まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

Facebook狂想曲は「強要するなよ!赤木」by スラムダンク

2013年01月31日 | Weblog
ここ二三日、Facebookに再突入して。

ちょっと、コメントやらなにやら、こまめに見て。

プラス、弊社のFacebookページへ、いいね!ボタン押してくれ作戦、が炸裂し。

自分のタイムライン上では、にぎやかだったのです。

あくまでも、これ、自分のタイムライン上なのです。

まるで、人生のまんま、みたいなもので。

知らない人には、何も起こっていないわけで。

って、FacebookやTwitterをやらない方には、なんのことだか、って話だけどね。

要するに、いろいろ、書きこみ、で、一見、多くの人が見ている風情だけれど。

その実、自分の書いたものが流れて行く、という、タイムラインだけが残って行く。

とでもいえばいいのか。

もちろん、ネットサーフィンというように、さまざまな方が書き込んだ情報に。

その都度、いろんな反応をしていくのもありだけど。

こんな具合に、SNSについて語っている自分の姿をふりかえると。

まるで、パソコンを始めたときの、オトナみたいだね。

パソコンがなぜ動くかについて、ああだのこうだの、という議論をする、みたいなね。

パソコンでなにができるか、どう楽しめるか、を探す前に、と。

頭のやわらかい子どもは、そんなことの前に、パソコンで、あるいは、ゲームで、まず、あそんじゃう、というね。

むかし、大江健三郎の「見る前に跳べ!」って小説、あったけど。

そんな感じです。

今夜も、祝還暦、のウタイで、一杯飲むんだけどね。

ここのところ、還暦というフレーズが、僕のまわりでは、ふりまかれているのです。

シャネルの何番とかいう高級香水みたいなもので。

まわりの若い方々は、その移り香で、辟易もし、楽しくもあり。

みたいな風情なんだろうな。

そうそう、Facebookページ狂想曲だった。

強要するなよ、ってフレーズは、ご存知の方はご存知、スラムダンクです。

漫画です。

湘北高校バスケ部キャプテン、赤木がね、弱小にもかかわらず、全国大会をめざす。

なので、そんなこと、夢にも思っていない同僚の部員たちに、厳しい練習を強要するわけだ。

そこで、他の部員たちは、お前の熱さがうっとうしいんだよ、的な感想として。

上記の言葉が飛び出すという絵柄です。

どんなことにも、温度差、なんていう上から目線言葉を発するメンタリティーというものは、顔を出し。

柔らかき乳房の、熱き血潮にふれもしない道学者、という役割分担ってのは、あってね。

最近、僕の気に入っている瞑想のマスター、とでもいえばいいのか。

OSHO(おしょう)という方は。

「神」とは永遠に起こりつづけるものだ、というんだね。

これ、わかりにくいかも、ですが。

ので、このへんの話は、またにしますか。

自分と言うもの、というか、自我とか呼ばれているものは、過去をえさにして、生き続けているんで。

しかし、過去ってのは、字の通り、既に過ぎ去り、今はもうない、ってことでね。

日々新たに、ってのは、まったく新しい自分を、いつだって、朝、顔を洗うたんびに。

自分で選択できる、ということですね。

って、またFacebook狂想曲から、はずれてしまったね。

と、なかなか、表題にかえることができないままに、本日のブログは終了、ということで。
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称名寺はどこにあるか知ってますか

