まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

440万年前のラミダス

2018年12月31日 | Weblog

夕べ、夜中に目が覚め、テレビをつけると。

人類なんとかの未来編、ってやっていて。

人類が、二足歩行を始めた頃、それが表題で。

ラミダス、と言ってるんだね。

ちょうど、アフリカの地溝帯に大変化が起こり、東西を分ける山脈ができ。

東の西では、環境が激変する中、二足歩行が有利になって。

と言うストーリーだった。

それ、眺めながら、現代においても、そんな変化、ありだろうな、と思った次第で。

樹上生活する人種と二足歩行を始めた人種、とでも言うか。

人種というのは、ちょっと、表現が違うけど。

どこが、地溝帯なのか、何を持って地殻の変動というのか、なんてのは。

それぞれの論者によって、さまざまだけど、よく言われるのが、AIだよね。

それに限らず、いろんな要素が、大変化の予測に使われてもいるんだけど。

講釈師、見てきたような嘘を言い、だっけ、占い師も似たようなものか。

そんな具合に、たぶん、新春号、なんて雑誌、新聞は、特集を組むんだろうけどね。

それに押されて、当方も、来年はイノシシ、なんて宣ってるわけだ。

未だ来らず、の未来予測図、華やかなり、って。

くだんのラミダスも、生存のための色が満たさレ始めると、消化器官が小さくなり、変わって。

跋扈、いや、主力になりつつあったのが、脳で、なんて番組では言っていた。

エネルギーが、消化に使うことから脳内の、それこそ、神話を作り出すために使われ始めた。

ということだね。

そんなご先祖さま方の営為の末が、今日という平成最後の大晦日だ。

このブログを、一年間、ご愛顧賜り、心よりの感謝、と。

皆様にとりまして、来たる年が、素晴らしい年でありますこと、ご祈念申し上げ。

2018年のブログの〆とさせていただきます。

どうも有難うございました。

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足を測っていただいた

2018年12月30日 | Weblog

足の計測。

すごいもんだ。

足を見るだけで、捻挫してきた過去やらも瞬時に言い当てられ。

骨盤が曲がっているのや首の骨が詰まっているのや。

そんなことあんなこと、わかっちゃうんだね。

足が細い、足の裏が細い。

そうで。

PCに繋がれた台の上に立ち、その力のかかり具合が計測され。

こないでました、みたいなものだけど。

かくかくしかじかで、骨ストレッチなるものをはじめ、毎朝、1000歩。

ボールウォーキング、ってやつもやってるのです、とまでは言わなかったか。

とにかく、筋トレみたいなもの、やってます。

と言うことは伝わったかも、だけど、骨格がね。

ねじれている、とでも言うのか、そんなことが、今更ながらに判明し。

と言っても、タムタムさんで、例の、足裏マッサージ、カイロプラクティック、と言ったか。

そこでも、行くたびに、骨盤、左側にねじれてますね、とりあえず。

元の位置に戻しておきました、なんて施術もしていただいだりはしていたんだけど。

さらに、足の左右の長さが違うので、なんてことから。

靴底に敷く、インソール、を作ってもらうことになった。

