まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

アサガオが二輪、咲いている

2016年06月30日 | Weblog

昨日は、一輪、今朝は二輪。

準備万端、整い、という風情で、夏が待っている。

川風は、ちょっと、遠慮がちに通り抜ける感じが、これまた、格別な朝で。

季節も巡り、日々も巡り、人々も巡り、循環ってわけだ。

循環という言葉で表現すると、語弊もあるかも、なんだけど。

昨日は、既報のごとく、30年来の友人の葬儀、出棺、祓いの席で。

一回り以上違うのか、若い、んだよね。

その息子さんたちとか眺めていると、季節の巡り、というやつを思い知らされるわけだ。

斃れた樹は、その場に栄養を振りまき、残された樹々が、潤い、という森の循環ね。

そこに人間的な味付けをると、悲しみであり、悔しさであり、という感情由来の。

なんというのか、ベタな循環に物言うことになるんだけど、そこはそれ、とスルーして。

いや、肥やしにして、か。

例えば、残された樹々は、すくすくと天に向かい、という光景が繰り広げられ。

なんてことを、つらつらと感じもし、考えもし、という時間が、昨日のお昼前から流れていった。

夜は夜で、こんなにぐるぐると回っちゃうような家を継ぐ気にもならねぇ、という下げの。

柳家花緑の「親子酒」ってので、それこそ、噺は落ち、落語となった、毎年恒例の。

江崎ホールでの落語会のあと、相方のお二人は、ドローン概況で盛り上がり、こちらは。

初亀の冷酒を少々、煽りながらの宵でもあり、酔いでもあり、って小ネタがくどいか。

このところ、表題のアサガオしかり、わがハーブの発芽しかり、この瞬間のね。

例えようのない、美しさ?たおやかさ?なまめかしさ?

心おどる瞬間の連続、そんな季節を感じつつ、世に言う、経済なんてのも、実のところ。

その発祥は、そんなところに、つまり、発芽の瞬間、あるいは、その、ほんのすこし前の瞬間に。

あるはずでね。

そこんとこ、よろしく!なんだけど、専門用語で語られる、経済的なるもの、政治的なるもの。

ってのは、なかなか、手ごわい、というか、芯をずらしている、というかね。

なので、くどいですけど、言語整理、言の葉の整理整頓、あるいは、思い切って、断捨離なんて流行語を。

使うのも、一手かも、といったところですが。

夕べの花緑も、そんなこと言ってたな、って、言ってないか、勝手なこちらの解釈か。

イギリスのEU離脱で、このホールの皆様方に、何か、不具合、ありましたか、くらいの投げかけだったか。

一緒に聴いた、相方のお一人は、柳家花緑から、なんていうの、芸名、源氏名、弟子の名前、もらった。

なんて話が、まことしやかに流れてもいる、僕的には。

そんな御仁で、柳家うなぎ、だったか、そちらは、噺には詳しく、もう一方は。

リアル落語は、初、って方で。

落語を聞くのは、知的な人、だったか、偉い人、だったか、帰りがけの大将の投げ言葉に。

かの御仁は、ほだされたか、ほだされなかったか、はともかく。

日常の暮らしの中の、裂け目、というのか、ひび割れ、というのか、そんなところに、こっそりと。

忍び込み、深刻な、眉間のシワの根っこ、そのアホらしさ加減を白日のもとにさらしてくれる、とでも言えるか。

そんな落語を、ご賞味頂ければ、って、落語協会の回し者みたいだけど。

そんな、祈りともつかない、思と名付けられた光が届くかも、届かないかも、ということで。

わが社員さんの一人は、ずっと前に、某会社の、安全大会のゲストスピーカー、武田教授に。

いたく刺激を受け、今は、遠い現場の往復、という身の上を、逆利用して、日々、車中で。

教授の言説にぞっこんのようで、このあいだの個人ミーティングも、そのネタになったら。

まるで、夕べの柳家花緑みたいに、今日は、話倒す、くらいの勢いで、時間、足りなくなったくらいでね。

ことほど左様に、人生、どこに出会いが転がっているのか、わかりません。

さて、本日は、どんな出会いがあるのでしょうか。

 

