下の文章ですが、13時間かかって、やっと初稿をここで、止めようと思うところに到達しました。推敲はまだなのだけれど、初稿としての因果関係は完結したというしるしに、総タイトル横に、☐印を付けておきます。
副題1、『北朝鮮の、核弾頭実験成功とは、やはり、為にする謀略だった。何がその目的かと言うと、ひとつには、過去の謀略的ニュースを、日本国内から一掃することも、その目的だった筈』
私は、北朝鮮が9日に行ったとされる核弾頭実験の成功について、すでに、実質上は、3本書いております。総タイトルを、割と、判らない形(間接的なもの)にしているものですから、その文章が、北朝鮮の、核弾頭実験について書いているかどうか、判断ができない様に、わざとしておりますが、前報(後注1)など、まさに、それに、当たるものなのです。200万円以下の政務活動費の、私的流用を責めたてられて、大泣きをした県会議員を総タイトルに付け取りますので、ふん、つまらない文章だと、お思いになって、パススルーなさった方が多いでしょうが、実際は、相当大きな事を書いております。
それほどに、大きなことを書いて行かれる手法が、この『センセーショナリズムを狙わない』と言う姿勢なのです。たとえば、今朝5時から、私の頭の中に浮かんでいる総タイトルは、「北朝鮮の、核は、アメリカが渡したものであろう」というモノでした。これから書くものもそのタイトルで、書きぬくことができるものと全く同じなのですが、そちらを使わないで、大衆に知られている、(と、思われる)男女名を総タイトルに入れて、温和に始めていきましょう。そして、又もや、ご近所様にも触れるはずです。それが、重要な傍証づけに当たりますので。つまらないと見える下世話なエピソードを連ねていくのが、真実に迫って行く、私特有な手法なのです。
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副題2、『テレビ慣れしている女の、特徴をまざまざと、見せつけられた稲田防衛相の、9日と10日の記者会見。一方、同じエリート意識を持ちながら、テレビ慣れしていない入倉かおる相模原・46人殺傷事件の舞台となった・やまゆり園・園長の、記者会見。ぼろの出方の違いを、ここで、論証しよう・・・・・その1』
やまゆり園で、植松聖と言う元職員が、46人を殺傷したという事件が、早朝から報道をされた日ですが、その日は、月曜日であって、最近の私のスケデュールからすると、午前中はNHKニュースを見ないで、園芸等の家事をして、午後からは、銀座の画廊巡りに出かけて、夜10時ごろに帰宅をして、何らかのパソコン手当てをするが、NHKニュースの録画は見ないという習慣があります。だから、それを狙って、私がブログで、何も書けない時間帯に、日本国民全体を狙って、措置入院と言う述語をたたき込もうとして起こされた謀略です。真実が発表をされることはないでしょうが、19人もの死者は、居ない筈です。警官が多数出て、絶対に家族とかメディアの記者連中を入れない措置が取られて、また、午後零時近くになっても遺体が運び出されていないと、聞いて、なるほど、これは、19人死亡と言うのは嘘ですね。と、確信をした次第ですが、
しかし、これを企画した連中たちは、粛々と、当初の、案通りに、現象を積み上げ、ニュースを、真実めかして行きました。それに役立ったのは、黒岩神奈川県知事と、神奈川県の、上級職の記者会見(すでに、27日の午前中に行われた。心構えができていたのが見え見えだったが)と、午後における黒岩知事のお見舞いです。
遺体さえ、運び出されていないのに、お見舞いに行っている。軽々しいことこの上が無いのですが、黒岩知事に関しては、別節を立てて、語ります。ここでは、入倉かおる園長について語りたいと思います。その記者会見で、入倉園長が語った、項目が重要です。特にテレビ放映をされた部分が重要です。
