まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

物故者

2011年12月31日 | Weblog
年の暮れになると、よくやりますね。

今年の物故者は、なんて。

というわけで、今年出逢った人をやってみようかな。

年末からさかのぼってみよう。

いや、思いつくまま、アトランダムに、だな。

忠臣蔵の、四十七士の末裔の方。

上賀茂神社の葵使の関連で、お通しのことを、あて、という方。

家系図が、1800年前からあるという、お公家さん。

パワフルな、ハンドルネームhankoさん。

気仙沼の太陽光やってる沢井さん。

南三陸の材木屋さん。

宮城の事務局長、伊東さん。

ところで、これ、やってみると、なかなかむずかしいものだ。

年賀状を書くときみたいに、お一人おひとり、味いながら、ですからね。

もっとたくさんの方と、よきご縁を結んだのだけど。

ちょっと、中途半端ですが、別の機会にあらためて、ということで。


それはともかく、今年も一年間、ここまで来ていただき、ありがとうございました。

来年もよろしくお願いいたします。

佳いお年をお迎えくださいますよう、お祈り申し上げます。



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納める

2011年12月30日 | Weblog
昨日、仕事納めで、夜、忘年会。

何年か続くパターンでして。

というわけで、本日、二日酔いです。

なので、ご覧の通り、アップが、大幅に遅れ。

ということなのですが、この仕事を納める、って、言い方がね。

なかなかいいな、と。

仕事に対する考え方が、まんま、表現されているようなね。

そして、新たな年を迎える。

そういう意味では、すでに、新年ははじまっているんだね。

昔、日本では、一日の始まりは、夕方だった。

という話しがあるでしょ。

お祭りなんかも、前夜祭みたいな言い方、残ってるしね。

それですね。

日ので日の入りを、科学としてみれば。

そりゃ、たんたんと時が流れていくということなんだろうけど。

そこへ、儀式が登場するわけだ。

納めて、新たにして、始める。

恭しく、何ものかと向き合う、とでも言えばいいのか。

そういうわけで、年末年始の休みは。

なんて、グローバルっぽく言っちゃうけど。

実際は、すでにお正月という儀式の渦中にはいりこんでるんだろうね。

なんてことをつらつらと、iPadで書いているのですが。

朝、長男坊は帰って来るのかね。

なんて、妻と話していたら、すかさず、電話があり。

午後には帰る、と。

以心伝心というやつですね。

ぼくはぼくで、夕べ、何年ぶりかで、ファイティングポーズをとってしまった大分出身の御仁に。

電話して。

無事に帰宅できてよかった、佳いお年を!と。

そんな30日の朝です。
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岡目八目(傍目八目)

2011年12月29日 | Weblog
なにをそんなにおそれているの?

