まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

錦織、健闘

2024年09月30日 | Weblog

だな。

10歳ちがいの、錦織が全米の決勝を戦ったのは昨日の相手が11歳の時だそうで。

その間、怪我を克服し、今また怪我を抱え、みたいな中での戦いだった。

テニスとかバレーとか、最後まで見ると疲れちゃうので、途中でやめた。

我が家、一家あげての観戦だったな。

そんな翌朝は、スズメくんたちが塀の上に佇んで先ほどあげた餌を眺めているのかいないのか。

なんて風情だ。

この、餌をあげる、という言葉で祖母のおすえさんを思い出す。

昔犬を飼っていた時に妹が、朝ごはんをあげる、とか言ったんだったか。

すると、あげるなんて言ってはいけません、犬畜生だから、みたいな感じだったのかな。

さすがの明治生まれ、ってなもんだけど。

ところで、天高く馬肥ゆる秋なんていうけれど、このところの小鳥たちの食欲は以前と比べると遠慮がちだな。

わがベランダレストランまで来ずともそこここに彼らの餌は散見されるということなのか。

よくわかりません。

昨日は久々の河岸の市へ。

久しぶりですね、と言いながらのいつものお店をへめぐり、しかし、たくさん買わないように、と言い聞かせつつ、鯵とスルメイカ、母親のお友達の息子さんのやっている八百屋さんで、椎茸と銀杏と買い求め。

夜のドブロクのお供は、鯵のたたき、イカのお刺身ということになった。

今朝も膝痛ゆえに骨ストレッチをお休みしのブログ書き。

ということで、秋分の次候へでかけることにします。

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定年マラソン

2024年09月29日 | Weblog

長く走り続けるには走らないこと。

なんてことを中野ジェームズさんが書いていた。

表題の本だけど。

そんなわけで、でもないけれど、この土日は走らずに、骨ストレッチもお休みし、だな。

なのでけれど、走らない、骨ストレッチをやらない、という選択は雄々しいものとも言えるな。

やり続ける、という呪縛から解放される、なんて表現してもいいかもね。

もっとも、ほんの少しのことを毎日やり続ける効果効能ってのはあるのだけれど。

そのことへの強要、強制、なんてことになると、あのプラトンだって、いらんお節介にもなるわけだ。

絶対な、金科玉条みたいなものに様変わり、っての。

今朝は、どこかで花火がなっている、この早い時間から。

まさか、石破総理誕生を祝っての、鳥取から聞こえてくるわけでもないだろうけど。

上記の中野さんといえば、青学のコーチもやっているんだったか。

そうだ、今朝も出がけに糠床へ手を入れ、ありがとうね、と言ってきた。

復活して何年くらいになるか。

糠床となると、一倉定さんの「生食と人体」という本を思い出すな。

あれは、ちょっと衝撃だった。

戦後のわが国の塩事情。(追伸 日露戦争の戦費調達のため、というのがXに上がってきていた)

専売公社という名のもとに、NACLだけにした塩を公社でのみ売り出した、なんての。

実は、人間には塩分が必要というけれど、ミネラルを摂りたいというカラダからの要求だそうで。

それを科学的にNACLだけにした、「食塩」というものがまかり通っていた、と経営コンサルの一倉さんが本を書いたわけだ。

たしか、あれは致知出版だったか。

それらの深慮遠謀にまで至る政策、施策、なんて話になるとキリがないけれど、今に至る「科学信仰」だな。

ま、そんなわけで、秋分の日曜日に出かけるとします。

 