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副題3、『入倉園長が、<植松が、障碍者の手に、マジックで悪戯書きをした。それは、覚えている>と、テレビカメラの前で言った時に、この事件全体が、すなわち、鎌倉エージェント発案の、謀略であることがはっきりした。その【てのひらの悪戯】とは、昔、渋谷のイタリアン・レストランで行われたクラス会で、川名昭宣君が、私の腕を動かない様に、つかんで、私の、てのひらに行った悪戯を、<ここで、想起させてやれ。どうせ彼女は、近々、精神病院へ収監されるさ。そして、ブログは書けない様に成る。だから、いたちの最後っぺとして、その件を、ここで、からかってやろう>と、思う、井上ひさし(公的には死んだことにしていますが、まだ、生きています。そして、こういう事件を案出していて、絵図を書いています)と、伊藤玄二郎たちの草案であろうし、それを、重要事項として、放映したNHKの悪辣さと、それと連動をする、ご近所の悪辣さに、鳥肌が立つ思いは、した。が、しかし、だからこそ、猛然と戦い始める私だった。三井物産とか、大前研一、大前勇介とか、西原理恵子などに、触れ始めるのは、入倉かおる園長の、あの10-7-28日放映のニュース映像から来ている。で、困り切った彼らは、次の謀略を案出した。それが、北朝鮮の、核弾頭爆発実験である』
川名昭宣と言う人間を、皆様が、グーグルで検索をしようとしても出てきません。しかし、伊藤玄二郎にとっては大変重要な人物で、酒井忠康氏と、こちらのどちらを助けたいかと言えば、無論の事、川名昭宣君だと、思います。 ここで、スピンオフ事項が出てきたので、それは、以下のブログへ独立をさせて置いておきました。
伊藤玄二郎が、【びょんぶ】(河出消防新社刊)と言う本で、ポルトガル国のエンリケ皇太子勲章をもらったと、彼自身の、ホーム頁で誇っておりました。(今は、削除をされています)で、その書物の奥づけとか謝辞を見たいと、思って、国立国会図書館まで行って調べていますが、秘匿をされて、出てきません。もし、その謝辞に、川名昭宣と言う名前が出てきたら、一気に、傍証が進みます。でも、国立国会図書館と言う国家的組織が、一私人である伊藤玄二郎の為に便宜を図り、かつ、私が、国会図書館へ出かけるたびに警察車両が威嚇的に二台待っているという現象に出会って、是も又、私が、日本の警察とは、CIAの私兵化していると言明するゆえんの一つとなっております。そして、伊藤玄二郎が、CIAのエージェントであると言明するゆえんともなっております。
ところで、川名昭信君が私の手の平に、施した悪戯とは、下記のものです。相当に大切なエピソードであって、今まで黙っておりましたが、北朝鮮が、核弾頭の地下実験をしたという、ニュースを、聞いては、そして、それが、ためにする謀略だと、推察している今は、それを使うのも無駄ではないでしょう。
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副題4、『川名昭宣君と私は、1960年代(=学生時代)は、お互いを知らなかったと思う。それなのに、彼は、2000年に入ってからのクラス会、内で、私の手首をむんずとつかんで固定化し、私の手のひらを、爪で、ねじり上げ始めた。ひどく痛いが、すでに、伊藤玄二郎と川名君の密接ぶりを疑い始めていた私は、現場では何も言わないで、為すがままに任せていた。が、帰宅後、是の事案の、謎を正確に解く為に、お互いを知る友人に、質問を投げかけている。<彼は、何を怒っているのかしら。入江多喜雄君の死をめぐって、怒っているの?>と』
この時のクラス会は、珍しく、椅子式のイタリアン・レストランが使われました。最近では、ずっと、居酒屋風の場所が使われており、掘りごたつ形式なので、座席を変えにくいシステムが多かったのに、この時は、珍しい形式でした。有名なレストランと言う事で、珍しく、会費も高かったのですが、駅から遠いので、はやっているとも思われず、部屋の中は、割と、殺風景でした。その殺風景な部屋の片隅の6人掛け用長テーブルに、私と川名君が、たまたま二人だけで、着席する時間帯がありました。
