銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

銚子丸の恋人たち(日本人)、とかっぱ寿司の恋人たち(中国人)

2010-10-07 20:23:57 | Weblog
 3日更新しなかったですね。母の見舞いに結構疲れているときに、

レーザープリンターがやってきました。初めて使います。それは、そうと、それを置く場所に油絵や版画の額と作品が大量に出ていて、それを、始末するのが大変だったので、乏しいエネルギーをそちらにとられて、この世界がおろそかになっていました。そこ、いわゆる客間が、美術品用の倉庫になってしまったのは、急に個展の話が入った二月以来10ヶ月にわたる現象で、それを片付けるのは結構大変でした。

 ずっと、ずっと、忙しくて、お掃除と整理は後回しです。パンツを盗む泥棒と、額を斜めにしていく泥棒(もしかすると、それは、鍵を渡されているご近所様かな?)は、その散らかった部屋を何回も見ているわけです。それは解っていましたが、他にももっとひどいことがあって、そちらへの対応で精一杯だったのです。

 50代、とは、違ってがんばりが利きません。一方、『せん病質なの(今で言う虚弱体質)』と自分で言っていた、母は95を過ぎました。最高の状態で、介護を受けています。自宅へ帰りたいといったりした時代を過ぎて、老人ホームに慣れてきたかなと思っていたら、8月のすえに弟に、「つれて帰って」といったんですって。私はそれを、何かのサインと取っています。

 もう何も食べないし、水もあまりのみません。だから、3,4日おきに、点滴を打っています。今日(金)弟から連絡があってお医者さんと懇談の上、点滴を、もう止めることとなったそうです。

 で、今の私は、仕事を縮小し、7冊目の本を作るという行為をいったん、あきらめて、自分の体力を、温存していて、母の見舞いだけはちゃんとしようと思っています。

 で、6日(水)のことでした。夕方川越街道沿いの『銚子丸』という回転寿司の前を通ったときのことです。ものすごい悲鳴が聞こえます。『あ、事件かな』と思うほどの大声で、キーンと言う感じ。

 『どうしようかな』と思います。でも、今の私は相当に、勇気はあります。
ところで、この件の続きは、******罫線以降に置かせてくださいませ。

 ここで、脇へ入ります。叫びに対する反応のことをお話をさせて下さいませ。切ない話ですが、娘が痴漢に襲われ、ご近所の安野夫妻に助けてもらったのを、私は『偽装だと感じた』とお話をしてあります。あの話の詳細がまだ、書ききれていません。

 ご主人と同時に奥さんまで洋服を着て出てきたという点で、それが変だと思ったのです。[きゃーっと言う異常な叫び]は、叫んでいる本人も怖いのですが、聞くも怖いものです。で、普通なら、あのいつも、しなを作って上品ぶっている奥さんが、だんなと一緒に外へ、出てくるはずがないのです。フェミニンという言葉を、最高に守っている人ですからね。だけど、タイミングよく、同時に外へ出てきたというのが非常におかしいのです。

 それに、月曜日(実質的にはそうです)の昼間それをアップしていた後で、月曜日の夜11時ごろ私がこの山に帰ってきたら、安野家は珍しく、その時刻まで電気がついていて、起きていることを誇示していました。そして、次の私の外出日・水曜日には寝ている。ということは、あの月曜日の深夜あげた『流鏑馬の切符と、平原綾香と、・・・・・・』という記事の後半に書いた、<<<痴漢がわざとし組んだ演出で出現して、それを、事前に知らされていた安野夫人は危険がないことを、既知であった>>>という文章が正しかったと、推定することができます。

 その痴漢を誰が演じたかですが、安野夫妻が、すこぶるつきの熱意を持って、警察との関連を誇る(紙のポスターを色あせるまで門前に張るなどの行為)を見ていますので、警察が計画して実行した案ではないかしらと、思います。恐ろしいでしょう。しかも石川和子女史と夫の柳沢某が、猫が自分たちを見捨てたことに逆上して、警官を呼び、「あそこの奥さんを、そのだんなに叱ってもらいたい」と頼み、また、おばかさんな警官が、私を交通事故の調書をとるなどという形で脅かして、恥の上塗りをしているのです。

