まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

海まで走った翌朝。

2020年04月30日 | Weblog

夕陽を追いかけたわけでもなく、バカヤロー!と叫びたかったわけでもなく。

なんとなく、そうだ、巴川を海まで下ろう、ってアイデアが湧いてきて。

というわけですが。

巴川を眺めながら海にだどり着きたかったのか、何れにしても、初めて5キロ。

走ったよ。

中学の時の、毎月のマラソン大会は、何キロだったのか。

反抗期のあの頃、どんけつの方を半ば遊びながら走ったな。

高校になって、サッカー部に入った途端、走る走る、砂浜を、ほぼ毎日、走らされたものだ。

あれ、何キロだったのか。

その後、二十歳頃か、1500m走が、わがベストタイム、4分の30秒前くらいか。

なんて過去、すでに過ぎ去って存在していない過去を振り返りつつ、わが今を。

このところ、眺めてもいたわけだ。

1キロ走るのが、精一杯だったのが、何ヶ月前か、で、昨日の5キロ、ってことで。

少し、ほんの少しの、継続が、偉大なことにつながる、って体感だな。

そう、何ヶ月前、さて、走り、ってのをやってみるか、の頃、いざ、走ってみると。

こりゃ、どうなっちまったんだ、とね。

走るより歩く方が早いんじゃない?ってなもんで、という時間を経験しての昨日。

事務所から海を見て戻ってきたときの、やった感、小さくガッツポーズ、ってなもんだ。

なんて昼下がりを過ごした夜、お約束の、JFKの特集、by NHK、って。

そもそも、なぜ今、JFKなの?って謎を抱えながらの1時間ちょっとの前編。

JFKの甥っ子になる、ロバート・ケネディJr.が、アメリカのMSM、つまり、メインストリームメディア。

じゃなく、日本のメディアになら、語るよ。

なんてセリフを入れたりして、ね。

くだんのJr.の父上も、JFK暗殺、つまり、murder most foulから四年後に、暗殺されているんだよね。

今、未解決の事件の真相が明らかになる、なんてウタイの番組なのかも、だけど。

突然ですが、マドモアゼル愛さん、女性ではなく男性ですが。

その昔、人生相談の回答者、なんてラジオ番組あったけど。

この方、占星術師でもあるのか、ほぼ毎日、YouTubeに15分くらいの動画、アップしていて。

の中で、二千年以上?続いた魚座の時代から、水瓶座の時代に入りました。

魚座は、信ずることがテーマ、believeの時代、しかし、水瓶座は、知ることがテーマ。

knowの時代だ、とおっしゃっていて、だから、さまざまな真相がおひさまの下に晒される。

と、今までの時代で権勢を謳歌してきたクラスターが、一挙に力を失い、みたいなこと。

最近のYouTubeで語っていた。

原油のマイナス価格であったり、通貨の幻想にも気づかされ、なんてこともね。

これこそはと信じていたものが、知ってみると、あれ、そうだったんだ、なんてことを目の当たりにする。

この話は結構ウケた、というのは、何日か前に書いたけど、4世紀のイタリア北部の教会での。

アリストテレスの禁書の話、ね。

笑いは恐れをなくす、だから、そんなこと書いてある本は、禁書です、と。

だって、恐れがなくなったら神の存在が脅かされるでしょ、ってやつ。

でも、笑いって、いいよね、あるいは、ペストで人口の半分が死に絶えた後には。

この笑いが、われわれの救いだよ、ってなって、やがて、宗教改革とかルネッサンスにつながる。

としたら、現在、「禁書」になってるもの、一体全体、それはなんだろう?って問いを。

たぶん、COVID-19は、われわれに投げかけてくれている、なんて絵柄だな。

そのパンドラの箱に入ってるのが、僕的には、つい最近アップした、アルファロメオのトレードマーク。

と、信から知へ、ってこと、自己免疫力と自尊、「そもそも」、とか、−原油価格と通貨発行(印刷)、とか。

それらが箱の中で、混ぜ合わされ、という流れなんだろうな、と。

というわけで、マスクしながらの走り、歩きの市民の皆さんを眺めながらの今朝のブログ、終了です。

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ひさびさに河岸の市へ

2020年04月29日 | Weblog

案の定だけど、警備員さんが7日までお休みです、って。

ふと、アジの干物にしたくなって。