私は印刷会社に勤務したこともなく、出版社に勤務したこともないのに、工業的な印刷製本をした本を既に、数種類作り上げていて、そのうちの一冊は、その時点では、未発刊でしたが、のちに、Amazonで10800円の値が付くほどとなって居ます。私はたいていの場合、400~800部しか作らず、流通機構には乗せず、本屋では、売らないので、ほぼ、献呈ばかりです。それでも、これほどの、高値が付くのですから、内容的には、非常に優れて居るものを出版しているのです。それを自分で言ってはおしまいですが、先入観無くお読みいただいた方には、べた褒めをされています。有名人も含んで、べた褒めをされています。たとえば、ペンクラブ会長だとか。直木賞受賞者だとか。
で、その出版物の、私は著者でもあるわけですね。で、本当のことを言うと、著者と、編集者では、権力は編集者に在るが、著者の方が人間として、または、能力の面では、上でしょうね。そういう庶民または、スノッブ的ライターは知らない真実を、川名君ほどの、人物だったら、理解できるはずだと、思っていたので、私は、社会的な、収入の多寡とか、知名度とか、コネクションの多寡を超えて、対等に、接して行くつもりがあるのです。
ところが彼の方は、会話に応じようともしないで、私の手首をつかみ、しかも、逆手に成る様に、無理な方向へねじり上げ、反対の手を使って、爪で、ちびりちびりと、つまみ上げ、ねじり上げ始めたのです。それもすごく大きな力で、まるで、肉をこそぎ取ろうとするかのごとくでした。私は、びっくりして、凝視しました。彼の顔及び彼全体をです。彼は、日本人としては、大男です。戦時中満州のエリートだったであろう両親のもとに生まれている筈で、遺伝子的には、明治以来、または、江戸時代から、偉丈夫だった家系の生まれでしょう。この一件が起きた時点で、体重は、70キロは有ったと思います。
その全・体重をかけて、肉をちぎってやらんとばかりの、つまみあげ方なのです。『ほとんど鬼だわ』と私には、感じられたし、そう、見えました。ここで、川名氏と親しい池内紀氏が、NHKBSプレミアムを、舞台に、ドイツへ、蒸気機関車巡りに出かけた話に入りたくなっていますが、心を鬼にして、そちらへは向かわずに、引き続いてレストランに、とどまりましょう。一軒家を貸し切りだし、会費が普段の会の二倍ほどに、高かったので、二次会もそこで、行いました・・・・・と言う感じで、一行は、9時過ぎにそこを出て、渋谷駅に向かいました。私の心の中は、川名君への謎解きで、占められていたので、スカーフを忘れてきてしまいました。私は携帯を持ち歩かない主義なので、古村君の自宅の番号を、104で、聞いて(住所は、町名までは覚えていましたので)自宅へ電話をかけ、まだ帰っていない古村君の代わりに、奥様に、伝言をして、「古村君がそれを持っているかどうか?」を明日もう一度、問い合わせると、言いました。見事に主旨は伝わって、ありがたい事に、主幹事の古村君の次の立場である、別の、女性幹事が、保管しておいてくれました。そして、後日手に入れることができました。
あの時の古村夫人の態度ですが、お上品で賢くて、普通でしたね。中流の上の階級の、家庭を守っている賢夫人として、普通でした。別に私を敵視して、意地悪な態度を取ることもなかったです。だから、それは、2011年よりも前だったと、感じています。しかし、AOLは、すでに、不調になっており、しばしば、システム異常を繰り返しました。古村浩三君が、システムエンジニアとして、それらにも、関与していたとしたら、闇は、深いです。ただし、ここでは、それらには、深くは、触れません。
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副題5、『私は、川名君の行動の謎を解くために、次の日に、私の事も川名君の事も、両方を良く知っている女性の友人に、電話を掛けた。そして、入江多喜雄君の急死(一応だが、水難事故だとされている)問題を、そこで持ち出した』
