銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

小室圭君-4・・・・・・最高の模型が手に入ったので、警察の悪辣さと、渡辺賢司の悪辣さを説明しやすくなった。秋山裕徳太子、ここにも登場するし

2017-09-08 03:16:12 | 政治

 最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。

 これは、去年、谷垣禎一さんが、自転車事故で、多分ですが、亡くなった日に放映をされた、テレビ東京の、ワンクールに一本放映をされる特別番組、ドリームハウスの動画から、私がj-peg file 化したものです。真っ白いボードを使って、専門家が作り上げた、美しい地形の、立体模型の中に、鼠色で、描かれた、道があります。もちろん画面処理上で、色付けされたもので、白地の模型は最後まで、白いでしょうが。

 その道ですが、下からは、高低差26m上がる石段で、全長が、95mだそうです。赤く塗りつぶしたところは特に傾斜がきつい部分です。【しいち稲荷】という小さな祠の近辺は、斜度が、30度あるそうです。私も毎日、それを上下しているのですが、この番組の主役とは、道路一本隔てて、真北にできた、構造的にも見かけ上も、非常に、新しいデザインの、360度ガラス張りの家です。柱は、鉄柱で、大屋根を支えておりますが、それは、目立たない形で、窓の、外にあるという珍しいお宅です。白いブラシで、乱雑に塗りつぶしてある四角は、そのお宅の苗字が書いてあるのですが、この模型ズを使わせていただいているので、それだけは、塗りつぶしました。大変な取材費がかかっている番組だったと思いますが、無論の、事、石塚雅彦さん(鎌倉エージェントの重要なメンバー。小室圭君の、一月のリークの際には、動いたと、推察している人物)等の、おすすめが、あったから、取材をされたと、考えております。

 つまり、絶対に車が入ってこない、というこの地域を説明するのに、これ以上はない模型です。それなのに、私は、警官から、交通事故の調書を取って脅かされたのです。理由は、私の猫に背かれた柳沢昇が、パニックに陥って、警官を呼び、「あそこの奥さんを、旦那に叱ってもらって下さい」などと、自分の悪さを棚に上げて、とんでもない事を頼んだ際に、二人の警官のうち、若い方が、特に、とろくて、そういうバカげたことをやったのです。

 しかも、それが、原因で、私は、実際に交通事故に出会ったのに、警察が、もみ消しましょうと言うので、聖路加病院の、治療代(と言っても、看護師が、血をぬぐうために頭を洗ってくれた以外、何もして貰えなかったのだが、)6万5千円を自分で支払い、怒りのあまり、一晩徹夜で、委細を書いて居る、次の日に、やっと、午前八時半に、寝床に付いたら、渡辺賢司という男に、午前10時半に、大音響で、布団を叩く音で、起こされたというわけです。

 この地域は、非常に特殊であって、私が、犠牲になっているアジサイ畑欺罔事件と言うのがないと、引っ越しも、リフォームも新築もすべてできなかったであろうという過去があるのに、それを、知らないらしいことをいいことに、

 アジサイ畑欺罔事件以降に、新築をして、引っ越してきて以来、30年間、一度も向こうから挨拶をしない男が、渡辺賢司なのです。『ものすごく不器用なのだろう』と、考えていましたが、小野寺夫人と言う方に向かっては、挨拶をしたので、小野寺夫人に対しては悪意はなくて、こちらには、悪意があるわけです。と言うのも小野寺夫人と言う方は、渡辺賢司よりずっと後に引っ越してきた人なので、渡辺賢治は、彼女に、負い目を持っているわけではありません。負い目を持っているのは、対・私だけなのです。そして、『お世話になっている相手に、それほど、悪意を持つのはなぜか?』と、常に考えて居た処、飛んで火にいる夏の虫の典型として、見事に、引っかかってくれたわけでした。前田祝一・清子夫妻の、指導か、命令か、それとも、安野忠彦・智紗夫妻の命令かは、知りませんが、午前10時半に布団を叩いたので、私は飛びついて、それをブログ化し、それ以降も何度も何度も使わせてもらっています。人間は誰でも、任務を持っているというのは真実であり、渡辺賢司は、鎌倉エージェントの悪辣さを証明する格好のアイコンなのです。そういう任務を担っているのでした。は、は、のんきだねと、言って置きましょう。前田家は、異常なレベルで、私道部分を使っています。反対に我が家は、コンクリート詰めされて居ます。その理由は処々あるのですが、ここでは割愛をします。