一枚は一夜干し、もう一枚は、しっかり日陰干し、くらいの魂胆だったのだけどね。

残念ながら、近くのスーパーで刺身OKってやつ、それで、なめろうにした。

うちの会社の総務の女史が、港では魚がたくさん泳いでいるらしい、なんて話をしていたな。

そりゃ、彼ら、ゴールデンウイークを静かに楽しめるね、ヒトがよだれを垂らして追い込みにこないから。

なんて、ね。

金子みすゞが、イワシの大漁に浮かれている下では、たくさんの葬送の歌が歌われている。

なんて詩、残しているけどね。

さぞかし、彼女、生きづらかっただろうね、なんてことが思い浮かぶ感性だよね。

とはいえ、当方も、このところ、そんな気分にもなっていて。

わがヒト、ホモ・サピエンスの食、ってことに思いがいたり、牛肉とか子羊とか。

食べるよね、だけど……、ってわけだ。

そんなナイーブな気持ちにもなるような、このところの、「そもそも」論、だな。

昨日は、gooブログさんがメンテナンスで、ルーティンタイムには間に合わず、メモ帳に残していたのを。

夜に、アップしたんだった。

toshさんのイラ感が伝わってもきたけど。

ところで、昨日の日経だったか、篠田さんという人類学の方のコメント。

「人類が世界に拡散するのに6万年かかった。それを新型コロナは2ヶ月で成し遂げた」

だって。

6万年かけて新型コロナの拡散する土壌、環境をヒトが作り上げた。

とも言えるね。

だから何?ってなもんですか。

そうだ、今晩は、JFKの特集番組があるんだった、19時半から。

この上なく卑劣な殺人、murder most foul、ね。

これ、どうやら、ハムレットのセリフからとったようだ。

シェークスピアの悲劇、だね、こんなことらしい。

「デンマーク王子ハムレットが、父を殺し母を奪い王位を簒奪した叔父を討ち、復讐を果たす。」

ウイキにはこう書かれている。

その父親の亡霊が死の真相を語る、ってわけだ。

murder most foul, as in the best it is.

but this most foul, strange and unnatural.

「最も卑劣な殺人だ、どこから見ても。 卑劣で、異常で、残酷だ。」

シェークスピア、詳しくないんだけど。

なんとか、ディランの歌に近づきたくて、ってのが、偽らざる思いでもあり。

なにせ、アメリカなるものの鎮魂歌に聞こえるんで。

戦後ずっと、属国とも呼ばれる中で、アメリカを気にかけ、真似し、みたいな気分もあったわけで。

今履いてるスボンもモンペではなくジーンズだし。

たしかに、多くの家庭の朝食は、パンです、みたいな哀しい歴史もありつつ。

なんたって、世界の覇権国だし、やがて、中国に奪われるかも、と言われつつも。

ということで、みどりの日は、この後、海まで走るか。

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マイナス40ドル、の原油。

2020年04月28日 | Weblog

40ドルあげるから、この1バレルの原油、持ってって!


こんな出来事が一瞬、起こったんだよね。


アメリカのWYTだったか、原油の先物市場で。


こりゃ、今まで見たこともない景色だ。


だって、それを奪い合うために、どれだけの血が流されてきたか。


ありえないことが起こっている。


そして、ありえない、と信じ込んでいる考え方に亀裂が入る。


そこから、新しい時代の芽が、覗いている、われわれを。


萌芽、ってやつだね。


せっかくの「自粛モード」を心静かに味わっていると、そこかしこに。


たぶん、そんな芽の存在に気がつくんだな、という仕組みか。


まさに、神のはからい、とも言える。


そこ、スルーしたら、もったいないですよ、って次第だな。


どんな時代が来るか、という恐れやら期待やら、ってのは、もうね。


ここらでご破算、やめちゃうとするか。


どんな時代にするか、どんな時代を創造するか、ってわけだ。

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「カンガルー」、って理解できない、という意味だそうで。

2020年04月27日 | Weblog

オーストラリア大陸の先住民のアボリジニ。

時は、1773年、とか言ってたから、ごくごく最近の話なんだね。

白人の、クック船長がやってきて、カンガルーを指して、あれ、なんていう名前?