2013年01月30日 | Weblog
もう今日は、コテコテの地元ネタです。

一昨日、商工会議所の新年会があって。

ぼくは、Bテーブルだったんです。

清水駅前の昔からのやすい軒、そう、さぶちゃんのところです。

たまたま、両隣が、歴史好きな方で。

まず、左となりが、メガネ屋さんの大将で。

わが母親が、補聴器を買わせていただいたことのあるお店でして。

これこれ、かくかくしかじかで、母親が、つけたがらないので。

と言うと、一度、調整においでになったらいいですよ。

と言うので、じゃ、わたしがつれてきます。

なんて会話をしながら、ひょんなことから、わが菩提寺、高源寺の話になり。

そう、秦久能(はたのひさよし?)の開いたという久能寺。

そこの宿坊が、高源寺に移築され、市の重要記念物だっけ、そんなものに指定されていて。

鉄舟寺は、久能寺が移築されているんですよね、なんて話から。

ところで、くだんの御仁。

江尻にある、江浄寺の末寺で、「称名寺」がどこにあったかご存知ですか。

ときた。

どうやら、江浄寺がご本人の菩提寺らしく。

あれ、たしか、日蓮さんでしたか、と言うと、いやいや、浄土宗で、と。

その末寺が、秋葉山の近くにあった、と言うんだけど。

わからないのです。

というので、これがまた、おもしろくて。

こうした、点と点を結んで行くと、また、とんでもないところへ飛び火し。

点が線になり、線が面となり、面が立体となり、なんて会話をしながら。

小さな手帳を取り出し、そこへ、しっかり、「称名寺」と書いたのでした。

さて、では、そのお寺は、どこにあったのか。

それは、コマーシャルのあとで、じゃないけど、まだ、わかりません。

右となりの御仁は、海運会社の管理部長さんで。

ベトナムやミャンマー、タイにも支社があるようで、名字がかわっていて。

いさの、という方です。

この駿河の地は、もともと、沼津あたりが栄えていて。

そこへ、大和と、それから、いまの静岡、府中が手を組んで、沼津を攻め滅ぼした。

ということだったかな。

もっと詳しく、いろいろ話されたけど、忘れました。

とはいえ、これも、点と点でして、やがて、線になり、と。

ほんの短い新年会の会話だったんだけど、収穫、ありあり、でして。

その後、ザビエルなんとか、という御仁と削り節屋の大将と。

芸者の小鈴さんのところで、軽く飲んで、夜は更けたのでした。

そういえば、昨日。

これまた、歴史ネタですが、大工のもっちゃんから、お昼ころ電話があり。

一時間ちかく、おなかすいたでしょ、と言いながら、彼が話した。

まさに、彼が話したというわけです。

もうね、メモもする暇もなく聞いていたので、何を話したのか。

おぼえてませんが。

古代中国の、夏(か)だの商だの、ことに商という邦の祭祀の仕方に、天皇家の原点があるそうで。

なんて僕もふったのだけど。

彼は、脇目もふらず。

日本には、秦(はた)一族が大挙してきていて。

例の、秦の徐福伝説ですね、うんぬんかんぬん、というわけで。

とにかく、お昼も食べず、ずっと、彼の話を聴いていた。

あちらにとび、こちらにとび、なので、ここに、まとめるのは、とてもむずかしい。

と言っておこうか。

ま、今度、軽ーく飲みながら、大きな白紙を用意して、会いましょう。

と、お開きになった、というか、解放された、というか。

そうそう、中国の西方、クルジャ、というところが、キーワードだ、という印象がのこっているんだけどね。

それはともかく、いろんな方が、いろんなことを見聞きし、考え。

生きている、ってのが、これまた、人間のおもしろいところで。

すべて人間は、ひとつところから発し、ひとつとことに帰る。

という瞑想の世界でいわれている、ワンネス、というものも。

まんざら、変な話でもないかな、なんて感想ももちまして。

わが還暦の記念日はすぎていったのでした。

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還暦は本卦帰りとも言うらしい

2013年01月29日 | Weblog
本卦というと、いかにも、もっともらしく聞こえるけど。

単に、自分の生まれた年の干支に帰る、とでもいう意味だと。

ウィキペディアには、そう書いてある。

そうなんです。

今日、1月29日で、還暦ということになるのです。

この「還暦」と言う言葉は、それなりのインパクトを与えるようで。

還暦を迎えます、というと。

一瞬、ウッ、という間があくんだね。

もうそんな年になったのですか、というものなのか。

そんな年には見えません、とでもいうのか。

いずれにしても、この何十年かで、寿命も伸び、高齢者が増えているのだけど。

心の奥の方では、昔ながらの、還暦、という感覚だけは残っている。

とでもいえばいいのか。

ま、そんな理屈はどうでもいいんだけど。

とにかく、還暦、60歳なのです。

思えば遠くへ来たもんだ、と中原中也をまねてね。

