まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

お友達がやってくる!

2016年01月31日 | Weblog

昔、ビートルズの映画に、「ビートルズがやってくる!ヤァヤァヤァ」ってのがあったよね。

あんな感じで、わが母親のもとに、お友達がやってくる。

ってことなんだけど。

もちろん、われわれの目には見えません。

脳内産出物なんだよね。

夕べも、というのか、今朝というのか。

こっちへ入ってください、と階段下にかかっている白い布きれをめくりながら、語りかけているんだね。

自室には、毛布やら何やら出してあって、ここへはいれば、暖かいから、というわけだ。

なるほど、シチュエーションとしては、出来上がってるな、と。

ま、いいから、寝なよ、と言い残し、こちらは、残りの睡眠を遂げ。

いつもの時間に起きて、瞑想をし、さて出かけようか、と階下へ降りようとしたら。

母親が、玄関から出て行く姿が映り、寒くないのかね、という感想だ。

その後、妻も降りてきて、二人で探すと、というほどの時間ではなかったけど、現れ。

わかんないねぇ、と繰り返しながら、無事、自宅へ入る。

ということが、出掛けにあったんだよね。

黒澤明監督の、「どですかでん」という映画、思い出してね。

貧民街に住む息子さんが、電車の真似をして、シュッシュポッポ、という具合に。

二十歳前後かな、お母さんは、なに教というのか、太鼓をテレスケテンみたいに、一心不乱に叩く、というね。

わが方の母親なんだけど、テレスケテンと太鼓じゃなく、廊下を歩く力が、なかなかの音響で。

元気あるじゃん、って感じなんだな。

そんな母親の、米寿祝いエピソード3が、来週末にあるわけだ。

いつも会ってない孫たちとともに、どんな太鼓をテレスケテンと叩くのか、楽しみでもあります。

残念ながら、次男坊は、現場が忙しく、出れないんだけど、総勢10名ってとこだな。

今日は、母親の部屋を妻が掃除する、というんで、たぶん、だけど、おばたちを誘いだし、プチのおじおば会になるかも。

です。

 ところで、このところ、凛冽たる冬にふさわしく、とでもいうのか、顔を洗う水が、いつもと違って。

なんていうんだろう、澄んでいる?透き通っている?清らか?

という感じだったんだけど、さすがに、今朝は、水ぬるむ、なんて季語、たぶん、あると思うけど。

そんなところにも、春を感じるのであります。

ところで、最近のグーグルアプリのCMが、「初心者になろう!今年こそ」ってもので。

なかなか、良いフレーズだね。

高齢者過多の社会には、うってつけだ。

コピーライター、いい仕事、してるな、と。

「いつかはクラウン」とかに、匹敵するコピーだと思うよね。

って、同意、求めないで、っていわれるかも、だけど。

なにせ、人生の辛酸をなめてきた、と自負している方々には、この感覚、初心者マークのね。

なかなか、受け止めてもらえそうもないからね。

つまり、さらに辛酸なめようよ、くらいの話だからね。

しかし、このフレーズ、本気で取り組んだら、面白いものになる、というような予感がするんだよね。

決して、若者ターゲットじゃなく、という。

なんたって、世は激変の時代に突入し、昨日だって、ニュース番組で、どこかの基地に、ミサイル迎撃の配備を。

なんてのやってたし、甘利さんはやめさせられちゃうし、あとなに?、そうそう、沖縄に雪が降るし。

U-23は、オリンピック出場決めちゃうし、昨夜の韓国戦、まだ、結果知らないんだけど。

まだあるね、日銀はマイナス金利なんだし、これ、お金預けてると目減りしちゃうわけで。

といっても、一般の預金者には及びません、というコメントがあるんだけど、そこはそれ、果たしてどうなりますやら。

ま、とにかく、激変の時代には、初心者になるしかないでしょ、ってわけだ。

天候にしても、記録的な、とか、有史以来までいかなくても観測史上初めて、みたいなフレーズ、踊るしね。

言葉を変えれば、未知との遭遇を楽しみましょ、ってことだよね。

ピストル携帯しながら、ニコッと笑う白人文化ってのの崇拝に、そろそろ、おさらばして。

一万年続いたという、わが方の縄文文化の再生、見直し、評価、顕彰でもしますか。

今日は短い、と思ったけど、2000文字超えだ、ぼちぼち、わが祝祭もお開きにします。

 

