ネタとしては、ちょっとくどい感もあるけれど、「蜘蛛の糸」のことね。
学習能力が、なんて少しくさしたので、たぶん、伝わったんだろうな。
んじゃ、やめるわ、ってなもんだ。
伝わり方というのは、そんなの表に出てきたら、つまり、宇宙の秘密が開示されたら。
そりゃもう、上を下への大騒ぎだろうな、今まではなんだったんだろう、とね。
ひょっとしたら、とてつもない記憶力の持ち主かも知れず、蜘蛛くんが。
あん時のお前さ、顔はこんな具合に笑っていたけど、心の中では、苦虫を噛み潰してたろ!とかさ。
インドかどこかにあるというアカシックレコードは、未来予想図、というか、未来がまんま書いてある。
そうだけど、「蜘蛛の糸」には、過去の歴史、自己史の、しかも表に現れるイベントだけではなく、意識の流れも。
なんてことに、とかさ。
清々しい朝からの妄想、とも言えるし、あるいは、もう一つの世界、パラレルワールドでは、ごく普通のこと。
かも知れず。
どのみち、歴史に限らず、現代、現在、にしても妄想合戦でもあり。
ところで、この妄想の妄ね、ふと、白川静さんに聞いてみた。
すると、デタラメ、みだり、仏教では煩悩に乱された心を妄念という、とある。
迷いの心から物事に執着することを妄執という、ともあり、いい言葉としては使われてないな。
当たり前か。
ここで、時事解説ならぬ言葉解釈をしても仕方ないけど、ついでに言っちゃえば。
迷う、とか、みだり、とかよくない言葉みたいだけど、ビジョン、なんてことになると。
また違う受け取り方だな、その実は、似たようなもので。
カオスから、混沌から物事が生み出されるとすると、妄想の妄も満更でもなく。
そんな時に、小林秀雄に倣って、かむかふ、考えるとは物に向かうこと、を真似てみるか。
ということで、「蜘蛛の糸」は別の場所に移動したのでした、たぶん。