まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

あそこはいつも混んでるね

2017年03月31日 | Weblog

というのが、夕べの会合場所。

そこまで、時間がタイトになっちゃって、長男坊に送ってもらった。

その車中での会話なんだけど。

嫁さんと静岡へ来てから、気になってもいたようで。

古くからの飲屋街、青葉横丁にある、そのお店。

現代風に改装しての切り盛りが、若い世代にうけているのか。

そこで、昨年初めて行った、キャリア体験学習と銘打たれたイベントの。

つまり、小学生を相手に、自分たちの仕事を紹介する、というものなんだけど。

その反省会と来期へ向けてのさまざまな肚合わせ、というわけだ。

やってることの意図、効果、影響などなどは、とても壮大なビジョンにつながるもので。

なんだけど、それを表現するのに、アレヤコレヤの苦労、ってのが。

夕べの会合を一筆書きにすると、そういうことで。

松下の幸之助さんの、素直な心で衆知を集め、という言葉の実践、あるいは、試行錯誤。

とも書けるか。

その場で、鵜の話を、ちょうど隣の女史が、巴川沿いが生家だったので。

ご披露申し上げ、だったんだけど、驚いていた。

それがね、かっこいいんだ、と、昨日のブログで書いたまんまをね。

彼女、昨年のイベントを通じ、嫁ぎ先の家業について、腑に落ちた。

そうで。

管理栄養士、ということだから、若かりし頃、よく勉強をしたんだろうね。

それを、嫁ぐとともに断念し、だったのが、イベントをきっかけに、現在の家業とフィットする。

そんなやり方、方向、考え方になりつつある。

なんて話をお聞きすると、たまらないね。

その瞬間、何が起こったのか、なんてのは、言葉にできにくいけれど。

そこに、真実がある、というね。

そんな瞬間の連鎖が、人生とも言えるし。

であるからこそ、ゆめゆめ怠ることなかれ、ってことにもなる。

そうだ、4月に入ったら、イベントが目白押しで、なんて告知申し上げていたけれど、そのうちの二つが決まり。

講師の方とのやり取りで、会社でやるのは初めてで、なんておっしゃっていた。

この方、シャープで、ザウルスの開発に携わったそうで、飛ぶ鳥も落とす勢いの頃の、大シャープの。

センターにいた方、その方のセミナーと言えばいいのか、体験型の。

もう一つのイベントの、幹事役をお願いした御仁とも、昨日は打合せ。

こちらは、以前もやっていた「新芽の会」の復活だ。

小さなコミュニティを随所に立ち上げ、あるいは、自然発生的なナリタチという作り込みで。

それらを大きく包み込んだネットワーク、という姿かたち。

というのが、ま、ざっくりのビジョンなのです。

これ書き出すと、キリがないので、本日は、この辺りにて失礼します。

 