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ハニートラップ

2024年09月28日 | Weblog

たぶん、この先、表題のような言葉がまことしやかに、という位置から変更なり、大声で語られる。

のかもしれない。

刺激が強すぎて、このブログで披瀝するには躊躇するけれどね。

なんだけど、メインのメディアでももし語られるようになったら、そりゃもう、大混乱ってやつだな。

それを仕組みとして作り上げられた組織体、というのか、なんていうのかね。

秘密を知り合った仲間、みたいなものか。

エプスタインやらラッパーのディディね。

そんなことをはじめとして、さまざまなことが語られだし、そもそも歴史と呼ばれていたものはなんだったのか、なんてことにもなるんだろうな。

パンデミックにしろウクライナにしろ、書き出せばキリがないかも。

なので、本日はこのくらいにしておくか。

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ブルーラベル

2024年09月27日 | Weblog

という開店40年経過のお店が最後の締めだった。

同友会の理事会の後の懇親会。

飲むのは楽しいのだけれど、翌朝の起床時間が気になって遅くまではご勘弁を、って具合だ。

すっかりこれが習慣になってしまった。

ところで、健康寿命と呼び習わされているもの、男性では寿命から−7歳、女性では−10歳だったかな。

ここをね、短くしたい、というか、命尽きるまで自分の足で歩き、頭で考え、みたいなことだ。

我が社では介護住宅改修という部門があるんだけど、そこでは、介護の必要な方のために手すりをつけたりの仕事だ。

それとは逆行するみたいだけど、介護が必要でなくなる、という具合だね。

それに加えての、自分の食べるものは自分で栽培、って算段。

自立的に生きる、という当たり前のことではあるんだけど。

なんてことをこのところ、ずっと携えつつの日々だな。

さらにそこへ、結界の考え方を加え、つまり、あの世とこの世の中間点、というのか、中今というところにいる。

というね。

さて、これ以上書き続けるとアラレもない姿を晒す、ということになりそうだ。

アラレもない、で思い出した。

天照大神を岩戸からこちらへ呼び込むための天鈿女(アメノウズメ)さんの姿だな。

それら一連の光景に一同、面を白くし、というのね。

おもしろいの語源だ。

前面がパッと明るくなり気が晴れる、というの。

いやいや、今朝はこのあたりにて。

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膝は動かした方がいい

2024年09月26日 | Weblog

膝痛の私めだったのですが。

困った時に「からだ工房らくだ」さんだ。

実にわかりやすく膝の痛みを説明してくれて、今度、どこかで人を集めるから話してくださいよ。

くらいの話だった。

って、ここで披瀝するには、覚えてないこともあるので、なんだけど。

早い話が、動かした方がいいですよ、ってことだ。

蹲踞。

お相撲さんのやるやつね。

これいいですよ、ってことで、早速、今朝の骨ストレッチのメニューに加えた。

なんでもやってみてのものだねだから。

まわりでも膝が痛くて、なんてことは聞くけれど、はい、薬飲んで、注射して、なんて具合だな。

そして、歩いたり走ったりの量が減るわけだ。

すると、だな。

痛みの原点を回復させんとからだのどこからかやってくる、カルシウムとか後なんだったかな、カリウムかな。

忘れた。

それらが活動して元の状態へ、ということなんだけど、動かさなくなるとそれが石灰化して余計動かしにくくなる、なんて話は秀逸だ。

それと、水が溜まっているそうなんだけど、その水の成分も、痛みの原点を回復させるためのものらしく。

むしろ温めて、その活動をしやすくさせた方がいいですね、って。

ま、とにかく、いろいろとタメになることを教わった。

ありがたし、ということで、本日を始めることにします。

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ブレンド珈琲

2024年09月25日 | Weblog

今朝はすがのブレンド。

甘くまろやかな味わい。

彼岸明けの日にはちょうどいい感じだ。

昨日は、母校の南高が60周年ということでその記念行事の件で来社されたのが、ま、後輩ということになる。

新聞にも載りますからその広告を、なんてことも含めての、あれやこれやのよもやま話に花が咲いた。

高校といえば、近くの東校へ行かずに遠くの南高へ行ったのはなんだったのか。

なんてことも思い浮かべながらの時間でもあったな。

逆になっていたら人生も大きな違いになっていたんだろうな。

そんなこと言い始めたらキリがないくらいにあれやこれやの選択ってのをして来たわけだ。

明日は静岡病院へ、だな。

腹部動脈瘤というのがあり、その経過観察のための、だ。

その先生がまたおもしろい、というのか、しゃちこばっていなくていいんだよね。

今朝はすがのさんのブレンド珈琲をいただきながら思い浮かぶあれやこれやのブログだ。

西欧の500年、とか最近ではよく浮かんでくる。

日本で言えば、織田信長の前あたりからかな。

一神教たるキリスト教はその遥か前からだろうけど、その前に仏教は、つまりお釈迦さんは誕生していて。