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ギルガメシュはフンババを斃した

2016年06月29日 | Weblog

ので、有名なレバノン杉は、切り倒され、枯渇し、残されたのは。

乾いた砂漠、みたいな。

いきなりだけど、「善と悪の経済学」は、そんなところから始まりもして。

トーマス・セドラチェクというチェコの経済学者の、2009年刊行、というから。

たぶん、当方が、怒涛の日々、と称して、あわや、フンババみたいに。

現在の社会に切り倒されそうになっていた、あの頃なんだよね。

リーマンショックの前に、構想も練り、文筆に勤しみ、ショックの後、世に出た。

というくらいかな。

まだ、読み始めではあるんだけど、いきなり、神話から説き起こし。

神話の中に潜む経済学、から始め、現在の経済学の中に隠れている神話を白日のもとにさらす。

というくらいの目論見かな。

面白いんだよね。

去年話題になった、5000ページくらいの経済の本、ピケティか、あれより、数段、面白いんじゃないかな。

って、ほんのさわりしか、読んでませんが。

いずれにしても、世の賢人方が、有名無名問わず、それにしても、おかしいよね、とそこかしこで。

思考回路のルート変更をしている風情がね、漂い流れて来る。

夕べは、弊社事務所に、総勢12名の方がお集まりいただき、喧々諤々の議論?!をして、宵も更けそうになり。

なんだけど、人は皆、歩くパワースポットなわけで、お宮さんが、まるで、出雲の神集いみたいにね。

弊社に蝟集くださり、わが事業のエネルギーは、知らぬ間に、高まり。

ヒトモノカネの順番通りに、粛々とことをなしていけば、そりゃ、ありえない会社、という出来事も。

可能となる、という流れだな。

つまり、僕の目の前の壁に貼ってある、宝船の、布袋さんやらいろんな神様が船に乗ってる、のね。

いかにも、わが列島の住人の考えそうな絵柄の、そう、宝船プロジェクトもね。

実現するんだよな、きっと。

そうそう、わがベランダのハーブ、発芽してね。

かわゆいものです。

目を凝らさないと見えないほどの小さなものなんだけど、この一連の流れは、全く、アナロジカルなんだよね。

人間そのもの、やら、事業のなりたち、やら、なんにつけても。

今、ベランダを見たら、アサガオが咲いていた。

気がはやいね、まだ、7月にもならず、夏休みにもならないのに、ね。

お先棒担ぎ、も、必要だから、ぜんぜん問題ない、ってことだけど。

いよいよ、夏がやってくるね、って、ちょっと、早すぎか。

夕べは、ヒョウタンをいただき、プランターに移し替え、わがハーブ園の仲間入り。

そう、昨日は、ローズマリーとレモングラスと、あと一つ、名前忘れたハーブを。

今年初めてのティーにして、社員さんに振る舞ったのでした。

新入社員のハタチさんは、わざわざ、ハーブティー、ありがとうございました、ときた。

こちらも、かわゆいものでしょ、あなたは、いつ、発芽するかね、なんて、冗談とも本気ともつかない。

応答をしたのだけど。

さて、そろそろ、骨ストレッチの時間にしますか。

 

