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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

深田恭子の休養を知って、私が、書き表したかった事は、何だったのか?

2021-05-30 21:12:57 | 政治

 今は、2021-5-31の午前8時です。昨日睡魔に負けて、一章だけを書いた以下の文章の*****以下の続きを書き始め、一応、初稿は、おわりといたします。

副題1、『本日のブログを書き始めるにあたってお断りをしておきたいこと』

 わたくしは、今、10本ぐらい、続きを書かないといけない案件を抱えています。2012年ごろだったら、12時間ぐらい連続して、パソコンを打ち続け、3万字ぎりぎりまで、書いて、完成にまで、持って行ったと、記憶をしております。ここでいう完成とは、書き始める前に頭の中で、出来上がっている構成通りに、終わると、言うことを指します。つまり、私の中では、書き始める前に、因果関係とか、起承転結が出来上がっていて、それを表現し得てこそ完成です。2012年後るまでは、そこまで、一日で、遂行して居ました。しかし、今はそこまでの、スピードとエネルギーが無いのです。しかし、こう言う風に書くと、また、敵さんが、大喜びをして重層的な、または、波状的な、大攻撃をかけてくるでしょう。それが、わかっているのに、続きを書かないで、時間を別のことに割いています。

 どうしてそうするかというと、【花伝書】ではないが、努力を尽くしていて、誠意を尽くしていても、成果が上がらない時もあれば、【まちぼうけ】の歌詞そのままに、のんびりしていても、成果が上がることもあるのです。*****それがわかってきたので、体が、要求するままの、休息をとる様になりました。不思議なことに、最近では、12時間程度起きていると、それだけで、疲労困憊して、眠くなることが多いのです。人間の体は、超・超・スーパーコンピューターですから、桜田門のある部屋においてある、超大型スクリーンに、映し出されている、(ご近所のルーターを通じて入ってくる)私の肉体の、大型画面に、あるポイントで、超極細のレーザー光線を当てると、最近、苦しんでいた、耳を中心とする、左側頭部の痛みも、昨日の夜襲われた気象依頼、たった14時間で襲ってきた強烈な睡魔も、出来可能なのではないかと、思っています。安倍晋三総理の、大腸炎も同じだと、推察しています。

 しかし、この紫色のフォント部分を書くと、周辺から、「あんたは、被害妄想とか、関係妄想が強いので、精神病院へ入るべきだ」という方向で、攻められてしまいます。だから、今まで、その種の被害には、30回程度出会っていますが、特別な場合を除いて、外へは出しません。

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副題2、『それとも、アドレナリンの、生成が、減少したのかな? それで、普通の人並みの疲労を感じる様になったのだろうか?』

 で、睡魔の襲来を、違った、理由で、起きていると、考え直す時もあります。それは、・・・・・アドレナリンの、生成が少なくなった、可能性がある・・・・・と、言うことです。1998年のパリ研修生活以来、途中でやまゆり事件等の数多い謀略事件を挟んで、

 プラス(筆力が上がり、紙の本も、自分一人で、工業的出版ができる様になった)の意味でも、

 マイナス(敵からの攻撃を受ける頻度と、深度)という意味でも、本当に激しい、戦いの連続で、アドレナリンが、大量に出ていると、自分でも感じていました。

 特に、1999年と、2000年の秋の、ともに三か月間のニューヨーク研修期間中は、英語が自由自在であること、よい研修場所に恵まれたこともあって、毎日、睡眠時間三時間で突っ走りました。しかし、4日目位には、やはり、疲労がたまって、7時間ぐらい寝ます。だけど、次の日から、また、三日間3時間睡眠で、生活します。夜は、一人暮らしで、しかも、半地下でも、2DKの一人だけの、住空間を確保していたので、パソコンを使って、ものを書くという習慣を形成していったのです。そして、帰国してからも、いわゆるてんぱっている状態が、長く続きました。

