まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

飼い主さんへ・僕たちに町を汚させないでください

2014年08月31日 | Weblog

という看板が、わんちゃんの絵とともに。

あって。

今朝は、30分歩いての通勤だったので。

普段は目に入らないものが、入ってきたわけだ。

わんちゃんたちの糞が、汚い、ということだね。

なので、飼い主さんに注意を促す、という。

そう言えば、子供のころ、犬の糞は、よくふんばしたな。

僕一人ではないだろうから、たくさんの糞が、道ばたにころがっていたんだね。

そりゃ、おばあちゃんだって、道ばたで、粋なネェちゃん立ち小便。

ほど粋でもなかったけれど。

そんな光景が、デフォルトで。

街は、そう言う意味では、汚かったんだね。

臭いは、漬け物屋さんからだったり、豚を飼ってる家からだったり。

家々にも、貧乏な臭い、満載だった時代だからね。

そういう意味では、日本も豊かになった、ということになるね。

上記の看板から連想したのは、大英帝国の話で。

ジェントルマンが、傘をもっているのは、アパートメントの上から、糞尿が落ちてくるから。

それを避けるため、とかね。

ハイヒールも、道ばたに転がる、生き物の糞、つまり、動物だけでなく人間の、というね。

その汚物を避けるため、それが発明の母だった、と。

香水の生まれたのも、そんな類いだそうで。

人類の、というより、文明化の基準は、汚さからの解放、ともいえるね。

そうそう、昨日のおじおば会は、さくめ方面を散策、というか、車でね。

田んぼの緑から黄金色に変わりつつある様を眺めながら、おばたちは。

いいね!とため息まじりで。

最近、うちの近所では見られないからね、というわけだ。

どうか、農家の若者が、なんとか、がんばって、この光景を残されんことを。

みたいな教会でのお祈りみたいな風情にもなって。

昨日は、「さくめ」の大将もてんてこ舞いで。

開店早々に団体さんが、入ったそうで、じゃ、一時間くらい、どっかまわってくるよ。

と、近くの気賀の関所で、ちょっと、野菜の買物しながら、浜名湖、というか、猪鼻湖なのか。

そこではぜを釣っているおじさんと、たんと釣ってくださいね、なんて会話もし。

そうこうしているうちに、大将のご配慮で。

カウンター五人様、って感じで、残り少ない天然うなぎをいただいたのでした。

一年で、15センチくらい大きくなるそうで、僕らのは、三年もの、くらいかな。

5年くらいすると、腹が黄色くなって、これは、うまそうだったけどね。

さらにたつと、全身真っ黒になり、これは、次代の産卵のために漁協が買い求め、と。

ここまでくると、固くて、食べられないけど、あれ、どうしてるんだろうな。

なんて、大将。

一人前何百円かのうな重にまわっているのか、エキスでもとるのか、わかりませんが。

焼き専門の息子さんも、しばらく見ないうちに、成長し。

調理場での立ち居振る舞いがね、落ち着いてきて、そんな感想を伝えたら。

自分じゃわかりませんけど、なんて言いながら、嬉しそうだった。

うなぎ以外には、昨日は、6カ所、道の駅やら農産物直売やらに寄って。

この道、70年のプロの目線を復活させたのでした。

なにせ、彼女たち、買物にかけては、うるさいわけで。

ああだのこうだの、というので、ごめんね、なにせ、70年だから、とお店の売り子さんに。

ちょっと、気兼ねしながら、当方がフォローもし。

なんだけど、からだの内奥からはじけだす、まさに、命の燃えるようなね、あの感覚。

空気感は、なかなか、僕からは素敵にも思え。

家でくすぶっているだけでは、発露できない、あるエネルギーがね。

そんなわけで、平均年齢80歳越えの旅は、終了したのでした。

 

