銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

比企が谷・妙本寺を、ご覧あそばせ。歴史の妙味をしみじみ感じさせられます+華頂の宮邸公開(only1&2・・Oct.)

2016-09-28 19:55:36 | Weblog

いまは29日の夜9時半ですが、下のブログがやっと完成したので、総タイトル横に、恒例の、△印を付けておきます。

 最初に置いた写真を説明をさせてくださいませ。これは、j-peg原データでは無くて、いったん、自分のエッセイに取り込んで、使ったものです。パソコンが、15台も壊されたので、j-pegの原データが、このいま使っているパソコンには、入っていないのです。本はすぐ取り出せるので、引っ張り出してきました。上は、妙本寺 の山門を、製図ペンで、スケッチしたものです。手前に4本の柱が見えます。その中の二本が、門を形成していて、間が空いているのですが、その間から見える、本堂まで、私が描き込んでいるので、空間が明瞭ではなくなっています。これは、絵としてよりも記録として描いているから、こう成ってしまっています。ただ、自分の気持ちとしては、『いい山門だなあ!』と、思ったのですね。それで、記録を始めているわけです。京都に有るそれらよりも、小規模で、色も褪せていて(しかし、後日塗りなおされてしまったのですが)風雨にさらされているのが、素晴らしいと思ったのです。特に足でまたぐところのすり減り具合などが、パリのアパルトマンの白木の大木でできた階段の、数百年かけて、作られた、すり減り具合を思い出させて、何とも言えず、懐かしく感じたのですよ。こちらも数百年かけてすり減っているわけですから。・・・・・ただし、このエッセイを発表した後では、その部分は、取り換えられているかもしれません。

*1、『パソコンが大荒れに荒れているが、それは、例の高枝切で、勝ったと、思っている連中が、攻撃をしてきていると、推察している』

 私の予定ですが、週末に、法事があります。いろいろ、準備があります。特に、手紙を書かないといけません。参加する人が、プラチナ世代が多いし、礼儀上、電話よりも手紙の方がいいのです。もう、出欠は決まっていますが、せっかく来ていただくのなら、鎌倉について、穴場的観光地をご案内したいと、思うからです。それを、手書きの手紙で、書きます。

 その上、普段使いの、パソコンが、今、使えません。新しい攻撃方法です。「更新中です」と言ったまま、何度も、同じことを繰り返します。昨夜からずっと、同じ現象が続いて、起動をしません。今、13%更新しましたと言う画面を何度見た事か!

   結局、何回、おなじ事を、繰り返しても、先へ、進みません。「やられたなー」と、思います。何にやられたかと言うと、最近、私が書いていることが、すべて、真実なので、激しい、激しい攻撃が、リアルな世界でも、デジタルの世界でも、両方で、行われているというわけです。

   ただ、アップル(私の場合は、i-pad)の入力にも、相当に、慣れて来て居ますので、苦にならないのが、助かります。

 で、今、やっとウィンドーズ版に戻ってきました。i-pad で、四苦八苦しながらでも、入力が可能だと、敵さんに判ってしまうと、こっちのウィンドーズ版も復活するのです。

 機械が壊れているわけでは無くて、いじめようと言う、敵さん方の精神が、壊しているものだから、そこを突破すれば、『ああ、いじめても駄目なんだ』となって、復旧するのです。

 で、それを書いた後で、墓についてちょっと。

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*2、 『どうして、それほど、熱心に準備をするかと言うと、お隣のお墓にドラマを感じるからです』

 ところで、墓守と言う事について語りたいです。鎌倉霊園にある私の、実家の墓の、北側のお墓なのですが、常に草ぼうぼうなのです。それで、墓誌を見ると、一番最初に亡くなった方が、46歳で、亡くなっています。もしかすると、47歳だっただろうか? で、想像するに、未亡人は、再婚をなさったのだと、思います。で、その後、祖父と、祖母(と言うか、最初に亡くなった方のご両親だと、思われる)に当たる方のお名前が、墓誌上に増えています。

 しかし、ほとんどのシーズン、それも30年間以上にわたって、草ぼうぼうです。ちょっと、ドラマを感じてしまいます。前の年の草が、一度も抜かれることなく、1mぐらい伸びて、秋になると枯れて、また、その上に新しい草が生える。どういう、ご事情なのだろうかと、思って。お金は支払い続けてあるのです。

 子孫が、遠くに住んでおられるのだろうと、推察しますが、ともかく、ほとんど、御参りが無いお墓です。それを見ると、『あれでは、亡くなった方々がお気の毒だなあ。こっちは、ちゃんとしたい』と、思い、つい、きれいにきれいに、草取りをすると言う事となります。

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*3、『比企が谷(やつ)妙本寺を、第一にお勧めしますが・・・・・』