 というのもこの近辺の、連中の悪事を隠すために、すさまじい数の殺人事件がすでに起こされて居て、それのすべての真実が、判っている私を黙らせるためには、殺す以外ないと、考えている連中が居るからです。布団を叩いて、交通事故の直後の、輸血もしてもらっていない弱った体を寝かせないという、毒牙を彼は、向いて、来たわけですが、それでも、それが、鉄砲とか、ピストルではなかったという点が、やや、リラックスをさせるポイントなのです。で、書きやすいのですよ。絶対に書き続けます。相手は、子供ではないのですからね。真実を知ったら、取るべき態度と言うのがあるでしょう。それを取らないのですから、書き続けます。

 この件は、後で、リンク先を示して、丁寧に語ります。が、もっと、激しい、もっと恐ろしい事があるのですが、それが、書けないので、勿怪の幸いとして、彼の事を、しつこく書かせていただいています。布団を叩くという行為は、彼にしてみたら、殺人への行動でも何でもないと、思って居るのでしょう。だから、面と向かって謝罪をされたこともなく、かつ、ブログを書いて居るのにも関わらず、相変わらず、挨拶もしないで、通り過ぎます。ですから、書きます。特に、対象が私なのだという事と、行為が単純だと言う事で、書きやすいのです。で、何度も、使わせていただいています。・・・・・小室圭君の裏に、鎌倉エージェントが居るのだ・・・・・という話にも使わせて頂いています。

副題1、『突然のひらめきが起きて・・・・・』、

 8日の午前三時半の事ですが、突然のひらめきを得ました。

 井上ひさしの坊やは、1990年生まれです。どこの産院だったかは聞いて居ません。だけど、眞子さまも、その年であり、圭君も同じ年の生まれです。

 紀子様、小室圭君ママ、井上ゆり夫人の、三人は、どこかで、接点があったのではないでしょうか? 産院が同じ、または、マタニティ教室が同じだった?

 又は、青山の、子供の城(ただし、今は、無くなっている)のサークルでご一緒だった? または、藤沢のスイミング教室、テニス教室、または、乗馬教室? それは、藤沢ではなくて、横浜でもいいし、東横線沿線のそれでもいいのです。

 この婚約はあまりにもスムーズに運びすぎて居ます。それで、ふとこの様な、感想を持ちました。

 報道をされている通りの、単純な恋愛だったとは思えません。

 私の方は、無論のこと、前報(後注1)を、お読みいただきたいところなのですよ。ただ、この突飛な発想を目立たせるために、是だけで、一章を起こしたというわけです。

 なお、8日の午後、1時まで、総タイトルを、『小室圭君ママと井上ゆりさんは、産院が同じだったかな? 小室圭君の後に鎌倉エージェントの保護があるのは、確実だ』としておりました。が、変更しました。突飛すぎる総タイトルは後々、命が短いでしょうから。

 突飛すぎることをさらに続けていくと、井上ひさし家の坊やと、小室圭君が、ママどうしではなくて、本人自身の認識ができて来た後で、どこかで、つながりがある可能性も感じています。塾が、一緒。特に小学校入学前のそれで、一緒? また、大学を考えてみましょう。まさか、井上さすけ君が、ICUに学んでいる? それはないと、思いますが・・・・・ともかく、井上家では、<上流階級とは、テレビには、出ないものなのだ>という事を、この坊やの時代から、実践しようとしているらしくて、この坊やの事は、一切情報が、世間に出てきていません。テレビに出るという事は、お金と名誉を得る近道ではあるのですが、反面、大衆のパンとサーカスの、道具(または、餌食)となる可能性を秘めています。だから、出しません。