来春早々に、時間をとっていただき、ついでに、親指の爪を綺麗にしていただくことになった。

年の暮れに、わがカラダの、正常ならぬ部分についてご指摘いただいたわけだ。

靴育、と言うことらしい。

それにしても、こんな感じで、いつもおつきあい願っている、ま、相棒だね、カラダの。

足を基点にした確認作業、ってのは。

野口体操なんかで、体癖、カラダの癖だね、そんな言い方もあるようだけど。

心癖、思考癖、嗜好、固着した考えの通路、みたいなこととあい通じ。

カラダとココロの癖を、治す、と言うより、まずは、気づく、と言う意味で。

とてもいい時間だった。

世の中には、いろんなこと、いろんな考え、あるんだね。

靴のサイズも、例えば、僕は25.5センチなんだけど、その横に。

A〜Jだったかな、文字が並び、微妙な違いがあるらしく。

Eなんてのは、見たことあるけど、ね。

欧米人は、靴の文化なので、そのあたりの微妙な違いを個人個人が大事にするし。

要求精度も高いんだけど、畳文化の当方、日本では、割といい加減なんだ、と。

だから、巻き爪であったり、そんなことも、靴のせい、ではなく、個人のせい。

とかになっちゃうらしい。

昔の中国で有名な纏足、なんて世界だな。

と言うわけで、カウントダウン、始まりつつある本日、母親が帰宅。

さて、骨、行きますか。

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御用納め、仕事納め

2018年12月29日 | Weblog

本来は、どう言うのか。

僕の周りには、親方日の丸の御仁が多くて、と言うのは。

おじであったり、おばであったり、なんだけどね。

子どもの頃から、御用納め、と言う文字が頭にあるんだな。

そもそも、御用、なんて言葉からして、お上の云々、なんて感じではあるね。

なんてことはともかく、昨日は、そう言うわけで、そのあと。

忘年会。

毎年続くものだ。

ちょっと前にも書いたけど、少なくなったな。

寄ると触るとの、忘年会、と言う言葉にかこつけての呑み、は、減った。

なにせ、朝、4時起きでしょ。

中途半端な飲み会は、ま、いいか、ってなもんで。

そう言う意味では、随分と、健康にはいい話でもある。

それにしても、佳いお年を、と言っての別れ際、ってのは、割と好きで。

祈りだね。

とにかく、佳いお年をお迎えください、と言うわけだ。

今年は、どんな年だった?と昨日から、会う人ごとに聞いたりしているんだけど。

佳い年だった、と言う方には、そりゃ、来年も佳い年になるね、と応じ。

そりゃそうだ、過去の自分を褒めることができる、と言うだけで、めでたい。

そんな心の方向が、たぶん、人を幸せにするんだな。

ところで、今季最強の寒波、なんて文字が、テレビ画面に映されていて。

さぞかし、該当地域の方々は、大変なことだろうな、と。

それに引き比べて、わが駿河の地は、穏やかで、申し訳ないくらいの話だ。

そうだ、昨夜の忘年会には、古くからの知り合いで、最近。

ベトナムで会社を立ち上げた、と言う御仁もきてくださり。

んじゃ、来年、連れてってよ、なんて話になったんだった。

この時期になると、来年とはいえ、iPhoneのカレンダーには。

あれやこれやの予定が、一杯書き込まれてあって。

これって、いったい?