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3月30日ゴッホ生誕の日です

2017年03月30日 | Weblog

これ何も、お為ごかしの話ではなくて。

今朝、出がけにエンジンをかけたら、NEWプリウスからの発信です。

一瞬、そうなんだ、あの耳を切った孤高の絵描きの苦悩の始まりが、今日だったのか。

なんて感懐が浮かんできた、そのきっかけを与えてくれたのが。

プリウスくんのAIで。

なんてことを繰り返しているうちに、とどのつまりは瞑想体験にまで行き着きそうな。

そんなことを思った次第で。

ヒタヒタと、なんて水準じゃなく、ものすごい勢いで追いかけてきている。

というのが、人工知能と名付けられるのか。

これは、想定の範囲を大幅に超えた進化があるのかも、なんてことを、朝から思ったりしている。

この朝の巴川、なかなかよくてね。

もう少しして、骨ストレッチの時間になると、下流から上流に何十羽という黒い鳥が。

一斉に飛び出していき、しばらくすると、今度は、下流に向かって。

水面すれすれに、朝飯を食べんと、滑空する。

これ、かっこいいんだよね。

ちょうどその頃は、それぞれのお宅で、朝食の時間か。

なんてこと、思い浮かべながら、そうだよね、彼らの仕事、お腹を満たすために。

カラダからの要求に素直に答える作業を、彼ら、しているわけだ。

シンプルでいいね。

一日は、それから始まり、お昼とか夕飯とかは、果たして、どうなっているのか。

は、知らないけれど。

そうそう、その黒い鳥と名付けた鳥は、鵜、なんだってね、昨日、初めて知った。

道理で、くちばしで獲物をすくい上げるのが上手いわけだ。

その昔、と言っても、かなりの昔、この姿を見ながら、どこかの誰かの発想に。

そうだ、鵜に漁をさせて、それ、いただいちゃおう、というアイデアね。

それが浮かんだ瞬間、ってのが、搾取の始まり、なんて書くと、マルクス主義かぶれの。

なんて形容詞がついちゃいそうだけど。

頭いい御仁がいたんだね、きっと。

それから、漫画の「進撃の巨人」まで、まっしぐら、って物語を書くこともできそうだ。

たしか、用宗だったか、大崩海岸を焼津まで抜けていく道中に、鵜匠。

じゃなく、鵜匠の使う鵜を訓練する人、なんて呼ぶのか、そんな方々の群があった。

なんて話をどこかで聞いたことがあって。

まるで、南さつまは黒瀬海岸付近に生息している黒瀬杜氏の群れ、みたいだ。

その時には、なぜ、この駿河の地が、なんて思ってもいたんだけど、これほど見事な鵜の群れを見ると。

それもありだったのかも。

鵜匠なんてのは、神武東征の神話にも、たしか出てくるくらいだからね。

その当時、わが駿河の地は、エビスの地、蛮族が跋扈する、と大和政権なのか、彼らからは恐れられてもいたんだろうし。

なんたって、ヤマトタケルの英雄譚の舞台が焼津。

しかし、巴川の鵜たちは、その頃とあんまり変わらずに、朝のお勤めをしているんだろうな。

お勤め、なんていうと、いかにも人間くさいけど、そんな臭みさえ感じずに、命の発露。

ってことだ。

さて、今日も、そんな鵜たちを眺めながら、発進するとしますか。

 

