銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

耳が痛い件で疲労困憊+PCと人体は同じ仕組みで動く+おばちゃんという語彙を私が使う様になったのは桐村茜の真似である

2021-05-19 21:24:06 | 政治

副題1、『去年の12月に、右の耳が痛かったのですが、この五月に入って左耳が痛いのです』

 すみません。ブログを長時間、手当てしなかったのは、耳が痛い件で、疲労困憊していたからです。月曜日に内科、火曜日に、耳鼻科と、口腔外科と、三科を、回ったので、疲労困憊してしまいました。

 12月に右側の耳が痛くて、あの時も顎から、鼻を通り、頭頂部まで、到達する、何か全部が痛いのですが、耳が特別痛く感じるのです。

 今回は、その時とは、反対の耳(左)ですが、あの時よりも劇症で、とても痛いのでした。

 ところで、最初の、五日間ぐらいは、我慢をしたのですよ。これが、もし、外部攻撃で、発症したものだったら、お医者さんに行っても治らないからです。治す方法は、「ただ、ただ、気にしてませんよ、こんな攻撃には、負けませんよ」という態度をとるしかないからです。

 パソコンだって、同じです。敵さんが、攻撃するのを、最近では、相当にかわすことができて、直すことができます。といっても体の痛みと同じで、対症療法です。つまり、阻止されている方法ではなくて、別の方法で、望んでいる仕事をしてしまうと、ブロックされていて、先ほどまで、できなかったことができる様になるのです。「あ、攻撃してもダメなんだ。彼女はすり抜けてしまうからね」と、敵さんが、考えて、その攻撃が終わるからです。そういう形で、直してきました。

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副題2,『ここで、メヌエル氏病のケースを語りたいと考えます』

 去年の、7月白内障手術の予定がが決まっているのに、その20日前に、一週間続いて、メヌエル氏病に襲われました。これは、その数年前に、実際に、同じ病の、特に、ひどいケースに襲われていたので、すぐ、メヌエル氏病だと、わかったし、治療法がないのも知っていました。

 そのふたつから考えると、この2020年7月にかかっているメヌエル氏病も、自分の治癒力で、治すしかないと、思うわけで、医者にはいきませんでした。

 特に白内障手術直前なので、もし、医者に掛かったら、自分で、それを眼科の先生に、申告しなくても、わたくしの場合は、身辺すべてが監視されていますので、メヌエル氏病で、かかっていることが、眼科のお医者様に伝わって、手術が受けられないであろうと、考えました。

 でも、不思議なことに、以前かかった、本当のメヌエル氏病は、深夜11時半ごろ、発症が起きて、たんす部屋(四畳半)のあっちこっちのタンスにぶつかったのです。しかし、一日で、終わりました。しかし、白内障手術直前にかかったものは、疲労が取れているはずの朝に起きたのです。しかも、一週間毎日。

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副題3、『パソコンの、相当上等なものと、されているスパコンが、もっともっと小さな形で、凝縮したものが、人体だと、思うので、ノートパソコンにバグを入れられて、30台以上、壊されている私は、人体へも、外部から、攻撃をされているのではないかと、疑っているのだ。それで、パソコンを直していくのと、同じ方法を、人体に起きる病気を治すのにも応用をしている』

 わたくしのパソコンは、本づくりを始めたころ、特に、3冊目以降を準備し始めた2006年以降毎晩、50回以上にシステム異常を起こされて、敵がいると、感じ、どういう仕組みで、こういう破壊現象が起きるかは、相当に悩みました。

 しかし、NTT光フレッツの、異常が起きたとき、電話で、サポートをお願いしたときに、突然に、真相がわかったのです。

 NTT の光フレッツは、その後も何度も、壊れるのですが、その時のサポートで、サポーターと、わたくしのパソコンの画面を同期するシステムというのを初めて、経験しました。遠くにいるサポーターが、私が、今開いているパソコンの画面と全く同じ画面を見ているということは、驚くべき状況です。ただ、普通の人が誰でもできるというわけではなくて、下の、虫眼鏡のところに、相手側から、伝えられた、何らかの、ダウンロードの、数値を入れるのでした。

 それは、その時だけ、教えられるもので、むろん、記録もとっていないし、もし、記録を取ってあったとしても、今、それを入れても、NTTのサポーターと、連絡を取っていない時間なので、わたくしのパソコンが、どうのこうのと、変化するわけではありません。