 ところで、鎌倉においでになる方に、見ものとして、第一にお勧めしたいところが、比企が谷(やつ)妙本寺です。このお寺の、バックグラウンドとか、評判とかは、ネットで、ご検索くださいませ。特に法事などの別の用事で来て、ちょっと立ち寄ると言うときなどは、最高です。

 私は、私独自の、視点で、おすすめポイントを書いてみたいです。まず、駅に近いです。駅から徒歩10分以内です。そして、規模が大きいです。そして、一番お勧めしたいポイントは、あまり、宣伝をしておられないと言う事です。

 どうして、宣伝をしておられないのかと言うと、大金持ちだから、観光客から、お金を集める必要を感じておられないのです。どうして大金持ちかと言うと駅に近い事がメリットになって居て、土地を貸しておられる相手が、豪邸の持ち主だからです。駅から東へ向かって徒歩五分以内の豪邸は、ほとんどが、妙本寺の寺領に建っていると、思われます。

 例えば、小篠と言うお宅があります。これは、きっと、【神楽坂女声合唱団】のトップであるコシノさんのお宅です。ただし、このお宅が妙本寺の借地かどうかは知りませんよ。道路を隔てたこちら側(=西側)にある、そこは、大巧寺の寺領かもしれないので。その上、大巧寺さまは、土地を貸さないで、お売りになって居るもしれません。だが、コシノさんみたいに、この現代日本で、肩で風を切って生きている様な方々の邸宅がある一帯が、妙本寺と、大巧寺と、本覚寺と言う三つのお寺の寺領であるのです。それが、ほとんどのパーセントで確かなのです。ただし、その三つのお寺のうちで、私が見る事をお勧めするのは、妙本寺だけです。

 でね、妙本寺ですが、参道が、素晴らしいです。落ち着いていて。その次に見える山門も素晴らしかったのですが、最近、塗りなおされて、それは、がっかりです。風情が失われたと、考えております。

 そして、境内に入りますと、左側に新しい日蓮の銅像ができています。これもびっくりだったし、がっかりでした。鎌倉には、日蓮宗のお寺が多いのです。10年近く、散歩に行かなかったうちに、そんな立派な銅像が、できていたのでした。びっくり、びっくりがっかりでした。最近、やっと、赤銅色も薄れてきました。ので、落ち着きを取り戻しつつありますが・・・・・

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*4、『本堂では、写経もやっておられるみたいですが、私がお勧めするのは、左側の奥に有る、墓場です。それが、鎌倉固有の形式だから、一度は、ご覧になることをお勧めします』

 本堂の左側に、小さな池があります。これが、何かいわれの有る、有名な池です。いらっしゃるのなら、ネットで、お調べください。

 ただ、私が、一番、「ご覧になったらいいですよ」と、お勧めしたいのは、墓がある場所です。墓は、この寺領内に、何か所もありますが、左奥の、山の中にあるのが一番の見どころです。

 池の左側に、小さな段々があります。幅が、一mぐらいです。そこを、20mぐらい上がって行くと、突然に、視界が開けて、広い墓地が現れます。普通の霊園と、違うのは、丸い形であることと、ほぼ、五分の四を、高い崖で、囲まれていると言う事です。

 この高い崖ですが、わが家の東側にもあるもので、覚園寺さんにもあるもので、寿福寺さんにもあるものです。しかし、覚園寺さんでは、見る時間が、自由ではありません。少ない人数だけ、お入れに成るのは、いいのですが、ある一定のところで、とどまることを許されておりません。

 崖そのものを、見物できる場所としては、寿福寺さんなども、自由度は、同じなのですが、どうも、寿福寺で、立ち止まって、崖を見るのは、落ち着かないのですね。お勧めできません。すぐ傍に道路があるから、立ち止まって崖を見て居たら、変な人だなあと、誤解をされるぐらいが落ちです。。

 長谷の、光則寺さんの場合も、似た墓場があるのですが、そちらでは、崖の高さが、それほど、高くないみたいに、見る方が、感じてしまいます。樹木が生えている具合の違いなのでしょう。だから、妙本寺の崖が、最も適切なのです。光明寺にもありますが、建物のすぐ裏手なので、良くは見えません。

 地理的な、観察の上でも、素晴らしい場所ですが、詩的、境地を味わうと言う意味でも、適切です。モダンなデザインで、しかも、使ってある石も様々な、広い区画の墓が並んでいますが、その縁石に、腰かけて、じっと、15分ぐらい静かに座っていると、心が洗われます。今は、アルミサッシの窓が全盛の時代なので、松風の、音(松籟)など、聞いたことが無い生活ですが、ここにいると、それが味わえます。時によると、とんびが、4,5羽、ピーひょろひょろと鳴きながら、円を描いているのを見る事ができます。トンビは、50mぐらい上を舞っています。我が家の庭にも飛んできたことが有り、傍で見ると、右から左まで、1mを超える大きな鳥です。