 好子夫人との間の、三人のお嬢さんは、さまざまな形で、メディアに、その情報が、出てきているのですが、大権力者であり、かつ、現在も本当は、生きて居る井上ひさしが、特殊なルートを通じて、メディアに、激しい規制をかけているのでしょうね。だから、坊ちゃんに関しては、一切外へでて来て居ません。が、私は、鎌倉の小町通りの出口で、お父さんと一緒に一緒にいる坊ちゃんを見ました。小学校の高学年か、中学の低学年のころだったと思います。10年以上前ですね。だから、存在していることは確かなぼっちゃんです。

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副題2、『日吉に、謎があるのだが、そこから、私に判ったことを100%は、ブログで、書くことができない。だけど、日吉には、もう一つ拠点があった。それが、八幡製鉄研究所だったけれど』

 私は、この章の、第一節は、8日の早朝に、三時間程度さらしておりました。しかし、いったんひっこめたのは、前報を、お読みいただきたかったからです。そこには、重要な事をあれこれ、書いて居るつもりがあるのですが、二番目に、重要なことは、日吉について、書いて居る部分です。一番目に重要な部分とは、まだ、書ききれていない秋篠宮さまと、鎌倉エージェントの関係ですが、二番目に重要なのが、日吉という町の戦後の歴史なのです。

 二つの事を暗示しているのですが、重要なことは、一つ目は、ネットで、それが、公開されていた小室さんの母方の、祖父、又は曽祖父が、勤務していた会社と言うのは、日吉に在ったとされているが、もし、その会社が、本当に実在をしていたと仮定して、日吉駅からは、通う事が出来るが、実際には、綱島か、元住吉の、範囲内にあったのではないだろうか? そこに小さな嘘はないだろうか? と言う点です。

・・・・・しいて言えば、企業として、日吉には、花村組と言うのがありました。花村組は、いろいろなことに手を出している会社でした。最終的には、土木建築業で、おさまったみたいですが、・・・・・・ここしかないとなると、或る問題が生じます。しかし、それは、書くべきではない話です。

 しかし、おやりになっていた作業を、職種的に考えると、違うらしいです。そうなると、その会社は、従業員が、3~5名しかいない規模の、ほとんど、商店と言ってよいくらいの小さな会社となり、正田美智子様が、ご婚約なさった時の、正田家の、祖先とか、父君の職種とかと、比較をすると、雲泥の差があります。もちろん、将来天皇に、成ることが確実である、皇太子のお妃さまと、臣籍降下の予定がある、眞子さまとは、重みが違うと言えば違うのですが、それでも、小室圭さんでいいのか、どうなのか? ・・・・・という論議が、まったく起こらない点が、不思議なのです。

 次のポイントが、八幡製鉄所研究所の事です。私が時々散歩に行って、麦秋の時期の、そのあたりの、美しさに感銘を受けた丘の上に、忽然と、横長の、国際基督教大学本館と、そっくりな、大きなビルが、姿を現して、研究所だと、言う事となりました。昔は花火大会が、隅田川と、多摩川丸子橋近辺しかなかったのですが、丸子橋方面のそれを、丘の上から、見下ろす、眺望が最高の場所にできたのです。

 これから先に述べることは、たいへんうがった、観察ですが、日経連とか、経団連が、ブルジョワ側の、心意気を示すために、この研究所を八幡製鉄所に、作らせたのではないかと言う事です。

 美智子さまが、おやりになることは、何から何まで、姑である香淳皇太后をイライラさせて、つい、昔からの、グループである、皇族の姫宮方を、募って、美智子妃いじめをなさっていたというのは、美容院で、読む女性週刊誌が、書いて居た事ですが、それを、読まなくても、日本国民なら、誰でも、それが、見えましたね。

 これは、高淳皇太后が、意地悪な女性だったというよりも、そこで、初めて、いわゆる、貴族階級と、ブルジョワ階級の対立が、皇室にもちこまれたから起きた事でしょう。香淳皇太后は、貴族中の貴族ですから、衣食住、すべてにおいて、かしずく、女官が処理する立場です。子育ても乳母が居て、かつ、普通の家庭では、そこからが、大変である、中学や高校時代も、その後の大学が、競争無しで、入学できる学習院だったので、ありと、あらゆる現象に、たいして、ご自分の努力とか、工夫の要らない世界で、暮らして来られた方です。