いや、武田鉄矢の海援隊の唄だったか。

ラッキーとか運がいいとか、そんな気持ちで。

感謝です。

この年になっていなければ、気がつかないことはたくさんあるので。

それだけでも、ラッキーです。

前にも書いたけど、本屋さんをぶらぶらしていて。

こういう本に、みんなだまされちゃうんだな。

と慨嘆したりするんだけど、だれしも、自分で経験・体験しないかぎり。

とてもじゃないけど、納得できないし。

こちらがだまされている、と思っても、本人さんは、それが、大正解なのかもしれず。

わかりません。

還暦の赤いちゃんちゃんこは、産着の、魔除けの赤にも通じるそうで。

新しく生き始める、とでもいいましょうか。

商の湯王にならって、日に新たに、日々に新たに、ということですね。

さらに、浜松の設備工事会社、日管のなくなった三輪社長さんがおっしゃっていた。

その出典は、長府製作所だったか、そこの社長さんだったようだけど。

今までたくさん失敗してきたことを、これから生かすんだから、楽しみでしょうがない、というような考え方ですね。

情けなき数々、恥ずかしき数々のことごとが、この先、珠玉のようなね。

光り輝く宝物になっていくのを、眺めることができるというわけです。

one piece、ひとつらなりの宝物、ということですね。

季節で言えば、厳寒の冬がすぎ、つまり、すべてが凍り付くような、だけど、土のなかでじっくりと春の準備をし。

芽がふき、花が咲き、緑もえる若さの夏をすぎ。

それが果実となる、収穫の秋とでもいいましょうか。

そして、それは、やがて枯れて行くのだけれど、決して、腐乱していくのではなく。

天と地の循環に帰って行く、というね。

ま、壮大な生命の源とつながっていくわけで。

まさに、本卦へ帰って行く、とでもいいましょうか。

と、還暦を迎える朝、こんなブログを書いているのです。

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早朝からの出棺の顛末は

2013年01月28日 | Weblog
第二おじおば会ならぬ。

昨日は、前日のおじおば会のメンバーを、出棺に間に合うように。

葬祭会館まで、送り届け。

ぼくはぼくで、休日をすごし。

といっても、ブックオフで、「太公望(中)」を買い求め。

これで、上中下がそろい。

お昼には、次男坊つくるチャーハンをながめながら。

当方、炊きたてのご飯に、ちりめんじゃこ、削り節で。

親子水入らずの、日曜日の昼食とあいなり。

時は過ぎて、夕方になり、さらに、ぼちぼち、NHKの大河ドラマが始まろうというころ。

母親とおじが、帰着。

家へ入るなり、母親が、ここだけの話だけど、と語りだし。

そこには、次男坊と妻と僕。

早朝からこの時間まで、80歳をすぎたからだには、ずいぶんと大変なことだったろう。

とは想像はつくものの。

そこで、起こった出来事というのが。

葬儀が終わり、祓いの席でのことだったようで。

お酒も飲んだのか、おじがいきなり倒れ。

救急車で運ばれ、その病室に、母親が、出たり入ったり、と。

2時間ばかり、そこで過ごし、タクシーに乗って帰ってきたようで。

その顛末を、あたしゃーどうなることかと、といつもの表情で。

我々の前でかたり。

そりゃ、大変だったね、と言いながら、今日は疲れただろうから、早くねたほうがいいよ。

と送り出し。

たしかに、何の変化もない日常が、大半の時間なので。

気苦労も多かったんだろうけどね。

いずれにしても、おじも無事帰還となり、めでたしめでたし。

で。

しかし、ここだけの話、と前置きして、という心ぐせが、わが母親の家系にはあるようで。

母親が去ったあと、次男坊と妻に。

みんなに知らせたいときには、ここだけの話、ってのは、とても有効で、パワフルな言い方だからね。

なんて、小さな笑いをとり。

久々に晩酌を、しかも、いつもより、一つ多い、二合飲んだぼくは。

大河ドラマを見ながら寝てしまい。

今朝は、ほんとに、早くから目が覚め。

5時前には、瞑想も終わり、と言う次第で。

さっきまで、「太公望」を読み。

で、今、ブログを書いているというわけです。

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来宮神社には白蛇はいなかったが

2013年01月27日 | Weblog
何年前になるのか。

長男坊と、伊豆の河津、来宮神社へ走ったのは。

たしか、夢で白蛇を見た、というので。

速攻、妻と三人で車を走らせ。

そのときは、どこで昼を食べたのだったか。

それにしても、白いヘビを見るなんて、縁起がいいね。

という話からだったか。

今月のおじおば会は、その来宮さんに、初詣ということで。

94歳になるいとこが、なくなり。

お通夜がいつで、葬儀がどこで、という会話が渦巻き。

ビジネス用語でいう、スケジュール管理からは縁遠いところで日々くらしている。

わが母親たちだから。

