まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

鳥たちはどんな言葉を交わしてるのかな。

2022年02月28日 | Weblog

なんていつものフレーズがやってくるのも、ちょうど、窓の外を眺めたら。

ヒヨドリとスズメくんたちがやってきていて。

万物の霊長なんて呼び習わしてきた人間様の作り出している世相ってのに、呆れたり。

悦に入ったりの中、ゆえに、だな。

なんの物音もしないのに、少なくとも、わが方にはまったく感知できないのだけど、一斉に飛び去る。

なんてのが、とても不思議で。

もちろん、鳥学者さんたちには、先刻ご承知、ってなもんだろうけどね。

逆に、彼らからしたら、わが方の動き方、生活の仕方、仕事場での仕草などなど、不思議でならない。

なんて鳥業界のブログには書いてる輩もいるかも、だな。

ずっと前にも書いたかもだけど、老ゾウと老クジラの交感、ま、別れの挨拶だな、あれが記憶に残っていて。

たしか、文学者のような生物学者、の福岡伸一さんが訳していた本で。

小高い丘の上から、遠く、海を泳ぎ去っていく年老いたクジラ、たぶん、永の別れを惜しんで、という状況だ。

そこで、こちらも年老いたゾウが何やら吠える、と、海からも同じような声が届く。

なんて情景だ。

そんなやりとりが、わがベランダへの来訪者たちにもあるのかもな、しかも、鳥同士だし。

となんの生産性もない思考を巡らしている朝、というわけだ。

なにはともあれ、有為転変、時代激変を眺めざるを得ない時には、個に戻る、個に佇む。

慎独、一人を慎む、ってのが、最後の拠り所でもあり、最初の出発点でもあり、ってことだな。

そこから始まらないものは、すべてにおいて、なかなかに手強い、危うい、って次第で。

この独り、ってのも、いろんな習い事の中で生息せざるを得ない社会状況の中では、ってことだけど。

習い事と言ってもいいし、強制、矯正、強要とも言えるか。

まさに、地獄への道は善意に溢れてる、なんての、マルクスだったか、ゲーテだったか、忘れたけど、書いてたよね。

慎む、でもいいし、楽しむ、でもいいし、言葉はなんでもいいんだよね。

そんな瞬間、音、波動、振動、エネルギー、なんてのを、わがヒヨドリ・スズメ・メジロの皆さんから。

それこそ、習っている最中でもあるか。

さて、月曜日を始めるとするか。

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濃厚接触者のそのまた接触者

2022年02月27日 | Weblog

の、そのまた接触者、という具合に、とめどなく。

だから、抗原検査をして、PCR検査をして、というわけだ。

これ、毎日しなきゃだな。

その昔、エイズなるものが流行っている時期の、公序良俗には反するようなお店。

つまり、売春宿では、毎週検査してます、というウタイでお店が開かれていた。

だからご安心を、ってことだけど。

検査から検査までの間に感染したらどうなるの、ってなもんで、キリがない。

もっとも、エイズに関しても、PCRを開発したノーベル賞学者のキャリーマリスは。

かなり疑問視していた、なんて文庫本、あったな。

今と似たような医学業界?科学業界?の顛末がね、書かれていた。

それはともかく、保健所も手が回らないらしく、ここで、らしく、というのは、自分で確かめたわけでもなく。

厚労省を通じて我が社におふれがやってきたのでもなく、なんだけどね。

ちょっと前までは、陽性者が出ると、おどろおどろしい消毒業者さんがやってきて全界隈に液を噴霧し、みたいなね。