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満49歳で逝去しました

2016年06月28日 | Weblog

という訃報がやってきたのは。

そうだ、彼が10代の頃からの付き合いだから、もう、30年にはなるのか。

今は亡き、わが友人のやっていたスナックで、職人をやりながらのバイトだったか。

細かいことは忘れたけれど。

彼の友人から、病状が重篤であること、聞いてもいたんだけど、なぜか、今回は。

お見舞いにもいかず、今日を迎えているんだよね。

このところ、死への思いが、ちょっと、変わってもいて。

そんなところからだろうか、なんて、勝手に、エクスキューズ、入れているんだけどね。

今夕は、早目に、粛々とお線香を手向け、まさに、死出の旅を見送るとします。

もちろん、残されたご遺族の悲しみは理解しつつも、旅立つご本人にはね、OK、よく生きたよ。

と、ね。

文句なしだ、とも。

そういえば、わが娘が、ハケンで、某こども洋品のチェーン店にお世話になっているんだけど。

最近、エリアマネージャーとかいうのか、正社員のそういうポジションの方と、エリアを回っているそうで。

売れないお店のテコ入れ、とでもいうのか、学歴も何もないんだろうけど、ジャニーズフリークの。

ある意味、プロなんで、それも生き、ということか。

ま、当方も、彼女を、人材として、考えてもいて、なにか、いい場ができるかも、なんて思ってもいたんだけど。

なんにせよ、一つことに打ち込むと、スペースが生まれ、そこにアプリオリでない、というのか、既定でない。

習ったことでない、なにごとかが、天使のように舞い降りるわけだ。

つい最近、ここでご紹介した、「人間の建設」という対談集、新潮文庫の180ページくらいのやつ。

実は、小林秀雄と岡潔の対談でね。

岡潔の経験なんだけど、ある時、奈良の美術館で、正倉院の、古い古い布切れが丹念に貼ってあって、それを、3時間ばかり、見入ってしまった。

外へ出てみると、いつもは何も感じない松の枝ぶりがとても鮮やかに見えたそうだ。

その体験を、彼は。

《丹念に長いあいだ取り扱ってきたものを見ているうちに、

自分の心から、ほしいままなものが取れたのじゃないか。

ほしいままなものが取れさえすれば、自然は何を見ても美しいのじゃないか。》

と、言うんだね。

これは、得がたいけれど、実は、どこにでも転がっていることでもあり、というね。

なかなか、深い境地を語るものだ、と少々、上から目線ぽく、あるけれど、印象に残った。

これが、豊かさなんだよね。

ヒトモノカネ、というけれど、ヒトにしかできないことだ。

そもそも、経済なんてのは、数字、数値じゃなく、ヒトを扱うものだったはずなんだけどね。

今回のEU離脱騒動にしても、カネモノヒト、と順番が逆になっているんじゃね、くらいの感想で。

なんて時に、「善と悪の経済学」というね、チェコだったかの経済学者の本に出会って。

すかさず、kindleでダウンロードし、読了まで11時間半、というカウントまで出るわけだけど。

いきなり、ギルガメシュから始まり、旧約聖書、古代ギリシャ、キリスト教、デカルトと機械論、などなど。

と目次が連なるもので。

iPhoneで、粛々と読み進めてみようか、というのが、今日この頃のイベントの一つ。

さて、今日も、その他にもイベント目白押しで、綱渡りならぬ、時間度の名手を気取って、するりするりと。

二度とやってこない、という約束になっている、この6月28日を味わうことにしますか。

この、二度とやってこない、だけど、ひょっとしたら、パラレルのワールドとして、あるのかも。

というようなことをおっしゃる御仁の動画を見たりして、あるかもね、なんて気にもなっている。

のでもありますが。

それはともかく、流れ急な巴川を眺めながら、朝を始めることにします。

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今朝は4分で事務所に着いた

2016年06月27日 | Weblog

家を出るときのタイム、18、駐車場着が22、だったからね。

いつものご近所の聖人さんも尻目に、交差点もすべて。

青抜け、ってやつで。

通勤通学に、1時間も2時間もかけている人士からしたら、垂涎の環境だよね。

かたじけない。

ありがたい。

しかも、この巴川を渡る川風だ。

今朝の駐車場では、なんていう名前かわからないけど、小鳥がね、電線の上から迎えてくれて。

お、ありがとう、と心の中で返したんだけどね。

Facebookのメッセンジャーに、ヒョウタン、あげますよ、いかがですか。

とはいっていて、早速、くださいませ、と返信した。

条件は、ヒョウタン日記をつけること、だと言うんだけど。

ヒョウタン、って、縁起物、というような言い方もできて、古来ね。

たしか、秀吉さんの、なんていうのか、戦陣の旗は、千成ヒョウタンじゃなかったかな。

海の民は、ヒョウタンを守り神のようにして船に積んで、なんて、言ってなかったかな。

うろ覚えですが。

この、うろ、っての、面白いね、うろ、空、何もない、穴、空間、そんな記憶、ってわけだ。

言葉をつないで生きてきた、生をつないできた、とも言えて。

伝統、というのか、言葉には、先人の苦労、喜び、悲しみ、不如意、不具合、いろいろなものが。

憑依してもいて、うかつに日常使っている言葉を、日向干しにして、もう一度、仕切り直し。

ってのも、なかなか、効果的なものではあるんだろうな。

夕べか、夕食どき、次男坊が、イギリスのEU離脱について、聞いてきてね。

およそ、そんなこととは無縁な男だ、という気配なんだけど、で、その不具合について、何なの?

