銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

エフェソス、宮崎明子、立花隆、Mr.笠松某(筑摩書房編集者)

2024-04-11 17:21:53 | 政治

 最近、非常に込み入った、(換言すれば)、暗い話が続いているので、味わいを少し緩和するために、冒頭に写真を置くことにしています。今回は、トルコ・エフェソスの遺跡の、ほぼ真ん中=トラヤヌス帝、彫像=ただし頭部がない=前で、スケッチしたものです。 

副題1、『立花隆と、宮崎明子(TV東京の前身NETの硬い方の番組のプロデューサー、ICU四既卒)』

 これは、書くのに、非常に時間がかかっています。恐れ入ります。ただ、時間がかかった理由は、川喜多かしこ、川喜多和子、川喜多記念映画文化財団、川喜多賞、堀越健三、柴田駿、川喜多長政、川喜多映画記念館、フランス映画社、ユーロスペースなどについて、ウィキペディアを調べていたのです。

 昔、トルコの大遺跡・エフェソスで、三キロ平方の中で、たった二人の人間として、立花隆と出会った私は、彼を軽蔑しました。が、ただ、一行、「僕は物書きだから、他人の書いたものは読まないのだ」というのは、1980年代から、オリジナリティを大切にする現代アートをやっている人間として、共感をしています。

 上の写真は、まさしく、この絵をスケッチしているときに、立花隆と出会ったのでした。ただし、これは、はがきサイズに小さくしたものをさらにスマホで撮っているので絵としては、まったくよくないのですが、今、反町のアパートにいて、他にデータがないので、これで恐れ入ります。

 ただし、喧嘩になったのは、彼があまりにもトルコを汚いとけなすからでした。トルコ人を馬鹿にするからでした。

 エフェソスは、初期キリスト教伝道の地であり、私(とか、10既卒までのICU生にとっては)、APOSTLE(4cm厚さのpaper back)ほかで、勉強しきっているので、非常に大切な都市(または、遺跡)なのです。でね。この紙のスケッチを宮崎明子さんが、10万円で買ってくださったのです。当時、日産自動車の、研究所・所員だった、主人の給料が11万円でした。だから、この一枚に、宮崎明子さんは、現在の貨幣価値にすると、35万~40万円ぐらい出してくださったということになります。それほど、初期のICU卒業生にとっては、大切な遺跡です。パウロの伝道の街で、キリストの母マリアがこの近辺で、亡くなったともいわれています。

 ところで、これは、小さな余談ですが、今、かかわりを持っているリロケーションジャパンの、私担当の社員TO君とは、常に新宿の紀伊国屋書店・洋書部で会う事にしていました。で、この本も、また、盗まれたのですが、紀伊国屋洋書部では、(今は無いが)、取り寄せられるといっていました。思いがけないメリットでしたが、4500円ですって。泥棒による、これも被害の一つです。というわけで、話があっちこっちに飛ぶようですが、私の頭の中では、すべて統一が取れているのです。恐れ入りますが、自分としては、散らばった話を書いているつもりはないのです。

 ともかく、エフェソスとは、私にとっては、相当に、いろいろ、知識のある世界なので、それをけなされたから「少しは事前の勉強をしてきたらどうですか?」と言ったら喧嘩になったのです。いや、お互いに罵ったわけではありませんよ。彼はむっとして、私より先に丘を下って行ったのですが、平野の、遺跡外のひまわり畑で、私を迎えに来た、私の主人と出会ったのです。そこで、口を極めて、「上の方に生意気な女がいる」と、言ったそうです。私たちふたりが夫婦である事を知らないでね。(あ、は、は)

 私たち夫婦は、義弟が、当時トルコを日本が援助するプロジェクトを、日本人が五人だけで、指導をしていたので、高いホテルに泊まりました。当時の日本円で、1万円から2万円です。一方の立花隆は、一泊600円のホテルだそうです。だから、スタッフの誰も英語ができないのでした。で、ずっと、会話がない状態だったので、久しぶりに、丁寧な態度をとる主人と日本語で、話ができるので、立花隆は、相当に喜んだみたいですよ。で、私の主人に向かって、「あんたはどこに行ったの?どこがおもしろいと思ったの?」と聞いたそうです。で、主人が「今日は、セルチュク博物館に行ってきました」と言ったら、立花隆は、そのあとで、そちらへ向かったそうです。午後3時半か、4時にそこに入ったでしょう。で、一時間ぐらい見たはずです。

 で、彼は、1980年よりも、ずっと後で、私がブログで、『紫色のズボンの男』というエッセーをメルマガで、配信したのを、伊藤玄二郎か、石塚正彦さんか、秋山豊寛氏から、聞いてね。急遽

 【『エーゲ 永遠回帰の海』書籍情報社、2005年、ちくま文庫、2020年、須田慎太郎(写真)】を出版しました。普通だと私は気が付かないのですが、朝日新聞の書評欄で、「売れてる本」というコラムがあって、そこで、「印刷技術の発達に驚く」というお褒めの言葉があったので、驚いて買ったら、印刷所で、全版という大きな紙の、表に文章、裏に風景写真を印刷して、折り畳みカットすると、こういう本ができるのです。私は、自分が本を作るので、何のこともない、技術なのですが、それを現場で知らない人が、お褒めの文章を寄せているのでした。

 でね。これは、朝日新聞の縮刷版を見ると、何年の何月だったかがわかるのですが、驚いたことに、24-4-11には、初版本がなくて、ちくま文庫版しか載っていないのです。しかも、2005年発刊ですって。つまり、書籍情報社の初版データがない。

 もしかすると、立花隆のセルチュク博物館が、一番面白かったという記述が抜けているのではないですか? 私は本当に笑いながら初版本を読みました。カメラマンの助けを得ていて、豪華本みたいになっているけれど、心は、ちっとも入れ込められていない。ただ、ただ、セルチュク博物館だけほめてある。でも、そこは、うちの主人が、私が絵を描いている間、時間が持たないので、出かけたところで、立花隆に推奨したところでした。

 ところで、この章で問題なのは、宮崎明子さんとの間が割かれてしまって、絵が届いたかどうかわからないことです。もし、10万円をもらっていたら、本当に申し訳ない。でも、割いた人は石塚雅彦さんか? ????? ともかくメディア界、または、日経新聞内の偉い人でしょう。テレヴィ局内では、明子さんが、一番偉いぐらいでしたけれど。

 それは、今、リロケーションジャパンの社員、TO君との間柄が割かれていることと同じで、延々と、45年間も続いていることです。

 さて、大問題は、笠松さん夫妻です。敦子夫人と夫様、夫氏は、たぶん東大卒です。これは、個人的ん好悪とかではない。言論弾圧が、編集人によって行われている典型です。

 でも、私が今、思っていることを書くのは、あまりにも無残な話なので、お嬢様のために我慢をして書きません。いわゆる予言というやつですが、我慢をします。お嬢様は、早稲田卒で、たぶん、1972年生まれです。1994年のわたくしの個展に来ていただいている。幸多かれと祈ります。

 でね。腸詰やと、川喜多記念館、そして、川喜多和子さんの、一族(お子様が、いらっしゃったかどうかを知らないのですが)について、そして、カラックス監督の映画TOKYOに、ついては、結論まで、達していないので、一度、引っ込めます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今、高級な会社で工事をして... | トップ | 巷房で出会い、話が合ったMr... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治」カテゴリの最新記事