って聞いたんだな。

その時の答えが、アボリジニ的には、あんたの言っている意味が理解できない。

なんて具合に返したんだろうね。

そうか、と、クック船長、はたと手を打ち、カンガルーね、ってわけだ。

まあ、ヒトってのは、都合のいいもので、自分でわかったと腑に落ちれば、すべてよし。

くらいの話だな。

その後の推移、つまり、アボリジニへの仕打ちってのを象徴しているようなネーミング。

ヒトってやつの悲哀、とでも言っておくか。

上記のことごとは、昨日の、わが映画小屋での話。

「メッセージ」というやつで、宇宙から訪れた生命体とのコミュニケーション。

ってのが、テーマの映画で、なぜやってきたか?

地球のあなたたちを助けるためだ、と言い、3000年後には、あなた方の助けが必要になるから。

ってことなんだけど。

映画の途中で、わが方に訪れたのが、北海道は札幌の女史からの電話で。

その方も、どちらかといえば、宇宙人っぽいんだけどね。

あれやこれやと話をかわし、当方は、例の、4世紀の映画、「薔薇の名前」に出てきた。

アリストテレスの「詩学・第二部」ってのが、禁書となっていた、話をご披露し。

大笑いしたんだけどね。

なぜ?

って、禁書の理由が、「笑いは恐れをなくす」ってフレーズ、ね、つまり。

恐れがなければ、神の必要性が減少しちゃうでしょ、って。

だから、公にしてはいけません、ってわけだ。

まるで、現状を言い表してるみたいでしょ、日に日に迫る感染爆発、みたいな。

あるいは、医療崩壊、か。

四文字熟語、って割と効果的だよね、何らかの感情を喚起するのには。

そんな時の対策は、一次情報、とでもいうか、自分のまわりで起こっていること、あるいは。

自分自身にリアルに到来していることごと、だな、言葉に修飾された出来事、じゃなく、ね。

ということで、今朝は、コロンビアのサマニエゴ。

お湯の注ぎ方が、その日によって違うので、当たり前だけど、微妙に味が違う。

それを楽しむ、違いのわかる男、ってのを演じているんだよね。

 

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アルファロメオのシンボルマークだそうだ。

2020年04月26日 | Weblog

今朝はいきなりの画像アップからだけど。

ヴィスコンティ家の紋章だというんだよね。

戒厳令下、いや、都市封鎖中のイタリアはミラノ、発祥の自動車メーカーゆえに。

これとミラノ市の赤に十字を組み合わせて、ってことらしい。

いずれにしても、ベースは、ご覧の通り。

これをどう見るかは、それこそ、各人の自由、ってことだけど。

よくよく見てみたら、なかなか、強烈なものだよな、と。

古い古い、深い深い、ヒトの奥底に眠る、何がしかのことごと、そんなことに思い至ってしまっていて。

このところ、ずっと、こんな映像が、脳内経路を通り過ぎている。

なんだろう?

なんて時に観た、夕べのわが映画小屋は、「スポットライト」。

アメリカは、ボストンでの、キリスト教会の神父さんを告発した、というストーリー。

実録だそうだけど。

例の、性的虐待、ってやつね。

よく、こんな映画、バチカンが許可したな、なんて思いつつ、観入ってしまったんだけど。

神父の6%が、そんな行為に手を染めた、って次第で。

なんだろう?、だな、ここでも。

ひょっとしたら、われわれの、というか、正確には、この僕の、と言ったほうがいいか。

今までの人間理解、ってのは、ちょっと、幅が狭すぎ?って考えが浮かんだりしてる。

善悪という判断は、ちょっとおいといて、そもそも、ってね。

DNAというのか、潜在意識というのか、蓄積された思考の束というのか。

そんなことごとが、どうやら、違った様相でもあるのかも、って。

結論ではありません、仮説、です。

プランA、プランBの、さしずめ、プランCって感じかな。

こんなカオスの時には、さまざまなプランを試してみるのも、一興ってわけだ。

今朝は、これ以上は書けないな、書きたいけど。

 

