まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

九重の会

2024年01月31日 | Weblog

クエ。

五島列島からのものらしい。

昨夜は、そんな会に参加し、って、飲み会だけど。

大相撲で優勝すると、五島列島の九重を取り寄せ、ということだと大将が話してくれた。

まるごとのクエから、身であり、口であり、内臓であり、皮であり、などなどを。

流石の板前さん、それぞれの味わいを堪能させていただいた。

最後はおじや。

それがまた、ネギなし、とネギあり、と。

とにかく、美味しい美味しいの言葉が軽く感じられるような。

そんな言葉で表してしまうのが申し訳ないような、繊細な味の移り変わりを楽しませていただいた。

これ、どうだろう、西洋人にわかるかね、なんて軽くちを叩きながら、だ。

と書いてきて、昨夜の余韻に浸っている我が身に気がついた。

余韻といえば、股関節。

YouTubeでたまたま目にした「うたラン」というサイト運営の女史、その動画を真似し始めた。

これがまた、驚きで、いつも動かしてない骨盤周りなどなどを動かすことで。

この立春前の寒さの中、カラダが芯から温かくなるような、さらに、階段一つ飛ばしの上りが。

あら、こんなに足、上がるんだ、って具合で。

これも、カラダに関する無知の知ってやつだな。

いずれにしても、知らないということを知ることの素晴らしさ。

と同じように、動かしてないということを知り、動かす楽しさ。

というわけだな。

九重にしても股関節にしても、これを人生の醍醐味という、のだな。

さて、大寒の末候を楽しむことにするか。

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寿命は二十歳

2024年01月30日 | Weblog

と言ったのは、わが父親、昭和二年生まれの昭ちゃんだ。

寿命といったか、ちょっと忘れたけど、父親の妹、叔母が父親が亡くなった後、そう言っていた。

あんたのお父さんは、というわけだ。

そんなことをふと思い出す朝だ。

三つの呼吸を、父母に捧げ、出会った人・出会っている人・これから出会う人、そして、自分に捧げる。

そんなことをやり始めているので、かもしれないな。

思いもよらない、さもない仕草、営みがあるんだ、ということに気付かされて。

本に書いてあっただけ、とも言えるけれど。

それを誰がどんな具合に書いたのか、というのもとても大事なものでもあり。

そう、二十歳の寿命の件だった。

戦争盛んな頃だったんだろうな。

死というものが身近にあり、国そのものがこの先どんなふうになっていくのか、存続できるのか。

なんて瀬戸際でもあったんだろうな、10代の血気も悩みも盛んな頃だ。

だから、終戦後は余分なものだったのかもしれない。

とはいえ、現実は後から後から押し寄せてくるわけで、その都度の軌道修正もしたにはしたんだろうか。

父親の父親はいくつで亡くなったのか知らないのだけれど、怖い人だったらしい、というのも。

妹さんから聞いた話だ。

男には厳しかったので、あたしが間に入ってお伺いをたて、という具合だった、と。

それゆえに、父親の三兄弟は、みんな無口だった。

それぞれにそれぞれの才能はあったんだろうけど、側から見ていると不器用な感じでもあったか。

寿命は二十歳と言って残りの人生を生きてきた父親よりもすでに10年近く生きていることになる。

なんて話を、昨日、長男坊と仕事の話の合間にしたんだったな。

さて、七十二候、最終です。

にわとりはじめてとやにつく、鶏始めて乳。

大寒の末候だ。

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誕生日

2024年01月29日 | Weblog

大寒の一番寒い時に生まれた。

とよく母親が言っていたのを思い出す。

我が誕生日。

祝うかのように車窓は凍りついていた。

が、榊の水遣りのホースは凍りついていなかったな。

東北地方と比べたら呑気な大寒とも言えるな。

ずっと彼の地の母親像というのがあったんだよね。

東北の雪降る川での炊事洗濯みたいな光景があったんだな。

霜焼けも赤くなったいたんだろう、なんてね。

なぜかはわからないけど。

そんなバースデイ珈琲はモカ。

イルガチェフェ、ウォテ、ナチュラルと書いてあるマインドさんの焙煎。

柔らかな味だ。

夕べは妻が観戦しているオーストラリアオープン、シナーとメドベージェフとの決勝の傍で。

「縁の扉をひらく」というkan.さんの本を読んでいた。

これが深い、というのか、文章は簡単なんだけど、発想が通常とはかけ離れているので、一行一行にうなづき。

なんて感じだった。

今日は、そのまとめをしたくなっちゃうな。

源泉ということだな、一言で言うと。

今朝はイソヒヨドリが窓辺に来ている。

先ほどおいたみかんに嘴をツッコミの姿。

もちろん、スズメくん、鳩、ヒヨドリも来訪、メジロはまだだな。

さて、わがバースデイに出かけるとするか。

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毛細血管とミトコンドリア

2024年01月28日 | Weblog