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車をどうしたんですか

2016年01月30日 | Weblog

昨日は、個人ミーティングの続きを、おひとりと。

表題は、その時の言葉で。

実は、駐車場の位置を変えたんだけど、どうだろう、もう二ヶ月にはなるのか。

前は、彼の止めてあるところと同じだったから、その視線から消えていた。

ということなんだよね。

たかだか、10人足らずの会社なのにね、いわゆる、周知ってのは、むずかしいもんだな、と。

もちろん、そんなに深刻な話じゃ、ないんだけど。

だけど、たかが車、されど車、ってわけで、ちょっとしたコミュニケーションの歪み、というのか、齟齬とでも。

いえばいいのか。

車の話に限らず、そういったことは、そこかしこであり、しかも、この時代。

なんでもかんでも知っている、なんてのが、簡便に手に入るような錯覚をね。

持ちやすいからね、なんたって、グーグルおじさんがいらっしゃるんだから。

知らぬが仏、いや、秘するが花、だっけ、風姿花伝とかで、かの世阿弥先生もおっしゃっている、んじゃなかったかな。

そいういった風情が、そりゃ、島国根性くらいで、片付けられちゃうんでね。

しかし、下手に、空気読む、なんて方向に行くと、それはそれで、なんとも、めんどくさいおやじ、おばちゃん。

にもなりがちで。

そうそう、ここのところ、お昼はね、可能な限り、母親と一緒に食べようか、という気になっていて。

昨日も、ある御仁との約束が成立しなかったんで、自宅へ帰って、という算段で。

甘酒を作りつつ、漬かり過ぎちゃったかな、という小かぶを出し。

残り物の、しめ鯖を母親の目の前に置き、という具合だった。

英勲酒造の酒粕で作った甘酒を、自分の部屋でストーブの番人のような彼女に差し出し。

あれ、3杯か4杯、飲んだんじゃないかな。

夜は、商工会議所の賀詞交歓会で、全体ミーティングの終わる時間と始まる時間が同じだったので、ちょっと。

遅れて、ズボン、濡らしながら入って行くと、商店街の組合長さんが、なにか、力説していてね。

一人の力じゃ、一過性じゃ、街の活性化はできません、くらいの話で。

殊勝な顔して、見知った何人かが、聞いていたな。

その後の懇親会、いつもの喫煙スペースで知り合った御仁が、削り節のプロで。

ところで、我が家の削り器が、かくかくしかじか、うまく削れなくて、くらいの話からはいって。

さまざま、教えていただき、なので、さっそく、本日、刃を研いでみよう。

そのうち、知り合いの大工さんから、カンナの余ってるのもらってきて、即席削り器でも作ってみようか。

とも、画策しちゃうくらい、刺激的な話を伺い、今度、うちへ遊びに来てよ、なんてことでね。

来週、行ってみようかな、なんて気にもなっているのです。

鹿児島は、指宿、ま、枕崎でもいいのか、とにかく、そこで一年分を買い求め、ということらしい。

なんてことなどなどを話し、席に帰ると、隣の相方は、去年の10月からそばに凝りだし、もう50キロはうった。

というんだね。

そば談義だ。

僕も、そば体験ってやつで、うったこと、あるんだけど、しかも、その時の写真が、我がFacebookのプロフィール画像で。

あなたもうつんですか、から始まった会話なんだけど。

こちらはこちらで、このブログの発祥の時、つまり、糠漬けについて、あたるを幸い、しゃべりたおし。

浮かれ街でも、辟易とされ、というね、あなたのすきなことがわたしのすきなことではありません。

みたいな、ね。

そんなことを思い出したわけだ。

しかし、妻で言えば、玉置浩二とかね、人それぞれ、好きなもの、凝るものってのは、それぞれに違い。

SNS隆盛の、この時代、同好の士ってのが、集まりやすくて、というのが、佐々木なんとかさんが。

「キュレーションの時代」だったか、そんな本の中で書いていたな。

何回も書いているかも、だけど、キュレーターってのは、博物館や美術館の学芸員さんのことのようで。

そんな彼、彼女が、まだ世に出ない、げいじつかの卵の才能をいち早く愛で、温め、孵化させる。

という、ま、かっこ良く言えば、卒啄同機(そったくどうき)という感じだね。

なんだかわかんないけど、知らない間に、そばのこと、考えているし、毎日、うっているし。

という感覚。

これ、ゴッホやらゴーギャンが、たしか、評価されたのは、死後なんだよね。

なので、生きているうちは、だれも見向きもせず、まったく、あそこの惣領ときたら、朝から晩まで絵。

ばっかり書き、ほんとに、総領の甚六ってやつだ、くらいの世間の風当たりだったかも、だし。

お父様お母様にしても、なんでもいいから、仕事してくんないかね、かまどの蓋があかないよ。

って、こうなると、落語の世界になっちゃうけど。

かの何十億円という絵をモノした、天才と呼ばれる人も、生きてる時は、そんな仕打ちにもあい。

なんてでんでいけば、我が方も、世間様に一顧だにされずとも、好きなことやってだね、死にゃ花が咲くんだよ。

くらいの心持ちで、OKってわけだ。

もう3000文字近いな。

いやいや、まだまだ、記事はあるんだけど、その大方はオクラ入り、ってことになるね。

歴史家の先生が、古文書なんかを精査して、一つの本を書き上がるんだろうけど、オクラ入りのネタ。

ってのも、実際には、書かれたものよりもたくさんあって。

なんてことまで書き出すと、終わらなくなっちゃいそうなんで、このへんで。

 

 

