まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

夢判断

2013年07月31日 | Weblog
古来、夢については、さまざま語られているわけだけど。

近代で有名どころといえば、フロイトであったりユングであったり、ね。

お正月の、一富士二鷹三なすび、ってのもあるし。

予知夢だったり、吉夢だったり。

ということなんだけど。

今朝、めずらしくわが妻がね。

夢を見た、というんだね。

こんな夢、と説明してくれるんだけど。

よく覚えていたな。

とちらも、最近、夢ってのに、興味があるので。

で、内容というのは。

おかあさんの手紙が出てきて、それを読みたかった。

しかし、いとこの、よくしゃべる子がいるんだけど、その彼女が。

なんやかや、妻をほめてはくれるんだけど、そのおかげで。

おかあさんの手紙は読めなかった、という顛末で。

あの手紙、読みたかったな、というものなんだね。

ひとつの仮説として、夢は昼間の心の中のバランスをとってくれる。

ってのが、あるそうなので。

読みたかった手紙を読めなかった、ということで、ひとつ、自分にとっての不具合がとおりすぎた。

とも言えるんだけど。

でも、その手紙、読めるよ、と僕は言ったのでした。

夢に参加できる、ってのが、このところ、気に入っている考え方でね。

ゆめかうつつか、なんて言うけれど。

パラレルワールドなわけだ。

夢だって、実際に、存在しているんで。

てなことを、朝も早よから、妻の話に触発されて、考えてもいたのでした。

ところで、今朝は、ヘッドフォンでヨーヨーマを聴きながら、のブログアップです。



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風立ちぬ、はいい映画だ

2013年07月30日 | Weblog
というのは。

妻が、もう一度観たい、と言ったから。

って、俵万智のサラダ記念日、という短歌みたいだけど。

昨日、ある御仁と「風立ちぬ」談義とあいなり。

その方も、ご夫婦で映画館へ、と。

いろんな解釈が成り立つ作品ってのは、いずれにしても、いい作品です。

と断言してしまおう。

語る角度で、その人その人の状況、心情、来歴が刺激を受け。

言葉やら感懐やらがあとからあとからやってくる、という風情ですね。

ところで、「風立ちぬ」のもとになった、ポール・ヴァレリーの訳詩を眺めてみたんだけど。

むずかしいね。

「海辺の墓地」という詩からとってるみたいだけどね。

昨日、二日目の個人ミーティングが終わり、なかなかね。

「今、私は自分の身近にいる登場人物と本当に出会っているのだろうか」

というね、最近目にした、kanさんのフレーズを応用したかったのだけれど。

あるいは、「自分の奥に触れたら相手にも触れることができます」とかね。

すると、「世界のしくみを喝破していた古代人とも出会え」ってフレーズとか。

つまり、目の前の人と、本当に出会うためには、自分の奥の方と出会うことが必要であり、ってわけで。

相手のことじゃなく、自分自身のことでね。

ってことなんぞも、目の前の相方との空間にね、ミュージシャンが言うような。

今、おりてきた、というね。

そんな場ができれば、こりゃ、まわりで起こっていることはおもしろいことだらけで。

という次第で。

上記の「風立ちぬ」という作品との出会いの仕方だって、おんなじで、たぶん。

というわけで、本日も出会いだらけの一日となるのでしょう。

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安倍川花火フリークの顛末

2013年07月29日 | Weblog
土曜日は、安倍川の花火で。

昨日も書いたように、妻は、定位置に陣取り。

幼い頃からの思い出の詰まった花火大会を満喫したわけだ。

で、昨日。

右足が痛くて、歩けない、という状態になってしまい。

午後、救急の病院まで診察に行ったのでした。

どうやら、花火の前に、ヒトカラの会場でつまづいてねんざしたようで。

そのまま、静岡駅と花火会場を往復歩き。

夜半に帰宅、とあいなったのだけど。

次第に腫れ上がり、ということなんだね。

これこれこういうわけで、と、妻が笑いながら先生にね。

状況報告をすると、先生、笑い事じゃないですよ、だって。

たしかに、ねんざしたまま、一時間以上を歩けば、ということなんだね。

重篤なものではないけれど、病院への入退場も、車いすでね。

病院内では、歩行器で、という次第で。

晩ご飯は、僕がつくり、というほどじゃないけど。

ま、普段、やってもらって当たり前状態なので。

その形が崩れると、いつもの有難さが、身にしみるのです。

その後、韓国戦は、柿谷の2ゴールで、なんとか、勝ち。

選手達の今朝のコメントが楽しみです。

そんなわけで、ということもないけれど、昨日は。

ナスの植え替えができず、今週に持ち越しだな。

糠漬け師匠ご主人に、もっと深く大きいものにかえなけりゃ。

とご指摘をいただきね。

さてさて、今週はどんな一週間になりますやら。
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清里へ行ってきた