ってなもんだ。

未来を切り取る、とか言い換えると、このスケジューリングなんてのは、神への冒涜。

かもしれないな。

誰も知り得ない、今日ならぬ日を、これこれこうする、なんて切り取っちゃうんだからね。

もっとも、そんなことしなけりゃ、何事も進みません、と言うのも事実ではあるけれど。

さて、もういくつ寝るとお正月なのか、そんな朝。

そろそろ、いつものルーティンに行くとしますか。

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積小為大(せきしょういだい)で読みはいいかな

2018年12月28日 | Weblog

今朝の表題は、ベタだけど。

昨日、福島から届いた便り、あるコンサル会社さんからの定期便。

その中にあった言葉を書いてみたんだけど。

早い話が、小さなことの積み重ねが大きな事になる、ということなんだろうね。

二宮尊徳の言葉らしいね。

誰が言ったかはともかく、この年の暮れにやってきた言葉。

もう一つ、森信三さんの。

「一眼は遠く歴史の彼方を、そして一眼は却下の実践へ」、なんてのも、あったな。

うまいこと、言うね。

って、森信三ファンには、軽いコメントで失礼かも、だけど。

こう言った言葉って、軽く、と言う気分を持たないと、なんとか至上主義になりがちでしょ。

古人の言葉にすがりつくような、実感、体感を伴わない、ってやつね。

どれだけ、当方、それで回り道をしたことか。

なんて反省の弁、ってわけだ。

前にもちょっと書いたかも、だけど。

浜松に、「しつけの日管」という設備会社さんがあって、そこへ、何年前になるのか。

三輪さんと言う社長さん、台湾の李登輝大統領と、たしか、大学時代、バッテリーを組んだ。

と言う方だったけど、興津の御仁と訪ねたことがあって。

玄関入ると、ガラス張りの会議室があって、そこには。

売り上げから粗利から大書した紙が貼ってあって。

ガラス張り経営です、ってわけだ。

社長室に通され、昼食にうなぎをご馳走になり、ビール、どうですか、くらいの。

で、帰りには、長州名物のお土産も。

なんてことがあったんだ。

黄金にでも輝く、くらいの眩しさを感じながらの時間でね。

その三輪さんが、先輩たる、長府製作所の社長が、と話し始め。

これだけ、たくさんの失敗してきたから、これからの人生が楽しみだ。

なんてね。

くだんの社長さん、お年は70歳を過ぎ、80歳の大台に乗りかけていたか。

他にも、自分の言ったことしか本気になれない、とかね。

以来、僕は、三輪さんにぞっこん、惚れてしまった乙女のような、みたいなね。

彼の講演会では、一番前の席で、話す言葉のすべてを自分のものにしたくて。

殴り書きのメモをとっていたんだ。

すると、そんなに書かなくてもいいよ、なんて話しかけてくれて。

そんなシーン、思い出すな。

ことほどさように、彼我の差を感じ、追いつきたい、と背中をみて歩いた時期もあった。

と言う感じの、古人の言葉への憧憬も、体感しているから、アリはアリだけど、ないとは言いませんが。

なんて気分が、表題から続く一連の文章でもあって。

と、御用納めの朝に、思い浮かんできたことを書き連ねてみた次第。

さて、冬至から数えても一週間弱、うまい時に、今年の〆でもあり。

さらには、来たる年への想いをたぎらせ、と言うわけだ。

少しずつ、明るくなるのが早まっているのか、そんな気配の中、骨ストレッチに出かけるとします。

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紙をなくしたいんだよね

2018年12月27日 | Weblog

昨日は、同友会の理事会があって。

そこで、iPad Proに、例のね。

Apple Pencilでメモしていたら、羨ましそうに、隣の御仁がおっしゃる。

紙屋さんには申し訳ないんだけど。

僕さ、ファイル、下手だから、これだと、助かるんだよね、ワンストップ、ってやつかな。

と応じもしたんだけど。

見渡してみたら、電気だらけ、電気依存も甚だしいね。

全道停電、になったら、どうしよう、の世界だな、まったく。

は、ともかく、いろんなこと、やってるんだな、と思うよ。

ノートがわりのiPad、ね。

そんなこと、好きなんだろうね、きっと。

じゃなきゃ、やらないでしょ。

この正月休みには、歴史の旅のファイリング、だな。

全部スキャンして、と。

果たして、どうなりますやら、だけどね。

今回の休みは、10日近いのかな、このところ。

世を挙げて、休め休めの大運動会の様相で。

僕がこの業界に入った頃には、先輩方が、俺らの若い頃は、と。

月に二度、休みがあっただけで、なんて酒のつまみがわりに聞かされたものだけど。

その前は、落語の世界、つまり、「薮入り」では、あれ。

年に何日かの休み、って調子だよね。

それが今では、この間も、会社に訪れた、何とか省の出先の方か、有休はどれくらい取れてますか。

みたいな質問を、会社の若い女史に聞いていたな。

まだ、休め、ってわけだ。

共同の幻想、というのか、無意識、というのか、集合無意識、ってのね。

あれに、休め!みたいな気分が書き込まれて、休みの合間に仕事、なんてことにも。

そのうち、なるかもしれないな。

そうは言っても、そもそも、仕事って、ほんとのところ、なに?