というセリフを、言ってみたい年の暮れだね。

かまびすしい。

というのは、大変だ、大変だ、って。

水戸黄門にでてくるハチだっけ、そんな御仁が世にあふれていて。

財政がこのままでは、国家破産だ、とか。

フクシマが、このままでは、なんとかかんとか。

ってね。

だれそれが、なになにが、こうしてああして、だからダメ。

みたいな論理というのか、意識の流れというのか、方程式があるようで。

そのXやらYやらに、いろんな言葉をいれるんだけど、結論は、おんなじようなところに着地。

そういうものが、蔓延しているような気がするんでね。

例えば、恋している人は、そんなこと、心配している暇はありませんし。

好きな絵を描いている人だって、好きな音楽やっている人だって、そうでしょうね。

ま、そういう意味では、暇つぶしでもあるわけで。

なんて書くと、目を三角にしてしかられそうだから、このへんに しときましょうか。

ところで、今回被災した三県に、松尾芭蕉が旅をして、「奥の細道」が残されているんだけど。

その5年前に、「野ざらし紀行」というものも、残されているようで。

その中で、富士川のほとりでの出来事が書かれているらしい。

青空文庫で、検索してみたけれど、ないので、あくまでも、伝聞ですが。

ちなみに、青空文庫というのは、著作権が切れた本を、ボランティアの方々が、入力し、ネット上にアップされているんですが、何万点あるんだろう。

というくらいの分量で。

ipadに、i文庫HDというアプリがあって、そこで、文庫のように読めるんですけどね。

前にアップした坂口安吾の「堕落論」は、そこで、読んだんだけど。

そうそう、富士川のほとりですね。

 猿を聞く人 捨て子に秋の風いかに

という俳句を残しているようで。

猿の泣き声が、腸(はらわた)を断つように、哀切で、というような中国の古典があるそうで。

猿を聞く人、というのは、その古典からとっているんだ、と。

三歳くらいの捨て子が泣いているのを、富士川のほとりで見かけ。

芭蕉は、上の句をものしたらしい。

そのあとで、汝の性(さが)のつたなさを泣け、とその捨て子について、書いている。

と言うんだね。

親も世間もうらむな、自分の不運の生まれつきを泣け、と。

非情ですね。

なまじの同情、あわれみ、などの言葉を発しなかった、というのですね。

このあたりは、ゆっくり書いてみたいな。

最近、棄老伝説、というやつが、少々、気になっているのです。

これまた、青空文庫にあるのです。

南方熊楠の「棄老伝説」、というほんの短いものですが。

そんな話を何人かとしたら、井川でもそんな場所があり、富士山の裾野の風穴なんかにもあり、とかね。

飛騨では、落とし穴、なんて地名も残っているそうで。

そう、深沢七郎の「姨捨(おばすて)」というのは、小説だけの世界じゃなくて、各地にあったわけだ。



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エンディングノート

2011年12月28日 | Weblog
遺書でもないのだけど。

万が一の時にそなえ、預金や印鑑などなど。

その他、もろもろを残された家族に伝えるために。

ということで。

そんなノートが流行っているそうで。

考えてみれば、このブログも。

当初は、糠漬けのおもしろさを話したくて。

だったんだけど。

だんだん、興味も関心も移りかわり。

そのうちに、娘や息子たちも、たまに、のぞきにくるようになって。

そうすると、わが父親の闘病生活を思い出し。

あの時。

もっと話ておけばよかったな、という思いが強く。

さらに、なくなった後、おじやおばから、自分の知らなかった父親像を聞いた時。

その思いは、さらに強くなり。

変な意地や思い込み、きめつけで、自分勝手なおやじ像をえがいていたことに気づき。

なんてことなども、バックグランドでは、いつも響いていて。

このブログも、自分の中では、エンディングノートの趣を呈してもいて。

そういえば、ぼくの後輩の保険屋さん。

おやじさんが、毛筆で、業務日誌をつけていたそうで。

早逝されたお父様の後を継いだ彼。

もう随分前に、そのことを誇らしくも、語っていたっけ。

今年も残りわずか。

年はあらたまる、という考え方がお正月にはあって。

年々、お正月の風情が失われていく、というノスタルジックな感懐もあったりするなか。

そうはいっても、革まるものはあらたまるわけで。

ネバーエンディングではあるけれど。

311大震災にみまわれた2011年は。

もうじき迎えるフィナーレに向かって、師匠もわれも走っているのですが。

わが家では、新調した「餅つき機」で。

わが母親が、くんちもちはよくない、の言葉をたよりに。

夕べから、段取りを始め。

少し心もとなくなっているけれど、妻の自然なサポートがあったりで。

嫁姑の長い葛藤をへて、なんだか、これまた、あらたまる、というような光景で。

来年も母親謹製のおぞうにが食べられそうな気配です。


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とりこ

2011年12月27日 | Weblog
恋のとりこになりました。

なんて、歌詞がどこかにあったようなきがするんだけど。

奥村チヨの「恋の奴隷」なんて歌、ありましたね。

ぼくも、この一週間、現場で怪我をした人がいて。

さまざま、反省会やらお見舞いやらで、そのとりこになっていてね。

すべてのものが、それを基準にまわっていた。

というか。

還暦近くなっても、そうなんですね。

とりこ、なんていうと、イタコみたいなものでもあり。

ある意味、憑依されていると同じ状態だ。

ある御仁がおりまして。

奥様とちょっとした、喧嘩、というか、いさかいで。

彼女が、クリスマスイブに、大御馳走をつくってくれた。

ところが、その御仁、おれは、食わねぇ。

と、決めたんだね。

そのご馳走の前で、食パンかじってた。

という話を、妻から聴いて。

食パンのとりこになっていたんだね、と。

ぼくは言ったんだけど、そのとりこ、と言う言葉がうけて。