 わたくしは、過去に何回も説明をしていますが、桜田門の、一室、もしくは神奈川県警の一室に、特大の、液晶画面があって、そこに、常に、わたくしのパソコンの画面と同じものが浮かんでいると、推察しています。

 ただ、大変大きな液晶画面というのは体に、影響を与えるためのもので、パソコンの仕事を邪魔するためには、それほど、大きな画面は、必要ないのです。

 わたくしのパソコンに影響を与えるためのものは、この程度(今は、13インチを使っていますが)、もしくは、15インチ、または、それがあると仮定して、17インチのモニター画面、などで、十分だと思います。

 で、古村浩三君の家、井上ひさし(いまだ、生きていますよ)の家、それから、この山に最近転入してきた美形の紳士、山田さんの家には、その、機能を備えたパソコンが整備されていると、思っています。

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 人間の体も、高度なパソコンですから、それに、システム異常を起こすのは、すでに、可能なことだと、思っています。一般の人には、開示されていない技術ですが、特権者側、支配者側は、それをすでに、使っていて、・・・・・特に、わたくしの体には、それが、すでに、適応をされていると、推察しています。

 上には、一週間続いたメヌエル氏病を書いていますが、それが、終わったのは、室内盗聴が、うまく利用をされたからです。

 息子が「訪問したい」と、言う電話をよこしたときに、わたくしは、たまたま、トイレに入っていたのです。トイレは、一階にあり、固定電話は、二階にあります。主人が二階から、「〇〇〇(息子の名前)が、来るよ。土曜日に。わかった?」というものですから、わたくしは大声で、「あ、だめ、今、私メヌエル氏病だから、来ないで」と一階から叫びました。

 我が家の室内会話は、盗聴をされています。二階については、そこにスマホが置いてあるので、それが、盗聴器となるのでしょうが、ほかの部屋は、どうして、盗聴をされるのかは知りませんが、ともかく、この家の中で、音声で、語られることは、すべて、相手(敵さん方)に、悪利用をされます。で、わたくしは、しまった。今まで、メヌエル氏病に、かかっていることは、一切誰にも言っていなかった。ここで、敵さん方に知られてしまったら、大変だとは、思いました。しかし、息子は、愛情はあるものの(私のほうも息子に対して、愛情はありますよ)だからこそ、甘えもあって、私に対して、すべてに批判的です。ところで、わたくしは、このブログの時間を取られるので、お掃除が後回しになります。息子が来るときは、集中的にお掃除をして、きれいにするのですが、それが、メヌエル氏病だと、できません。

 しかも、白内障手術を、二週間後に控えているので、絶対に、メヌエル氏病を、治しておかないといけないのです。で、メヌエル氏病にかかっていることは、主人には手紙で知らせてあります。が、わたくしが、お掃除を集中的に、今はできないと、言うことは、主人は、理解していないので、息子がここに、来たいと、言っているのを、断りません。だから、わたくしは、それを、自覚していることさえ、敵には知られたくなかった、メヌエル氏病という語彙を、思わず、大声で、二階に向けて放ったのでした。それで、敵さんに、わたくしがメヌエル氏病にかかっていることを自覚しているのを悟られてしまいました。

 だけど、この時は、よいほうへ、展開しました。その電話がかかってくる、一日か、二日前に、武蔵小杉の中原図書館で、開架図書の一般向け医療書を、五冊ぐらい読んで、メヌエル氏病に関する知識を再度、確認したのも役立った模様です。

 というのもわたくしの行動は常に監視をされているのです。尾行か何か知りませんが、中原図書館に入って、40分ぐらいたつと、普段は居ないはずのガードマンが入ってきて、わたくしが五階を使っていたら、五階を、巡回するし、六階を使っていたら六階を巡回するからです。

 でも、この時は、わたくしがメヌエル氏病を自覚していて、かつ、病院へ行かないことが、敵さんたちに、攻撃を、あきらめる気持ちを起こした模様です。というのも、このメヌエル氏病が、白内障手術を受けさせないが為の、ものだと、わたくしが、知っていると、言うことが敵さんにもわかったからです。それは、将来、必ず、ブログに書くからです。その文章がどういう風に展開するか、敵さんたちには予想もつかないからです。

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副題4,『平木夫人、裕子さんが、したたかな悪女であると、言うことを書いたのも、この耳の痛みが、敵の攻撃であると、半分は、推察しているところがあるからだった。