なんて、かなりへヴィーな問いも投げかけられてもいて。

そりゃ、家族を養うためでしょ、とかさ、好きなことするためにお金、いるでしょ。

とかね。

ほんとにそうなの、って。

ほんとに、ほんとに、そうなの、って逆質問を投げかけてみたいものだ。

もし明日死ぬとしたら、みたいな設定、あるでしょ。

それでも、その仕事、やってるの?なんて、ちょっとベタすぎる質問だけどね。

なんてことを、押し迫ったこの朝に、考えている僕っていったい?みたいな。

展開になっちゃったけど、さて、骨に行くか。

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榊の端部をハサミで切った

2018年12月26日 | Weblog

水の吸い上げが楽になるようにね。

これ、実は、興津在住の叔母から教わったんだ。

榊の枝を、毎朝、洗うんだけど、ぬめりを取るのに。

しかし、日が経つと、端部が、硬化しちゃうのか、そこを新鮮にするわけだ。

これをしたくなると、叔母を思い出す。

って、まだ存命中なんだけど。

90歳を超えたのか、元気に歩いてる。

ちょっと、おぼつかない部分はあるけどね、記憶などに関しては。

それでも、毎回、おじおば会を楽しみにしてくれていて、ありがとうね。

の言葉を何度、聞くことか。

そんなことまで思い巡らす、榊なのでした。

こんな具合に、一つ一つの小さなことに、ある人が住んでもいて。

その都度、その人と一緒の時を過ごすことになる。

そりゃ、多くの神様になっちゃうよね、カマド、トイレ、玄関、お勝手、とかさ。

一つ一つのことに、丁寧に気を止めて、と。

今朝の珈琲は、2018年度産、一番摘み、と書かれた、ブラジルから届いた。

100%ブルボン。

ピーベリーと言って、粒が小さいんだ。

農園主が、オーランド・ナカオ、となっている。

この二世なのか、三世なのか。

それを見ただけで、移民のご苦労に思いが至る。

味は、濃厚で甘く、しかし、アフターに苦味、と言ったところ。

まろやかで、この味に、どれだけ多くの人が、癒されたんだろう、なんて思いを巡らす。

冷めても、甘さは持続。

昨日は、賞与の支給、やっと肩の荷が降りた。

しっかりした評価制度のない中、それぞれの顔を思い出しの、鉛筆なめなめの時間。

それはそれで、とてもいい時間ではあるんだけど、頭が焼き切れそう。

というのか、そんな感じでもあったな。

一人一人の仕事ぶりを思い返し、これでいいのか、これではダメか、とかね。

そんなことが、この何日間か、頭の中を駆け巡っていた。

そんなものはこうですよ、とスマートに、合理的に、なんてこともあるんだろうけど。

これはこれで、一つ、わが社の味、100%のブルボンじゃないけどね。

ところで、副島隆彦の「歴史再発掘」、読了。

デヴィ・スカルノも取り上げられていて、スカルノからスハルトへの交代劇。

ま、ひどい虐殺もあったようだけど、インドネシアのね。

アメリカが絡んでいて、みたいな話だった。

そういえば、アメリカが震源の、株の急落があったね。

すわっ、いよいよか、みたいな論調もあるけれど、くだんの副島先生は。

大丈夫、心配するな、と宣っている、よ。

そう、昨日だったか、例えば、300万の年収の人が、2011年には281万の手取り、2017年には。

261万の手取り、20万、減っている、なんて記事、どこかのサイトに流れていて。

そりゃ、凄まじい収奪だよね。

それでなくても、賃金が増えない、から、増やせ増やせ、の大合唱でしょ。

むしろ、それでなくても、というより、そうだから、つまり、手元に来るまでに。

どこかへ消えちゃうんじゃないの、ってわけだ。

賞与の額、決めていても、これ、結果、これだけになっちゃうの、って次第で。

悲しい思いは数知れず、ってなもんだ。

かといって、行政の方も親しくしている方、多いんで、公務員の数、半分にしろ、みたいな。

そんなこと言えないけど、ね。

なんて繰言は、師走の朝にはふさわしくないか、いや、どんなことでも、吐き出すことは。

いいことだ。

呼吸だって、たぶん、吐き出せなくなった時、死を迎えるんだと思うよ。

吐き出せば、新しい息吹となるんだ。

みんな、優等生、お利口さんばかりになっちゃってる世相だから、息苦しいんだ。

みんな吐き出せ!