今では、社労士さんにお聞きしても、あとは会社で決めてください、ってなもんだ、印象としては。

現時点では、子どもがらみだな。

学校で、保育園で、陽性者、出ました。

すると、それらの施設はクローズになり、その子と遊んでいた、きみ、あなた、濃厚接触者です、とね。

となると、ご家族の皆さんは、いずれ、濃厚接触者となり、陽性者となり、陰性者となり、って具合だ。

見たことはないけど、だから、家庭内にテントを貼って自主隔離をしている、なんての。

Twitterに流れてきたな。

そんなてんやわんや、右往左往の、我が列島の、バーチャル空間、テレビやSNSには、ウクライナ情勢が飛び交い。

大変なことになってますね、ということで、渋谷ではデモもあった、なんての。

そうだ、マンボウがゴールデンウイークまで、なんて噂話か、そんなのも流れてきたな。

このところ、Twitterが面白くてね、いろんな御仁が、いろんな立ち位置から、つぶやいているのが。

緊急事態には、ことにね。

なんて書いちゃ、申し訳ないかも、だけどな、当事者の方々には。

というわけで、霞始めてたなびく、の第5候、春霞がゆったりとたなびきはじめ、来る春に期待がふくらむ。

そんな朝は、ブロウニーさんのブレンドだ。

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みかん、食べちゃうんです、だって。

2022年02月25日 | Weblog

このところ、たまにお邪魔するご近所の八百屋さん。

そうだ、昔ながらの、清水弁で言えば、やちゃくちゃない、と言ったら失礼か、そんなお店。

昭和の風情濃厚な、そのあんちゃん、大将が、表題のように言ってくれたのが、そのまたご近所さんのことで。

僕のように、どうやら、みかんを自宅レストランで振る舞う、気持ちはメジロに、ってわけだ。

なんだけど、それをヒヨドリが占領、食べ尽くしちゃう、ってことだ。

そうですか、うちもそうなんです、と応じて、みかんをかくかくしかじかで所望、なんだけど。

みかんが、ごめんなさい、もうないです、っていうので、はっさくでもいいか、というと。

それ、酸っぱいから、鳥、食べないかもよ、という展開から、片隅のカートを見ると、みかんがふた盛りみ盛り。

というので、これ、だめ?

と聞くと、売れないんです、古くて、というわけだ。

そういうわけだから、これ、ちょうだいよ、と。

じゃ、百円ください、ってなもんで、それを二ついただく。

なんて夕方の、とてもなつかしい光景をご披露、だな。

子どもの頃は、自宅の近所にも八百屋があって、猥雑、乱雑、無造作、って感じだったんだな。

今のように、タグをつけて、コンピュータ管理の商品、バーコードあり、みたいなのじゃなく。

もっとも、こちらは、シャイで無口な少年だったので、とても、お店の人と冗談を言い合うような余裕もなく。

だったな。

そんな時分の敵討ちみたいに、このところの世間話のデクチは滑らかで、なんのこだわりも衒いもなく、だ。

たしかに、過去と自分は変えられる、とかの、「倫理道徳」スローガンだな。

そういえば、ウクライナだよね。

極悪非道のロシアが本性剥き出しの牙を剥き、みたいな。

MSM、メインのメディアはそんな感じだよね。

遠い昔の日露戦争の時も、そんな情報、ネタ、噂が飛び交い、兵隊さんは故郷の産土の神々に送られ戦場へ。

って流れもあったんだろうな、その後の、英雄物語が数知れず語られ、と。

いずれにしても、そこここで、物語が生産され始めているよね。

ナラティブ、ストーリー、物語、ついでに、そのうち、神話にまで至るか。

そんな一日を当方は、どんな一日にしようか、と静かな朝に思考を巡らしているのでもあります。

 

