まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

今朝はレモングラスを入れてみた

2015年05月31日 | Weblog

そう、朝のフレッシュハーブに。

新人くんの表題のレモングラスをエントリーしたわけだ。

お、今、お湯が沸いた、というメロディが聞こえてきたので、淹れてみよう。

あと、5分くらいおいて、ということで、その間、ブログを続けます。

昨日は、いつものヘアーカットの大将のところで、髪の毛を整えていただき。

その後、近くの、昔ながらの喫茶店で、お茶をしたわけだ。

そこは、ご近所さんたちで溢れ、という感じでね。

どうやら、定年退職された方々の、のんびり、まったりした空気の中。

二人で、お茶をしたのだけど。

狭い空間なんで、プライベートの話が、一瞬に、その空間共通の話題にもなり。

なので、こちらも、大将との会話は、すべて、匿名トークで。

なんてことが、どうだろう、30分くらいあったのか。

さて、レモングラス入りのティーが、どうやら、飲み頃で。

これは、消化を促し、神経の昂ぶりをしずめます、と書いてあるけど。

たしかに、名前のとおり、レモンの香りがする。

どんな成分が入っているのかわからないけど、五感で喫む、とでもいうのかね。

只管打坐、ではないけど、ひたすらに喫む、という感じだな。

ところで、事務所の前の、分譲住宅の一つに、張り紙がしてあって。

ちょうど、朝の散歩のご近所さんが近づいてきて、売れましたね、と。

よかったですね、と応じ、値下げもしたから、なかなか、ご苦労だったでしょうね。

なんて、毎朝、お会いするんだけど、挨拶だけだった方と、初めて、会話。

そんな具合に、お知り合いになっていく、ってのも、楽しいもので。

そうそう、夕べ、小笠原を震源とする地震があったね。

サッカーを見ていたんだけど、後半戦は、地震速報に切り替わり、画面には。

列島の地図、その全体に震度が貼り付けられていて。

めずらしいね、なんて妻と話していたら、地震学者の方なのか。

そうなんです、なんてコメントしていたね。

ちょうど、次男坊が帰ってきて、最近、地震、多いね、と。

口永良部島の全島民、137人が即刻退去、なんて火山活動も活発だしね。

今日は、5月も最後の日で、明日からは6月なわけだけど。

今日で、瞑想まる3年、事務所移転まる2年、ということで、僕の中では。

ひそかな記念日なのです。

たかが引っ越しではあるけれど、あらゆることが変わった移転、というイベントだったし。

瞑想を始めてからの3年というのは、引っ越し以上に。

なんていうんだろう、自分の中、奥深くとの出会い、とでもいいましょうか。

それは、スペース、あるいは空間でもいいけど、外側にも内側にもスペースができた。

という実感とでもいうのか。

その昔、結婚前に、妻と友達6人で、グアム島へ行った時、おみやげ屋さんで。

ペナントを買って、それに書いてあった言葉が。

英語だったけどね、人を愛するということはその人が成長するに足るだけのスペースを。

giveすることだ、というようなのがあって。

もともと、そんな気分でもあったのだろうけど、ビンゴでね。

なんてことを、今、スペースと書いてみて、思い出したよ。

キーワードは、スペース、だな。

というわけで、6月1日、という記念の日に、あえて照準を合わせて。

長男坊の入社、という仕儀にあいなり。

とりあえず、彼女と住むところが決まらないので、わが家に、彼だけ、居候だ。

もともと、彼の家なのに、いそうろう、というのが、また、面白いね。

生々流転、いつも流れ続け、一刻も同じこと、ものはない、というね。

古来から、賢人、聖人が、言ってきたことだ。

何日か前から、吉川英治のね、「私本太平記」ってのを、iPhoneで読み出し。

南北朝の騒乱に至る話なんだろうけど、今のところは、足利尊氏の。

若かりし頃、北関東の地で、新田と足利が角突き合わせ、という時代くらい。

ちょこっと、後醍醐天皇が出てくる、くらいのところで。

さてさて、どのくらいまで、読み続けますやら、ということをご報告して。

本日のブログ、終了です。

 

 