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香川が一点とったね

2017年03月29日 | Weblog

夕べのW杯予選。

日本代表を応援しているんだけど、もちろん、勝ってくれて嬉しい。

に加えて、香川が点を取ったことが、ね。

とても、気分が良い。

という心の動きって、その昔、幼かりし頃、プロ野球ファンだった頃だ。

巨人が勝つのが嬉しかったのだけど、そのことより、長島が打つか打たないか。

が、運命の分かれ道、みたいなね。

巨人が勝っても、長島が打たない日は、あんまり、気分がよくなかった。

なんてのと、この歳になっても変わらぬ、幼児期のメンタリティ。

ってわけだ。

昨日も、入社前研修。

それぞれの自己紹介も兼ね、仕事の内容を座学でね、知らしめす。

これ、とてもいい、いわゆる「社員教育」とも言えて。

昨年、不二見小学校で、キャリア体験学習と銘打って行われたイベントの。

出展者、というのか、プレゼンターの各々方の、途中から。

自分の仕事、好きですオーラを、眼前で体感したんだけど、それと似ていなくもない。

自分の仕事、ってなんだろう、というような問いかけを、まずは、わが身に投げかけ。

その後、新人君に伝える。

その渦中で巻き起こる、言ってみれば、おさらい、だけどね。

しかし、そこでたくさんのお土産をもらうことができる、という仕組みだな。

どちらかと言えば、そちらの方が、こちらも楽しい。

世過ぎ身過ぎとして表に現れる、ことになっている部分と、実は、やむにやまれぬ思い、松蔭で言えば。

やむにやまれぬ大和魂、って部分ね。

そのあたりを、きっちりと立て分けて。

ほんと?ほんと?ほんと?って、ラッキョウの皮を剥くようにね、わが身内の中に入り込み。

と、そこにあらわれるもの、もしかしたら、キラキラときらめく朝日のような陽光かも。

あるいは、観音菩薩のような。

いずれにしても、教わってきたこと、教わってきて知らぬ間に自分自身だと思い込んでしまってること。

そんなところからの解放、尾崎豊風に言えば、卒業、とね。

そうだ、昨日は、違いを楽しめ!というメッセージを結婚式で送った御仁との個人ミーティング。

楽しんでますよ、とまではいきませんが、ということだったんだけど、そこはそれ。

その部分が人生の醍醐味でもあり。

キャパがね、知らない間に広がっているんだ、ということなんだな、きっと、たぶん。

なんて話も、振り返ってみれば、楽しいものだった、と書けるか。

さて、今日も、昨日に引き続き、個人ミーティング。

その後は、全体のミーティング。

イートインならぬミートイン、とでも洒落るか。

 

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個人ミーティングと入社前研修と

2017年03月28日 | Weblog

今日の日程は、表題のごとくで。

タイトなスケジューリング、とでも言えるか。

10人足らずの陣容につき、社長の出番は多いわけだ。

ではあるけれど、一つ一つが、とても大事なもので、かけがえのない時間を共有する。

のではあり。

そこにこそ、人生の醍醐味がある、ってことで。

ところで、鎌倉が思い出される。

三崎の本マグロをいただいたお寿司屋の大将、その鯵のさばきっぷり。

岩登りのマスターご夫婦の珈琲屋さん。

妻の二ヶ月の検診、ってのがあるので、その時には、お泊まりで、と密かに画策している次第で。

そうそう、明後日には、再開する新芽の会のアレヤコレヤを、幹事役を押し付けた御仁と。

プチ打ち合わせがあり、最大限の効果効能が発揮できるような、作り込みをね、模索せんとぞ。

ってわけだ。

今、わが机の上には、サインペン10色、蛍光ペン10色がおいてあって。

メモしたノートへ、再度の書き込み用なんだよね。

ノートが鮮やかな色に変わり、いかにも、という雰囲気を送ってくれる。

これも、旅の一粒で三度美味しい、の真似事で。

こんな具合に思い返してみると、日常での出来事、イベントは、割と、全く違う所作が。

それぞれに、連関しているとも言えて。

結局は、人としての存在の仕方、ってのは、ずっと前から言っているように、シンプルで。

ほぼ三つくらいで、すべてが語れる、なんて妄語が、真実なのかも、なんてウケに入ってる。

そう言えば、当方より三つ若いいとこが、定年だということで、エブリデイサンデイ、サンデー毎日。

だそうで。

この間の法事でも、一つ上のいとこが、そんな調子で、民生委員をやっている、とか。

まわりでは、ヒタヒタと旧知の御仁方が、人生の一区切りをつけんとそれぞれ画策してる。

という姿が見受けられる中、死ぬ時にはドブの中でも前のめりに、と言ったらしい(by 司馬遼太郎)龍馬を。

真似てるみたいな、思いを遂げるのに、定年という概念って、あるの?