それで、本日の表題になっている次第で。

坂口安吾が「堕落論」を、終戦直後に書いていて。

実は、最近、上杉隆に触発されて、初めて読んだのでした。

よくわからない部分もあるんだけど。

そのなかに、坂口安吾の姪っ子が、21歳で自殺した、というんだね。

美しい女の子だったそうで。

老いさらばえる前に、若い美しさが永遠にのこって良かったね、なんていう。

感想も一瞬、坂口安吾は書き。

そんな感想と。

若い身空で死んでしまって、生きていればもっとすてきなこともあるのに。

という感想にたいしても。

両方共、ある種のとりこになっているので、というような言い方していたな。

どちらも、ある価値観にとりこまれていて、と。

実のところ、「堕落論」について、ここで書けるほどには、熟読してないんで。

中途半端ではあるんですが。

とりこ、というのか、価値の奴隷、というのか、思い込みの支配、というのか。

ま、そんなことを、書きたかったのですけど。

なかなか、うまく、伝わりませんかね。

書いてるほうが、よくわかってないので。

ただ、食パンの御仁の話は、わりと、わかりやすいよね。

実は、もう少し、ヘビーな関係でもあってね、ご夫婦の関係が。

奥様がうつの症状を呈していて、入退院をくりかえしたり。

大変な状況にあるんで、軽々しく、匿名であっても、ここで書くのは躊躇するのです。

その御仁の例をひかずとも。

とりこ、といえば、ちょっと、あたりをみまわせば、かずかぎりない、「とりこ症状」はあるわけで。

たしか、Jリーグに、トリコロール、なんてチームカラーあったよね。

ロールは役割とも訳せるから、役割がとりこです、なんて言えるね。

人はトリコロールです、なんて、めんどくさいオヤジギャグで、終わります。
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不測

2011年12月26日 | Weblog
今朝は、タイミングがずれて。

アップ時間もこの通り。

外から、待ち時間を利用して、です。

昨日は、午後、TBSで、311特番。

あの日と同じ時間で、各地の様子を刻々と追っていた。

自分もどうだったのか。

と思い出しながら、見ていた。

ほんの少しの、神様のいたずらで。

助かった人、そうでなかった人。

さまざまな人生模様があったわけだ。

さて、今年も押し迫り。

さっき、いつものタバコ屋さんでも、そんな会話をしたんだけど。

お正月が来ても出ていくばっかりで。

なんて、もと娘さんが言っていた。

今日は、どうも、まとまらず、このへんで、明日にします。
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ジョンウン

2011年12月25日 | Weblog
クリスマスイブにつき。

昨日は、ケーキ屋のけんちゃんのところへ。

忙しそうだった。

 一年を10日で暮らすイイオトコ

とか、昔は、相撲取りのことを、言ったようだけど。

けんちゃんのところは、一年をクリスマス・イブで暮らすイイオトコ。

なんていうと、冗談じゃないよ。

と返ってきそうだけどね。

うちのジョンウンです。

って、いきなり、息子さんを紹介されて。

今、旬ですからね。

てんてこ舞うなかでの、けんちゃんの瞬間芸とでもいいましょうか。

北朝鮮の跡取り息子さんの名前だね。

右翼っぽい人からすると、さんづけするな、なんて言われそうだけど。

ま、ま、そう目を尖らせずに。

ロックフェラーだって、ロスチャイルドだって、親子の関係というのは、本質的なところでは、そう変わらないんだろうから。

ぼくの感じる情と、そう変わらないんでしょう。

使うお金やら権力やらは、ちょっと、桁外れなんだろうけどね。

なくなったおとうさん、ジョンイルだけど、もう随分前になくなっていたんだ。

なんて話もあるね。

替え玉がやっていて、結局、殺されちゃった、なんて話ですが。

そりゃ、いろんなこと、考えるだろうからね。

なにせ、2000万人でしたか、そんな数の国民がいるわけだし。

自分たちの身の程、ってやつも、年がら年中、考えざるを得ない国にすんでいるし。

のんきに、クリスマスイブです、なんて言ってる国とは、違うよね。

そののんきな国民のひとり、わたしですが。

ひさびさに、わがチャリンカーと呑んだ。

そう、イブだというのに。

それが、おやじというあだ名の男から、電話があって。

これこれこういうわけで、チャリンカーと連絡ついたから、お前空いてるか。

というので、モノゴト、タイミングが大事なので、空いてるよ。

と返事して。

それで、クリスマスイブに、むさい男どもと呑むことになった次第で。

そのおやじが、おまえ、暇だな、と言うんだね。

こちらは、家族でクリスマスイブを過ごそうか、とまったり考えてもいたんだけど。

ま、そんなわけで、カラオケを40曲、歌ってきたのでした。

昨日アップした「帰れない二人」も、当然、トライしましたし。

途中、前回の忘年会で送っていただいた、保育園の先生もみえて。

また、チャリンカーは、遠くまで送っていただいたのかな。

ところで、けんちゃんのところの、ジョウウンだけど。

けんちゃんより、いい男だね、と言っておいた。

おやじの、歴史教育についても話したかったけど、忙しそうだったからね。

わがやの下のジョンウンは、小さなケーキをひとつ、たぶん、買って。

彼女だかガールフレンドだか女友達だか知らないけど、いそいそと出かけていったのだろう。

そう言っていたからね。

今朝、目覚めて、テレビをつけると、北朝鮮専門家という人が、北朝鮮は暴発するか。

なんてことを、話していた。

僕自身、父親をなくしたとき、葬式やら法事やら、父親のしてきたことをうけついだのだけど。

そのときの気持ちをね。

思い出したりした。

なんというのか、責任というのか不安というのか。

かの国の彼も、そういう気持ちは同じだろうな。

なんてことも考えながら、テレビを見ていたのでした。
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帰れない二人