入江多喜雄君の急死問題とは、すでに、30%ぐらい書いていて、新左翼系統の問題を解くカギです。ただ、リンク先を見つけるのが大変なので、詳細を説明せずに先に進みます。リンク先を見つける技術ですが、大きな事件と関係をしていると、見つけやすいのです。グーグルで、まず、その日付を特定し、その近辺の過去ブログを探索すればいいので。・・・・・しかし、入江多喜雄君の急死問題とは、社会的な大事件とは、結び付いておりません。だから、それをいつ書いたかが、判りません。そのうえ、それは、この章内で、纏めるのは、不可能なほどの大問題なのです。どうしてかと言うと、現代日本における最高の権力者の一人である、成岡庸司と言う男性が、どうして、エージェント側に組み込まれたかを解くカギでもあるかです。成岡庸司君は、1965年当時に、早稲田大学の革〇委員長だったのですが、多分、私のセリフを秋山豊寛さんが、ベイカーさんと言う正真正銘の、CIAエージェントに告げ、それで、彼が、選ばれて、エージェント側に繰り込まれて行ったと、推察していますが、その、真相を、解くカギが、入江多喜雄問題なのです。
しかも、社会的な大きなニュースとも、連動して行きます。柄谷行人氏が、原発反対デモを呼びかけたりすることとか、秋山豊寛氏が、原発反対運動にかかわっている事へも繋がって行き、そして、鳥越俊太郎氏が、突然都知事候補として浮上する問題などに繋がって行くのです。だからこそ、時間に余裕のない、ここでは、詳細に触れずに置きます。ただ、伊藤玄二郎たちに、そこまでは、判っておりますよと、言いたいがために、副題5の、二重ガッコ内で、それを、書いておきましょう。
ところで、ここは、あまりにも難しい問題に入って行くので、メモ書きだけで済まそうと、最初は思っていたのですが、それだけは、書かないと、読者が、理解ができないだろうと言うポイントを書き洩らしていました。既に、12日に入っていますが、これから、急きょ、それを付け加えましょう。
私は、この三者のうちで、扇のかなめの位置に居る、女性の友達に、「川名さんに、ひどい事をされたのよ。それは、入江君の急死と関係があるかしら?」と質問をしたのです。すると彼女は、要旨として、「私には、よくわからないわ。でも、いずれにしろ、気にしない事よ」と答えました。ここで、書き洩らした重要なポイントが出てきます。それは、わが家の電話が盗聴をされており、すぐさま悪利用をされると言う事です。で、川名君と言う名前を警察の別働隊が、調べて、・・・・・または、すでに、その時点で、盗聴の結果は、直接に前田家と、井上ひさし家と、安野忠彦家に入っていたので、・・・・・・伊藤玄二郎は、すぐさま、
川名君へ、電話をかけて、「あなたは、川崎千恵子(雨宮舜の本名)に何を、なさったのですか?」と、問い合わせたと思います。川名君もさすがに恥ずかしくて、のらりくらりと、逃げていたのですが、私が何回も川名君の名前を出して、「もし、伊藤玄二郎と2人が親しいのだったら、スタップ細胞疑惑も、そのほかのもろもろのミステリーも、理解がしやすくなる」と書くものですから、「防衛の必要があるので、それを知りたい」という伊藤玄二郎の要請に、とうとう、こたえて、「たまたま、持っているペンでね、手のひらにいたずら書きをしてやったのですよ」ぐらいの、軽めの方向に脚色をして、答えたのではないかしら? それが応用されたのが、植松聖が、入所者の手のひらに、いたずら書きをしたというエピソードです。
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副題6、『入倉かおる園長が、<植松聖が、入所者の手の平にマジックで、いたずら書きをして居た>と、証言し、NHKニュースが彼女の発言として、それだけを、NHKニュース内で流した時に、この事件が謀略であることを、確信するに至った。その後は、それを検証し続けていく作業に入る。植松聖は、2月に辞職をしているそうだから、相当前に、リクルートをされている可能性がある。小保方さんは、早稲田大学在学中に、釣り上げられて、洗脳され、訓練を受けているが、植松聖は、そこまで、長期間にわたって訓練を受けたとは、考えにくく、スパコンで、やまゆり園の、スタッフ全部の身元が、チェックされたうえで、父親が、共産党員であるなどと、言う条件が、適切だと、みなされて、そこから、訓練を受け始めたと、推察される』
