まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

魚のとり方

2011年08月31日 | Weblog
だれが言っていたんだったか。

魚を与えるのでなく、魚のとり方を教えなさい、と。

キリスト教の聖書にも出てきそうだし、仏典にもありそうな感じですね。

どうも、最近、どこかで見たような記憶なんだけど、きれいさっぱり忘れました。

しかし、疲れてくると、とり方はどうでもいいから、魚をくれ!

みたいな、短兵急な気分になりますね。

よくヤクザ屋さんが、誠意を見せろ!

なんていい方するそうですね。

つまり、金をよこせ、とでも翻訳しておきましょうか。

ま、ヤクザ屋さんにかぎらず、営業会議なんかでも。

どうして数字が上がらないんだ、やる気あるのか。

誠意を見せろ、ってなもんで。

心理的には、ヤクザ屋さんもしろうともあんまり、変わりませんね。

頼むから、わたしに、数字をあがさせてください。

と懇願されるような営業会議でなければね。

そこまで言うなら、しょうがないから、お好きにどうぞ!

というわけです。



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インド人

2011年08月30日 | Weblog
ひょんなことから、「インド仏教の歴史」と言う本を読み出した。

実は、「風のたより」というブログで、触発されたんだけどね。

そういえば、仏教って、あんまりよく知らなかったな。

とも思い出し。

文庫本だけど、最後まで、読みきるか、わかりませんが。

最近、ある人と話していて。

彼、フィリピンの女性といい仲になり。

ま、いろいろとトラブルがあったんだけどね。

その彼女、現地で借金しちゃったらしく。

なんて話しを聞きながら。

その金貸しって、インド人らしい。

インド人、うそつかない。

というコマーシャル、昔、流行ったな。

僕自身、インド人って、リアルには知らないので。

ゼロを発見した、とか。

カースト制度という極端な身分制度がある。

御釈迦さまがインドの釈迦族。

カレー発祥の地。

子どものやる九九は、二桁の掛け算、とか。

そのくらいしか知らないのです。

カレーに凝って、インド人の友達がいた娘のほうが、リアルには詳しいんだろうけど。

で、その彼が言うには、金貸しのインド人、12%の利息をとるらしい。

なんだ、と思ったけど、それ、年じゃなくて月、なんだと。

単純に計算すると、10万円借りたら、一年後には、12×12で、144万円返さなきゃならない。

よくヤクザやばくち打ちの間では、トイチ、なんていって、10日で一割なんてのもあったね。

日本だったら、貸金法だったけ、金利の上限を超えたものは業者が返済しなければなりません。

なんてのが、あって、僕の友人もいくらだか、返してもらった人、いたけどね。

誰かは、内緒、です。

インドといえば、ビートルズをはじめ、ミュージシャンが行ったね。

何百年前だか、日本からも三蔵法師が苦難の末、インドへ行かれたわけだ。

ところで、三蔵法師って、日本人だよね、ふと、あれって、思ったんだけどね。

顔つき見ると、日本にも、大勢、インドから黒潮だかシルクロードだか知らないけど。

それらは利用して流れてきた人々、いそうだね。

みんな金貸しや御釈迦さんじゃ、ないみたいだけどね。

今では、すっかり、日本人がいたについた仕草、言葉使いだけど。

そんなわけで、仏教はインドが発祥の地です。
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早起き

2011年08月29日 | Weblog
昨日は5時過ぎにアップしたので。

同級生の女の子からメールが。

早いアップですが、どちらかへでかけるんですか?