2013年07月28日 | Weblog
昨日は、ブログ、さぼっちゃったんです。

朝のルーチンワークが噛み合ず。

事務所にMacBook Pro置きっぱなしでね。

このキーボードの前でないと、浮かんでこない、という決めつけのなかに。

このところ、生きているんで。

というわけで、表題です。

今月のおじおば会だったのですが。

この言葉で、どんな印象・感想をお持ちになるのか、ってのが。

ちょっとばかり、興味深くて。

清里って、昔、みんな、行ったよね、とか。

ソフトクリームがまだあるんだろうか、とか。

行く人、いるのかね、とかね。

実は、爽やかな風が吹いていたのです。

下界とは10度は違うのかな。

全盛期とは違うんだろうけど、それでも、人は嫌になるくらいじゃない程度に出ていて。

経営的にはわかりませんが、気持ちよかった。

美しの森、というところがあって、そこで出会ったおばさまたちは。

野草の会、とかで、前日、天狗山へ登られてそうで。

尾根は18度だった、なんておっしゃっていた。

標高2000mを越えているそうだけどね。

いつもの「伝べエ」というおそば屋さんにて昼食。

今度からは、何を食べたい?で、行く場所、決めようか、なんてことにもなり。

そうそう、そのかなり手前の、「ゆばの里」では、おからのコロッケを作ってらっしゃる。

ゆば子ちゃん、というおばちゃまに会いまして。

彼女、80歳だそうで、かくかくしかじかで、おじおば達は80歳以上で、と。

記念撮影をし、元気でやってくださいね、と別れたのでした。

清里のあと、八ヶ岳倶楽部へひさびさに寄り。

あそこは、元気あるな。

元気、といっても、はやりすたりの、という元気さじゃなくね、若者たちが。

自分の身の丈のまんまに、好きなことやってる、という空気感を感じたのでした。

妻は、安倍川花火フリークなので。

一人で、いつも観るという定位置まで出かけ。

夜半の帰宅、そう、ちょうど、僕の瞑想が終わった頃だったかな。

清水駅から歩いて帰ってきたようで。

だいぶお疲れモードで、ま、しかし、好きなことやってるときは。

からだの奥のほうからエネルギーがわき起こっているわけで。

八ヶ岳行の僕にしろ、気の元を吸収した一日だったわけだ。

そうだ、今朝、ベランダのアサガオが花をつけてね。

初咲きです。

「時空を超えて生きる」って、Kanという方の本、読んで、なかなか刺激的だったのですが。

それについては、いつもの、to be continuedです。

ひとつだけ、メイド・イン・チャイナ、ってのが、なにかと話題になるけれど。

「メイド・イン・社会」という言い方がおもしろくて、そのうち、ご紹介します。


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熱中症

2013年07月26日 | Weblog
全国で今までに熱中症で救急搬送された方が、2万2千人以上いらっしゃるそうで。

お亡くなりになった方もいらっしゃる。

日本列島も熱帯地方のお仲間入りなのか。

昨日は、某会社の安全パトロールで一日、拘束状態で。

前の晩、観花火の宴のなごりのまま、飲んでしまって。

なかなか、ハードな一日になってしまった。

体調悪いと、暑さが応える。

体内の調整機能も落ちているんだね。

挨拶のなかで、みなさん、気をつけましょうね、反省をこめて、ですが。

と言ったんだけど。

日頃、クーラーのために、体温調節が下手になっているのかもね、なんて。

豪語もしているなかで、ね。