 それを、隠すために、次から次へとばかげたことをやっているわけです。この山は地上から、五十メートルは上がっていて、石段を100段以上、徒歩であがらなければならないので、交通事故など絶対におき得ない場所なのですよ。

 でもね、痴漢さえ、警察が演出したわけは、この山にアジサイ畑欺もう事件という土地をめぐる泥棒の件があり、その影に、瀬島隆三がいるので、警察がそちら様を味方するわけです。その瀬島隆三が何をやっているかというと、国際的軍産共同体が、上手に、日本全体を支配して、日本人が汗水たらして労働して、蓄積したお金を為替差損とか、プルトニュームの輸入等で、吸い上げられるシステムに気づかせないように、あらゆることを上手に手配する役目をしているのです。

 そして、私は安野夫人を嫌っています。それゆえに、安野夫人へ頭を下げさせるのが、気鬱にさせるのに、効果があり、だんだん、発言ができなくなっていくだろうし、『結局、(真実を語る人の一人としては)、消えていくだろう』ということを狙ってこういうことが、仕組まれるわけです。

 現代の言論弾圧は、非常に巧妙で、込み入っていて、心理操作のきわみを尽くしています。で、私のできることは記録をとどめておくことだけです。悪の実際がどういう風に行われ、どういう風に機能をしているかと記録をしておくことだけなのです。

 この件ですが、なんども言うように、浅野家だけは別として、安野家も、前田家も国家予算を使って守られていますね。その代わり、わが子は、痴漢まで偽装して、脅かされています。ひどい人権蹂躙ではありませんか。そして、弁護士を頼もうとすると、裏から手を回して、知り合いの、弁護士さんは、彼、彼女たちの方から、手を引くように手配をされています。ここまで書くと私が惨め過ぎるようで読んでいるみなさんもご気分が悪いでしょうが、そこに天の采配が加わって大銀杏が倒れたりするので、私も健全であるわけです。

 で、ともかく、記録だけはすると決めていて、一応パソコン内だけのメモとして書き始めたら、すぐハッキングをされて、さまざまな反応があるので、だんだん公開すべきだと考え始めました。一応の慈悲の心を持って、仮名で書いてあげていたのですが、まったく反省をしないのです。それも詳述したいのですが、一万字を超えますので、ともかく今日は、この痴漢が警察の演出で、そして、演技として安野夫妻が、わが娘を助けたと、言う事実の信憑性に戻ります。

 よく考えられています。未婚の娘が痴漢に襲われたことなど、外部にはさらさないだろうと思われています。私だって、たいがいは常識を守ります。だから、ずっと言いませんでした。でも、結婚をして孫もいますので、ここまでさらしました。深い、深い怒りに震えます。