というわけだ。

EU域内では関税がかからないのが、離脱すると、イギリスからの輸出品には関税がかかる。

ので、日産50万台、トヨタ19万台、ホンダ11.5万台、のイギリスからの輸出に影響が。

というウタイもあるそうだけど、それ以外にも、金融機関も英語が通用するので、イギリスを拠点にしていて。

というね。

しかし、結局は、どうなるかわからないから、とりあえず、安全通貨の円買いが進み、円高は、日本国内の輸出産業には痛手。

です、円高は利益喪失なんで、株も安いです、っていう記事もあったけど。

そのおかげで、アベノミクスの希望の星、GPIF、だっけ、年金で株買っちゃったやつね、あれ、消費税分くらい、飛んだかな。

そのうち、また、株は騰がるさ、くらいに、鷹揚に構えていただきたいものではありますが。

って、そんなところに、当方、いないんだけどね。

政治イシュー、っていうのか、もともと、政は、まつりごと、ともいうよね。

まつる、ってのは、結局、治める、というのか、鎮静させる、とか、そんなことになるんだけど。

だれが、どんな世を目指してまつるのか、ってことで。

話は変わるようだけど、昨日、菩提寺の世話人につき、高源寺だより、って冊子、パンフレット、機関誌、公報誌、かな。

それを氏子じゃなく、店子じゃなく、なんだっけ、そういう方々に、お配りしたわけだ。

20軒ばかり、駆け足で、なんだけど、皆さん、いい家に住んでらっしゃる。

その昔、と言っても、小学生の頃だから、何十年前になるのか、わが村のご近所さんは、千差万別、掘建小屋のような。

家もありで、貧しかった、のだろうけど。

彼我の違いに、なるほど、これが昭和の御代の高度成長の賜物なんだ、と思いつつ。

配達人をやったわけだ。

なんて光景を目の当たりにすると、わが列島は豊かになったんだな、という感懐がもたげてきもし。

それでも、不平不満が絶えないのは、人間というものが、そもそも、そういうものなのか。

それとも、くだんのまつりごとの仕方が、方向性が間違っているのか。

なんてことに、いたり着きもし。

なんて書いてると、きりがないので、本日は、この辺にて。

 