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三つの富士山を眺めながら

2022年02月24日 | Weblog

というのが、昨日の朝の走りだったな。

清水港、晴海橋(見晴橋だと思っていた)、羽衣の松の三保へ向かう道から。

三者三様というのだろうけど、それほどに丹念に見入ることができたわけじゃない。

当たり前か、そこまで、走りは熟成してなくてね。

自分のカラダとの駆け引きというのか、対話が7割以上だ。

ではあるけれど、たまたま、夕餉の時間、テレビが静岡特集で、富士山推しの番組つくりだったので。

朝を思い出しながらの夕べ、ってことになったんだよね。

そうはいっても、このところの関心事は、「グレートリセット」にまつわるさまざまなことごと、ってやつだ。

なんだろうね、と訝しみながらの、なんだけどね。

いずれ、カタカナ用語は眉唾もの、みたいな気分濃厚な立ち位置なんで。

それだけで、斜に構え、って具合なんだけど。

真理、というのか、真実、というのか、ほんもの、あるいは、ほんとのこと、ってのは。

音声、響きだ、なんて言説に出くわし。

文字にした途端、胡散臭くなる、というのね。

このあたりは、体得したとまでいえないんだけど。

ふむふむ、とひとまず、受け入れ、って具合だ。

そうか、わかった、って瞬間は、響き、音声だ、というのだけど、うまいこと、書けないな。

リモート会議であったり、人との邂逅が制限される、という世情では。

目の前の存在そのものの発する、何がしかのもの、は体得、体感し難く、ってわけだ。

なので、余計に、文字由来の、例えば、プレゼン資料みたいなテクノロジーが隆盛を極め。

すごいね、わかったよ、わかった、そうなんだ的な、ね。

文字で腹は切れません、ってことなんだけどね。

と言いながら、文字を綴っている僕って一体、ってなもんでもあり。

というわけで、本日に向かうとします。

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ほんの何秒かの道のりがいいんだ。

2022年02月23日 | Weblog

これ、駐車場から事務所までの、って具合なんだけど。

車を降りる。

左側の御神木、今では、市の管理の公園なので、そうとも呼ばれない楠に、おはよう!と声をかけ。

事務所への道。

そこを歩いている、そのことが、なかなか、気に入っていて。

可もなく不可もなく歩いている、ただ、それだけなんだけど、ね。

朝まだきの道。

何日か前から、このことをブログネタに、なんて思っていて、そんな時には、たいがい大忘れ、

って感じなんだけど、今回は覚えていたな。

と見る間に、外は明るくなった。

早くなったね、季節の巡りだ。

空には、白い半月。

こんな朝を、可もなし不可もなし、というんだろうね。

いつから、可であったり不可であったり、なんてのが、口の端にのぼるようになったのか。

思い浮かぶのは、優良可なんてのかな、寺子屋に毛が生えた学校、なんて言ったら、失礼かな。

そういえば、わが曽祖母のおみなさんは、学校へ行ったのかな、江戸の慶応生まれだからね。

学ぶことはいいことなんだろうけど、反面、そんな言説が一人歩きをし。

学ばなければなりませぬ、なんて強迫、脅迫用語に様変わり、なんてこともあったりだろうからな。

頭主導の世のつくりは、何かとめんどくさいものだ。

いや、それのおかげで、人類の「進歩と調和」が、なんてのは、高校時代の大阪万博か。

太陽の塔を作った、岡本太郎だっけ、縄文を裏メッセージにして、なんて話。

ゲイジツ家にとっては、いやらしい言葉だったのかな、その標語が。

それへのアンチだったのか、なんてのが、たまに、SNSを経巡り、って現在だ。

たぶん、縄文はおもしろいよ、ことに、こんな世情では、余計に、って思うな。

もっとカラダとともにあった、つまり、自然とともに、だな。

わがレストランにやってくる鳥たちを眺めていると、生命つながりの。

なんというのか、大きな流れ、宇宙の、と言ってもいいような領域にまで辿り着きそうな。

そんな気分にも、時に、なっちまう、ってなもんだ。

さて、いつもの来客がいらっしゃったので、当方も、今朝を始めるとするか。

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スズメおどし、なんてのなかったかな。

2022年02月22日 | Weblog

子どもの頃の小学校までの道のりは、まんま、田んぼの中を、って感じで。

ガス鉄砲とか言ったかな、忘れたけど、時折、パーンというような音が鳴ったような。

そんな記憶があるし、カカシなんかもその類かな。