と。

なので、大日山金剛院へ行こうか、と思ってます。

またお会いしましょう。

とメールを返したんだけどね。

で、結局、川根の家山から登って、森町の三倉にある金剛院へ行って来たのです。

妻のリクエストで、先週も向かったのですが。

あいにくの雨で、手前の千葉山に予定変更したのでした。

この金剛院なんだけど。

杉の林立する山道を、くねくねと行くわけだ。

その前は、田園風景が広がる道を走り。

田舎暮らしをしたい、と言っていた長男坊に話題は集中し。

こんなとこ、よろこぶだろうな、と。

たしかに、教えてあげる田舎風景は、しこたま、あるな。

なぞと会話をしながら、金剛院到着。

妻のリクエスト、というのは、石像なのです。

以前来た時、またくるね。

と約束してきた石像なんだけど。

昔の火事だったか地震だったか。

各所を補修してある仏像で、その表情がどこにもないものだ。

と彼女は言うのです。

境内のすみに、ひっそりと地味に鎮座している。

写真も撮ってきたのだけれど、手元にデジカメがないので。

また機会のあるときに、ご紹介します。

ちなみに、金剛院ですが、家山の野守が池の南、家山川沿いを走っていくのです。

養老二年(718)、行基さんが大日如来を安置し開かれたそうです。

なにせ、何年か前、超能力者に、あなたの前世は行基さんです。

なんていわれたので、行基さんの開かれたお寺さんは気になるのです。

けっこう、あちこちにあるんだけどね。
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初舞台

2011年08月28日 | Weblog
この間、バツイチ別荘男と呑んだとき。

俺、弱いから。

を連発した。

気も弱いし、力も弱いし、頭も弱いし、酒も弱いし、女にも弱いし。

みたいな調子でね。

ふとね、強さは弱さだな、という気になってね。

あえて、弱さを強調したくなって。

人生は、勝負だとか戦いだとかの仮説が、結構、男社会のなかでは流行っていてね。

議論に勝つ、とか、商売敵に勝つ、とか、マッチョがはびこっているわけだ。

若い頃は、喧嘩に勝つ、とか。

すでに、舞台は暗転していて。

「夢芝居」じゃないけど。

恋はいつでも初舞台、と。

ほとんどの人が。自分の人生に恋しているのだから。

いつでも、初舞台だから。

弱さをきどっていれば、そのうち。

弱さからも強さからも、自由になれそうな気がしてね。

自虐的でなく、傲慢でもなく。

風にゆれる柳腰、といったところかな。

「夢芝居」には、こんなフレーズもあります。

 化粧衣装の花舞台

 垣間見る 素顔可愛い

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七回目の文明

2011年08月27日 | Weblog
それ系の人々の間では。

まことしやかに、今回の文明は地球始まって七回目である。

みたいなことが、語られたりしているね。

誰が言っていたか、忘れましたが。

以前、ご紹介しましたが、ホピだったかナバホだったか、つまり、ネイティブアメリカンですね、では、黄色い石を掘り出すな。

という伝承があるそうだしね。

黄色い石というのは、ウランのことで、今回の福島第一のような原発事故が遠い遠い昔にあったのかもしれない。

「ノアの方舟」で有名な洪水伝説であったり、あるいは、どこか掘り出した遺跡には原爆のような高温でなければ溶けない物質が残っていたり。

あるいは、アトランティス大陸は、なんとかエネルギーで一瞬に沈んだ。

というような話もあり。

ひょっとしたら、今生き残っている人類というのは、放射能への抵抗力が強い人達じゃないのかな。

という仮説が浮かんだのです。

沢田昭二さんという名古屋大学の名誉教授がいらっしゃって。

内部被曝とかの研究をされているんだけど、その方。

昭和20年、爆心地広島で被曝され。

本人曰く、1500mSVくらいあびてるんじゃないか、と。

しかし、母親に感謝しているんです、放射能への抵抗力が強く産んでくださって。

その言葉をお聴きして、そんな仮説が浮かんだという次第です。

