まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

アメスピ

2011年04月30日 | Weblog

今日は、アップが遅れてしまいました。

実は、夕べから修善寺へ行ってまして。

こんな外景のホテルです。

これは藤の花ですね。

季節を感じるわけで。

で、表題の「アメスピ」なんだけどね。

いつものべっぴんさんのいるタバコ屋さん。

この方々、僕の吸っているアメリカンスピリットの営業の方です。

頑張って、売ってよ。

と多少の薀蓄を垂れながら。

アメスピのオーガニック、気に入ってるんですよ。

今では、すっかり、たばこは嫌われもので、大逆風だから、大変だね。

だいたい、原発の放射能よりタバコの煙のほうが、やばい。

なんて、話がでたりしてるからね。

ということは、どうでもいいけど。

なんか、うれしくなっちゃってね。

写真撮らせてよ、と。

彼ら、こんなかっこうでいいですか、とテレながら、です。

こちらの写真は、昨日泊めていただいたホテル。

この四月から入社して、初々しい新人仲居さん。

計画停電で、4月の28日まで休業していたので、本日が、初日。

という女の子たちでした。

左が沖縄、右が千葉の出身だそうで。

改修などの仕事をやらせていただいているホテルで。

まあ、支配人から焼酎いただくし、部屋にはフルーツいただくしで。

一同、いたく、感激して、帰ってきたのです。

 

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再生

2011年04月29日 | Weblog

と言っても、録画したやつを、はい、再生。

って意味ではないんですが。

あの、rebirthとでもいう意味ですね。

なんでも、英語にするな、と思うんだけど、まさか、日本語でよみがえり。

とも言えないしね。

ところで、NHKの大河ドラマで、高杉晋作をやった伊勢谷という俳優さんが。

@rebirth_projectというのをやってます。

まえふり、長くなっちゃったな。

再生、です。

昨日もご紹介した「ふんばろう東日本」の西条さんなんですけどね。

岩上安見さんとの対談のなかで、言ってるんです。

支援とかいうより、僕ら自身の再生のために。

という言い方なんです。

Gacktや川崎麻世とも対談してます。

故郷がこれほどまでに壊滅させられて、今も行方不明の家族を捜している人が何万人もいます。

僕の伯父さんは1ヶ月が過ぎてから発見されました。家族はずっと探していました。発見されただけ良かったといわねばならないのです。お葬式ができていないのに四十九日をしなければならないのです。そうした大切人を失った人が何十万人もいるのです。

とブログで書いてまして、下のほうに、二つの対談のリンクがはってあります。

311以来、民間の被災地支援活動では、僕が見聞きする中では、彼の動きは特筆に値します。

と、実は、ここまでがまえふりなんです。

長すぎる、ね。

言いたかったことは、この写真なんです。

中小企業家同友会の宮城支部の会員さんです。

静岡の事務局のYくんが、先日、単身、南三陸町へむかい。

彼らの数あるリクエストのうちのひとつが、作業着だったのです。

前の晩遅くにメールがはいり、翌日集め、次の早朝出発。

という流れだったので、わが社でも急いで集め、同じ会員の友人にも頼み。

ということが、この写真の裏側にはあったわけです。

矢も立てもたまらず、いてもたってもいられす、なにかできることをしたい。

というのがl、ほとんどの方の心情で。

なので、義捐金も記録的な集まり具合なわけで。

作業着なんぞは、ほんの小さなひとつ、なんだけどね。

でも、こうして彼が写メしてくれてね。

僕の中では、すこしだけ、落ち着きました。

この作業着は友人の会社の作業着だね。

被災地では、ひょっとしたら、一番の人気アイテム?たばこ。

を、糠漬け師匠のご主人にいただいた。

これも、送ってよ。

ということだったんだけど、手巻きタバコの葉っぱで。

紙や紙巻器が間に合わず、次回にまわすことにしたのですが。

それはともかく、被災地のため、というより、自分自身の再生のために。

ということなんだろうな。

いや、それにしても、前置きがながく、本文短く。

で、本日も、2000文字以上になってしまい。

なおかつ、リンク、たくさん張っちゃったので、まじめに追っかけたら、3時間くらいかかる記事になってしまいました。

ま、そんな方はいらっしゃらないので、安心していますが、これまた、自分自身のrebirthのためにかいている記事です、というわけです。

 