さて、当方も吐き出しに行くか。

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ひさびさのケーキ屋けんちゃんの登場

2018年12月25日 | Weblog

って、彼の名前が出てきていたのは、何年くらい前なのか。

けんちゃん、というのは、僕の中での通り名。

その昔、エロビデオかなんかの主人公の名前だっか。

洗濯屋のけんちゃん、か。

クリスマスイブにつき、昨日は、彼のところへケーキを買い求め。

なんだけど、予約もせずに、なんで、そりゃ、奥方も困惑したんだろうな。

こちらも、恐る恐る、なんでもいいですから、余ったものでいいですから、くらいの調子で、ね。

余ったもの、という言い方も失礼なんだけど。

で、結果、チョコレートケーキをいただき。

夜の、クリスマスパーティと相成った次第。

パーティ、なんてしろものではなく、お茶飲みながらの、だったんだけどね。

美味しかった。

濃厚な生チョコが、しかし、そんなにくどくなく、一同、礼!ってなもんだ。

しかし、なんやかんや言いながら、今週で終わるね、今年も。

30日には、母親も帰宅し、お正月モードとなる。

今日は、全体ミーティング、と銘打って、いわゆる営業会議、というやつ。

上半期の成績を確認し、それぞれからの、それぞれへの、メッセージの発信。

そんな時間を過ごし、というわけだ。

このところ、何回か書いてるかも、だけど、己亥(つちのとい)。

来年の干支が、気になっていて。

あまりにもわが社にぴったりくるので、ね。

新しい生命力が種の中に閉じ込められている状態、と亥(いのしし)年について、書かれてあって。

僕の中では、種を宿している、と言い換えたくもあるんだけど。

つちのと、というのが、土の弟、土の陰なんだそうで、それとの組み合わせ。

つちのと、というのは、十分に成長し、整然としている状態、ということらしい。

いずれにしても、悲喜こもごも、それぞれがそれぞれの世界の神話を創出し。

新しい歳を迎えるわけだ。

さて、朝まだきの風情の中、骨ストレッチに向かうとするか。

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満月が煌々と冴え渡り

2018年12月24日 | Weblog

って、実際には、満月から少し経ってのか。

同時に、明けの明星、金星なんだよね。

その二つに見送られながら、自宅を出たのでした。

金星といえば、サナート・クマラだ。

40万年前だったか、金星からやってきた、という伝承が鞍馬山に残されている。

のだから、来たんだろうね。

フェイクニュースが、何千年も残っているというのも、変な話だし。

ところで、昨日は、三冊、本、買っちゃったよ。

またぞろの病気、ってやつだ。

エキセントリックな思想家、副島隆彦の、「歴史再発掘」と夢枕獏と科学者の対談、「縄文探検隊の記録」。

それから、橋本卓典の「金融排除」。

一体全体、いつ読むんだ、ってなもんですが。

自宅にも、積読本が、文字通り並んでいるのに加え、事務所にも、何冊か、未読があるんだ。

今朝は、どうも、気になっている、出口治郎さんの「全世界史上・下」の文庫本も見つかり、ほんと。

本が好きだね、読むのが、というより、コレクターになっちゃいそうだな。

そうそう、この間、土曜は寅さん、観たんだった。

娘と二人の夕餉、世代をまたいだ鑑賞、ってのも、なかなか、よくて。

年代やら何やら、娘がチャッチャッとググる。

iPhoneが、世代の隙間を埋めてくれるんだよね。

その昔、年の離れたいとこと、寅さんとドリフターズの二本立て、を観に行ったことがあって。