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モラトリアムって言わなくなったね。

2015年05月30日 | Weblog

ひところ、ずいぶんと流行った言葉だけど。

もともと、徴兵猶予、執行猶予、なんて意味だったか。

社会へ出ずに、なんとかをやりたいんだけど、今はその時節にあらず。

なんてことだったか。

未来へ、自分の人生を預けておく、とでもいえるか。

自分の人生に、利子がつくという気になっていたんだろうか。

って、他人ごとに語ってけるけど、モラトリアム、なんて言葉、使わなくても。

わりとある話で。

ほんとは、僕、勉強できて、その気になれば東大にも入れたんだけど、なんて言い方ね。

勉強とか東大とかに、いろんな言葉を入れ込めるんだけど。

これ、執行を猶予している、というわけだ。

ま、それはそれで、いいんだけどね、あんたにとやかくいわれることじゃない。

んだけど。

この、モラトリアムという言葉で、死ぬことを未来に預けている、というような。

そんなことを思った次第で。

やがて死ぬけど今は死なない、というかね。

いつもご紹介するけど、島尾敏雄の「出発はついに訪れず」という。

特攻隊の心境を書いただろう、小説なんだけど。

読んでなくて、表題だけで語っているので、正確ではないかも、で。

つまり、出撃は何日か、で、その時には、我が身は黄泉の国に旅立つ、というような。

そんな日々を過ごしていたけど、結局、終戦で、出発はついに訪れなかった。

というわけだ。

これも、モラトリアム、といえば、そうで。

なんだけど。

しかし、ほんとに、死ってやつを、経験・体験できるものかね。

他人の死んだ姿や本やドラマなんかで、末期の描写から類推して、ということはあるけれど。

あくまでも、それは、概念的な死、というのか、言葉で綴られた、死まがい、でね。

なんて、朝から理屈をこねても仕方ないか。

ところで、今朝のおひさまは、眩しかったな。

いつもの屋上での、おひさまへの遥拝は、まともに見れなかったくらいで。

小鳥たちのさえずりは、はっきりと聞こえたけれどね。

もちろん、富士山も。

インドでは、太陽信仰ってあったんだっけ、なかったんだっけ。

彼の地では、悪魔、くらいの言い方をされていなかったかな。

灼熱の地では、なんともうらめしく、という次第で。

この間、48度とかだった、なんておっしゃっていた方がいて、インドがね。

そりゃ、恨み節の一つも残したくなるよね。

向老師という、禅のマスターがいらっしゃって、酷寒の朝、修行をして。

その後の一椀の粥、その暖かさを掌でいただいて、というわけだ。

ありがたさをいただく、というね、それが食事の所作の大元なんです、と。

それは寒さの中の暖かさ、なんだけど、48度の酷暑、というか、凶暑、というか。

そんな中では、一碗の水の冷たさ、ということにもなるわけで。

その地、その時々で、ありがたさ、というのは、変わっちゃうんでね。

母親を知らない子供からしたら、鬱陶しいくらいに思える、母性の愛が。

この世のものとも思えない、甘露、となるのだろうし。

ここのところ、何度も書いて恐縮ですが、ハーブティーね。

わが社員さんのお一人が、それを飲んだら、いつもは2時ころとかに、起きちゃうんだけど。

朝までぐっすり眠れた、ということで。

そんな効果もあるんだね。

僕の場合は、便通がよくなった、というか、いい便が出現するようになった、というかね。

水気があって、浮くんだね。

べんのよしみさん、という学者さん、冗談みたいなお名前だけど、彼が書いていて。

その便に近いものになってきたな。

世は、ペットブーム、とでもいうのか、大勢の方が、わんちゃんやねこちゃんを飼ってらっしゃるけど。

僕も御多分にもれず、ペットを飼っていて。

それは、みなさんの目にはふれないんだけど、70兆とも100兆ともいえる、腸内の微細菌でしょ。

それと、皮膚の表面に生息する、1センチ角に100万と言われる細菌。

細かく言えば、もっと数限りなく生息しているんだろうけど、僕の体、ってのを利用してね。

なので、日々、腸内のペットに、餌を与えている、という次第で。

ハーブティーも、その中の一つだね。

というわけで、眩しいおひさまを長めなら、一日が始まったのでした。

 