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われわれが邦のために何ができるのか

2020年04月25日 | Weblog

またぞろのJFKからの拝借なんだけど。

国を邦にした方が、しっくりくる。

国、という文字には、さまざまな夾雑物が入り込み、めんどくさそうだからね。

右翼だ左翼だ、ってのを超えて、邦だ。

地域、とかの言葉にも近くなるような。

というのも、「わからないこと」への対処の仕方が、罵詈雑言という、割とありふれた様相でしょ。

未知と遭遇すると、上を下への大騒ぎ、ってなもんだ。

だって、誰にも解はなく、歴史的にもね。

解を求めるという習性は、誰にもあるのだろうけど、それぞれにそれぞれの世界が、解がある。

って次第で。

それをカオス、混沌、というわけだ。

混沌、って文字の語源は、たしか、わけわからない怪物を目の前にした時の右往左往、ってのじゃなかったかな。

古代中国で突然現れた、理解不能な怪物、だったかな。

蜂の子を散らすように、なんて言い方もあるけど、まさに、そんな感じで。

わが身に置き換えてみると、散らされているように見える蜂の子も、それぞれにそれぞれの解を求め。

こういう時は、すかさず動くことだ、なんて講釈を垂れながらの顛末なんだろうね。

そんな時、ちょっと外側に、ちょっと大きく枠をこしらえてみる、って方策が。

くだんの、邦、という文字に置き換えたJFKの至言ということです。

自分の命を守る、家族を守る、社員を、会社を、という方向を、逆に、大向こうから自分へ返す。

って手法ですね、って、そんなのあるかどうかわからないけど。

往還、往って還る。

向こうへ往ってみる、そこから還ってくる、って、たしか、親鸞さんが言ってたんじゃなかったかな。

往相還相(おうそうげんそう)とか言ったな。

ま、こちらは、たまたま、ボブ・ディランの「murder most foul」に出会っちゃったんで。

JFKです。

 

 

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故郷の薫りが、いや、便りか、届く、だったか。

2020年04月24日 | Weblog

かあさんは生味噌を擦り込み、おとうは土間で藁打ち仕事。

の次くらいのフレーズが、表題じゃなかったかな。

忘れましたが。

この春は、大学生は入学できたのか、引っ越しできたのか、花の都大東京へね。

この時期、GWを控え、帰郷のシーズンだな。

故郷を、母を思う時期、彼らの帰郷は、果たして叶えられるのかどうなのか。

って、悩ましいCOVID-19禍、stay home だからね。

帰ってくるな、の大合唱だろうからね、まるで。

石川啄木だよ、みなさん。

 石をもて 追われるごとく故郷を いでし悲しみ消ゆることなし

だよな。

そこは、冷静に、理性的に、道徳的に、行動変容させ、という世間様からの冷酷な。

仕打ち、それもこれも、COVID-19のせい?