ドリフはうけていたけど、寅さんには、反応なし、なんて場面に遭遇したんだけど。

笑いでも、涙の、とか、なんともいえない機微の混じったものには、それなりの、心の。

経験というのか、そんなものが必要でもあるんだね。

なんてこと、気が付いた瞬間でしたが。

そんなことも、披露しながらの土曜の寅さんだった。

昨夜は、隣のいとこがやってきて、よもやま話。

こちらは、行きつけの酒屋さん、清楚な、理知的なおかみさんの推奨の。

英君、樽酒(瓶詰め)をいただきながら、彼は、持参の角瓶。

そんなお酒を味わいながらの夜も、これはこれで、至福のひととき、というわけだ。

さて、クリスマスイブの本日、ちょっと、現場へ顔だしてこようかな。

そう、仕事している組もあるんだよね。

ほんと、よく働くよ。

働く、ってなんだろうね、本質に迫ること、真髄を文章化しておきたいくらいだ。

お為ごかしの「働き方改革」ではなく、ね。

義務と権利という言葉を使えば、権利としての働く、ってこと。

ワーク・ライフ・ハーモニーだよ、まったく。

ということで、出かけます。 

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表題が決まらない

2018年12月23日 | Weblog

たくさん書くことがあって。

と書くと、いかにも、だけど。

昨日、山極寿一さん、ね。

つい先日、歴史の旅の仲間から、教えていただいた学者さん、京大の総長。

ゴリラと寝食を共にした、という方で、関口宏の番組に出演されていて。

どのくらいの期間だったか、すると、ゴリラ語になってくるらしく。

初めて会うと、who are you?みたいに、ホッホッホッ、と問いかけてくるから。

ウオッホ、くらいに答えると、そのトーンなのか、波長なのか、で、仲間と。

まずは認識してくれるらしい。

サルは、人間に対しての恐れがあるので、人間のペット、という位置付けになるようで。

しかも、サル山のボス、というような互いの関係の結び方をする。

一方、ゴリラの方は、人間が、ゴリラのペットになる、という位置付けらしく。

さらに、互いの諍いを、なだめる、お互いのメンツを立てて、収める。

という平和主義、あるいは、関係の仕方が、ボス支配というのでなく、なんてこと。

ちょっとの時間にお聞きして。

そうか、やっぱり、カワウ君たちのしんぶん、ありだな、と納得したわけだ。

しかし、この時代、人間たちの関係性は、サル化してるね、とお二人が話していたな。

今朝の表題が決まらなかったのは、この辺りの話に引っ掛けて。

例の、炭鉱に入るときに一緒に同伴願う、カナリヤくんね。

空気の汚れ、を人間より早く察知する能力を持っている、ということでね。

その話に、どこかで繋がりそうだ、とどこかの瞬間に閃いたんだけど。

それ、忘れちゃって、というわけだ。

いずれにしても、当たり前だけど、人間以外のコミュニケーション、とでもいうのか。

なんらかの交信が確実に存在するという確信、ってなんだか、親父ギャグみたいだけど。

そんなことを追認してくれるような番組だった。

日々の生活、なんて言葉で、忙しい、とか、時間がない、とか。

いろいろとネーミングされている刻々たる時間だけど、それはともかくとして。

今流れていると思っているモノ、実は、ちょっと、ひいてみたら。

そりゃもう、万華鏡のような、理解を超えた交信が。

そこかしこに飛び交っている、んだな、たぶん。

人間という解釈を超える、まさに、神人たらんと、と言って。

これまた、人間至上主義にうつつを抜かすのもいかがなものか、ではあるけど。

たぶん、今僕が考える以上に、この世、と呼ばれているものは、華やかで。

ミラクルに満ちている、というのは、間違いないな。