彼ら悪人連中は、やまゆり園事件で、一気に私を潰せると考えていたらしくて、「せめて、冥途への土産に持っていきなさいよ。だって、川名昭宣君は、あんたが、<彼に関して、将来、書く予定があるが、今はまだ書かないで置く>と、言い続けているので、大変なストレスを感じていたのだ。それを、復讐してやるぜ」と言う意味で、植松聖に、手のひらへの悪戯をさせたと、見ます。
でもね、私が感じているストレスなど、子供の、就職先を失わせ、生活のたつきを絶つ問題を含めて、川名君の、10万倍以上はあるでしょう。だから、神様は、常に、私を、おん見守り続けていてくださるのです。北朝鮮を使おうがどうしようが、私が、事の本質を見誤る筈もないのでした。
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今、2016年9月11日の夜9時ですが、書くことを再開いたします。
副題7、『この足跡、または、ヒントを残すことで、<この謀略はお前を狙っているのだぜ」と、判らせる様にしている彼らの手法を、私はとても幼稚で、バカげていると、思っているのだが、彼等は、反対に、<私たちは、非常に頭がいいのだ>と、思い込んでいるらしい。すべての謀略に、この種のヒントが含まれているのだった』
本日、私は初めて、やまゆり園を襲った植松聖と言うのは、鎌倉エージェントが、リクルートをして、つり上げ、その後、洗脳し教育して、道具として使った人間だと、見ているのですが、その推察の、根拠を示しました。
渋谷のレストランで、川名昭宣君が、私の手のひらに、鬼の様な顔をしながら、激しい痛みをともなう、悪戯を仕掛けてきたのは、私と川名君しか知らない出来事です。その同窓会は、お店を貸し切りで行われたのですが、出席者、40人強のうち、同じテーブルに着席をしていた人間が、私たち二人以外、居なかったので、他の、だれも、気が付かなかったと、思います。私は「きゃーっ。痛い。川名君、あなた、何をするのよ」などと言う叫び声を上げたり、彼が三分後ぐらいに手を放した後で、女友達やら、男友達で、誠意ある人間の傍によって、「見て、見て、川名君が、こんなことをしたのよ。ひどいでしょう」と、言ったりはしませんでした。しかし、後日、こういう風にブログを書くし、特に北朝鮮の核弾頭爆破実験にことよせて、書くわけですから、私の事を馬鹿だとか、幼稚だとか、弱いと、思うのは、間違っていますよ。
須賀敦子さんなどに向けては、紳士としての顔だけを見せていたでしょうが、私に対しては、驚くほど、幼稚な、そして、バカげたことを平気で言ったり、やったりする男性です。しかし、強いて、同情的に書くのなら、例の伊藤玄二郎たちの仲間として動くと、みんな、こういう風に幼稚で、思考停止をした状態になるのだとも言えます。
ところで、これは、二人しか知らない出来事ですが、川名君と伊藤玄二郎は、その後も何年も交流が続いていて、何回もあっていると、思います。それで、伊藤玄二郎は、相当詳細に、どういう現象が二人の間に、あったのかを聞き出し、それを修正しておくと、言う事をやり始めたのだと、思います。で、植松聖に、障害者の手のひらに、マジック・インキでいたずら書きをする様に、命令し、彼は、それをただ一人だけでは無くて、相当数の障碍者に対して行ったので、入倉園長の目に留まることとなったのでしょう。
しかしですね。だからこそ、私には、確信が持てたのです。その上、入倉園長の態度です。ひどく、シャア、シャアとしています。あの事件が報道をされている通りに、19人死亡、27人がけがをしたのだったら、次の日(または、ニュースだけは次の日の報道であったが、記者会見は、当日の午後か、夜だったかもしれない)の午前中のニュースの中で、そんな微妙な事だけを、堂々と、報道をされたことに、すぐ、気が付いて、NHKに抗議をしないといけません。