いずれ、スズメが我らが生命線、神聖なる穀物を食べ散らかさないように、くらいかね。

農耕が始まって以来の、長い長い、「害鳥」との戦いだったのか。

それが今では、毎朝、スズメのために、レストランを開設、なんだからね、まったく、呑気なものだ。

ことほどさように、食は溢れている、とも言えるか。

すると、人間は食べすぎて死ぬ、なんて言説にもなったりで。

とにかく、すぎたるは及ばざるが如し、ってなもんだ。

ところで、この冬は冷たかったのか、母さんのあかぎれ痛い、じゃないけど、わが指先も。

随分とご苦労様でした、ってくらいのあかぎれができ、だったんだけど。

それが忘れていたんだな、熊の脂。

今になって思い出した頃は、三寒四温よろしく、梅は咲いたか桜はまだかいな、って季節でもあり。

今朝、思い出して、塗ってみた。

木曽平沢の鉄砲撃ちの女将さんのところでいただいて来たものだ。

とくると、そう、落語の「鰍沢」、志ん生のね。

今年も年賀状をいただき、ぜひまた来てくださいね、と書いてあった。

久々の漆祭りを待ち望みながら、本日のブログ終了です。

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月が覗いている朝。

2022年02月21日 | Weblog

今朝は、いろいろとやることがあり、で、出遅れた感じ。

すでに、わがレストランは来客あり、だ。

昨日は、梅醤番茶、ってのをやってみた。

梅肉と醤油を練り合わせ、それに生姜をすりおろして、番茶を加える。

いい感じだ。

飲みすぎたので、胃が焼けたけれど。

ずっと前、たしか、一倉定さんが、「正食と人体」という本で言っていたか。

いずれ、漢方というのか、和の食だな。

ドリンクとかエキスとかなんとかエネルギーとか、カタカナ混じりの飲料が多いんだけど、そこはそれ。

和に戻るに如くはなし、ってわけだ。

巴川の向こう岸を、180spmの女史が軽やかに走り抜けていった。

その以前には、いつもの、3000km/年の御仁も。

犬を連れたご婦人も現れた。

いつだったかも書いたけれど、フランスだったかの小説に出てきた、療養所かなんかの窓辺の風情だな。

レストランでは、鳩君が首をふりふり餌を啄み、とみる間に、メジロもやってきていた。

もちろん、スズメ君たちはマイペースに群れで訪れ。

このメジロは、ヒヨドリが追い払っちゃうんだよね、と書いていたら、案の定で、みかんはヒヨドリに占領された。

いや、今朝はメジロくん、学習したのか、ヒヨドリのこけおどしに慣れたのか、まだいたな。

なんて朝、若い社員さんが出社して、さわやかに生きてるか、と声をかけた。

どうやら、最近、パッヘルベルのカノンをギターでやってるらしく。

そのうち、ご披露、って算段だな、なんて話にもなった次第。

スズメ、ハト、ヒヨドリ、メジロの独特の関係性は、まんま、わが社内の出来事みたいなもので。

人も鳥も変わらないのかもしれないな。

当たり前か、生命という括り方をすれば、皆兄弟、ってことになるな。

 

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雨水・初候。

2022年02月20日 | Weblog

今朝の表題は、ベタといえばベタで。

まんま、写した、って感じだな。

大地の暖かい春の雨にぬれてうるおい目覚める頃、と書いてある。

まさに、今朝は、そんな雨だった。

わがiPhoneアプリの予報よりも少し早く止んだので、走ってきた。

カラダ、ちょっと重かったな。

なんて感想を持つのは、なかなかいいもんだね。

自分のカラダに、自分の心が反応し、作戦の練り直しとなったり、ああだこうだの感懐を持つわけだ。

血の巡りが良くなってからのブログ書き、というので、頭へは適度な血流がやってきているのか。

いつのものように、複雑怪奇な思考は、って、そうでもないか、いずれにしても、さわやかです。

となると、たいして、書くこともないのか。

そうだ、昨日は、御前崎は、なぶら市場で、イカの塩辛を買ったんだった。

相変わらずマンボウが泳いでいる世情で、お客さんが少ないんです、という目の前の女史が。

これ、半額だからどうぞ、なんておっしゃる。

いろいろと買い求めた後だったので、これ以上はいいかな、という心向きだったのだけど。

なんで?と聞いてみた。

賞味期限があと4日なんです、ときた。

んなもん、関係ないじゃん、と言いつつ、半額で買い求めた。

ここでのやり取り、伝わってるかな、どうかな、という具合ですが、買い物ってのは、通貨を媒介にした。

商品のやり取り、ではないな、たぶん、きっと。

という感想です。

 