来宮さんへ走る、ということすら、いつのまにか、どこかへ消えて行き。

そうだ、今日は、お通夜だから、ぞうきん片手に。

そのお宅は足の踏み場もないから、と母親が、いきなり、朝から行く。

と言いだしたり。

最近は、そんなにつきあいもないから、みんなで行く必要もない。

となったり。

わたしは風邪気味ということで、あんたがかわりに行ってくれれば。

というように、僕に白羽の矢がたったり。

ということごとが、この数日のあいだに、おじおばの間で起きて。

なのだけど、素知らぬ顔をして、でもないけれど。

お通夜、葬儀よりもおじおば会、という。

嬉々せまるおじおば達の、裏側の声を、素直に実現するべく。

僕は、長男坊の時のように、車を来宮神社へ走らせたのでした。



この記念写真は、初詣のあとの、直会の席で。



峰温泉の噴騰を食事しながら眺めることができる。

という「くらの坊」という食事処です。

ここは、ホテル「四季の坊」に付属するらしく、夜はそこのお客さま専用だそうで。

そこは、ペットもご一緒にどうぞ、というコンセプトだそうですが。



タバコはここで吸ってね、という小洒落たスペースもあり。

といっても、ほとんど東京圏の、この地では、アウトドアだけどね。

僕は、きのこ鍋、桜えび炊き込み御飯つき、というやつで。

おばたちは、きのこの温うどん。

口々に、おいしい、いいお味、お箸が細くて食べやすい。

と、ご満悦で。

多分、これからは、この食事を基点にして、この日の初詣が語り継がれるのだろう。

そんなわけで、今月のおじおば会は、来宮神社+「くらの坊」なのでした。



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運がいいと思っている人を採用した

2013年01月26日 | Weblog
って、表題は、バレバレで。

有名な松下幸之助さんの話ですね。

社員を採用するとき、きみは運がいいんかいね。

くらいの質問を、関西弁でしたんだろうね。

それが、運がいいんです、たまらなく、と答えた人が採用され。

というんだけど。

これね、なかなか、深くて。

瞑想の世界とも通じ。

さすが、経営の神様と謳われた幸之助さんの言葉です。

とはいえ、あくまでも、言葉しか残されていないので、って。

いやいや、立派な事業が残っているでしょ、とも言える、のですが。

当たり前だけど、後を継いだ方々には、少々、むずかしかったのかもしれない。

なんて、ちょっと、上から目線でおさえといて。

実は、この言葉、当たり前のことを、言っているだけでね。

今、運がいい、と言わなければ、実のところ、言う時はないんだね。

神様は、当たり前のことしか言わないのです。

いやいや、開運の神社にも行ったし、いつもいいことするようにこころがけているんだから。

この先、運が向いてくるはず。

なんて、心ぐせが、そもそも、神様の言うことに反していて。

運なんて、開いてもらうものではないし、だれかにさずけてもらうものでもないし。

簡単なんです。

運がいい、というだけでいい、というわけで。

嘘も百万遍いえば、真実になる、というのは、歴史の証明するところですからね。

さらに、時間なんてのは、いま、しかないわけで。

といえば、またぞろ、いまここ、ですか。

ともなりますが。

さすがに、希代の傑物、幸之助さんです。

ってことを、いくら、言葉をついやしても、せんないことだけど。

言葉ってのは、すてきなものだけど、反面、やっかいなものでもありね。

古来、よくもわるくも、その言葉たちに、翻弄されてきたのも、事実なわけで。

そろそろ、言葉からの解放運動でもするしかないかな。

神から預かった言葉を文字として占有し、それを力に、人々を意のままにあやつり。

ってのが、白川静さんが言っている漢字の起源だということで。

宗教の創業者にしても、その後裔がね、言葉を換骨奪胎し。

はじめになにがあったの?ってのが、わけわからなくなり、という光景は、随所にあるんで。

そもそも、言葉で表現できないことを表現しようとする営為にね。

人間という存在の仕方の悲しみも、見えるということで。

そんなことは、この際、どうでもいいので。

運がいいと言う人を採用した、という幸之助さんを偲んでみましょうか。

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ナンバ走りのような、マンU香川のリズム

2013年01月25日 | Weblog
つい最近、飲みに行く。

というので、次男坊に送りを頼み。

すると、ちょっと、数分ばかり、待って、と。

BSで、マンチェスターユナイテッドとトットナムのリーグ戦をやっていて。

前半が残り、わずか。

テロップには、香川先発出場、とあるんだね。

こりゃ、飲みに行くより、この試合見ていたい。

という気分のなか、ほんの数分、香川のプレーを堪能した。

あきらかに、リズムが違うんだね。

大男の、バーバリアンみたいな欧州人にまじり。