なんて息巻いているんだからね。

なんともカントも、ってわけだ。

この週末には、また、妹が帰ってきてくれて、おじおば会。

さすがに、四人で出かけるうちの二人が、ちょっと心もとない、というメンバー構成になりつつあるので。

妹の力もお借りする、という、ついでに、妹も訪れたことのないところへ、なんだよね。

一挙両得、って感じかな。

一粒で二度美味しい、のデンでね。

そう、新芽の会作戦会議の日には、いや、次の日か、歴史の旅の面々と、日向・薩摩の旅の反省も含めてのミーティング。

こうなると、一粒で四度美味しい、ともなるね。

この四月から六月にかけては、イベント、目白押しで、かいつまんで書くと。

歴史の旅、妻の検診、某霊能力者の駿河への来訪、カーテン工房のリニューアルオープン、某能力者のセッションを企画。

あと何かな、と言いながら、すべては大きなネットワークの構築、そのために、大昔は、山にこもり修行。

といういでたちが、今回は、お金の山に登り、という修行におきかわり、のミッションへの道筋。

って、わけわかんないでしょ。

わかんない、ってのが、とてもいいのです、実は。

わかる、とは、分かつ、で分離だからね。

って、けむに巻きつつ、本日のブログ、終了します。

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久々に会ったから楽しかった

2017年03月27日 | Weblog

と言うのが、昨日の母親の感想で。

そう、同窓会。

行くまでは、あたしは行かない、めんどくさい、行ってもしょうがないモードが溢れ。

矍鑠とした幹事の方にも、あえて、事前の出席の連絡もせず。

どうしても嫌だ、と言うなら、それはそれで、くらいの感じで、妹と二人で。

会場まで車にて。

車から降りるまでは、今日は、どこへ行こうかね、と言うドライブモード。

が、降り立つと、いつかきたことあるね、と。

螺旋階段を上がり、同窓の方々の笑顔に接すると、すぐさまに懐かしいモード、笑顔が弾けだし。

妹との記念の写真までとり、母親を残し、その場を後にした。

天が、妹と二人を活用して作り出した喜びの光景。

それもまた良し、と言うわけだ。

その後、おじの、つまり、父親の兄嫁の一周忌に参列し。

払いの席でのよもやま話は、故人の思い出を披瀝しあい、えっ、そうだったの、と言う知らないことが。

後から後から飛び出し、楽しいひと時とあいなり。

父親の長兄は、スーツのオーダーはともかく、革靴まで牛革で誂え、しかも、どこぞの部位を使って。

と言うリクエストだった、とか。

その長兄の母、つまり、祖母だね、は、前回の結婚で横浜に残してきた息子さんがいたようで。

その祖母の何周忌かの時、静岡にやってきて、身なりはジェントルマン風、カメラが好きで、ライカの何とか。

とかを持ち、と言うような話を聞いたりして。

そうしたものは、母の影響なのかな、と一人、感じ入っていたのですが。

ところで、今朝の瞑想は、早かったな。

あれ、もう終わりなの?とiPhoneのタイマーに声かけちゃったくらいの。

この時間が、一日を創り出している、とでも言えるか。

あとは、オートマチックな、お任せの展開で。

そう、今日から、入社前研修、と言うことで、18歳くんが登場するんだった。

13人の仕事に対する思いなどなどを、その人なりに彼に伝える場が、今週生み出され。

彼の中に、どんな種として、それがどんな具合に芽を出し、花をつけ、果実として結ばれるのか。

なんて思うと、こりゃ、人生の一大イベントでもあり。

楽しくなってくる。

カリキュラムは、長男坊には作っといてくれ、なんてリクエストはしてみたものの、難しいと言うことで。

じゃ、と思ってはみたものの、受け入れ慣れた会社さんみたいな、システマチックな進行表はできず。

手作り感満載の研修になりそうだ。

例えば、沼津は原の地に出生した白隠さんね、かの御仁は、臨済宗の中興の祖、なんて呼ばれ。

日本酒の銘柄にも名前は残り、母親はひところ、白隠和讃なんてのを念じてもいたけれど。

そんな中興の祖、と言うのは、どんな組織、集団にもいるわけで、しかも。

誰それが、と言うより、構成員全体がその候補者でもあり。

たぶん、これが、今流行りの、リーダーシップとイノベーション、とも繋がり。

中興、つまり、途中で興すこと、それはイノベーションのことだし、その主催者はだれか。

と言ったら、親方が背中を見せつつ先陣を駆けるのではなく、一人一人がリーダーである。

というリーダーシップ論、ってわけだ。

だって、人生においてのリーダーは、あなた自身でしょ、ってなもんで。

そこでは、共同幻想と個人幻想は逆立ちしませんよ、吉本さん、くらいの話になるはずで。

って、吉本隆明をご存知ない方には、何言ってんの、ですけど。

働き方改革で、副業もOKです、なんていうのが、旧システムの弥縫策、というのも、この辺りから。

説き起こすことができそうだけどね。

もっとも、組織論すら、改変改良の余地があるわけで、と書くと、そもそも人が人として生きて死んでいく、ってのは。

一体全体、どゆこと?くらいの着地点にいたりもするわけだ。

なんて、朝から息巻いていますが、そろそろ、骨ストレッチのお時間です。

 

