まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

雨の中の引越し

2013年05月30日 | Weblog
というわけで。

今日は、事務所の引越なんだけど。

あいにくの雨です。

段ボールに何十箱だろうか。

アリさんマークの若い方々が、大変だ。

なにせ、おかげさまで、現場の仕事が忙しいので。

なるべく、現場に迷惑がかからないように、というのが。

引越のテーマでもあるんで。

アリさん達に、荷物運びはお願いしたんだけどね。

午前中に運び。

午後の電話回線の開通、という仕儀で。

僕も今日は、作業着で陣頭指揮だな。

さて、雨の引越をどういう具合に切り取り。

言い換えるか、ってのが。

引越にかぎらず、人生の妙、というやつで。

いつも母親のネタで恐縮ですが。

この間のこと。

隣のおじが、前立腺がんということを、いつだったか、初めて知り。

それまで、仲の悪い兄弟を演じていたようにも見えたんだけど。

その日を境に、やさしい姉に変身し。

隣は、夕方ね、電灯がついてないけれど、どうかしたのかね。

と心配ネタになり。

ところが、次の日、隣は電灯がついているけど、なにかあったのかね。

というわけだ。

何があっても、心配、という感情の動きに連動させ。

表面的な違いは、そこへ落とし込むまでの、単なるネタで。

素材は、キャベツでもカボチャでもシャケでも、作るものは餃子。

みたいな顛末で。

これね、母親をいじっている、みたいに見えるかも、ですが。

ほとんど、人間、って、そんな具合で。

ものすごく、ざっくり言っちゃえば。

自分の中にある、不安やおびえに、すべての道はローマに通ず、みたいに。

世の中で起こっていることを、総動員して。

正直に言えば、生きていることが不安なんです、つまり、死んでいくことが不安なんです。

って感じかな。

あるいは、自分が、仕事ができない、とろい、あほ、と言われるのが不安なんです。

みたいな、自虐ネタですね。

なので、どんな具合に、まわりで起こっていることを言い換えるか。

ってのが、最近、おもしろいのです。

ということで、本日の、雨の中の引越は、アリさんマークの、若い営業の方が。

どんな指揮をとるのか、ってのが、ね。

ネタです。
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nexus7をただでいただく

2013年05月29日 | Weblog
山の中の現場があり。

そこで、ノートパソコンを使いたいということで。

通信のために、emobileを契約したんだね。

そうしたら、7インチのタブレットがおまけでついてきて。

iPadの miniより少し小さいかな。

Androidですね。

早速使ってみたけれど、なかなか、快適です。

なんせ、無料というのはいいね、出したお金との比較をしないから。

チェックがゆるい、というか、これだけ出したのだから。

みたいな肩肘、はらないから、ま、しょうがないか、ってね。

でも、こんな端末を無料で配るなんて、この先、大変だろうな。

なんて、老婆心ながら、考えてしまった。

早い話が、余ってる、ということだからね。

リクエストが多くてお客さまに待っていただく。

ってのが、やっぱり、戦後の復興、高度成長がデフォルトの世代からしたら。

なつかしくも、商売のセオリーというか。

いらない、って言ってんでしょ、という方々に、手を替え品を替え。

キャッチコピーやらなにやら、ライフスタイルの提案だったり。

ま、そんなことはともかく、タブレットをおまけでもらいました。



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伝えること

2013年05月28日 | Weblog
この伝えること、ってのが、なかなかのくせもので。

わかってくれていると思ったのに。

みたいな話になりがちで。

ほとんどのコミュニケーショントラブルがここを基点に起こる。

といってもいいくらいで。

あるいは、世代の違いで、ここまでは共通理解でしょ。

なんて、各自の世代で勝手に思い込み、なんてのもあり。

なので、強圧的に、ペーパーを出せ、ペーパーを、みたいな会話もあり。

これだけ言ったのに、わからないのか、なんてのも。

どれだけ言ったの、ときくと、ほとんど、伝えてない、というわけだ。

まて、話せばわかる、って言ったのは、たしか、515事件だったか、226事件だったか。

テロリスト、ま、ある筋の方々からいえば、憂国の士なんだけど、その彼らに射殺される前に。

高橋大蔵大臣だったか、もう何十年も前に言った言葉だよね。

会社でも友人関係でもなんとかの会でも、人間のかかわる、あらゆる場面で。

伝えることは、ほとんど、伝言ゲームにおちいりがちでね。

そこを、なんとか伝えていく、というのが、仕事の場での、ま、ひとつのゲームですね。

おつきあいしている大手企業さんで、出世されて役員になった方のお話をうかがうと。