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一家に22人

2011年04月28日 | Weblog

実家が、女川町らしい。

よくいくお店のママさん。

それで、先週、さまざま物資をもって、行ってきたという。

彼女の実家は、高台にあったので、幸いにも大津波からはまぬがれた。

残ったその家に、今は、22人でくらしている。

近所で、被災された方々が、避難しているんだそうだ。

お風呂は、いまだに、10日に一回くらい。

水がない、と言ってたな。

もっと、いろいろ、伺ったんだけどね。

なにせ、カウンターに座るなり、「森伊蔵」あるよ。

というので、じゃ、ロックで。

なんていって、飲んでしまったので。

あんまり、覚えてないんですが。

甘いものなんか、ほしいみたいでね。

ケーキ屋けんちゃんのところのケーキ、持ってくよ。

と言っておいたんだ。

当方、このゴールデンウィークに行こうと思っていたんだけどね。

静岡市の職員のかたが、バスツアーを企画して。

知り合いのToshさんに教えていただいたので。

でもね、GWは大勢の方々が、矢も立てもたまらず、現地入りされるようで。

大渋滞が予想されて、二次、三次災害にもつながるかも。

なんて、「ふんばろう東日本」を主催されてる西条さんのブログで言ってたので。

GW明けに企画しよう。

ということになった。

 

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なによりうれしい

2011年04月27日 | Weblog

ひさびさに、ケーキ屋けんちゃんと話す。

こばやしあさおさんが、すごいことになってますね。

と言うんだね。

と言う感じだったんだけど。

以前、娘がその方のブログ読んでたら、ちょうど、大きな地震があって。

それで、こわくなって。

と言うような事件?があった。

その御仁なんだね。

ま、予知能力みたいなものがある、と自称している方のようなんだけど。

その予知が大当たり、みたいな。

けんちゃん、まめだから。

そのブログの顛末をながめていたらしい。

世間のバッシングをあびたのかな。

くわしくはよくわかりませんが。

けんちゃん、しばらく会わない間に、ネットくわしくなっててね。

それこそ、メディアのリテラシイ(能力とでも訳すのかな)というやつが、あがったんだね。

って、やたら、カタカナ使うな、と言いつつ、使っちゃてる自分がいるんだけど。

ま、それはともかく。

ディズニーランドが休んでたのかな。

浦安近辺の液状化現象で。

なので、洋ナシの缶詰が、めっちゃくちゃあまっちゃって困っている。

という納入業者さんの話をしていたな。

それなら、使うから、買おうか。

くらいの話になったのかな、たぶん。

それじゃ、お願いします、5000ケース。

そんなたくさんは、とっても、使い切れませんよ。

となったそうだけどね。

うちが仕事でお世話になってる修善寺のホテルも一ヶ月、休んだ。

と言ってたね。

どこかがとまると、玉突きのように、目に見えないところに波及して。

ところで、この時期、みんなそうかもしれないけれど。

けんちゃん、ネットもかなり、のぞいているみたいだった。

河野のたろーちゃんの話や孫正義のこと。

そういえば、今日(いまとなれば昨日ですけど)、上杉隆の自由報道協会でホリエモン、やるね。

なんていう話も知っていたしね。

そういえば、糠漬け師匠のご主人も、最近では、勝谷誠彦だっけ、かれの言説が気に入っていて、いいこと言ってるよ

原子力もウラン燃料の発電はやばいけど、トリウム由来の発電は危険が少ないんだそうで。

みたいな科学的な話もしているようで。

311前ならほとんど誰もしらなかっただろう「圧力容器」なんて言葉も、小学生でも知ってます。

らしいので。

そんなこんなの話のあと。

これ、おかあさんに、って、けんちゃん、例のキャンディー、僕に手渡すんだね。

いやいや……。

なので。

帰るなり、母親に、これこれこういうわけで、とあげると。

そりゃたいそうな喜びようで、表題のような言葉が、口から出てきました。

ということを伝えたくて、本日は1200文字も費やしてしまったのでした。

言い忘れたけど、けんちゃん、話の途中で、なかなか固有名詞が出てこなかったんだけどね。

ま、当方もおんなじなんだけど。

そんな方には、春ウコン、だそうですから、ちょっと、田舎のほうの道の駅へいけば売ってるから。

飲むと言いそうです。

脳の血管をひろげる、というのかなんとかベーターと言う物質を溶かす作用がある。

と伊勢白山道のブログに書いてありました。

カレーを食べてもいいらしいけど。

長くなりましたが、言い忘れたので、書いておきます。

 