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秋風のような朝だ

2016年06月26日 | Weblog

宮沢賢治なら、寒さの夏は、と詠嘆したかも。

というくらいの、風が吹きくる朝で。

しかし、当方、駿河の住人としては、そんな気配も感じぬ気持ちのいい朝。

今朝は風鈴が鳴り止まず。

夕べは、ビートルズフェス、って番組に釘付けになっていた。

来日が、1966年なのか。

あのコンサートにリアルで言っていた、少年少女の物語。

往復はがきで、200枚とか300枚とか、書き送り。

当たった、当たった、というわけだ。

僕より、ちょっと上の年代の方々で。

僕は、13歳くらいか、しかし、日本がすごいことになる、と密かに思ってもいて。

ちょうど、台風が来ていて、台風と共に上陸、という感じだったからね。

なんだけど、来日が済んでも、日常は何も変わらなく続いていて。

という体験をしたんだよね。

まるで、昨日からの、EU離脱の喧騒みたいだ。

世界は、脳内の産出物だ、というほどの理解に至る始まりだったのかも。

武道館でのコンサートは、前座をドリフターズが務め、ポールのマイクが歌うたびに動いちゃって。

というような映像を、テレビ画面の向こうに眺め、胸の中に沸き起こる。

なんとも言えない、何かへの憧れ、とでも言えるものを、感じていたんだよね。

ことに、初期のビートルズの歌からは、かきむしられるような、何かがやってきていた。

そんな自分の体験と画面に登場する方々の、少女のような、少年のようなコメントが重なり。

見入ってしまった次第で。

ところで、先のEU離脱マターなんだけど、世は、困ったちゃんイギリス、くらいの大合唱でね。

新聞も、テレビは見ていないけど、昨日の、わがヘアーカットの大将の口からも。

大変なことになった、なんて言葉が速射砲のように、流れ出してもいて。

ちょっと、違った視点から眺めてみようよ、という提案をして、議論を吹っかけるのも、面白そうだった。

んだけど、カットしていただきながら、居眠りをしちゃって。

議論はそこまで盛り上がらず、という体たらく、で。

もっとも、昨日の夕刊と今日の朝刊には、世界同時株安、なんて大文字が並んでいるから。

大変なことになった、というかの御仁の言葉も、まんざらじゃないかも、だけど。

どうしても、そこにうなづけないものが残るんだよね。

それはなんだろう。

夕べ遅くに、いや、ビートルズフェスの頃、次男坊が、飛騨は高山から帰ってきて。

3時間半だった、というから、そりゃ、水無神社へもいけるかもね、と応酬し。

ご苦労さん、と。

この神社のある水無山、って、富山の三角山だったか、と同様、超古代のピラミッドじゃなかったか。

なんていう言説もあり。

飛騨には、3回ほど、言ってるのにね、バス旅行と、もう一度は、妻の友達との婚前旅行だったか。

飛騨産のイチイの木から作った、なんというのか、神主さんの持ってる幣、幣帛、拍子木の薄いようなの、あれをね。

天皇即位の時に、使うそうで。

飛騨といえば、両面宿儺(りょうめんすくな)だしね。

仁徳天皇の御代に、中央政権に滅ぼされた、ということになっている、顔が二つある、土地の神様で。

この列島の習俗は、滅ぼされた人士を、丁重に祀る、祟りを封じ込めるため、とも言われているけど。

なんてことにも至りつく、わが次男坊の飛騨出張の記なのでした。


 

 