 

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JINSのメガネをかけて

2015年05月29日 | Weblog

今朝のブログアップという次第で。

娘からの誕生日プレゼントだったんだけど。

JINSというブランドがあるようで、それなりのお金を捻出して。

というのは、うれしくもあり切なくもあり。

このちょっと、胸の奥に残る、名前をあえてつけることのできない。

なんだろうね。

感情とかと、ひとくくりにしてしまいがちではあるけれど。

プレゼントにかぎらず、ちょっとした、こころづかい、気遣い。

煎じ詰めれば、いのちのまたたき、とでも言おうか。

そんなものは、娘のプレゼントに限らず、いいもので。

日々の会話だったり、モノやコトやヒトとの出会いの中で。

しこたま、あるわけで。

実のところは、そういった点と点をむすんだものが、一日、と言ったり。

命、と言ったり、人生、と言ったりね。

ところで、今朝の瞑想は、ことのほか、短く。

といっても、いつもと同じように、30分という、スマホのアプリで計測はしていて。

あたりまえだけど。

自我、と呼ばれるものから、我がとれて、また、我に帰ってくるまで。

どこか、自、だけで、行ってきたんだろうな。

睡眠というのも、似ているけれど、この、自だけになっているときってのは。

ずいぶんと、肉体的には、休まるらしく。

前にも書いたけど、30分の瞑想で、8時間睡眠に匹敵だったか、半分に匹敵だったか。

そのくらいなんだそうで。

というのも、アングロサクソンの国、実験大国、アメリカでは。

なんでも、科学的な手法で、データをとるのが好きで。

そんなアプローチを、ハーバード大かどこかで、していたようでね。

血圧も下がるし、糖尿病の数値も下がるし、という、バラ色のような。

瞑想効果、ってのが、一部では、もてはやされている、というわけです。

一方で、F1とか、遺伝子組み換えとか、それも、根っこは同じ所にあるのか。

ある意味、真面目な国だからね、企業収益を極大化する、とか、自分の報酬を。

オートマチックな、錬金術とでもいうのか、そんなもので、極大化する。

ことに関して、とことんまで、追求する、ってわけで。

チャレンジする国、とでもいいましょうか。

かたや、わが日の本では、事の良し悪しはおいて、明治を創った方々は。

勝海舟やら西郷隆盛やら、まだまだ、いらっしゃるのだろうけど。

皆さん、禅をやっていたようで。

禅、というのは、瞑想とも似ているけれど、日々の暮らし方、生き方の所作と。

自身の内面を統一させる、というのか。

生き方そのものが、禅である、というようなね。

そんなウタイなんで、国つくりも、そんなところからの影響もあったように思う。

もちろん、時代の落とし子なんで、それなりに。

ま、時代の投影図、ではあるので、その時代に、今からタイムスリップしたら。

鬱陶しいこと、かぎりなし、なんて感想も持ったりするんだろうけど。

とはいえ、一国が、一国だけで、成り立つことはありえなく。

今の言葉で言えば、グローバリズムの波にたゆたう、という絵柄なんで。

当時の西欧列強の力を、利用する振りをして利用された、とか、利用された振りをして。

利用した、とか、言い方はともかく、いろいろ、あったんだろうね。

社交場だっけ、鹿鳴館の戯画化されたもの、たしか、中学だか高校だかで。

習ったよね、まったく、自虐趣味の文部省というのか、お役人というのか、でね。

しかし、そんな感じにも映ったのでしょう。

そりゃ、文明を、Aがよくて、Bはだめ、的な、二項対立としてうけとれば。

そうなっちゃうんだろうけどね。

今となれば、黄色い顔した白人、アングロサクソンが、肩で風を切って歩いている。

わけで、マイケル・ジャクソンが、整形で顔を白くした。

なんてのは、スケールの大きな、なんていうのか、メッセージでもあったんだろうな。

とも思えるね。

 

 

 

 