彼のスタイルは、独特で。

監督のファーガソンも、なかなか、チヤレンジャーだよな。

と車中、次男坊と盛り上がり。

ボールポゼッションも、香川の在、不在で、違うらしい。

同国人というひいき目なのかも、と多少、謙遜しながら。

次男坊も、なかなか、マンU情報を集めていてね。

これからのプレミアリーグ、楽しみです。

日本代表でも、もう少しで、W杯の予選突破がなりそうなので。

その後の、ザックのチャレンジが、どうなるか。

つまり、トップ下が、本田のままなのか、香川を起用するのか。

見物です。

香川の走りは、ナンバかな、なんて仮説ですが。

陸上選手のような、力学的に、科学的に云々、という走りではなく。

パスやシュートのタイミングも、なんとも、おもしろいんだね。

ですので、これからの香川に、再注目というわけです。





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やるせんない、は忙しいという意味?

2013年01月24日 | Weblog
今日は、朝から忙しく。

ブログのアップがこの時間になってしまった。

のだけれど。

忙しい、というのは、慣用句で、実際に忙しかったわけではない。

とはいえ、今朝の起床時間は、4時半で。

枕元で、iPhoneが振動す音で目が覚め。

この時間に間違い電話か、と思いつつ、目を凝らすと。

静岡の薬屋さんのお嬢さんから。

母が夜中になくなりました、というもので。

昨年末から入院中だったので、予期はしていた。

94歳。

で、朝、母親やとなりのおじに、かくかくしかじか、と伝え。

もちろん、おばたちにも。

母親の母親、その兄の娘さんが、逝去された方で。

つまり、母親たちのいとこになるんだね。

だいたい、父方の親戚より、母方のほうが、なにかとつきあいが濃いものだからね。

一方、わが母親は、今日が、かかりつけのお医者さんへの通院日で。

朝から、やるせんない、やるせんない、と繰り返し。

僕は、病院まで送っていったわけだ。

人が亡くなっていくのは、かなしいことでもあるけれど。

なくなってしまった後は、さあ、忙しい、と言う言葉はつかわないけれど。

妙に、浮き立つような風情が漂い。

葬儀場が、葬祭センターとかと名付けられるのも、わからなくはないね。

ある種のお祭とでも呼べるか。

日頃、ご無沙汰している方々の顔が浮かび。

今まで経験してきた葬儀のことごとが一挙に、わが母親のもとにもおとずれ。

一気に、やるせんない状態に早変わり。

病院へいっている場合じゃない、わたしはどうしたらいいんでしょう?

という風情で、車中。

のどがいがらっぽいので、あめ玉をもったつもりが、ない。

わたしもこんなに、意気地がなくなって。

からだも、なんだか、自分のものじゃないようだし。

こうして、だんだん、あちらにむかっていくのかね。

というような会話を交わしながら、かかりつけ医に到着、とあいなった。

まわりで起こっていることは、まちがいなく、商の湯王じゃないけれど。

日にあらたに、日々にあらたに、また日にあらたなり、と言う具合で。

あたらしいことごとが、巻き起こっているのだけれど。

それの解釈の仕方が、定型化していく。

のが、わが母親の日々でもあるようで。

どうやら、今週末のおじおば会も、葬儀にかさなりそうで。

ぼくはぼくで、おばたちに、そういうわけだから。

仮に、日曜日でもあいてるかな、と確認の電話をし。

さてさて、おじおば達の楽しみにしている伊豆行は。

はたして、どうなりますやら。



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京ヒヤで飲むお酒の肴は何がいいんだろう

2013年01月23日 | Weblog
僕の好きな落語に、「らくだ」というのがある。

わがiPodには、らくだ、と名付けられたプレイリストがあり。

志ん生、談志、円生、志の輔、小文治、可楽、米朝の演じた噺が入っている。

「家族に乾杯」でおなじみの笑福亭鶴瓶も、「らくだ」の一人会のツアーをやっている。

と何年か前、娘が言っていたな。

噺の筋を、ものすごく、はしょって言うと。

フグにあたって死んだ、らくだ、という長屋の札付きを。

くず屋とらくだの兄貴分の二人で、焼き場まで運ぶ。

というものなんだね。

その頃、願人坊主という、ま、今で言えば、お寺つきのホームレスみたいな人がいて。

昼間から飲んだくれて、道ばたで騒ぎ、夜はそのまま、そこへ寝てしまう。

というていたらくで。

二人が、菜漬け屋から譲り受けた棺桶にらくだをおしこみ。

エッサホイサ、と焼き場まで運ぶ道すがら。

桶のそこが抜け、死人のらくだをおとしていまい、あわてて探して。

まちがって、その酔っぱらいの願人坊主を、焼き場へ投入。

となるわけだ。

そこからが、落ち、というか、さげになる。

あちちちー、と大将、言うんだね。

ここはどこだ?