 その前、・・・・・平木家のご長男が、去年の秋のうちに「推薦入学で、東大に、はいれますよ」と、伊藤玄二郎たちから、教えてもらっていたはずだ・・・・・と、言うのも、相当に、すごい話だけど、あれを書かないと、わたくしは、鳴門の渦に、落ち込んだ、木の葉のごとく、パソコンも、人体も、きりきり舞いをさせられて、末は、切り刻まれることになるだろう。だから、ご近所様といえども、遠慮している場合ではない。自分が頭がよくて、敵さんがやっていることのすべてがわかっていますよと、言うことを具体例を示して、開示しないといけないからだ』

 さて、メヌエル氏病は、そういうわけで、消えて行ってくれました。しかし、耳の痛みは、かつて、経験したことがないのです。中耳炎というのをやったことがないので、今回の痛みと、12月の痛みが、どの程度悪いのかが、わかりません。比較のしようがないのです。

 ただ耳って、能に近いですよね。だから、いささか怖いです。自然に発生した病であっても敵方が発生させた病であっても、どちらであっても怖いです。で、12月にも湘南竃浦総合病院を訪ねたのだけれど、今回も同じ病院を訪ねた。

 ところで、病気の診断とか、湘南鎌倉総合病院の、口腔外科が、あまりにも美しい施設だったのを、語りたいが、今は、そちらは、後回しにして、火曜日に、大船から、自宅前(バス停は、鶴岡八幡宮前)まで、帰ってきた際に、北鎌倉の【侘助】を、久しぶりに見て感無量だったことを語りたい。

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副題5,『ここで、突然だが、朝ドラに、入りたい。なぜかというと【侘助】が、ひどく、落ちぶれている様に見えて、したがって、侘助のおばちゃんとのエピソードを思い出したので、それを語りたいのだが、まず、朝ドラが先だ』

::::::::: 朝ドラおちょやんで、宮沢エマが、演じる、栗子さんが出てきたときに、ネットで、人々が、「見事な伏線回収だ」と、言っていました。確かに、栗子さんは、継母として、自分を奉公に出した、意地悪な、女性でした。その同じ女性が、自分の子供を産んだとたんに、追い出した継子(おちょやん)を、急に愛しく思い始めて、彼女にファンとして(今は、押しというらしいが)花かごを送り続けるのです。無名というか、匿名で。で、主人公おちょやんは、その人に励まされるわけですが、だれが、送っているかがわからなかったのです。それなのに、どん底に落ちたときに、その人栗子さん(=宮沢エマ)が現れて、自分を救ってくれるのですね。しかも、一緒に暮らしているうちに、死が近いことを悟っている栗子さんから、自分が花かごを送っていた人だと、告白をされるのです。もう、涙、涙の、一週間でした。

 清原香耶さんと、今期の朝ドラの脚本家のコンビは、【透明なゆりかご】のコンビだそうです。そのドラマはたまたま、第九回(父親に、犯されて妊娠した、少女の回)だけは見ました。そして、ドラマもいいし、清原香耶も素晴らしいと、思いました。

 しかし、朝ドラの、バトンタッチの場面で、清原香耶が、杉咲花を大切にしていないのを、発見しました。そのさいに、香耶さんは、おちょやんが、視聴率が悪いと聞いていて、それを信じていて、杉咲花を、ばかにしていませんでしたか?

 杉咲花さんのセリフ(詠嘆調で静かなところ)は、わたくしのレコーダー経由では全く聞こえませんでした。今、人体への、攻撃を語っているところですが、それが、できるぐらいですから、テレビ番組に加工をして我が家に送り込むなど、おちょの子再々でしょう。しかし、20210年5月15日の、BSPの一週間再放送では突然に、そこが、聞こえる様になって、特殊な細工が、なされていたことを知りました。だけど、杉咲花は、あのドラマでは、ぴったりでしたよ。体が、小さいです。だけどエネルギー満帆です。愛とは、エネルギーだから、杉咲花さんは、その点でも素晴らしい。清原香耶さんは、素材としての自分に満足しきって、努力を怠り、傲慢になると、魅力が失われますよ。気を付けてください。あのバトンタッチの場面で、杉咲花さんの顔を見ないのはいけません。