そこにつきる、といいますか。

だいたい、たった一人の自分の妻にも、うまく、伝えきれない、なんてことがあるなか。

大きな組織になれば、そのご苦労はね。

人間を創造された神様でも、そのあたりでは、大いなる悩みってのが、あるのかも、で。

なかなか、俺の気持ちが伝わらない、とね。

草葉の陰じゃなく、宇宙の彼方から、慨嘆がきこえようってもので。

神様はともかくとして、これだけ言ったのにわかってくれないの、なんていう、なんともいえない陰鬱な感情もね。

そこには芽生えたりして。

ポイント、そこじゃないでしょ、ってなものですが。

早い話が、自分のめざすことと現実のギャップをどうとらえるか、くらいなんだけどね。





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ママキープ

2013年05月27日 | Weblog
日曜日の朝の番組だったか。

ジュディ・オングと前田美波里と野際陽子が話していた。

みんな60歳以上で、野際陽子は77歳だった。

たしかに、齢を重ねたわけだ。

こちらもそうなんだね。

ジュディ・オングは、8歳だか9歳だかから、芸能活動をしているようで。

小さな頃は、ママがスケジュールを決め、それに従っていたが。

ある日の午後の時間、スケジュール表に、ママキープ、と書いてあった。

のを、見かけ、ムッとなった、と。

その時間は、友達と約束していて、もうこれじゃ、やってられない。

勝手に、ママが決めるなんて、ということで、家でをした。

たった一晩の、ということだったらしいけど。

その後、じゃ、ということで、ママもスケジューリングの仕方を相談して決めることに。

なったらしい。

ま、一件落着、ということだけどね。

芸能人にかぎらず、よくありがちな話ではあるね。

ことに、母と子の関係なんて、子離れ親離れのタイミングが。

そうそう、うまい具合にいくとはかぎらず。

わが、86歳の母親も、ご多分に漏れず、ってところで。

母親の役割が、子どもを心配すること、って、いつか決めた信条・信念にね。

取り込まれてしまっているみたいで、ある面、有難くもあり、哀れでもあり、という。

とはいえ、わが母親にかぎらず、どこでもだれでも、見かける心癖ではあるね。

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なんとかでグーという方はいまどこに

2013年05月25日 | Weblog



何年か前、24時間テレビのマラソンを走った。

役者で、芸人だった女性、名前は忘れましたが。

彼女、走り終わった後。

人はいつでもかわれるんです。

って、言ってたのを記憶しているんだけどね。

その言葉で、テレビ画面的には、一気に、かげをひそめた。

ことになっているけれど。

多分、役者の世界で生きているんじゃないのかな。

それはともかく、この、瞬間芸、ってやつ。

もちろん、彼女は、芸だと思ってではなかったんだろうけど。

いつでも変われる、ってことね。

これが、なかなか、おもしろくて、記憶に残っているわけだ。

人格を陶冶して、だとか、切磋琢磨して、だとかね。

人格を高めなけりゃ、って、いいことなんだろうけど、下手するとド壷にはまっちゃいそうで。

どこかに、高潔な人がいて、それにくらべてぼくなんて。

みたいなね。

実に、何千年とかいならされた思考方法にはまりこみ。

いつでも、いまではなく、いつの日にか立派な人になろう、いまはだめなんです、というね。

あるいは、過去にこんなことがあったわたしだから、みたいな。

ま、早い話が、テレビで流行りの、やるのは今でしょ、ってやつですね。

なんて書いてくると、えらく踏ん張った書き方になっちゃってるかな。

そうだね。

たまたま、寝起きの妻との会話の流れから、あのグー女性の言葉を思い出し。

一筆書きに、書き飛ばしてしまった、というのが、今日のブログなのです。

ちなみに、冒頭の写真は、歩く姿は百合の花、という、妹から送られたお花です。

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ベッカムの引退

2013年05月24日 | Weblog
というネタで、わが家の晩餐が。

少しもりあがったんだね。

最終、パリ・サンジェルマンで選手生活の幕を閉じたんだけど。

次男坊が、ここでの移籍金や給料を、パリの子どもたちに全額寄付し。

と。

そのことを、娘も知っていたようで。

ふたりで、プチ意気投合、という感じだった。

そうなんだ、とこちらは応えて。

二人から伝わってくるものは、大げさでない賞賛でね。

そのとき、勝手に、単なる大きな仕事をした、ということだけでない。

もう少し違った価値観が、ひょっとしたら、世の中にあふれつつあるのかも。

という推測が浮かんできたのでした。

夕べは、ジュビロにいた藤田俊哉の送別試合が、テレビ放映されていて。

最後まで見ちゃったんだけど。

往年の、といっても、Jリーグ開幕以来の選手たちなので。