ってわけだ。

それは、会社、とか、集団、組織、なんかでも似たような話は転がっていて。

もちろん、今までの、COVID-19以前の、という括弧つきの会社であり、組織であるんだけど。

ルール、って奴が、跋扈しているんだよね。

それは、ヒトが生きるため、よりよく暮らすために、集団を形成しているんじゃなく。

集団には集団の、独自の仕組み、とでもいうか、営利企業だったら、利益を極大化する。

とか、軍隊だったら、戦に勝つための仕組み、ってのを構築し、とかさ。

はしなくも、COVID-19がそれらのことを、目の当たりに現前させてくれた。

ルール、目的を達成するための、日々の作業の効率化、能率化、生産性、などなど。

つまり、目的は、COVID-19の無力化、感染の極小化、なんてことで。

そのためなら伝統的な人間関係は死んでもいい。

ってパラドックスだけど。

ツービートのタケシが言っていた、健康のためなら死んでもいい、ってやつね。

アベノミクスがアベノマスクになってしまった悲劇、とでもいうか。

民主的な支配・被支配の構図が、なよなよってなっていたこの何年かの。

象徴的な言葉として、たぶん、後世に引き継がれ、なんて話だな。

経済を回す、という合言葉と、COVID-19の無力化という社会そのものを救済する命題との齟齬。

なんてね。

いずれにしても、故郷を追われる、帰郷者群に思いを馳せる唄を思い出した朝。

というのも、簡単な話で、手指の消毒を!きっぱり、という情勢の中、わが手指は。

カラカラに乾き、なので、愛用の、昨年、木曽は平沢にて買い求めた、熊の脂をすりこんだ瞬間に。

やってきたのが、かあさんの生味噌だったのです。

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瞑想の最中、小鳥のさえずりが。

2020年04月23日 | Weblog

このところ、鳥とか花とか、そういったものが五感にやってくる。

と言うのか、意識がそちらに向いているのか。

例えば、これ。



タンポポ。
 
ほのかな風に揺れていたんだけどね、今朝見たら。
 
すでに、各所各方面に飛び散って行った後だった。
 
昨日だったか、日経の「明日への話題」と言う夕刊コラムに、篠田さんという作家さんが書いていた。
 
COVID-19がらみね、環境破壊によって。
 
「特定の地域で特定の生物と平和共存していたウイルスを解き放って、
 
ヒトの細胞という絶好のエサと住処を大量に与えた」

のがパンデミックじゃない、なんて。

人工的か、自然発生か、なんて議論もある中、たしかに、これ、ありかもだな、と。

と同じことが、わがヒトの間でも起こっていて、さしずめ、外食屋さんがお弁当屋さんに変身しつつ。

なんてのも、似たような話でもあるね。

「エサと住処」がどこにあるかなんて、誰にもわからず、ああじゃね、こおじゃね、と喧々諤々。

ってことを、社内戦略会議であったり、脳内試行錯誤であったり、ってのを繰り返し。

ルネッサンスが登場、って仕掛けだな。

わが建設業界なんかでは、首都圏からの職人さんへの恐れ方、忌み嫌い方?ってのは。

まるで、関東大震災での朝鮮人大量虐殺、みたいな風情でもあるからね。

あるいは、首都圏ナンバーの車、とかさ。

この、恐れを、どうしたら、ルネッサンスへと導引できるか、ってわけだ。

リアルな首都圏の人士方への恐れ、って、とりもなおさず、自身の命への、暮らしへの、もっと言えば。

自分の中に隠す生存本能からの発症なんだろうからね。

そういう意味では、本音で語ろう!の本音だな。

だから、そこに小さな萌芽が見えるわけだ。

お為ごかしや慮りや忖度や空気読みなんかからは、新生地球、は生まれません、きっぱり。

ってとこだな。

もっとも、こんな書き方ってのは、語弊、誤解、誤読の宝庫、でもあるけれど。

いずれにしても、自分の中に眠る、隠れてる、恐れなら恐れ、喜びなら喜び、ってのに。

真摯に向き合う時処位を与えてくださった、このタイミングをいかにせむ、とも。

 