 しかも、これが真実だと判断するもうひとつの理由は、月曜日に鎌倉駅に若い警官が二人パトロールをしていたことです。脅すためでしょう。が、まあ、平気です。

 ところが、水曜日の夕方七時に、山を降りていくと、鎌倉街道へ入る、ネックのところに、パトカーが待っています。そこはどうしても、避けられない場所です。私はもちろんそれが、脅かしだとわかりますが、脅かしに屈するようなやわな人間ではないから、すっすと進みましたけれど。すると以前よりは演出が凝っていて、『いかにもここで事件があったから、ここにきたと』いう感じで、携帯で上司に報告をしていました。「該当する地域に来ていますが、該当する人物はいませんでした』と。
~~~~~~~~~~

 さあ、ここからです。二つの方向へ問題は進展していきます。ひとつは小沢氏の動向です。ずっと、カメラの前に姿を見せなかったのに、水曜日21日ぶりにカメラの前で、堂々としゃべっていました。これが何を意味するか。

 この山の動向、そして、私のブログ、そして、小沢一郎氏の動向は見事にリンクしています。私が最近、ずっと書いてきたことは、極小の世界のことですが、すべて真実でありますから、相当に『日本人は賢い』と言うことで、日本人を、持ち上げる傾向が、世界中で、沸き起こりました。中国の温家宝首相が折れてきたり、
 ルース大使が長崎を訪問したり、

 二人の日本人・化学者が、触媒を、炭素(有機化合物)の結合に使った研究をもって、ノーベル賞を受賞しました。それはありがたい反応です。日本人は、あまりにも踏んだりけったりの扱いを受けて来ました。私もその一人ですが、すさまじいレベルで、失礼なことをされ、損害を与えられ続けてきたのです。

 でもね、抽象的なレベルで、ものを言っていたのでは、効果があまりありませんでした。むしろ、『ここまで、一部の日本人はわかっているが、日本人・全体はまだ、あほであり、十分に、だまし抜けるであろう』とみなされていて、攻め込まれる度合いが大きかったのです。たとえば、映画コーヴの制作、そのアカデミー賞、ドキュメンタリー賞受賞、そして、その全世界、および日本での公開等・・・・・そして、最近でも、太地町で、いるか保存用の生簀の網を切ったという声明が出されましたね。

 金子みすずのふるさと仙崎でさえ、鯨を取っていて、鯨塚があるというほどの、日本固有の文化ですが、一見すると残酷なので、世界中に日本人の残酷さを植えつける好個な題材として、使われきっています。

 こういういやな事が連続して起こります。

 ところが、今のように、実名で書けば、むしろ、反省して抑えてくれるのです。最近の日本の明るさ、は、そこに原因があります。

 それなのに、私が、小沢出現の前、二日ほど、ブログの更新を休んだので、『彼女はさすがに参ったのだ』とみなされたのでしょう。パンツを盗まれる話の前後は、たしかに書くのに疲れましたし。

 で、『しめしめ、やっと勝てたぞ』と思った、国際的軍産共同体は、小沢一郎にゴー発進の手はずをとったのでしょう。それとも、これらの幼稚な脅迫作戦(この三日は制服のガードマン===主に中年である)ではなくて、若くて、ぴんぴんの警官が使われたわけですが、)こそ、小沢一郎が、すべての指揮を執っているのかもしれないのです。強制起訴というのは、一方で、やっと、『猫の首に鈴がつけられた。これで、政治生命は、終わりだ』と思う大勢の政敵もいるはずですが、

 私は『意外と違うかもしれない』と、以前から思っていました。私のブログが、真実を語り始めると、彼は、かならず、一種の被害者・像をとります。つまり、悲劇の政治家というポーズです。『弾丸が送りつけられた』というのは、頻繁に使われる手です。

 しかし、娘への痴漢まで、偽装をされている私には、そんなピストルの弾は、
国際的軍産共同体の下っ端の工作としてか、思えません。自作自演に近い、狂言でしょう。
 今回も、本当のところが、まったくわかっていない手合いに、日刊現代や、週刊朝日、ときにはアエラ、週刊新潮、や、週刊ポスト、週刊現代、週刊文春・・・・・・・あらゆるメディアを使って、浸透させた、自分のカリスマ性を判官びいき(弱いものに味方をする日本人の特殊性)を利用して、さらに上乗せをしよう
とするたくらみです。

 ともかくのこととして、小沢一郎という政治家

(西部○氏は『背広を着たごろつき』という本を出し、野中ひろむ氏は、月刊文春内で、『悪罵が来たりてほらを吹く』というタイトルの対談をしていらっしゃるけれど)