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たしかに、寒はゆるんだ

2016年01月29日 | Weblog

今朝の雨だ。

秋は、一雨ごとに寒くなり、冬は、一雨ごとに暖かくなる。

瞑想中にね、なにやら、同じようなリズムの音がしていて、もしかしたら。

という具合だったんだよね。

室温は、10度を指し示し、ちょっと前と比べても、かなりの温度差で。

だれそれとの温度差が、なんて言い回し、あるけれど、それにしても。

人間のからだ、ってのは、耐性があるもんだ。

前にも書いたけど、シンガポールだったか、気温が18度だかで、低体温症でなくなりました、なんてこと。

あるみたいだけどね。

どこから発祥したのか、知らないけれど、例えば、アダムとイブから始まり、そこかしこへ、食べものを求めてなのか。

なんなのか、散っていった、わが人類のご先祖様方の苦労というのか、生への本能というのか。

肌の色が変わったり、背丈、性格などなど、さまざまに変化させ、その地に順応し、というね。

もっとも、どこかの星からやってきたアヌンナキが、人類のDNAを改造し、なんて話もあるにはあるけれどね。

ところで、来週末は、おばあちゃん米寿祝い、と銘打って、伊豆へ、という算段なんだけど。

10人乗りの車を借りて、どことどこへ回るか、というのが、今の眼目の中心で。

伊東の知り合いに電話してみたり、と。

それを、LINEでシェアし、という感じです。

家族、というククリを、さらに際立たせる、という、密かなテーマでもあって。

東京で働いている甥っ子たちや娘からすれば、土日を休む、ってのは、なかなかのチェレンジなんだろうけど。

その、休める休めない、ってのも、すでに、旅が始まっている、という、こちらは、実に、ポジティブな捉え方なんで。

一粒で二度も三度もおいしい、というわけだ。

物事、世の中、なんでも、どうやってくくるか、あるいは、どうやって解釈するか、ってのが、眼目で。

辛くてつらくて、という捉え方も、楽しくてたのしくて、という解釈も、ある意味、各自の自由。

それほどまでに、人間ってのは、自由なんです、なんてのは、そこら中の賢者、覚者、が言い散らしてもいて。

何日か前に、kindleで、「Fuck it!」なんて本、購入し。

英米では、下品な、人前ではとても使えない、という言葉らしいけど、和訳では、なんでやねん、あほか、とか。

漫才のツッコミ言葉にかえて、という本なんだけど。

いずれにしても、それ、どうでもよくね?的な語感だな。

いい子で生きなきゃ、なんてことに、あるいは、良い夫、良い妻、良い父、良い母、いい子供、あとなんだろう。

とにかく、この世と呼ばれる場所で、知らぬ間に洗脳されてきた、決め事、決まり事、常識、当たり前のことなどなどに。

ツッコミをいれる、というウタイの和訳本なんだけどね。

すると、楽になる、ってわけだ。

あまりにも、知らぬ間の、あれこれの思い込み、価値観、人生観、しっかり生きなきゃ、みたいなものね。

そこへ、Fuck it!、って言っちゃいましょう、というね。

ダイエット?なにそれ、食べたいもの、食べたい時に食べればいいじゃん、とかね。

フィットネス?筋トレ?

そんなもの、糞食らえ、今日からやめるよ、とかね。

とにかく、あれやこれや、妄想の世界で繰り広がられる場から、逃げ出してみようよ、くらいの話だな。

そうだ、昨日のお昼は、おふたりさま、じゃなく、おふとりさま、と、もう一人、このブログのコメンテーター、toshさんと。

ご一緒したんだった。

おふとりさまの芸風を、今度、変えてみたら、なんて提案もしたりね。

そうなんだ、芸風だ、みんな。

自分自身、中学から高校へ行ったときね、自由を感じたんだね。

中学までは、地元の、ちっちゃな頃からの自分、というものが、だんだん、物心つき、恋心つき、といううちに。

重たく、かったるく、というのが、あったんだけど、高校は、そんなこと知らない人のほうが大部分で。

そもそも、そんな自分、なんとかのだれそれ、なんてのは、存在してもいなかったんだけど、そこはそれ、人生の大部分が。

妄想によって作られている、というわけでね。

なんだけど、高校へ行ったら、以前の妄想を補足、補充する声が、かなり小さくなっちゃうんで、さまざま、劣等感も抱える中。

ではあるけれど、とても自由だ、という感覚が、今でも思い出せるんだよね。

転校生の、転勤族の、海外派遣の、ま、いろいろと各方面、各世代であるんだろうな、と思う次第で。

なんてこと書きながら、昨夜は、また、しゃれたお店で、歓迎会。

食堂一二三、と案内にあったので、おばちゃんおじちゃんが、なんて感じでいたら、なかなかのおしゃれなお店だったんだけどね。

どうやら、そのお店には、わが社員さんのだれそれも、行っているらしく。

なるほど、と思ったわけだ。

夕べは、二次会も行かず、それじゃまたやりましょう、と握手を交わし、帰宅の途についた次第で。

なんだけど、街をそぞろ歩きながら、音にね、聞こえてくる車の音やら通り過ぎる人たちのしゃべり声やらに。

意識を向け、靴の裏が歩道から受ける感覚にもね、なんて遊びながら、だったんだけど、これが、なかなかよくて。

癖になりそう、ってなもんだ。

景色が違って見えるんだよね。

わけわからん妄想、思考、考えが入り込む余地がない、とでもいうのか、景色そのまま、あるいは、その時がそのまま、やってくる。

とでもいうのか、ご機嫌な気分になってね。

そんなこと、名札に書いて、かくかくしかじか、なんてやったら、道行く人にひかれちゃうんだろうけど。

なんてことで、今朝は、3000文字くらい、いっちゃいそうな勢いですが、僕の誕生日、とくくられる。

今日という一日を、つつがなく、有意義をお過ごしくださいますように。

 

 

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「寒い夜の自画像」

2016年01月28日 | Weblog

言わずと知れた、あるいは、知る人ぞ知る、中原中也の詩、なんだけど。

こうした寒い日々には、なんだか、自然に湧いてくるんだよね、この表題。

今朝も、ご神木の斜め上には、月と星。

中原中也botというツイートをフォローしていて、たまたま、昨日、ツイートがあったのが。

くだんの詩で。

 陽気で、坦々として、而(しか)も己を売らないことをと、 わが魂の願ふことであつた!

