事はしない、ワークマンらしくない事はしない、価値を生まない無駄な事はしない。

の三つの「しない」だというんだけど、三つ目には、社内行事、経営幹部の出社、なんて書いてあるな。

とにかく、そういう事で、多くの企業が売上減少、なんて時に成長を続けていると。

何何何何、みたいな感じで、多くの人々が覗きにくるんだよね。

覗かれているワークマンの「しない経営」ってわけだ。

さて、おひさまも昇り、暖かになりそうな気配だな。

次なるルーティンへ向かうとするか。

 

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日課としての、日に課した、課された。

2020年10月23日 | Weblog

このブログのことを、角度を変えて言ってみたのが。

今朝の表題で。

言葉の言い換え、視点をずらす、シフトさせる、とか。

やりだすとキリがないくらいだけど。

一つのことが、違った様相を見せる、のかも、という独り実験室、だな。

なんてことは、数え切れないくらいに、脳内、あるいは、ココロの内側で日々、繰り返されてもいて。

そんなことの集積をもって、人生航路とかね、ちょっと、古いね、言い回しが。

だから、人は自分の好きなものだけ、見る、とか、聴く、とかの話になり。

って次第だな。

いつだったかも書いたけど、同じ気温を示す数値でも、体感温度は違う、ってのね。

暖かな今朝は、たしかに、少し高めの数値だけど、これ、なんだろな、なんて思っている。

数値は、月を指し示す指で、月ではない、ってなもんだ。

今になりきったり、そのものを味わう、というのが、妙味なんだろうね、きっと。

なんてことを、くる日も来る日もこうして言葉にしている矛盾、か。

このところの関心事が、ヴィジョンとエネルギーワークと、なんだけど。

どうも、カタカナになっちゃうけど、それに加えて。

ネットワーク、ってのが、浮上してきていて。

蜘蛛の糸でもいいんだけど。

目には見えない、指には触れえない糸が、張り巡らされているのかも、というのね。

中島みゆきの「糸」って歌もそんななのかな、じっくり賞味した事はないけど。

何気なくこの辺りを引っ張ると、あら不思議、なんとかさんが現れ、あるいは。

いなくなり、とか、お金が入ってきた、とか、仕事が、とかさ。

たぶん、そんな仕組みを持っていそうだね、わがホモ・サピエンスを取り巻く環境ってのは。

だから何?ということでもないんだけど、そんな気配濃厚、ってやつです。

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包丁の研ぎ方、力入れすぎ。

2020年10月22日 | Weblog

ってことを教えられた。

そんな夕べの呑みだった。

いつもの大将との会話の中から、裏と表は7対3くらい、とか。

とにかく、また、注意点が一つ増えたわけだ。

同行の中に、船で釣りに行く、って御仁がいらっしゃり、釣り談議には加われなかったけど。

なんていう魚だったか、高級魚を釣ったときの写真など見ながら、宵はふけたのでした。

理事会に続き、同友会の全県でのフォーラムのリハーサル。

当方、何もしない実行委員長、って肩書きで。

しかし、今朝は、巴川沿いを走ったり歩いたりの人士方は少ないな。

なんらかのリズムみたいなもの、あるのかもしれないな。

目には見えないけれど。

見えない雲の糸のようなネットワークが張り巡らされていて、それらが、何かの信号で動いたり。

くっついたり離れたり。

集合無意識、なんて言葉、あるけれど、意識はことのほか、強力で。

今で言えば、コロナ禍、なんて用語も知らぬ間に、そんなネットワークを醸成し。

昨日も、静岡駅周辺を歩いていたんだけど、そんな気配濃厚だったな。

多勢に無勢、ってやつだ。

ところで、人類は愛せても隣人は愛せない、だったか、憎む、だったか。

そんなフレーズを若い頃、おもしろいな、と眺めたことがあったな。

というのも、昨日、知識はすべて月を指し示すものだ、なんてフレーズに出会ったので。

これ、OSHOが言っていたらしいけど、どこかの禅僧も言ってたな、たしか。

早い話が、知識は、月そのものではなく、月を示しているだけだ、ってわけだ。

人類、なんてのは、言葉によって示されただけで、ややこしいけど。

人類そのものではない、人間そのものではない、とくるかな。

そんなこと、しこたまあって、幽霊の正体見たり、枯れ尾花、だっけ。

それだね。

不安、なんてのも、恐れ、なんてのも、悩み、なんてのも、似たようなもので。

こんな具合に認識の技を身に付けた、わがホモ・サピエンスの特技なんだな、きっと。

もっとも、そんな風に、物語を紡ぐ、ってのも、生きていることの楽しみの一つでもあるか。

映画より面白い映画を観ているような、あるいは、演じているような、プロデュースしているような。

なんてこと、考えもしないだろうな、表題の大将が包丁を研いでいるとき、ってのはね。

なので、当方も考えもしないで、次なるルーティンへ入ることにします。

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