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おみなばあさん

2011年04月26日 | Weblog

夕飯のとき。

母親と関東大震災のときの話になる。

おみなさんが東京にいたそうで。

ちょうど、お昼だったので、食堂で釜飯ができるのを待っていたらしい。

そこで、大揺れがきて。

釜飯をふところに抱いて逃げた。

しばらくすると、ちょうどいい加減に蒸れてな。

というようなことを、幼い母親に話した、という。

大正12年の震災にたいして、母親は昭和2年生まれだから。

ものがわかるようになってからの話なんだろうから、10年くらいたってからの話なんだろうか。

そのとき、おじいちゃんは、つまり、母親の父親ですが。

線路をつたって、おばあちゃんが心配なので、東京へ行った。

と言うんだね。

さすがに、線路を伝ったにしろ、東京までは歩けなかっただろうけど。

おじおば会でよく利用する、根府川の「やまもと」さんの話をふり。

あの震災のときには、ちょうど、根府川駅のホームへ電車が入ってきて。

運悪く、駅と一緒に谷へ、なのか、崩れ落ちたらしいよ。

だから、おじいちゃんは、御殿場線のほうから行ったのかな。

なんぞと、千葉の寺田本家の「香取90」の晩酌の肴になったのでした。

ちなみに、「香取90」という90というのは、お米を90%のこしてあります。

というんだけどね。

だから、雑味はのこり、色も琥珀色なんです。

昔ながらの日本酒、百薬の長です、と寺田さんのうたい文句ではあります。

それにしても、釜飯を懐に抱いて難を逃れ、90余歳の天寿をまっとうできたおみなさん。

のどに穴が開くみたいだ。

と言って、熱い味噌汁を飲んだ、という。

近所に、あいなんじょ、という稲荷神社があるんだけどね。

その近くを荷物をもって通ると、狐がやってくるので。

ほら、こらしょ、といって、あぶらげをなげつけてやった、という。

これ、孫たる母親のひとつ話なんです。

油がもったいないからねるぞ、と言われた、とも。

家の近くの街道を、ダンプがうなりを上げて通り始めた頃。

というから、それこそ、日本が高度成長しているころなんだろうね。

おみなばあさんは、杖を道路のほうへふりながら。

ここはおれの通る道だ、くらいのいきおいで、ダンプに意地をした。

と近所の人に言われたもんだ、という話もある。

慶応15年のうまれだから、明治女でもあり、江戸女でもあるんだね。

ぼくが何歳のころなんだろうか。

磁石を紐にゆわえつけて。

一緒に、道を引きずって歩いた。

すると、舗装されていなかった道から、金屑がくっついてくるんだね。

それを、くずやさんへ、売った?!