というものだったんだね。

このフレーズには、何十年前に、出会ったのか。

あれから40年、以上なんだろうな。

懐メロみたいなもので。

それにしても、若かりし頃の、なんだろう、矜持?見栄?衒い?

振り返ってみれば、ずいぶんと、己を売ってきたもんだ、とも言えて。

なんてこと、書き出すと、きりがない、というか、あの頃の感懐を大事にしておくことだね。

あの頃は、あの頃にまかせておくことにしよう。

今は、今にまかせてくれ、ってなもんだ。

昨日は、二度目の、いや、厳密には、三度目の結婚をする、という若い女史とお茶をしてね。

相方も二度目だそうで、一回り下なんだ、と。

なので、若さを保たなければいけない、というんで、例の、伊勢の御仁にいただいた、「天使の輝き」ってのを。

お祝いに差し上げた次第で。

その相方、一度目の離婚は、DVなんだそうで、しかも、女性からの家庭内暴力だ、っていうんだから、初耳だな、と。

結婚前に、実は、精神の病があって、それを内緒にして、一緒になった途端、暴力沙汰。

なんだそうで。

ほんとにね、いろんな人生が、そこかしこに繰り広げられているんだな、というわけだ。

ぜひ、幸せになっていただきたいものであります。

このところ、夜は、なるべく、早くに帰宅することにしていて。

なにせ、母親が、暗い中で不如意をかこつ、というのか、ところで今、何どきだい?なんて風情が想像されるんでね。

ちゃっちゃ、とガスをつけ、おかずをならべ、という次第で。

昨日は、糠漬け用の容器を買ってきて、糠をね、準備していると、卵なんかを泡立てるやつ、あるでしょ。

よくかき混ぜたほうがいい、ということで、それを取り出し、という次第で。

気持ちはわかる、けれど、そのポイントじゃないんだよな、という感じでもあり。

夕餉時には、以前にアップした落語ネタ、というのか、その時の登場人物ネタで、さすがに、劇団ひとり風ではなく。

こちらにも語りかけ、なんだけど、時代は大きく外れていて、死んだ人が生きていて、ということで。

ま、死んだ、生きてる、なんてのは、世間様の合意しているだけのことで、自分の中での評価が大事でもあるんで。

どちらでもいいけれど。

それが、その時のイベントであれば、それはそれ、というわけだ。

そうそう、上記の女史が、スノボーをやったとかで、あれって、頭を打ってあぶないんでしょ、という問いかけに。

スノボー出始めには、基本を知らなくて、なんだけど、今は、そんなこと、ありません。

だそうで、わが次男坊も始めたので、ヘルメットしてやるのがデフォかと思っていたんだけど、そうでもないらしい。

そういえば、わが友人、すでに黄泉の国へ旅立ってしまった男だけど、彼も、やっていたな。

そうだ、今晩は、飲み会だった。

商売はじめた頃からのお付き合いの御仁が、岡崎からやってくる、というんで、何人かが集まり、というウタイのね。

幹事のメールに、飲み明かしましょう、とあったので、ごめん、一次会で失礼するよ、と返しておいた。

風の便りだと、飲み方が半端じゃないらしいんでね、そこはそれ、リスクマネージメント。

ってわけだ。

わが次男坊に習って、お酒、やめようかな、という気分も多少、起こってもいるんだけどね。

なにせ、お酒でわざわざ、神経なのか、ガードなのか、ハードルなのか、そんなものを下げようとしなくても。

はなから、下がっているんだから、お酒、いらないんだよね。

酒なくてなんのこの世のさくらかな、だっけ、若山牧水か、そんな歌もあったけれどもね。

というわけで、そろそろ、寒もゆるみそうな本日を、どんな具合に切り取るのでありましょうか。

 

 

 