 したがって、遺伝的には、賢いという資質を、お持ちになっていたとしても、それを後天的にさらに発展をさせて鍛えぬくなどと言う仕組みからは、遠いところで、生活をしてこられた方でした。そういう環境に置かれて来た香淳皇太后は、自動的に、全女性のトップに立つという事を、引き受けられ、何の、疑問もなく、その生活を、送っていらしたのでした。

 ところが、テニスコートの恋と言うのが発生して、突然に、香淳皇太后は、ご自分が、庶民から、正田富美子夫人と、比較をされて居る、並列の立場に、置かれていることを、発見なさったのです。そして、頭は、充分によい方だから、ご自分の方が、女として、また、一人の人間として、能力の上では、劣っていると、考えざるを得ないところに、追い込まれたと、お感じになったと、思います。

 体型ひとつとっても、香淳皇太后にとっては、正田富美子夫人に追いつく機会はもうないと、思われるほどに、二人は、違っておられました。香淳皇太后の、得意な、点としては、エンプレススマイルと言う、微笑みがありました。ふっくらとした、お顔に、切れ長の目、体型もふっくらとして居て、いわゆる天平美人の、系列に繋がる方です。

 一方の正田富美子さんは、すらっとして、姿勢が良く、黒門付き姿など、お人形の様に、美しかったです。それは、小さいころからの、気配り目配り、努力と、工夫の限りを尽くした生活から、生まれた事であり、何十万回の動作の結果ですから、香淳皇太后には、すでに、得ることのできない特色でした。だからこそ、深い嫌悪感をお感じになって、坊主憎けりゃ、袈裟まで憎いの典型として、美智子さまいじめという事があったわけです。

 ここで、八幡製鉄の研究所が出てくるのです。それは、建物は後に消滅して、住宅地に変化してしまうのですから、ひとえに、水島三一郎博士(東大名誉教授)のために作られたと、考えている・・・・・のが私です。そして、水島三一郎博士とは、現在は、皇后陛下と、成られている美智子さまの、叔父にあたる方なのでした。

 何の愚痴もおっしゃらない正田家の、苦境を救いたくて、これを、作ったのが、日経連とか、経団連幹部の、心意気だった様に、思うのです。うがった見方ですけれどね。

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副題4、『水島家の、したの方のお嬢様が、節子さんで、その方は、現在、皇族の女性たちの、相談相手と、成っておられるだろう。黒田清子さんがその任に当たっておられるとは、報道をされて居るが、節子さんの事は、報道をされて居ない。なぜか?

 これもまた、上流階級の人は、テレビに出ないの典型なのだけれど、もう一つ理由があって、

 それは、1966年・国際基督教大学卒であらせられるので、私、と、それ以外の、このブログに登場する、人々とは、同期生だからです。

 そして、節子さんは、2009年から、2012年に掛けて、私をいじめるための重要なアイコンとして、散々に、連中(=鎌倉エージェント)が、利用した、女性なのです。

 特に、すさまじい恥を搔かされたと言うか、いじめを受けたのが、2009年1月19日の、居酒屋での、扱いでしたが、その時に、モズクの酢のものを、私が、自分の、著書(新刊)を入れていた紙袋に投げ入れた人物がいるのです。それを発案したのが、節子さんか、それとも井上ひさしあたりかが、大問題なのです。

 どういうことかと言うと、有楽町傍の、グループ向け居酒屋【吉乃翔】で、私が、自分の荷物を、置いた場所から、離れていた、90分間に、私の著書【黄色いさくらんぼ】を入れていた紙袋に、モズクの酢の物を入れた人間が居るのですが、それ以上の、いじめ用、展開も、その日には、あったのです。そのモズクの酢のものを入れたのは、その日だけ出席をしていたドイツ人だと、思うのですが、彼は、ある友人(日本人女性で、ICU同期)の旦那さんなので、書きにくいのです。まあ、こういう事すべてを、私の方が、書きにくい事おびただしいのです。が、妹が殺されたという事態を迎えては、相当に、はっきりと、物事を書くという事となります。