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二ヶ月ぶりのおじおば会

2014年08月30日 | Weblog
なので、待ちに待ったという声が。

聞こえて来そうな、雨模様の土曜日ですが。

果たして、どんな喜びのドラマが待っているのか。

ところで、突然ですが。

なんとなくの、ぼんやりした不安、というのか。

なんだか知らない怒りとかね。

そんな感情は、胸とかおへそのあたりにたまるそうで。

頭のてっぺんから、光にエネルギーを胸とおへそのあたりに入れるように。

鼻から息を吸って。

深呼吸。

両手のひらを上に向けて。

そこから、息を吐き出す。

こちらは、口からですが。

ってことを、何回か繰り返すと、感情が何処かへ飛んでゆく。

ということをね、ボブさんが書いてくれていて。

試してみたら、なかなか、調子よくてね。

どうぞ、お暇な方は、お試しあれ。

さて、そろそろ、出発準備をね。

始めないと。

晴れ舞台を作るには、あるいは。

茶の湯の心ですね、客人の来る前に部屋を暖めておく、というね。

時間がかかるのです。



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刺激的な書名の本を買ってしまった

2014年08月29日 | Weblog

夕べ、帰りがけ、本を探していた書店で。

たまたま、目に入ったのが。

禁煙すると早死にする、だったか。

早い話が、煙草を吸うと肺がんになる、というデータがうそだ。

といったウタイの本を、買ってしまって。

非喫煙率が60%をこえる日本で、こんなこと言うのもなんだけど。

どうも、肺がん罹患率ってのは、北の国の人々がなりやすいようで。

東南アジアなんてのは、いまだに、喫煙率、高いんだけど。

肺がんの率は、低い、というデータでね。

ま、お上の言うことは、あんまり、あてにしないからいいんだけど。

件の彼、ま、武田邦彦という先生で、喫煙の何千年にわたる文化についても。

少しは考えてみたら、というわけだ。

アイヌには、戦闘をした、という遺跡が、出てこないようで。

アメリカの、インディアンも、タバコを介在させて、友達になる、ってのもありね。

この、ストレスフルな世の中に、喫煙は、まさに、一服の癒しである。

というようなね、流行に遅れた喫煙者には。

なかなか、うれしい本を、新書でだしているわけだ。

竹書房っていうから、マイナーなところだけどね。

これ以上、この論を展開すると、顰蹙ものだから、やめとくけどね。

何千年も前から続く習俗が、すべて、いいわけでもないからね。

人身御供だとかね。

しかし、喫煙ルームでの、あの、まったりした、なんとも平和な感覚は。

いいものです。

ところで、わが母親だけど、夕べは、ごく普通の感じで。

お味噌を紫蘇の葉っぱでまいて、フライパンで炒め、という。

なんていうのだろう、その昔、僕の祖母が作ってくれたものが。

食卓に並べられ、いただいたんだけどね。

それを、夕べは、自分でつくったわけだ。

バイオリズムとかいったか、そんな具合に、強弱きょうじゃく、のリズムがね。

どんな理由かわからないけど、彼女にはあるようで。

明日の土曜日は、おじおば会だよ、というと。

さっそく、下のおばに電話し。

しかも、その電話の声を聴き取ってもいてね。

いつもだと、聞こえないから、替わって、という感じなんだけどね。

そんなわけで、明日は、おじおば会で、さくめのうなぎか。

朝霧のフードコートのバイキングか。

そう、最近では、どこそこへなになにを見に行こう、というより。

なにを食べるか、というのが、大事なテーマになっていてね。

ところで、腰は、なかなか、違和感から脱せず。

妻曰く、元気がない、というわけだけど。

これまた、一つの経験を味わっているんでね。

それはそれで、元気のない姿ってのも、いい風情だと言っておこうか。

そうそう、日経新聞だけど、昨日は、やっぱり、読んじゃってね。

読まない時間を、ノートに向かったんだけど、あらぬ雑念がわき出し。

これじゃ、新聞、読んじゃった方が、おもしろいかな、と。

三日坊主ならぬ、一日坊主とあいなり。

今朝も涼しく、夏の終わりが近づきつつあるのか、などと感想をもちながら。

本日のブログ、終了です。

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今朝は涼しかった

2014年08月28日 | Weblog

朝起きて、瞑想をしていると。

肌寒くて、この間まで、熱中症に気をつけましょうね。

と言っていたのにね。

昨日は、五時過ぎには帰宅し。

母親がね、どうなんだろうか、ということで。

やっぱり、わたしになにかいいたいことがある、とネガティブモード。

次男坊が、かんちがい、とメモしたけれど。

そんなことはおかまいなく、わたしはお昼も食べず、と。

実際は、普通に食べたみたいだけどね。

なんだろうね。

5時をまわると、そんな気分になるのか。

5時からおんな、というわけだ。

今日は、朝から、個人ミーティングで、都合9時間になるね。

これ、エネルギーが循環しないと、とても疲れて、どうにもならないんだけど。

はたして、本日のエネルギー循環はどうなりますやら。

そうそう、昨日、kindleで、ダウンロードした本。

「身体との対話」という小冊子ですが。

ストレッチなど、普段伸ばしてないところを無理に伸ばしたりするけど。

それは、かえって、身体に緊張をもたらすので。

自分が気持ちのいい、という曲げ方だったりひねり方だったりするほうがよくて。

そのことで、自己治癒力が増す、というウタイでね。

福田孝史という方で。

311の大震災以来、自然と痛いところへ、指先が動くという方らしく。

世の中には、いろんな方々がいらっしゃる。

さて、そんなわけで、新聞読まない二日目に突入です。

 