2011年12月24日 | Weblog
昨日は、「傘がない」で。

今日は、「帰れない二人」なので。

クリスマス連休は、陽水ようすい、という感じなんですが。

実は、昨日、アップした記事を妻が読んで。

「傘がない」は、ここのところ、ヒトカラの歌唱曲だったようで。

少し、冷めては来たけど、と。

で、今は、「帰れない二人」が、気になっているんだ、そうだ。

この曲は、陽水が売れない頃、忌野清志郎とつくった曲なんだってね。

安全地帯も歌ってる、って言ったかな。

たしか、氷の世界、というアルバムに入っていたんだと思う。

って、書いてきても、知らない方には。

何の話ですか、ってなもんですがね。

ところで、今年のサッカー界を振り返って。

と、だれかが記事を書いていたんだけど。

「ゴールを決められてうれしかったのははじめて」

これ、ザッケローニ監督の言葉なんだけど。

日本代表とJリーグ選抜のチャリティーマッチで、カズが決めたよね。

あの時期、あのタイミングで、44歳のカズが決めたわけで。

ぼくも、たしか、ツイッターのタイムラインから。

ホリエモンやら布袋やらの発言を、コピペして、アップしたりしたんだよね。

その時を振り返って、日本代表監督のザックが言っていたらしい。

たしかに。

涙腺よわってるから、この言葉でも、涙でそうになっちゃうよ。

その後、震災復興については、異論激出とでもいいましょうか。

政府が、東電が、なんのたれべぇが、と。

批判続出で。

相変わらず、世の中、騒然としているような気配です。

かつ、またぞろ、地震が起こるかも、なんて言われたりしているしね。

もうね、腹を決めるしかありません、ということだよね。

そうそう、「帰れない二人」でした。

歌詞のなかに、

 街は静かに眠りを続けて

 口ぐせのような夢をみている

って、あるんだけど、口ぐせのような夢、って、おもしろいね。

やがてスターになる、売れない二人が、四畳半かなんかの部屋でね。

こういった歌詞をひねり出している情景が、浮かんでくるようだ。

ある意味、二人からの呪詛みたいなね。

深読みしちゃえば。

そんなわけで、「帰れない二人」でした。
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傘がない

2011年12月23日 | Weblog
昔懐かしい、井上陽水の歌ですね。

「傘がない」

だけども、問題は、今日の雨、と歌うんですね。

社会では、いろんなことがおきているけど、と。

もう30年くらい前になるのか。

あの頃でも、自殺する、若者が。

増えている、と歌ってるよね。

今で言えば、原発であったり、TPPであったり、キムジョンイルの死去であったり。

さまざま、社会では起こっているわけだけどね。

問題は、今日の雨、なのです。

だけども、行かなくちゃ、君に会いに、行かなくちゃ。

となるんだね。

そのために、ほしいものは、傘なわけで。

君に会いに行きたいけど、外は雨なので、傘がほしい、というわけで。

だれにも、「雨」は降っていて、なので、「傘」をさがしている。

ということですね。

って、そんなこと、書こうと思っていたのじゃないんだけど。

この間の事故でね。

外では、いろんなことが起こっているけど。

そんなこと、おっかけてる暇ないよ。

今日の雨、ならぬ、事故対応、ということでね。

手続き的なものは、一応終わり。

あとは、再発防止についての、さまざまな会合だったり、会議だったり。

そういうものをしていくわけです。

昨日は、労働基準監督署へ事故報告に行ってきて。

定年まじか、という担当の方とお話し。

そういえば、わが父親の昭ちゃんも、ゼネコン行く前は、監督署にいたとか聞いたことがあったな、と。

そんな目で、目の前の担当官を眺めていた。

還暦ちかくなると、ほんと、さまざまな局面を味わえるわけでして。

陽水の歌じゃないけど、自殺する若者が増えている、というけれど。

できることなら、長く生きていたほうが楽しいよ、と言ってあげたいね。





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開店休業

2011年12月22日 | Weblog
本日は、ネタがなく。

というわけではないんですが。

アップだけする、という感じです。

ネタがないわけじゃないんだけど、ちょと、現場で事故がありまして。

それについては、もう少し、時間がたってから、アップしたいと思っています。

職人さんが、3.5mくらいのところから、墜落して。

全治三ヶ月ということなんです。

命に別状がなく、よかったのですが。

ちょっと、そのことの整理がつかないので。

アップだけする、というアリバイ的な投稿になってます。

みなさんも、年の暮れにきて、お気をつけ下さいね。

というわけで、本日は、このくらいで。


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