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そうか、もう君はいないのか

2016年01月27日 | Weblog

今朝の表題は、ご存知、城山三郎の書名なんだけどね。

先立たれた奥様についての、愛惜の回想録、と。

身近に、奥様をなくされた方がいらっしゃって。

先週末も飲んだんだけどね。

彼のことを思い出しながら、実は、ブックオフで買ったのでした。

前から、この本のことは、気にはなっていて。

冒頭に、城山三郎が、初めての講演会なのか、最前列に奥様が座っていて。

緊張の中、さて、講演を始めようか、という瞬間に、彼女が、赤塚不二夫の、いやみの、シェーをした。

と書いてあるんだね。

帰宅後、彼女はあやまっていた、というところまで、読んだんだけど、そのあとの。

顛末については、わかりません。

奥様に先立たれ、ということでは、二人の対照的な御仁がいらっしゃって。

そうだ、もう10年くらいになるのか、お二人とも、ほぼ同時くらいに、奥様を。

がんでなくされ、その時には、二人で飲みながら、泣きながら、ということがあって。

その後の人生は、と、あの人は今、的な話だけど、かたや、ちょっと前、アップした。

東京在住の御仁、テニスに打ち興じ、新しい、しかも、三度目のご婦人と居をかまえ。

一方、風の盆にご一緒した方は、天涯孤独の風情で。

というね、なので、こうしたらこうなる、みたいな方程式はありません。

ってわけだ。

なんてことも思い出してしまう、城山三郎のくだんの書名なんだよね。

その東京の御仁からは、ご招待を受けていて、おいでよ、おごるよ、ってことで。

なにせ、占い師さんと同居という御仁だからね。

なんて会話を、昨日だったか、あきひめだったか、この時期が甘くて美味しいですよ、といういちごを。

送った西の方の御仁から電話があり、テニスに打ち興じる彼のネタで、しばし、談笑、というか、爆笑。

というか、呆れた笑い、呆笑(ぼうしょう)なんて造語したいくらいの。

時間があり、だったんだけどね。

そうだ、くだんの彼、うちの事務所への電話、おるっ?だったからね。

名前も名乗らず、だったんで、妻とはいつも、大笑い、ではあったんだった。

そんな、朴念仁とも見える御仁が、三度目の結婚、というわけだ。

ところで、今朝も、お月さまが、すばらしかったね。

ご神木の前に佇み、月の斜め上には、星も輝き、なんともいえない時間なんだよね。

朝まだき、というんで、いつもの神様のお使いは登場しておらず、なんだけど。

そのうちのお一人、町内の顔役みたいな方、このところ、お見かけしないし、家にはシャッターが降りてるし。

というんで、昨日、相方の家を訪ね、どうされたんでしょう、との問いかけに、腰が痛くて入院されていたようですけど。

もう明日からは出てくるようですよ、なんて答えがあり。

なんだけど、実は、もうひとり、町内の聖人と、勝手に呼び習わしている御仁が、このところ、ゴミ拾いをされてないようで。

彼のことも、気にはなっているのですが。

その御仁は、もともと、腰痛への対処として、歩く、ということから、ゴミ拾いとなり、僕から、町内の聖人。

と名づけられた、という経緯があったわけだ。

なんてことを、一つ一つ拾っていったら、ローカルに息づく人々の姿が、鮮やかに映し出されるね。

介護施設へ就職して、介護民俗学って分野を創りだした、女性大学教授みたいに、なんて呼んだらいいんだろう。

なんとか民俗学、なんてこと、可能かも、です。

 

 

 