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雪解雨(ゆきげあめ)というらしい。

2022年02月19日 | Weblog

今日から、立春に代わり、雨水の初候だ。

表題の、雪が解ける雨、っていかにも、なんだか、春が間近か、という気になるね。

ところが、ゆきげあめ、と入力すると、ちょっと、違う漢字が出てくるんだよね。

当たり前か、は、いいんだけど、iMacの、つまり、グローバルの成れの果て、みたいな感覚を覚えるんだな、いつも。

日本固有の、一太郎、だっけ、そんなのもあったんだけど、キーボードで叩いた文字が変換される時の。

あのなんともいえない感覚ね。

もちろん、何回も使うようになると、そのようになっていく、とも言えるんだけど。

というのも、夕べ、パラパラと読んでいた本に、神代文字、というのが、どうやら、ずいぶんと古いものらしく。

なんて記述に出会ったので、言葉、大切ぞよ、というのを感じもし。

よく話に出る、カレンダーね、暦ではなく、しかも、陰暦とか旧暦、さらに、そのもっと古い和暦、なんての。

あるいは、日常使う言葉の数々によって、人それぞれの価値観が知らぬ間に醸成され、とね。

黄色い顔した白人とかさ。

ドストエフスキーのなんの小説だったか、フランス帰りのインテリ、っての、描写されていたな。

鼻眼鏡で、フランス語混じりのロシア語を話す、というわけだ。

今でいえば、カタカナ語をふんだんに交えた会話、だな。

母語、なんて言葉があるように、自国語の中にある、精妙な感情、感性なんてのが、暮らしている自然の中から。

それこそ、自然に発生し、というの、あるんだろうしね。

主語を曖昧にする日本語、なんて言い方で、なじる帰国子女的な物言い、あるけれど。

ところで、このところ、指針作り、ってのが頭の片隅にあって。

それが、仕事、といえば、仕事で。

しかし、カラダを動かすわけではなく、誰ぞと会いまくるわけでもないので、傍目には、何もしてない。

ただ、ぼーっとしてる、みたいな姿かたちでもあって、彼我の差が気になるところでもあるんだけど。

ま、そんな感想はともかく、事業継承を見据えた指針作り、とでも書いておくか。

そんな中、時代は、横のつながり、とかの言説がヒタヒタとやってきてもいて。

組織とか集団とかの顛末のつけ方、とでもいうのか。

そのうち、もう少し、わかりやすくなったら、ご披露申し上げ、って次第です。

というわけで、今日は、ちょっと、西の方面へ出かけることにします。

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今年は3000キロ。

2022年02月18日 | Weblog

走ろうと思っているんです。

というんだよね。

稲荷神社の前で、零下の朝まだきに、そんな会話を交わした。

いつものランナーだ。

すごいね、と応じて、がんばって!と送り出した。

元旦に、彼なりの一年の計を立てた模様、勝手な妄想だけど。

なんてことを書いていたら、つがいのヒヨドリが手すりに羽を休めている。

のか、単に、様子見しているのか、わかりませんが。

バーの止まり木、なんての、思い出すな。

お酒の酔いの力を借りながら、何かを休めていたのか。

夕べは、またまたのzoomのリモートミーティング。

東は沼津から西は御前崎まで、といや、浜松もいらっしゃったか。

それぞれの移動距離を足し算したら、どんだけの時間になるのか、それが瞬時の会話。

なんて、電話ができた頃もそんな感想、慨嘆、驚嘆、賛嘆は同じようにあったんだろうけど。

そういえば、松坂の邂逅、ってのが、歴史物語としてあるよね。

たしか、本居宣長と誰だっけ、賀茂真淵か、いずれにしても、国学者がそこで出会ったことで。

なんとかんとか、という新しい考え方、見方、が生まれた、くらいの話か。

なんてこと、思うと、ね。

彼ら、歩いていたんだろうな。

今では、電線の中を、あるいは、空中を電波が、ってなもんで、目に見えない歩きだな。

そうだ、昨夜のミーティングには、干物屋さんも参加され、見晴らしのいいところで農業とキャンプ。

なんて取り合わせのお客さんへ納入、なんてこと、話されていたな。

なんでも、自家農園を作りながらのキャンプ場だとか。

おもしろそうなので、そのうち、見学に行くことになるのかな、どうなのかな、ってところだな。

さて、さて、金曜日。

冷夏の夏はトボトボ歩いたのは、宮沢賢治の詩の主人公、だけど、こちらは零下の立春をそぞろ歩きか。

はたまた、喜び勇んでの、怒涛の行進とでも行っておくか。

 

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