 は、悪魔そのものをしゅうへんに引き連れいている大変な人物です。彼をおおきくしてしまったら、日本人と日本社会は、あらゆる暗さと、苦痛の中に放り込まれます。特別な少数を除いてはね。

 さてネックの場所に警官が待っていたということは、もうひとつ別の回答をあたえてくれました。今の私は壮大なミステリー小説を書いているのも同然の状態です。私のパソコンを壊すのは誰なのか、ハッキングを利用して友人との仲を裂いたり、電話を盗聴して、外出の先々で、脅しをかけてくる人間が誰なのかについて、なぞを解いている最中なのです。
 それが、警察らしいと言うことを、ほぼ、確定する回答のひとつを得たのです。

 それは、私が門を出た途端に、ひたひたと後をつけて来る足音があり、それを分析した結果です。

 その足音は、大原さんの家があるほうから、出てきました。そちらには、現住六軒の家があり、歩くことのできる人物が、男女合わせて、12人います。しかし、会社に勤めていたりして、この時刻に山を降りることのできない人物を抜かし、また、それらの12人の歩くリズム、および、生活習慣を考えると、その足音は大原さん以外には、考えられない音でした。

 前田祝一氏は飲みに出ることがありますが、歩幅とリズムが違います。もっとおっとり、ゆったりです。年齢の違いのもあるし、おしゃれとして、ほう歯下駄を多用したりする人ですし。6人いる女性陣はこの時刻には外出しません。

 私は、特別な人間です。24時間起きているニューヨークで、睡眠時間三時間で、連続版画制作をしてきたりしているので、まったく普通の主婦とは違うタイプとなっているのです。特に、パソコンを破壊され始めてからは、外出を、ありと、あらゆる時刻に、自由にいたします。発想がわいて、今、重要なことを書きたいと思えば、夜の10時に家を出て、東京まで行ってしまったり、朝の四時に家を出て、鎌倉駅から始発電車に乗って国立国会図書館を目指したりします。でも、この山の女性陣は、小市民の典型で、常識を守るので、夜の七時過ぎには外出をしません。

 大原さんに対しては、いったんはきれいな思い出を書いてあげようかと、思ったほどです。月曜日の外出中、つまり、今日のブログのテーマになっている銚子丸(回転寿司チェーン)の前を通った日には、外で、うっすらと、『大原さんが上品極まりない先生だった、我が家での美術研究会の日々を思い出していて、それを、書こうかな。久しぶりに叙情的に』と思っていたほどです。

 しかし、そのひたひたと、つけてくる足音を聞いた時には、すぐ大きな嫌悪感を抱きました。何かの危険性を感じたからです。『また、何か、罠を引っ掛けようとしているな?』という直感があったからです。以前、副会長の安野家から、水をぶっ掛けられそうになったと申しましたでしょう。あの時も、後ろから、ひたひたとついてくる、浅野家の令嬢の様子に直感的に『おかしい。変だ』と感じて、彼女が五歩程度の近さ(つまり、一メートル)まで近づいた途端に、私は歩を止めたのです。すると、目の前をざあっと水が流れていったのでした。

 で、今回みたいに、何かの意趣を含めて後をつけてくる足音というのは、その不自然さが、すぐわかるようになったのです。
 私が、特に問題にしたいのは、この山の人間たちの行動が不自然に過ぎることです。何人かは日常的に、生活そのものが演技です。それも、さることながら、井上ひさし、原案で、伊藤玄二郎を通じて命令をされているだろう、諜略に基づいた行動も多すぎます。それらは、直感的にわかるのですが、今までは、すべて、何も解説も分析もしませんでした。
 しかし、それが災いをしているみたいなのですね。きちんと、分析をしてそれを発表をしておかないと、気がついていないと思われるらしいのです。つまり、『こちらが、馬鹿だ』と誤解をされる。

 だから、『その諜略を仕掛けてくる人間の実名をあげて、しかもその裏側を公表しないとだめだなあ』と気がつき始めているのです。使役をされた人物が、八幡宮様というおおきな組織であろうとも、実名性があれば、それを分析して書き、公開するわけですね。ただ、警官となると、かれらには、実名性がありません。だから、「パトカーが京橋の集英社前に、朝の六時に停まっていて、これは、おかしい」とか、そのほかのケースを何度書いても、池田警視総監は、そういう単純な脅しを止めないのです。あ、ただ、その2008年四月一日というのは前の警視総監の時代でしたが、機動隊のバスが二台、国立国会図書館の前で、朝の六時に待機していたのは、池田警視総監の時代です。