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ご神木を抱擁するような月だった

2016年01月26日 | Weblog

いつもの大楠。

昨日のエントリーでもとりあげた、わがご神木なんだけど。

ちょっとした、月の位置が変わることで、随伴が、抱擁、という言葉になり。

なかなか、良い風情を醸し出し。

お、おはよう!という軽い挨拶では、なんだか、申し訳なくもあり、って感じだった。

毎朝の、何箇所かの定点観測ゆえに、日々の月の、微妙な動きがわかるわけだ。

動いているんだね、当たり前かも、だけど。

今では、事務所からも西方の高いところに輝いているのが、見える。

齢を重ねると、花鳥風月とは、言ったもので、しかし、万葉集の頃に、それらを愛でて、歌い上げた歌人たちの。

その時の年齢は、とうに超えているのかも、というお年ごろでもありますが。

薄まった時代を生きる当方としては、それも、むべなるかな、というわけで。

濃い時代を生きるのがいいか、薄い時代を生きるのがいいか、そこは、判断の別れるところで。

とは言え、かの一休さんだったか、彼ですら、死にとうない、くらいの。

辞世の句を残すくらいなんで、いつの時代も、この世の魅力には勝てません。

ということなのか、それとも、単に、未知の領域へのおそれのほうが、勝っちゃうのか。

生まれた時は、本人は泣き、周囲は笑い、死ぬ時は、周囲は泣き、本人は笑い、なんてこと。

昨日もアップした、ネイティブ・アメリカンの箴言なんてのに、なかったかな。

ところで、毎晩、眠りにつくとき、実は、死の世界へ入っていく、というような心持ちで。

なんだけどね。

五感からすら離れ、自分の中に入っていく、というのか、どこへ行く、というのかは、わからないけど。

もっとも、朝になっての帰還、ってのを当たり前に予見もしているんだから、ちょっと、本物の死とは。

違っているんだろうけど。

ま、擬似の死、とでもいいましょうか。

一つの遊びでもあるけれどね、遊びをせむとや生まれけむ、ってところだ。

昨日の母親、とまた、例の動静記事だけど、6時頃かな、帰宅したら、家の中が真っ暗で。

電気をつけながら進み、真っ暗な彼女の部屋に入ったら、痛い、と言う。

電灯をつけると、そこに寝ている母親が。

もう少しで、踏んづけちゃうくらいでね、ごめんごめん、と。

もちろん、起きた彼女は、朝なのか、夜なのか、不分明で、なんてことがありつつ、ご飯を食べたのでした。

くらいだから、おとなりのおじ、ほぼ一人暮らしなんで、どうなっているんだろう、という。

そんな感懐も吹き上げてきて、この間のおじおば会での車中、いったい、何時に寝て何時に起きるの。

という問いかけに、5時半に寝て、翌朝6時半には起きる、という答えに、おばたち一同、唖然というか。

そんなこともあったんだけど、年をとると着たきりスズメ、なんてこともありつつ。

ちょっとしたことでいいんで、刺激をね、素敵な刺激を、そんな大げさでなくていいから。

なんて話は、昨日の個人ミーティングでも、わがもとに訪れて。

目の前の相方と、そんな感懐を交わしたんだけど。

心もとない認知度、と言われるお年寄りにかぎらず、強壮、強精を誇る人士といえども、この素敵な。

と形容される刺激、インスパイアされるストレス、ってのは、大事なことで。

言葉にすれば、職場はあなたの晴れ舞台、であったり、背中を押す、であったり、ほかにも、あまた。

そんな類の言葉はあるんだろうけど、その心根、ってのは、みんな、おんなじだな。

そう、実のところ、人生はシンプルなんだ、というね。

これを、寺山修司とかいうタグをつけて発信すれば、さすが、いいこと言うね、なんてことにもなりそうな言葉だね。

誰かのタグをデッチあげて、そうだな、坂本龍馬くらいにしてみるか。

これから流行るかも、の大河ドラマ、真田幸村でもいいけどね、もし、かの御仁が、そうのたまったとしたら。

という妄想も、なかなか、面白いね。

なんて妄想を書きつつ、本日のブログ、終了です。

 

 

 

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わさびの茎はお湯にひたすと匂い立つ

2016年01月25日 | Weblog

というわけで、既報のとおり、わさびの茎を漬けてみたんだけど。

表題のごとくで。

お湯からざるにあげる瞬間ってのは、なかなか、いいな。

嗅覚を刺激し、目にも来るくらいだった。

それを、三杯酢と醤油で漬けて、夕食にいただいたわけだ。

先の方々が、さまざま、創意工夫をし、どんなものでもいただく、というね。

何年か前、わさびの茎を、糠につけたことがあって、なんの変化もせず、という経験があるんだよね。

外界からの侵入者を、この茎は、シャッタアウトしちゃうくらい強固なんだろうな。

なんてこと、思い出したりね。

ひとつのことが、また、さまざまな記憶につながり、現在は豊かにもなり、反面、トラウマと言われるような。

めんどくさい仕儀にも通じ、ということだね。

昨日の母親は、って、この書き出しそのものが、なんというのか、首相動静記事、みたいだけど。

女学校時代の同窓会で、楠楼という、そこにも同窓生がお嫁に行った、という場所にて。

送り迎えをしたんだけど、行く前は、あんなとこ、楽しくもなく嫌になっちゃう、くらいの風情を醸し出し。

という、取り繕い、というのか、女は家にいるのがデフォです、という明治の母親と江戸の祖母に薫育された。

ある時代の文化を体現し、って感じだったけど、迎えに行った時には、みんなで笑顔で。

どこまで通じあっているか、心もとなくもあるけれど、次も出てきてよ、あんたが来なけりゃ、楽しくないんだから。

という言葉をかけられ、ご満悦の表情で帰ってきたのでしたが。

そうだ、ちょうど、その頃、わが事務所近くの稲荷神社にて、エスパルスの壮行会というのか、結団式というか。

大勢の方々が集まって、太鼓は鳴らされ、というイベントがあり。

なにせ、そこには、サッカーの神様が祀られているんで。

今年のエスパルスは、その神様から試練を与えられ、二部落ち、とあいなり、ちょっと、寂しい感じもあるけれど。

そこはそれ、バルサやマンUには、そんなに短期間にはなれません、ということでね。

なんとか、少ない予算の中、頑張っていただきたいものであります。

母親を送りがてら、長男坊夫婦と昼食を一緒にし。

前にも書いたけれど、嫁さんの、さまざま、胎児、出産にまつわる話を聴きながら、生命の神秘を感じていたのでした。

ここには5人、いるんだね、と妻が漏らした言葉に、お腹の子が、反応し、いきなり、動き出した。

というのは、なるほど、面白いもんだね、と感心もし。

こちら側に生を享ける魂を、寿ぎ、祈る場となったのでした。

そうだ、その前日には、修善寺の、半身不如意の御仁から、電話が入り、ありがとうね、と。

海野農園さんの、あきひめが届いたようで、これ、この時期が甘くて美味しいようですよ、と伝え。

日本酒も待ってるよ、というリクエストをいただいたのでした。

ところで、今朝は、マイナスの5度で、凍りついたフロントガラスの向こうに、ほぼ満月の明るい月。

凍てついた空に、星々も輝き、凛冽たる冬には、その時にしか見れない景色もあるわけだ。

その月は、わが道中を安堵するように、事務所近くのご神木の脇まで随伴してくれて。

今朝のご神木へは、ほぼ満月とともに、ご挨拶。

この楠からは、鳥達が飛び立つときがあり、そこはそれで、一つの世界だな。

虫も含めれば、多くの命たちを育む大木だ。

さらに、最近はやりの、微細菌、微生物までの命と考えると、何百兆、何千兆のいのちたちの集積ともいえて。

途方も無い世界が、大楠にはあるわけだ。

ネイティブ・アメリカンのことわざ、だったか、言い伝えだったか、なんか、大木にまつわる話があったな。

今、探してみたけれど、わからなかったんで、下記の言葉で代用しときます。

  「人間が命の糸を編んでいるのではない。人間はその中の一本の線維にすぎない。」【書籍『イーグルに訊け』より】

というわけで、今日は、終日、個人ミーティング。

どんなドラマに出会えるか、お楽しみおたのしみ、ということで、ブログ、終了です。

 

 

 

 