さらに前になるのか、ゾロアスター教がペルシアのあたりで栄えた。

とすると、彼の地の人々の思いとか気持ちとかってのは、これまた複雑なものだろうね。

ま、とにかく、いろんなことがこの地球上では起こって来ていて、その解釈も千差万別。

なんだろうな。

違った世界をそれぞれに携えての日々を送っているのが我が人類とも言えるけれど、それでは納得できず、の御仁方が正義をお互いに振りかざし、なんて絵柄でもあるな。

さて、本日へ出かけるとするか。

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左膝、痛し

2024年09月24日 | Weblog

昨日、トレセン周囲の坂道を走ったら表題となってしまったので、今日は、からだ工房らくださんへ行こう。

と思っている。

予約できると思っているんだけどね。

22日のお彼岸の夜、9時44分に秋分点ということだそうで。

その時間、すべてが元に戻り、そこでこれから目指すことを宣言するとそれが通りやすくなる。

なんて話を聞いたので、「すべての人は天才!」とした。

今朝もそうだけど、それ以来、つまりお彼岸を過ぎて、秋の風だ。

季節は巡る。

こちらのさまざまな思惑とは別のところで動いている気配があるんだな。

大きな流れだ。

つい先日、大本教の出口王仁三郎のお孫さん、出口光さんという方の動画に出会って。

その中で、結界、というのが、こちら側とあちら側の結びの点で、そこに立っていることを中今という。

なんてことおっしゃっていて。

ふむふむ、とうなづいた次第。

季節の巡りもそうだし、直感のように訪れるものもそうだし、物質世界と精神性界の境目というところに訪れるものがある。

それはおもしろい。

斎部広成という人がまとめた「古語拾遺」という文庫本をブックオフで手に入れたんだけど、そこに。

天岩戸びらきで天照大神が出て来た時に、そこにいた神々が、面皆明白し(おもみなしろし)となったとある。

おもしろし、とは、前面がパッと明るくなって気が晴れる、ということだ、というんだね。

おもしろいことをやり続けることは、そういうことなんだ。

これもおもしろいね、とあいなり、さて、本日に出かけるとするか。

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日に新たに日々に新たに

2024年09月23日 | Weblog

また日に新たなり。

なぜか、今朝はこの言葉が頭の中をへ巡っている。

毎朝、顔を洗うときに唱えながら、ってことだけど。

くどいけど、古代中国の湯王、が洗面器に書いて毎朝唱えた、という逸話が残されている。

それを真似して、ってわけだ。

しかし、流石に秋だね。

暑さ寒さも彼岸まで、とは言ったもので、今朝の風は秋だ。

秋分・初候が昨日の彼岸から始まる5日間だ。

雷及ち声を収む、と。

暑い暑い今年の暑さはいつもと違う、と言いながらも、彼岸花はしっかり花を咲かせ、季節の巡りはやって来ている。

昨日はたくさん写真をアップしたけれど、今日も一枚。

この間の日間賀島への珍道中の途中立ち寄った常滑。

写真撮らせていただいてもいいですか、の後、です。

こんな具合に長い年月この地では常滑焼と呼び習わされているものが続いてきた。

こちらの写真は6代目のご婦人。

左端の蛙の甕、祖父の作ったものだ、というんだね。

恐れ入るよ。

今朝もたくさんになっちゃったな。

これが地図です。

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日間賀島のみる貝は美味しかった。

2024年09月22日 | Weblog

もちろん、タコもだけどね。

いつもの旅ランでの朝焼けをどうぞ。

港を出ていく船は蛸壺を引き上げにいくのか。

朝早くに若者たちがバイクで港に乗り付け、だったな。

デジタルデトックス、つまり、スマホ・アップルウォッチを脇においての時間がなかなかいい。

ホテルの外での喫煙タイム。

百日紅(さるすべり)の花が咲き始めていた。

いい時間を過ごさせていただいた。

流れている時間が違う。

最後にこの写真で締めさせていただきますか。

東の港と西の港があるんだ。

こんな具合に島一周の旅ラン。

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日間賀島へ

2024年09月20日 | Weblog

今日明日は老老介護みたいな旅だ。

と書いてしまうのも、これまた、洗脳教育のなせる技でもあり、だな。

60、70、80、90代の勢揃いだったんだけど、残念ながら90代は今回は急遽の取りやめ。

今度ね、って具合だ。

ところで、昨日の朝、東の空が神秘的だ、なんて思ったら、彼の地では雷雨、大粒の雹とか降ったみたいで。

と、今朝も、こんな感じだった。

単なる朝焼けとも言えるかも、だけど、実際に見た感じはもっと神秘的なものだった。

いずれにしても、人智叶わぬ諸々のことがそこここで起こっているとも言えて。

中には、人工的に起こしているものもあるんだろうけど、その起こそうとした人士方の源には人智を超えたものがあるわけで、ね。

自然とも、宇宙とも、それこそ昨日も書いた空即是色ってことでもあるか。

さて、今日に飛び出すとするか。

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