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感情の嵐吹き荒れ

2014年08月27日 | Weblog

というのも、夕べ。

わが母親なんだけど。

夕食をにこやかに終えた後、その日の献立などをかいてあるA4のメモ帳を。

ここになんだか書いてあるのが気になるんだけど。

から始まったわけだ。

お金はもっていってません、どろぼうは知りません、わかりません。

と、妻の献立表の隅に、次男坊の字で書いてあって。

わたしは、人のお金なんてとりません、というわけだ。

次男坊にきくと、5時過ぎ。

お金がなくなっちゃった、泥棒が入ったかもしれないから、警察にとどけなきゃ。

と、ね。

なので、声で伝えると、大きな声になって、怒っているようになっちゃうので。

紙に書いて、と。

その場は、そうかね、そりゃすまなかったね、と一件落着とあいなり。

僕との食事が終った、その後、というわけで。

僕も、次男坊から聴いたことを、紙に書いてね、母親に説明するんだけど。

それは、彼女の奥の方までは伝わらず。

自分のシナリオの中から、なかなか、出られず。

そのうち、激高し、お箸をテーブルに叩きつけ、わたしはそんなことは金輪際しない。

情けない、わたしに出てけというんだね。

から始まって、この家は、私が建てたんだから、出ていくのはあんたちだ。

みたいな展開になり。

彼女のなかで、何が起こっているのか、と眺めていることしかできず。

そのうち、こちらも、タバコを吸いたくなったので、二階にあがったら。

母親も自分の部屋に入り、というね。

その後に、妻が帰宅し、私なら大げんかをしたのに、といういつもの科白で。

それにしても、脳内の回路が、自分の都合のいい方向に。

といっても、つらかったり哀しかったり、という感情の方向ではあるんだけど。

どうせ私の人生は的な、ね。

人はみたいものしか見ない、みたいな言い方で、よく言われたりもするけど。

例えば、五感が停止すれば、まわりでは何も起こっていないわけで。

あとは、自分の身内で、起こすしかないからね。

そんな感じでもあるね。

これをもって、老化とか認知症とか名付け、安心しちゃうのも一つの手ではあるけど。

なんというか、人間の存在の仕方の不可思議さにね。

たじろぐというか驚くというか、なんというのか。

今朝は、そんな母親を残して、出社してしまったけれど。

果たして、一晩寝た後、夕べの顛末は、どんなかたちで、彼女の中に、残っているのか。

ほんの数秒まえの出来事が、ないことになってしまう日常からすると。

遠い昔の、記憶もさだかならぬ出来事の一つとなっているのか。

あるいは、もともと、そんなことはなかった、ということになるのか。

そういえば、僕と同じ姓をもっている知人のお母様が。

自分に都合の悪いことが起きると、ふらふらっと、めまいがして倒れてしまう。

という、病気というのか習癖というのか、そんな方らしく。

なるほど、と思ったこともありましたが。

ストレスをスルーさせる、ある意味、過剰な反応、でもあるけど。

経営するってのは、ストレスがあるから、お酒、呑んでなきゃ、やってられないよね。

みたいな会話と、大差ない反応でもあるけどね。

ストレスを避けたり、楽しんだり、怒ったり、実に人間ってのは。

おもしろいものであります。

話がそれるようだけど、この間、某ハウスメーカーの営業所長がね。

静岡に来て不思議なのは、安東、大岩というと土地が高くて、武美っていうと。

安くなるんだけど、どゆうこと?

みたいなね。

そんなことをおっしゃっていたけど、よその土地から来た方には、そう見えるんだね。