そうそう、書いたかな、来年の干支、己亥(つちのとい)。

 つちのと、というのは、十分に成長し整然としている、という様らしく。

一方、亥は、イノシシだね、新しい生命力が種の中に宿っている、と。

なんか、予感がするでしょ、来年の。

昨日の冬至で、すでに新しい歳は始まっているとも言えるけど。

サル化した、爛熟した資本主義、と言われるものを、十分に成長し、という言い方もできるわけだ。

こちら側の、イデオロギーに固まった解釈を、素直な、ベタな、俯瞰した、そんな態度に切り替えてみれば。

そこに、種が宿っている、新しい生命力の、ね。

なんか、ワクワクしてくるでしょ、?、僕だけかな。

でも、そんな感じがする。

例えば、子どもが、親に反抗するの、って、十分に成長したからでしょ。

的なところから行くと、来年は、楽しみな歳でもあります。

そんな歳の流れに乗るように、そろそろ、カラダとの対話を始めます。

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カワウくんたちが災難のようで

2018年12月22日 | Weblog

このところ、屋上でのウォーキングで、よく出会うようになった。

くだんのカワウくんたちなんだけど。

昨日だったか、群れをなして、例の、バタバタ感を出しながらの。

乱舞を眺めながら。

何日まえだったか、藁科川か、安倍川か、あゆを食べちゃうんで、困ってます。

というか、随分、迷惑そうな論調で、彼らを詰っているニュースがあって。

こちらで出会う彼らは、カワウ、かな、ウミウ、かな。

ニュースでは、カワウは大柄で、一日にあゆを60〜70匹も食べちゃうんです、なんてね。

高千穂への旅でも、何川だったか、川の上にはテングスのような、透明な糸が張り巡らされていて。

なんとか鳥の被害で困っているんです、というコメントが聞こえてきた。

誰しも、まず自分、が大事だから、おらん方の魚が食べられちゃうんだ、まったく。

という心の動きはあるんだろうけど、例えば。

カワウ新聞、なんてのがあったら、まったく、人間にも困ったもので。

たかが趣味の釣りのために養殖している魚を、俺たちが食べることが気に入らないらしい。

とかね。

牛新聞、なんてのがあったら、彼らの、というのは、人間ですが。

貪食加減にも呆れるよ、ほとんど、工場生産みたいな、オートメーションのシステムの中で。

一度も土を踏まずにこの世から消えていく、牛の肉を、ほらごらん、くらいの。

で、食べすぎて、なんとかキャベジン飲んだりね、太っちゃったから、とフィットネス、通うんだぜ。

という記事があってもおかしくない。

いや、実際には、宇宙のどこかへ、そんなコメントを発しているのかもしれないな。

と言いつつ、昨日は、「いきなりステーキ」へ初めて入った。

そんな僕って、いったい?ってんもんだけど。

その前の日には、ヤヨイ、だったか、あれ、やよい軒のサブちゃんがやってるのかな。

富士,だったか、沼津、だったかでも見かけたな。

そこへ入り、お昼をいただいた。

通常のロードサイドのお店、みたいだけど、微妙に違っていて、何食べたか忘れたけど。

堪能させていただいた、そうだ、肉入り、多めの野菜炒め、だった。

好奇心、って、うまく使うと、おもしろきことなき世をおもしろく by 高杉晋作。

みたいな気分、味わえるでしょ。

なので、わりかし、好きなんだ。

新し物好き、珍し物好き、なんてコメントが寄せられちゃうけどね。

さて、珍し物好きの当方としては、始めた頃は、珍しきもの、だったけれど。

ルーティン化された骨ストレッチだ。

 

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