メキシコ五輪の、銅メダルメンバー、杉山選手やら釜本選手は、登場しなかった。

日本にとっては、往年第二世代、とでも呼べるかな。

そして、今の現役世代、さらに、その人たちを追い越そうと、次なる、例えば、U-14世代、とか。

次から次へと、世代はつながれてね。

それ見てるだけで、楽しいけど。

これも、長生きしているおかげ、って、そんな歳じゃないだろ。

とも言えるけど、僕のまわりで、30代、40代、50代で、それぞれ、命を全うした方々もいらっしゃるので。

ちょっと、かっこつけて、の言い方になっちゃったのですけど。

中国の古典に、出処進退、にまつわる話があってね。

よく、経営者やら政治家の引き際、ってのが、テーマになったりするんだけど。

これ、なかなか、重い、深い問題でもありますね。

PTAの役員なんかで、よくいわれるのが、役はやりたいやつにやらせないほうがいい。

みたいなことですけど。

ことに、今の日本は、世界に先駆けて高齢化社会のはしりなんで。

この引き際の美学、あるいは、考え方、っては、創造的な行為だろうな、とね。

引き際なんていうと、引退、隠居、社会からの隔絶、みたいな思考の流れになるけれど。

たんに、役割を交代する、あるいは、同じ目標にむかって、ときとところをかえる、くらい。

なんだけどね、実際のところは。

目標?そう、幸せな社会、ですね。

それしかないからね。

とうわけで、美人の奥様をもつベッカムくんは、現役選手生活を終えたのです。

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耳鼻科の耳かき

2013年05月23日 | Weblog
この間、「馳走」さんの大将に、仏像つきの耳かきをいただいたんだけど。

夕べは、僕が寝たあと。

次男坊と娘と妻で。

娘が買ってきた、耳鼻科の先生がつかうような耳かきで盛り上がったらしい。

よく見える、というんだけど。

他人様のは見えるけど、自分のも見たいよね。

と朝、次男坊と話し。

今では、いいカメラが安くあるんだろうから、パソコンのモニターに映しながら。

そう、僕の右耳のなかのかさぶたを見てみたいよ。

このブログのコメンテーターのtoshさんは、言ってみれば、耳かきのプロフェショナル。

とでも言えて。

大将にいただいた耳かきへのコメントが、深い。

角度とか柔らかさとか。

いつぞや、そのコメントに、そう、どこでもコメンテーターなのですが。

驚いたものです。

そうそう、わが家の会話、の件だった。

他に、なにで盛り上がったのかは知らないけれど。

しきりに、朝、妻が眠い、ネムイ、と連発していた。

こちらは、熟睡プラス朝の瞑想で、すっきりくっきり、なんだけどね。

今朝は、娘に、「アナスタシア」という本を置いてきた。

シベリアのタイガに住む、美しい女性の物語なんだけど。

娘も、養生期間で時間、持て余しもするんだろうから、と。

その、「アナスタシア」なんだけど、例えば。

トマトとかキュウリとかの種をね、植える前に、自分の舌の下に、9分間含み。

あと、手のひらに乗せて、空にむけて、ということをしてね。

それで植えると、収穫されたものが、自分のからだの不調部分を解消してくれる。

と言っているんだけど。

このくだりが、気に入ってしまって。

種、って、あんな小さなからだのなかに、発芽から果実を結ぶまで、宇宙からの言葉を聴くように。

すべてが詰まっていて、なんてことを聴くと、この話もまんざらじゃなく。

その秘密に、ほんの少しでも、触れてみたいな、という気にもなっていて。

妻は、帯に書いてあった、道端ジェシカ推薦、みたいな言葉に反応していたけどね。

そうだ、種屋さんへ行こう!だった。

それこそ、モンサントやらなにやら、グローバルな種屋さんが、世界をせっけんする前に。

なんて書くと、おおげさだけど。

功利、とか、効率、とかの考え方が、おしなべて、の世の中で。

通貨の最大効率というやつを追求し始めるとね、種さえ、人工物に早変わりし。

なんてことのようだから、ね。

それはともかく、耳鼻科の耳かきひとつで、夕べは、大盛り上がりだったようで。

めでたい。
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名古屋にはあと三本高層ビルが建つ

2013年05月22日 | Weblog
昨日は、ある会社さんの協力会の総会で。

名古屋、栄の東急ホテルで、軽くビールとおなか一杯のお料理を食べて。

という具合だったんだけど。

駅からのタクシーの中で。

よく経済評論家の方々もやるように。

運転手さんに、どうですか、景気は?ってね。

質問したわけだ。

円安で車関連の利益が大幅にあがっているし、株も高いしね。

と。

ところが、運転手さん、5月は4月より悪いね。

去年のほうがよかったね、と言うんだね。

なるほど。

大手の新聞・テレビではわからない、とてもミクロな、ローカルなネタだけど。