 

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同窓会の便りが届く

2017年03月26日 | Weblog

自宅に電話があったのは、何日前だったか。

矍鑠とした声が聞こえてきた。

今日の11時から、なんとかのお店で、と。

90歳になる母親の女学校の時の同級生。

今はかくかくしかじか、ショートステイに行っているんです。

の返答に、当日でも結構ですから、いらっしてくださいね、と。

ちょうど、その前日に帰ってくるので、それは可能ではあるんだけど。

と言うわけで、本日がその日。

にしても、90歳の方が、段取りを整え、同窓の何人かの方々に、そうやって。

思いをかけてくださるわけで。

ありがたいと同時に驚きとでも言うのかね。

なので、ちょうど、妹も来てくれているので、と言うこちらなりの段取りを考えている次第。

要介護度3とはいっても、母親の存在が、同級生たちにとっては、それはそれで。

一つの大きなものにもなるんだろうからね。

そんなわけで、二週間にわたるショートステイ、つまり、お泊まり保育ね。

そこから、昨日の夕方、帰還。

果たしてどんな対応になるのか、と、つまり、自宅であることを覚えているのか。

あるいは、繰言の一つも言いつつ登場するのか、と思いきや。

玄関で娘の顔を見るなり、あんた、久しぶりだね、の満面の笑顔から始まり。

自分の部屋に進み、カーテン工房で付け替えていただいたカーテンをひき、と言う。

いつもの夕方のルーティンワークをこなしていた。

夕べは、母親にとっては、イベント満載状態で、その後が。

妹が帰ってくる、出張していた次男坊がやってくる。

さらには、長男坊夫婦が孫を連れてやってくる。

と言うわけで、後から後から、テンションの上がるシーンの続出で。

この二週間の、お泊まり保育の場面からの舞台転換は、生きると言う意味での刺激に満ち溢れ。

と言う時間を通り過ぎての、今日の同窓会、と言うわけだ。

うっすらと、「自分」と言うものを統合する、んだけど、通常の人のように。

精密には統合できない、と言うことなんだけど。

それはそれで、この星の人間の存在の仕方、あり方をわかりやすく見せつけてくれる。

とも言えて。

装飾物を剥ぎ取った姿を垣間見させてくれる、わけだ。

その姿、と言うのは、かたや、孫にも見受けられるもので。

彼女の方は、剥ぎ取った、と言うより、これから、否応無しに、身につけさせられる。

「社会」とか「世間」とかと名付けられたものの構成員となっていくためには、必要不可欠な。

そんな間(あわい)にいるわけで、二つの時を隔てた人間のありようを眺めてもいる。

と言うような時間でもあった。

この間、伊勢の御仁から、三重大学で20年だったか、ずっと研究されている。

eスクール、と言うものをお聞きしたんだけど、人間は。

例えば、左手を握り拳にして生まれてきて、その時には、自分の役割を果たすための力を。

すべて持っている。

けれど、名前がつき、長男とか、親子とか、と言う関係の中に入っていくうちに。

その左手の握り拳は、右手で覆われてしまう。

だから、私は、とかの主語を使わない生活をすることで、その時の、本来持っていた力を。

自分自身で思い出し、まわりで起こりくることも変化してくる。

と言うような、ある時代では、とんでも話、みたいなことが、アカデミックな場で研究されている。

と言うことなんだけどね。

それを意識してやり出したら、時間がゆったりと流れるようになった。

これ、おもしろい。

ゆったり、の豊かさ、わかるかな〜、わかんねぇだろうな、くらいの感じのね。

と言うわけで、雨の日曜日は、静かにゆったりと始まりました。

 

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for you と for me

2017年03月25日 | Weblog

このところ、表題の言葉が、わが身内に踊っているんだけどね。

ながさき、汝が先、長崎、って、オヤジギャクみたいだけど。

昨日も、ご案内のように、中小企業にフォーカスした就活、というようなテーマのミーティングで。

成人前の学生さんたちといろいろと話したわけだ。

その内容はともかく、働くってのは、どういうこと、というのかね。

一口に、社会への貢献だとか、言うんだけど、それって、どういうこと?