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風鈴が鳴っている

2016年06月25日 | Weblog

昔、スパイダーズが、風が泣いている、と歌っていたね。

夕べ、というのか、今朝方、まさに、そんな風情で。

ゴゴゴー、風が泣いている、って。

今朝のわが窓辺は、いつもとは風向きが違って、窓を開けると。

雨が吹き込み、風鈴は鳴り止まないけど、止むを得ず、窓を閉める。

ということになり。

夕べは、会合があって、10人余か。

近況を報告しあったのでした。

その後、始めてのお店で、獺祭をいただき、宵も更ける前に、どうにか、ご帰還と相成り。

あれやこれやと話し込み、みんな、生きてるな、という実感で。

いいとかよくないとか、ってのは、どうでもよくて、そこにある姿ってのが。

これまた、次のステップのための栄養ともなり。

株をやってらっしゃるのか、英国の、EU離脱ネタで、リーマンショックという言葉も飛び出し。

午後はネットなのか、テレビなのか、画面に釘付けで、なんて御仁も。

中には、FXをやってらっしゃる御仁もいたのか、3円というのは、大きいですよ、ときた。

こちらは、メディアの、あまりの騒ぎように、少々、鼻白み、どうぞ、ご自由に!くらいの心持ちだったんで。

このブログを閉じた後、EU離脱ネタ満載の新聞読み、ネットサーフィンとなるわけで、この時点では。

夕べの会話、くらいの情報しかないんだよね。

すると、なんの動揺も感懐もない、という次第で。

ポストから持ち出した、雨養生のビニールに包まれた新聞の見出しには、大きな文字があったけど。

しかし、この今の瞬間には、こともなし、と風鈴の音を聞いているのみ。

なんだけど、おどろおどろしい、例えばね、大文字の見出しを眺めた途端、大変なことになる。

商売も用心が肝心、くらいの心持ちに早変わりするのかな。

こりゃ、大変なことになるぞ、くらいの、ね。

夕べも、リーマンショックの時も、最初は、大したことない、なんて言ってたからね、とのたまう。

御仁もいらっしゃり、ことほど左様に、人間の頭ってのは、様々なことごとを、創造するわけだ。

また、雨が降り出した。

今日の天気は、どうなるんだろう。

このところ、ほとんど、天気予報も見ず、流れのままに、という、実に贅沢な日々を送っているので。

しかも、商売柄、社員さんたちは、毎日、予報とにらめっこなのにね。

まったく、社長ってやつは、くらいの体たらくではあるんだけど。

この雨の中、動いている現場もあり、かくいう私めも、一応、仕事着で、戦闘態勢には入っている。

んだけどね。

と言っても、普段と変わらぬ、洋服の青山作の、スボンとジャケットで。

しかし、雲の切れ間から青空も見えるな。

ってことは、雨もそろそろ終わり、ってことか。

風鈴も鳴り止んだ、いや、また鳴った。

こちらも、書き方、止め、としますか。

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忘却とは忘れ去ることなり

2016年06月24日 | Weblog

って、今朝の表題は、馬から落ちて落馬して。

みたいだけど。

寝床で、今朝のブログネタは、かくかくしかじか、なんて、妄想を巡らしていて。

と、このPCに向かってみると、見事、忘れ去っていた。

ということなんだけどね。

電源入れたら、どうやら、ウイルスだか、なんだか、ウイルスバスターが免疫力を発揮して。

しかし、刀折れたのか、どうなのか。

いまいち、元気がなかったので、もう一度、電源を切り、仕切り直し、ってやつで。

なんてことしてたら、かくのごとく、忘れちゃった、のでした。

昨日、安全パトロールと協議会の間、中途半端な時間が空いたので、近くのブックオフへ。

362円という定価の付いた本を、200円で買ったんだよね。

安いのか、高いのか、なんとも難しいけれど、内容からしたら、お金に換算出来ないくらいだけど。

「人間の建設」って新潮文庫で、平成22年、とある。

文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による雑談、というキャッチでね。

誰だと思います?

あえて、匿名としておきますか。

ちょっと、引用したいけれど、どれもこれも、珠玉と言えるほどのものなんで、SNS的に。

これです、ってわけにはいかない。

学問を好むという意味が、いまの先生方にわからないのですね、というのが理系的頭脳の御仁。

あるいは、文系的頭脳の御仁は。

ほんとうにうまい質問をすれば、すなわちそれが答えだ、とかね。

なんて書いてると、200ページ弱を、みんな書き写しちゃいそうなんで、このへんで。

母親ネタに切り替えると、夕べの話。

仏さんに供える、お茶とご飯とお菜、なんだけど、そのうちのご飯とお菜と僕が盛り。

母親に、お茶を、と促す。

なにせ、僕の声のトーンだと、なかなか、聞こえないことになっているので、指差呼称だ。

すると、あれだけ、仏さん、仏さんと、嬉々とやっていたこと、その三点セットの一つだけを。

という促しなんだけど、もちろん、それはそれで、やっていて、で。

ああ、かんだるい、と言うんだね。

お茶を淹れることが、なのか、仏さんへしんぜるのが、なのか、わからないけど、僕の促しは。

ある意味、ストレスでもあるのかも、なんだけど。

ストレスを与えるのは、愛の一つの表現とも言えるね。

命の泉が湧いてくるのを手助けする、というわけだ。

命そのものから見たら、感情の、いいも悪いも、等しくて。

その根っこにあるもの、命の発露、というのか、命そのもの、というのか、それは。

怒りやら悲しみやら喜びやらの、表面にあらわれた、化粧されたものの、さらに奥底にある。

もので、そこへの刺激は、というか、マッサージと同じで、あそこの鍼灸師は、ぬるい。

みたいな言い草、あるでしょ、あれと同じだね。

今日は、きつめにやってよ、みたいなリクエストね。

そうすると、そこの道筋が、開かれ、通りが良くなり、筋道が明らかになる、といったテイの。

なんてことを、わが母親の仕草、振る舞いから学びもし。

上記、学問とは楽しいものです、という理系的頭脳の御仁の話にもつながるわけで。

まさに、学問とは、問いを学ぶ、と書いてあるよね、問いかけだな。

日常に転がっている、山ほどある問いを、日の元にさらけ出す、というのが、テーマでもあるね。

それが、学問だ、とたぶん、くだんのお二人の巨匠、と銘打たれた方々は、言っているのかも、です。

 