今朝は生物学者のような表題だな。

2020年以来、免疫力という言葉が飛び交っているのだけれど。

そこ発祥の表題。

早い話が、酸素をエネルギーに換える、酸素からエネルギーを創り出す、くらいの話で。

足裏を起点にして刺激することで、ミトコンドリアくんも、しゃーないな、それじゃ。

ってなもんだな。

もう少し仲間を増やすか、ってんで、毛細血管と共に示し合わせ、エネルギー生産力を上げる、という算段。

まさに、自立、その前に自尊も入るんだな。

独立自尊なんて言葉もあるね。

そんな気分濃厚な表題なのであります。

カラダはココロにつながり、心持ちもそうなっていくのだろう。

病は気から、なんて言葉もあるね。

昨日はある御仁を囲む会とでも銘打てばいいか。

そんな会を催し、その場のそれぞれがいい気持ちになった。

彼は80歳を超えたのか、どうだったか。

いずれにしても長いお付き合いだ。

以って瞑すべしとでも言えるような気分でもあるな。

ところで、いきなりだけど、ニーチェが。

ラクダ→獅子→幼子、みたいなこと、言ってたらしいね、「ツァラトゥストラかく語りき」のなかで。

当方も、その本、読んだはずなんだけど、覚えてなかったんだけどね。

ラクダは、何事かを押し付けられての我慢の象徴、獅子は、それに反発した戦いの象徴。

それらを経て、幼子の自由闊達な創造力を得る、くらいの流れらしい。

大寒の朝にそんなことをつらつらと考えているのであります。

そろそろ明るくなりそうなので、走り出すとしようか。

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毎日少しづつはすごいかも

2024年01月27日 | Weblog

なんて感想が沸き起こってきたのも、毎朝の布団の上げ下げ。

押し入れにしまう時に、なにすわりと言うんだっけ、踵をしっかりつけての蹲踞。

それ、やってるんだよね。

すると、だんだんと楽にやれるようになってきている。

なんてことやら、だな。

あと他にもあるんだろうけど。

ま、とにかく、少しずつ、しかし、続ける、というの。

かつ、せねばならず、から解放されつつ、だ。

習慣とも呼べるか。

習慣は第二の天性だっけ、そんなこと、誰だか言ってなかったかな。

今朝はこのくらいにしておきます。

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満月旧暦12月16日

2024年01月26日 | Weblog

という大寒・次候だ。

水沢腹堅。

これ、さわみずこおりつめる、と読ませるんだよね。

第71候。

次に、大寒の末候となり、それが第72候、そこで暦は終わり、新しい春の暦となるわけだ。

昨日の25日は菅原道真公の命日で、1月のその日を初天神というらしい。

それにしても、すごいね、どのくらい続いているのか。

太宰府へ流され非業の死を遂げた、ということになっている道真公への想い。

学問の神様だっけ、そんな物語を携えの受験生も数多だろうか。

一方、現在時の世界線ではすごいことが起こりつつあるとも言えるな。

もっとも、それさえ、一つの世界線ということで、知らなければいつも通りの日常が流れていく。

コロナ?なのかインフル?なのか、また流行り出して一部の方々は困惑しているのだろうか。

ウイルスは同時に二つが流行ることはない、みたいな言説が喧伝されもしていたのだけれど、ま、いいか。

とにかく、マスク姿が目立つようになった。

し、実際に、昨日会った御仁は2週間、咳が止まらず新年会へも一切出席できずのお正月だった、と。

一昨日の御仁は、娘さんがコロナで、とマスク姿のまま、懇親会は出ずに帰宅。

とかね。

ワクチンが一発100万円くらいの設定だったら、みんな、怒り出したんだろうけどね、タダだっけ。

製薬会社はさらに潤い、でもあったのに。

は、ともかく、当方は初心にかえって、免疫力、自己免疫力と念仏を唱え、毛細血管とミトコンドリアくんへ。

エネルギー注入だな。

2020年の2月1日を忘れずに、って具合に走りを続けるという算段だ。

 

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宇宙から常に何かが

2024年01月25日 | Weblog

降り注いでいるという感覚。

というんだね。

足首をケアすると、ってわけだ。

すごいものだね。

何がすごいかというと、自慢話になっちゃうのだけれど、こちらがそんなことを考えていると。

つまり、いつでもメッセージは降り注いでいる、なんて思い始めていた時に。

上記の言説に出会うんだよね。

もの皆、繋がっていて、シンクロということだな。

足首ね、単に、指の間に手の指を入れて回すだけ、なんだけどね。

頭と心を繋ぐのは首、ということから始まるんだけど。

その首につながるのが足首。

ってわけだな。

何日か前からやり出したのです。

果たして、どんな具合になりますやら、だ。

今朝は、昨日に続き0度。

車外温度はいっとき−1と表示されていた。

そんな静かな朝に、車に乗ったら隣家の屋根上にお月さん。

そして事務所まで来たら、いつもの御神木の上にいらっしゃる。

さてさて、本日に出かけるとします。

 