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宮沢賢治はすごいこと、言っていたんだな。

2015年05月28日 | Weblog

東北への旅では、大沢温泉を堪能したのだけれど。

そこには、宮沢賢治の足あとが、残されていてね。

なんてことからでもないけれど、最近、彼の詩というのか、言葉、ってのを。

ネットで目にして。

 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

というのだけれど。

このあと、いろいろと続いて。

最後に、

 われらは世界のまことの幸福をたずねよう

となるんだよね。

ま、すごいこと、言っていたんだ。

僕の文学の先生、というのか、もと文学少女から。

若いころ、カミュだの、ドストエフスキーだの、さまざま、教わったなかに。

宮沢賢治も入っていたんだけど。

その頃は、あんまりわからなかった。

もちろん、今も、そうだけど、冒頭の言葉が、なんか、すごいな、と思えてね。

同じ温泉につかった仲なので、というわけです。

今朝は、例の、スカボロフェア、というドライハーブです。

欲をかきすぎて、ちょっと、お湯を入れすぎて、薄めだけどね。

昨日は、なんやかやと、忙しく、うっかりすると、心を亡くす、ってことに。

なりそうだったけど、そこはそれ、その瞬間にいる、をモットーにしているんで。

それはそれで、なかなか、楽しくもあり。

最後は、いつもの表具屋さんと、浮かれ街にて終了、とあいなった次第で。

今朝は今朝で、いつもの、ゴミ拾いの聖人とお会いして。

両手に余るほどの袋をわきに、ちりとりで何かをとっていた。

それにしても、一日は生きているわけで、ゴミが捨てられるというのも。

人間が生きている証拠でもあり、ね。

何日か前、お昼のお弁当を、いつもと違うお店まで買いに。

結果は、お休みだったんだけど、歩いて行ったわけだ。

せっかくだから、と、いつもと違う道をぶらぶらと、帰ってきたんだけど。

当たり前だけど、いつもと違う風景なんだね。

こんなところに、こんなものが、という次第で、なんだか、小学生の頃に帰ったような。

新鮮な体験をしたのでした。

さて、そんなわけで、本日も、よろしくお願いします。

って、Facebookみたいな文言で、最後の締めとしますか。

 

 

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定年なんです

2015年05月27日 | Weblog

と言うんだね。

プリウスのキーバッテリー電池の残りが少なくなっています。

というメッセージが、四十、フロントの液晶に現れるので。

コジマへ走って、例の、アップルおじさんにも逢えるかなと思いつつ。

エスカレーターに乗ると、前方に見かけた顔が。

ついこの間まで、ここで働いていた方で。

わが巴川の住人、CMさんの知り合いの方だった。

今日は、ラフな格好で、なんて声をかけると、定年なんです。

というわけだ。

お決まりの文句みたいだけど、いいですね、悠々自適ですね。

なんていうと、いやいや、働かなくちゃ食べていけないので、と寂しそうでもあって。

定年、という言葉が、なんていうんだろう。

うらさびしい、とでもいうのか。

そんな具合に写ってね。

長い間、務め上げてご苦労様、という、そんな語感じゃないんだよね。

定年の日には、花束をもって、祝言をあげ、なんてわけでなく。

というのが、さみしくもあり、ただ、気分を変えれば、ね。

どのみち、仕事も生きていることも、五十歩百歩、というのか。

生きることが仕事です、とも言えて。

なんてことが、瞬間に去来した、というコジマでの時間でした。

 