アベノミクスと言えば、土建業会の合い言葉でもあるけれど。

なかなか、一筋縄では、その実感を享受するには至らないわけだ。

ところで、あと、三本、ビルが建ちますよ、ってビルの名前教えていただいたんだけど。

覚えてません。

その後、静岡に帰り、何人かでカラオケなぞで、盛り上がり。

実は、うちの妻は「ヒトカラ」というものに通い、なんてことをご披露したり。

ひさびさに、長渕の「しゃぼん玉」なんて歌を、ちょい悪おやじを気取って、ね。

拍手喝采を浴び。

みんなと分かれたあと、ひとりで、横丁へ。

そこは、以前、アップしたかも、ですが、井川のキャベツ畑へ一緒に行ったおなご衆が。

やっているお店で、突然の、雨の訪問者、ならぬ、深夜の訪問者に。

たいそう喜んでいただき、ビールを少々いただいて、この時間だとカラオケができないんです。

ということで、四方山話をして、帰宅、と相成った次第で。

そうそう、今日は、長男坊の誕生日で、さっき、メールしたんだった。

母の日に、という妹から届いた百合の花も、わが玄関で咲き出し。

ものみなが、大きく動き出しているような感じのする、このごろなのです。
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60歳だから

2013年05月21日 | Weblog
この間、おそばやさんで、何年ぶりかにお会いした御仁なんだけど。

再開発で、既存の店舗をやめ。

あたらしい、ナショナルブランドのお店をフランチャイズで始めたそうで。

しかし、思いのほか、人通りが落ちて。

このままでは、どうなっちゃうんだか。

と言うんだね。

あのまま、既存店でやっていても、じり貧だっただろうし。

でもね、息子も跡を継がないって言うし。

それに、60歳だからね。

そう、60歳、のあとに、だから、と続くわけだ。

よくありがちな反応、と言ってしまったら失礼ではあるけれど。

同じ、だから、でも、なんだか、元気ない、だから、なんだよね。

そりゃそれで、仕方ないんだろうけど。

いずれにしても、あの土地は、とられちゃうんだろうな、ともおっしゃっていた。

ま、もともと、土地なんてのは、だれのものでもない、っていえば、だれのものでのないんでね。

なんて言っちゃうと、身も蓋もないけれど。

それはともかく、くだんの御仁の反応がね、60歳だから、という。

おいおい、そんなに簡単に、人生の舞台からおりちゃうなよ、って感想がわいたり。

あるいは、そうだね、そう思うなら、そうなんだよね、というものだったり。

お昼時、何の気なしにはいったおそばやさんでの、ほんのささやかなドラマの一場面。

ライオンズはおもしろいよ、仕事のことも忘れて、と。

たしかに、仲間との語らいやらなにやら、憂さ晴らし、にはなるんだろうね。

それもそれで、そうですか、そうなんだね、というね。

だからといって、当方の60歳が、ピカピカのすばらしいものである。

ってことを、朝から、吹聴したいんじゃなく、なんとも、人それぞれ、それぞれの場面で。

いろんな感想をもつものなんだね、ということで。

それにしても、齢を重ねる、ってのは、おもしろいもんで。

ちっちゃなゴルフボールが、打ったときの、ほんの一ミリの違いが、目的地へ行くと。

えらく誤差が出て。

みたいな感覚に似ていなくもないね。

そんなおそばやさんのドラマでした。

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娘の退院

2013年05月20日 | Weblog
今日は、娘が退院するのです。

ここまでには、彼女なりに、今まで経験したことのない。

さまざまな、こころのなかのドラマがあったんだろうと思う。

昨日、執刀の先生にお話を伺い。

なんだか、わが長男坊のような感じがしていたんだけどね。

丁寧に説明してくださり、まじめな人柄がにじみ出ていて。

そういえば、長男坊の出産でも、子ども病院の若い先生には。

こころから感謝したものだったけれど。

今では、保険屋さんなんかも、弁護士完備、みたいな風情で。

片や、医療機関も、そのための保険にはいる、なんてことで。

おおわらわ、なんて話もききもするけれど。

こうして、いざ、娘が退院すると運びになると。

有難さをひしひしと感じるのです。

母親は母親で、娘のことを心配しつつ。

でも、自分も経験していることなので、パニックもおこらず。

多少、記憶の方は、遠のいていても、わかることはわかるわけで。

同じ自分がずっと生き続けている、という自己同一性、ってやつから。

ほんの少しばかり自由になると、ま、よくある話でもあるんだけどね。

まだらもようの記憶、なんてことも。

心配性の母親に、いつ、娘の入院を告白しようか。

というのが、わが家あげての一大関心事であった時期もね。

ありながら。

母親は、娘の退院を楽しみにしているのです。

これで、また、わが家が明るくなるからね、と。

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