 それで、あまりにも速いスピードで、しかも、大量に文章を書くので、この文章の読み手として、特殊な任務を与えられていて、私の思考を監視し、そこから、対・私への・緩慢なる暗殺の、手法を考え出していた、井上ひさしが、『ついていけない』となって、日本ペンクラブ会長とか直木賞審査員、委員長の、職務を放棄して、私、監視専門となるべきだと、判断をして、自分を死んだことにしたのが、2010年4月10日だったのです。

 むろん、私の方も高齢化による、準備は、し始めました。2010年から、母の看病もあるので、紙の本の興行的出版はあきらめ、そのころ、私の、気持ちに反して、敵側から、メルマガの配信ができない様に手配をされたので、メルマガで、行っていた、美術評論も、自動的に、終始することとなってしまいました。英語で、書いてもいたので、世界へ、発信できる文章でもあったのですが・・・・・まあ、次から次へと、奪われた宝物は、多いです。が、

 その次に、中断したのが、美術の仕事ですね。という風に縮小して行ったのですが、ブログだけは、通常通りにと、思っていたのに、毎晩、完成まで、持っていけなくなった…‥ので、その原因を考えているところです。まず、アドレナリンの、生成が、量として、現象をしたことが、あろうとも考えています。これは、私自身の、気分の問題ですが、なぜ、気分が、ゆったりとしてきたかという、答えを書きたいと、思います。

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副題3、『少しずつ小出しにしてきた、この現代日本の、真実について、とうとうそこまで書くかというところまで、書くことができた。

 =======平木家の、ご長男に前年度の秋から、・・・・・お宅のご長男は、東大への、推薦入学が可能です・・・・というお知らせが入っていた。その、理由は、平木家一家が、この山での、CIA側代表である、前田家と、安野家に、小さい時期のお子様まで、使って、奉仕し、彼らの、過去の悪事を洗浄化し、かつ新たな、攻撃に対して、協力をしたからである=======

 という、真実は、2006年の、月間ギャラリーの連載中だったら、絶対に書かなかった、新j津でしょう。それと、2016年に、起きた富沢家の高枝切りと、言う真実が、無かったら、書かなかったはずです。富沢家の高枝切りは、その後、最近、起きている関本家の高枝切りと、言う事案や、鎌倉市会議員選挙の際に、再燃した、市役所の、深沢への移転騒動さえ、引き起こしていますし。

 しかし、考えてもごらんなさい。上の青みどり色のフォントで、書いた、部分は、すさまじいことです。

 2021年度、高校を卒業する生徒が、80万人いると仮定します。そのうち、60万人は、何らかの形で、それ以降も学習体制に入ると思いますが、中に、「東大を受験する、生徒が、クラスに、1人から、15人は、います」と、言う高三の、担任教師は、1000人から、1500人は、いると思います。不合格な生徒の数は、表に出てこないので、数えられません。しかし、1500人ほどの、高校教師は、受け持ちの生徒が、東大に願書を出すという生徒だと、思います。

 そういう先生が、このブログをもし読んで、・・・・・前年度の秋のうちに、東大合格を、一家全体で、知っており、ご本人は、ショパンの、英雄ポロネーズをジャンじゃカジャンジャカ、勝利感に酔って、高らかに弾ているのだ・・・・・と、知ったら、どう思うでしょうか?

 しかも、そういうことが起きるのは、CIAの裏からの工作があって、日本現代政治の真実を、語り続ける、私に対して、隠密裏な、攻撃を、行ったからの、ご褒美であると、知ったら、どう思うでしょうか。

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副題4、『こういうことが平気で行われたのは、1986年に、つうしんぼに、1と、2しかないと、いうことで、公立の男成中学校で、超有名だった(ただし、いじめの対象にはなっていない)ご近所生徒様(安野忠彦夫妻の、次男様)が「国立大学の付属高校にご入学になった」そうで、