戦国の世に、極東の列島まで流れ着いた、宣教師が。

この地に住む人々に、感嘆したり、驚いたり、あきれたりしたことと。

あんまり、大差ないかね。

さて、今日から、ルーティンワークから新聞読みをはずそうか、どうしようか。

と昨日から迷っているんだけど。

果たして、どうなりますやら。

 

 

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タムタムへ行く

2014年08月26日 | Weblog

昨日、腰が重くて。

で、さっそく、予約を入れて、タムタムさんへ。

1時間、足裏から腰、背中、肩、首とやっていただいだ。

右と左がよじれているように、凝りが違うようで。

なかなか、正常にもどるには、時間がかかるんだろうね。

まったく、人間のからだってのは、精妙にできていて。

一つがずれると、連鎖して、あちらこちらに飛び火し。

というのは、こちら側の感想で、実際は、一つ一つの細胞は。

それこそ、自分の持ち場で、あれやこれや、火消しにおおわらわ。

というのは、被災現場での、自衛隊員や警察官やらの。

夜を徹した不眠不休の救援活動をね。

日夜、してくれているんだろうね。

この間の日曜日、妻が、日曜日らしい日曜日だ、と喜んでいた。

んだけど。

あれってのは、僕が、なんにもせずに寝ていた、ということも。

多少の影響があるんだろうな、とも思えてね。

一つの家の中の空気感というのか、まったり感というのか。

気の持ち方というのかね。

昨日は、戦争体験された方、同友会の先輩会員さんへのインタビューがあり。

二時間ばかり、いろいろとお聴きしたんだけどね。

やっぱり、当たり前だけど、奥深いものがあるわけで。

そうそう、今日は、就労支援センターというところから紹介していただいた。

ひとりの方とお会いするんだった。

生きていれば、いろんなことがあるようで、って、それも、当たり前だけどね。

最近は、ご縁のまま、という感覚を大事にしてもいて。

あんまり、ああだこうだ、という具合に、物事を見なくてね。

とにかく、お会いしてみましょう、というウタイで。

これについても、そのうち、ここへ書きますね。

この時代、ある意味、とてもシンプルで。

目の前の方をどのくらい大事にできるか、というのか。

わがことのように、関わるというのか、なんだろう。

御身大切から、双身大切とでも言えばいいのか。

これ、造語だけど。

しかも、人生を生きいそがずに、というのも、キーワードで。

自然の動きを真似して、発芽、ですね。

かかる時間はかかる、というのか、そんな時間さえ、実のところ。

ある意味、幻想でもあり。

というわけで、涼しい朝だけど、温度計は、27度を指している。

のを感じながら、ブログ、終了です。

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一日テレビを見て過ごす

2014年08月25日 | Weblog

土曜日の、「黒霧島」がきいて。

昨日は、一日、テレビの番人で。

ブログのアップもままならず。

そうだ、アサガオにも水やりしてないから、今から、先にしよう。

相変わらず、アサガオの花がたくさん咲いていた。

ユウガオも一つ。

ラベンダーが、この間は、暑さのせいなのか。

へばっていて、たらーっと以上に、ハチにへばりついている感じだったけど。

今朝は、また、シャキッとしていて、すごいもんだ。

今、ラベンダーから始まって、セージまで、食べてきた。

こちらもシャキッとするね。

昨日のボブのブログに。

からだとたましいを流れる命の川をかんじたことがありますか?