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サザエのツボ焼きに気合入りまくり

2015年05月26日 | Weblog

サザエの壺焼、とでもいうのか。

ガスコンロのサザエに醤油をたらし、焼いたわけだ。

こおばしい香りがしたのかしなかったのか。

日曜日、妻が魔女のきみくんのところへ行ったので。

僕が炊事番というわけで、河岸の市へ買い物に。

サザエが気になって、生きているのを買ってきた。

刺し身にしようとトライしたんだけど、うまく出ないんだよね。

一個から、ほんの少々しか取れず。

お店の人は、割っちゃえばいい、なんていうので、金槌でやってもみたんだけど。

なので、壺焼に、とね。

それ以外、アジを三昧におろし、刺し身に。

目の前の母親は、きんちゃんを負かすよ、と嬉しそうにいう。

きんちゃんという方は、もう、50年は昔のことだけど。

よく、自転車のうしろにリヤカーをひいて、わが家へ売りに来た魚屋さんのことで。

今、わが事務所になっている、たぶん、ご近所じゃなかったかな。

昔だから、衛生観念ってやつも、かなりゆるゆるで、ハエは舞う。

まな板をふくフキンは、真っ黒で、という感じの、三丁目の夕日的な。

焼けたサザエを、母親の前に差し出す。

すると、うまく、するするっと、おしりまでだし。

えたりやおう、という風情で、おいしそう、というわけだ。

おいしそうだから、食べるのもったいない、と最後まで、器に残し。

という光景も、昭和の匂いがするんだよね。

別に、ノスタルジックになっているんじゃないけど。

今、いつものレモンバームとミントで、フレッシュハーブを飲む。

これね、飲む、ということと一体になっている、というのか、そこへ行くと。

飲んだあと、体全体、特に、感じるのは、ももから足先まで、なにかが行き渡る。

という感覚が、おもしろくて。

体内を、たぶん、予想以上に早く、なにかが移動するんだよね。

最近、飲むときは飲む、歩くときは歩く、という具合に。

瞬間瞬間を、楽しんでいるんだけど。

もちろん、100%なんてことじゃんなく、どうだろう、半分くらいかな。

なかなか、面白くて。

すると、その瞬間にいる、という癖がつき、ああだこうだの、思い煩いが減るんだよね。

ああだこうだ、というのは、実際には、どこにも存在せず、脳内の幻想だからね。

言ってしまえば、とても、効率的なエネルギーの使い方ではあると思う。

だって、できることだけしているんだから。

いちいち、ああだこうだ、とできないことや起こったら怖いことや、あるいは。

他人からの毀誉褒貶、ほめられたり、けなされたり、ってやつね。

そんなことから、自由になるんだからね。

これ、禅から教わったんだけど。

古来、聖人というのか、高僧というのか、そんな方々が、口を酸っぱくおっしゃってきたこと。

ってのが、そんな、たわいもないことなんだろうか。

とね。

紫の衣やら、荘厳な建築物で、見誤っちゃうけれど、というか、エピゴーネンの方々は。

そういうところに、行かざるを得なかったのかも、だけどね。

偶像なんて意味ないよ、なんていい方もあるけれど。

この間、東北地方で、何体か拝観した仏像は、それなりに、パワフルで、ということもあるから。

なかなか、単純に、神は自分のなかにいます、偶像は意味無いです、まる。

なんてことにも、ならないとも思うけど。

そうだ、母親のサザエだったね。

ついでに、食事のあと、使ったお茶碗を流しに出すわけだ。

最近、それを、僕が洗ったりするんだけど、それをしようとすると。

あ、そのままにしておいて、あたしがやるから、というわけだ。

ので、明朝、楽しみに確認すると、洗われずにそのまんま、ということが、何回かあったんだね。

夕べも、同じ展開だったので、それを制して、半分くらい、洗剤をつけて、おいておいた。

あとは頼んだよ風にね。

すると、これは、遅く帰ってきた妻の弁なんだけど。

おそろしく気合が入っていて、あたしが食べているお茶碗も洗いそうになるくらいで。

ということで、今朝は、すべて洗ってあったのでした。

これも、サザエのつぼ焼き効果なのでしょう。

 