 さて、おちょやんでは栗子さんの伏線回収が、大きな話題になったわけですが、わたくしは、ここで、おばちゃんという語彙をどうして使う様になったかの伏線回収をしたいと、思います。侘助を見たからです。

 侘助の女主人に、胸倉をひっつかんで、店の外に突き出されたことがあるのです。わたくしより若い女性でした。が、あまりのことに驚いて、なぜだ? と大いに考え込みました。その日も誰か、匠の会の人と一緒だったのに、どうしてあれほどの残酷なことをされたのかが、わかりません。

 その後、もっと、年取っている竹屋画廊の主人の妻にも、胸倉つかんで、追い出されました。それは、桐村茜さんの、竹屋での二回目の個展の時で、オープニングパーティの席だったと思います。

 桐村茜さんには、パリのシテデザールの版画工房を案内してもらったり、彼女の結婚観と、誰と一緒に今暮らしているのかなどについてもあれこれ、聞いているので、親しいと、言う認識があって、その後、銀座で、彼女が個展をしているときに、「こういうことがあったのよ」と、この竹屋画廊での経験を言うと、彼女があのおばちゃんねえ」といいました。その時、初めて、インテリの女性がおばちゃんという用語を使うのを、発見しました。

 桐村茜さんはあそこで、二度は、個展をさせてもらって、相当高額な売り上げを得ているので、おばちゃんと、竹谷画廊の、主人の妻を呼ぶのには驚きました。ただ、いかにもそういうタイプです。小柄です。そして、この事件が起きた当時、私より、10歳ぐらい上に見えました。

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副題6,『竹屋画廊が、なぜ、有名人(といっても、現代アート系・美術界だけでの、知名度だが)ばかり、連続して個展を開くことができたかだが、酒井忠康先生が、竹屋蕎麦に食べに行く趣向があって、そこで、話が弾んだ結果、開店が決まった、画廊だからであろうと、推察していた。酒井先生は、毎日現代美術コンクール等の審査員をなさっていたので、そこで、発掘した現代アート系作家に、

 「鎌倉小町通りは、一年で、二千万人の通行客があるのですよ。一週間で、四万人が通るのです。あなたの作品が、大衆に知名度を上げるチャンスですよ」と、おっしゃれば、「誰だって、はい、個展を開きます。そこで」というだろう。で、酒井氏の姿をあの画廊で、見たことはない。だって、6畳程度の狭い画廊で、ソファーも置けない様な場所だから。だけど、そばやのほうは、お客が少なかったはずで、そこで、酒井氏は、あれこれの雑談をされたことであろう。そこでの雑談の中で、美術評論に、人気が出ている私が、一切のお金を取らないことに、美術評論家の一人として「やっつけるべきだと」思っていて、あることないこと、竹屋蕎麦で、語られたと、推察している。それを聞いていたおばちゃん(?)が、わたくしの胸ぐらをつかんで、店の外へ押し出したのだった。桐村茜の、そこでの、二度目の、オープニングの日であった。年度を言えば? いつだっただろうか? 15年から20年近く、昔のことだったと、思う。

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副題7、『居酒屋侘助とは、北鎌倉の文士バーだ。本家の鎌倉には、そういうものが一切消えてしまったので、侘助の存在は、貴重だと、思っている。親戚に樹木希林さんが、いるということでも、プライドの高い、居酒屋だった。看板には、薄いブルーグレー一色で、左下に、一輪の椿、または山茶花・種名【侘助】が描いてあり、それを描いたのは、瓜南直子さんだと、言う話を直子さん自身が、フェイスブックに投稿をしていた。2011年にそれを初めて知った。

 侘助には、浄智寺で、開かれていた、匠の会という、プチ文化人のお集りに、誘われて参加していた時期があり、その会合の後で、皆さんが必ず侘助によるので一緒に行っていた。そういう際に、経営者の奥さん(これから先は、侘助のおばちゃんと呼ぶことになる)に、失礼なことをされたことはない。お仲間がいると、そういう利点がある。こういうことを最大限に、使っていたのが、渡辺豊重さんで、どこへ出向くのも、誰か、女の人を連れて歩いていた。一ノ瀬智恵乎さんを、そばに侍らせて、葉山の、美術館に、赴いていたのは、すでに、書いている。