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副題5、『ああ、大切な事を書き忘れていた。で、戻って来た』

 妙本寺を好きな理由が、もう一つありました。それは、そこにいると、しみじみと、歴史の妙味を感じさせられるからです。鎌倉時代、源義朝が亡くなると、北條氏と、他の、御家人たちの間に、跡目をめぐって争いが起きます。比企一族は負けた方なのです。

 今、日本中の処々方々で、・・・・・御寺が経済的理由で、立ち行かなくなっている・・・・・と、聞いています。檀家が、断絶したり、引っ越したりして、お布施を上げる人がいなくなったと聞いております。

 それなのに、妙本寺は、お寺としては、今、隆々たる勢いをたもち、それを、誇っているわけです。年間2千万人が訪れるというブランド都市、鎌倉に存在しているゆえのメリットです。特に、その駅に近い寺領をお持ちだと言うわけで、そこに家を持ちたい、大金持ちが、借地料を支払い続けているので、妙本寺さんは、お澄ましして、じっとしておられるのです。
 隔世の思いとは、まさにこのことかと、思います。それも、700年を隔てた、復活ですから、思いを、深く、させられます。ただ、現在の住職が、比企一族の子孫であるのか、違うのかは、私は、知りません。噂話好きの人ではないので。

 ただ、幼稚園から、小中学校の時期を、我が家のお隣で過ごしたお嬢様が、若い住職のお嫁さんになって居るとは聞いています。つまり、現在の白井・小野寺邸の、前のたてもので、子供時代を過ごしたお嬢様がです。

 今、私の方は、勝つか、負けるかと言うすさまじい戦いに放り込まれてしまいました。高枝切と言う現象によってです。または、演劇界と言う雑誌によってです。または、鎌倉エージェントたちによってです。

 私は、そんなことは願っておらず、ただ、目に見える被害を防ぐために、真実を分析しつつあるだけですが、さらに激しい戦いの渦に、放り込まれています。思考の人であるはずなのに、現実の戦いの中に、放り込まれてしまっています。

 そういう自分と比企一族とか、妙本寺の隆盛を比較すると、感慨が、ことさらに、深いのです。

 もう一度妙本寺へ戻りますが、とても素敵なお寺ですと、言っても、境内に、人が多いというわけでは無いのですよ。もし、人が多かったら、行くのを、勧めません。ほとんど、人がいないから、素晴らしいのです。

 でも、隆盛のほどは、最近完成した建物群の、素材の良さと、デザインのすばらしさで、判るのです。伝統的な寺院形式なのだけれど、上等な素材で、上品な形で、作られています。デザインが、新奇過ぎもしていないし、古すぎもしていないし、中庸なのです。

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副題6、『華頂の宮邸の、内部、公開日は、10月の1日と、2日だけでしたぞ。昔と違っていたので、驚いている』

 私は、1984年に、鎌倉に引っ越してきてから、その五年後ぐらいから、俳句会に所属しました。その吟行に行く目的地として、妙本寺も、光則寺も、知ったのですが、其れとは別に、家族とか、一人で、鎌倉市内も処々方々を散策しました。

 その時に、大きな興味をひかれた建物があります。それが、ずっと、閉鎖されていて、人影も見えないので、私は、ひそかに、【アッシャー家】と呼んでいました。それほど、荒れ果てている様に見えたからです。

 しかし、ある時点で、その建物は、遺産相続者が、放棄したらしくて、鎌倉市か、または、国有地として、寄付をされました。それを鎌倉市、およびボランティアが、年に二回、春と秋に内部を公開しています。素晴らしいお宅です。実は、外見とは、事なって、内部は傷んでいないです。

 修復がきちんとなされ続けて来たか、それとも、あまり、使っていなかったのかの、どちらかですが、後者の推察の方が正しいでしょう。

 ところで、今、鎌倉市のホーム頁に入ってびっくりしています。なんというチャネリングでしょう。来る1日と2日の二日間だけ公開です。しかも、午前10時から三時までだけです。

◆ 旧華頂宮邸

華頂博信侯爵邸として建てられた、近代の貴重な洋風建築物です。市の景観重要建築物に指定されています。施設公開時には普段は入れない、建物の中までご覧になれます。(通常は庭園のみ公開)

公開日:平成28年10月1日(土)、2日(日)10時~15時
所在地:鎌倉市浄明寺2-6-37
問合せ:鎌倉市都市景観課 ℡:0467-61-3477

  このブログに気が付いた方は、非常にラッキーだと、言えましょう。後、4日後から始まるたった二日間だけ、内部が公開されるのです。
 アクセスを簡単に書くと、JR鎌倉駅から、京急バス【大刀洗】行き、もしくは、【金沢八景駅】行きに乗って浄妙寺でおります。竹の寺【報国寺】側に道を進んでいくと、バス停より、徒歩4分程度の、処に在ります。