というフレーズがあって。

そんなことを思い出しながら、食べたんだけど。

ところで、昨日はテレビの番人で、高校野球から無人島ゼロ円生活、ってまで。

眺めていたんだけど。

たまに見ると、おもしろいね。

土屋アンナとLilicoだっけ、彼女たちのトークというか掛け合いも。

最後に、宮根屋さんの番組、って、名前わからないけど。

広島豪雨についてとエボラ熱関連で、シエラレオネへ入った常岡さんね。

いつだったか、ゲリラに捕まって、命からがら逃げ延び、という。

彼の映像が流れていた。

広島の土石流については、宮城だっけ岩手だっけ、釜石の奇跡とよばれる。

津波から逃げる教育をした、片田さんという群馬大学の教授ね。

彼は、土石流からは逃げられない、というようなことを、講演で言ったとかなんとか。

ってのを、牛山さんという、これまた、防災関係の静大だったかの教授ね。

彼のツイートだったと思うけど。

それにしても、天変地異、という四文字熟語が浮かんでくるような。

そんなご時世で、地政学リスク、なんて言葉も飛び交い。

さらに、「イスラム国」なんていう、国家というのかテロ集団というのか。

侵略した地域の銀行を襲い、2000億ドルだっけ、そのくらい手にしている。

なんてニュースもあり。

まんま、白人が有色人の地域を簒奪してきた様を、時代錯誤的な感じで、見せられているような。

後ろには、欧米の、なんていうんだろう、ネオコンとか、そんな勢力がある、なんてニュースもありね。

こんなことを、学校では、どうやって教えたらいいんだろうね。

万世一系の日本には、こんなことは、おこりません、というのか。

白人は、ほんとに、えぐいんですよ、というのか。

あるいは、教育をうけてない人々って、ほんとに、困っちゃうから、あなたたちは。

しっかり勉強しましょうね、なんていうのか。

祖母や母親は、あんたは先生になるのがいいよ、なんて子どもの頃、よく言われた。

けれど、もし先生だったら、なんて教えるのかな、というね。

そんな妄想を持ったのでした。

さて、今週は、どんな週が待っているのでしょうか。

 