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雨に流される巴川も素敵だ

2016年06月23日 | Weblog

ふと、表題に迷って、窓の外を眺める。

そこには、巴川が流れている。

川を表現するのに、流れている、なんとか川、ってのは、ベタな慣用句みたいなんだけど。

わが巴川は、この時間、雨でないと、流れていない、というね。

時には、満潮に棹さして、上流に流れていく、んだから。

その昔、祖母の話か、曽祖母の話か、瓦屋のなんとかさんが、船で瓦なのか、なんだったのか。

を、運んだ、という情景が浮かんでくる。

ほぼ、フラットに近い川だから、満潮を利用して瓦を取りに上流へ、干潮時には。

その荷を清水湊まで、みたいなこと、あったかも、だな。

小さな試み、創意工夫、より効率的に、という成功体験の集積として、もしかしたら。

原子力発電所にまで至るような、大きなものも出来上がり、というようなことも。

なんだか、妄想できちゃいそうだ。

ことほどさように、人間て奴は、進取の気性に富む生き物で、つまり、未知への旅をいつだって。

してきたわけで。

未知への旅に、大きいも小さいもなく。

そこかしこに散在する、生命の発露、とでもいいましょうか。

資本主義が隆盛、猖獗を極め、そろそろ、終焉も、と囁かれる時代にあっては、モノの。

創意工夫が、どうしても優先されがちの、そんな価値観が、むしろ、人々の間には蔓延しているようにも。

見えがちなんだけど、その実、モノに限らず、コトとか、あるいは、個々人の内面への旅も。

静かかも、だけど、始まってもいて。

まるで、どこぞの新興宗教のキャッチ、みたいな、インナーへの旅、もね。

モノもコトもココロも、実のところ、そう、変わらないものではあり、むしろ、ココロが先で。

コトやモノは、後出しじゃんけんみたいなものとも言えて。

そうだ、わが骨ストレッチも、インナーへの働きかけ、インナーマッスルを緩める、というウタイだからね。

世は、インナー時代、とでもいいましょうか。

未知への旅、ということでは、わが母親が、毎朝、9時には、お迎えが来て、デイサービスへ出かける。

通常は、一時間くらいかけての朝食なんだけど、妻が、8時40分頃、かくかくしかじか、と伝えると。

ちゃっちゃと、1分くらいで、食事を終わらせ、着替えもして、さて、まだ、来ないのかね、遅いね。

とくる、らしい。

この40分頃の告知、というのか、くだんの創意工夫の賜物で。

8時の告知だと、お迎えの女性の来るまでの1時間は、まだかね、まだかね、どうしたんだか、ああしたんだか。

のオンパレードで、ということらしく、微妙は告知時間の変遷は。

未知への旅の集積、とも言えて、たくさんの未知への旅による、解が、40分の告知、というわけだ。

なんてことは、そこかしこにあるんだろうね。

あえて、上記、原子力発電所という記号を出したのも、創意工夫の結果の良し悪しは。

いちいち、未知の旅では、問われない、という法則があって。

つまり、結果主導の出来事ではない、ってのが、未知への旅の、これまた、魅力でもあるんだよね。

結果を恐れて、身構えながら話す、なんて、ああ、臆病、なんだよね、って、吉田拓郎も歌っていた。

もちろん、未知への旅の道中に、さまざまな彩色もなされるんだけど、それはそれ、何色だね、なんてのは。

暇人、というのか、昔の貴族のような、あるいは、なんだろう、とにかく、チャレンジしていないココロ。

のなせる技でもあり、というデキで。

雨も上がりそうな気配もあり、いや、また、降ってきたな。

当分、わが巴川は、暮らしのエネルギーの、ネガもポジも共に、大海へと流し去ろうという風情だ。

さて、今日は、安全パトロール、濡れて参ろう、ですか。

 

 

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エスカの味噌煮込みを食べた

2016年06月22日 | Weblog

案の定、並んでいるのか、とお店の前に佇んでいる。

という風情でいたら、お店の方が、おひとりさま?どうぞ!