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今朝は遠野物語です

2015年05月25日 | Weblog

行程の都合で、遠野村には、1時間にも満たない滞在で。

というのも、そこから、二日目の宿泊地、秋保温泉までは。

3時間はかかる、ということで。

若者のなんとかクラブとは違うんで、なるべく、早めに旅館に入り、ゆっくりと。

温泉につかり、という塩梅なんでね。

遠野では、カッパ淵と伝承園へ、と同行の方々は行ったわけだ。

当方、駐車場の売店へちょっとより、そこのおかみさんと話し込んだのでした。

どこか、タバコ吸うところ、あります?の質問に、ここで吸っていいですよ。

と店の中の席を指ししめした、その感覚が、とてもよくてね。

思わず、そこで、見学へは赴かず、話し込んだんだよね。

遠野といえば、カッパ淵ですか、に、ちょっと、間を置いて、まあそうですかね。

くらいの話で、そのうち、どこぞのタクシーなのかバスなのかの、運転手さんも加わり。

どんなきっかけだったのか、震災の話になり。

おかみさん、ご主人のおかあさまとおとうさまを、なくされたそうで。

鵜住居(うのすまい)というところで、例の、片田先生の防災訓練のおかげで。

保育園の子どもたちからお年寄りまでを、小学生高学年、中学生が率先して、避難地まで誘導し。

ということで、全国的に有名になった地なんだけど、おかみさんの係累の方は、そんな結果で。

最初の1年、2年は、とても、そんな話題もする気にならず、とおっしゃっていた。

静岡から、というと、やっぱり、いいところですね、とくる。

ここの冬は寒くて大変だよね、と運転手さんに相槌を求め。

ほんとに、寒そうだな、と感じるくらいでね。

この奥に、福泉寺というお寺さんにある、観音様が、一木彫りで、日本一だそうです。

なんてお話が残っていて、帰ってきてみたら、今回のアテンダーの女史が、パンフを。

用意してくださっていて、それを見ると、17mだそうで。

樹齢1200年の巨木を、ご住職が、20年かけて、ということらしい。

そこで、楽しいひとときを過ごし、まるで、柳田国男が、佐々木某に聞き書きし。

遠野物語を書いた、くらいの気分になってね。

新緑の田園風景のなかでお聞きした話は、内容はともかく、その雰囲気がとてもよくて。

くせになりそうな、時間でした。

で、3時間かけて、仙台の奥座敷と言われる、秋保温泉へ。

その玄関口で、風呂あがりのからだを、5月の風に涼んでいると。

そこの副支配人が、どちらからですか、くらいの切り出しだったか。

かくかくしかじか、今、遠野から来たんですよ、という言葉に、彼、すかさず。

嬉しそうな笑顔で、反応し。

それこそ、震災の時には、遠野の唯一のホテルにいたそうで。

ということから、遠野市の防災のしくみ、活動が、先進的で。

当時、ボランティアも含め、各種団体の拠点になった、そうで。

リーダーシップのある市長が、震災1年半前に、初めて就任し、その頃から。

防災訓練をし始めていて、それが、功を奏した。

あそこは、盆地で、外のどこの場所へも、1時間で移動でき。

活断層からずれているので、地震そのものは大きかったけど、建物は市役所の柱がやられたくらい。

らしく。

地震が、たしか、3時過ぎで、その日の5時には、緊急出動、婦人なんとか会は、炊き出しをはじめ。

それぞれの部署はそれぞれに、活動し、運送部隊に何千個のおにぎりを積み。

鵜住居、釜石、大槌だったか、被災地へ物資を運びに出立。

しかし、朝になってもなんの連絡もなし。

心配しているとそれぞれ、帰還し、だけど、泣きながら帰ってきたそうだ。

あれは地獄だ、というわけだ。

おにぎりどころじゃなく、寒い中、どろだらけで。

なので、毛布から着るものなどなど、また、積み込んで、向かった、そうで。

彼自身も、運転手が足りない、ということで、何日間か、通った、と。

物見遊山でやってきた当方からしたら、なかなか、ヘビーな話で。

しかし、それを吐き出せる時間の経過をも、思ったのでした。

彼の地、遠野は、山に囲まれた盆地で、よそ者は、なかなか、受け入れない。

しかし、一旦、入り込むと、大親友のような関係になる、ということや。

四分の一が佐々木、四分の一が菊池、という姓で。

九州熊本の菊池氏と、姉妹提携もしているらしい。

人口3万弱で、半分が、同じ名字なんで、下の名前で呼び合う風習で、なので。

余計、親しさが深く感じられ、なんてこともおっしゃっていた。

まだまだ、遠野物語はあるけれど、今朝は、このへんで。

 