 しかも、その3年前の、1983年には、私の長男が、私立中学二校を、不合格にされています。こういうことは、北久里浜で、旧水道山を、私有化する大規模な、詐欺事件(しかし、書類上は、地籍変更届という、形をとっているので、詐欺ではないそうで)の、裏側を、全部知ってしまった、私に対する、瀬島龍三の、復讐でした。北久里浜で、その事業を実際に行った、益山重夫(名義上は、その義弟、仲野通巳吉)は、陸軍中野学校で、瀬島龍三と、知り合ったであろう、元、海軍参謀だったからです。

 瀬島龍三は、すでに死んでいるはずですが、そっくりそのまま、その遺志は、伊藤玄二郎・かまくら春秋社社長、石塚雅彦・元日経新聞論説委員にして、早稲田大学教授、成岡康司君などに、引き継がれているので、こういう恐ろしいことが平気で、行われています。

 そのうえ、2020年12月22日に、私は、武蔵小杉の、病院内ドトールで、ぬるい水の、中に、ひそかに入れ込まれていた、新コロナウィルスで、感染して、病院に収容されて、殺されるところでした。22日から、二週間目は、1月4日なので、そこで、病院に、収容してしまえば、あとは、なんとでも、なると、言うのが彼らCIAエージェントたちの考え方です。しかし、ぬるい水を、飲まざるを得ない様に、同時に注文をしていた、ミネストローネスープは、超高温にされていたので、そちらが、150㏄、水が、10㏄だったので、胃や、食堂内で、ウィルスは、死んだ模様で、私は、発症をしませんでした。しかし、発症を隠していると、みなされて、国会で、「そういう人は、収監すべきだ」と、言う法律が危うく、成立しそうだったのが、2021年1月13日を、頂点として、国会での、与党、野党の、攻防でした。

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副題5、『彼らは、私がすでに死んでいるはずだから、安心して、平木さん一家に、東大入学式へ出席させようとしていたのだけれど、私は、まったく彼らの、思惑とは違った行動をとったので、困った彼らは、一方で攻撃を行いつつ、ごく最近では、

 慰撫の方向の、番組を、NHKで流している。それが、土曜日(今回は、2021年5月29日の、午後一時からの、古巣馨氏の番組の再放送だったし、夜の鹿川君の同級生の告白番組だ。

 しかし、一方では、激しい攻撃をやめない。その一つが、シャルリーエブド事件以来始まった、対私への攻撃で、前田家で、二階の窓を素通しのガラスにして、オレンジ色の、大きな天井等を、私が、東京から、帰宅する時間に合わせて(それは新橋駅の、エレベーターの、監視カメラを使うのだと、思うが)、点灯することから始まって、夜の12時まで、点灯をすることだった。それは、以前に、テロリスト呼ばわりをして、渋谷の、喧騒の中で、拉致してしまおうと、されていた、仕組みの鎌倉雪の下への普遍だった。渋谷の方では、それを、遂行するために、ハロウィンが、奨励されていたが、私が、渋谷でどういう目に出会っているかを書いてからは、渋谷のハロウィンも甘やかされなくなった。渋谷の、喧騒を利用して、私を拉致することは、私が、事前に、それを知っていて、用心する限り不可能だからだ。

 前田家は、祝一氏が亡くなるとさすがに、一階と、二階の両方で、夜12時まで、点灯をすることが、異様であるとは、気が付いたらしくて、玄関灯をオレンジに変えて、それを、夜12時まで、点灯する様になった。

 オレンジ色の電灯を使うのは、それは、それで、白井達雄・小野寺夫妻が絡んでくる政治的な意味があるのだけれど、ここでは、煩雑に過ぎるので、それには、言及しないでおく。

 そして、そしてなのだ。平木さん一家が、距離が、40mは、離れている前田家よりは、ずっと、近い、(距離が、15mぐらいである)位置で、これまた、二階の、オレンジ色の電灯を点灯し始めた。開始は、2021年4月13日以来である。で、東大への推薦入学が、本当の事だったと、思い当たる。