ま、とにかく、熱中症の猛威というのか、今朝の涼しさからはちょっと想像しにくいけれど。

暑い国では、そんなに頑固に働かないんだよね、どうも。

暮らしたことがないからわからないけれど、聞き及ぶところでは、そんな感じだね。

こうして、文化というのか習俗というのか、その土地土地でできあがってくるわけで。

日本人は生真面目だから、気候の変動なんてなんのその、って具合で。

働く働く、働くことは美徳である、って、だれが言いだしたんだか。

労働基準監督署というお役所があって。

そこでは、去年までは一時間に一回給水をして、くらいだったけど。

今年からは、30分に一回、給水をした、という記録をつけなさい。

なんて言いだしている。

もちろん、なんとか、熱中症の猛威を止めよう、ということからの発想なんだけどね。

なので、批判したいわけじゃなくね、ただ、サーズだっけ、なんか伝染病が国内に侵入か。

というとき、舛添さんが、当時、厚生労働省の大臣さんだったか、防護服に身を包み。

夜中に緊急会見をしていたのと、似ていなくもない。

ま、誤解をおそれずに書けば、この時期は、たらーっとしていいんです。

とみんなで言っちゃえば済みそうな話がね。

そうも言えず、ということで、勤勉という価値観のなかで、熱中症を克服する。

という壮大な実験場と化しているわけです。

というような理屈はともかくとして、目の前にある危険から身を避ける、というのも。

何万年だか、この人類がやってきたわけでね。

それなりの知恵がからだにしみこんでもいるので。

自分の身体に素直になれば、ということなんだけど。

このグローバルにして管理大好きな時代には、嘘も方便、みたいにね。

からだとこころとあたまを、たがいちがいに使っちゃう、という特技も身につけちゃうんで。

みなさん、気をつけましょうね、というなんだか、よくわからないメッセージになっちゃいました。

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観花火の宴

2013年07月25日 | Weblog
花火はあがった。

昨日は、わが社屋上にての花火大会。

のはずが、天気具合ままならず、ということで。

3階に、みなさんにお越しいただき。

部屋内からの宴だったのだけど、7時半の時点では、雨もあがり。

屋上にあがっていただいて、涼やかな風のなか、花火を観ていただいた。

ということで、一件落着なんだけどね。

ま、空を観ながらのおもてなしは、ほんと、疲れるね。

始まる前、そうだね、4時くらいからか、何本かのお電話をいただき。

どうなの、やるの、やらないの、って感じのね。

そのうち、その電話に呼応するように、日本平で、何発か空砲がなりね。

あそこのホテルにも、問い合わせの電話がなっていたんだろうな。

と、なんか、同志のような感じがした。

宴の内容?

それは、多岐にわたり、それぞれ、おもしろネタはあるんだけど。

それ書いてると、日が暮れちゃうんで、来年、おいで下さい。

ということで。

そうそう、自治会長さんと役員の方もお越し下さって。

白鬚神社、稲荷神社、小芝神社とつらなるレイラインの地をね。

さらにパワーアップしていこうと強く思ったのでした。

地のエネルギーってのは、確実にあってね、その流れにそって行く、という感じでしょうか。

そんなわけで、夕べのなごりのなかからの、ブログアップでした。
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寸止め