ところが、そんな抗議をしたなどと言う報道は一切出ないうえに、私がすぐ、その態度の、異常性を指摘すると、それ以降、一切彼女は、テレビ画面に出なくなりました。それ一つでも、私の言っている事が正しいと、言う証左になります。入倉園長は、事前に、 「明日か、将来の、何時かに、こうこうこういう風な、事件が、起こります。その際には、こうこう、こういう風に行動をしてください」と、命令をされ、教唆を受けていたと、感じられます。ほかにも、午前二時に、植松は、侵入を開始し、しかもそれは、窓ガラスを破って侵入したらしいのだが、午前5時に植松が自首して車で、警察は動かず、しかも、119番は、外に居た職員が、内部から連絡を受けて、間接的に行ったと言われています。それは、植え松に一時間の時間を与えて、いかにも46人を殺傷したと、世間に、思わせる仕組みに基づいています。
そのほかに、これが、嘘が、大量に含まれている事案であると言う事を証明する、多数の現象があるのですが、鎌倉エージェントが発案をして、警察の殺人用別働隊が、協力して起こした事件が、「私たちの、警察発表は間違っておりました。真相は、こうでした」と、警察から発表をされるわけもなく、また、当日も、その後も、中には入れない措置が続いている限り、彼等の、意欲ある調査で、真相が解明されることもないでしょう。また、植松は地検に送られています。そこでは、面会は謝絶ではないのかな? だから植え松が、真相を語り始めると言う事もないでしょう。そして、薬を使って廃人へとさせられていくでしょう。
この件については、まだ、まだ、大量に書くことが有ります。前田祝一が、実は、階級が私が推察していたよりも、上であって、このやまゆり事件の様な謀略の企画さえ、出せる立場であろうかとか、それに安野忠彦も、同じほど、階級が高いのか?とか、が、本日、急に浮かんだ発想です。それは、9月9日に渡辺賢司氏が、布団たたきをしたことで始まった憶測ですが、それについて、詳細に述べるのは、止めておきましょう。また、11日の6時のニュースで、塩崎厚生労働大臣が、神戸で、G7の衛生担当閣僚会議を開いたというニュースが放映をされましたが、それも、このやまゆり事件と、関連があります。しかし、この章では、それについては、説明を省きましょう。ともかく、この章は、北朝鮮の核弾頭、実験から始まっていますので、その方に戻らないといけませんので。
読者様も、午前9時から書き始めているのに、12時間かかっても完成しないとは、イライラもなさるでしょうから。
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副題8、『ここで、稲田朋美防衛相に戻らないといけない。それで、副題2の続きを書くと言う事となる。・・・・・テレビ慣れしている女の、特徴をまざまざと、見せつけてくれた稲田防衛相の、9日と10日の記者会見。一方、同じレベルのエリート意識を持ちながら、テレビ慣れしていない入倉かおる、記者会見。ぼろの出方の違いを、ここで、論証しよう・・・・・その2』
やまゆり園事件も謀略ですが、北朝鮮の、核弾頭実験も謀略です。10日のNHKニュースウォッチでは、いかにもこれが、まともな事件であるかのごとき、解説が、甲南大学(?)の教授だとかいう、平岩氏によってなされていましたが、それは、庶民向けのニュースづくりであって、本当の政治のプロには、すぐ読める謀略です。北朝鮮に、プルトニウムを、生成する、能力も基盤もまだありません。今回使われた核弾頭は、こっそりと、裏から、北朝鮮に渡されたものを使ったと思われます。どこが、供与したかですが、多分アメリカです。米軍でしょう。
それを正確に伝えられているのは、まず、安倍総理大臣です。そこから、岸田外相、菅官房長官、稲田防衛相、の、三人には、内々で、伝えられたと思います。それ以外は、閣僚も、真相を、知らされていないし、党幹部も知らされていないと、思います。ただし、私の様に、分析能力が高くて、推察の力もある政治家は、真相を知らされていなくても察しているでしょう。
で、その三人が、記者会見をしたのですが、私が、しばし、注目をしたのは、稲田防衛相の、記者会見です。まあ、お見事だったと思いますよ。
どういうことかと言うと、入倉園長の、方には見られた、
本当は、たいしたことが無いので、シャーシャーとしている・・・・・とか、