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小さいころの僕とおんなじでしょ

2016年01月24日 | Weblog

時は元禄、じゃなく、平成の御代、処は稲取。

ってわけだけど。

例の、なぶらとと、での昼食、母親がね。

いつも来ているけれど、今日は、まずい、と言ったか。

窓から稲取港の眺められるお店、そこは、初めてなんだけど、いつもの。

キンメダイの煮付けでなく、さらには、お刺身、炙り、煮付け、という三品を。

みんなで頼み、それぞれ、小分けにして、という仕儀だったんで、いきなり。

母親の食欲がなくなり、という、いつもの、子どものような、表情が曇り、というね。

そんな昼食になったんだけどね。

まるで、冒頭のような思いが去来する、という大げさな顛末で。

僕としては、キンメをいろいろに味わえ、楽しかったんだけど、それぞれ、好みもあり、なにもあり。

という今更ながらのことに気がついた、昼食だった。

たぶん、表題のフレーズが、僕のトラウマの一つだとしたら、ああした場面で、それは、解消。

なんてことにもなったんだろうけど。

そこはそれ、とうに、そこらあたりは、なんといっても、リミッターをはずしちゃっているんで。

なんだけどね。

リミッターといえば、夕べ、菩提寺の世話人会、その新年会のあと、ひさびさの御仁からの電話で。

ちょいと、浮かれ街に繰り出し、という仕儀でもあったんだけど、そこで、隣の女史が。

なんの話だったか、これじゃ、安西先生におこられちゃう、なんて言い出し、それって、もしかしたら。

というわけで、スラムダンクネタに早変わり、このタイミング、っておもしろいね。

という展開になり、というのも、彼女いれて、三人だったんだけど、その場が、そのフレーズで。

一気呵成に、変容し。

これ、他でも使えるね、という感想をもらし、話の華は咲いたわけだ。

スラムダンクの女史は、23歳だということで、相方は、息子世代だということを、しきりに強調していて。

なんてこともあり、その相方とは、ある御仁との、20年ぶりの電話回線もつなぎ。

この件は、ちょっと、話が長くなるんで、スルーさせていただくとして。

今朝の風は、ゴーゴーとなり、宮沢賢治のそんな文章を思い出した、その作品ってのは、読んでないけど。

僕の場合、読んでない作品が多くて、ほとんど、その帯のね、謳い文句だけで語る、というわけで。

今日から明日にかけての記録的な寒波、ってのが、果たして、どうなりますやら。

なんだけど、昨日の、稲取港での昼食の後、つるし雛の飾ってあるあるお店に入り、そこは。

どうやら、先々代が、船元だったようで、いろいろな、古い、骨董品のようなものが、陳列してあり、NHK。

からもリクエストがあり、なんだけど、セキュリティ対策もしてないから、ご内密に、という風情でもあるんで。

しっかり、はっきり書けないんだけどね。

ではあるけれど、しばし、時を逆回転させていただき、楽しい時間だった。

西郷さんの直筆やら尾崎咢堂の、とかなんとか、詳しく書きたくもあるけれど、そこはそれ、オトナの対応で。

しかし、そこは、4mという標高なんで、津波が心配なんです、関東大震災の時には、6mが来たから。

というわけだ。

そんなお店をあとにして、一路、清水へ、という途中、お酒の飲めないおばたちなんだけど、修善寺のワイナリーに。

当方も、ひさびさのワイナリーで、かれこれ、16年、というから、16年ぶりの、ということになる。

なんやかやいいながら、その年月、継続しているわけで、継続は力なり、だね。

春になって行ったら、ちょっと、ワイン畑のお散歩も交え、富士山も眺めながら、という。

そんな、いい感じなんだろうな、と。

そうそう、わさびの茎を、天城の道の駅で買ったおばに、半分もらったんだった。

今日は、それを塩もみし、60度のお湯に30分ひたし、醤油漬けにするとしよう。

糠床も復活させなきゃ、だし、寒波の日曜日は、なかなか、忙しくもあるのです。

 