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地球がおこっているのかな

2014年08月23日 | Weblog

昨日は、お通夜なので。

少し早く、夕暮れ時に帰宅した。

玄関前で、母親が、椅子に座って涼んでいて。

今日も暑かったね、と。

僕は、あんまり、暑い寒いの感想が出てこないタイプではあるけれど。

そこはそれ、そうだったね、と応じて。

その後、夕食時、広島の被災地をテレビ映像で見ながら。

このへんは、よかったね、と何度も、繰り返してね。

高橋という地名からすると、あんなことにもならないんだろうかね、とも。

そんな時、ポツリと、次男坊から、表題の言葉が出て。

そうかもね、バランスをとっている、と言えるのかもしれないな。

と、当方、応じたんだけどね。

アトランティスの前の、レムリアの頃は、人間というのか、こんな体、もってなかった。

なんていう説もあるから。

生命の現れ方ってのは、今、想定する範囲を超えている可能性があり。

なんていうと、また、とんでも話に行っちゃうのね。

なんて、言われそうだけど。

マザーアースと言って、地球も、一つの生命体だ、とも言うしね。

今回の広島豪雨にしても、避難指示の出し方が云々、と市長はじめ。

防災の方々が苦渋の表情で、語っていたけれど。

なかなか、いわゆる科学の知で、すべてをコントロールすることが、難しいわけで。

もちろん、あきらめず、人類の知を蓄積、開発し、という言い方もできはするけれど。

なんでもかんでも、わが知のもとに、理解できる、ということは。

逆に言えば、傲慢でもあり。

おそれかしこみ、という態度を、奴隷のようにする。

のではなく、人知をこえた存在、あるいは、事象にたいする。

なんというんだろう、慎み深い生き方ってのも、大事かもね。

グリードに端を発した、新大陸の発見、略奪にしても、せいぜい、500年でしょ。

つまり、人間の知性、膂力、で自然をコントロールできる、という思い込みが始まってから、がね。

かたや、STAP細胞の発表、それにたいする反応という一連の事件が。

ノーベル賞クラスと言われる笹井さんの自死によっても、なかなか、終結しない。

という裏側に、たぶん、だけど、自然をコントロールできた、という傲慢さと。

同じような、今度は、科学をコントロールして、グリードの延長にある、なにものか。

を、ほとんどの方々が、予感しているんじゃないのかな。

なんてところにも、現れていて。

わが次男坊の、地球がおこっているのかもね、という言葉が。

なんだか、リアルにも思えてくるわけだ。

アフリカのどこだったか、左側をお父さんなのか、大きな足跡が続き。

その右に、少し小さい、お母さんなのか、足跡、その真ん中に、小さな足跡。

が、ずっと続いている、という遺跡というのか、が発見され、なんて話を。

読んだような記憶があって、それは、何万年か前の地質から、と言うんだね。

火山の噴火なのか、今回のような土石流に似たものなのか。

一瞬のうちに、彼らの日常の上に、おおいかぶさり。

その時間をとめて、現在のわれわれに見せてくれる、といういたずらがね。

発見されたわけだけど。

そんなことを、何百回、なのか、何万回なのか、人類の歴史は繰り返し。

今のマンハッタンが、100年くらい放置されるだけで、ジャングルに早変わりし。

なんて話もあるしね。

そう、夕べは、友人のお父上が、黄泉の国へ旅立ち。

お線香をささげて来たわけだ。

ご住職が、故人は、これから仏弟子となられ、なんておっしゃっていたな。

釈迦族の王子だった、アーナンダ、じゃなく、クリシュナじゃなく、なんだっけ。

ま、とにかく、その方が、放浪の末に至った境地を。

故人も体得し、黄泉路をお歩きください、というウタイなんだろうね。

そういうわけで、本日は、葬儀とあいなります。

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からだの奥のほうが熱をもっているような

2014年08月22日 | Weblog

二三日すれば、楽になりますよ。

という言葉にすがって、ね。

このところ、過ごしてもいたんだけど。

例の、リフレクソロジーでね。

骨盤の矯正から始まって、あれもこれも、と骨格を正常な位置にもどしていただき。

というわけだけど。

人間のからだってのは、うまくできているんだね。

骨盤が曲がっていると、曲がったままに支えるために、ある筋肉は。

延びきり、それに関連するある筋肉は、収縮し。

というような具合なんで。

今回の矯正で、それらの筋肉が、逆の動きのまま、固着するわけで。

そこで、かれらなりに、歯を食いしばりながらの営為が。

24時間勤務、という具合に繰り広げられているんだろうな。

どうも、奥のほうで、熱があるような、なんともいえない感覚でね。

この仕組みは、あらゆるところに応用できる考え方でもありそうで。

ひとつのことをなおすと、他の部位で、部署で、異変が起こるわけだ。