くらいのテーマが、ずっと、内奥にあって。

なにかと言えば、働き方改革的な言葉が踊るんだけど。

その場でも出ていた、仕事というのは辛いものだけど、とか、大変だけど、とかの。

そんな言葉遣いね、それって、ほんとかね、誰かに教わったことじゃない?

リアルでは、どうなの?というね。

例えば、戦後間もない頃なら、いや、戦前からも、貧しい家計を支え、父母を楽にさせる。

なんて目的が、わりと、照れもなく、ハスに構えもせずに、語られていた時代もあった。

とも言えて。

すると、仕事の場は、実に、父母の恩に応える、壮麗な場に変わり、多少の。

諍いやらは、雲散霧消もした可能性もある。

その時には、仕事の場での先輩やお客様からの、一見、無体な仕打ち、なんてのも。

客観化できたかな。

そういった目的意識ね、明確なものがあれば。

俯瞰してみれば、仕事の場ってのは、お金をいただきながら、さまざまな局面、事態を味わえる。

んだよね。

もし、生きる目的が、自身の、人格の陶冶、なんて設定してみれば、ね。

学校といえば、教授の話を聞き、あるいは、今流行りのアクティブラーニングなんてのでも。

あれ、多くの場合、お金を払ってその場にいる、というポジションどりなんだけど。

この間も、人型に近い生命がいるかも、なんて惑星が見つかったけど、そんな星では。

ひょっとしたら、教える側がお金を払い、教えられる側がお金を、つまり、給料をもらう。

なんてのも、あるかも、でね。

だって、教える場を提供してあげているのが、教えられる人々、と言う設定も可能だからね。

つまり、人生の目的を何に設定するかで、局面は変わるわけだ。

言いたいことは、心の置き所一つで、同じ風景は、ガラリと反対の様相を呈す、と。

ながさき、という境地を手に入れると、と一口に言うけど、じゃ、自分は捨ておくの?

となりがちなんだけど、そこに、目的意識が入ると、そのゴールを目指すために、ながさき。

が、そのゴールへの、とても、開きやすい扉になる。

とでも言えるか。

自己犠牲に陥らずに、for youの境涯に入れるのも、わがゴールがあるから。

なんてことを、つらつらと、今朝のブログでは書いている次第で。

このブログの使い道も、こんなのもありだな、と悦に入ってるわけだ。

と言うのも、ながさき、と言う教え、教訓、行動の仕組みが、どうも、効果的である。

ように思えもするけど、だからと言って、そのことを、強制力、あるいは、ある脅しとともに使うのは。

ちょっと、気に入らないわけで。

できれば、オートマチックにその境涯へ入る、と言うような。

それを手に入れれば、天下無敵、天下無双、と。

ある意味の天才になる、ってことなんだけどね。

何れにしても、この話題は、to be continuedだな。

for you と for me ね。

 

 