 ところで、モズクの酢のものの話は、すでに書いて居ます。特に神様のご支援と言う形では書いて居ます。それは、実は、私の新刊は、すべて、一切汚れて居なかったという点で、『ああ、お恵みを受けたなあ』と、考えたからです。科学的に言うと、本は重いので、紙袋を二重にしていたのでした。で、モズクは、外側の紙袋に入って居て、内側の紙袋に入っていた、新刊は、まったく汚れて居なかったのです。

 この時の新刊は、【黄色いさくらんぼ】と、言うタイトルで、本屋にはおかず、ただ、美術界の知人に500分程度、献呈しただけなのですが、或る時気がついたら、AMAZONで、10800円の値がついていました。面白い事は確かでしょう。

 それに対抗する本として、節子さんが、PHPから出版をしたのが、【凛としたシニア】です。

 彼女がPHPから、そして、秋山裕徳太子氏が、晶文社から、この二つが重なった時に、『小ガッコ言う時代のお友達が、嬲り殺された、事実が分かったと、私は、過去に書いて居ます。そのときは、秋山裕徳太子氏の方だけを、取り上げたわけですが、

 2009年1月19日(月曜日)に、【凛としたシニア】の背表紙を見ただけで、それが、既にわかったのでした。

 その嬲り殺された友人からは、「千恵子ちゃん、私の事を書いて」と、頼まれています。しかし、まだ、書けません。やっと、銀座(京橋を含む)の有名画廊のオーナー山口みつ子さんは他殺ですと、書いたところです。

 そこで、重要な働きをしたのが、保坂涼子さんと、秋山裕徳太子氏だと、書いて居ます。保坂涼子さんの方は、航子と言う名前で、ギャルリーユマニテと言うところで、引き続き個展をしております。

 私は、ここがこう成って居て、ああなって居て、と書きたいですよ。しかし、嬲り殺された小学校時代の友人には、お子様が居ます。それ故に掛けません。山口みつ子さんには、お子さんが居なかったのです。その上、読売新聞と、村松画廊のオーナー川島さんさえ使って、そして、今は、ギャルリーユマニテが、使っている、旧山口画廊の、入り口のドアの写真さえ利用して、自殺だと暗喩されたので、怒って、怒って、書いて居るわけですが、お子さんのある方については、難しいのです。ただ、ただ、嬲り殺されたと、言うしかないです。実名を書かないで。

 私が美術界で、もっとも安心して付き合った、上條陽子さんが、すでに、五年以上前に、敵方にリクルートをされており、今週か来週か秋山裕徳太子氏と、三人展をやります。ただ『フーン」と言うしかないのですが、秋山さんが、晶文社で、出版し、節子さんが、PHPで、出版したことは、なぶり殺しの、傍証づけになるのですよ。一般の方向けにそれを文章化することはできなくても、闇の勢力の中枢にいて、実際にそれを行った人達には、私がその詳細をわかっているのだと、告げておきましょうね。

 私が、もし、悪魔の陣営に住む一族だったら、書きぬけるでしょう。しかし、すべてが判って居ても、悪魔が、行っている事・・・・・そのIT的部分については、特殊で、個別的な事なので、古村浩三君が頼まれてやったのかもしれませんが、

 遠く、横浜に住んでいた、彼女のパソコンを、立ちあげる資格はないのです。しかも、亡くなってから、2か月後に、年賀欠礼と言う驚くべき形で、知らされた私は、彼女のパソコンを「証拠品として、いただきたい」と、ご主人に申し出でるきっかけを失っていたのでした。既に廃棄をされていたと、思います。

 電脳将棋と言うのが、人間の名人を、打ち負かす時代です。IT技術の進歩はすさまじいです。しかし、これを使って、遠くに住んでいる人間が、姿も見せず、臭いさえ漂わせず、あっという間(一年足らず)で、一人の人間を殺すことができるのですよ。

 私もね。8日には、自宅で、赤い東芝の、ダイナブック(ウィンド-ズ7)が二か月開けて居なかっただけで、破壊をされて居て、kasperskyに長時間電話をかけて、まず、それを復活し、それから、システムの復活やら、再起動やらめちゃくちゃな時間を掛けて直したのでした。実は、10日ぐらい前に、北久里浜に置いてある白いfujitsu にも同じことが起きていたのですが、ともかく直しました。しかし、本日また請われているのです。