 で、その後の10年間で、ありとあらゆるフィールドのお友達を引っ剥がしていって、孤立化させようとされているところが現在だ。

 ところで、わたくしはお酒は飲めるのだけれど、2000年以来、深夜まで、書くことと渡河、自著の出版用データづくりを常にしているので、外で、お酒を飲むのは、やめている。で、侘助にとっては、よいお客ではない。大体5000円は、使うのが普通だろうから、コーフィーだけで、帰る私は、よいお客ではない。そのうえ、胸倉をつかんで、店の外へ押し出された日は、土曜日ではなかった。で、お仲間がいなかった。

 驚くことは驚いたが、竹屋画廊で、すでに、経験済みのことだったし、基本ほーしんとして、リアルな世界では、けんかをしない主義なので、黙って、引き揚げた。侘助のおばちゃんは大得意で、わたくしの悪口を言った人間に、「追い出してやったわよ」と、告げたはずだった。

 しかし、2021年5月18日、バスの窓から見た限り、ハイオクに近い衰えようだった。新コロナ禍で、その様に衰えているわけで、もちろんのこと、伊藤亥二郎が、面倒を見るはずなので、休業補償金がばっちりと出るはずで、生活に困るということはないと、思う。だけど、売り南さんが描いた、看板にしろ、塗料が痛み切っていて、まるで、干上がった塩湖でもあるかの様に、ばらばらで、今にも100枚ぐらいの破片として、剥がれ落ちそうだった。特に、南側に接して建っていた家が、売り出されたのか、撤去されて、更地となっていて、侘助のわき腹が見えたのだけれど、外壁を形成している木片が、これまた、釘もサビ切って、一枚、一枚、剥がれ落ちそうだった。

 竹屋画廊の方は、酒井忠康が、開店をさせ、閉店も、酒井氏が、命令したと、考えている。酒井氏は、わたくしの悪口は盛んにおっしゃったであろう。だけど御本人がインテリだから、おばちゃんがさしも野蛮な実行行為をするとは、思っていなかったのだろう。

 そして、四番目が、みずほ銀行鎌倉支店、で、意地悪の限りを尽くした、仕分け人、今野さんだ。2021年、1月、18日だったと思うが、これが、みずほのトップが、銀行協会のトップを、遠慮することにつながるので、すごい話だとは思うのだけれど、わたくしのブログ等を、一回も読んだことのない人は平気で、こういう態度をとるのだった。むろん裏があって、この時は、鎌倉警察署の生活安全課の課長が、裏にいたと、推察している。

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副題7、『みずほ銀行の仕分け人今野さんが、四番目の失礼なことをするおばちゃんだったが、三番目に失礼なことをしたのは、12月9日ごろ、訪れた湘南鎌倉総合病院の、受付(新患の、科を仕分ける女性)おばちゃんを上げたい。なぜか、目がとてもきついうえに、ニタニタ笑っているのだった。その日は、内科の先生も、耳鼻科の先生も若い女医さんで、これまた、気合の入っていない乱暴な、診察ぶりだった。

 それで、私は、この右耳の痛みも敵さんからの、こうげきのいっしゅだと考えた。病院の悪口を言うつもりはなかったけれど、敵さんからの攻撃だと、考えるよすがとして、三人の女性が、意地悪だったことを書いた。

 すると、今回は、事務員は普通で、看護師さんも普通だった。そして、内科、耳鼻科、口腔外科の、すべてのお医者さんが、男性で、丁寧な診察をしてもらった。

 特に口腔外科の待合室(ロビー)の美しいことには、驚嘆をした。こんな美しい病院=待合室=を見るのは初めてだった。最近建設された最先端・医療棟の中にあるので、そうなっているらしい。

 治療がまだ、終わっていないので、この痛みが、外部攻撃か、そうでないのかがわからない。しかし、12月の方、右耳の痛みは、外部攻撃だろうと判断した。そのときは、種々の根拠が、あった。が、今回の左耳の時には、なかった。一般の普通の患者として扱っていただいた。ただ中耳炎でもないし、脳などにも異常がないので口腔外科に行ってみてくださいと、勧められたのだった。そこで、顔の周りを360度回る、レントゲン(ただし、それは、普通の病棟の方にあるので、普通のインテリアの、レントゲン室だったが、機械としては、恐るべきものだった)を、使ってあごの写真を撮ってもらったりした。顎関節症の疑いがあったのだけれど、そうではなくて、筋肉に炎症がおきているのでしょうという診断が、下った。顔を構成している骨に、がんなどの恐ろしい病気があったわけではなくて、「軽いものですよ」と言っていただいた。だが、間歇的に痛いのだ。困ったことだった。