こんな仮説は、微妙なもので、現に福島由来の被曝で不安になっているお母さん方からは、顰蹙ものですが。

こんなことをうだうだと考えているのも、今回は、大津波に加えて放射能汚染が大きくて。

復興に至る道程は、人類史上初めての試みになるので。

震災前から、世界のパラダイムは変わっていて、ま、舞台ですね。

その舞台に馴染もうとする中、311が起こってしまったわけで。

舞台がかわれば、考え方、感じ方、身の処し方もろもろ、変わらざるをえないわけで。

あるいは、大胆に変わってもいいんです。

という神からの託宣でもあり。

なので、日本は強いんです、他の国とは違って選ばれた国なんです。

なんて、力まなくてもやっていけるような価値観が、産まれくるように思えます。

夢よもう一度、じゃなくて、自由に新しい夢をみればいいだけの話で。

そんなわけで、七回目の正直です。
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中通り

2011年08月26日 | Weblog
福島紀行とでも銘打って、報告したいのだけど。

なかなか、まとめるのには、骨が折れる。

ので、取り急ぎ、こころに残っていることを書いておきます。

例会もおわり、二次会の後。

日本酒を少し飲みたいね。

と、妙齢のご婦人ふたりをともなって入ったお店。

いただいたライターには、倶楽部あーむ、と書いてある。

入り口に日本酒の銘柄をかいた写真があって。

それに誘われ。

お客さんがいなかったので、マスター、一緒に飲もうよ。

と震災四方山話しをおききしながら。

福島県は、浜通り、中通り、会津と東から順にわかれているようで。

浜通りは、地震、津波、原発。

中通りは、地震、放射能。

会津は、どちらかといえば、無疵。

このお店は、福島市だから、中通りにあるわけだ。

震災当時は、浜通りから、20数人、お店の二階へ避難してきた、と。

今では、中通りが、飯館村をのぞけば、いちばん線量が高いんです。

というんだね。

たしかに、二週間前、福島駅の前にある、交番の脇で測ったら、7.7μSV/hというとても高い線量だった。

と、駐車場係りの大将が話してくれたっけ。

8760をかけると、年間、67.45mSVになるからね。

京大の小出助教のように、放射線を扱う職業の方の年間許容量が、20mSVなので、そりゃ、ハンパじゃないわけだ。

また、タバコすうところが、その横のトイレの近くで。

もちろん、僕は、そこで、何度か、タバコを吸ったんだけど。

正宗を呑みながら、マスターと話すうちに、若い男女が二階からおりてきて。

二人ともお店の方で、男性は、相馬のちかくの新地町が実家で。

その町は三分の二が、津波で流された。

自分は郡山で仕事をしていて、何時間だかかけてたどり着いたときには、月夜でもないのに光って見えた。

一面、海の水だったそうだ。

実家は、幸いにして少し高田にあったので無事だったけれど、親戚の方々の多くは犠牲になった、と。

その彼、「涼風」というデュオのプロデューサーをされているようで。

静岡へおいでよ、と酔った勢いで約束してしまったんだよね。

彼らの曲をながしてくれたんだけど、アコースティックで、なかなかよかった。

彼らも被災し、避難所暮らしをしているそうで。

そういえば、マスターが言うには、お金持ちや知識人たちは、家族を遠くへ避難させているんだ、と。

まだ、いろいろ、話はあったけれど、とりあえず、今日のところは、このへんで。






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福島

2011年08月25日 | Weblog
友達に、こういう名前の人がいるんだけどね。

息子たちには、釣り名人と言われているのですが。

と、まえ振りからおわかりのように。

今、福島にいます。

同友会の関係で。

福島支部の例会に参加、のためです。

昨日、相馬市まで走り、被災地を見てきた。

松川浦という、たぶん、風光明媚な地だったんだろうな。

と思えるような、津波の跡をみて。

また、言葉を失う。

ホテルの部屋で、書いてます。

アップが遅れ、ブログまだ?