2013年07月24日 | Weblog
空手はやったことないけど。

寸止め、とか言うよね。

相手のからだにあたる瞬間に止める、ってやつ。

夕べは、マンチェスターユナイテッドと横浜マリノス。

その前は、アーセナルと名古屋グランパスの親善試合。

イギリスのプレミアリーグが、ごそっと、日本にやってきているわけだ。

スター選手も、観光気分ではないしね。

そのアーセナルとの試合で、だれだったかな、コメントしていたんだけど。

世界基準と日本のJリーグレベルの違いは、やろうと思っていたことを、瞬間の。

状況に応じて、寸止め、というかね、咄嗟にきりかえることができるかどうか。

なんて言っててね。

それが、妙に、印象に残ったわけだ。

日常の生活や仕事場での、もろもろの出来事に応じるときにね。

この寸止め、ってのが、なかなか、むずかしくて。

前のめりになっているときには、ほとんど、そのまんま、進んでしまう。

と言うね。

それで、人様やら自然現象やらに小言のひとつも言って、よし、みたいなね。

そうそう、自然現象と言えば、本日の花火大会。

予報では、雨だ、ということなんで。

今も、社員さんと話したら。

わたしはあめおとこです、だって。

段取りしている、もう一人も雨男を自認しているんでね。

そりゃ、雨でしょ、ってなもんで。

さぞかし、その昔の時代には、重宝がられた男たちだろう。

あの有名な卑弥呼だって、雨乞いで権力を手に入れた。

なんて言い方もあるしね。

お百姓さんをやっていたら、彼ら二人は、大将だ。

それはともかく、僕は真逆の晴れ男なんで、この対決は見物でもあるんだけどね。

話は、寸止めだ。

よく言われる、自閉症の方って、ルーチンワークの極み、みたいなところがあり。

例えば、A地点からB地点まで行くのに、この道、って決めているみたいで。

それ以外の、ま、道路工事でもやっていて迂回路なんてのが出てくると。

パニクっちゃう、と言うんだね。

それとも、上記の世界基準の判断力ってのが、似ていてね、真逆だけど。

ま、世界を股にかけてきた男達の末裔だけに。

判断が早いわけだ。

早い話が、海賊たちだからで、彼らのご先祖樣方は。

なので、先輩方の英知に依存もするにしても、未知の新世界に遭遇したときには。

今までの基準、デフォを、大胆に切り替えるしか、生き延びる術はないわけだ。

ってことをつらつら眺めてくると、どの文化が優れていて、どの文化が劣っていて。

なんてことを、書斎でパイプくゆらせながら論じる、って事自体。

あほらしい、ってことになるね。

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メガマーケット化する日本のうつ病

2013年07月23日 | Weblog
今朝は、本の目次からのパクリなんだけど。

「クレイジー・ライク・アメリカ」って本で。

心の病はいかに輸出されたか、って副題がついている。

最近、日経をね、経営者らしく、毎日、読んでいるんだけど。

斉藤環という作家か、学者か、という方の日曜のコラムに紹介されていて。

よく見ると、この方、精神科医ですね。

たぶん、この間亡くなった北杜夫のご子息にして斉藤茂吉のお孫さん、じゃないかな。

たぶん、ですけど。

精神病とその製薬会社がセットで、グローバル化している、という仮説なんだけどね。

最近、どうも、うつ、うつ、うつ、という言葉が、あちらこちらで聞こえ。

?、?、?って、感じでね。

どうやら、1980年代あたりからのようで。

この本では、日本の他に、津波に襲われたスリランカ、拒食症の香港、アフリカ・ザンジバルの統合失調症。

と、比較人類学じゃないけど、文化と病気というテーマで書かれているようで。

って言っても、10分の一くらいしか、読んでないけど。

病気ってのも、だいたい、名付けられて病人になる、って仕組みにはなっているわけで。

精神的なものなんてのは、さらに、内面の目に見えない部分なので。

その土地土地で住んでいる人たちの文化に依存する、というのが、著者、イーサン・ウォッターズさんでね。

日本で言えば、80年代あたりから、一気に、精神病にたいする、というか、うつ病に対する文化がグローバル化する。

という論調です。

もともとが、アメリカ語のdepressionの翻訳語がうつ病らしく。

言ってみれば、意図した誤訳、みたいなもので。

ちょっと気が重い、とか、不安、とか、その程度の言葉だ、というんだけどね。

電通の社員さんが仕事しすぎて自殺、という過労死裁判や「うつはこころの風邪」キャンペーンやらが混じりながら。

日本の文化が変容して、というわけだ。

斉藤さんは、書くのです。

かくして、わが国本来の「悲しみ」を肯定的に捉える文化的風土は破壊され。

と。

憂鬱や無気力は薬によってコントロール可能であるという幻想がばらまかれ、とも。

というわけで、製薬メーカーさんの何兆円という利益に、古来の文化がすり替えられた。

となるんだね。

これも、ひとつの仮説、と言っといた方がいいかも、だけど。

まんざら、与太話でもないような気がするね。