 でね、その2008年の4月からこの2010年10月6日に戻ります。その追いかけてくるひそかな足音が、罠であるのは、石段の途中で、木(こ)の間(ま)がくれれにパトカーが、待っていたのが見えた途端に、確信に変わりました。実は、大原さんは、この日の七時という時刻より、二時間前に、外出をすることは多いのです。夕方は日暮れ前に、自転車に乗って、ふうら、ふうらと、鎌倉中を散策する人でもあります。スケッチブックをもっている日もあるでしょう。家で絵を描く仕事ですから、気晴らしは必要です。

 絵を描くって、大変な重労働なのですよ。売るための小品を描くのは、一種の座業です。が、でも、パソコンを打つのよりは疲れる仕事です。特に私にとっては。あ、ただ、ここで余談ですが、私はパソコンのキーうちはものすごく早いです。アメリカで、アメリカ人の前で打ったときもありますが、みんな目を丸くします。アジア人のおばさんが、アメリカ人より早く、しかも優美に両手うちをするので、びっくりします。意外と、一本指使いだったり、片手打ちの人が多いのです。特に大学院などで人が多いところで打っても、みんなが目を丸くします。それに文章を書くのも好きだから、パソコンうちを、気にしないので、疲労感が少ないのかもしれません、が。

 元に戻れば、大原さんの役目は二つあったと思います。一つ目は、私がパトカーを見て逃げ帰ってくるかどうかを、確認すること。もし、逃げ帰ってきたら、「あら、川崎さん、どうしたの?」とでも、からかいの言葉をかけてきて、それに対して、また、私が、怒るかどうかを試すのでしょう。今度怒ったら、柄沢斉、酒井忠康氏らを利用して、何かのわな=悪辣な個展以上の罠を仕掛けてくるはずです。『乗るものですか』とわたくしは 腹の中で呻きました。私はまったく違う方法で、違う書き方をします。天のお力を得ながら、天から下ってきたこととして書き、人間でしかない彼らの思惑やら、予測をなぞった文を書くことはありません。

 もうひとつの方向は、浅野家の令嬢と、まったく同じく携帯を利用して、石段をどの場所まで、私が降りたかを、安野家などを通じて、パトカーへ知らせることです。それで、中から二人の警官が、まことに見事なタイミングで出てきたというわけでしょう。

 そして、新手の作戦が展開したというのが一説です。だけど、私はもっと複雑なラインも推察をします。それは、私が常に、『パトカーが待機していて脅かされた』と書いていますでしょう。で、『そんなことは、やっていないのだ。あれは、別の件で待機していたのだ』と私に飲み込ませることが、目的だったのではないかということです。
 最近私の周辺に現れるこういうパトカー乗務の警官は、優秀な人材が使われています。背が高くてきりっとしていて、頭もよさそう。最初期に、石川和子女史と柳沢某に依頼されたまま、うかうかと、『見も知らぬ奥さんを、その夫に叱ってもらう』ために、我が家を訪れた、めちゃくちゃな、二人組みほどのあほは、現れません。

 ところで、大原さんが、かくもグッドタイミングで私を追いかけることができたかの謎解きですが、私の外出が、いかに注目をされているかを、お話をしなければなりません。午後になって、パソコンを打っていないときとか、テレビもつけず、ラジカセもつけていないときは、必ず、セールスの電話がかかってきます。外出したかどうかを確認するためにです。あるとき、夜の六時過ぎに、その役目に『美術の窓』が利用されたので、怒って、メールで『裏側を、わかっていますよ』と書いて送りました。

 あの雑誌は、夜の六時ごろに、しかも中年社員の声で、勧誘することなんかないのです。9時から5時までならあり得るけれど。それに、あの高い雑誌を、私は定期、購買をしていた間にも個展の記事を書いてもらえなかったから、ひどく怒っておきました。もちろん、個展の紹介記事を書いてもらうのだって、お金を取られるのは知っています。でも、一応、「いかがですか、この頁のこの大きさなら四万円ですよ」とか、「こちらなら、六万円ですよ」って、お誘いをかけてくるのが定期購読者に対する礼儀でしょう。

 あの雑誌には、野見山暁司さんが、エッセイを載せているけれど、このラインも山口さんの急死に、大いに関係があるし、今日の大原さんと、酒井忠康氏のラインも、しのぶ会つぶしの件では、山口さんの急死に大いに関係があります。

 大原さん、あなたは、『ばれないだろう』とたかをくくって、ちょこまか、ちょこまか、動いているようですが、すべて、川崎にはばれていますよ。「そんなばかげたことをすると、あなたの、大切な柄沢斉さんにも、柄沢さんにとって大切な、酒井忠康氏にも、石塚雅彦氏にも大迷惑がかかるのよ。わかりますか」と、公開質問状を出しておきたいです。