  私の記憶では、4月にも公開をされており、しかも、春と秋の二週間の週末が、公開日でしたが、変化しているみたいです。また、庭園は、公開と書いてありますが、それは、週末だけではなかっただろうか? ぜひ、お電話でお問い合わせの上で、ご訪問をくださいませ。

 ところで、この邸宅は、鎌倉文学館と、よく似ています。洋館である事、敷地の規模とか。しかし、決定的に違うところがあって、それは、主たるお部屋から、見える景色の違いです。

 向こうは海が見えます。しかし、こちら側は、山しか見えません。樹木しか見えません。で、非常に単純な世界です。しかし、私は、どちらかと言うと、こちらに、ぜひご訪問をくださいませと、勧めたいですね。

 と言うのも・・・・・別世界に来た・・・・・と言う感覚を味わう事ができるからです。東京駅から電車とバスを使って、1時間半で、『ここも、鎌倉市内なのですか?』と言ってしまう程、民家が見えなくて、緑ばかり見えるからです。前方に、植わっている松の幹の間から、四、五軒の家が見えますが、それ以外には、民家が見えません。そここそ、私が、ご訪問をお勧めする第一のポイントです。

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副題7、 『このお屋敷に、びっくりしてもらうための、裏技を、皆様に、教えてしまおう』

 これから先に私が述べる事を、実行していただく前に、少しばかり持ち主についての知識を詰め込んで置いて、みてください。華頂の宮と言う方は、明治天皇様の、何かに当たる方です。しかし、大切なことは、ここを、所有なさっていた期間は、たった、4年だったと言う事です。高速道路がまだなかったし、舗装技術も、幼稚だった、100年前に、ここと東京を往復するのが、どれほどに、大変だったか、それは、その当時は、まだ生まれていなかった私にだって、推察ができます。だから、手放してしまわれました。

 その後、何代か、持ち主は、変わっていますが、一般人であると言う事と、結局は相続税の代わりに、寄付なさったと言う事で、名前は、記載をされていません。ですから、華頂の宮が、実際にここで、お食事をとられたりしたのは、100年以上前の、短い間だったと言う事となります。

 でね。持ち主の名前が、判らないからこそ、プライヴァシーを顧慮する必要がないと、思うのですね。その上で、驚いていただきたいのが、バスルームなのです。ものすごく美しい赤いバスタブが置いてあります。バスルームの大きさですが、縦長の9畳だと推察しています。でも、禁入室の張り紙があるので、私は遠くからバスタブを、一瞥しただけですが、

 長さが、2m以上はある赤いバスタブで、ピカピカに光っているので、多分、陶製だと思います。2mX80cmX60cmぐらいの陶器の焼き物ができる窯って、どういうモノでしょう。ともかく、王侯貴族か、ブルジョワとしても、欧米他、全世界に、数千人程度しかいない、階級の為に製作をされたバスタブだと、思います。そんな、高級なものが、こんな、ど田舎(?)に、在ると言う事が、不思議です。不思議極まりないです。アクセス的に言うと、とても、不便なところに、それが、鎮座ましましているというのが、驚き入る事なのです。

 このバスタブですが、モノに、神が宿ると言う、日本精神から言えば、バスタブ大明神と言ってよいほどの美麗なものですから、尊敬して置いて、不足はないものです。そして、こういう作品を作り出したクラフトマンへも敬意を、払うべきだと、思います。

 バスタブが置いてあるのは、二階の東北の部屋で、禁入室の張り紙が有ったら、そこです。ただし、私が、こう書くと、その部屋は、本当に、施錠をされてしまい、ドアを開けて、遠くから見る事さえ、できなくなる可能性があります。

 私のこのブログを、閉鎖させてやろうと、する動きは、あまりにも活発で、そのドアを施錠してしまう事さえ、このブログを否定することに役立つのだと、誰かが思えば、その部屋は、施錠をされて姉妹、皆様に、この裏技を実行していただくのが、無理となります。その際は、悪しからず、ご了承をいただきたいと、思います。

 さて、この一文は、表の世界だけを書いております。お隣のお嬢さんも、イニシャルさえ、記載をしていません。しかし、冒頭と末尾には、普段味わっている苦労の、一端がにじみ出てしまっています。

 しかし、同じ現象でも、裏から見ると、また、すさまじ苦も、恐ろしい真実に突き当た利、例のごとく、鎌倉エージェントが登場し、ここでもまた、死者が出ているのですが、本日は、表舞台だだけに、終始することをお許しくださいませ。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3693322です。2016年9月28日から、29日にかけてこれを書く。雨宮舜(川崎 千恵子)

2016年9月28日から、29日にかけてこれを書く。

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