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Apple Watchは0度

2024年01月24日 | Weblog

ではあるけれど、鉢植えの榊には水やりができた。

ホースの中は凍っていなかったわけだ。

榊の葉っぱが大きくなっている。

環境が変わっても彼ら、それなりの対応をしてさらに成長もしているということなんだよね。

もっとも、人間だってそれなりに頑張ってもいて。

今朝の出がけの妻との会話でも、パソコンなんかに向かい、どうでもいい仕事、みんなやってるよね。

なんて会話でプチ盛り上がり。

一昔前なら、机の前に座っての仕事、なんてのは、ほとんどの人はやってなかったんじゃないか、とね。

江戸時代でも、鼻メガネをかけた、胡散臭い、ごうつくばばあとか金貸しとか。

さらにその前であれば、日本中で何人くらいいたかね、日がな一日机に向かいの仕事、なんての。

というくらい、この時代、人類史の中でも類稀なる時代とも言えるかもな。

それを当たり前にやり過ごしているんだから、鉢植えの榊くんたち同様、大した生命体だよな、人間ってのは。

と自分のことを棚に上げてのブログ書き、って次第です。

なにせ、クリタユガの時代だそうだから、しかも、年末のチャネリングで。

ありえないことを仕事にしているかも、なんてわが守護霊さんとも言えるお侍さんがおっしゃっていたらしい。

ので、しかも、それは11月のフォーラムでいただいたメッセージとも符合するので、だな。

ゼロを1に、ということ、ね。

さらにその前、母親の四十九日の111111の、宇宙との調和、考えた通りの現実がやってくる、なんての。

ところで、このところ、投げ銭、というのが気になっているんだよね。

ものの価値というものの表現としての値段、なんてわけで。

それぞれの人によって値段、違ってもOK!って算段だな。

ひとまず、放り投げておこうか。

ということで、お正月二日目に出かけてみるか。

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新正月

2024年01月23日 | Weblog

七十二候としては、二十日正月も終わり、ということなんだけど。

古代インドに倣うと、カリユガからクリタユガへの新正月が1月の23日だと言うんだね。

これから2000年続くという水瓶座の、風の時代。

『カリユガは悪魔の時代であり、この時代には人々は神から遠ざかり、霊性を失い、貧困、憎悪、狂気、悪疾病の害悪が横行する。』

ということらしい。

すごい時代だったんだね、知らなかったけど。

『カリユガの次は、もっとも素晴らしいクリタユガで、また2000年に及ぶみずがめ座時代はゴールデンエイジと言われ』

だそうだ。

なんか、お正月としては気分いいよね。

ともかく、i believe からi knowの時代へ、ということだ。

信ずるものは救われる、という時代から、知るものが意のままに、というわけだな。

そんなお正月に「縁の扉をひらく」なんて本が手に入り、だ。

2024年のお正月は、元旦からの地震で、どうもお正月でないような気分だったのだけれど。

まさに、このカリユガの終わり、クリタユガの始まり、ってのをどこかで予感していたのかもな。

めでたい。

上記のkan.さんの本には。

「私たちは、今の感覚システムで知覚できるものしか受け取らない癖がついてしまっています。」

なんて文章も出てくるんだよね。

続いて。

「絶対に目にしているのに、見えてないものでいっぱいです。」とも。

楽しくなっちゃうね、まったく。

そんなわけで、ゴールデンなお正月へ出かけてみます。

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また月曜日が来た

2024年01月22日 | Weblog

また、というのが傲岸不遜な感じもしなくもないけれど。

浮かんできた。

静かな朝だ。

久しぶりにkan.さんの本が届き、「縁の扉をひらく」というの。

副題に、運が良いとき悪いときは何が起こっているのか?とある。

その中でいいな、と思ったのが三つの呼吸。

目を閉じて息を吐ききって自然に入ってくる吸気と共に、父母に捧げる。

次に、出会った人々、出会っている人々、出会うだろう人々へ捧げ。

最後が、自分へ捧げる。

ほんの一分か二分なんだよね。

当たり前にしている呼吸に意識を向けるというのか、向けもせず、とも言えるか。

ともかくも、そんな営為もあるんだな、という次第。

つい先日から、トモエリバーの厚い方のノートを再び使い始めた。

万年筆で書くといい感じ、と紹介されたものだけどね。

それにしても、毎日ノート、つけてるな。

何年になるのか、何十年か。

頭の中に浮かんでくること、あるいは、今日一日の予定などなど、だな。

このところは、ゼロを一にする、なんて感じのテーマが多い気がする。

あるいは、日々世界で起こっていることの総まとめ、みたいなの、とか。

いずれ、自分の立ち位置を見失わないように、ってな感じでもあるか。

そんな月曜日が始まりました。

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