と酔いからさめて、聞くわけだ。

ここは落合の火屋(ひや)だ。

そうか、それじゃ、ひやでもいいから、もう一杯。

と、噺が落ちて、落語となるんだね。

過日、ある女性と馳走さんで、お昼をごちそうになり。

って、ある女性、という書き方が意味深だけど、訳ありでない、ある女性、です。

その時、大将が、お客さんから聞いたんだけど、ということで。



こんなメモ用紙を取り出し、噺が始まる。

ってほどの落ちはないんだけど。

お酒を飲むときの温度で、こんな言い方があるんだよ、というわけだ。

僕は、たいがい、ぬる燗でたのみますね、とお願いする。

のだけれど、下から二番目の、「京ヒヤ」という言葉が、素敵だな、と感じ入ったのです。

いつだったか、京都のタクシーの運転手さんに、ここの冬は冷たいですよ。

と聞いた言葉とダブってね。

それで、表題になったのですが、そりゃ、馳走さんで知った言葉だから。

馳走の大将の、こころづくしのお料理でもう一杯。

という落ちに、強引に持っていっちまおうか。
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山の手は高級住宅街だった

2013年01月22日 | Weblog
昨日、清水の山の手へ行ってきたのだけど。

ちょっと、屋根をなおしてほしい、というリクエストがあって。

で、集金をかねて、なんだけど。

そこからは、興津の海が見下ろせてね。

西園寺さんもいたくらいだから、興津は日本でも有数の保養地でもあったんだろうな。

なんてことを、本日のブログネタにしようと思っていて。

車で出社したのだけれど。

そこで、かかっていたのが、桂文楽の「素人鰻」でね。

山の手は、高級住宅街だった、というネタにぴったりくる噺で。

明治維新で、侍家業が廃業となり、少しばかりの退職金で。

世すぎ身すぎのために、なんらかの商売をはじめるんだけど。

侍の商法と言われるごとくに、たいてい、だまされたりして、失敗する。

という噺ですね。

ところで、このあたりで、山の手といえば、安東とかあと、どこかな。

なにせ、山に麓、というのか、山際というイメージがあって。

昔は、川は、水利というくらいで、なにかと便利ではあったけど、氾濫したし。

逆に、外部からの侵入者は、舟を使って容易に入ってくることができたわけで。

邪馬台国があった、ともいわれる九州北部の地も、後背地は山で。

一方だけ、侵入を抑えるための柵をつくっとけばいいような地勢でね。

どうしても、土地の有力者たちは、山側に居をかまえたんだろうな。

なんてことを、つらつらと考え。

「素人鰻」の旦那は、もと下男のきんという鰻職人を雇い。

さて、店を新築し、新装開店という晩に、ま、きん、いっぱいやるか。

というところからはじまるんだけど。

このきんさん、お酒にめっぽうだらしなくて。

お酒にのまれてしまい、しまいには、旦那と喧嘩になって、出て行ってしまう。

ご維新で、身分が大きく変わったけれど、そこはそれ、いままでの主従関係から、なかなか、自由になれないので。

いなくてはこまる、職人のきんさんと旦那とのかけあいのなかに、上下関係が逆転した悲哀、というのか。

微妙な心理のずれが、この噺のきかせどころでね。

職人のいなくなった店で、しろうとの旦那が、うなぎをさばくわけだ。

どだい、無理な話なんだけど、そこの描写がね、文楽の文楽たるゆえんでもあり。

なんてネタを、いつも行く、奥浜名の「さくめ」の大将がさばいている鰻をカウンター越しに見ながら。

おばたちが子どものようにはしゃいでいる姿を傍目に、僕は、思い出してもいたのですが。

ご維新での変わり目と似たような風情が、かつて山の手は高級住宅街だった、という、かつて、という言葉にね。

こめられてもいて。

そうそう、山の手の移り変わりというのは、けんちゃんがね。

知り合いがお米屋さんだったか、いるらしく、いつだか、話していたのを思い出した。

というわけで、いく川の流れはたえずして、もとの水にあらず。

という諸行無常でしたか、そんなこんなで、本日のブログは終了です。

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