 だから、私だって、ほとんど、殺されかけているという体たらくです。北久里浜の方で、大型ルーター(中継基地)が、どこに置いてあるかについても、だいたい、判っております。北久里浜では10mいないに置いてあると、思いますが、もしかすると、50m離れている家の方に、保管をされて居るのかもしれません。

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副題5、『ここで、渡辺賢司が、再び、登場する』

 私はこんなにバリバリ書いて居る様に見えても、書けないことがいっぱいあるのです。で、激しい抑圧下にあります。イライラしたら負けですから、絶対に感情を揺れ動かさない様にしています。だけど、いつも、怒りはいっぱいです。そこへ、飛んで火にいる夏の虫として、午前10時半に、布団をバタバタと、うるさくたたく、渡辺賢司の姿が目に見えました。

 これは、一種の殺人行為です。彼以外にも五、六軒協力をして同じことをしたみたいですが、はっきりと、その行為が見えたのは、彼ですから、飛びついて書きました。どうして、殺人行為かと言うと、前の日の夕方、三原橋交差点そばで、交通事故に出会って、数分間気絶をして、出血が多量にあったのにもかかわらず、警察は、聖路加へ、飛んできて、治療をしない様に命令をした上に、「交通事故ではなかったことにしましょう」と、言うのですね。すぐさま柳沢昇の大失敗で、私が交通事故の調書を取られている事を、以降ブログに欠かせないがために、トップ連中が、梅林と名乗る警官に、そう言わせていると、すぐさま悟りました。

  ところで、渡辺賢治より、よほど、驚かさせられるのは柳沢昇です。彼は、妻が、好きなものなら他人の物でも自分のものだし、妻が起こった場合は、警察官も、手下と言うか家来としてこき使えるらしいです。

 警官に私を叱る正当な理由はありません。だって、猫は私の猫だから、彼ら夫婦よりも私の方を信頼して居て、こちらを、好きなのは当たり前の話ですよね。それなのに、それに腹を立てて、警官に命令を下しているのです。私には、警官に叱られる理由は一つもないので、「あそこの旦那に、あそこの奥さんを叱るように命令をしてください」ですって。二人の脳の中がどうなっているのか?、本当に不思議です。そして、それにもかかわらず、鎌倉エージェントのお仲間なので、じゃらん等で、宣伝をしていただけるみたいです。間歇的に、かまくら春秋窯は賑やかになります。しかし、弟子が定着している様子はありません。

 それって、2005年の事だろうって、伊藤玄二郎なら言いますか? だめですよ。今週どれほどの割合で、私が、壊れたパソコンの修復に時間を使ったか? 鎌倉エージェント=CIAは、相当な人員がお仲間なので、途切れることはないのです。パソコンを壊した人間そのものは、柳沢昇でも、伊藤玄二郎でもないでしょう。しかし、そこから始まっていることは確かなので、原因を再度書くこととなります。

 原因は、やった人間の顔も名前もわかっています。被害が未だにあるから、その結果、やった人間が判っていることは、常に再開して、使う事となります。昨日、実際に、パソコンを壊した人間の顔と、実名は判らないからです。私は、1999年から、パソコンを使い始め、すでに、18台買ったという記憶はあります。新品、中古取り混ぜてですが、そして、修繕のために、使った費用と時間も膨大なものとなります。

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副題6、『一月の眞子さま婚約と言うリークは、国際基督教大学内に居る、鎌倉エージェントが起こした話だろう。

 水島節子さんは、今は、結婚をして、榊原姓へと、変化しているが、一月の、眞子さまご婚約と言うリーク(漏れ事)は、榊原さんとか、古村浩三君とか、石塚雅彦さんが、関与している筈だ。だから、ここにいろいろと、書いて居る』

 これ以降は、別の章へ回します。

後注1、

秋篠宮様は、単純だから、今回の婚約をお許しになったのか? それとも、深謀遠慮の上で? イルカ問題+ルビッツ副操縦士の自殺願望説

2017-09-07 21:16:54 | 政治

 前報を二つに分けます。

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