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時間がとてもゆったりと流れているような

2017年03月24日 | Weblog

そんな感じがしているんだよね。

今朝、昨日書いたブログ、読み直していて、あれ。

これ、ずいぶん前だと思ったけど、昨日なのね。

くらいの。

と言いつつも、三月も終わりかけ、今年もはや、四分の一がすぎたね。

なんて感懐も湧きもするんだけど。

外からは、鳩の鳴き声が聞こえてくる。

いや、わがベランダへの来訪者だった。

さりげなくやってくる来訪者は、なんだか、嬉しくなっちゃうな。

夕べの来訪者は、置き薬と言うんだっけ、富山発祥の、先楽後利、だっけ、いや、違うか。

ま、ともかく、置き薬がどれだけ使われたか、と言うチェックに来訪した薬屋さん。

タブレットを使いながらの計算だったんだけど、大変だね、と思わず、声かけちゃったよ。

その昔、何十年前か、幼かりし頃、やっぱり、行商の、あれは紐かなんか売りに来ていたのか。

なくなった祖母と一緒だったか、その行商人というのは、苦学生だったようで。

食べるものも、おかゆくらいを、なんて話だったかな。

田舎からやって来て大学で勉強している、というような。

その若い苦学生も、今では鬼籍の人になっているのか、はたまた、どこかで、お孫さんに囲まれて。

悠々自適な日々を暮らしているのか。

なんてことが浮かんで来た。

ところで、くどいけれど、表題だ。

ひょっとしたら、夕べから今朝にかけて、わが身内には何事かが起こっていて。

時間の流れが変わったのかも、なんて夢想しているところで。

そうだ、昨日は、籠池さんの証人喚問、いきなりの急転だけど。

見入っちゃったよ。

一言で括っちゃうと、「もののふ」とは何か、をモチーフにしたドラマ、かな。

その観点で眺めていたら、面白くてね。

いくつかの流派の「もののふ」方が登場し、我こそは「もののふ」ぞ、と。

昔の合戦みたいな。

それぞれがそれぞれの思いを、表しながら、隠しながら、の活劇は。

たぶん、to be continuedということになるのかも、ならないかも、だけど。

それを伝えるメディアも含めた、戦いの場を眺めている、立会人。

気楽なものだけどね。

今日は、ひさびさの、マブダチくみちゃんからのリクエストで、学生さんの就職?就活?の。

新方式の、手探りの場に立ち会う、これまた、立会人か。

お前の主体性はどこにあるんだ、ってなもんだけどもね。

夜には、カーテン工房の仕入先さんとの夕食会。

こちらも、新方式の手探りの場でもあり、なかなかと楽しそうな時間が待っているんだけど。

そう、わがインターンシップの若者とのコンプリーションもあるんだ。

彼のかけがえのない時間が、さらに輪をかけたかけがえなさに転換するような。

そんなイベントだ。

さて、希望とともに起きた朝、感謝とともに眠りにつく時間まで、一目散に駆け抜けるとしますか。

 

 