ということを覚えている。

釜飯ならぬぼくを、懐に入れて。

あったかいなぁ、と言って、かわいがってくれた、と母親の弁。

もうひとつ残っている記憶。

ぼくが母親にしかられてないていると。

まみゃあだんて、ゆるしてやってくんな。

と母親に懇願していたおみなばあさん。

まみゃあだんて、というのは、今は使う人はいないけど。

たのむから、とかそんな意味なんだろうね。

お、今日は、1500字を越えてしまった。

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関東大震災

2011年04月25日 | Weblog

「関東大震災」という吉村昭のかいた本があるんですけどね。

昭和の48年に上梓しているから。

大震災が大正12年の9月1日。

50年後に書かれているわけだ。

二十万余の霊に哀悼の意をささげる。

とあとがきは結ばれている。

本所の陸軍被服廠跡の広場では、4万人が焼死したらしい。

驚いたんだけど、そこでは、人を空に飛ばせるほどのつむじ風がふいたという。

人々は家財道具を積み込み、ある人は背負い、というので。

それらのものに燃え移り。

橋も木造が多かったので、川の対岸まで火の手は燃え広がった。

その惨事から復興して、それからの20余年は戦争の道へひた走るわけだ。

そして、その戦争では、300万の人々が死んでいる。

各地は焼け野原になり。

しかし、そこから、驚異の戦後復興をするんだね。

だから、すさまじい生命力だよね。

さらに昭和の8年には、明治の29年に続いて。

三陸で大津波の被害にあっているんで。

明治からの150年。

津波、地震、戦争とこの国は、すさまじい天災・人災に遭遇してきたことになる。

今回の大津波からも、さまざま、学び、たくましく復興をとげるだろう。

って、ちょっと、他人事みたいな書き方になっちゃったけど。

歴史に学ぶ、という言い方がある。

今回は、過去の例と比較すると、情報の伝わり方が雲泥の差だ。

ネットや交通のインフラの整備。

被災地のメジャーでない、毛細血管のさきまではなかなか届きません。

という事実はあるのだけど。

それすら、ネットの力で、知れ渡ることになるわけで。

さらに、福島原発の大事故の顛末が、多くの人の目にさらされることで。

電力行政の闇までも、白日の下にさらされようとしている。

そのことを通じて。

富の分配と安寧の確保。

くらいが、実は、「統治」というものの役割なんだ。

ということも、語られるようになるのかもしれない。

明治からの150年どころか。

この地に先住しはじめた1万年を超える年月。

そんなことに思いをはせると。

何日か前にも書いたけど。

ご先祖様方へ最敬礼なのです。

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伝聞

2011年04月24日 | Weblog

金曜日。

新KYTの研修。

安全部会長なので、はじまりの挨拶。

ということで、朝からでかける。

当然のごとく、喫煙場所へ。

そこで、顔見知りのとびさんと一服。

かれの社内の人が、たまたま、地震の当日、宮城の気仙沼に帰省していたそうで。

子ども二人を抱え、津波から逃げた顛末を。

被災地の話、又聞きであっても、迫力ある。

銀行から、本人確認ができれば、10万円の仮払いがある。

ということで、何箇所からももらったり、とか。

こどもが札束持ってた、とか。

たばこを一本、1000円で売ってるやつがいた、とか。

避難所では、気が立っていて、けっこう、けんかが多い、とか。

ま、整然としている日本、とは、また違うイメージだね。

あくまで、伝聞なので、真実のごとくに拡散しないでくださいね。

というような話をして。

彼も、現地へ行きたい。

と言っていた。

とび職だから、そりゃ、活躍の場はたくさんあるはずだからね。

ところで、なんて名前だっけ。

となにげなく、たずねたんだね。

苗字しらなかったから。

え、それって、清水のやまのほうでしょ。

そうそう、実家は、幼稚園の一番奥ですよ。

じゃ、なんのたれべぇの家じゃん。

ということになり。

そこって、高校時代のガールフレンドの家だよ。

自分は、その弟の息子です。

だって。

おいおい、ということで。

40年前、50ccのバイクで遊びに行くと、帰りにね。

荷台へ、おばあちゃんが、手作りのこんにゃくを乗っけてくれてね。

って、そっちからみたら、ひいおばあちゃんだね。

みたいな、濃い話を、ほんの5分くらいの間にしたのでした。

世間は狭い、のです。

自分が小学校の三年生のときに、両親は離婚して。

自分はけっこうやんちゃしてきたんです。

と言うから、ま、それ、ありだよね。

でも、今では、おやじとなかいいですよ。

と言うから、その後、さっそく、そのおやじさんのところへ、電話。

ぼくにとっては、弟みたいな気がしているからさ。

やつも、よろこんでいたな。

 

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地球の都合

2011年04月23日 | Weblog

これ、マチュピチュ遺跡の写真です。

天空というと、アンデス高原のこれ、思い出すんですけどね。

なにが悲しくて、こんな高いところに、と。

ところで下は。

黒澤明監督の「夢」の一部分だそうで。

 

気になる映画「夢」富士山と原発 

 