ときた。

それにしても、toicaのカード持、となったら、快適だ。

小銭、用意しなくてもいいしね。

仕組み、よくわかってないけれど、靜鉄のバスでも使えるし、名鉄でも、だったから。

ますます、お金ってのは、コンピュータの画面に打ち込むもの、というね。

例の、金融緩和、というのか、円の増刷、なんていっても、実際は、印刷してません、というのか。

キーボードをカチャカチャと、ってわけで。

コスト、ますます、かからなくなってます、と。

誰だったかな、イギリスは、シティあたりで、王様に耳打ちした人、ローズじゃなく、なんか、そんな名前で。

戦争やるにもお金、必要だし、借金が溜まるんで、それを、帳消しにする仕組み、ね。

浜矩子さんね、経済学者の、あの方の、書名忘れたな、ロンドンの金融街の興り、をね、書いていたんだけど。

書名も忘れたし、帳消しにする仕組み、ってのも、忘れた。

早いね、忘れた、と言って、諦めるの。

そう、明らめる、にも通じるのです。

なんて話に展開してしまった、toicaなんだけど、どこか、南方の島では、大きな石が、いわゆる通貨だった、とかの。

話もあるけれど、軽いね、カード一枚だもの。

僕は、スマホのケースに入れてあって、スマホとともに改札口にかざす。

んだけど、大丈夫かな、と思いつつ、なんだよね。

iPhoneのさまざまなアプリが、誤作動しないのかな、と。

それこそ、反乱を起こす可能性も、ないわけじゃない、よね。

話題の、AIにしても、人間の聴き取れないメッセージを、どこからか入手し、なんて、SFみたいなこと。

ありそうだよね。

地震予知にしたって、学者のみなさんが、ご苦労されているんだけど、現在時点では、結果。

わかりません、くらいの話でね、中には、人工地震、地震兵器、なんて言っている方々も、だしね。

そもそも、今の科学は、宇宙全体の5%くらいしか、わかっていない、なんて言説もあるでしょ。

ま、5%、なんて数字使う時点で、傲慢にもほどがあるけどね。

だし、わかる、ということの、意味、ってのを、実のところは、解釈しなおす運動、がね。

この時代には、とても必要なんで。

わかるは分かつ、だ、という、つまり、対象物と自分とは分離している、という前提でもあるんで。

それ、どうなの、っていい方だって、可能なわけだ。

味噌煮込み、だった。

紙の前掛けしてね、熱いのでお気をつけください、と蓋に取りながら、ご飯をお代わりできます。

とね。

座るやいなや、御新香が出てきて、それも、お代わり、というのか、御新香を盛ったお皿を手にしたおねえさんが。

なくなりかけると、いかがですか、とくるので、性来が貧乏性な、当方なんで、お願いします、って、3回くらい。

うどんが出てくる前に、でね。

うどんは、相変わらす、硬い、というのか、腰がある、というのか、わが駿河の地での、うどん仕様とは違い。

以前、ここで送ってもらった味噌煮込みうどんセットね、自宅で、妻が調理してくれたんだけど、なかなか。

うどんが柔らかくならない、ということで、ダメだしだった、なんてこともあった。

その時には、妻と母親が、という感じだったので、まだまだ、母親の頭の中も、こちら側に近かったのでもあります。

さて、そんな名古屋エスカの近くを、本日もうろつくことになるのでしょうか。

 

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今日は名古屋

2016年06月21日 | Weblog

明日も名古屋。

なんで、泊まってきちゃえばいいのにね。

という感じの今日ではありますが。

巴川は、いつもの雨のように、流れています。

雨が降ると上流から押し出されるように、下流に向かって流れていくんだけど。

雨でない時は、この時間、満潮ということになるのか。

流れは停滞し、時には、上流に向かって流れたりしているからね。

川は流れる、と歌ったのは、誰だっけ、なんとか美樹?

でも、流れない時もあるんだな。

まるで、人生そのものを象徴しているような、ね。

夕べは、同友会の広報委員会ってのがあって、あの場は、流れていたな。

流れで、夕食を、ということで、40歳前後の方々と、総勢7名か、飲んだ。

自分より若い方々と飲むのは、楽しいもので。

汲めども尽きぬ、トレドの泉のような、触れなば落ちん、なんて艶っぽい言い方もあるけれど。

底の方から湧いてくる、エネルギーというのか、智慧というのか、生きる力というのか。

味わうのは格別でね。

極上の美味、とでも書いておこうか。

それもこれも、自分で言う、というごく当たり前のシチュエーション創り、ということが要諦で。

知らぬ間に、長幼の序、みたいなものも発動され、うっかりすると。

長老席、牢名主の席に座っちゃう快楽に、陥りそうになっちゃうけどね。

そこはそれ、抑制の効いた振る舞いがね、不可欠というやつで。

昨日は、それ以外に、行政マンさんや社労士さんとの会話があったんだけど。

どうもね、目の前のことだけを追いかける、というのか、今日の飯だけを食う、というのか。

目に見えることだけをテーマにする、というのは、かえって、迂遠なことになっちゃう、とでも書けばいいのか。

早い話が、急がば回れ、walk don’t run by ベンチャーズ、ってわけで。

順番を逆にする、というのか、遠くに思えるものが近くで、近くに思えるものが遠くにあり、というのか。

これ、たぶん、はからいから解き放たれる瞬間、とでも言えるか。

古来、高僧とか呼び習わされる御仁方が辿り着いた、ある境地かも。

わけわかんない話になりつつあるけどね。

外を眺めやれば、わが巴川も、逆流を始めた。

これじゃ、産み時も、死に時も、わからなくなっちゃいそうだよね。

さて、それでは本日は、名古屋の味噌煮込みうどんでも賞味するとしますか。

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