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今朝はディランを聴きながらのモカ

2020年04月22日 | Weblog

自主休業、三日目の朝。

表題のごとくで、相変わらず、アメリカへの、鎮魂の歌を聴いている。

iPhoneのミュージックアプリは、とても親切で、歌詞が歌声と同時に流れる。

最近、知った技だけどね。

バックに流れるのは、ピアノとヴァイオリンかな。

場面場面の登場人物にかぶせて、ジャズやクラッシックを書き込む村上春樹みたいな。

17分の間に、何人の、何曲の歌が歌われているか。

そんな感じの「最も卑劣な殺人」という新曲。

相変わらず、この列島の古い湊町で、こちらの文化なら、瞑目して合掌、みたいな歌を聴き続けている。

せっかくの休業中の身だから、この間に、彼の書いた、全ての曲と歌手、俳優を味わっちゃってみるか。

なんて、まるで、謹慎中、蟄居中、みたいな気分にもなる。

と言いつつ、今日は、午後から二つのwebミーティング。

これに習熟したら、プレゼンにもいいし、中には、カウンセリングなんかに使ってる方もすでに。

そこかしこに存在し、無い物ねだりからの、あるもの探し、ってわけだ。

外食屋さんが、テイクアウト弁当とかツマミとかをやり出してるよね。

みんな、応援しよう、って気になってるから。

そんなカタチが、洗練され、変遷を経て、新しい文化を産み出すかも、だね。

なにせ、誰もわからない未来、だって、未だ来らずだから。

決して、過ぎ去ったものとしての過去。

からの類推、連続ではなく、それじゃ、未来じゃなく過去に縛られた現在だもんね。

やってみる、失敗する、悩んで直して、またやってみる。

という、至極、簡単なことなんだろうな、と思う。

真理はかんたんなんだな、きっと。

言う者は知らず、知る者は言わず、って、つまり、言葉にすがらない、ってことで。

言葉にすがるよじゃ、恋も終わりね、っサザンも歌ってたよね。

恋も事業も人生も、みんな、煮たもちゃ雑煮、ってわけだ。

そうだ、夕べ、少し読んだのが、「ペスト」。

その一シーン、ペストに凌駕されつつある、場末のバーで、主人公リウーが人と会う。

いや、恋人が閉鎖されたこの街の外にいて、恋い焦がれる新聞記者だったか。

そこで流れているのが、ST.James infirmary(セントジェームズ病院)、と言う曲。

どこかで見かけた、と思ったら、ディランの歌に、あった。

「トム・ドゥーリーが首を吊られた場所へ、俺を連れてってくれ」と言う歌詞に続いて、この歌を俺のために。

かけてくれ、ってね。

この病院の歌、原曲はアイルランド民謡、なんてウイキにはあるな。

だからなんだ、なんて記述が続くけど、そこが、〜オタクの醍醐味でもあるんだな、きっと。

で、どこかにいる、ディランのこの歌にピピピッときた人と、オタクさ、この歌の、この箇所、どうおもう?

なんて関係に入り込み、って次第だ。

と言うわけで、次なるルーティンへ入り込むか。

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遠隔会議その1、って風情か。

2020年04月21日 | Weblog

夕べ、同友会の共育委員会を表題のごとくに開催。

総勢6名の、浜松、榛原などなどのそれぞれの、わが事務所までの距離の総計はどのくらいか。

時間と費用は、ってくらいだな。

今回の、距離を保て、の標語に鼓舞?脅迫?されるように、って次第だ。

と実行してみると、さまざまなアイデアが湧いてくるから面白い。

今回は、zoomだったんだけど、ファイルの共有もでき、ホワイトボードも使えるしね。

この何ヶ月かで、こんなスタイルがデフォになるんだろうな。

あとは実践あるのみ、だな。

例えば、ビジネス用語で、営業、なんての、あるけれど、足で稼げ、とか、夜討ち朝駆け。

とかね。

見てみて、こんなのがあるんです、うちの会社、こんなんです、ってpush型だね。

押す、押しが強い、とか言うよね。

日経のコラムに識者?ジャーナリスト?学者さんだったか、ポストCOVID-19時代には。

営業はなくなる、なんて書いていたな。

たしかに、わが事務所にも、いろんな電話やら封書やらハガキやらあるしね。

うかうかしてると、その対応が僕の仕事です、みたいな満足感に浸っちゃいそうだけど。

思い起こせば、商売始めた頃、どこの馬の骨だかわからない頃、先輩に紹介されたり、何やらで。

あちこち行ったかな。

そんな経験があるので、訪ねてくれる営業さんをぞんざいにはできず、と言うのはアリだな。

それはともかく、距離と時間を瞬時に消失させてくれるweb会議ね。

在宅勤務とかもそうだけど、これを機に、と言うことで、そこここで、普通のことになるだろうな。

なにせ、「そもそも」が時代のキーワードだからね。

そもそも、なんで仕事してるんだっけ、とか、なんで会社へ来るんだっけ、とか、なんで社長と。

呼ばれているんだっけ、とか、数え上げたら星の数ほど、って。

なんでなんでの大合唱になるはずなんだけどね、予測では。

外食当たり前、旅行当たり前、の時代が、なにか、遠くの方の思い出、みたいになりそうな。

旅行、と書くといかにも口当たりがよさげだけど、ちょっと前までは、例えば。

伊勢神宮へお参りに、なんてのは、水杯をかわし、ってんでしょ。

死出の旅、みたいなもので。

品川から「大山詣り」なんてのだって、出かけるまでは大騒ぎ、って噺、落語ね、あるし。

いつの間にか、旅が、旅行と呼称され、変人ではなく、ごく普通の人が行くものに、とかさ。

ほんのちょっと時間を巻き戻したら、そりゃもう、理解不能な話なのかも知れず、なんてこととかが。

COVID-19と呼ばれる妖怪?が徘徊する時代の後には、果たして、どんなルネッサンスが。

フランス語で、再生、と言う意味らしいけど。

わが列島に訪れるのでしょうか、って解釈も成り立つね。

こんな時代は、人を哲学者にさせるのかも、あるいは生物学者、天文学者、いや、小説家や詩人にも。

そう、思い通りになる、と豪語とともに今朝のブログは終了しますか。

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