 パソコンを長時間使うので左半身は、20年前から背中が痛い。それが、顔にも及んだのだろうか? まあ、苦しいことは苦しいが、

 わたくしは、慶応病院には入ったことがない。だけど、この湘南鎌倉総合病院の、口腔外科の、待合室の、美しさは、天国とは、こういうところだろうか? と思わせるのに十分だった。特に現代アート好みの人間にとって、美しさを感じるのだけれど、特筆すべきは、使ってある椅子だった。

 色は、地味目なのだけれど、革張りの、ソファーみたいなベンチで、一人分の幅が、1mを超えるのだった。そのベンチが向かっているのは、水族館に使ってある様な、継ぎ目のない透明な壁で、その高さは、8mぐらいで、幅は、15mぐらいだった。そして、カーブを描いて湾曲しているのだった。その外壁の向こう側は、お庭なのだけれど、作庭のプロが設計したものだと、思われた。

 暇なときに、最近の、BCS賞受賞建築物を調べてみたいと思った。ミニマムアートとして、これ以上はない美しさと、言ってよかった。こげ茶色と、自然の、みどりと自然のひかりとの、融合。

 この痛みが、どうして起きるのか? そこまでは、まだ、解明できない。だけど、ある伏線は、回収した。何の複線かというと、・・・・・・

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副題8、『ここで、伏線が一つ回収ができた。おばちゃんという語彙を、わたくしがなぜ、頻用するかの答えを説明できる機会を得た。上にあげた大病院の帰途、バスの窓から、北鎌倉駅前の居酒屋=文士バー【侘助】の看板が、ボロボロになっているのを見たからだった。侘助のおばちゃんが、私の胸ぐらをつかんで、店の外へ突き出したとき、その裏に誰かが、讒言を入れているはずだが、それが、瓜南直子さんだった可能性も感じたし』

 わたくしが、なぜ、小太りの女性で、中年、または、高齢で、極端な意地悪をする女性を、おばちゃんと呼ぶのかの伏線は、この章で、回収できたと思う。

 それは、桐村茜さんが、竹屋画廊のオーナー夫人をおばちゃんと呼んだことをまねしているのだ。

 今般、コシノジュンコさんが、フランスのレジオンドヌール勲章を受章した。だけど、パリに住んでいる、普通の収入の、パリジャンとか、パリジェンヌにとっては、コシノジュンコよりも、桐村茜のほうが、有名だと思う。

 二人とも大変おしゃれな女性だが、普通のパリジェンヌは、桐村茜のほうが、すてきだ、と思うはずだ。桐村茜の作品と、彼女のおしゃれの方向性には、繊細さがある。それは、普通の収入の、そして、インテリである、パリジェンヌが好む方向性でも、あるからだ。

 桐村茜は、日本のテレビでは取り上げられない。したがって、日本での知名度は、一般社会では,圧倒的に、コシノ姉妹よりは、低い。ただ、桐村茜略歴

http://www.akanekirimura.com/%E7%95%A5%E6%AD%B4.html

 というところをご覧いただくと、彼女のすごさがわかる。したがって自信満々な彼女が、自分としては、恩義を感じないといけない存在でもある、竹屋画廊のオーナー夫人(おしゃれは、全くしていない。ただ、ただ、労働をして、夫を助ける日本のお母さんだ。小柄で、和服さえ着ていないのだから。)をおばちゃんというのは、資格があるのだろう。

 わたくしの方には、その資格がない。だけど、意地悪をされるゆえんもない、それ以前に個人的な会話を交わしたことはないのだから。ただ、ただ、政治的な動きが陰にある。酒井忠康氏が、竹屋蕎麦で、あれこれを話したことが原因だと、推察しているからだ。

 侘助のオーナー夫人も同じ。彼女など、私より、10歳以上若いと思うけれど、同じく、おそろしいいじわるをしたので、おばちゃんと呼んでおく。

 みずほ銀行の仕分け担当、今野さんも同じだ。湘南鎌倉総合病院で、2020年12月に、ブースの中に座っていた、女性は、あの時だけ、そこにいた、婦人警官の偽装だったのだろうか? とても、元看護士、または、元助産師などのお顔ではなかった。目がきつい。したがって、おばちゃん呼ばわりをしておく。

 雨宮舜、(本名川崎千恵子)

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