と言うわけで、入力画面をしばらく眺めていた。
昨日まで、個人ミーティングと言うことで、ざっくり20時間弱を費やした。
その中で、不思議なのは、ほんの数名、と対している時には、睡魔が襲い。
ってことで、人との交流ってのは、お互い様だな、と改めて思った次第。
その場に降りてくる言葉、思い、空気感と言うのは、一人の制作物ではない、と言うね。
早い話が、その場に現れるエネルギーのなせる技、ってね。
なんだけど、総じて言えば、面白かった。
そうだ、思い出した、表題、「今の二倍働け」と入力したんだった。
なんかの具合で、それ、消えちゃって、また、思案、って。
そのフレーズは、昨日も触れた寺島実郎さんの最後の結論じみたもので、凋落著しいニッポン。
そこでの選択肢は、働くな的な「働き方改革」ではないでしょ、ってわけだ。
もう少し丁寧に書けば、働け!と言うような、強制、強要でなく、働きたい、だな。
そんな具合に、そもそもの働くことの意義を問い直し、見つめ直し、ってね。
親父ギャグっぽく言えば、傍を楽にする、のが、はたらく、とも。
あるいは、これをせずんば止まず、的な。
吉田松陰の、止むに止まれぬ大和魂、みたいな感覚、それが仕事、働くことに通じるような。
であれば、メンタルヘルス、なんて必要はないんだけどね。
寺島さんのフレーズをどう解釈するか、だな。
これ、大事なところで、テストに出ますよ、ってわけだ。
誰がテストの監察官か、だけどね。
お為ごかし、からの卒業、の季節なのかも。
じっくりと自分の中を覗き見して、お為、誰かのため、何かのため、なんてフレーズを払拭する。
のが、たぶん、この季節、この時期、この時代の要請、かな。