謝罪をするだけしか、言う事はないのに、別の事を得々として言ってしまう・・・・・などの失敗が無かったからです。と言うのは、換言すれば、入倉園長の方は、演技上、必要なことが呑み込めていなかったと言う事です。他者、特にテレビ画面を見る人間が、自分の態度から、どういう解釈を得るかについての学習が足りなかったと言う事です。・・・・・それらの、落ち度が、稲田防衛相の会見の方には、なかったからです。
この二人の違いが、どこから生まれているかについて、言えば、容貌の違いに在るでしょう。小さい時から、「かわいい子だね」と周囲から思われて来た稲田防衛相には、ノブレスオブリッジとか、エリートとしての所作・振る舞いが、身についています。
一方の入倉かおる、園長は、小さいころから、自分の事をこういう風に見ていたと、私は推察します。
私には、美貌もなくて、性格も明るいというわけでもなくて、周辺からの人気はない。芸術や芸能に関する才能もないし、お勉強の成績も、切れ味があるというわけでもない。だけど、負けたくはない。絶対に、人の上に立つ人間にはなりたい。それに役立つ方向なのだけれど、公務員が一番いいと、考えている。それも、国では無くて、県ぐらいが、自分には、適切だろう。そこで、或る部門のトップに立とう。
ここで、挿入として、入倉さんの、思いでは無くて、私の推察を入れます。入倉さんをエリートだと私が規定するゆえんは、あのやまゆり園と言う施設には、年間、3億円に近い予算が、県税から、注ぎ込まれているからです。それは、普通の主婦としての女が、使いこなすお金の100倍です。だから、強いエリート意識を持っていたと、推察するのです。その三億円を、自由に采配できる人間として、入倉園長は、中国共産党の、地方幹部みたいな独裁者だった可能性が強いです。そして高給も、えていたと、思います。あの事件は、事前に、入倉園長に通達され、園長は、職員に、詳細を飲み込ませていたと、思います。障害者の権利を守る意識など、毛頭もない人間で、哲学的なレベルが、非常に低い人間です。そういう部分も、記者会見では見事に表れていました。しかし、今まで、問題無く過ごすことができたのは、・・・・と、ここで、入倉園長の内面への想像へ戻ります。
第二番目か、第三番目の人間として、業務をこなし続けて、長期間、勤務を続ける人間としての、所作とか身じまいは、しっかりと、身についていたからだと思います。それは、弁護士として出発し、法廷で、検事と争って、切った張ったの場面を経験してきた、稲田防衛相とは、相当違う仕事上の経験です。そして、自民党の代議士として、大臣にまで上り詰めるというのも不断の、競争の中にさらされていると言う事でしょうから、それも、安定した公務員体制の中で、落ち度亡く過ごせればいいのだ。上司に逆らわなければいいのだ。
そうなると、力のあるものへ、迎合するという傾向も持ってはいるが、一方で、自主独立の気概も持っていないと、間違った事案に、巻き込まれて、失敗をすると言う事は、学習していると、思いますよ。
でね、安倍総理大臣について行くという選択は、私から見ると、別に許容されるものでもないのですが、でも、彼女にしてみれば、現状ではこれが最上であり、もし、一朝、事が起きて、まったく情勢が変われば、別の人の下につくことは構わないと、言う風に考えていると、思います。
私は、別に、稲田防衛相のファンではないのですよ。だけど、あまりにも、どんくさくて、バカ丸出しで、やまゆり園事件が謀略であることの証明となった、入倉園長の、記者会見と比較をすると、まるで、違うので、笑いたいのやら、泣きたいのやらと言う心境に陥っている次第です。
この文章は後日、リンク先を探し出し、・・・・ただし、一つだけ偶然に見つかったものがあるので、それを後注2に置いておきますが、・・・・・誤変換を直し、文章を推敲したら、書いた日付と、署名を入れます。今は、未だ、それは、お待ちくださいませ。
なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3669287です。
後注1、