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料理の量は難しい

2017年03月23日 | Weblog

夕べは、妻と二人での夕餉。

作り手は、当方。

鶏皮で、野菜炒めを作り、残りのしめ鯖と納豆たまご豆腐と味噌汁。

なんだけど。

野菜炒めの量が、大量すぎて、残ってしまった。

加減、いい加減というのは、なかなか、手強くてね。

腹八分目というくらいに作る、というのは、ね。

南米由来なのか、中国大陸でもそうなのか、ポトラッチ、という習俗ね。

大量に食べさせる、とでもいうか、どうだ、もう食べれまい、というくらいの量を。

お客さんに振る舞う、というやつね。

あんなメンタリティが機能しちゃうのか。

足りなければ困る、かわいそうだ、くらいの。

あるいは、こちらの思いをもっと受け取れ、くらいか。

そういえば、満州へ出征し、帰還した父親が、餃子作りを習得して帰ってきた。

というPTAの役員をご一緒した御仁の話、あったな。

かの地では、どんな貧乏な家でも、客人をもてなすのに最大限の餃子を振る舞うんだそうで。

その地からの伝授いただいた餃子を、いつだったか、教えていただいたことがあった。

皮から作ったんだけどね。

遠く、満州の地に思いをいたし、まるで、怪傑ハリマオ、いや、馬賊の誰だっけ、にでもなった気分も多少はあって。

そんなこともあったな。

その頃出会ったのが、クリスチャンのはなちゃんだった。

神父さんの資格を手に入れた彼、そこからの連想が、例えば。

戦国時代のザビエル、フランシスコ・ザビエルね、帝国主義の先兵として種子島だっけ、上陸し。

みたいな解釈もできなくもないけれど、ちょっと、違う趣なんだけどね。

そう、昨日は、わが歴史の旅のアテンダー、と言っては、正確ではないんだけど。

女史から長いメールが入り。

とりあえずの返信をしてはみたものの、未だに残っている、存念、とでもいうのかね。

それが、発酵してなんらかの違った形のメールを書くことになるんだろうな、という本日なんだけどね。

このところ、感じているのは、雑、ということで。

どうも、生き急いでいる御仁方が多い、とでもくくれるか。

時を過ごすことに忙殺されている、とでも書けるか。

二つ三つ、そんな案件が飛び込んできて、それが気にいらねぇんだ、なんて声を荒げた瞬間があった。

もっとも、そんな、雑、なんて解釈も、勝手なものかもしれず。

ことはすべてにおいて、坦々と流れているだけでもあるんだけどね。

さて、今日は、インターンシップ三日目だ。

「社会」とか「労働」とかの現場が、初めての彼にとっては、かけがえのない一日なんだよね。

決して、段取り、単に通り過ぎる日、ではなく、スケジュールの埋め草原稿的な、でもなく。

なので、こちらも、雑にならないように、というわけだ。

 

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風が泣いている

2017年03月22日 | Weblog

この後、ゴーゴー、と続くのは、スパイダーズか。

今朝の風は、暴風のようで。

日本海は、八尾の風の盆、が思い出されたよ。

艶っぽい踊りを、夜通し踊る。

あれは、風よ、そんなに吹かないでくれ、というお祭りなんだ。

とジモッティたる、わが知人はなんども繰り返していた。

今思えば、風と人間とのまぐわい、みたいなものか。

なんてね。

かの地には、田んぼの真ん中に建つ家、その周りを防風林で囲い、なんて言ったか。

蹲踞、いや、散居村、いや、忘れたな。

ま、そんな光景が目についた。

夜の踊りににて、その晩泊めていただいた、知り合いの御仁のお兄さん夫婦の。

丁寧でたおやかな、穏やかな言葉使いに関心しきりだったのも思い出すし。

八尾の町外れ、というか、山の麓くらいの場所からは、五箇山だっけ、白山郷のような。

茅葺の集落で有名な、あそこも近く。

現在、わが事務所には、富山県制作の日本地図、日本海が湖に見えるような、通常とは逆さまになった。

大陸からわが列島を眺める、というね、それが飾られてるんだけど。

かの地、かの知り合いの顔貌などなどからしても、湖たる日本海は、格好の。

ジャンクションみたいなもので、各地各方面からの往来湖だったんだろうな。

彼の顔、そう、ロシアとかね、彫りの深い、そんな顔なんだよね。

昨日は、遅きに失したホワイトデーのために、という名目で、新静岡は、セノバで。

物色し、ついでに、5階の本屋さんに寄っちゃった。

のが運の尽きで、またぞろの病気再発。

谷川健一さんと銘打たれた本、買っちゃってね、さらに、若狭のお水取りに絡む小冊子。

手に取らずにはおれず、わが所有物と相成った次第。

 

なかなか、良さげでしょ。

ついでに、かもがわ出版、というのも、ミソだね。

たぶん、京の鴨川、鴨族の末裔さんの、なんて妄想が湧く、そんな名前だし。

先ほどまでの風が、泣き止んでいる。

静かな彼岸明けの朝。

今日は、インターンシップ二日目。

おとなしいと言われて久しい、目の前の青年に。

語り始めたら熱くなって、時間、延長になっちゃったな、昨日は。

おとなしい、って、自分の解釈にすぎないから、なんていうテーマのひとくさり。

マゼランだっけ、地球は丸くない、水平線の向こうには、怪物が出るか蛇が出るか、はたまた。

地獄の門が開いているか、皆目見当のつかない時代。

でも、彼らは、出航して行った。

行ってみたら、彼らにとって、桃源郷。

もちろん、突然の闖入者を迎えた、ネイティブアメリカンたちには、悲劇の始まり。

でもあったんだけど。

そこはひとまず、置いといて、似たような話で。

君の前には、素晴らしい世界が待っている、ということをね。

語った次第で。

人生は出会いに満ちており、ミラクルの連続なんだ、なんてね。

というわけで、本日も、希望とともに起き、感謝の祈りとともに閉じるとしますか。

 

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