中小企業家同友会という経営者の集まりである会に入っていてね。

そこでは、経営の指針を文章化しよう、ということがあって。

自社の理念を書き、方針を書き、社内で発表したりするわけだ。

社長さんが、苦労の末に、書き上げ、発表した途端。

実は、社長、わたし、今日でやめさせていただきます、というね。

そんな反応もあったりするらしい。

社長は、よかれと思って、美辞麗句を列ね、かどうかわからないけど、これで、どうだ。

みたいな感じで、発表するんだけど。

うけとる社員さんからしたら、言ってることとやってることの、あまりのギャップなのか。

なんなのか、急にはかなくなってね、やめる、というね。

なんだか、本末転倒した事件が起きることがあるそうで。

ま、それも、なにが正常かわからないけれど、あらわれるべくしてあらわれた、とも言えるんだけど。

なんでも、覚えたてのことを、披露したくなる、という心の動きってのは、なんだろうね。

わりとありがちでね、もちろん、僕にも覚えはあるけど。

原理主義というのか、言葉主義というのか。

なんとか用語をまくしたて、というね。

この間もちょっと書いたけど、ブランドとかサービスとかのなんとか用語をね。

今、点検中なんだけど。

原理主義がある種の洗脳であるように、そういった用語も。

誰たくらむわけでもなく、言ってみれば、時代の陰謀とでもいいましょうか。

実はですね、と、イルミナティだとか、金融マフィアだとか、ユダヤだとか、と陰謀グループ。

ということで、名前をあげ。

したり顔で、そう言う具合に世の中ってのは、できているんですよ、という思考の流れ。

も、一つの流れとしてはありね。

あれ、なんだっけ、骨盤の矯正による深部の発熱、だったね。

そうそう、今日は、安全パトロールということで、一日を、過ごす事になるのです。

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週刊誌は見出しがうまい

2014年08月21日 | Weblog

というのは、ほめすぎ、というかね。

ちょっと、角度が違うような気もするけど。

この間、わが母親の親友のご子息、九州の肝付さんとも係累だという。

歯医者さんに行って、その待合室。

「週刊新潮」が置いてあって。

ぱらぱらと眺めていたわけだ。

で、表題の感想で。

うまい、というのは、反語的な意味もこめて、ではあるけれど。

どれだけ、読者の気を引くか、というのも。

そりゃ、立派な技ではあるんだろうね。

SNSなんかも、そうだし。

メディアと呼ばれる、ま、媒体とかいう日本語なんだけど。

出来事と第三者を、媒介する、って、なんか、エボラ熱のウイルスみたいだね。

気象庁の伝え方も、どこに力点があるのか、というような。

去年だったか、名古屋の何地区だったか、100万人に避難命令だか指示だか出たときには。

笑いをとおりこして呆れたけどね。

これらも、媒介といえば言えるんで。

ある意味、ふかす、あおる、もる、ってのは、この資本主義とよばれる仕組みのなかでは。

ありがちな話で。

なので、現地から直撃情報を、というヘルメットかぶり、ずぶぬれになりながらのレポート。

ってのも、象徴的な絵柄で。

資本主義にかぎらず、話をもる、ってのは、古来、人間のさが、なんだろうね。

いつもの白川静さんだけど、漢字の発祥が、神からの言葉を独占することから、みたいなね。

こないでました、という巫女さんの言葉を、文字に定着させて、それを権威化する。

って具合だね。

そうすると、文字が、徘徊を始め、それにふれる人々は、かしこまりました、と。

ところで、昨日の、(仮称)新芽の会は、楽しかった。

未知との遭遇、というね、何が起こるかわかりません、なんて言うと。

それこそ、メディアのあおり言葉みたいだけど。

なにも落としどころも、行方も、あらかじめ決めつけず、なるようになる、というね。

ひとりびとりは、とても、素敵な才能・能力の持ち主で。

それが、表へ、まったりと、あるいは、きっぱりと現れる、その瞬間がね。

なんともいえず、気分がいいのであります。

って、書いても、よくわからないかも、だけど。

チャレンジ、ってのは、楽しいものだ、と。

夢や希望ってのは、実のところ、よくわからない、いまだきたらず、というもので。

わからないことにチャレンジするのが、夢や希望や可能性と呼ばれているもので。

わくわくドキドキ、命が喜ぶ姿だ。

という言い方があってね。

なかなか、気にいっているのだけど。

このブログも、そんなことの一助になれば、これまた、面白いんだけど。

そこはそれ、もう、まったくのフリー状態で、思い浮かんだことしか書けません。

なので、チャレンジ同好会の機関誌には、とても、なれないんだな。

さて、今日は、若者チャレンジなんだったか、そんな組織の方がいらっしゃる。

ので、また、ご報告いたします。

 

 

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