 これから、ずっと、私が、死ぬまで、または、平木さんが、家を、改築するまで、その行為は、続くのだろうと、思っている。

 しかし、しかし、なのだ。この、2021年4月10日(土)の、夕方、初めてあそこの家の門内で、10分程度滞在していて、やっと出てきた平木夫人と、3~6分間、話した、ことで、

 今まで、善良そのものだと、推察していた、平木夫人が、相当に、したたかで一種の悪女であることを知った。和風の清楚な美女で、すれ違うだけでは、悪の要素など、一切感じていなかったのだけれど、

 わたくしが、訪問をしているのが、わかっているのに5分以上出てこない(これは、2005年の初冬に、石川和子夫妻が、自分たちの性欲の亢進のために、猫を迎えに来た私をいじめていた時期の行動と、そっくり、同じ、行動なのだが、)とか、

 関本夫人の、高枝切りについて、彼女が鎌倉市の広報を読んで自分で、申し込みに行ったのでしょうなどという、シャーシャーとした嘘を平気で、つくことを、知ったので、100年の恋も冷めるというか、びっくり、仰天して、自分の心の中から、追い払ったので、何をされても、平気である。

 この体制で、2025年、平木青年が、東大を卒業するまで、または、2027年に、東大の、大学院を卒業するまで、貫き通すつもりだろうと、思う。平木家は、外から見るとLDK以外の部屋が、5個はある様式なので、一間だけ、夜も、昼も使わないで、いて、大丈夫なのだと、思っている。

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副題6、『私が、すさまじい被害に、あっているのは、現代日本社会が、内包している嘘を、暴いているからだけれど、

 深田恭子は、そういう動きをしているわけではない。

 しかし、現代・全・世界が、そのルール下で、動いている、資本主義体制の中で、表向きは、勝ち組(または、現代日本で、もっとも、美しい女優)として、扱われながら、実質的には、プロダクションの、奴隷と化していた、事実を、見ていると、彼女も、犠牲者であり、とうとう、病に倒れると、言うほどの激しい酷使があったことを、知り、

 一つの社会現象として、記録をしておく必要を感じた。

 この文章を、書き始める最初期の総タイトルを、深田恭子・休養 + 鹿川君・同級生告白 + 古巣馨・長崎司教区司祭のお話(NHK心の時代)としていたのは、深田恭子と、鹿川君は、現代・日本・社会の、矛盾の犠牲者であり、

 人間として、どういう生き方が、望ましいかの反省を迫っている木鐸であり、

 古巣馨、司祭が、語った三人の市井の人の生き方に、その反面教師としての、生き方があると、思われるからだった。

 三人の市井の人とは、一般的な解釈でいうと、弱者である。わたくしは、三年ぐらい、この番組を、見続けているが、この回が最高に感動的だったと、覚えており、初回放送の時に、三度ぐらい繰り返してみた。

 三人とは、親の育児放棄のために、小学一年生の、二学期の初めに、急性肺炎で、死んでしまったひとみちゃんと、言う小さな女の子、

 それから、古巣司祭が、高校三年生の時に、実家から、遠く離れた神学校に寄宿生として、通学しており、久しぶりに、帰宅した際の、ご母堂の言葉や、行動様式、

 三人目は、離島の、精神病院に、30歳の時から、ずっと、収容されているミネヤンと、言う老人(男性)の話だった。ここでは、その三人のどこが、素晴らしいのかは、語らない。

 だけど、NHK+を持っている方は、ぜひ、ご覧をいただきたい。初回放送は、23日の早朝だったと、思うけれど、再放送は、29日の、午後一時だった。

 本日も診察に行かないといけない科目があるので、ここで、パソコンのそばを離れることをお許しいただきたい。では、

 また、自分としては、推敲や、誤変換直しが済んでいない文章に、署名を入れるのは、いやだけれど、ご近所様の実名を挙げているので、こちらの、実名をも、挙げておきたい。

 2021-5-30から、31日にかけて、これを書く。雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

なお、このブログの、2010年より、数え始めた、延べ訪問回数は、6450601です。

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