~~~~~~~~~~~
 ともかく、結論を言ってしまえば、私の周辺には、人工的なことが起こりすぎるということです。それはもちろんのこと、嫌な雰囲気のことがおおいのですから。けれどもうひとつ、別の側面があります。バルザックいうところの人間喜劇というやつです。それに興味があるし、ひきつけれるし、文章化することには、面白さを感じてはいます。

 デモ、全体像を締めくくるのは人権蹂躙という一言です。だから、怒りは深いです。そして、私の人権も侵害されているけれど、日本国全体もまた、世界中から、国としての権利と尊厳を犯されています。そのことに抗議をしたいです。

**********
 さて、やっと冒頭の話題に戻ります。

 ともかく、犯罪かしらと心配して近寄ったら、そばで立っている男の子は「
いえ、僕が締め出されたのですよ。ほら、キーが刺さっているでしょう」と答えます。確かに車内灯をつけたダッシュボードには、キーが刺さっています。涙で顔をくしゃくしゃにさせた女の子は、ヒステリーを起こしている最中なのだそうです。
 窓ガラスが、五センチ開いているので、いろいろ慰めようとしても、まったく沈静化しないのです。すでにしろうとの手に負える段階ではないのですが、男の子は救急車を呼ぶ気配もありません。

 でも、周辺に迷惑をかけていることは確かなので、「あなた、この子と車を残していったん帰ったら」と提案してもはかばかしい返事がありません。で、次善の策として、「あなた、上でおすしを食べてきたらと言ったら、「僕、一人でおすし、食べられません」といいました。

 その二人を心配した後で、母のところによって、その帰り今度は河童寿司の前を通ったら、食べた後で、仲良く話をしている男女を見かけました。会話は中国語。日本人だったら、二次会は喫茶店というところですが、その近所には、喫茶店が一軒もないのです。それに、たって会話をするのを楽しんでいるみたい。情報交換とかでしょうが、まだ、恋人でもないと思うけれど、本当に楽しそうで健康的な感じでした。
 そして、この人たちは、本国を離れて、ともかく、いろいろな面で自由がある日本にいて、働けることを喜んでいるのを感じました。大卒でも、新卒でも数十万人が就職ができないと言われる中国です。蟻族とよばれているかれらの映像を見ました。

 帰りの電車の中では、疲れた感じの若者がいて、私はまた、また、考え込むのでした。かれらの顔立ちは、銚子丸の駐車場で、揉め事を起こし、クルマから閉めだされていた若者より、ずっとしっかりしていました。ただ、私の印象としては日本社会が大変悪くなっているということです。ここだけは、まだ抽象的な論議で終わっているので、敵は反省をしないでしょうが。 
          2010年10月8日               雨宮舜
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