というメールが、今、入りました。

そんなわけで、出発間際のバタバタアップです。

福島報告は、また、後日、ということで。

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健全性神話

2011年08月24日 | Weblog
夕べは、ある県会議員を囲む会があり。

メニューはいわし料理オンリー、というお店で。

清水駅前近くの「善」さん。

よし、と読みます。

10人ばかりで、おなか一杯食べて。

参加者のなかに、食品の検査会社の社長さんがいらして。

その方、名刺には、医学博士と書いてあり。

各地で、放射能に関した講演をされているようで。

帰りがけ、お聞きしたところによると。

シーベルトとベクレルの違いを、地震になぞらえて説明すると。

おばさんたちにも、そうなんですか、とわかりやすいそうで。

つまり、シーベルトがマグニチュード、ベクレルが震源だったかな。

震度だったかな。

僕自身、よくわからなかったので、うろ覚えだね。

おなかいっぱいで、頭に血が回っていなかったかも。

その後、二次会で、二時間ばかり、カラオケを唄い。

表具屋の大将も合流し、というか、呼び出され。

明日も早いし、ということで。

タクシーに乗り込んだら。

運転手さんが、テレビを見ていて。

深夜の引退会見が流れていた。

なにかの番組のネタなのかと思っていたんだけど。

島田紳助の、突然の芸能界引退会見、ということだった。

暴力団関係者との付き合いをしていたので、やめます、きっぱり。

みたいなノリだったな。

同乗の糠漬け師匠ご主人は、お好きだったようで。

とても残念がっていたし、もう一方も4本のレギュラー番組のうち。

ふたつをよく見ていたようで、見れなくなっちゃうな、とこれまた残念、と。

それにしても、芸能人、って、やくざとつきあっちゃ、だめなんだね。

知らなかった。

ぼくは、やくざは好きじゃないけどね。

話し方からして、相手の弱いとこ、弱いとこ、ついてくるし。

しかし、吉本興業の創業者をはじめ、さまざまな芸人さんたちも、草葉の陰で話してるだろうね。

世の中、変わったね、なんて。

というか、ひょうっとしたら、笑ってるかも。

芸能がエンターテインメント、興行師がプロダクションとカタカナになり。

だぼシャツが、ネクタイ・スーツになり。

コンプライアンスとかいう標語のもと、みんな「健全」になっちゃってね。

山口組の入社式は、ネクタイ着用が義務付けられている、とか聞くとね。

ますます、わかりづらくなって。

黒白、はっきりしなくなっちゃったわけだ。

やっぱり、着るものから、仕草まで、ちょっと、変えてくれないと。

見分けがつかないからね。

なので、健全性が神話になっちゃいました、という原子力の安全性の神話と重なってしまうのです。





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英雄待望

2011年08月23日 | Weblog
現在のように、国の意志がうまく示せないとき。

とでもいうのか。

そんなとき、よく出てくるのが、英雄待望論、というやつですね。

ナポレオンにしても、ヒトラーにしても。

あるいは、ギルガメシュやアレクサンダー大王などなど。

ある方向から見れば、胸のすくような思いがするわけだ。

一気呵成に物事を成し遂げる、とでもいうのか。

実際の彼らがどうだったか、というのは、よくわかりませんが。

わが郷土にも、すごい人がいた、というお話です。

焼津の第五福竜丸の船長、久保山さん。

1954年、ビキニ環礁で、死の灰を浴び、半年後になくなった方です。

アメリカによる水爆実験が行われ、想定より大きな爆発になってしまった。

ので、危険指定区域外にいたんだけど、被曝してしまったわけだ。

さんご礁が、白い灰のように降り注いだらしい。

爆発の起こった瞬間、これは、ピカだ。

と判断し、即、無線をきった、というんだね。

見つかれば、アメリカ軍に撃沈される、と判断したというんだね。

それから、2週間かけて、母港、焼津港へ無線連絡せず、ひっそりと帰ってきて。

さんご礁のかす、つまり、放射性物質だね、それをビンに詰めて、隠した。

もちろん、アメリカ軍に接収されることを予測して、だ。

1954年といえば、長崎、広島が被曝して、まだ10年たっていないので。

ある意味、気持ちは、戦争状態だったのかもしれないけれど。

その瞬間の船長の判断というのは、すごいな。

平和ボケした今の時代では、とても、そんなリーダーはいそうにもないよね。

結果、ご自身は死んでしまうのだけど、乗組員23名を救ったわけだ。

全員被曝したわけだから、その後の生活は大変だったのだろうけど。

その後、日本国内では、大きな原水爆反対の動きが起こる。

署名が3200万、というから、すさまじい反対なわけだ。

日曜日のTBSだったか、特集されていた。

それで、原水爆を平和と戦争用に使いたいアメリカは、とても困ったことになった。

そこに、読売新聞の社主、正力松太郎が登場し、核の平和利用という大キャンペーンが始まるわけだ。

福島第一原発の事故にいたる道が、すでに、そのときに引かれていたんだね。

うそ、というのか、不都合を隠す、というかね。

それはともかく、久保山船長という方が、60年前、この国には存在した。
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さきの大戦

2011年08月22日 | Weblog
さきの大戦。

というと、このあたりでは、太平洋戦争のことをいい。

京都の方は、応仁の乱のことを言う。

という、笑い話というか、小話というか。

ありますね。

アメリカ大陸の先住民、にとっては。

戦争は終わっていない。

その戦争は、1492年、イヨクニモエルコロンブス、から始まった、と。

文明人たちは、地球は自分たちのもの、といい。

先住民たちは、われわれは、地球のもの、というらしい。

そして、4000年、5000年昔の話を、普通にし。

7世代先の話をするらしい。

<iframe width="420" height="345" src="http://www.youtube.com/embed/LQIVmdpWWWs" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

たまたま、youtubeで、こんな動画があり。

妻ともども、見入ってしまった次第で。

彼ら、アメリカン・インディアンと呼ばれる人々は、われわれ日本人と、どこか似ている。

と北山耕平さんは、言うんだね。

どこの土地にも、先住の民と、あとから渡来した民、とはいるんだろうけど。

そういう意味では、長いスパンであったり、短いスパンであったり。

そんなことの繰り返しなのかもしれないけれど。

なにせ、わが町でも、自治会なんかの活動のとき出る話しでは。

あの人は、まだ来たばかりでしょ、40年くらいだっけ。

みたいなね。

4000年とくらべれば、そりゃ、みじかいけど、住むには十分長い時間でしょ。

とも思うんだけど。

よそ者、という意識ですか。

この場合は、まだ先住民が優勢な感じで、会話しているわけだけど。

渡来人が、強力な武器と生産方式なんかを持参してきた日には。

そりゃ、先住民は、どうぞご自由に、なんて言ってられないんだよね。

暮らし方そのものが、否定されてしまうんだろうから。

北山さんは、縄文との出会い、みたいなこと、言ってましたけどね。

この動画で紹介されている写真は、アメリカ大統領、トルーマンによって。

ネイティブが、絶滅するまえにとっておけ。

みたいな命令から始まったみたいなんだけどね。

自分たちは地球のもの、という彼らにとって、すべての生き物とは仲間なわけで。

人間の体にたとえて。

細胞同士が争っていたりしたら、そりゃ、病気なんでね。

癌にもなります。

みたいな状況でもあるわけです、この時代というのは。

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