ついでに、欧米での「うつ病」の概念とよく似た体験というのが、各国にあるらしく。

ナイジェリア人は、「頭の中がひりひりする」、インド人は「精液が減った」、韓国人は「火病」。

イラン人は、「胸が苦しい」、アメリカ・インディアンは「孤独に似たもの」とかいうらしい。

それぞれの文化風土から発する、固有の表現らしいけど。

わがアイヌ語にね、病気、という言葉がなかった。

というね、このことが、とても示唆的な気がしてくるね。


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風立ちぬ、いざいきめやも

2013年07月22日 | Weblog
ジブリのね、宮崎駿さんの作品。

観ちゃいました。

隣で妻も、滂沱の涙だったそうで。

宮崎さんは、おいくつになるんだろう。

三丁目の夕日とは、また、違った。

なんというのか、日本、ってやつが、描かれていて。

関東大震災や大東亜戦争や。

その中で生きる日本人ってのが、ステロタイプじゃなくね。

一言で説明できないような、そんな映画だった。

啄木の「一握の砂」の中の。

 ほほにつたふ なみだのごわず

 一握の砂を示せし ひとをわすれず

って、やつね。

思い出した。

妻曰くは、今まで観た中で、一番いい、と。

メッセージ性が、あんまり、感じられず、しかし、涙が流れている、というね。

宮崎駿は、戦闘機おたくなんだってね、これまた、妻曰く、ですが。

けれど、戦争は大嫌い、という。

主人公が、堀越二郎という、零戦を作った方かな。

伝説の方で、その彼と、堀辰雄へ尊敬をこめて。

というキャプションが冒頭だったかな、流れていてね。

よく、渾身の、という言い方するけど、まさに、そんな感じの映画だった。

昨日は参院選があったけどね、この時代に生きる若者が、宮崎駿の年頃になったとき。

また、違った映画を、作るのかも、ですね。

そんな具合に、連綿とつづく、人間の営為ってやつに、乾杯したくなるような、ね。

いいとかわるいとか、そんな二元論じゃなくて。

いずれにしても、心の中が洗われたような気がして、夜は、妻とワインを。

って、これ、この間、宮崎への同行三人のうちのお一方、ワインおたくから、いただいたものなんだけどね。

つまみは、駐車場をおかりしているご近所さんからいただいたゴーヤ、苦瓜ですね。

そのあとに控える、VS中国戦のために、そんなに酔うわけにもいかなかったけれど。

柿谷、やったね。

試合は、中途半端な引き分けではあったけど。

今の僕の中では、柿谷君が点をとってくれたら、それでよし。

昔の、長島選手みたいなもので、巨人は負けても、長島がヒット打てばうれしかった。

という気分の再現です。

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おいしいものでも食べに行こう

2013年07月21日 | Weblog
というのは、妻なんだけどね。

焼酎とお魚、か、肉、だったそうで。

結果、行かなかったんだけど。

というのは、夕べの話で。

じゃ、今日にしようか、ということになっているんだけど。

今朝は、5時前に起きだし、やおら、いつもの瞑想を。

昨日は、二日酔いだったので、瞑想が迷走、ってやつだったけど。

このブログといい、瞑想といい、人って変わるんだね。

飽き症のぼくがね、ずっと、続けているわけで。

実際のところ、過去と未来は存在しない、という言い方からすれば。

いつだって、新しい人間に変われる、というものだけど。

ところで、来週の花火なんだけど。

ざっくり、60名くらいの方がお越しになる。

これまた、ざっくりの話で、60坪だから、だいたい、お一人1坪の計算だ。

立って半畳寝て一畳、からすれば、寝てもお一人、2畳というわけだ。

知り合いの畳屋さんが、イベント用の30ミリの厚さの畳をね、20枚。

貸してくださるということなんで、しかも、イグサで本格的なやつ。

どうせなら、ビールのサーバーもお借りしたことだし、暑くなるといいけどね。

のどからから、みたいな。

そうそう、おいしいもの、だった。

何を食べようかな。

うなぎもいいね、山の方へ走るとおそばか。

それはともかく、ベランダのグリーンカーテンがね。

だんだん、それらしさに近づいてきて。

毎日、少しずつ成長する姿を眺めているのですが。

人生ってのが、実は、庭師みたいなもので。

とおっしゃる方がいて。

それぞれの草木は、自分の思い通りに花や実をつけ。

人間は、手出しすることはできないけれど、それらのバランスをとることはできる。

ってやつなんだけどね。

草木ってのが、ま、まわりで起こっていること、とでも呼べばいいのか。

起こることは起こるにまかせるしかなく、とはいえ、そのバランスをとることはできる、と。

この辺りの話は、なかなか、おもしろいけれど、このブログで書くのは、大変です。

そんなわけで、参院選真っ只中の日曜日、って、ニュース番組みたいだけど。

今朝もルーチンワークのブログ書きに励んでいるのです。

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