洪水伝説が各地に残されていて。

旧約聖書の「ノアの箱舟」。

シュメールの「ギルガメシュ叙事詩」。

ギリシア神話の「大洪水と人間再生神話」。

インドの「ブラーフマナ」。

などなどがあり。

中国の「史記」「淮南子」「三皇本紀」には、その洪水の原因が地軸の転移とも書かれているらしい。

鈴木旭という人が、「失われたムー文明の刻印」という本の中で言っている。

今回の文明は七回目だ、とも言う人がいるしね。

そんなご先祖もご先祖、おおご先祖の方々が、伝え残したのがひとつは神話で。

あるいは、イースター島のモアイ像。

これですね。

みんな背中を海にむけて立てられている。

海に沈んだ地からやってきたことを伝えようとして、というんだね。

この地球というものを、超ロングなスパンで見たら。

そりゃ、人間の都合だけでできていたわけでなくてね。

地球には地球の都合というものもあったわけだ。

そんななかで、ご先祖様方は、智慧の限りを尽くして命をつないでくださった。

途方もないくらい長い時間。

今回の311大津波を目の当たりにして、そんなことを感じているのです。

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CMさん

2011年04月22日 | Weblog

CMといっても、コマーシャルではありません。

って、いつものように、親父ギャグ風なはいりだけど。

クリスチャンのMさん、というわけで。

このブログ上の通り名、の方なんですが。

昨日、朝、電話がはいる。

 

 ブログ、読みました。

 ことだま……。

 夕べ、女房と話していて私は頑固でわがままだと思った。

 最近、余計、頑固になっている自分がいる。

 

というような内容なんだけどね。

ぼくは、車を運転しながら。

いいじゃないですか。

ブログ読んでいただいて、そういうコメントいただいて、うれしいです。

と答えたのでした。

CMさんは、字のごとく、クリスチャンなんで。

毎週、教会へ行き。

普通の人より、自分と向き合う機会が多い方なわけです。

って、普通っていう言い方も、こうなると、よくわかりませんが。

ま、そんなことはともかく、ポスト311、つまり、311の大津波以降、ということですが。

そりゃ、どう取り繕っても、そこへいかざるを得ない。

ひとりびとりの生と死ですね。

加持祈祷師や占い師、託宣者に自分の未来をたくしたり。

いろんな宗教の提示する世界観、生命観に未来をたくしたり。

「無宗教」という世界観にたくしたり。

社会の仕組み、政治への反発にたくしたり。

ま、いろんなものに、自分の未来をたくすわけだけど。

とどのつまりは、あんた、どう生きて、どう死んでいくの、という問いにいたらざるをえないわけで。

なんたって、まかせて安心、みたいな大地が動いちゃったしね。

それに、善人も悪人も一緒に、大津波に流されてしまったし。

朝から、ヘビーな話題になっていまいましたが。

それに、ひそかに上限としている1000字をこえちゃったし、で。

そろそろ、終わりにしなきゃね。

とそんなときにかぎって、あとからあとから、書きたいことがわいてきちゃうんですね。

「実母ーその後」とか、日本語と横文字の溶け合い、とか放射能とことだま、とか。

そんなわけで、中途半端に終わりです。

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痛風とことだま

2011年04月21日 | Weblog

知り合いの社長が、痛風で寝込んだ。

お話を伺うと。

痛風というのは、字のごとく。

風が吹いても痛い。

何をしても痛い。

女房が、「大丈夫?」と声をかけてくれる。

しかし、それが痛い。

だから、筆談だったんだよ、と。

ことだま、って言うくらいだから、言葉ってのいうのは、からだに響いてくる。

とおっしゃる。

ことだま、とは、言霊、と書くけれど。

むしろ、言の弾、言弾と書いてもいいくらいだね。

くだんの御仁のお話をお聞きして。

やっぱり、言葉は人を撃つんだな。

と子どもの頃からのなぞが、腑に落ちたような気がした。

人の前に出たりしたとき、どきどきしたりね。

あるいは、けんかしそうな相手と対面したときに、どきどきしたりね。

ほんと、おれは、気が小さいな、なんても、思ったりもしたんだけど。

そういうのは、俗な解釈でね。

たぶん。

実際には、いろんな弾が飛んできていたわけだ。

なんていう解釈を。

ま、彼の話からしたりしているのです。

痛風の脚が痛くてたまらないくらいに、言葉ってのは、人に影響を与える。

だから、いい言葉、優しい言葉をつかいましょうね。

なんていうことを、たとえば、仏教では、和顔愛語だったかな。

つまり、にこやかな顔と愛ある言葉、みたいに言いますね。

しかし、実際には、心もからだもたましいも、全部、本心からそうなっていなければ。

たぶん、相手には、それこそ、ことの弾のように、伝わってしまう。

ので、いずれ、どうも居心地が悪くて。

みたいな空気がその場にただようんだろうね。

というようなことを、痛風談義から、納得したのです。

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