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東北蝦夷の旅を一筆書きしておこう

2015年05月24日 | Weblog

20日水曜日の、9時過ぎに。

芭蕉の。

片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、

のような気分で、わが社を出立。

まさに、

春立る霞の空に白川の関こえんと、

そゞろ神の物につきて心をくるはせ道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず

というわけです。

芭蕉は、船だったのか、歩きだったのか、はともかく。

われわれも、同じように、白河の関を越えて、みちのくへ入っていったのでした。

ここは、源氏の面々も、義経も混じるわけだけど、通り過ぎていったわけだ。

一関ICを降り、平泉へ。

厳美渓という、とても水のきれいな渓谷を堪能し。

達谷窟毘沙門堂へ。

10m以上あるのか、切り立った崖に大きな穴を掘り、そこには。

大和朝廷からみたら鬼、悪路王とか名付けられ、暴虐の限りを尽くし、的な。

表現をされる、実際には、東北の英雄、アテルイだろうけど。

土地の賊が、隠れ住み、そこで、坂上田村麻呂が征伐し、というね。

そのあとに、毘沙門堂を建立し、今も残る。

その後、毛越寺庭園を眺め、売店小屋の御仁と話し込み。

静岡から来ました、というと、遠くからご苦労さまです。

と言いながら、わたし、磐田にいました、だったか。

気候もなにも、いいところですね、というわけだ。

道行く誰と話しても、遠くからようこそお越しくださいました、という風情で。

それだけで、東北はいいな、と思えるんだよね。

それから、中尊寺だ。

名にし負う中尊寺、金色堂というわけだけど。

ここでもまた、芭蕉の

 さみだれの ふりのこしてや 光堂

を拝借しちゃうと、感性が、芭蕉チックになっちゃうよね。

たしかに、うまいんだけどね。

なんて書き方してると、はてしがないので。

取り急ぎ、ちゃっちゃと、訪れたところだけ、書き留めておきますか。

金色堂の次に、白山神社。

加賀一の宮の、白山姫神社からの勧請なんだろうけど、北陸との交易がね。

忍ばれるのですが。

次は、黒石寺。

名物女性住職、という方が、洒脱というのか、ひょうきんというのか。

僕からすると軽妙な語り口、なんだけど、同行の方々には。

ちょっと、物足りない、というか、つまり、もっと重々しい、というね。

修行の住んだ方は、ということだったようだけど。

実は、今回の旅で、一番味わってみたかったのが、次の。

丹内山神社で、アラハバキ大神をお祀りしているところで。

さすがに、ここには、芭蕉さんの痕跡はありませんね。

 

大和朝廷=中央が、攻め入る前の土着の信仰が、このアラハバキ神というね。

中央からはよくわからない、という神様で。

それが、未だに、祀られているんだけど、ほとんどのところでは、新来の神さま方と習合されて。

末社とか摂社とかになっちゃうんだけど、ここには、堂々と祀られている、ということです。

ここと対極をなすのが、成島毘沙門堂というところで。

4~5mはあるのか、毘沙門天が鎮座し、京の都を背にして、丹内山神社に向かっていて。

つまり、中央的に言えば、土地の賊からの霊力、パワーを、この毘沙門天で守ってみせます。

というわけだ。

その後、大沢温泉の山上閣にて宿泊。

ここの温泉は、いい、とても、いい。

宮沢賢治もここを訪れ、という古い写真も残っていて。

みちのくの新緑のなか、流れる川音を聞きながらの露天風呂は、なんともいえず。

これで、やっと、一日目が終わったのです。

 

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秋保温泉、岩沼屋さんにて

2015年05月23日 | Weblog


早朝のケヤキ。

右側のあたりに、お日様が昇っている。

仙台の奥座敷とでもいいましょうか。

左手奥には、ぼたもちで有名な。

さいち、というスーパー?!

朝の9時には、行列ができ、だそうで。

夕べも、この場所に座り、タバコ、すいながら。

やどのかたから、さまざま、震災の頃の話を伺い。

清水の鶴瓶としては、何本の番組が作れるか。

というくらいですが。

そのうち、アップできるかも、です。

さて、今日は、多賀城跡を周り、一路。

帰還の途、と相成る次第で。

朝食前に、もう、一風呂、浴びてきますか。
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義経伝説の眠る赤沢村

2015年05月22日 | Weblog


これ、義経といえば、源ですが。

ひよどり越えの戦いで、平家を敗走させ。

褒美に、九郎判官義経、という名をいただいたわけだ。

この写真は、判官堂からのながめ。

もちろん、義経にちなむもので。

向こうの山裾あたりで、馬術のお稽古をした。

という伝承が残っているらしい。


今日のブログは、これだけです。
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