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人間は人間を浴びて人間になる

2016年01月23日 | Weblog

と教えてくださったのは、しつけの日管、浜松のね、今は亡き三輪さんだったか。

どこかの、それ系の本で知ったのか。

なんだけど、昨日、そんなことを、実感したわけだ。

ある御仁、おひとりさま、をもじって、自称、おふとりさん、という方で。

文才というのか、取材力というのか、独特の空気感をもってらっしゃる御仁で。

彼に、実は、発芽会の。

というのは、芽を出すには、時間がかかる、または、それぞれの、本人すら気が付かない種の。

そこにフォーカスしたサイトを創りたいんだけど、そのコンセプトの表現を手伝ってくれないか。

くらいの話をしたかったんだけど、結果、こちらの意図、内容が明確でないことに。

彼と話していて、気づかせていただいた次第で。

これも、彼との共有の空間、場のね、なせる技で。

ということが、表題の意味でもあるんだけど。

心してみれば、万物皆我が師なり、って、宮本武蔵なのか、吉川英治がどこからか探してきたのか、そんな表現。

あるでしょ。

それにも通じるのか。

かたや、当の相方は、なんだか、広告取りなのか、原稿なのか、トラブルショットを、わが目の前で、電話にてしていて。

帰りがけには、これから、社長に叱られます、というね、いつもの芸風にもどり。

ということもあったりで。

おふとりさまは、階段を降りていったわけだ。

今日から明日にかけては、記録的な寒波が、という文字が踊っているんだけど、当方は。

これから、伊豆は、伊東の稲取港へ。

爪木崎、河津と回って、帰りは、湯ヶ島経由かな。

なにせ、夕方には、菩提寺の世話人会があるんで、それまでには、帰らなきゃ、だからね。

そうそう、昨日は、年賀状への返信、とでもいうのか、寒中見舞いを書いた。

筆ペンで一面に大きく、それだけで、よしにしよう、とね。

で、書き上がって見たんだけど、あんまり、ピンとこなくて、まだ、ポストにいれず状態なんだよね。

三舟だっけ、鉄舟、雪舟、あと忘れたな、そのくらいになると面白いんだろうけどね。

それはともかく、忘れていた。

二三日前だったか、昨日だったか、七十二候、ってのがあって。

昨日だ、22日ね、「款冬華(ふきのはなさく)」だそうで、蕗の花が咲く、ってことで、春にむかって少しずつ胎動が。

ってわけだ。

こうした、細やかな季節感もふくめたカルチャー、文化だね、それが出来上がるまでには、とてつもない時間がかかる。

ということを、昨日もアップした、エハン・デラヴィというスコットランド人が言っていて。

そこに気がつけよ、日本人、ってね、いかにリッチな邦か、というね。

可哀想だけど、今のシリアが、その域に達するまでには、何千年ってかかるよ、なんてことも。

今から向かう、稲取の大地で、はたして、彼女たちは、春を準備する蕗の華を見つけることができるのでしょうか。

 

 

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アジア系の女性は入国がむずかしかった

2016年01月22日 | Weblog

という時期が、あったらしく。

アメリカの話ですけど。

昨日、アップした御仁、パーレビ国王の孫娘がガールフレンドだった、という彼の留学していた時期と同じ頃だったようで。

ベトナム難民が押し寄せ、さすがの、実験大国アメリカでも、いろいろ、苦労もしたのが伺えるんだけど。

表題のごとき様相だったそうで、というのは、愛知ソニアという女性が、You Tubeで話していた。

彼女、プレアデスとか、どちらかと言えば、宇宙系の著作やら翻訳やらをやってらっしゃる方で。

エハン・デラヴィの奥様、と言っても、よくわからないか。

彼、ハービー・ハンコックじゃなく、グラハム・ハンコックか、と一緒に、古代文明について、本書いていたり。

なんだけど、一言で説明できるほど詳しくないのですが。

10年くらい前に、グランシップだったか、講演会に行ったことがある。

スコットランド人で、独立心旺盛な方なんだね。

キリスト教というのか、ローマのバチカンに上書きされる前の、土着の宗教、が根っこにあるのか。

そうそう、リモートビューイングとかいって、遠隔を見る、というウタイのセミナーなんかもやってらっしゃる。

今朝は、どうして、こんな話題になっているんだろう。

本人もよくわかりませんが、それより、わが母親ネタだ。

タイツの母親、というのか、ももひきの母親、というのか、そんな表題も浮かぶんだけど。

表題はともかく、日常のしぐさ、ひとつひとつが、言葉で言えば、不如意と書けるけれど。

おぼつかない、あるいは、自分の中で、しっくりこない、んだろうな。

急須にお茶を淹れようとして、意識は、ほかへ飛び、なにをやっているのか、不分明になり。

夕べは、妻が作ってくれてあったお吸い物に、残っていた味噌汁を入れ、ガスをつけようとしている。

ガスコンロは、母親へは、新しくなったので火のつけかたがむずかしいので、他の人にきいてください。

ということになっていて、つまり、元栓をオフにしてあるんだよね。

なんだけど、息子たる僕は、お茶を淹れてくれ、この食べ終わったお茶碗は洗っておいてくれ。

なんていうリクエストを矢継ぎ早に、投げかけ。

できる範囲のことは、長男の強制力で、やってもらう、という流れにしているんだけど、それが。

徐々に、少なくなってきている、というわけだ。

夕食中、突然、目をつむり、というのか、うたた寝が始まった、というのか、しばらく、その姿を見ていると。

はたと、その視線に気が付き、今、目をつむっていたでしょ、というね、例の。

取り繕いのモードにね、はいる、って算段だけど、それがあるうちは、まだ、いいでしょ、ってことで。

なんてことやらなにやら、なんだけど、僕の後ろのカレンダーの、23日、という日を、学校の先生のように。

ここここ、と叩くと、笑顔になって、これでしょ、とハンドルの真似をしてね。

これ、究極の元気の元、気の、いぶきの元、なわけです。

とうことで、明日は、伊東へ行くことになるんだけど。

ちょっと前にも書いたかも、だけど、稲取漁港の、なぶらとと、へ、キンメダイの煮付けを食べに。

河津の桜は、ちょっと早いか、爪木崎の水仙はどうだろうか、という具合でね。

下田まで、足は伸ばせるかどうか、唐人お吉の悲話をたずね、なんていうね。

あの頃の日本女性とくらべて、表題の愛知ソニアさん、同じ日本女性ではあるけれど、コスモポリタンで。

空港で足止めされそうなときに、現在の旦那さん、エハン・デラヴィと遭遇、ということで、入国がOKになったようで。

とここまで書いてきて、わが社員さんから、おもしろ、直行メールが入ってきたので、本日も。

皆様に於かれましては、つつがなく、はもちろんのこと、楽しみ満載の一日でありますように。

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